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検索対象: 世界の大思想17 ルソー エミール
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1. 世界の大思想17 ルソー エミール

528 学ぶために役に立つものだ。十五歳のプラトンたちを、いろか国の国民を比較したことのある人は、人間というものを知 いろなクラブで哲学を論じたり、ポル・リュカスや、タヴェ っている。それは十人のフランス人を見たことのある人が ルニエの言にもとづいて、エジプトや、インドの慣習を学会フランス人というものを知っているのと同様である。 に報告したりするように仕込むためには役に立つ。 知識を得るためには、諸国を歩きまわるだけでは十分でな どんな人でも一つの国民しか見たことのない人は、人間と 。旅行の仕方を心得ていなければならない。観察するため いうものを知ってはいなくて、自分が一緒に暮らしたことの には、見る目をそなえていなくてはならないし、自分の知り ある人びとしか知っていないことを、異論の余地のない原則 たいと思っている対象のほうへその目を向けなければならな と見なしている。そこで例の旅行の問題を提起するもう一つ 世の中には、旅行によって教えられることが、読書によ 別の仕方があるわけだ。つまり、「りつばな教育をうけた人るよりも少ない人もたくさんいる。そのわけは、彼らは考え 間が、自分の同国人しか知らなくてもよいのか、それとも人る技術を知らないからであり、読書においては少なくとも著 間一般を知る必要があるのか」ということだ。こういうと、 者によってその精神を導いてもらうけれども、旅行において もう論議の余地もなければ疑問の余地もない。ご覧のとおり は、自分でものを見ることを知らないからである。またある 難問の解決が時にはその問題の提起の仕方にかかっているこ人びとは、なにごとかを学、ほうと望まないから、なにごとも とがわかるだろう。 学ばない。そういう人びとの目的は、まったく別のところに しかし人間を研究するためには、地球全体を歩き回らなけあるので、知るという目的はほとんど彼らの関心をひかない。 ればならないだろうか。ヨーロツ。ハ人を観察しに日本へまでもし少しも見ようと思っていないものが正確に見えたとした 出かける必要があるのか。人類を知るために、すべての個人ら、それはまったくの偶然である。世界のあらゆる国民のな を知る必要があるのか。そんなことはない。非常によく似てかで、フランス人が一番旅行をするけれども、自分の国の風 いる人びともいるのだから、彼らを別々に研究するにも及ば習で頭がいつばいなので、彼らはそれらに似ていない風習は ない。十人のフランス人を見れば、すべてのフランス人を見すべてごっちゃにしてしまう。世界の隅々にまでフランス人 たことになる。イギリス人や、他のいくつかの国民についてがいる。どこの国に行っても、フランスほど旅行をしたこと は、同じことは言えないにしても、それでも各国民はその固のある人が多数に見いだされるところはない。それにもかか 有の、特殊の性格を持っていることは確かで、その性格は、 わらず、ヨーロッパのすべての国民のなかで、いちばん多く 国民のひとりを観察しただけではだめだが、幾人かの国民をの国民を見ているはすの国民が、諸国民を知ることが一番少 観察すれば、それから帰納的に引き出されるものである。十ないのである。

