まぐさ トの土地は飼草の生産いがいには何にも適しないことを発見するーレオン 三一一人である。しかも、食慾は食っているとき生ずるのだか ス ・ド・ラヴェルニュ氏は、とり急いでこれを海峡の彼岸でくり返した。こ ら、地代帳の眼はやがて発見するであろう、ーー人口三五〇 んな子供だましの手にのるのは、ラヴェルニュ流の「まじめな」男だけだ・ 万のアイルランドはやはり貧乏であり、しかもその貧乏は人 こうした有利な方法も、この世のあらゆる良きものと同様引 ロ過剰のゆえであるから、アイルランドがイングランドの牧 にその欠点を有する。アイルランドにおける地代の蓄積と同 羊場・放牧場たる真の使命を果たすためには、その人口減少 じ歩調で、アメリカにおけるアイルランド人の蓄積が行なわ がさらに一そう進められねばならぬということを。 れる。羊と牛によって排除されたアイルランド人は、フェニ 「七八万八三五八人」の誤りであろうーーー訳者。 ア会員〔歌をはか和秘喆〕として大洋の彼 l<<ß農業革命を暴力的に遂行してアイルランドの人口を資本家的地主の 岸に立ちあがる。そして海の老女王にたいし、ますます威嚇 気にいる程度に稀薄にするために、飢饉およびそのために生じた事情が、個々 「苛酷な運命がロ の土地所有者によってもイギリスの立法によってもいかに計画的に利用され的に巨大な新興共和国がそびえ立つ。 、 0 つり・′、 たかを、私は、本著述第三部の土地所有にかんする篇で詳しく証明するであ ーマ人を悩ませる、そして同胞殺戮の罪が。」〔ホラテイウスじ ろう。そこではまた、小借地農業者や農村労働者の事情にもたち帰ろう。こ こでは一つの引用にとどめる。ナッソー・・シーニョアはその遣著「アイ ルランドにかんする日誌、対話および論文」、二巻本、ロンドン、一八六八 ーー「ドクトル・は適切にも 年、第二巻、二八二頁で、なかんずく言う、 われわれはわが救貧法を有するのであって、これは、資本家的 地主に勝利を得させる一大道具であり、もう一つの道具は移民である、と。 アイルランドの友たるものは誰一人として戦い ( 資本家的地主と、ゲール人 の小借地農業者との ) が長びくことを、いわんやその戦いが借地農業者の勝 ・ : それ ( この戦い ) が早くすめ 利をもって終ることを、望むはずがない。・ 第一節本源的蓄積の秘密 ばすむほど、アイルランドが早く牧場国となってその人口が牧場国の必要と する程度に減少すればするほど、すべての階級に好都合である」と。一八一 五年のイギリスの穀物法は、大・フリテンへ穀物を自田に輸出する独占権をア いかにして、貨幣が資本に転化され、資本によって剰余価 イルランドに与えた。そこで、この穀物法は人為的に穀物栽培を助長した。 値がつくられ、剰余価値からより多くの資本がつくられるか この独占権は一八四六年に、穀物法の廃止とともに突然に排除された。他の いっさいの事情を別として、この出来事たけで、アイルランドの耕地の牧 は、すでに述べた。しかるに、資本の蓄積は剰余価値を前提 場化や借地農場の集中や小農の駆逐に一大飛躍を与えるに充分である。一八 とし、剰余価値は資本制的生産を前提とし、資本制的生産は 一五年から一八四六年までは、アイルランドの土地の豊儷度が吹聴され、ま また、商品生産者の手における比較的多量の資本および労働 た、この土地は天然に小麦の栽培に適すると声高らかに宣言されたあとで、 こんどは突然に、イギリスの農学者や経済学者や政治家たちが、アイルランカの現存を前提とする。だから、この全運動は循環論法的に 第二四章いわゆる本源的蓄積
一尖アイルランドは「人口原理」の聖地と見なされるので、・サド ? それじしんの生産者によって消耗される生産物が商品でない ーは、人口にかんする著作を公けにする前に、その有名な著書「アイルラン のと同じである。人口の減少につれて、農業に充用される生 ド、その禍とこれが救済策」、第二版、ロンドン、一八二九年、を出したが、、 産手段の分量も減少したが、農業に充用される資本の分量は この書で彼は、個々の地方の統計を比較し、また各地方における個々の州の 統計を比較することにより、そこでの窮乏はマルサスの欲するように人口数一 増加したのであって、それはけだし、従来の分散した生産手 に比例しないで、それに逆比例することを証明している。 段の一部分が資本に転化されたからである。 