の準備をするだけでは十分でない、悪徳から身を守らなけれとしての貴族を中心に、祖国愛の実践が強調されているが、 例ばならないというテーマだったようである。幸福な結婚のその公教育の精神は、ラヴィエのいうように、『エ、 のそれと矛盾するとは思われない 一」こでは、「市民ーの教 後、肉親を失った悲嘆をまぎらすために、都会に戻ったエ、、 ール』は、人 育が中心テーマであり、『社会契約論』と『エ、、 ール夫妻は、次第に都会の悪習に染み、自然の美徳を失い ルは妻子をす 間を取り扱うダイメンションはちがうが、その根本原則 堕落する。ついに破局が訪れて絶望したエ 自然的平等と自由においては、変りないからである。 てて旅に出て、奇禍にあい、奴隷に売られる。後に、一一人は 孤島で再会することになるが、社会の悪影響をうけても、彼『エ、 ール』の教育思想史上の評価は、今さら述べるまでも らの心の底には、自然の善性は消えていなかった。彼らはふ ない。それは、『エ、、 ール』は、その思想史的背景に属する たたび生きる幸福をつかんだという筋だったようである。こ ルネッサンスのモンテーニュ、ラ・フレーから十七世紀のロッ の篇については、ラヴィエのように『エ、 ール』に不可欠な ク、フエヌロン、同時代のコンディャックなどにいたる近代 ものとして重要視する人は少い。しかし蛇足としても、ルソ の人間観の系譜の上に正しく位置づけられるからである。と ーはこの形で『エ ル』のユート。ヒアを敷衍する必要を感 くに『エ、 ール』はロックの『児童教育論』 ( 一六九三 ) に直 じていたのか、理論からロマネスクな世界に向かわないでは接につながる。ロックもモンテーニに多くを負うている いられないルソーの精神の特質にもとづくのか、という疑問 、、、、ルソーと同じように、単なる知育だけを教育と考えず、 を投げかけている。 全体的な人間の教育、体育、品性の陶冶をふくんだひろい教 この作品よりも重要で、『エ ル』の重要な補足となる育をめざし、知識の目的、効用性に注意し、スコラ学に不信 をいだいている。ロックはルソーよりも現実的な観点にすぐ ものは、『ポーランド統治論』 (Considérations sur le gou ・ vernement de Pologne, 1772 ) のなかの教育に関する章であれ、科学教育を重要視する。ただロックに欠けている点は、 漸進的段階的教育の理論であり、ロックが貴族社会に順応す ろう。『エ、、 ール』にも、第五篇に、国家宗教の章を除く ール』の人るための若い子弟の教育を目指したのに対して、ルソーが貴 『社会契約論』の要約が収められているが、『エ、、 間教育が、どのように市民の教育、公教育に生かされるかは族社会の価値観をくつがえす新しい人間観、旧い価値を「偏 論じられていない。『ポーランド統治論』は『社会契約論』見ーとして斥ける新しい社会のための人間教育を考えていた のユートピアが歴史的状況のなかにあるポーランド民族、そことであろう。そして、ルソーが彼以前の教育思想家に対し の立法に適用された貴重な例である。このなかでは、ポーラ て誇りうる最大の独創性は、民主主義社会のための基本的な ンドの民族的独立と自由という至上命令によって、指導階級人間像を浮き彫りにしたことと共に、やはり「子供の発見」
う ? もしも自然という名前を、自然に一致したさまざまな どちらかを選ばなければならない。というのは両者を同時に 習慣だけに限るべきものとするなら、そんな訳のわからぬ話造ることは不可能だからである。 はしないですむわけである。 およそ部分的な社会は、緊密でよく団結している時には、 われわれは生まれながらにして感官をもっている。そして大きな社会から離れるものである。どの愛国者も外国人に対 生まれる否や、われわれは周囲の事物から、さまざまな方法しては冷酷である。というのは、外国人はただ人間であるだ で影響を受ける。われわれがみずからの感覚をいわば意識すけで、愛国者から見れば彼らは何物でもないのだ。この不都・ るようになるとすぐに、それらの感覚を生みだす事物を追求合は避けがたいが、たいしたことではない。