2. 世界の大思想17 ルソー エミール

529 第五篇 フランス人 イギリス人も旅行する。しかし違った旅行の仕方をする。 うに旅行する人を、わたしはほとんど知らない。 この二つの国民は、あらゆる点で反対でなければ承知しな はその国の芸術家たちのところに押しかけ、イギリス人は、 い。イギリスの貴族は旅行するが、フランスの貴族はちっと なにか古い美術品のデッサンをとらせ、ドイツ人はサイン帳 も旅行しない フランスの人民は旅行するが、イギリスの人を持ってあらゆる学者のところへ訪ねにゆくのだが、スペイ 民はちっとも旅行しない。 この違いはイギリスの名誉となる ン人は黙々として統治状態や、風俗や、治安状態などを研究 ようにわたしには思われる。フランス人は旅行をするとき、 する。そして四つの国の人のうちでス。ヘイン人だけが、故国 たいていなんらかの利益を目的としている。しかしイギリス に戻るとき、自分の見たことから、自分の国に有益ななんら もっとも、 人は他国に一山あてるために行ったりはしない。 かの考察を持ち帰る。 通商のために、自分もいつばいもってゆくのは別であるが。 古代の人びとはほとんど旅行もせす、本も読ます、著作も 彼らが旅行をするのは、旅行で金を使うためであって、やり しなかった。それにもかかわらず、今まで残っている彼らの くりをして生きるためではない。彼らは外国へ行ってまで卑著した書物を読むと、われわれが同時代人を観察している以 屈な態度をするには自尊心がありすぎるのだ。だから、彼ら上に、彼らがお互いによく観察しあっていたことがわかる。 は、それとまったく別の目的を念頭においているフランス人自分の描いている国にわれわれを連れていってくれるただ一 よりも、外国でいっそう多くのものを学んでくることにもな人の詩人であるホメロスまで遡らなくても、人はヘロドトス るのだ。それでも、やはり、イギリス人もその国民的偏見をに対して、その歴史の中でーーそれは考察でできているとい もっている。彼らはむしろどの国民よりもたくさんの偏見をうよりもむしろ物語でできているのだがーーー現代のすべての もってさえいる。ただその偏見は、無知よりも情念にもとづ歴史家がその著作のなかに肖像や人物論をいつばい盛り込ん いている。イギリス人は、自尊心から生まれる偏見を持って で描いている以上によく彼が風俗を描いたという名誉を拒む いて、フランス人は虚栄心から生まれる偏見を持っている。 ことはできない。 タキトウスは、どんな作家が現代のドイツ 一番教養のない国民が、一般に一番賢明な国民であるのと人を描いているよりも、当時のゲルマニア人をりつばに描き 同じように、一番旅行をしない人が一番上手に旅行をする。 出している。古代史に通じている人が、今日のどんな国民が なぜなら、彼らは、つまらない研究においてわれわれほど進自分の隣国の人びとを知っているよりもよく、ギリシャ人、 歩していないし、むなしい好奇心の対象にわれわれほど心をカルタゴ人、ローマ人、ガリア人、ベルシア人を知っている とらえられていないので、彼らは、真に有用なものだけに自 ことは疑う余地がない。 分の注意を集中するからだ。スペイン人のほかに、そんなふ それとともに諸国民の独自の性格が日に日に薄れていっ

3. 世界の大思想17 ルソー エミール

っと破減的なことなのである。それは人口の減少はある生産 をきれいにすることが問題なのだ。聞くところによると、イ ギリスには、農業にいろいろな賞があるそうだが、わたしはを全然無にしてしまうが、当を得ない消費はマイナスの生産 それ以上聞かなくてもよい。それだけで、イギリスでは農業をもたらすからである。フランス人とイギリス人とが、自分 たちの首都の大きさを自慢にして、ロンドンとパリとどちら が、今後長くは栄えないことを証明していると思われる。 が人口が多いかと互いに言い争っているのを聞くと、わたし 統治と法律との相対的な善さを示す第二のしるしも、ま は、どちらの国民が光栄にもいっそう悪い統治を受けている た、人口から引き出されるのだが、前とは別の方式で、つま り、人口の量からではなく、その分布状態から引き出されかを、二人が一緒になって言い争っているように思われる。 る。広さと人口の等しい二つの国家が、国力においては非常 ある国民をその都会の外で研究するがよい。そうしなけれ に差があることもあり得る。二つのうち強いほうは、必す住ば、あなた方はその国民を知ることにはなるまい。ものもの 民がいっそう一様に国土に分布している国である。あまり大しい行政組織や、役人どものわけのわからない用語で粉飾さ きな都市がなく、したがってあまり目立たないほうの国が、 れた政府の表面的な形態を見ただけでは、その統治が国民の 必すもう一方の国を打ち破ることになる。国家を疲弊させ、 うえに、また施政のすべての段階において生みだす効果をよ その弱点となるのは、大都市だ。それらの大都市が生み出すりどころにしてその政府の本質を研究しないかぎり、なんに かね 富は、見せかけだけの、幻想的な富なのだ。金はたくさんもならない。外形と本質との差異は、そういう施政のすべて あるが、たいして効力がないのだ。パリはフランス王にとっ の段階にそれそれ認められるものだから、それらの段階すべ て、一つの州と同じくらいの値打ちがあると言われているが、 てを総括して考えてみなければ、この差異はわからない。あ わたしはむしろ 、。 ( リはいくつかの州をあわせたほどの負担る国では、下級役人のやり口を見てはじめて、政府の気風が わかりかける。別の国では、国民がほんとうに自由であるか をフランス王にかけていると思うし、実に多くの点にお て、パリは地方諸州によって養われているのだ、地方の収入どうかを判断するためには、国会議員がどんなふうに選ばれ 、。どんな国だろうと、大都市 の大半はこの都市に流れこんで、そこにとどまり、人民の手ているかを見なければならなし 篇にも、国王の手にも戻ってはこないのだ、とわたしは思う。 しか見たことのない者には、その国の統治状態を知ることは 五打算に長じた人間の支配する現代に、誰ひとりとして、 パリが不可能である。政府の意向は、都市に対しても、農村に対し 第なくなれば、フランスはずっと強力になることが見ぬけない ても同じであることはけっしてないのだから。ところで国土 とは解せないことだ。人口が適当に分散していないことは、 を形作っているのは農村であり、国民を形成しているのは農 国家にとって有利でないばかりでなく、人口の減少よりもも民なのだ。