飢饉が一八四六年に、アイルランドで一〇〇万以上の人間・ 農業にでなく、工業や商業に投ぜられたアイルランドの総 資本は、最近一一〇年間に、徐々に、しかもたえず大きく動揺を、しかし貧乏人だけを、死にいたらせた。この飢饉は、要 しながら蓄積された。ところが、この総資本の個々の構成部の国の富には少しの損害も与えなかった。その後の二〇年間、 分の集積はますます急速に発展した。最後に、その絶対的増の、そして今なおたえず増加しつつある人口流出は、三〇年・ 力がいかに僅少であろうと、この総資本は、相対的には、す戦争などとは異なり、人間と同時にその生産手段を激減させ はしなかった。アイルランドの天才は、貧民をその窮乏の舞 なわち人口数の縮小に比較すれば、膨脹した。 だから、ここにわれわれの眼前で大規模に展開される過程台から数千マイルも遠方に神隠しするまったく新たな方法を。 は、正統派経済学にとっては、窮乏は絶対的過剰人口から生発明した。合衆国に移住した移民たちは、残留者の旅費とし ずるのであって人口が減少すれば均衡が恢復するという、そて年々相当額の送金をしている。今年移住した一団が来年は 他の一団を呼びよせる。だから移住は、アイルランドにとっ 当のドグマを確証するためにこの上もなく結構なものである。 般これこそは、マルサス学徒によってひどく讃美された一四世ては費用いらずで、その輸出業中の最も有利な部門の一つを なす。移住は、最後に、一つの組織的過程ーー暫時的に人口 の紀中葉のベストとは全く異なる重要な実験である。ついでに 蓄注意しておくが、一九世紀の生産諸関係およびそれに照応すを減少させるのではなく、出生によって補われるよりも多く 制る人口諸関係に一四世紀の尺度を当てがうことは、それ自体の人間を人口から汲み出して絶対的人口水準を年々低下させ ( 一八六 ) るところの、一つの組織的過程である。 資が学校教師的に素朴なことだったとすれば、この素朴さたる I<K= 一八五一ー一八七四年の期間に、移住者総数が一一三二万五九一一二人 章や、なおそのうえに、つぎのこと - ーーすなわち、かのベスト に達する。 二とそれに伴なう人口激減とにつづいて、海峡のこなたイング 第 ランドでは、農村民の解放と致富が生じたが、海峡のかなた 残留者、すなわち、過剰人口から解放されたアイルランド フランスでは、より大きな隷従とより甚だしい窮乏が生じた の労働者にとっての結果は何であったか ? 相対的過剰人口 ということーーを見のがしたのである。 が今日でも一八四六年以前と同じように大きいということ、 ( 一八六 )
( 一六 0 ) の食事をよくすることを得させるからであるーと。この調査 以下にあることが想いだされる。コーンウォール、デヴォ の最も注目すべき結果の一つは、イングランドにおける農村 スタフォード、オクス 5 ン、サマーセット、ウイルトシャ ートフォードシャーのす労働者は連合王国の他の諸地方におけるよりも遙かに組食た ークシャー、およびハ フォード、 ということであって、それは上表の示すとおりである。 べての純農業地方では、特にそうである。ドクトル・サイモ 一五九「公衆衛生、第六回報告、一八六三年」、二三八、二四九、二六 「農村労働者がとる営養は、平均量によって ンはいう、 六二頁。 示されるよりも大きい。けだし彼は、彼の労働に必要かくべ = 6 同上、二六二頁。 からざる食物部分を、他の家族員よりも遙かに多くーー貧弱 一六一同上、一七頁。イングランドの農村労働者は、アイルライドのそれと、 くらべれば、わずかに四分の一の牛乳と二分の一のパンしか受取らない。後 な諸地方ではほとんどすべての肉やべーコンをーーとるから 者の営養状態の方が秀れていることは、すでに < ・ヤングが今世紀の初めに である。妻や発育ざかりの子供に与えられる営養量は、多く その著「アイルランド旅行」で述べたところである。その原内は、貧乏なア のばあい、しかもほとんどすべての州で、主として窒素分に イルランドの借地農業者は富裕はイングランドのそれよりも比較にならぬほ - ばくひ ど人道的たということだけである。ウェールズにかんしては、本文にあげた 不足している」と。借地農業者自身のもとに住込みの僕婢は 数字はその南西部には当てはまらない。「その地方のすべての医師の一致し、 るいれき 豊富に給食される。