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検索対象: 世界の大思想18 マルクス 資本論1
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1. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

一会「内国所得調査委員、第一〇回報告」、ロンドン、一八六六年。 であろう。だが、アイルランドは、現在では、広い掘割りに よって仕切られたイングランドの農業地方にすぎぬのであっ 項では、一八五三ー一八六四年の年平均所得の増加は て、イングランドにたいし、穀物や羊毛や家畜や産業的およ 〇・九三〔 % 〕にすぎなかったが、大ブリテンにおける同じ び軍事的新兵を供給している。 期間のそれは四・五八〔 % 〕であった。つぎの表は、一八六 人口減少は、多くの土地を廃耕させ、土地生産物を甚だし 四年および一八六五年における利潤 ( 借地農業者利潤をのそ ( 一八六 ) く減少させ、また、牧畜面積の拡大にもかかわらず若干の牧 - く ) の分配を示す。 畜部門では絶対的減少を生じたのであって、その他の部門で 表@ アイルランドにおける項の利潤所得 生じた進歩も、たえざる退歩によって中断されたほとんど語 ( 六〇ポンド以上 ) るに足りぬものであった。とはいえ、人口の減少につれて、 一八六五年 一八六四年 といっても、農業利潤】 地代と借地農業利潤は増加した、 ポンド分配人数ポンド分配人数 の方は、地代のばあいのように恒常的にではなかったが。そ 四、六六九、九芫一公只一 年総所得四、三六公六一 0 一七、哭七 の理由は容易に理解できる。一方では、借地農場の合併と耕 六〇ー一〇〇ポンド 五、 0 一五 一三一一、吾五四、七 0 三 一一三公七一一六 地の牧場化とにつれて、総生産物のより大きな部分が剰余生 の所得 一一、 0 一一公四三 年総所得のうち一、九芫、 0 六六一一、 一 = 、一八四産物に転化した。総生産物は減少したのに、その分数部分た 一「四一公九三一一一 年総所得の残額一一、一五 0 、八一八 る剰余生産物が増加した。他方では、この剰余生産物の貨幤 一、 0 四四 一、 0 〈三、九 0 六 一、 0 九七、九三七 けだ . 価値が、その分量よりもいっそう急速に増加した、 一条 一、三一一 0 、究六 し、最近一一〇年らい、わけても最近一〇年らい、イングラン 年総所得のうち四三 0 、五三五 五〈四、四犬 ドにおける肉・羊毛などの市場価格が騰貴した結果である。 七三六、四哭 六哭、三七 一一六四、五六 一尖エーカーあたりという相対的意味でも生産物が減少しているとすれば、、 忘れてはならぬのは、イングランドは一世紀半いらいアイルランドの土地を 一会本表で項の年総所得が前表と相違するのは、法律上許される特定の 間接に輸出したーーーその耕作者に土地成分の補償手段も与えないでーーの : 控除のせいである。 だ、ということで亠のる。 ネ原典では「 : : 六一一六」となっている。ロシア語版 ( 一九五三年 ) にし たがって訂正した。ーーー訳者。 他人の労働の合体によって自己を増殖することなしに、牛 資本制的生産が発展している主として工業的なイングラン産者じしんにとって就業Ⅱおよび生活維持手段として役だっ これが資本でないことは、 ドにとっては、アイルランドのような人口喪失は致命的打撃ような、分散した生産手段、 九一 0 一 0 五 ( 一八五 )

2. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

底の段階にある。 : : : 多数の婦人が私生児を生んでおり、しチ、アをも ) いまや急速に工場経営に転化すべき時機が到来 かもその多くは、犯罪統計の精通者でさえ驚くほど未熟な年する。 齢のときにである。」そして、こうした典型的家族の母国は、 この運動のすばらしい実例を提供するものは「服装品」の キリスト教のことについては確かに有能の士たるモンタ生産である。「児童労働調査委員会ーの分類によれば、この ラムペール伯はいう、 ヨーロッパのキリスト教的典型国産業は、麦藁帽および婦人帽製造業者、縁なし帽製造業者、 である ! 裁縫業者、ミリナーおよびドレスメーカ ー、シャッ製造業 = 空「児童労働調査委員会、第二回報告」、別付一一九、三〇頁。 者、コルセット製造業者、手袋製造業者、製靴業者、ならび 以上に論じた産業諸部門では、労賃が総じて哀れなほどで に、ネクタイ、カラーの製造のような多数の小部門を包括す あるが ( 麦藁細工学校の児童の例外的な最高賃銀が三シリン る。イングランドおよびウェールズでこれらの産業に従事し グ ) 、それがさらに、殊にレース地方で一般に支配的に行な た婦人員数は、一八六一年に五八万六一一九八人であったが、 われているトラックシステム〔現物賃銀制〕によ 0 て、その名そのうち、少なくとも一一万五一一四一一人は一一〇歳未満、一万 目額よりずっと低く引下げられる。 六六五〇人は一五歳未満であった。連合王国におけるこうし 実三「児童労働調査委員会、第一回報告、一八六三年」、一八五頁。 た女工の数 ( 一八六一年 ) は七五万三三四人であった。同じ ( ) 近代的マニュファクチュアおよび家内 時、イングランドおよびウェールズで帽子、靴、手袋製造業 労働の、大工業への移行。かの経営諸 および裁縫業に従事した男子労働者数は四三万七九六九人で 様式への工場条例の適用による、この あり、そのうち一万四九六四人は一五歳未満、八万九一一八五 革命の促進 人は一五歳ないし一一〇歳、三三万三一一七人は一一〇歳以上で 婦人および未成熟者の労働力の単なる濫用による、あらゆあった。この話では、この産業に属する多数の小部門が落ち る標準的な労働条件および生活条件の単なる盗奪による、まている。だが、上にあげた数字をとって見ても、イングラン た過度労働および夜間労働の単なる非道さによる、労働力の ドおよびウェールズだけで、一八六一年の国勢調査によれば 低廉化は、そしてそれとともに、 この基礎にもとづく商品の 合計一〇二万四一一七七人となり、かくして、農耕および牧畜 低廉化および資本制的搾取一般もまた、ついに、もはや踏み によって吸収されているのとほ・ほ同数である。機械がかくも こえられない特定の自然的繝限にぶつかる。ついにこの点に尨大な生産物量を魔法的に作り出すことを助け、かくも尨大 達するや否や、 これには長い間かかるのであるが、 な労働者大衆を「遊離させる」ことを助けるのは、何のため 機械を採用して、分散した家内労働を ( またはマニュファク かということが、わかり始める。 ( 二六に )

3. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

「彼らは極度につつましい つぎのように概括している、 る。需要供給の法則をぜんぜん傷つけないために、これらの 地主は「今やほとんど、彼らの必要とする労働ぜんぶを彼ら生活をしているのだが、彼らの賃銀は、自分とその家族の食 物費と住居費とにかつがっ足りるだけである。衣類のために の小作人から」得るのであって、「これらの小作人たちは、 かくして、普通の日雇労働者の賃銀よりも概してわずかの賃は、彼らはそれ以外の収入を要する。 : : : 彼らの住居の雰囲 銀で、しかも、重大な播種期または収穫期に自分じしんの畑気は、その他の欠乏とい 0 しょにな 0 て、この階級をまった く特殊な程度にチブスや肺病の危険にさらしている」と。し を棄てておかねばならぬことから生ずる不都合や損失をいっ さい顧みないで、彼らの地主のために働くことを余儀なくさてみれば、報告者たちの異ロ同音な証言によると気味のわる い不満がこの階級の隊列に滲透しているということや、彼ら れている。」 が過去にあこがれ、現在を嫌悪し、将来に絶望し、「煽動家 一釡も「ダブリンにおける農業労働者の賃銀にかんする救貧法監督官報告」、 三〇頁。 のけしからぬ影響に左右され」て、アメリカへ移住するとい だから、救貧法監督官の報告書では、就業の不安定およびう固定的観念しか抱いていないということは、なんら不思議 ではない。 これこそは、人口減少というマルサスの偉大な万 不規則や、労働の停止がたびたびおこりまた長期間つづくと いうような、相対的過剰人口のこれら一切の徴候が、いすれ病薬によって、緑したたるアイルランドが転化された逸楽郷 も、アイルランドの農耕。フロレタリアートの苦難として現わである ! I<P•- 「ダブリンにおける農業労働者の賃銀にかんする救貧法監督官報告」、 法れる。イングランドの農村プロレタリアートのばあいにも、 般われわれは類似の現象に遭遇したことが想いだされる。相違 アイルランドの製造業労働者がいとなむ幸福な生活については、一 のするのは、工業国たるイングランドでは、工業予備〔軍〕は 蓄農村で補充されるが、農業国たるアイルランドでは、農耕予例で充分である、 的 バー -z ・・べーーカーーはい , つ、 「最近 イングランドの工場検査官ロ 備〔軍〕は駆逐された農村労働者の逃避所たる都市で補充さ 制 アイルランドの北部を視察したとき、私は、不如意きわまる手許から 資れる、ということである。イングランドでは、農業上の過剰 子供に教育をしてやろうとするアイルランドの熟練労働者の苦労に驚 章人口が工場労働者に転化される。アイルランドでは、都市に かされた。彼の口から聞いたままのことを、彼の言葉どおりに伝えよ 一一放逐された人々は、同時に都市の賃銀を圧迫しつつも依然と う。彼が熟練工だということは、彼はマンチェスター向けの財貨〔の 第 して農村労働者であって、労働需要に応じてたえす農村に送生産〕に使用されているといえば分かるであろう。そのジ。ンスンは 、ぬた 私は砧職で、月曜日から金曜日までは朝の六時から晩の一 7 り返される。 公けの報告者たちは、農耕日雇労働者たちの物質的状態を一時まで労働します。土曜日には夕方の六時に終業し、また、食事と ふんい

4. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

司税官はそれを八万八〇〇〇ポンドと評価し、結局、この額について租税が 一八六四年四月五日に終一八六五年四月五日に 終る一か年 る一か年 支払われた。もう一つの会社は一九万ポンドと申告したが、実際額は二五万 ポンドだと白状することを余儀なくされた」と。 ( 同上、四二頁。 ) 利潤所得員数利潤所得員数 ポンド * ンド 三三一一、四三一 一 0 五、四三五、尺七 総所得九五、八、一一一三 資本の蓄積は、同時に、資本の集積および集中をともなっ 一一四、 0 七五 六四、五五四、一一碧 そのうち吾、 0 一一公元 0 た。イングランドの農業統計は、政府のものはなかった ( ア 四一一、五三五、吾六 そのうち三六、四一五、一三五 イルランドについてはあった ) が、一〇州によって任意に提 九七三 そのうら一三、八兄、尺一 供された。それによると、そこでは、一八五一年から一八六 一容 そのうち公七四四、七六一一 一年までに、一〇〇エーカー以下の借地農場が三万一五八三 卆「一八六一年のイングランドおよびウェールズの国勢調査」、前出、二九 から一一万六五六七に減少し、かくして、五〇一六は大借地農 ( 九七 ) 頁。イングランドの土地の半分は一五〇人の地主によって所有され、スコッ 場と合併されたという結果が生じた。一八一五年から一八二 トランドの土地の半分は一二人の地主によって所有されているという、ジョ ン・プライトの主張は反駁されなかった。 五年までには、相続税を課せられた一〇〇万ポンド以上の動 穴「内国所得調査委員会、第四回報告」、ロンドン、一八六〇年、一七頁。 産は一つもなかったが、一八二五年から一八五五年までに * 原典では「 : : : 五七九ポンド」となっている。右の表における * 印の数 は、それが八つあり、一八五六年から一八五九年六月までには 字 ( 四か所 ) とともに、ロシア語版、一九五三年、にしたがって訂正した。 ( 九八 ) ーー訳者。 すなわち四か年半でーー四つあった。だが集中は、一八 訂正の内容は煩雑だから示さない。 究これらは、法律上正当な特定の控除後の純所得である。 六四年および一八六五年における項 ( 借地農業者などを除 連合王国で、石炭は、一八五五年には一六一一万三一六七 外した利潤 ) にたいする所得税を簡単に分析してみれば、最 もよく推知される。あらかじめ注意しておくが、この源泉か ポンドの価値ある六一四五万一二〇七九トン、一八六四年には の 二三一九万七九六八ポンドの価値ある九二七八万七八七三ト 蓄らの六〇ポンド以上の所得には所得税が課せられる。こうし ン生産され、銑鉄は、一八五五年には八〇四万五三八五ポン 謝た納税義務ある所得は、イングランド、ウェールズ、および ドの価値ある三二一万八一五四トン、一八六四年には一一九 資スコットランドでは、一八六四年には九五八四万四二二二ポ ( 九九 ) ンド、一八六五年には一億五四三万五七八七ポンドであり、 一万九八七七ポンドの価値ある四七六万七九五一トン生産さ 章 一一納税者数は、一八六四年には総人口一一三八九万一〇〇九人のれた。連合王国で経営されている鉄道は、一八五四年には延 第 うち三〇万八四一六人、一八六五年には総人口二四一二万七長八〇五四マイルで、払込資本は一一億八六〇六万八七九四ポ ンドであり、一八六四年には延長一万二七八九マイルで、払 〇〇三人のうち三三万二四三一人であった。同じ両年度にお 込資本は四億一一五七一万九六一三ポンドであった。連合王国 けるこの所得の配分については、次表を参照せよ。 三 0 公巴六 一一三、三三四 三、六一九

5. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

( 一六 0 ) の食事をよくすることを得させるからであるーと。この調査 以下にあることが想いだされる。コーンウォール、デヴォ の最も注目すべき結果の一つは、イングランドにおける農村 スタフォード、オクス 5 ン、サマーセット、ウイルトシャ ートフォードシャーのす労働者は連合王国の他の諸地方におけるよりも遙かに組食た ークシャー、およびハ フォード、 ということであって、それは上表の示すとおりである。 べての純農業地方では、特にそうである。ドクトル・サイモ 一五九「公衆衛生、第六回報告、一八六三年」、二三八、二四九、二六 「農村労働者がとる営養は、平均量によって ンはいう、 六二頁。 示されるよりも大きい。けだし彼は、彼の労働に必要かくべ = 6 同上、二六二頁。 からざる食物部分を、他の家族員よりも遙かに多くーー貧弱 一六一同上、一七頁。イングランドの農村労働者は、アイルライドのそれと、 くらべれば、わずかに四分の一の牛乳と二分の一のパンしか受取らない。後 な諸地方ではほとんどすべての肉やべーコンをーーとるから 者の営養状態の方が秀れていることは、すでに < ・ヤングが今世紀の初めに である。妻や発育ざかりの子供に与えられる営養量は、多く その著「アイルランド旅行」で述べたところである。その原内は、貧乏なア のばあい、しかもほとんどすべての州で、主として窒素分に イルランドの借地農業者は富裕はイングランドのそれよりも比較にならぬほ - ばくひ ど人道的たということだけである。ウェールズにかんしては、本文にあげた 不足している」と。借地農業者自身のもとに住込みの僕婢は 数字はその南西部には当てはまらない。「その地方のすべての医師の一致し、 るいれき 豊富に給食される。彼らの数は、一八五一年の二八万八二七 た意見では、結核・瘰癧などによる死亡率は住民の身体状態が悪化するにつ 七人から、一八六一年の一一〇万四九六一一人に減少した。ドク れて甚だしく増加するのであって、彼らはすべて、この悪化を貧窮のせいだ といっている。農村労働者の一日の生計費がそこでは五ペンスと算定される・ 「婦人の野良労働は、ほかにどん トル・スミスはいう、 が、多くの地方では、借地農業者 ( 彼じしんが貧乏である ) の支払額がこれ な不利益があろうとも、現在の事情のもとでは家族にとって マホガニのように乾し固められていて、困難な消化過程には よりも少ない。 ねぎ 大きな利益がある。というわけは、それは家族にたいし、履 ーコンが、麦粉と葱類で作った多量 とんど値しない一片の塩漬肉、またはペ えんばくかゆ 物・衣類・家賃の支払・のための金を得させ、かくして家族 のスープや燕麦の粥の薬味に使用されるのであって、こうしたものが農村労 : 工業の進歩は、この気候が厳しく湿気の多い 働者の毎日の昼食である。 農村の平均労働者による炭素および窒素の毎週消費量 地方の農村労働者にたいしては、丈夫な自家製の布を安価な綿製品によって 駆逐し、ききのよい飲物を「名ばかりの』茶によって駆逐するという結果を・ : 長時間のあいだ風雨にさらされた後に農耕民は自分の小屋に 窒素 生じた。・ 炭素 ってぎて、泥炭や、粘土と石炭屑とでできていて炭酸ガスや硫酸ガスをたく ゆか グレーン 一、五九四 さん出す煉炭の火にあたる。小屋の壁は粘土と石でできており、床は、小屋 ~ 四〇、六七三 の建つ前からあった地べたそのままであり、屋根は、ゆるんだ湿っぽい藁を 二、〇三一 四八、三五四 積んだものである。保温のために隙間を残らず塞いであるので、ひどい悪早 二、三四八 四八、九八〇 の空気を吸いながら、彼は粘土の地・ヘたで、しばしば一枚きりの着物を着た 四三、三六六 二、四三四 まま乾かしながら、妻子とともに晩飯を食う。こうした小屋で夜半をすごす イングランド ルズ スコット一フンド アイルランド ( 1 五九 ) グレーン

6. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

イングランドの羊毛工場主諸君との要求に正確に適合する程さないで時間いつばい作業することができた。かくして彼ら 度まで、さらに一そう減少させようとする過程が、なお今日の収入が増加した。そこで人間が綿織物業に殺到した ( つい この瞬間においても行なわれている。 には、たとえばイギリスでは、ジェニー紡績機・スロッスル 紡績機・およびミュール紡績機によって生みだされた八〇万 = 宅一八六一年の国勢調査 ( 第一一巻、ロンドン、一八六三年 ) によれば、 イングランドおよびウェ 1 ルズの炭坑における就業労働者数は二四万六六一 の綿織物工が、ふたたび蒸気織機によってうち減ぼされた ) 。 三人であり、そのうち七万三五四六人は二〇歳未満、一七万三〇六七人は一一 かくして、機械によって生産された衣料が豊富となるにつれ 0 歳以上であった。前者のうちでは、五歳ないし一〇歳の者が八三五人、一 て、男女の裁縫エ・仕立女エ・縫物女工などの数が増加し、 0 歳ないし一五歳の者が三万七〇一人、一五歳ないし一九歳の者が四万二 0 ついにミシンが現われる。 一〇人である。鉄、銅、鉛、錫、その他いっさいの金属鉱山における就業者 数は三一万九二二二人であった。 一三 0 「四人の大人 ( 綿織物工 ) と糸捲工としての二人の子供とからなる一家 族が、前世紀の末および今世紀の初めには、一日に一〇時間労働で毎週四ポ 一 = ^ イングランドおよびウェールズでは、一八六一年に、機械の生産に従 ンド稼いだ。仕事がひじように込むときには、彼らはもっと稼いだ。・ 事した者が六万八〇七人であったが、これは、工場主ならびにその事務員な れ以前には、彼らはいつでも糸の供給不足に悩んでいた。」 ( ギャスケル「イ どを含み、また、この部門における一切の代理人および販売人をも含んでい ギリスの工業人口」、ロンドン、一八三三年、二五ー二七頁。 ) る。これに反し、ミシンなどのような小機械の生産者、ならびに、紡錘など のような作業機用道具の生産者は除外されている。技師の総数は三三二九人 機械経営によって比較的少数の労働者をもって提供される であった。 原料・半製品・労働用具などの分量が増加するに応じて、こ 一 = 九鉄は最重要原料の一つであるから、ここでいっておくが、一八六一年 にイングランドおよびウ = ールズの製鉄工は一二万五七七一人であり、そのれらの原料や半製品の加工が無数の亜種に分化し、かくして うち一二万三四三〇人は男工、二三四一人は女ェであ「た。前者のうち三万社へ云的生産部門の多様性が増加する。機械経営は、マニュフ 八一〇人は二〇歳未満、九万二六二〇人は二〇歳以上であった。 アクチュアとは比較にならぬ程度に社会的分業を促進する。 * フランス語版への注、 「境界奴隷刪諸州とは、北部諸州と南部諸州 とのあいだの中間奴隷倒諸州のことであって、これらの州は、輸出用に飼育けだし機械経営は、それによって捉えられた事業の生産力を した黒人を家畜のように南部諸州に売る。」ーーー訳者。 比較にならぬほど高度に増加させるからである。 機械の直接的成果は、剰余価値を増加させると同時に、剰 労働対象がその最終形態に達するまでに通過せねばならぬ 前Ⅱまたは中間段階を機械が捉えるならば、その機械製品が余価値がそれで自らを表示するところの生産物量を増加させ ること、つまり、資本家階級が取巻き連といっしょに消費す 入りこんでゆくところの、まだ手工業的またはマニュファク チュア的に経営されている作業場では、労働材料とともに労る実体を増加させるとともに、この社会層そのものを増加さ 働需要が増加する。たとえば、機械紡績業が糸をきわめて安せることである。彼らの富の増大と、第一義的生活手段の生 しやし く豊富に提供したので、手織工たちはさしあたり、支出を増産に必要な労働者数のたえざる相対的減少とは、新たな奢侈

7. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

五一年には二一万六八五一人であったが、一八六一年には一七万六一五一人 集中の促進が、新方法の基礎条件であった。同時に、一八四 にすぎなかった。一八五一年から一八七一年までに、イングランドでは、二 六年から一八五六年までに、 ーー養兎場や貧弱な牧場から豊 〇エーカー以下の借地農場は九〇〇以上も減少し、五〇ないし七〇エーカー 饒な穀物畑に作りかえられた東部諸州の広大な地面を別とし の借地農場は八二五三から六三七〇に減少した。一〇〇エーカー以下の他の すべての借地農場にあっても同じである。これに反し、同じ二〇年間に大備 ても、 耕地面積が四六万四一一九エーカーだけ拡張され 地農場の数は増加した。三〇〇ないし五〇〇エーカ 1 のものは七七七一から た。同時に農業従業者の総数が減少したことは、すでにわれ 八四一〇に、五〇〇工 1 カー以上のものは二七五五から三九一四に、一〇〇 ) われの知るところである。男女両性およびあらゆる年齢の本 〇エーカー以上のものは四九二から五八二に増加した。 一究牧羊夫の数は、一万二五一七人から二万五五五九人に増加した。 来的農耕民についていえば、その数が、一八五一年の一二四 一五 0 「イングランドおよびウェールズの国勢調査」、三六頁。 万一二六九人から、一八六一年の一一六万三一三七人に減少 ( 一四九 ) こよれば、今日の しかるにロヂャーズ教授の到達した結論冫 した。だから、イギリスの戸籍長官が「一八〇一年いらいの イングランドの農村労働者の状態は、一四世紀の後半や一万 借地農業者および農村労働者の増加は、農業生産物の増加と ま 0 たく不均衡だ」といっているのは正しいが、この不均衡世紀のそれはいうに及ばず、一七七〇ー一七八〇年時代のそ は、耕作面積の拡張・より集約的な耕作・土地に合体されてれと比較しても非常に悪化しており、「彼はふたたび農奴と なった」ーーしかも、食物も住居もおとる農奴となったので 土地の耕作にあてられた資本の未曾有の蓄積・イングランド ( 一五一 ) の農業史上に比類のない土地生産物の増加・土地所有者の地ある。ドクトル・ジ = リアン・ ( ンターは、その劃期的著作 「ハイ たる農村労働者の住居にかんする報告中でいう、 代収入および資本制的借地農業者の富の膨脹・とあい並んで ンド ( 農奴制時代に使われた農村労働者をあらわす名称 ) の 農村労働者人口が積極的に減少した最近の時代については、 さらにいっそう甚だしい。右の事情を、都市販売市場のたえ生活費は、彼の生活しうる、できるだけ低い額に固定されて ・ : 彼の賃銀や住家は、彼から搾り出される利潤の勘 ざる急激な拡大や自由貿易の支配といっしょにすれば、農村 労働者は、幾多の迂余曲折ののち、結局、彼らを筋書きどお定にはいらない。彼は借地農業者の勘定上ではゼロである。 ・ : 彼の生活維持手段は、つねに固定量として取扱われる。」 り幸福に酔わせるに相違ない状態におかれたのである。 「彼の収入のこれ以上の削減にかんしては、彼は、おれは何 一噐土地貴族はこの目的のために国庫からーーもちろん議会を通して 基金をきわめて低利に借出したが、借地農業者はこれを二倍にして償還せね ももたないから平気だ、ということができる。自分の生存に ばならなかった。 とって絶対的に不可欠なもの以外には何ももたないので、彼 一哭中位の借地農業者の減少は、殊に「国勢調査』中の「借地農業者の息 は、将来にかんしては何の心配もしない。彼は借地農業者の 子・孫・兄弟・甥・娘・孫娘・姉妹・姪」ー・ー・要するに借地農業者の使用す る彼じしんの家族員ーーの項目から、察せられる。この項目の人数は、一八起算点たるゼロに達している。何がどうなろうとも、彼は禍 ( 一四八 ) ( 一五ニ ) ( 一五三 )

8. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

労賃が同じように低くてしかも労働の苦しさが増したというの基礎をなす。われわれはここに、ふたたび、過少支払と過 こと、農村における困窮がふたたび新たな恐慌を生じそうだ度労働を「人口過剰化」の組織的手段とする前述の家内労働 . ということであった。その原因は簡単である。農業上の革命制度を発見する。最後に、人口減少は、資本制的生産の発展 が移民と同じ歩調で行なわれた。相対的過剰人口の生産が絶した国におけるような破壊的結果を伴なうことはないとはい 対的人口減少よりも急速に行なわれた。表 o を一見すれば、 え、内地市場にたえざる反撃を加えずにはおかない。移住に 農耕〔地〕の牧場化がアイルランドではイングランドでより よってこの国に生みだされる空隙は、地域的労働需要を縮小 も激しく作用せざるをえないことが分かる。イングランドでさせるばかりでなく、し / 売商人や手工業者や小営業者一般のⅢ は牧畜とともに蔬菜栽培が増加しているが、アイルランドで収入をも減少させる。表における六〇ポンドないし一〇〇 はそれが減少している。従来の耕作地の大きな部分が休耕さ ポンドの所得の減少はそのためである。 れたり永久的草地に転化される一方、これまで利用されてい I<KO 第二版への注。マーフイ「産業的、政治的、および社会的に見たア なかった荒地や泥炭沼の一大部分が牧畜の拡張に役だってい イルランド」、一八七〇年〔一〇三頁〕の表によれば、土地の九四・六 % 一〇〇エーカーまでの借地農場であって、五・四 % が一〇〇エーカー以上の る。中小借地農業者ーーー一〇〇エーカー以上を耕作していな 借地農場である。 いすべての借地農業者を私はこの部類に入れるーー・は、今な ( 一八六 O ) お、総〔借地農業者〕数のほぼ一〇分の八をなしている。彼ら アイルランドにおける日雇農村労働者の状態にかんする透一 は、以前とはまったく異なる程度で、資本制的農耕経営の競徹した叙述が、アイルランドの救貧法監督官の報告書 ( 一八 ( 一八六 争によってますます圧迫され、したがって、賃労働者階級に七〇年 ) にある。銃剣により、また、ときには公然ときには たえす新兵を供給する。アイルランドの唯一の大工業たる亜隠然の戒厳状態によってのみ無事な政府の役人として、彼ら - 麻布製造業は、成年男工を要することが比較的すくなく、ま は、イングランドにおける同僚が軽蔑するようなあらゆる用 た総じて、一八六一 ー六六年の棉花騰貴以来のその拡張にも語上の顧慮を払わねばならぬのであるが、それにもかかわら かかわらす、人口中の相対的にはとるに足りない一部分しかず彼らは、彼らの政府が安心して幻想にふけることを許さな 就業させない。他のどの大工業でもそうであるが、亜麻布製 。彼らのいうところによれば、農村の賃銀率は今なお極め 造業も、それによって吸収される人員が絶対的に増加する場て低いのであるが、それでも最近一一〇年間に五〇ないし六〇 合でさえ、それじしんの領域内での絶えざる動揺によって、 % も昻騰して、現在では平均して、週に六ないし九シリング たえす相対的過剰人口を生みだす。農村民の困窮は、その労となっている。だが、こうした外観的騰貴の背後には現実の 働者軍の大部分が農村に散在している巨大なシャツ工場など賃銀下落が隠されている。けだし、その騰貴はけっして、そ、