4. 世界の大思想17 ルソー エミール

ことに奇妙なことに、彼らのひとりひとりがある国について 論し合うことはないだろう。 の記述をたぶん十回も読んでいるはすなのに、その国の一人 書物の悪用は学問を殺す。人びとは、自分の読んだことは の住民を見るとすっかり驚嘆してしまうのである。 知っているつもりになって、自分はもうそれを学ぶ必要はな いと思いこむ。あまりたくさん読むことは、生意気な無学者 真実に到達するために、著作家たちの偏見と、われわれ自 をつくることにしか役立たない。文学の栄えたすべての時代身の偏見とを両方とも打破しなければならないとは、手にあ のうちで、現代ほど読書がさかんだった時代はないし、また まる仕事だ。わたしはいろいろな旅行記を読んで一生を過ご ヨーロッパのあら 現代ほど人びとが無知だった時代もない。 してきたのだが、同一の国民について、同一の観念を与えて ゆる国のなかで、フランスほどたくさんの歴史や旅行記が印くれるような一一冊の旅行記をまだ見つけたことはない。わた 刷されている国はなく、しかも、フランスほど人びとが他国しが観察し得たわすかばかりのことを、わたしの読んだこと 民の精神や風俗を知らない国もない。あまりにたくさんの書 と較べてみて、わたしはとうとう旅行家の著作をほうり出し 物は、われわれに世界という書物を忘れさせる。あるいはわてしまい、それらを読んで、なにか知識を得ようとして時間 れわれがまだその書物を読んでいるとしても、各自は自分のを費したことが残念に思われるようになった。それは、こと べージだけ読んでいるのだ。「ベルシア人なんてあるのかし観察に関しては、どんな種類の観察であれ、本を読んではな らーという言葉を知らなかったとしても、それを聞いただけらない、実際に見なければならないことを深く確信するよう で、それは、国民的偏見が一番はびこっている国の、偏見をになったからである。そのことは、たとえすべての旅行者が よけいにひろめている女性から出たことばであることがわた正直で、自分で見たこと、あるいは信じていることしか言わ ず、真実が形を変えても、それが彼らの眼に映ったとおりの しにはわかるだろう。 うその色を帯びているにすぎないというような場合にも、や ハリに住む人は、人間というものを知っているつもりでい はりあてはまることだろう。その上さらに彼ら旅行家の嘘や るが、フランス人を知っているだけだ。いつも外国人がいっ ばいいる自分の町にいて、。 ( リ人はどの外国人をも異常な現不誠意の奥に真実を見ぬかなければならないとしたら、どん 篇 象だと見なしている。つまり世界のほかの地域ではそれと同なことになるのか。 五じような現象はまったく見られないものと思っているのだ。 だから、人びとに賞めそやされる書物にたよるのは、はじ 第 めからそういうもので満足するように生まれついている人び この大都会の市民を間近に見て、彼らの間で暮らした経験の ュルの術と ある者でないかぎり、あんなにも才知のある人間が、あんな とに任せることにしよう。それは、レーモン・リ にまぬけになり得るとはとても信じられるものではない。ま同じく、知りもしないことについておしゃべりをする方法を