彼らの数は、一八五一年の二八万八二七 た意見では、結核・瘰癧などによる死亡率は住民の身体状態が悪化するにつ 七人から、一八六一年の一一〇万四九六一一人に減少した。ドク れて甚だしく増加するのであって、彼らはすべて、この悪化を貧窮のせいだ といっている。農村労働者の一日の生計費がそこでは五ペンスと算定される・ 「婦人の野良労働は、ほかにどん トル・スミスはいう、 が、多くの地方では、借地農業者 ( 彼じしんが貧乏である ) の支払額がこれ な不利益があろうとも、現在の事情のもとでは家族にとって マホガニのように乾し固められていて、困難な消化過程には よりも少ない。 ねぎ 大きな利益がある。というわけは、それは家族にたいし、履 ーコンが、麦粉と葱類で作った多量 とんど値しない一片の塩漬肉、またはペ えんばくかゆ 物・衣類・家賃の支払・のための金を得させ、かくして家族 のスープや燕麦の粥の薬味に使用されるのであって、こうしたものが農村労 : 工業の進歩は、この気候が厳しく湿気の多い 働者の毎日の昼食である。 農村の平均労働者による炭素および窒素の毎週消費量 地方の農村労働者にたいしては、丈夫な自家製の布を安価な綿製品によって 駆逐し、ききのよい飲物を「名ばかりの』茶によって駆逐するという結果を・ : 長時間のあいだ風雨にさらされた後に農耕民は自分の小屋に 窒素 生じた。・ 炭素 ってぎて、泥炭や、粘土と石炭屑とでできていて炭酸ガスや硫酸ガスをたく ゆか グレーン 一、五九四 さん出す煉炭の火にあたる。小屋の壁は粘土と石でできており、床は、小屋 ~ 四〇、六七三 の建つ前からあった地べたそのままであり、屋根は、ゆるんだ湿っぽい藁を 二、〇三一 四八、三五四 積んだものである。保温のために隙間を残らず塞いであるので、ひどい悪早 二、三四八 四八、九八〇 の空気を吸いながら、彼は粘土の地・ヘたで、しばしば一枚きりの着物を着た 四三、三六六 二、四三四 まま乾かしながら、妻子とともに晩飯を食う。こうした小屋で夜半をすごす イングランド ルズ スコット一フンド アイルランド ( 1 五九 ) グレーン
労賃が同じように低くてしかも労働の苦しさが増したというの基礎をなす。われわれはここに、ふたたび、過少支払と過 こと、農村における困窮がふたたび新たな恐慌を生じそうだ度労働を「人口過剰化」の組織的手段とする前述の家内労働 . ということであった。その原因は簡単である。農業上の革命制度を発見する。最後に、人口減少は、資本制的生産の発展 が移民と同じ歩調で行なわれた。相対的過剰人口の生産が絶した国におけるような破壊的結果を伴なうことはないとはい 対的人口減少よりも急速に行なわれた。表 o を一見すれば、 え、内地市場にたえざる反撃を加えずにはおかない。移住に 農耕〔地〕の牧場化がアイルランドではイングランドでより よってこの国に生みだされる空隙は、地域的労働需要を縮小 も激しく作用せざるをえないことが分かる。イングランドでさせるばかりでなく、し / 売商人や手工業者や小営業者一般のⅢ は牧畜とともに蔬菜栽培が増加しているが、アイルランドで収入をも減少させる。表における六〇ポンドないし一〇〇 はそれが減少している。従来の耕作地の大きな部分が休耕さ ポンドの所得の減少はそのためである。 れたり永久的草地に転化される一方、これまで利用されてい I<KO 第二版への注。マーフイ「産業的、政治的、および社会的に見たア なかった荒地や泥炭沼の一大部分が牧畜の拡張に役だってい イルランド」、一八七〇年〔一〇三頁〕の表によれば、土地の九四・六 % 一〇〇エーカーまでの借地農場であって、五・四 % が一〇〇エーカー以上の る。中小借地農業者ーーー一〇〇エーカー以上を耕作していな 借地農場である。 いすべての借地農業者を私はこの部類に入れるーー・は、今な ( 一八六 O ) お、総〔借地農業者〕数のほぼ一〇分の八をなしている。彼ら アイルランドにおける日雇農村労働者の状態にかんする透一 は、以前とはまったく異なる程度で、資本制的農耕経営の競徹した叙述が、アイルランドの救貧法監督官の報告書 ( 一八 ( 一八六 争によってますます圧迫され、したがって、賃労働者階級に七〇年 ) にある。銃剣により、また、ときには公然ときには たえす新兵を供給する。