校と称する場所ーーその証明書を彼らは法律上完全な効力あ い空気があわれな児童そのものの元気をなくしてしまう。私 るものと認めねばならなかったーーのべらぼうな状態を摘発のおとずれた学校の多くでは、見たところ、いならぶ児童た した。彼らが成就したのは、一八四四年いらい「通学証明書ちが全く何もしていなかった。しかもこれが通学として証明 における数字は教師の手で書かれ、また、教師の姓名は教師されるのであって、こんな児童が、公けの統計では既教育者 ( 一三九 ) によって自署されねばならぬ」ということにすぎなかった。 として現われるのである」。スコットランドの工場主たちは、 スコットランドの工場検査官サー・ ジョン・キンケイドも同通学義務のある児童はできるだけ排除しようとする。「この じような公務的経験を語っている。「われわれがおとずれた ことは、教育条項にたいする工場主たちのひどい嫌悪を証明 ( 一四 0 ) 最初の学校はアン・キリン夫人なるものによって営まれてい するに充分である。」このことは、独自の工場条例によって た。彼女の名前の綴りをたずねると、彼女はすぐ間違いをや規制されている更紗などの捺染所では、奇怪で恐るべき現象 った。というのは、彼女は自分の名を O という頭文字から書を呈する。法律の規定にしたがえば、「すべて児童は、こう き始めたが、すぐ訂正してから始まるのだといった。とこ した捺染所で就業する前に、初めて就業する日の直前六か月 ろが、通学証明簿における彼女の署名を見て、私は彼女がそ中に、少なくとも三〇日間、しかも一五〇時間以上通学して れを様々に綴っていたのに気がついたのであって、一方、筆おらねばならない。捺染所で就業がつづけられる間は、彼は 蹟を見ても彼女の教授無能力は疑いの余地がなかった。彼女六か月ごとに、やはり三〇日間にわたり一五〇時間だけ通学 せねばならない。・ じしんも記帳できないことを認めた。・ : : ・第一一の学校には、 ・ : 通学は、午前八時から午後六時までの 奥行一五フィート」 で口一〇フィー トの教室があったが、こ 間に行なわれねばならない。同じ日に二時間半以下または五 の室には七五人の児童がいて、彼らは何か分らぬことをしや時間以上の通学は、一五〇時間の一部として計算されてはな ( 一三 ^ ) べっていた。」「だが、児童が通学証明書を貰いながら何らのらない。普通の事情のもとでは、児童たちは三〇日間、午前 授業も受けないのは、こうした苦難場ばかりではない。とい と午後とに毎日五時間ずつ通学し、三〇日たって法定の一五 うのは、有能な教師のいる多くの学校でも、三歳以上のあら〇時間に達すると、すなわちーー・彼らじしんの言葉でいえば ゆる年齢の児童が騒然と密集していては、教師が骨をおって 彼らの帳簿が出来あがると、捺染所に帰って、そこに再 もほとんど全く役にたたないからである。彼の生計はどうせび、つぎの通学期がくるまで留まるのであって、それから再 みじめなもので、一室につめこめるかぎりの児童から受取るび、帳簿がまた出来あがるまで学校に留まる。 ・ : きわめて はした金の支払に依存している。加うるに、学校の備品は貧多くの少年は、規定の一五〇時間のあいだ通学していても、 弱で、書物その他の教材が不足しており、息づまるような臭六か月間捺染所にいってから再び学校に帰ってきた時には、 ( 1 三七 )
これは、貧乏な婦人によって、その小屋で営まれている。こ約七〇〇〇人は児童であった。ここでは、レース学校の代わ の学校では、児童が、五歳からーー時としてはもっと幼い頃りに「麦藁細工学校」が現われる。ここでは児童が、通常四 からーー一二歳ないし一五歳まで、最初の一年間は最年少者歳ーーしばしば三、四歳の間 から麦藁細工の授業を受け で四時間ないし八時間、後には朝の六時から晩の八時や一〇はじめる。もちろん、教育はちっとも受けない。児童たち自 時まで、労働する。「部屋は一般に小さい小屋の居室であっ身は、 / 学校のことを「自然学校」と呼んで、飢餓にひんし て、煙突は換気を避けるために塞がれており、そこにいる者た母親から命ぜられた製品をーーたいてい毎日三〇ャードず は、冬でもしばしば自分じしんの体温だけで保温している。 っーー仕上けるために労働だけさせられるこの吸血設備と区 その他のばあいでも、このいわゆる教室は、煖炉のない小さ 別している。