大切なのは共に したり、避けたりするようになる。そのためには、まずその生活している人たちに対して親切であることだ。外に出れば ス。 ( ルタ人は野心家で、欲が深く、邪悪でもあった。しかし 感覚が快いか不快であるか、つぎにわれわれと事物との間に 適合性が認められるか否か、最後に理性がわれわれに与える彼らの城壁の内では、無私と公平と和合が支配していたので コスモポリタン 幸福または完全性の観念にもとづいて、われわれがこれらのある。世界主義者を信用してはならない。彼らは身近の人々 に対しては義務を軽んじて実行しないのに、わざわざ迂遠に 事物についてどんな判断を下すか、それがその規準になる。 も書物のなかに義務を求めにゆくのだ。こんな哲学者は隣人 この性向はわれわれの感性が発達し、知識が増すにつれて、 ダッタン ますます拡がり確立していく。しかしそれはわれわれの習慣を愛する義務から免れるために、韃靼人を愛しているのだ。 に縛られ、われわれの意見によって多少変質する。その変質 自然人は自分にとって自分がすべてである。彼は数の単 以前の性向を、わたしはわれわれの内にある自然と呼んでい 絶対的な整数であって、彼自身かまたはその同類としか るのである。 関係がない。社会人は分母に関係する分子にすぎず、その価 したがって、いっさいをこの本源的な性向に向かって引き値は全体すなわち社会との関係によって左右される。よい社 戻す必要があるだろう。そしてそれは、われわれの三つの教会制度とは、人間からもっとも巧みに自然性をぬき去り、その 育がただそれぞれ違っているだけなら、可能なことでもあろ絶対的存在を取り除いて相対的存在を与え、「自我」を共通 う。しかしその三つの教育が相対立していて、人間をその人の統一体の中に移すことのできる制度である。そんなわけで 自身のために教育せずに、他の人間たちのために教育しよう各個人はもはや自己を一個の人間とは考えず、統一体の部分 と考え、全体の中でしか物を感じなくなってしまう。ローマの とする場合は、どうしたらよいか。その場合は〔三つの教育 の〕一致は不可能である。自然とたたかうか社会制度とたた市民とは、カイウス〔皇帝カリグラ〕でもルキウス〔皇帝ネロ〕 でもなく、一人のローマ人であった。彼は自分よりももつば かうか、どちらかを強いられ、人間を造るか市民を造るか、 ( 三 )
632 『不平等論』によって、現代社会の人間の悲惨、自然を失っ民衆の不幸は主として悪い政府や制度に由来するという実感 た人間の不幸を定位したルソーにとって、問題はその堕落し は、ルソーが若い頃悪税に苦しめられる農民の嘆きや。 ( リの た人間と荒廃した社会を再建することが、切実な思想的課題場末の下層民の貧困ぶりに接した時にも、身につけていた。 となっていた。その解答が、その理論的解決が、彼の生前に しかし『社会契約論』は直接には、上に述べた大使秘書の時 これは計画だけで 発表された次の三つの代表作品である。『新エロイーズ』代に着想を得た大部な『政治制度論』 (Julie ou la Nouvelle Héloise, 1761 ) 『社会契約論』 (Du ついに実現しなかったーーの一部とされている。これは『不 Contrat social ou les Principes de droit politique. 1762 ) 平等論』の批判的態度とはちがって、政治の理想形態、理想一 ール』 (Emile ou de l'Education, 1762. ) 『不平等論』的な国家構造の理論的な研究であって、『不平等論』で現実 . が提起した「社会状態」の堕落の問題に対する第一の解答 の社会状態を白紙に返すために持ち出された自然人をどうし は、『社会契約論』 ( 正しくは『社会契約、または国家制度の て社会人Ⅱ市民に移行させるか、というよりも、自然人のも 法の諸原理』 ) であった。これは政治制度の上でも、精神的道 っ平等と自由をある意味でいっそう高級な形式で社会Ⅱ国家 徳的な面でも自由を奪われている社会的人間の「自然」を回のなかに保持するにはどうすればよいか、という間に答えた 復するための根本理論を論じたものである。