アイルランドの唯一の大工業たる亜隠然の戒厳状態によってのみ無事な政府の役人として、彼ら - 麻布製造業は、成年男工を要することが比較的すくなく、ま は、イングランドにおける同僚が軽蔑するようなあらゆる用 た総じて、一八六一 ー六六年の棉花騰貴以来のその拡張にも語上の顧慮を払わねばならぬのであるが、それにもかかわら かかわらす、人口中の相対的にはとるに足りない一部分しかず彼らは、彼らの政府が安心して幻想にふけることを許さな 就業させない。他のどの大工業でもそうであるが、亜麻布製 。彼らのいうところによれば、農村の賃銀率は今なお極め 造業も、それによって吸収される人員が絶対的に増加する場て低いのであるが、それでも最近一一〇年間に五〇ないし六〇 合でさえ、それじしんの領域内での絶えざる動揺によって、 % も昻騰して、現在では平均して、週に六ないし九シリング たえす相対的過剰人口を生みだす。農村民の困窮は、その労となっている。だが、こうした外観的騰貴の背後には現実の 働者軍の大部分が農村に散在している巨大なシャツ工場など賃銀下落が隠されている。けだし、その騰貴はけっして、そ、
「彼らは極度につつましい つぎのように概括している、 る。需要供給の法則をぜんぜん傷つけないために、これらの 地主は「今やほとんど、彼らの必要とする労働ぜんぶを彼ら生活をしているのだが、彼らの賃銀は、自分とその家族の食 物費と住居費とにかつがっ足りるだけである。衣類のために の小作人から」得るのであって、「これらの小作人たちは、 かくして、普通の日雇労働者の賃銀よりも概してわずかの賃は、彼らはそれ以外の収入を要する。 : : : 彼らの住居の雰囲 銀で、しかも、重大な播種期または収穫期に自分じしんの畑気は、その他の欠乏とい 0 しょにな 0 て、この階級をまった く特殊な程度にチブスや肺病の危険にさらしている」と。し を棄てておかねばならぬことから生ずる不都合や損失をいっ さい顧みないで、彼らの地主のために働くことを余儀なくさてみれば、報告者たちの異ロ同音な証言によると気味のわる い不満がこの階級の隊列に滲透しているということや、彼ら れている。」 が過去にあこがれ、現在を嫌悪し、将来に絶望し、「煽動家 一釡も「ダブリンにおける農業労働者の賃銀にかんする救貧法監督官報告」、 三〇頁。 のけしからぬ影響に左右され」て、アメリカへ移住するとい だから、救貧法監督官の報告書では、就業の不安定およびう固定的観念しか抱いていないということは、なんら不思議 ではない。 これこそは、人口減少というマルサスの偉大な万 不規則や、労働の停止がたびたびおこりまた長期間つづくと いうような、相対的過剰人口のこれら一切の徴候が、いすれ病薬によって、緑したたるアイルランドが転化された逸楽郷 も、アイルランドの農耕。フロレタリアートの苦難として現わである ! I<P•- 「ダブリンにおける農業労働者の賃銀にかんする救貧法監督官報告」、 法れる。イングランドの農村プロレタリアートのばあいにも、 般われわれは類似の現象に遭遇したことが想いだされる。相違 アイルランドの製造業労働者がいとなむ幸福な生活については、一 のするのは、工業国たるイングランドでは、工業予備〔軍〕は 蓄農村で補充されるが、農業国たるアイルランドでは、農耕予例で充分である、 的 バー -z ・・べーーカーーはい , つ、 「最近 イングランドの工場検査官ロ 備〔軍〕は駆逐された農村労働者の逃避所たる都市で補充さ 制 アイルランドの北部を視察したとき、私は、不如意きわまる手許から 資れる、ということである。イングランドでは、農業上の過剰 子供に教育をしてやろうとするアイルランドの熟練労働者の苦労に驚 章人口が工場労働者に転化される。アイルランドでは、都市に かされた。彼の口から聞いたままのことを、彼の言葉どおりに伝えよ 一一放逐された人々は、同時に都市の賃銀を圧迫しつつも依然と う。彼が熟練工だということは、彼はマンチェスター向けの財貨〔の 第 して農村労働者であって、労働需要に応じてたえす農村に送生産〕に使用されているといえば分かるであろう。そのジ。ンスンは 、ぬた 私は砧職で、月曜日から金曜日までは朝の六時から晩の一 7 り返される。 公けの報告者たちは、農耕日雇労働者たちの物質的状態を一時まで労働します。土曜日には夕方の六時に終業し、また、食事と ふんい