こうした母親は、彼らを、時にはその後も自宅 い物置に似た場所である。 : この穴のような部屋へ人を詰 で夜の一〇時、一一時、一二時まで労働させることがある。 めこむこと、およびその結果たる空気の汚濁は、しばしば極彼らは麦藁で指やロを切る、 ロで麦藁をいつも漏らすた めである。ドクトル・・、 端である。そのうえに下水や便所や、小さい小屋への通路に / ラードによって概括されたロンドン ありがちな腐敗物その他の汚物の、有害な作用が加わる。」 の医官たちの全体的意見によれば、寝室または作業室では、呼 空間についていえば、 「あるレース学校では、一八人の 一人あたり三〇〇立方フィート が最小空間である。ところが 少女と女教師とで、一人あたり三五立方フィートである。臭麦藁細工学校では、一人あたりの空間の割当てがレース学校 くてたまらないもう一つのレース学校では、一八人で、一人でよりもさらに少なく、一二立方フィー 一七立方フィ ート、一八立方フィートというふうで、二二立方フィート あたり二四立方フィート半である。この産業では二歳や一一歳 委員 半の児童が使用されている有様である。」 以下である。「こうした数字で小さいのになると、 一「児童労働調査委員会、第二回報告、一八六四年」、別付、二九、三〇頁。 ホワイトはいう、 工 ト立方の箱に詰めこまれた場 大 ・ハッキンガムやべッドフォード と の地方州のレース編み業が 合に児童がえる空間の半分以下の空間しか示さない。」これ ートフォ が、一一一歳または一四歳までの児童の享受する生活である。 機やむところで、麦藁細工業が始まる。これは、ハ 章 ドシャーの一大部分、および、エセックスの西部および北部窮乏し頽廃した親たちは、児童からできるだけ多く搾り出す 一にわた「て行なわれている。一八六一年には、麦藁細工およ ことしか考えていない。成長すれば、児童たちは当然、親の 第 び麦藁帽子製造業における就業者が四万四三人あって、その ことなどは微塵も気にかけないで、これを見棄ててしまう。 5 うち三八一五人はあらゆる年齢の男子であるが、その他は女「こうした育ちの住民のあいだに無智と悪徳がみちあふれて 子で、しかも一万四九一三人は一一〇歳未満であり、そのうち いるのは、なんら驚くにあたらない。 ・ : 彼らの徳性はどん
は、彼らじしんの日々のパンのために働かせるためにさえ : : : 利用された。 では今なお、少なくとも一一〇〇〇人の少年が、生きた煙突掃 彼らは、こうした不釣合な労苦に耐える力もなく、彼らの将来の生きかたに 除機として ( それにかわる機械があるのに ) 彼ら自身の親た かんする教導もなく、肉体的にも精神的にも汚辱された状態に投げこまれ ちによって売られる。機械によってひきおこされた労働力の た。ユダヤの歴史家は、ティッスによるエルサレムの破壊について語った、 無情な母親がどうにもならぬ飢餓の慾望を充たすために自分じしんの子 買手と売手とのあいだの法律関係における革命は、 供を犠牲にするとき、この町がこうしたひどい有様に破壊されたということ して全取引そのものが、自由な人格どうしの間の契約という は、なんら不思議ではなかった、と。」 ( 「公経済概論」、カーライル、一八三 のちにいたってイギリス議会に 仮象を失うのであるが、 三年、六六頁。 ) 一 = 三「一入五八年一〇月三一日の工場検査官報告」における < ・レッドグレ たいし、工場制度への国家的干渉のための法律的口実を与え ーヴ。四〇、四一頁。 た。これまで拘東されていなかった産業部門における児童労 一品「児童労働調査委員会、第五回報告」、ロンドン、一八六六年、八一頁、 働を工場条例が六時間に制限するたびに、いつでも工場主た ベスナル・グリーンの絹業は今ではほと 第三一号。 ( 第四版のために、 ・エンゲルス。 ) んど減んでいる。 ちのつぎのような苦情が聞こえる、ーー親たちの一部は、規 一「児童労働調査委員会、第三回報告」、ロンドン、一八六四年、五三頁、 制された産業から児童をひきとって、なお「労働の自由」が 第一五号。 支配的に行なわれている部門、すなわち、一三歳未満の児童 一実同上、第五回報告、別付二三頁、第一三七号。 が大人と同じように労働することを強制される・したがって 機械が、最初にはその基礎上で成長する工場において直接 またより高価に売りとばされうる・部門へ売るのだ、と。