『不平等論」の ものといえる。そういう社会は、人民の各成員が真に平等、 ほぼ直後に書かれた『政治経済論』 (l'Economie politique) 自由な立場で、政治体に全存在を与える代りに、自由で平等・ は、デイドロの依頼で『百科全書』のために執筆したもの な市民としての権利をうけとる自主的な契約によって成立す で、『社会契約論』と並べると論旨の未熟なのを嫌ったため る。ここに従来の国家学説に用いられた服従契約的な社会契 かルソーは、彼の思想体系のなかで重く視ていないけれど約は否定され、人民の主権が確立される。人民の共通意志、 も、人民の真の幸福をめざす政府とはなにかを論じ、そこに 一般意志は法律に全面的に表現され、立法家は公平と明知に は一般意志の着想も現れていた。また、『不平等論』の冒頭 よって人民の利益を洞察する役割を負わされている。政府は の「ジュネーヴ共和国への献辞」のなかでも、ルソー的な理主権者たる人民の意志の執行機関にすぎない。 この原則をも 想国家のイメージ、 がかなり明らかにされていた。彼の理想国 っとも忠実に生かすことのできる政治形態は直接民主政であ 家は少年時代のプルタルコスの共和的ローマ、ついでプラト るが、この理想は小国でないかぎり実現しにくい。しかし、 ンの『国家篇』に始まることはすでにのべたが、彼が自分で王政でも貴族政でも、市民の自由と権利を保持するかぎり正 もいっているように、政治の実態にふれたのは、彼がヴェネ当な政府、即ち共和国といえる。この本はいくつかの難点や ツィア駐在のフランス大使の秘書の時であった。もちろん、 矛盾をふくんではいるが、その一般意志、譲渡できない主権
の圧迫や宗教界のはげしい反対はあったが、禁書になりなが現代の言語から抹殺されるべきである。」 ( 本書十二ページ上 段 ) 礙ら大きな成功を収め、ことに女性の間に異常な反響を呼び、 同時代に熱烈な読者をもった。ルソーは、聖職者、貴族を主 すなわち、個人的、家庭的な私教育を通じて、普遍的な人 とした熱心な読者の質問に応じて助言を与えているが、時に 間の教育を追求することを強調している。事実、『エ、、 ール』の方法をそのまま実行しようとする素朴な読 は人間性をひろく深く究めて、感覚、感情、悟性、情念、理 者にも悩まされた。以後十九世紀にいたるフランス内外の影性など、肉体と精神の構造に応じて人間の享受しうる自山と 響については、ここにふれない。 幸福を規定しようとするものといってよい。 この普遍的な人 間教育の意義の説明を、ルソーは冒頭の有名なことば、「万 三ルソー教育論の原則と方法 物を創る神の手から出てきたときは、すべて善いが、人間の 解説に述べるように、ルソーは後期の大作に取り組むまで手に渡ると、すべてが堕落する」ということばで始めて、 に、思想家として明確な思想的課題を自覚していた。それる。社会的人間は、すべてをひっくりかえし、すべてをゆが は、一口でいえば、「自然」を失って堕落した人間と荒廃しめ、奇形や怪物を好み、乗馬を調教するように、また、庭木 た社会の改革と再建とである。そのうち社会の改革とは、新の枝をねじまげるように、人間の自然を剥奪する。それは既 しい制度と習俗の創設を意味するが、その前提として、教育存の社会に生まれる人間の宿命であって、社会のなかにある の改革、新しい人間の理念の構築が問題になる。『エ ル』偏見、権威、必要、慣例、習俗、制度は、人間の内なる自然 ことに学問、芸術、文芸、奢侈 はその意味で新しい人間形成の理論を探究しようとする試みをおし潰さすにはおかない。 である。勿論、『エ、、 ール』と同時に、ルソーは彼のいう祖は、人間の根源的な不幸の原因である、自由と平等との喪失 わゆる教育は、この社会的 国、新しい理想の社会状態の建設の理論『社会契約論』を構を被いかくす働きしかしない。い 想していたのだが、この『エ、、 ール』は直ちにそれに結びつ不平等の状態に適応するように子供を育成する役割をうけも くようには立論されてはいない。それは冒頭に『エ っている。