休息とに三時間くれます。子供は五人あります。この仕事で私は週に 六万八六一〇ポンドのうち、三人の貨殖家が着服したのは二 弱一〇シリング六ペンスもらいます。妻も働いていて週に五シリング稼六万一一六一〇ポンドにすぎなかったが、一八六五年には、同 ぎます。長女は一二歳ですが、家事を見ています。彼女はわれわれの じ三人の「禁慾」の名人が総利潤四六六万九九七九ポンドの コックであり、唯一の使用人です。彼女は弟妹の学校ゆきを世話しま うち うち一一七万四四四八万ポンドを着服した。また一八六四年に す。妻は私といっしょに起きていっしょに出かけます。家のそばを通 は、一一六人の貨殖家が六四万六三七七ポンドを、一八六五年 る娘が朝の五時半に私をおこしてくれるのです。われわれは仕事にゆ には、二八人の貨殖家が七三万六四四八ポンドを着服した。 く前には何も食いません。一二歳になる子供が小さい子供たちを一日 世話します。朝飯は八時で、食いに帰ります。茶を飲むのは週に一度また一八六四年には、一二一人の貨殖家が一〇六万六九一二 ルなりコーンミールなり、その時々に ポンドを、一八六五年には、一八六人の貨殖家が一三二万九 です。ほかの時にはオートミー 手にいり次第のものの粥をすすります。冬には、コーン ルにわす九六ポンドを着服した。また一八六四年には、一一三一人の かばかりの砂糖と水を入れます。夏には、うちで小庭に作。た馬鈴薯貨殖家が二一五万八一八ポンドすなわち年総利潤のほとんど が少しとれますが、それがなくなると粥に戻ります。毎日、毎日、日 半分を、一八六五年には、一一九四人の貨殖家が一一四一万八 曜日にも働く日にも、まる一年中そうです。一日の仕事を終えると、 九三三ポンドすなわち年総利潤の半分以上を着服した。とこ 夜はいつでもひどく疲れています。ひょっとすると少々の肉をみるこ ともありますが、ひじように稀れです。三人の子供が通学していますろが、イングランド、スコットランドおよびアイルランドに が、その費用は、「人あたり週に一ペンスかかります。家賃は週に九おける、ほんの少数の土地貴族が国民的年地代のうちから呑 ペンスで、燃料の泥炭は二週間に少なくとも一シリング六ペンスかかみこむ獅子の分前は莫大な額なので、イギリスの国策では、 ( 1 八八 ) ります、と。」かくのごときがアイルランドの賃銀であり、かくのご地代の分配については利潤の分配についてと同様な統計的資 ときがアイルランドの生活であるー 料を与えない方が適当だとされている。ロード・ダファリン 一公「一八六六年一〇月三一日の工場検査官報告」、九六頁。 はこうした土地貴族の一人である。地代額や利潤がいやしく も「過大」でありうるとか、それらの過多が人民窮乏の過多 事実上、アイルランドの窮乏はふたたびイギリスにおける と何らかの関連があるということは、もちろん「不健全」で 時事問題となっている。一八六六年末と一八六七年初頭に、 『タイムズ』紙上で、アイルランドの土地貴族の一人たるロあると同様に「恥ずべき」考えである。彼は事実にしがみつ く。その事実とは、アイルランドの人口が減少するにつれて ・ダファリンがその解決にのりだした。「こんな大地主 アイルランドの地代額が膨脹するということ、人口減少は土 だのに、なんと人間らしいことよ ! 」〔ゲーテ、「ファウスト」 中のメフィストの言葉。〕 地所有者に「有利」であり、したがって土地にとっても有利 であり、したがって土地の附属物にすぎない人民にとっても 表を見ればわかるように、一八六四年には、総利潤四三
一会「内国所得調査委員、第一〇回報告」、ロンドン、一八六六年。 であろう。だが、アイルランドは、現在では、広い掘割りに よって仕切られたイングランドの農業地方にすぎぬのであっ 項では、一八五三ー一八六四年の年平均所得の増加は て、イングランドにたいし、穀物や羊毛や家畜や産業的およ 〇・九三〔 % 〕にすぎなかったが、大ブリテンにおける同じ び軍事的新兵を供給している。 期間のそれは四・五八〔 % 〕であった。つぎの表は、一八六 人口減少は、多くの土地を廃耕させ、土地生産物を甚だし 四年および一八六五年における利潤 ( 借地農業者利潤をのそ ( 一八六 ) く減少させ、また、牧畜面積の拡大にもかかわらず若干の牧 - く ) の分配を示す。 畜部門では絶対的減少を生じたのであって、その他の部門で 表@ アイルランドにおける項の利潤所得 生じた進歩も、たえざる退歩によって中断されたほとんど語 ( 六〇ポンド以上 ) るに足りぬものであった。