だ に・ついでは他のすべての産業部門において間接に・資本の が、資本は生れながらに水平主義的であるから、すなわち、 すべての生産部面において労働の搾取条件の平等を自己の天搾取に委ねるところの、児童・少年少女・ならびに労働婦人 賦人権として要求するのであるから、一産業部門における児の肉体的荒廃は、すでに以前に示唆されたところである。だ 灯童労働の法的限は、他の産業部門におけるその制限の原因からここでは、幼児期における労働者児童 0 尨大な死亡率と ととなる。 械 うち一六区では、一歳未満の生存児一〇万につき年平均死亡 機 一一三イギリスの工場における婦人“および児童労働の制限は成年男子労働 数がわずか九〇〇〇 ( 一区ではただの七〇四七 ) であるが、 章 者によって資本から奪取された、という偉大な事実との対照において、「児 二四区では一万以上一万一〇〇〇以下、三九区では一万一〇 童労働調査委員会ーの最近の報告書中には、なお、児童商売にかんする、労 第 働者の親たちの真に厭うべく全く奴隷商人的なやり方が見られる。ところが 〇〇以上一万二〇〇〇以下、四八区では一万二〇〇〇以上一 資本家的偽善者は、同じ「報告」を見ればわかるように、彼自身によって生 万三〇〇〇以下、一一二区では一一万以上、二五区では一一万一 0 み出され・永遠化され・利用されているこの蛮行ーーーこれを彼は、ほかの場 合には「労慟の自由」と呼んでいるー・・を非難している。「児童たちの労働〇〇以上、一七区では一一万一一〇〇〇以上、一一区では一一万三 ご 1 ロ
やっと一八三三年のーー木棉工場、羊毛工場、亜麻工場、 を成年労働日の最大限まで拡大する必然性を生する、という および絹工場を包括するーーエ場条例いらい、近代的産業に点にある。成年の労働を制限しないで、 もしこれを制限一 とって標準労働日が始まる。一八三三年から一八六四年まですれば、予防しようとするこの弊害よりも大きな弊害が生す のイギリスの工場立法の歴史以上に、資本の精神をよく特徴るであろう、 この弊害を救治する唯一の手段は、一一組の づけるものはない , 児童を使用する計画だと思われる」〔「中央委員会会議、第一回報】 一八三三年の条例の宣言によれば、普通の工場労働日は朝告」、一八三三年六月二八日、五三頁〕と。かくして、リレー制度 の五時半に始まって晩の八時半に終るべきものとされ、そし ( ご S ミ of 代 2 リレーという一一一一口 ~ 茱は、一央でも。 て一五時間というこの限度内では、未成年者 ( すなわち一三 フランス語でも、駅々で郵便馬車の馬をかえることを意味す 歳ないし一八歳の人々 ) を一日のうちどんな時間に使用して る ) という名称のもとで、たとえば朝の五時半から午後一時・ かえうま も、一個同一の未成年者を一日のうちに一二時間以上労働さ半までは九歳ないし一三歳の一組の児童が換馬され、午後一 せなければ、ある種の特定の場合をのぞいて、合法的とされ時半から晩の八時半まではもう一組の児童が換馬されるとい る。この条例の第六節の規定では、「かように労働時間を制 うふうにして、この「計画」が実施された。 限された各人は一日のうちに少なくとも一時間半の食事時間 工場主諸君が、過去一三年間に議会を通過した児童労働に を与えられるべきもの」となっている。九歳未満の児童の使かんする一切の条例をもっとも鉄面皮に無視したことの報酬 用は、後にのべる例外はあるが禁止され、九歳ないし一三歳として、今やまた、彼らに苦言が遠まわしに呈された。議会 の児童の労働は一日八時間に制限された。夜間労働、すなわの規定したところでは、一八三四年三月一日以後一一歳未満 ち、この条例によれば晩の八時半から朝の五時半までの労働の児童は、一八三五年三月一日以後一二歳未満の児童は、一八 は、九歳ないし一八歳の人々のすべてについて禁止された。 三六年三月一日以後一三歳未満の児童は、工場において八時・ というのである。「資本ーにと一 立法者たちは、成年労働力を吸取する資本の自由ーーまた 間以上労働してはならない ! ってかくも寛大な「自由主義」は、ファー博士、サー・ << ・ は、彼らの名づける「労働の自由」ーーを侵害する気は毛頭 カーライル、サー・・プローディ、サー・ O ・ベル、ガス なかったのであって、彼らは、工場条例のこうした身の毛も リ氏など、要するにロンドンのもっとも著名な医師たちが 八よだつような結果を防止するために独自な制度を案出したほ どである。 下院における彼らの証言で、遅滞は危険だ ! とすでに宣言 していたので、ますます賞讃に値するものであった。ファー 一八三三年六月一一五日の中央委員会会議の第一回報告書に 「現行工場制度の大きな弊害は、それが児童労働博士はさらに幾らか不作法にいった、 「生じうべきあら喞