よい教育は、まず、この悪い教育の正反対のこと が公教育を目指すものでないことを断っている次のようなこを目指すべきである。堕落した社会に由来するいっさいのも とばにも明らかである。 のを斥けて、子供に本然の自由を、自然を返してやらなけれ ばならない。し 、うまでもなく、この否定的 ( 消極的 ) 教育の 「公共的な教育はもう存在しないし、また存在し得ない。な ぜならば、すでに祖国のないところには、市民はあり得ない 第一の目的は、子供を既存の社会の悪い影響から守ることで あるが、終局の目的は、「社会契約ーによる理想の社会、祖 からである。『祖国』と「市民』というこの二つの言葉は、
ず牧歌的な自然状態における自由、平等な自然人が構想され ている。この自然状態は伝統的な自然法のそれとはちがっ 有死 て、社会状態よりも重要な概念であり、いわば社会状態より のの , 紀一作も本質的な存在理由をもっている。それは人間と社会の根源 世ソの ル日にさかの、ほって、その本質をきわめるために設定された必然 ク作月的な仮説ともいうべきもので、ルソーはそれを「人間の現在 スの 7 の性質のなかで、根源的なものと人為的なものとを識別し、 そしてもはや存在せず、恐らくは存在したことがなく、多分 スウ貰 デ家。これからも存在しそうにもない状態」と規定している。この の刻日 一彫翌自然状態は、万人対万人の戦いで象徴されるホッブズのそれ ノよ、こ とも、社会状態へスムーズに移行できる社会性を内包したロ ル名ん ックのそれともちがう一つの理想状態である。ここにある絶 対に自由で平等な自然人は、彼の以後の作品の核心を占める・ Devin du village, 1752 ) が国王の前でフォンテーヌ。フロー 観念で、次の『エミ ール』と「社会契約論』にいたって完全・ な表現を与えられる。しかし、『不平等論』の前半にルソー 宮で演奏され、大成功を収めたりしたが、『学問・芸術論』 がまき起した有力な反論、レッシングや旧友、ポルドやポーラ が「いっさいの事実を遠ざけ」ながら文学的に形象化した自〕 ンド王スタニスラスなどの反論に対して、自分の思想を弁護然人のイメージは、自然の善性という彼の中心観念がルソー するために『第一論文』によってみすから開いた展望を、 の精神のうちに、もう確乎とした存在になっていることを示・ っそう精密に検討する必要に迫られた。それが喜劇「ナルシすほどに、鮮明であり、迫力をそなえている。『不平等論』は、 ス』の序文であるが、これとても僅か一一年後の『不平等起源この無垢な自然人が社会状態に入るとともに堕落していった一 論』とは比べものにならない。 これは彼の作品のなかでもっ過程、つまり人為的人間の最後の段階である専制主義のもと とも大胆で犀利な社会批判で、ここで初めて独自の自然状態 にある人間、主人と奴隷とにいたる頽廃の必然の歩みを明ら と社会状態のテーマが設けられた。この書もルソーらしく、 かにし、人びとに眠前の絶対主義社会における人間の内面の 二つの状態は、天国と地獄のようにきわめて文学的な影像と頽廃の恐ろしさを生々しく感じさせる。とくに私有制度を社〕 対照にもとづいた構成であり、一見仮構の感じがつよい。ま会政治体の構造悪の根源とみなし、社会的不平等はすべて
金、名誉、快楽、ことごとくわたしを襲おうとする。 それを防ぐすべをわたしは知らない。それは望みもしな いし、できもしない。 わたしは自分に従うものを好み、自分にとってよいこと を嫌う。 この違和感は彼にとっていわば生得のものだったが、もし それがパリ生活の体験によって強められなかったならば、あ の危機感のような激しさでは蘇らなかっただろう。社交生 1 粮歩中のルソー ( モロー・ル・ジュヌ作 ) 活、演劇、音楽、グリム、デイドロら「哲学者」たちとの交 友、彼らの新しい尖鋭な哲学、こういう背景のもとに、第 論文、つまりルソーのコギト、「自然」への直観が現れたの である。『学問 ・芸術論』は一等に当選して人びとに一種の 衝撃を与え、今までパリの社交界の一隅に音楽家ルソーとし て知られるにすぎなかったルソーが、フランスの社交界ばか りでなく外国にまで知られるようになった。