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ス女王の聖代における宗教の改革および国定、ならびに、イングランド教会令、一六四九年六月一一五日の連合諸州の告示、などである ( におけるその他さまざまな事件にかんする年誌」、第二版、一七二五年、第 かくして、暴力的に土地を収奪され、追放され、浮浪民と 二巻。 ) 同じストライプによれば、サマーセットシャーでは、ただ一年間に された農村民は、グロテスクでテロル的な法律によって鞭う 四〇人が死刑にされ、三五人が烙印され、三七人が鞭うたれ、そして一八三 「こうした多数の 人の「絶望的悪漢」が釈放された。しかも彼はいう、 たれ、烙印され、拷問されて、賃労働制度に必要な訓練を仕 被告人も、治安判事の怠慢と人民の愚直な同情とのおかげで、じっさいの犯 込まれた。 「イングラン 罪者の五分の一にも達していない」と。しかも彼はいう、 一方の極には労働諸条件が資本として現われ、他方の極に ドにおける他の諸州の状態は、サマ 1 セットシャーより良かったわけでは決 してなく、幾多の州の状態はいっそう悪くさえあった」と。 は自分の労働力いがいに売るべき何物ももたない人々が現わ ジェームズ一世、ーー・放浪して乞食する者は、放浪者であ粥れる、というだけでは充分でない。また、彼らをして余儀な り浮浪民だと宣告される。小裁判所の治安判事は、彼らを公く自由意志で自分を売らせるだけでも充分でない。資本制的 然と鞭うたせ、初犯者は六か月、再犯者は二か年、入獄させ生産の進行につれて、教育や伝統や慣習により、この生産様 る権限を有する。入獄中は、治安判事が適当と考える度ごと式の要求を自明な自然法則として承認するような、労働者階 に、また適当と考える数だけ、彼らを鞭うたせることができ級が発展する。発達した資本制的生産過程の組織は、あらゆ る。 : : : 矯正の見込みがない危険な放浪者は、左肩にの字る抵抗を打破し、相対的過剰人口のたえざる生産は、労働需 を烙印されて強制労働を課され、再度乞食中を捕えられると給の法則したがって労賃を資本の増殖慾に照応する軌道内に 容赦なく死刑にされる。一八世紀の初期まで有効だったこれ たもち、経済的諸関係の無言の強繝は、労働者にたいする資 らの法規は、アン第一二年の条例第一一三号によって初めて廃本家の支配を確立する。経済外的・直接的暴力もあいかわら 止された。 ず用いられはするが、それはただ例外的である。ものごとが 類似の法律はフランスにもあって、フランスでは一七世紀 普通に進行するばあいには、労働者はやはり「生産の自然法 の中ごろ、 ( リに浮浪民王国 (royaume des truands) が設則ーにーーすなわち、生産諸条件そのものから発生し、それ けられていた。まだルイ一六世の初期 ( 一七七七年七月一三らによって保証され永遠化されるところの、資本への彼の従 日の勅令 ) には、一六歳から六〇歳までの強壮者で生計の資属にーーー委されうる。資本制的生産の史的創生記中では趣き が異なる。新興ブルジョアジーは、労賃を「調整」する がなく職業についていない者は、すべてガレー船〔呶隷または処 がれ〕に送られた。これに似ているのは、 = ーデルランドにすなわち貨殖に適合する制限内に押しこめるーーために、ま たいする一五三七年一〇月のカール五世の法令、オランダの た労働日を延長し労働者そのものを標準的従属度で維持する 諸州および諸都市にかんする一六一四年三月一九日の第一勅ために、国家的暴力を必要とし、利用する。これこそは、い きようせい