こうした事情のもとで工場主と労働者とのあいだに妥協が にのせてやらねばならぬような小さい児童たちの血から、毎 ( 一七ニ ) 幻できたが、その妥協は、一八五〇年八月五日の新たな追加工日一〇時間すっ絹を紡ぎ出すことを妨げられはしなかった。 場条例において議会の確認をえた。「未成年者および婦人」 一八四四年の条例は、なるほど彼らから、一一歳未満の児童 については、 , 労働日が最初の五週日には一〇時間から一〇時を六時間半以上こき使う「自由」を「奪った」が、その代わ り彼らにたいし、一一歳ないし一三歳の児童を毎日一〇時間 間半に増加され、土曜日には七時間半に制限された。労働は 朝の六時から晩の六時までの時限におこなわれ、食事のためずつこき使う特権を保証し、しかも、他の工場児童のために の一時間半の休息は同時に、かつ一八四四年の諸規定にした規定された修学義務を免じた。こんどの口実は、「織物のし なやかさは指先の柔かさを必要とするが、その柔かさは幼い がって与えられねばならない、等々。かようにして、リレー 二七 0 ) とき工場にはいることによってのみ保証される」というので 制度がすっかり見られなくなった。児童労働については一八 あった。しなやかな指のために児童たちがすっかり屠られた 四四年の条例がなお有効であった。 一究冬期には、朝の七時から晩の七時までのあいだの時限に変えることが のであって、それはあたかも、南ロシアにおける有角家畜が できる。 皮と脂肪とのために屠られたのと同じである。ついに一八五 宅 0 「現行条例 ( 一八五〇年の ) は一つの妥協だったのであって、その妥協 で労働者たちは、労働時間を制限されている人々の労働の開始時間および終〇年には、一八四四年に与えられた特権が絹撚糸部門と絹捲 了時間を斉一にするという利益をえるために、一〇時間条例の恩恵を放棄し取部門とに制限されたが、しかしここでは、「自由 , を奪わ たのである。」 ( 「一八五二年四月三〇日の : : : 報告」、一四頁。 ) れた資本の損害賠償のために、一一歳ないし一三歳の児童の こんども以前と同じように、ある部類の工場主たちが。フロ労働時間が一〇時間から一〇時間半に増加された。その口実 レタリア児童にたいする特殊な領主権を確保した。それは絹は、「労働が絹工場においては他の工場におけるよりも容易 ( 一七四 ) 工場主たちであった。すでに一八三三年に彼らは威嚇的にわであり、また決してさほど健康に有害でない」ということに 「年齢のいかんをとわす児童を一日に めきたてていた、 あった。後にいたり、政府によってなされた医師の調査によ 一〇時間すっこき使う彼らの自由が奪われるならば、彼らの ると、その逆に「絹業地方における平均死亡率は例外的に高 工場は休止させられるであろう。」彼らは一三歳以上の少年 く、住民の婦人部分のあいだではランカシャーの綿業地方に ( 1 七五 ) を必要数だけ購入することは不可能である、と。彼らは、望おけるよりも高くさえあるーということが証明された 1 工場 むところの特権を強奪した。この口実は、その後の調査によ検査官たちが半年ごとに繰返して抗議しているにもかかわら ( 一七六 ) って全くの嘘だと分かったが、しかし彼らは、そのことによず、不正が今日にいたるまで続けられている 9 宅一「一八四四年九月三〇日の : : : 報告」、一三頁。 っては、一〇年間にわたり、仕事をさせるために腰掛けの上 つむ ( 一七三 ) ほふ 308