この懸賞論文の 設間に否定で答えようという着想は、デイドロが指示したと する伝説がデ イドロのほうから出ていて、両者の思想的対立 とからんで、多くの論議が重ねられたが、今日ほとんど間題 にされていない。ただ、この「自然」はその後彼の精神のな かで深化されて、ぬきがたい信念となり、ゆたかな哲学に成 長したけれども、この発想は古い伝統的な思想、ラテン、ギ リシャのモラリストたちの常套的な「現代社会」批判の型の 繰り返しにすぎないという意見がある。例えばジューヴネル は次のように言っている。 「前進しつつある社会は必然に死にむかって前進しているこ と、そういう社会はそれを維持する習俗を犠牲にしなければ 進化しないこと、そういう社会の富裕さは、やがてその社会 を亡ぼすべき毒をふくんだ果実であること、動かない社会の ほかには、堅固で永続性のある社会は存在しないこと、こうし た命題はすべて、まだ教養あるーー〔古典古代の歴史家やモラ リストに詳しい〕ーー人びとにと「て親しいものだ「た。」 ( 。 治に 0 当て」 ) つまり、社会の進化を表わすもろもろの現象、生活様式の
種の文学的誇張法を用いる。ここにも、パスカルに似た修辞人間を、一般の動物から本質的に区別する特性として、完 法がみとめられる。この表現形式は、しかし彼の思想の特質 能力、進歩、発展の可能性 (perfectibilité) をあげている。 にも関係しているようである。ここにルソー間題といわれ彼は他の啓蒙思想家のように、社会や文化がその内在的傾向一 る、言いふるされたルソーの矛盾の間題を詳しく論じようと とか法則とかによっておのずと一層高い状態に向かうという は思わなしがノ、 、、、、レノーの読者が一度は着するルソーの二面進歩の機械的な楽観説には組しなかったけれども、進歩の可 性について少しふれてみたい。それは端的には、『不平等起能を絶対的に否定したのではない。その意味で、自然人は市 源論』と『エ、、 ール』によってルソーが確立した「自然」民を目的とした概念なのである。自然の善性はルソーの信念一 「自然状態」「自然人」の観念と主として『社会契約論」とそであるが、自然人の措定は、現代の堕落した国家社会に住む人 オム・シヴィル 間、即ち社会人のなかに、歴史的に形成されてきた人為的 の系列の作品に示された「社会契約」「社会状態」「市民」の な、虚偽な部分と、本質的な真正な部分、即ちかくあるべ 観念の間に、一種の断絶ないし二元的な対立を認めるかどう き、倫理的な理想の部分とを見分けるために、モラリスト・ か、それをどう解するかの間題であるが、形式的にはたしか ルソーにとって必然な仮説である。それは、「自然」が彼の にその事実は否定できない。しかし彼の思想の根本が「自 然」にあり、ます自然人の確立の後、その発展、完成として作品のいたるところでほとんど良心ないし、良心に導かれた 「社会契約」が、「市民」があることも確かである。その意味理性という意味で使われていることでもわかる。そうしてみ ると、『不平等論』における歴史的に実現した悪しき社会状 で「自然人」は「市民」の中核となるべきものである。彼の 「自然人」は、彼の体験と内省から生まれた直観であり、彼の態、ホッブズ的な自然状態は、人類の社会の形成過程の「初 思想の核といってもよい。ジャン・ヴァールは、哲学者の中期ーの段階を表わしているのに対して、『社会契約論』の社 核的観念ともいうべきものとしてベルグソンが規定した「哲会状態は、人間が主体的な意志によって作りだすべき目標と 学的直観」がルソーにはない、彼は二つの極をもった思想家しての理想を表わしているというべきであろう。その目標 は、前節でひいた『エ ル』のことばにあるように、人類 だといっている。ジャン・ヴァールのいう二つの極は、この 自然の概念に即していわれたことばではないが、わたしは が実際に到達できるものとは、彼は考えていない。しかしそ ート。ヒアは、人類が不断に目指すべき倫理 「自然」という中心思想の二面性として、この間題を考えた の目標は、そのユ 。「自然状態」は「社会状態」によって完成するように、 的要請なのだ。その意味でそれは人間の行動にとって必須な 後者は前者のなかに潜在している。『不平等論』のなかで、 「ノルム」ではあっても、幻想ではない。しかし、このノル ムはすべて人間と社会を構成するものの根拠を根本的に問う ルソーは理性を潜在的能力として規定し、幸福な動物である