とはいえ、人口の減少につれて、 一八六五年 一八六四年 といっても、農業利潤】 地代と借地農業利潤は増加した、 ポンド分配人数ポンド分配人数 の方は、地代のばあいのように恒常的にではなかったが。そ 四、六六九、九芫一公只一 年総所得四、三六公六一 0 一七、哭七 の理由は容易に理解できる。一方では、借地農場の合併と耕 六〇ー一〇〇ポンド 五、 0 一五 一三一一、吾五四、七 0 三 一一三公七一一六 地の牧場化とにつれて、総生産物のより大きな部分が剰余生 の所得 一一、 0 一一公四三 年総所得のうち一、九芫、 0 六六一一、 一 = 、一八四産物に転化した。総生産物は減少したのに、その分数部分た 一「四一公九三一一一 年総所得の残額一一、一五 0 、八一八 る剰余生産物が増加した。他方では、この剰余生産物の貨幤 一、 0 四四 一、 0 〈三、九 0 六 一、 0 九七、九三七 けだ . 価値が、その分量よりもいっそう急速に増加した、 一条 一、三一一 0 、究六 し、最近一一〇年らい、わけても最近一〇年らい、イングラン 年総所得のうち四三 0 、五三五 五〈四、四犬 ドにおける肉・羊毛などの市場価格が騰貴した結果である。 七三六、四哭 六哭、三七 一一六四、五六 一尖エーカーあたりという相対的意味でも生産物が減少しているとすれば、、 忘れてはならぬのは、イングランドは一世紀半いらいアイルランドの土地を 一会本表で項の年総所得が前表と相違するのは、法律上許される特定の 間接に輸出したーーーその耕作者に土地成分の補償手段も与えないでーーの : 控除のせいである。 だ、ということで亠のる。 ネ原典では「 : : 六一一六」となっている。ロシア語版 ( 一九五三年 ) にし たがって訂正した。ーーー訳者。 他人の労働の合体によって自己を増殖することなしに、牛 資本制的生産が発展している主として工業的なイングラン産者じしんにとって就業Ⅱおよび生活維持手段として役だっ これが資本でないことは、 ドにとっては、アイルランドのような人口喪失は致命的打撃ような、分散した生産手段、 九一 0 一 0 五 ( 一八五 )
ティ、ダ・フリンなど、北部ではダウン、アントリム、テイロ道のりを往復せねばならす、時には、すぶぬれとなったり、・ ーンなど、西部ではスライゴ、ロスコンモン、メーヨー、ゴその他の災害に出くわすこともあって、そのために身体を弱 くしたり病気になったりして、窮乏することがしばしばであ一 ールウェーなどにおいて。監督官の一人は叫んでいう、 ( 一八も .C) 「それは、キリスト教とこの国の文明にとって恥辱である」 と。日雇労働者たちの穴小屋の住み心地をよくするために、 IQ= 「ダブリンにおける農業労働者の賃銀にかんする救貧法監督官報告」 1 二五頁。 組織的に、 いつの昔からかそれに附属している小地面が没収 される。「地主やその差配人によってこうした非道いめにあ「都市は、農村地方で過剰労働者と見なされたものを年々収 ( 一 ^ 七ぐ ) わされたという意識は、農村日雇労働者たちの心に、彼らを容しなければならなかった」が、ところで人々は、「都市や田 舎町では労働者があまっているのに、農村では労働者が不星 無権利人種として取扱う人々にたいする対立および憎悪とい ( 一八七 ) ( 一八七 <) している ! 」ことを不思議にする。この不足が感ぜられるの う、それ相応の感情を生ぜしめた。」 IQ< 「ダブリンにおける農業労働者の賃銀にかんする救貧法監督官報告」、 は、「春や秋の、農耕労働の急を要する時期ーだけであって、 ' ( 一八七 「その他の季節中は、多数の労働者が休んでいる」というこ 農業革命の第一幕は、作業場所に設けられた仮小屋を最大と、「収穫が終ると、一〇月から春まで、彼らはほとんど仕事 ( 一八七・ 1 ) の規模で、しかも上から与えられた合一言葉に従ってでもある がない」ということ、就業期中でも、彼らは「しばしばまる・ かのように、とり払うことであった。かくして多数の労働者数日を駄目にしたり、あらゆる種類の作業中断を免れない」 が、田舎町や都市に逃避所を求めることを余儀なくされた。 ということ、 これが真実のところである。 そこで彼らは、廃物のように、屋根部屋や穴部屋や地下室 IQQ 「ダブリンにおける農業労働者の賃銀にかんする救貧法監督官報告」 1 一一七頁。 