刷した注意書きを工場内にかかげねばならない。午前の労働律によって資本にささげねばならない「工場児童の追加的供ー を一二時以前に始めた児童は昼の一時以後にふたたび使用さ 給」を保証するために、使役すべき児童の最低年齢を九歳か・ れてはならない。だから、午後組は午前組とは別の児童たちら八歳に引下げた。 から成りたたねばならない。食事のための一時間半はすべて 一巴「彼らの労働時間の短縮は、使用されるべき ( 児童の ) 数を多くするで・ の被保護労働者に同じ時刻に与えられ、少なくとも一時間は あろうから、八歳から九歳までの児童の追加的供給が増加した需要を充たす・ であろう、と考えられた。」 ( 「一八四四年九月三〇日の : : : 報告」、一三頁。 ) - 午後三時以前に与えられねばならない。児童または未成年者 は、食事のための少なくとも半時間の休なしには、午後一時 一八四六ー四七年はイギリスの経済史において時代を劃す 以前に五時間以上使用されてはならない。児童、未成年者ま るものである。穀物法が廃止され、棉花その他の原料にたい たは婦人は、どの食事時間にも、何らかの労働過程が行なわする輸人税が撤廃され、自由貿易が立法上の導きの星だと宣、 れている工房内に留められてはならない、等々。 言された ! 要するに千年至福の王国が始まった。他方、同 . すでに見たように、労働の時期・限界・休止を時計の音に じこれらの年には、チャーチスト運動と一〇時間運動がその ふくしゅう よって軍隊式にきちんと規制するこれらの精密な規定は、け頂点に達した。それらの運動は、復讐しようと息まくトーリ っして議会の空想の産物ではなかった。それらは、近代的生党において同盟者を見いだした。・フライトやコプデンを先頭 , ぜんじ 産様式の自然諸法則として、諸関係から潮次に発展したのでとする、約東を守らない自由貿易軍の熱狂的な反抗もかか ある。それらの自然法則の定式化、公認、および国家的宣言わらす、かの長いあいだ追求された一〇時間法案が議会を通 は、長期にわたる階級闘争の産物であった。それらの法則の過した。 もっとも手ちかな結果の一つは、実践が成年男子工場労働者 一八四七年六月八日の新エ場条例は、一八四七年七月一日 の労働日をも同じ制限にしたがわせたーーーけだし、たいてい には「未成年者ー ( 一三歳ないし一八歳の ) およびすべての の生産過程においては、児童、未成年者、および婦人の協業婦人労働者の労働日を暫定的に一一時間に短縮し、一八四八 が不可欠だからーーーということであった。だから大体におい 年五月一日にはこれを決定的に一〇時間に限すべきことを て、一八四四ー四七年の期間のうちに、一一一時間労働日が、 確定した。その他の点では、この条例は一八三三年および一 工場立法にしたがわせられたすべての産業部門において一般八四四年の条例の修正的追加にすぎなかった。 的かっ斉一的に行なわれた 9 資本は、一八四八年五月一日におけるこの条例の完全実施 . だが工場主たちは、代償的な「後退」なしには、この「進を妨害するために予備戦を企てた。しかも、労働者たち自身 ~ 歩」を許さなかった。彼らの刺戟によって、下院は、神と法が、経験によって利巧になったと称して彼ら自身の事業の破、
( 二九ル ) = 九四「児童労働調在委員会、第五回報告」、別付一五頁、第七一一ー七四号・ 気づいてやってくる少年とは、とうてい竸争しえない。」一 = 九五「一八六五年一〇月三一日の工場検査官報告」、一二七頁。 八六三年のエデイイハラにおける社会学大会でのシーニョア 一一突経験によって知られているところでは、健康な平均人ひとりが中位の の演説をみると、もっと詳しい証明がある。彼はこの演説中 強さの呼吸をする度に約二五立方インチの空気が消費され、一分間の呼吸は 約二〇回である。これによれば、二四時間における一人の空気消費量は約七 で、なかんずくまた、上流および中流階級の児童の一面的な四 二万立方インチ、すなわち四一六立方フィートとなる。ところが、人の知る 不生産的で長すぎる授業時間は教師の労働を無益に増加させ ごとく、ひとたび呼吸された空気は、それが自然の大作業場で清浄化されな るが、「それはまた、児童の時間や健康やエネルギーをいた いうちは、もはや同じ過程には役だちえない。ヴァレンティンおよびプルノ ( 三 0 0 ) ナーの実験によれば、健康な男は毎時間、約一三〇〇立方インチの炭酸ガスずらに浪費するばかりでなく、絶対有圭口に浪費する」ことを を吐きだすように思われる。二四時間で約八オンスの固形炭素が肺から排出暴露している。詳しいことはロ・ ( ート・オーウエンを研究す されるわけである。「各人が少なくとも八〇〇立方フィートをもたねばなら れば分かることだが、将来の教育ーー社会的生産を増大する ない。」 ( ハックスリゞ ための一方法としてのみならず、全面的に発達した人間を生 工場条例の教育条項は、概して貧弱に見えるとはいえ、初繝産するための唯一の方法として、特定の年齢以上のすべての ( 一一九七 ) 等教育をもって労働の強制条件だと宣言した。この条項の成児童のために生産的労働を知育および体育と結びつけるであ ( 二九八 ) 功は、はじめて、教育および体育と筋肉労働とのーーしたが ろうところの、将来の教育ーーの萌芽は、工場制度から発生 ってまた筋肉労働と教育および体育とのーー結合の可能性をしたのである。 証明した。工場検査官たちがやがて教師の証人訊問によって = 宅イギリスの工場条例によれば、親たちは、一四歳未満の児童を「取締 られている」工場に送るためには、同時にその児童に初等教育を受けさせね 発見したところでは、工場児童たちは正規の昼間生徒にくら ばならない。工場主は工場条例を守る義務をおうている。「工場教育は強制 べて半分しか授業を受けないとはいえ、同じだけ学習してお 的であって、労働の一条件である。」 ( 「一八六三年一〇月三一日の工場検査 り、またしばしば、より多く学習していることもある。「事 官報告」、一一一頁。 ) = 九 ^ 工場児童や貧窮生徒の体育 ( 少年にたいしてはまた軍事教練 ) を強制 態は簡単である。学校に半日しかいない生徒たちは、つねに 教育と結びつけることの極めて有益な結果については、「議事報告」、ロンド 新鮮であって、ほとんど何時でも授業を受けいれることがで ン、一八六三年、六三、六四頁所載、「社会科学振興国民協会」の第七年度 き、また受けいれようとしている。半労半学の制度は、労働 大会における Z ・・シーニョアの演説、ならびに、一八六五年一〇月三一 日の工場検査官報告、一一八、一一九、一二〇、一二六ー八頁を見よ。 と授業との各々を他方から見れば休息および気晴らしたらし = 究「エ圷検査官報告」、同上、一一八頁。ある素朴な絹工場主は「児童労 め、したがって児童にとっては、両者の一方を中断なくつづ 働調査委 " 員会」の調査委員に説明していう、 「有能な労働者を生産する ひけっ ける制度よりもはるかに適切である。朝早くから学校に出て 真の秘訣は、幼年期から労働と教育とを結合する点にある、ということは全 いる少年は、殊に暑いときには、、 しそいそと労働によって元 く確かです。もちろん、労働は激しすぎてもいけず、不快で不健康なもので
318 ためには、いまや四人が、資本のために労働ばかりでなく剰 アメリカの新聞広告によくあったような、黒人奴隷にたいす 余労働を提供せねばならない。かくして機械は、そもそもの る需要に似ている。たとえばイギリスのある工場検査官はい 最初から、資本の固有独自の搾取領域たる人間的搾取材料と う、「私の管区の最も重要な工業都市の一つにおける地方新 同時に、搾取度を拡大する。 聞のつぎのような広告が、私の注意をひいた、 一三歳と 一 = 一「ますますさかんに、男子労働者に代えるに婦人労働者をもってし、ま見なされうるよりも幼くない一一一人ないし一一〇人の少年を求 ( 一ニ三 ) た殊に、成年労働者に代えるに児童労働をも。てすることによ。て、労働者む。賃銀は一週四シリング。申込みは云々」と。「一三歳と の数が甚だしく増加した。週に六シリングないし八シリングの賃銀をとる一 見なされうる」という一一一口葉は、工場条例によれば一三歳未満 三歳の三人の少女が、一八シリングから四五シリングの賃銀をとる一人の成 年男子にとって代わった。」 (8 ・ド・クインシー「経済学の論理」、ロンド の児童は六時間しか作業させられえない、ということに連関 ン、一八四四年、一四七頁への注。 ) 特定の家族的職分、たとえば児童の世する。公認証明医が年齢を証明せねばならない。だから工場 話や養育などは完全には抑圧されえないのだから、資本によって徴用された 主は、すでに一三歳であるかに見える少年を要求する。最近邨 母親は、多かれ少なかれ代理者を雇わねばならない。家族の消費のために必 要な労働、たとえば裁縫や継ぎはぎのごときは、既製品の購入によって補わ 二〇年間のイギリスの統計をみて驚かされるような、工場主 れねばならない。かくして、家庭的労働の支出が減少するのに照応して、貨 によって使用される一三歳未満の児童総数のしばしばなる突 の支出が増加する。