5. 世界の大思想17 ルソー エミール

147 第二篇 た、大人にはすでにその身分、職業、住所がある。しかし運しば精神的なものを混入させる。だから、一般的にいえば、 人叩が子供になにを用意しているかは、誰が確実に知ることが 心のやさしい、それでいて快楽を好む人々、情熱的でほんと できよう。何事につけても、子供にあまりはっきり定った形うに感じやすい性格の人々は、他の感覚には動かされやすい 式を与えて、必要な場合にそれを変えるのにあまりつらい思 が、味覚に対してはかなり冷淡なのである。このことは味覚 いをさせないようにしよう。フランス人の料理人をどこへでを他の感覚より劣ったものとし、これに惹かれる傾向を軽蔑 ・もお伴に連れて行かなければ、彼は他の国に行くと飢え死にすべきものとしているらしいが、まさにそのことから、わた ・するとか、またフランス以外では誰も食べ方を知らないのだ しは逆にこう結論するだろう、子供たちを指導するのにもっ と他日、彼がロ走ったりするとか、そういうことのないよう ともふさわしい方法とは、ロを通じて彼らを導くことである にたい。ついでながらいうが、そんなことをいうのはふざと。食いしんぼうという動機は、とりわけ、虚栄心という動 けたほめ方だ。わたしならその反対に、食べ方を知らないの 機よりも好ましい。というのは、前者は自然の欲望であっ ・はフランス人だけだというだろう。というのは、彼らのロに て、感覚に直接つながっているが、後者は世俗の意見のつく 合う料理をつくるには、まったく持別な技術が必要なのだか りだしたものであって、人間の気まぐれとあらゆる種類の誤 ら。 りにおちいりやすいからである。食いしん坊は子供の頃の情 われわれのさまざまな感覚のなかで、味覚は一般にわれわ熱であるが、この情熱は他の情熱に対しては抵抗できない。 れの心にもっとも影響を及ぼす感覚である。だから、われわ 少しでも競争するものが現われれば、姿を消してしまう。い れは、ただわれわれのからだをとりまくだけの物質よりも、 や、まったく、子供はたちまち自分の食物のことなんか考え われわれの身体の一部となるべき物質をよく判断することに なくなってしまうだろう。そして心があまりいつばいになっ いっそうの関心を持っている。触覚や、聴覚や、視覚から見ていると、ロのほうはほとんど彼の関心をひかなくなるだろ れば、数多くのものがどうでもよいものだ。しかし味覚にと う。子供が大きくなると、無数の激しい感情が食いしん坊を って、どうでもよいものはほとんどない。 まぎらし、虚栄心をただかきたてることになろう。というの その上、この感官の働きは、まったく肉体的で、物質的で はこの虚栄心という情念が、ひとりで他の情念を利用して、つ ある。味覚は想像力に対してまったく働きかけないただ一つ いにはそれらを全部のみこんでしまうからだ。わたしは時折 り、こういう人たちをしらべてみたことがある。それはおい の感覚であり、少なくとも、それを感ずる場合に、想像力が 介入することがもっとも少ない感覚である。だがこれに反し しい食物を重要視して、限を覚ませばその日に食べるものの て、その他のすべての感官の印象には、模倣と想像とがしば ことを考え、そしてポリビオスが戦闘を叙述しているとき