や、最悪地区のすみつこに投げこまれた。幾千のアイルラン 1<?= 同上、二五頁。 ド人の家族が、 彼らは、民族的偏見にとらわれたイング だんらん 一同上、一頁。 ランド人の証言によってさえ、一家団欒にたいする稀有の愛 I<IP'** 同上、三二頁。 l<Fu 同上、二五頁。 着や、気がるな快活さや、家庭的純潔によって特徴づけられ しゅんげん冖 ていたのだが、 かくして突然にも悪徳の温室に入れられ 農業革命ーーーすなわち、耕地の牧場化、機械の充用、峻 た。男たちは今や、附近の借地農業者のところで仕事を求めきわまる労働節約などーーのこうした結果は、自分の地代を ねばならず、しかも日ぎめで、すなわち最も心もとない賃銀外国にいって消費しないで、情けぶかくもアイルランドの自 分の領地に居住する典型的地主によって、いっそう激化され 形態で雇われる。そのうえ「彼らは、いまや、農場への遠い ( 一八七
めの大集会を自費で組織した。民衆が、たとえば一八六〇年ものである 9 : : : 本委員会の信するところによれば、労働日 のダブリンでの五月集会では、アイルランド人らしい熱情をを一二時間以上に延長することは、労働者の家庭的および私 もってその味方をした。ウェクスフォード、キルケニー 、ク的生活の横領的な侵害であって、各人の家庭を妨害し、また ロンメル、ウォータフォードなどでは、もつばらなる昼間労子・兄弟・夫・および父としての彼の家庭的義務の遂行を妨 働が、この運動によって実にみごとに獲得、実施された。「賃げることによって、有害な道徳的結果を生ずるものである。 一二時間以上の労働は、労働者の健康をだいなしにする傾向 職人の苦悩が周知のごとく全く度はすれであったリマリック では、この運動が製。 ( ン親方、ことに製パン兼製粉業者の反をもち、早老と若死を生じ、したがってまた、労働者の家族 ナリマリックのが例となって、ェニスおたちの不幸を生する、すなわちその家族たちは最も必要な瞬 対にあって失敗しこ。 ( 八五 ) 間に家長の世話と扶助とを奪われる」と。 よびテイベラリにおける退却となった。公衆の憤怒がもっと も活な形態で表明されたコークでは、親方たちが、職人た 会「一八六一年度のアイルランドにおける製パン業にかんする調査委員会 の報告。」 ちを追放するという彼らの権力の行使によって運動を失敗さ 会同上。 せた。ダ・フリンでは、親方たちがきわめて頑強に抵抗し、ア 以上はアイルランドのことであった。海峡の他のがわ、ス ジテーションの先頭にたっ職人たちを迫害することによって すき コットランドでは、犁を手にする農業労働者が、きびしい寒 残りの者を余儀なく譲歩させ、夜間および日曜日の労働に服 ( 八四 ) さのとき一三時間から一四時間はたらき、日曜日には四時間 させた。」イギリス政府はアイルランドで爪さきまで武装し の追加労働をおこなう ( この安息日厳守の国で ! ) ことを訴 ていたが、その政府の委員会も、ダ・フリン、リマリック、コ ( 八六 ) えたが、他方では同時に、ロンドンのある予審陪審廷に三人 ークなどの無情な製パン親方にたいしては哀れげに抗議して の鉄道労働者。ーー旅客車掌と機関手と信号手ー・ーが立たされ 「本委員会の信するところによれば、労働時間は た。ある大きい鉄道事故が数百の旅客をあの世に送ったので 自然法則によって制限されており、この法則は咎めなしでは 犯されえないものである。親方たちは彼らの労働者たちをしある。鉄道労働者たちの怠慢が事故の原因であった。彼らは 一〇年ないし一一一年前に て、追放という威嚇によって余儀なく彼らの宗教的確信を傷陪審廷で異ロ同音に説明した、 よろん つけさせ、国法と輿論の軽蔑とに不従順ならしめることによ は、彼らの労働は日に八時間だけであった。最近五、六年間 にそれが一四時間、一八時間、一一〇時間と引上げられ、また って」、 ( この後者はすべて日曜労働についていっているのだ ) 「彼らは、資本と労働とのあいだに悪感情を生ぜしめ、また遊覧列車の時期のように旅行ずきな人々が特にさかんに押し 宗教・道徳・および公けの秩序にとって危険な実例を与える かけるさいには、彼らの労働は往々にして休みなく四〇時間