したがって、労働者家族の生産費が増加して、剰余収 然の減少は、工場検査官じしんの供述によれば、大部分は公 入を相殺する。しかもなお、生活手段の利用および準備における節約と合目 認証明医たちの仕わざであって、彼らは児童の年齢を、資本 的性とが不可能になる。公認経済学によって隠蔽されたこれらの事実につい ごまか ては、工場検査官や「児童労働調査委員会」の「報告」、および、殊にまた家の搾取慾と親たちの行商人的慾望とに応じて胡麻化したの 「公衆衛生にかんする報告」中に富な資料が見いだされる。 である。ベスナル・グリーンというロンドンの悪評たかい地 機械はまた、資本関係の形式的媒介たる労働者と資本家と区では、毎月曜日と火曜日の朝、九歳からの男女児童がロン の契約を根本的に変革する。商品交換の基礎上では、資本家 ドンの絹業者に自らを賃貸する公開市場が開かれる。「普通 と労働者とが自由な人格として、独立の商品所有者ーーー一方の条件は、週に一シリング八。ヘンス ( これは両親のものとな は貨幣および生産手段の所有者、他方は労働力の所有者 る ) と、私じしんの手にはいる二ペンスならびに茶である」。 として、対応するということが第一の前提であった。ところ契約は一週間だけ有効である。この市場が開かれている間の ( 一ニ四 ) 力いまや資本は児童または少年を買う。労働者は、以前冫 こ光景と一一一一口葉使いは真に厭わしいものである。女房たちが「少 は、彼が形式的に自由な人格として勝手に処分した自分じし年を救貧院からつれだして、誰でも任意の買手に毎週一一シリ ( 一ニ五 ) んの労働力を売った。彼はいまや妻子を売る。彼は奴隷商人ング六ペンスで賃貸する」ということが、いまなおイギリス となる。児童労働にたいする需要は、しばしば形式上でも、 で行なわれている。立法があるにもかかわらず、大ブリテン
であり、また、しばしば穴のような臭い仕事場で取られるこ賃借りした一室で、しばしば屋根部屋でーー・・労働するばあい ともある。好況時には、労働が朝の八時 ( ときには六時 ) か には、事情はおそらくさらに悪いであろう。この種の仕事は、 ら夜の一〇時、一一時、または一二時まで続くことがしばし ノッティンガムの周囲八〇マイルの所まで出されている。間 ばある。イギリスの兵営では、兵士一人あたりの規定の空間屋で働いている児童が晩の九時か一〇時に退勤するときに が五〇〇ないし六〇〇立方フィート であり、衛戍病院でのそは、しばしば、彼にもう一東おみやげにもち帰らせて、それ れは一二〇〇立方フィート である。かの穴のような仕事場でを自宅で仕上げさせることがある。資本家という偽善者は、 は、それが一人あたり、六七ないし一〇〇立方フィートであこの仕事を渡すときには、もちろん、彼の賃銀奴隷の一人の・ る。同時に、ガス燈は空中の酸素を消費する。レースを汚さ 口を通して、「それはお母さんの分だ」という熱誠のこもっ ないためには、たとえ床が敷石や煉瓦で出来ていようとも、 た言葉をそえるのだが、その哀れな子供も寝ないで手助けせ ( ニ六 0 ) しばしば児童が冬でも靴を脱がされることがある。「ノッテねばならぬということを百も承知のうえである。 インガムでは珍しくもないことだが、おそらく一二フィート ニ究「児童労働調査委員会、第二回報告、一八六四年」、別付、一九、一一〇 1 平方以上はない小部屋に、一四人から一一〇人の児童が詰めこ 実 0 同上、別付、二一 、二六頁。 まれていて、彼らは、それ自体が退屈で単調なために疲れや すいうえ、可能なかぎりあらゆる非衛生的な事情のもとで行 レース編み業は、主として、イングランドの二つの農業 なわれる労働に、一一四時間のうち一五時間も従事している。 方ーー・デヴォンシャーの南海岸二、三〇マイルにわたり、北 きわめて幼い児童でも、驚くべき緊張した注意と速さをデヴォンの二、三の地方をふくむホ = トンのレース地域、お もって労働していて、指を休ませたり運動を緩めたりするこ よび、・ハッキンガム、べツ、、 トフォード、ノーサンプトン諸月 とはほとんどない。彼らは、ひとから問いかけられても、寸の一大部分とオクスフォードシャーおよび ( ンティンドンシ 刻を失うことを恐れて仕事から眼を離さない。」労働時間が ャーの隣接地方とを包括するもう一つの地域ーーで営まれて 延長されればされるほど、「長い棒切」が刺戟剤として「女 いる。