から現世で行なわなければならないという主張が生まれる。 従って、ルソーの信仰は、彼の社会や政治の改革理論の基底 にある一種の活力となるとともに、神の摂理に関して、彼を ヴォルテールとはげしく対立させることになる。 こういう信仰に対して、哲学者たちの懐疑論、無神論、唯 物論は、そういう活力を欠いていた。唯物論は一部の知識階 級のものであり、サロンの貴族たちに快楽主義の根拠を提供 する面もあった。グロテュイゼンによると、当時の大部分の ・フルジョワ ( 市民階級 ) は、古い神学的ドグマをうけいれら れなくなっていても、キリスト教の倫理から離れてはいなか った。ルソーは、彼の自然宗教で市民たちのこの倫理的欲求 を正しく発展させたのだ。人々は、ルソーの宗教が、ポッシュ 工のそれよりも超越的でなく《、 しっそう人間的で、いっそう 感動的なのをよろこんだ。しかも、この宗教こそ貧しい民衆 の心に慰めと勇気を与え、大革命の精神的エネルギーの一要 素となりえたことを考えれば、彼の自然宗教が、当時の教会 と権力者に異常な憎悪を呼びさましたのは十分にうなずけよ う。彼の宗教思想の意義は現代でも十分に検討されなければ ならないように思われる。
9 第四篇 こういうふうに地位を追い求めている彼を導くためには、 り、弱者を虐げるために強者に与えられている国家権力が、 ( 六八 ) 先に人びとに共通の偶有性を通して人間の姿を見せてから、 自然によって両者の間に置かれた一種の均衡を破っているか 今度はたがいの相違点によって人びとの姿を示してやらなけらである。この最初の矛盾から、社会秩序のうちに認められ アパランスレアリテ ればならない。 ここで、自然的な、また社会的不平等の程度る外観と現実との間のすべての矛盾が生じてくる。いつでも が問題になり、社会秩序全体の一覧表が問題になる。 多数者は少数の者のために、また、公共の利益は個人の利益 人間を通して社会を、社会を通して人間を研究しなければ のために儀牲にされることになる。いつでも正義とか従属関 ならない。政治と道徳を別々に論じようとする人びとは、そ係とかというもっともらしい言葉が、暴力の手段、不正の武器 のどちらについてもなに一つ理解しないことになる。ます、 として用いられることになる。したがって、ほかの階級にと 原始的な関係に目をつけることによって、どういうふうに人って自分たちを有益な存在であると主張する上層階級は、実 間がその影響を受けることになるのか、そしてどういう情念 は、ほかの階級の犠牲において自分の階級にとってだけ有益 であるにすぎない。正義と理性に従って彼ら上層階級に払う がそこから生まれてくることになるかがわかる。逆に、情念 の発達によって、そういう関係が多様になり、緊密なものとべきものとされている尊敬についても、その点から判断しな なることがわかる。人間を独立したもの、自由なものにするければならない。あとは、彼らが自ら就いた地位が、それを のは、腕カよりもむしろ中庸を得た心である。僅かな物にし占めている人びとの幸福のためにいっそう役に立つものかど か欲望を感じない人はみな、僅かな人びとにしか愛着を感じ うかを確かめて、われわれの一人一人が自分の境遇について ない。しかし、人間のむなしい欲望をいつも肉体的必要と どういう判断を下すべきかを知ることである。こういうこと 混同して、その肉体的必要を人間社会の基礎としている人び が今やわれわれにとって大切な研究題目になっている。しか : いつも結果を原因ととり違え、どんな推理をするときし、その研究を十分に行なうには、人間の心を知ることから も、間違いをしでかしてばかりいる。 始めなければならない。 