6. 世界の大思想17 ルソー エミール

619 解説 ル』などの著書に記している。それはフランスはいかに大国 気紛れで風変りな人物だったことは否めないようだ。ルソー 家は十六世紀の宗教戦争の禍いをさけてスイスに移住してきでも、専制国家であるかぎり、正当な社会組織、彼のいう祖 たフランス系のプロテスタントの仲間で、当時ジネーヴ共国ではなく、人民は奴隷にすぎないという彼の主張を言外に 和国の国民を形成していた四つの階級 (citoyen. bourgeois 暗示しているようにみえる。この素朴な気負いが、田舎者の habitant, natif) のなかで最上層の支配階級だった「市民ー 臭味としてヴォルテールの揶揄の対象となった。出生ととも に母を失ったが、幼い彼に涙とともに母の思い出をよく語っ 〔公民〕に属していた。主権に関与する市民の誇りを示すため てぎかせた父親の無分別な行動に刺激されて、彼の感じやす に、一種の身分を表す肩書や称号のように、ルソーは「ジ = バリレッド い心のなかで、母への思慕にはフロイト的な親殺人のコン。フ ネーヴの市民〔公民〕」ジャンⅡジャック・ルソーと『エ、、 レックスが加わったとする見方も ある。彼の女性への態度、ことに ヴァラン夫人への感情には、とく にこの母性的なものへの思慕が結 一効びついている。 ルソーは『告白』に詳しく書か る 、術れているように、十歳の時に父の て一手を離れ、親戚や知人の家を転々 ソ とわたり歩き、十三歳から三年 構「間、苦しい徒弟奉公ののち、十六 一歳の時放浪の生活に入った。すぐ = にヴァラン夫人の世話をうけたけ 工れども、一か所に数年にわたって 腰をおちつけたことはない。従っ て、正規の教育をうけす、まった く独学自修のうちに教養をきすい たので、冒頭にふれた第一の準備

7. 世界の大思想17 ルソー エミール

とに、いつも海峡を泳いで渡って通っていたが、ある時嵐に襲わ れて溺死し、ヘロも恋人のあとを追って海に投身した。 五皂頁子供のころのかけっこの話第二篇、一三三ー五頁参照。 吾 ^ 頁アタランテギリシャ神話に出てくる快足の娘、自分に 競争して勝った者の妻になると約東した。求婚者メイラニオンま たはヒッポメネは黄金のりんごを次々に投げて、彼女が拾う周に 勝利を得た。 吾九頁「ヘラクレスは仇をとった」本文五、九九頁参照。 「オデュッセイア」第十巻に出てくる魘 三 0 頁キルケーが・ : 女。自分の住む島にやってきたオデュッセウスの部下を豚に変え てしまったが、彼の願いを容れて、彼らをもとの姿に返した。 五一六頁ステュックスの流れ冥府の川。第一篇十九頁参照。 至四頁 : : : 取りかわした約束 : : : 第四篇三六二頁参照。 至六頁エウカリスと同じ立場メントルは、テレマックがエウ カリスに未練を感じてカリュプソの島を立ち去りかねているの で、メントルは彼を海につき落とす。 ( 「テレマック」第六巻 ) 至六頁「スペクテイター』英国の作家アディスン ( 一六七二ー 一七一九 ) が発行した新聞 ( 一七一一ー一四 ) 、辛辣な諷剌的な 風俗批評にすぐれ、広く読まれた。フランスの劇作家マリヴォー も若い時これを模倣して「フランスのスペクテイター」を出し た。 至七頁「ベルシア人なんてあるのかしら」モンテスキュー「ペ ルシア人の手紙」第三十の手紙にあることば。 至頁レーモン・リュルの術 ( ライムンドウス・ルルス ) ( 一 二三五ー一三一六 ) フランシスコ派の人。マジョルカ島に生ま れ、回教徒改宗に尽すためにアラビャ語、哲学、キリスト教の真 理を合理的、論理的に証明しようとした。彼が考案したという真 理を導き出す独自の方法は「ルル - スの術」といわれて、流布し た。デカルトもこれについてふれているが、ライ。フニツツにまで 影響を及ばしたといわれる。 五一穴頁ポル・リュカスや、タヴェルニエ : ポル・リュカス ( 一六六四ー一七三七 ) はフランスの旅行家、エジプト、シリ ヤ、ベルシア、アルメニアなどを旅行し、珍しい見聞記を書 た。ジャンーバチスト・タヴェルニエ ( 一六〇五ー八九 ) もフラ ンスの大旅行家で、トルコ、ベルシア、インド地方の旅行記を蓍 し、モンテスキューの「ベルシア人の旅行記」の材源の一つとさ れている。 至九頁なんらかの利益を : ・ 前頁のリュカスは宝石の商売の ために旅行したし、タヴェルニエは織物や宝石をもち帰って、こ れを売って大もうけしたという。 至九頁 : : : 歴史の中で : ・ ヘロドトスはその足跡がエジプ ハビロン、黒海北岸に及ぶ大旅行家だったし、タキトウスは ゲルマン人のいる土地に近い地方の知事をしてから、「ゲルマ一一 ア」を書いた。 至 0 頁サーカシアコーカサスの北方の古い名称。 吾一 0 頁アロプロゲスカエサルの時代に今日のドーフィネ、サ ヴォワに住んでいたガリアの民族の一つ。 吾一 0 頁クテシアス前五世紀のギリシャの歴史家、医学者。ペ ルシア軍に捕えられ、ベルシア王アルタクセルクセス二世の侍医 となり、帰国後「ベルシア史』、インド史を書いた。 次の大ブリ ニウスは古代の博物学者として名高い。「博物誌』の著者。 吾三頁ひとりの外国人の手によって : : : 名誉が与えられ : ・ ここに語られている青年とは、策二 . 篇の最後 ( 一六〇頁下段 ) に 書かれている少年、ジゾール伯を指す。ひとりの外国人はルソー 自身を指すものと思われる。 五三五頁ナポテのぶどう畑「旧約」「列王記」上、第二十一章。