普通には、農業日雇労働者の小屋が仕事場となってい 親方」の役にたつ。「児童たちは、単調で眼をいため姿勢が る。幾多の製造業主が三〇〇〇人以上のこうした家内労働者 変わらないために疲れやすい仕事に長時間つかされた終りこを使用しているが、それは主として児童と少女であり、もっ ろには、だんだん疲労して鳥のようにそわそわしてくる。さ ( 二五九 ) ばら女だけである。レース仕上げ業のところで述べた状態が ながら奴隷の仕事である。」婦人たちが自分の子供といっし ここでも繰返される。ただ異なるところは、「女親方の家」 ょに自宅でーーというのは、現代的意味でのそれであって、 の代わりにいわゆる「レース学校」が現われるのであるが、 ゆか えいじゅ
316 こよ、裸体の婦人や少 児童 ( 一〇歳未 ) の労働の禁止以前冫 : だから、機械の価格と、機械によって置換えられる労働 力の価格との差額は、機械の生産に必要な労働分量と、機械女をしばしば男子といっしょに炭坑その他の鉱山で利用する によって置換えられる労働の総分量との差額が同一不変であ方法が、資本から見ればその道徳法典および殊にその台帳と も一致するので、資本家が機械を採用したのはやっと右の禁・ っても、甚だしく変化することがありうる。だが、資本家じ しんにとっての商品の生産費を規定し、競争の強制法則によ止以後であった。ャンキーは石割機械を発明した。イギリス 人はそれを使用しない。というわけは、この仕事をする「貧 」ョ 4 って資本家を左右するのは、ただ第一の差額だけである。 アメリカだけで使用される機械が今日イギリスで発明される窮者」 („wretch" というのは農業労働者をあらわすイギリ ス経済学上の術語である ) に支払われるのは、彼の労働のう のは、また、オランダだけで使用された機械が一六世紀およ び一七世紀にドイツで発明されたのも、一八世紀のフランスちきわめて僅かな部分だけなので、機械は資本家にとっては における幾多の発明物がイギリスだけで利用されたのも、こ生産を高価にするに違いないからである。イギリスでは、と きおり、河舟を曳いたりするために、馬のかわりに今なお婦 うした理由からである。機械そのものは、古くから発展した 諸国では、若干の事業部門へのその充用によって、その他の人を使用することがある。けだし、馬や機械の生産に要する 諸部門において労働過剰 ( リカードのいわゆる redundancy 労働は数学的に与えられた分量であるが、これに反し、過剰 of labour) を生ぜしめ、そこで、これらの部門では労働力人口中の婦人の維持を要する労働はどんなにでも計算できる からである。ほかならぬ機械の国たるイギリスにもまして恥 の価値以下への労賃の下落が機械の使用を阻止するのであっ て、資本・ーーそれの利得はもともと充用労働のでなく支払労知らずに人間力をつまらぬことに濫費する国が見られない所 働の減少から生ずるーーの立場からは機械の使用を不用なら以は、ここにある。 しめ、しばしば不可能ならしめる。イギリスの羊毛工業の若 IIK< 第二版への注。だから共産主義社会では、機械は、プルジョア社会 におけるものとは全く異なる活動範囲をもつであろう。 千部門では、最近数年間に、児童労働が甚だしく減少され、 一宅「労働の使用者たちは、用もないのに、一三歳未満の二組の児童を抱え ところによってはほとんど駆逐された。何故か ? 工場条例 : じっさい、ある種の製造業者ーーー毛糸紡績業 ておきはしないであろう。 : : は、一方の組が六時間・他方の組が四時間の労働をするか、 者たちは、今日では一三歳未満の児童すなわち半時間工をめったに使用しな い。彼らはさまざまな種類の改良された新機械を採用したのであって、その 各組がただ五時間ずつ労働するところの、一一組の児童を必要 ために、児童 ( 一三歳未満 ) を使用することは全くいらなくなった。たとえ ならしめた。ところが親たちは、この半時間工を従来の全時 ば、この児童数減少の例として一つの労働過程をあげると、そこでは、各機 間工よりも安く売ろうとしなかった。それで、半時間工が機 械の性状に応じて六人ないし四人の半時間工を要した作業が、糸つなぎ機孝 いう装置を在来の機械につけることによって、一人の少年 ( 一三歳未満 ) の 械によって置換えられたのである。鉱山における婦人および