ては確かに最も安いものであるが、児童にとっては最も有害なものである」 である。 : : : 時間やカのあらゆる濫費、異常で無益な疲労が農村民とその家 と、ある借地農業者はいう。 ( 同上、一六頁、第三号。 ) 族とに与えるあらゆる苦痛、親たちがその子供の道徳的破減の原囚を小屋の 一究「現に労働隊の児童がしている仕事の多くは、疑いもなく、以前には男 充溢または労働隊制度の汚辱的影響にありとするあらゆる実例、 ーーーこれら 女の大人がした。婦人や児童が使用される所では、いまや、以前よりも多く は、労働貧民たちの感情をいたく刺戟するのであるが、このことはよく理解 の男が失業している。」 ( 「児童労働調査委員会、第六回報告」、四三頁、第一一 できるので、それを詳論するのは無用である。彼らには何の責任もない事 〇二号。 ) ところが、なかには、 「多くの農業地方、わけても穀物生産地 情、また彼らにその力があれば同意しないのだが彼らにはそれと抗争するカ【 方では、労働問題が、移住の結果、および鉄道がもたらした大都市への離村 がないような事情によって、彼らが幾多の肉体的および精神的苦悩をこうむ の容易さの結果として、重大になっているので、私は ( 「私」というのは或 るということは、彼らの意識するところである。」 ( 「児童労働調査委員会、第 る大地主の差配人 ) 児童の勤労を絶対に欠くべからざるものと考える」と。 六回報告」、別付一一 0 頁第八二号、および別付二三頁第九六号。 ) ( 同上、八〇頁、第一八〇号。 ) けだし労働問題とは、イングランドの農業地 方では、その他の文明世界のばあいとは異なり、、、 し力にすれば、農村労働者 (9-4) アイルランド の流出のたえざる増加にもかかわらず、農村における充分な「相対的過剰人 ロ」を、したがってまた農村労働者にたいする「労賃の最低限」を、永遠化 しうるかという、資本家的地主および借地農業者の問題なのである。 本節の結びとして、われわれはなお、アイルランドに一瞥 入 0 私が前に引用した「公衆衛生報告」は、児童の死亡率を取扱うついで を与えねばならない。さしあたり、ここでの問題たる事実に に労働隊繝度にもふれているが、この報告は、新聞紙したがってイギリスの 公衆にはついに認められなかった。これに反して「児童労働調査委員会」の 最終報告書は、、大評判の「センセーショナル」な新聞種を提供した。リンカ アイルランドの人口は、一八四一年には八一一二万一一六六四 ンシャーにうじゃうじゃいる上品な紳士淑女や国教会の受祿僧たちーーーみず 人に増加したが、一八五一年には六六一一万三九八五人に減少 から「南洋の未開人の道徳改善のための宣教師団」をかの異境に派遣してい る人物たちーー・は、いったい何故かかる繝度を自分の領地で自分の眼前で発 し、一八六一年には五八五万三〇九人に減少し、一八六六年 達させておくことができたのかと、自由主義新聞が質問したとき、他方では、 にはさらに五五〇万という、ほぼ一八〇一年の水準まで減少 もっと上品な新聞紙は、もつばら、自分の子供を売ってこうした奴隷状態に した。この減少は、一八四六年の飢饉年から始まったのであ 陥しいれることのできる農村民たちのひどい道徳的堕落を考察し始めた ! 「この敏感な人々」が農村民を陥しいれた言語道断な状態のもとでは、農村 って、そのためにアイルランドは、二〇年たらずのうちに人 民が自分じしんの子供を食ってしまったとしても、うなずけるであろう。真 ロの一六分の五以上を失った。一八五一年五月から一八六五 に不思議なのは、農村民が、大抵のばあい、品性の優秀さを保持したことで ある。公けの報告者の証明するところでは、労働隊地方における親たち自身年七月までのアイルランドの総移民は一五九万一四八七人を は労働隊制度を嫌悪している。「われわれの集めた証言中に豊富な証拠が見算し、そのうち、一八六一ー一八六五年という最後の五年間 られるように、親たちは多くのばあい。そのしばしばこうむる誘惑や圧迫に の移民が五〇万以上であった。住宅の数は、一八五一年から 抵抗することができるような強制法ができれば感謝するであろう。彼らが子 一八六一年までに五万一一九九〇戸だけ減少した。一八五一ー 供を学校にやらないで稼ぎに行かせるのは、ときには教区の役人により、と きには雇主によって、そうしないと彼らじしんを解雇するとおどされるから 一八六一年に、一五ないし三〇エーカーの借地農場の数は六 0 736