8. 世界の大思想17 ルソー エミール

すい最大の過ちは人から理解されないような話し方をすると ることは、なに一つわからないからである。 いうことだからである。言葉に抑揚が少しもないといって得 成長するにつれて、男の子たちは学校で、女の子たちは修 道院で、この欠点をなおしていかなければならなくなるだろ意になるのは、文章から娃力と力強さとをなくして得意にな 。事実それらの子供たちは、一般に、相変らず両親の家でることである。抑揚は話の生命であって、話に感情と真実味 育てられた子供たちにくらべて、ロのきき方がはっきりしてとを与えるものである。抑揚には言葉ほどの偽りはない。育 いる。しかし彼らが農民たちのようにはっきりとした発音をちのよい人が抑揚をあれほど恐れるのは、おそらくそのため 習得するのに妨げとなっていることは、たくさんのことを暗であろう。なんでも同じ調子でいう習慣から、相手に気づか 記して、習ったことを大声で暗誦する必要のあることであれないで人を皮肉る習慣が生まれたのだ。抑揚を追放する と、その代わりに出てきたのは、流行によっていろいろに変 る。もう一つの理由は、勉強する際にまちがった発音をした り、なげやりに不正確に発音したりする習慣をつけることでわる滑稽な、気取った発音の仕方で、これはとくに宮廷の若 い人たちの間に認められる。言葉と態度のこういう気取りの もある。暗誦をするとなると、なおいけない。子供たちは努 力して言葉を探したり、音節を長くひきのばしたりする。記ために、一般にフランス人の物腰は他の国民から見て反発を 億が不確かだと舌もまわりかねるということにならざるを得感じさせる不愉快なものとな「ている。フランス人は話し言 こうして発音上の欠点が身につき、あるいは保存され葉に抑揚をつける代わりに節をつけているのだ。これは人か ールはそんな欠点をら好感を持たれるやり方ではない。 る。後に見られるように、わたしの工、、 子供たちが身につけるのを人びとが大いに心配しているこ もたない。あるいは少なくとも、彼が同じ原因によって、そ れらの小さな、言葉の上の欠点は、どれもみな問題にはなら んな欠点を身につけることはないだろう。 ない。それはきわめて容易に予防されるし、また直されてい 庶民や田舎の人たちはその反対の極端におちいっていると る。ところが子供を小声で不明瞭におずおずとしゃべるよう か、ほとんどいつも必要以上に声高にしゃべるとか、彼らの しちいち言 にしむけたり、たえず子供の調子を批判したり、、 発音は正確すぎて音節の発音が強くて荒つ。ほいとか、抑揚が 篇つきすぎるとか、用語の選択が下手だとかといったことはわ葉のあら探しをしたりしてつけさせた欠点は、決して直され ることはない。女性の部屋でしか話すことを学ばなかった者 一たしも認める。 は、軍隊の先頭に立ってもよく透る声を出すこともできず、 この極端は逆の極端よりも、はるかに欠点 第しかし第一に、 が少ないように思われる。なぜなら、話すことの第一の法則暴動の際に言葉で民衆を威服させるようなこともできないだ は自分のいうことを人にわからせることであり、人の犯しやろう。子供たちにはまず最初に、男性に話しかけることを教 ( 一七 )