自然状態においては、事実上の平等、現実的で不減の平等 人間を仮面をかぶった姿で青年に見せてやることだけが聞 がある。というのは、この状態では、人間どうしの単なる差題なら、わざわざ人間を見せてやる必要はない。青年はいっ 異が、一方を他方に従属させるほど大きいということはあり も十一一分に人間を見ているに違いない。しかし、仮面は人間・ 得ないからである。社会状態には、権利上の平等、むなしい ではないし、そのうわべの節りに心を惑わされることがあっ 架空の平等がある。というのは、この平等を維持するために てはならないのだから、青年に人間の姿を描いてみせるとき ある手段そのものが、それを破壊する役目をしてからであは、ありのままに描くがよい。それは青年に人間を憎ませる
題』にふれた「〒ミー ル」の続篇「エ、、 ールとソフィー、孤しい浄らかな恋愛の情熱と清新で抒情的な自然描写で、文学 , 独な人びと』は、この危惧を仮構の形で表現したものではな と小説に新生面をひらき、ロマン主義を予告した歴史的作品〕 、刀 ) わ A つ、刀ノ、 、。レノーが第五篇でソフィーとの結婚を描いている であることは忘れられてはならない。 うちに、『エ、 ール」は理論の書から次第に文学に、小説に近 この三大作品を発表してからは、ルソーの名はヨーロツ。ハ づ、た。第五篇にいたって始めて小説の人物のように血肉を的に有名にな「たが、『 = 、 ール』『社会契約論』のために、 そなえた若者となった二人のその後の運命について、読者な 彼は相つぐ発売禁止、追放に脅かされ、以後フランスの諸 らぬルソーその人が、現実のイメージを空想せざるを得なか所、スイス、英国などを放浪し、その間に官憲や教会の迫害 ったのではなかろうか。そこにルソー特有のロマネスクな想 だけでなく、ヴォルテールを初め、「哲学者」の誹謗も加わ 像の遊技も加わったことは否めないが、やはり、たとえ「自 って、次第に被害妄想に悩むようになった。彼を英国に迎え 然人」が作られても、それが「市民」になることの困難をな てくれたヒームとも、この妄想から仲違いをしたりした。 んらかの形で表わす必要を感じたと解すべきかも知れない。 彼が帰国を黙認され、 ハリにおちついたのは、一七七〇年で、 現実の社会に住む人間は、。、 リの社交界に出ればすぐにも誘死ぬまで八年間、彼の「狂気」もようやく静まり、放浪中 惑されるサンⅡプルー ( 『新エロイーズ』第二部書翰一一六 ) の に書きかけた五十三歳までの自叙伝「告白』 (Confessions 、 ように、つねに堕落の危険に脅されていることを、ルソーは、 177e を完成し、狂気の発作のうちにも明徹な内省をふくん 重ねて証明したとわたしはみたい。 だ『対話、ルソ ー、ジャン・ジャックを裁く』 (Dialogues, ルソーの理論的な著作はほぼ以上につきるが、彼が文学作 Rousseau juge de Jean—Jacques, 1775 ) 、未完の随筆集『孤・ 品と銘打った最大の作品、長篇小説『新エロイーズ』も、あ独な散歩者の夢想』 (Réveries du promeneur solitaire, る意味で理論や思想に富んでいる。これは、彼の自然的な生 1778 ) を残して、一七七八年六十六歳でエルムノンヴィルで 活を家庭を中心に描くとともに、恋愛、夫婦生活の倫理的な死んだ。 意味を追求したものともいえる。この手紙体の厖大な作品で 最晩年の以上の三作は、みな死後出版であるが、文学的に は、恋人たちゃその友人たちは、毎回の手紙のなかでルソー はルソーにとってもっとも重要な作品であり、いわば本質的 的なテーマについて飽きずに論じる。可憐な女主人公ジュリ に詩人であったルソーが時代の要請で思想家としての活動を ーは、熱情的な主人公サンⅡプルーとともに、ルソーの分身完成した後、本来の詩人に帰ったとでもいえそうであるが、・ であって、この作品には、『エ ル』も『社会契約論』も彼の場合でも、詩人と思想家は分ちがたく結びついている ? ふくまれている。しかし、同時に、この作品が、もっとも美『告白』における詩と真実の融合は、今日の読者に『告白』