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だしく改良されているので、旧式機械糸をもってするよりも 多量かっ優秀な織物が生産される」と。工場検査官 << ・レッ ドグレーヴはつけ加えていう、 「生産を増加しながら労 働者を減少することは急速に進行している。羊毛工場では近 ごろ新たに職工が減少しはじめたが、その減少は今もつづい ている。ロッチデール附近に住む一学校長が数日前に私に語 ったところによれば、女学校における大減少は恐慌の圧迫の せいばかりでなく、羊毛工場の機械における変化ーーーその結 果として七〇人の半時間工の平均節減が行なわれたーーーのせ いでもある」と。 = 00 「一八五八年一〇月三一日の工場検査官報告」、四三頁。 = 0 一「一八五六年一〇月三一日の : : : 報告」、一五頁。 = 9 一ユーア「マニ、ファクチュアの哲学」、一九頁。「煉瓦製造業で使用さ れる機械の大利益は、その使用者を完全に熟練労働者から独立させる点にあ る。」 ( 「児童労働調査委員会、第五回報告」、ロンドン、一八六六年、一八〇 頁、第四六号。 ) 第二版への追加。「グレート・ノーザーン鉄道」の機械部長 < ・スタッ ク氏は、機械 ( 機関車など ) の製作について語る、 「高価なイギリス人 労働者の使用は日々減少する。生産は、改良された用具の使用によって増加 されるのであって、これらの用具は、低級な種類の労働によって扱われる。 ・ : 以前には、熟練労働者が必然的に蒸気機関のあらゆる部分を生産した。 いまでは同じ諸部分が、熟練さはおちるが優秀な用具をもってする労働によ って生産される。 : ・用具というのは、機械製作のさいに使用される機械の ことである」と。 ( 「勅命鉄道委員会、証言記録」、ロンドン、一八六七年。 第一七八六二号および第一七八六三号。 ) = 0 三ューア「マニュファクチュアの哲学」、二〇頁。 一一品同上、三二一頁。 = 0 五同上、二三頁。 = 実「一八六三年一〇月三一日の工場検査官報告」、一〇八頁以下。 ( 二 0 七 ) ( 一一 0 六 ) = 宅同上、一 0 九頁。棉花恐慌中における機械の急速な改良によって、イ ギリスの工場主たちは、アメリカの南北戦争が終るや、たちまち世界市場を、 ふたたび充溢させることができた。織物はすでに、一八六六年の終り六か月・ 中にほとんど売れなくなった。そこで、中国およびインドへの商品委託販売・ が始まったのであるが、これはもちろん「充溢」をさらに甚だしくした。一 八六七年早々に、工場主たちは、例の応急策に訴えて、労賃を五 % だけ引下 げた。労働者はこれに反対して、理論上まったく正当にも宣言した、ーー唯 一の救済策は操業短縮、すなわち一週間に四日労働とすることだ、と。長い あいだ反抗したのち、自称産業船長たちは、そうする決心をせねばならなか った、ーー若干の場合は五 % の賃銀引下げを伴ない、他の場合にはそれを伴・ なわないで。 つぎの表は、イギリスの綿業における、アメリカの南北戦 . 争におう機械的改良の総成果を示すものである、 工 場数 一八五八年一八六一年一八六八年 イングランドおよびウェールズ : 一一、 C 四六 一一、四 0 耳 スコットランド : アイルランド : 連合王国・ : 一一、五四九 蒸気織機数 イングランドおよびウェールズ : 三四四、七元 スコットランド 三、四 アイルランド : 連合王国 : ・ 三芫、三一一九・・ 紡錘数 イングランドおよびウェールズ : ・一一五、八一公五一一公三五一一、一五一一三 0 、岩公一一一 I<• スコットランド 一一、 0 四一、一元一、九一五、三犬一、三九七、五四六 アイルランド 一一九、九四四 一石五、五九 0 三、六一一四 一、六三三 一一九公八岩 三六公一一一五 三 0 、一一 0 一、七吾 三究、究一一 一六三