9. 世界の大思想17 ルソー エミール

85 訳注 イスラエルのユダヤ人ナポテは、イスラエル王アハプに、自分の 所有のぶどう畑を売ることを拒んだため、王妃イゼベルのため無 実の罪をきせられて人民に石で打ち殺された。 至六頁グロテイウスフーゴ ー・グロテイウス ( 一五八三ー一 六四五 ) オランダの政治家、法学者。主著「戦争と平和の法」 ( 一六二五 ) 。国際法、近代自然法の祖として広い影響を及ほし た。ルソーの「社会契約論」は、これに批判的だが、強い影響を , つけている。 この次 KI 宅頁われわれの基本原理 : : : 変えることになる : ・ のパラグラフから一四三頁まで「社会契約論」の論旨が要約され ている。原注一二一参照。 KI 宅頁ネムロデ王『旧約」「創世記」第十章第六ー十二節に出 てくる。ノアの子ハムの孫でクシの子に当たり、聖書によれば世 の権力者となった最初の人で、バビロンの創設者とみなされてい る。 吾六頁「戦時に備え : : : 余地も残さない」セネ力「心の平安に 吾六頁サン・ピエール師既出。第一篇四二頁訳注参照。 このあたりフ 吾六頁サレントウムの都 : : : イドメネウス : エヌロンの「テレマック」に出てくる人名と地名。イドメネウス は、クレタ島のミノス王の孫で、善良な君主の典型。彼がサレン トウムに建設しようとする都市国家はフエヌロンのユート。ヒア思 想を表わしている。 五岩頁プロテシラオスプロテシラオスは奸臣の典型。フイロ クレスは賢臣。アドラストスはイドメネウスと正反対の侵略的な 悪い君主。 吾 ( 頁フランス人はパリにはいない いっそうスペイン人ら しいトウレースはパリ西南のロワール河流域の美しい田園をふ くむ地方。マーシャはアングロ・サクソン七王国の一つだった英 国の中部地方。ガリシャはスペインの西北部の地方。 吾〈頁「法の精神」モンテスキューの代表作品。ルソーの「社会 契約論」に大きな影響を与えた。 工ヒグラフ 芸 0 頁わたしの標語巻頭のセネ力の「怒りについて」からの 引用句。 芸 0 頁ヴェネッィアにいた頃一七四三年から翌年にかけて、 ルソーはヴェネッィア駐在のフランス大使モンテギュの秘書をし 五至頁歓待契約ギリシャ、ローマ時代にあった風習で、互い に宿を貸し、便宜を供する権利義務を規定した契約。これは個人 間はかりでなく、家族、都市間でも行なわれた。 会三頁これこそわたしの求めていた : : : 一片の土地なのだホ ラテイウス「諷刺詩」第二巻六の一。この句は「告自」第六巻の 冒頭にも引用されて、ヴァラン夫人とシャルメットで一緒に暮ら した時代の牧歌的な雰囲気を暗示している。

10. 世界の大思想17 ルソー エミール

田 5 原注 一皂 ( 四 0 九頁 ) 女性の臆病も、女性の妊娠中におかす二重の危険 をふせぐための自然の本能の一つだ。 一尺 ( 四一一 0 頁 ) 子供はしつつこくせがめば得になるときにしつつ こくせがむものだ。しかし最初の返事が絶対に取り消しできない ものになっていれば、子供に二度と同じことを要求されないだろ 一究 ( 四一三頁 ) レースがなくてもすませるぐらい白い肌をしてい る女性は、そんなものを身につけていなければ、他の女性をくや しがらせるかも知れない。流行を作り出すのは、ほとんどきまっ て醜い女性たちだが、美しい女性が愚かにもそれに盲従している のだ。 = 0 ( 四三一頁 ) わたしが、「わたしは知りません」としたところ で、もし少女が違った返事をしたとしたら、その返事を信用しな いで、少女にそれを注意ぶかく説明させる必要がある。 一 = ( 四三一頁 ) 少女がそう返事をすることになるのは、そういう ことを聞いたことがあるからだ。しかし、彼女が死についてなん らかの正しい観念をもっているかどうかは、確かめてみる必要が ある。というのはこの死の念は人が考えているほど単純でも なければ、子供にわかりやすくもないからた。「アベル」〔当時読 まれていたスイスの詩人ゲスナー ( 一七三〇ー八八 ) の作品〕と いう小詩篇のなかに、どんなふうにこの観念を子供に与えたらよ いかの一例を見ることができる。この魅力に富んだ作品は、甘美 な素朴さにあふれているが、子供と話をするには、そういう素朴 さを十二分に身につけていなければならない。 = 一一 ( 四三一一頁 ) 永遠の観念を人間の世代に適用しようとしても、 精神の合意を得ることはできまい。どんなに数の継起を現実的に 考えても、この観念とは両立しない。 = 三 ( 四三九頁 ) ある点で、公然と態度をきめている女性たちは、 この率直さで大いに自分を偉くみせるつもりでいるし、これを除・ いては、自分たちには尊敬に値するものはなにもないと断言して いることをわたしは知っている。しかしまた、彼女たちがそうい うことを馬鹿な連中だけに納得させたにすぎないことも知ってい る。女性を抑える最大のプレーキが除かれなければ、彼女たちを・ 抑制するなにが残っていようか。そして、彼女たちに固有な名誉 感をすてた後では、彼女たちはいったいどんな名誉を重んじるよ・ うになるのか。ひとたび女性の情念を勝手気ままにさせてしまっ たら、彼女たちはもうそれに抵抗するなんの関心ももたなくな る。「女が恥も外聞も顧みなくなったとき、女はもうどんなこと・ でも拒まなくなる。」 ( タキトウス「編年史」第四巻、第三章 ) こう言ってのけた著者以上に、男女両性における人間の心理を知、 っていた者がかってあったろうか。 = 四 ( 四四三頁 ) 若い頃の男性の道は、賢者〔ソロモン〕も理解で きなかった四つのことの一つだった。第五番目のことは、不義を 働く女の恥知らすな心だった。「彼女は食べ、ロを拭う。それか らわたしはなんにも悪いことをしていないと言う。」 ( 旧約聖書 「箴言ー第三十章第二十節 ) 一五 ( 四哭頁 ) プラントーム〔一五四〇頃ー一六一四、フランス . の作家「艶婦伝』の作者〕の言うところによると、フランソワ一 世〔一五一五ー四七、フランス王〕の時代に、ある若い女性が一 人のおしゃべりの恋人を持っていたが、その恋人に絶対的な無制 限な沈黙を命じたところ、彼はまる二年間実に忠実にその沈黙を 守ったので、人びとは彼が病気のために沈黙になったかと思った ほどだった。あるとき、大勢の人が集まっているところで、その 頃まだ二人の恋愛が秘密にされていたので、彼の恋人であること - が知られていなかったその女性は、彼の病気を即座に直してみせ ると自慢して、「お話しなさい」といっただけで、直してみせた