労働日 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想18 マルクス 資本論1
629件見つかりました。

1. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

形態変更によって労賃の諸法則に転化されるということであ 三一「労働の価格とは、ある与えられた分量の労働に支払われる額である。」 ( サー・エドワード・ウエスト「穀物の価格と労働の賃銀」、ロンドン、一八 4 る。同様に、労働力の交換価値と、この価値が転態される生 一一六年、六七頁 ) 。ウ = ストは、経済学史上の劃期的な匿名著作たる「土地 活手段の分量との区別は、いまや、名目的労賃と現実的労賃 への資本の充用について論ず。オクスフォード大学の一フェロー著」、ロン ドン、一八一五年、の著者である。 との区別として現象する。本質的形態においてすでに展開し たことを、現象形態において反復することは無用であろう。 だから、労働の価格がたえず下落しても、日賃銀・週賃銀 だからわれわれは、時間賃銀を特徴づける一一、三の点だけをなどは同一不変でありうる、ということになる。たとえば、 論じよう。 普通の労働日が一〇時間で労働力の日価値が三シリングだっ 労働者が、彼の日労働・週労働などにたいして受けとる貨たとすれば、一労働時間の価格は三べンスであった。この ( 三 0 ) 幣額は、彼の名目的労賃、すなわち、価値の面から評価され価格は、労働日が一一一時間に増加すると三ペンスに下落し、 た労賃の額を形成する。だが、労働日の長さいかんにより、 一五時間に増加すると一一べンスに下落する。にもかかわら つまり、日々彼によって提供される労働の分量いかんによっず、日賃銀または週賃銀は不変である。その逆に、労働の価 て、同じ日賃銀・週賃銀などが、きわめて相異なる労働の価格が不変であっても、あるいはむしろ下落しても、日賃銀ま 格、すなわち、同一分量の労働にたいする極めて相異なる貨たは週賃銀は騰貴することがありうる。たとえば、労働日が 幣額を表示しうる、ということは明らかである。だから時間æ一〇時間で労働力の日価値が三シリングならば、一労働時間 賃銀にあっては、さらに、日賃銀・週賃銀などという労賃の の価格は三ペンスである。もし労働者が、仕事の増加によ 総額と、労働の価格とが区別されねばならない。さて、この って、労働の価格は同等不変で一二時間労働するならば、彼 価格、すなわち、ある与えられた分量の労働の貨幣価値はい の日賃銀は、いまや、労働の価格の変動なしに、三シリング かにして見いだされるか ? 労働の平均価格は、労働力の平七ペンスに騰貴する。労働の外延的大いさの代わりに内包 均日価値を平均労働日の時間数で除することによって得られ的大いさが増加するばあいにも、同じ結果が生じうるであろ る。たとえば、労働力の日価値は六労働時間の価値生産物た う。だから、名目的な日賃銀または週賃銀が騰貴しても、労 る三シリングであり、労働日は一一一時間だとすれば、一労働働の価格は同等不変または下落することがありうる。労働者荊 3 = ヾ、 時間の価格は 12 Ⅱ三ペンスである。かくして見いださ家族の収入についても、家長によって提供される労働分量が れる一労働時間の価格は、労働の価格の単位尺度として役だ家族員の労働によって増加されるばあいには、同じことがい える。だから、名目的な日賃銀または週賃銀の引下げから独 三 0 貨幣価値そのものは、ここではつねに不変なものと前提される。 立した、労働の価格圧下の諸方法があるのである。 ( 三一 ) ( 三二 ) ( 三三 )

2. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

474 いるのは、イギリス資本のもっとも内面的な霊の秘密に他な 労賃のこの価値以下への圧下があまりにも重大な役割を演じ 「だが、わが貧民 らない。彼はなかんすく素朴にもいう、 ているので、われわれはしばらく、この点を論ぜざるをえな 。それは事実上、特定の限界内では、労働者の必要消費元 ( 労働者を表わす術語 ) が贅沢な生活を欲するならば、 彼らの労働はもちろん高価となるに違いない。ブランデー 本を資本の蓄積元本に転化する。 『資本・または労働を充用 ( すなわち搾取 ) す ジン、茶、砂糖、外国産果実、強いビール、模様つきの亜麻 哭「リカードはいう、 る手段・の蓄積は、社会の段階が異なれば速度が異なるが、いかなる場合に ほうじよう 布、かぎ煙草やふかし煙草、というような、わが製造業労働 も労働の生産諸力に依存せざるをえない。労働の生産諸力は、概して、豊饒 者によって消耗されるおそろしい山のような贅沢物を考えて な土地がたくさんある所で最大である』と。この命題で労働の生産諸力とい うのが、各生産物のうちそれを生産する筋肉労働者の手に帰する可除部分のみよ、云々。」彼は、ノーサン。フトンシャーの一工場主の書 少ないことを意味するならば、この命題は同義反復である。けだし残りの部 いたものを引用しているが、この工場主は天を仰いで歎息し 分は、それからーーその所有者が欲するならばーーー資本が蓄積されうる元本 ていう、 「イギリスにくらべると、フランスでは労働が だからである。ところが、土地が最も豊饒な所では、たいてい、そんなこと 三割以上も安い。けだし、フランスの貧民たちは激しく労働 は見られない。」 ( 「経済学における或る種の用語論争にかんする諸考察」、七 四、七五頁。 ) するが衣食は粗末であって、彼らの主食物は、パン、果物、 「労賃は、何らの生産力ももた野菜、草根、および乾魚だからである。つまり、彼らはごく ない。それは一つの生産力の価格である。労賃が労働そのも稀れにしか肉食せず、また小麦が高価なときには、ごくわす のと相並んで商品生産に貢献しないことは、機械そのものの かのパンしか食わぬからである」と。この論者はつづけてい 「その上さらに、彼らの飲物は水であるか、または 価格と同じである。買わないでも労働が得られるならば、労う、 リキュール酒であって、彼らは実に驚くほどわず 賃は不要であろう」と。だが、労働者たちが空気だけで生き類似の弱い かね かの貨幣しか費さない。 : こうした事態を招来するのは確 られるとすれば、どんな価格ででも彼らを買うことはできぬ であろう。だから、彼らの無費用ということは、数学的意味かに困難であるが、しかし、フランスやオランダにおけるそ の実存が的確に証明するように、それは到達されえない状態 での極限であり、たえず近づきうるが決して到達されえない ではない」と。その二〇年後に、アメリカの山師で。ハロンに ものである。彼らをこうした虚無的立場に圧下することは、 列せられたヤンキーのべンジャミン・タムスン ( すなわちラ 資本の不断の傾向である。私がしばしば引用した一八世紀の ムフォード伯 ) は、同じ博愛的進路をたどって、神と人類の 著述家である『産業および商業にかんする一論』の著者が、 イギリスの労賃をフランスやオランダの水準まで圧下する一」多大の満足をかちえた。彼の『論集』は、労働者の高価な常 とをイギリスの歴史的死活問題だと説くとき、彼が洩らして食物に代えるに代用物をもってするためのあらゆる種類の調 ( 四九 ) ( 五 0 ) ( 五三 ) ( 五こ ` 五一 l)

3. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

方のがわにおき、労賃に投下された資本を他方のがわにおか い点に達している。だから注意して聞かれたい ! 最後から れたいと、懇請しなければならなかったのだ。ついで、もし 二番目の一労働時間は、最初のそれと同じように普通の一労 ひょっとして、工場主の計算によると、労働者は 2 一 2 労働時働時間である。それ以上でもなければ、それ以下でもない。 間すなわち一時間で労賃を再生産または填補するということ でよ、。 とうして紡績工は、五労働時間を表示する糸価値を になったとすれば、分析家はつぎのように続けるべきであっ 一労働時間で生産することができるか ? 彼はじつは、何も そんな奇蹟は行なわない。彼が一労働時間で生産する使用価 諸君の申立てによれば、労働者は最後から一一番目の一時間 値は一定分量の糸である。この糸の価値は五労働時間によ嫻 で自分の労賃を生産し、最後の一時間で諸君の剰余価値また って度量されているのであって、そのうち四労働時間は、 は純利得を生産する。彼が等しい時間内に生産する価値は同毎時間消耗される生産手段ーー棉花・機械類などーーーのうち 等なのだから、最後から一一番目の一時間の生産物は最後の一 に彼の助けをまたないで含まれており、 4 一 4 すなわち一時間 時間のそれと同じ価値を有する。さらに彼は労働を支出する は彼自身によって附加されている。つまり、彼の労賃は五 % かぎりでのみ価値を生産するのであり、彼の労働の分量は彼時間で生産されるのであり、一紡績時間の糸生産物もやはり の労働時間によって度量されるのである。この労働時間は、 五 % 労働時間を含むのであるから、彼の五紡績時間の価値 諸君の申立てによれば一日に一一時間半である。この一一時生産物が一紡績時間の生産物価値に等しいということは、ま 間半のある部分を、彼は、自分の労賃の生産または填補のた ったく何らの魔術でもない。だが、もし諸君が、労働者は棉 めに消費し、他の部分を諸君の純利得の生産のために消費す花・機械類などの価値を再生産または「填補」することによ る。彼は労働日を通じてそれ以上には何もしない。しかるに って彼の労働日の一瞬間でも失うものと考えるならば、それ 申立てによれば、彼の賃銀と彼によって提供される剰余価値は全く思いちがいである。彼の労働が棉花と紡錘とで糸を作 とは同等な大いさの価値であるから、彼は明らかに、自分の るということによって、すなわち彼が紡ぐということによっ 労賃を五 % 時間で生産し、諸君の純利得を他の五時間で生て、棉花と紡錘との価値はおのすから糸に移ってゆく。これ は彼の労働の質のせいであって、その量のせいではない。も 産する。さらに、二時間分の糸生産物の価値は、彼の労賃に ちろん彼は、一時間では 1 一 2 時間でよりも多くの棉花価値な 諸君の純利得を加えた価値額に等しいから、この糸価値は一 一労働時間で度量され、最後から一一番目の一時間の生産物どを糸に移譲するであろうが、しかしそれは、彼が一時間で は五労働時間で度量され、最後の一時間のそれも五労働は 1 一 2 時間でよりも多くの棉花を紡ぐからに他ならない。だ 時間で度量されておらねばならない。われわれは今やきわど から諸君はつぎのことがおわかりだろう、 労働者は最後

4. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

とその隠れた背景とについていえるのと同じことがいえる。 以下での購買および価値以上での販売からーー説明する。だ から彼は、労働の価値というようなものが現実に実存して彼現象形態は、世間なみの思惟形態として直接的・自然発生的弸 がこの価値を現実に支払うものとすれば、資本なるものは実に再生産されるが、その隠れた背景の方は、科学によって初 存せず、彼の貨幣は資本には転化しないだろうということが めて暴露されねばならない。古典派経済学は、真実の事態に 分からない。 ほ・ほふれてはいるが、それを意識的に定式化してはいない。 なおまた、労賃の現実的運動がしめす諸現象は、支払われ古典派経済学は、そのプルジョア的多皮をまとっているかぎ るのは労働力の価値でなく、労働力の機能たる労働そのもの り、それができない。 の価値だということを証明するように見える。これらの現象 労働日の長さの変動 は二大部類に還元されうる。第一、 にともなう労賃の変動。それならば同じように、機械を一週 第一八章時間賃銀 間賃借すれば一日間賃借するよりも費用がかさむという理由 で、支払われるのは機械の価値でなく機械の作用の価値だ、 労賃そのものはさらにきわめて多様な形態をとるのである 同じ機能をはたす相 と結論することもできよう。第一一、 異なる労働者たちの労賃における個人的差異。この個人的差が、この事情は、質料に獣的関心をもつだけでどんな形態的 異は、率直にむきだしに労働力そのものが販売される奴隷制区別も顧みない経済学綱要書からは認識されえないものであ る。だが、これらの形態のすべてを叙述することは、賃労働 度においてもーーただし幻想を誘発することなくーーー見いだ される。ただ、平均以上によい労働力の利益、または平均以にかんする特殊理論の仕事であって、本書の仕事ではない。 銀下に悪い労働力の不利益が、奴隷制度においては奴隷所有者とはいえ、一一つの支配的な基本形態をここで簡単に展開すべ 賃の、賃労働の制度においては労働者じしんの、利益または不きである。 労働力の販売は、ひとの記憶するごとく、つねに一定の時 利益となるだけである。けだし、労働力が後の場合には労働 間ぎめで行なわれる。だから、労働力の日価値・週価値など 章者自身によって販売され、前の場合には第一二者によって販売 を直接的に表示する転化形態は、「時間賃銀」の形態、つま 一されるからである。 第 ともあれ、本質的関係・、・ーーこれが現象するーーたる労働力り日賃銀などである。 さて、さしあたり注意すべきは、第一五章で述べた労働力 四の価値および価格と区別される「労働の価値および価格」ま たは「労賃」という現象形態については、すべての現象形態の価格と剰余価値との量的変動にかんする諸法則は、簡単な

5. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

結合した工場がきわめて多いのだが、右の計算では織機付職この結論のばかばかしさは、剰余価値の生産にかんするわれ 工数が差引されていないということ、これである。外国のエわれの全分析によって明らかである。彼が、事態は現実的に 場はこれに反し、たいていは単なる紡績工場である。まった も、理論上そうあるべきとおりだと主張していないのは、む しろ上出来である。すなわち国家的干渉が自然的な経済的関 く同等なものどうしを比較することができるのであれば、私 係を変造したわけだ。だから国民的労賃は、そのうち租税の は、私の管区において、二二〇〇本の紡錘をそなえたミ ル紡績機がただ一人の男工 ( 糸つなぎ工 ) と二人の手伝い女形態で国家の手に帰する部分も労働者じしんの手に帰するか のように計算されねばならない。ケアリー氏はすすんで、こ 工とだけによって見張られ、一日に長さ四〇〇マイルで二二 〇封度の糸が製造される多数の綿紡績工場を数えあげること の「国費」も資本主義的発展の「自然的果実」ではないかと もできよう」と。 ( 『一八六六年一〇月三一日の工場検査官報沈思すべきではなかったか ? この推論が全くこの男にふさ 告』、三一ー三七頁のところどころ。 ) わしい。というわけは、彼はます、資本制的生産諸関係は国 ひとの知るごとく、東ヨーロッパでもアジアでも鉄道敷設家的干渉によってのみその自由で調和的な作用を攪乱される を請負ったイギリスの諸会社は、そのさい、土着労働者のほ 永遠的な自然的・理性的法則だと宣言しておいて、その後で、 かに一定数のイギリス人労働者をも使用した。実際的必要に世界市場にたいするイギリスの悪的影響ーー・・資本制的生産 せまられて、労働の強度における国民的差異を勘定に入れた の自然法則からは生じないように見える影響ーーは国家的干 が、このことは、会社にとってちっとも損にならなかった。 渉を、すなわち国家によるかの自然的・理性的法則の保護、 彼らの経験の教えるところでは、賃銀の高さは多かれ少なか または保護制度を、必要ならしめるということを発見する。 差れ中位の労働強度に照応するとはいえ、相対的な労働価格 ( 生彼はさらに、実存する社会的な対立や矛盾を定式化している リカードなどの定理が現実の経済的運動の観念的産物なので 民産物にくらべての ) は概して反対に動くのである。 の・ケアリーは、彼のごく初期の経済学的著述の一つ「賃はなく、その逆に、イギリスその他における資本制的生産の ( 六六 ) 労銀率にかんする論究』において、相異なる国民的労賃は国民現実的対立がリカードなどの理論の成果だ ! ということを 章的労働日の生産性の程度に正比例することを証明し、この国発見した。彼は最後に、資本制的生産様式の生得の美点と調 二際的関係から、労賃は総じて労働の生産性とともに騰落する和とを破壊するものは窮極においては商業だ、ということを 第 という結論を引出そうとしている。たとえケアリー自身が、 発見した。もう一歩すすめば、彼はおそらく、資本制的生産 例のように無批判的皮相的にかき集めた統計的資料を雑然との唯一の不都合は資本そのものだ、ということを発見するで あろう。かくもおそろしく無批判的で、こうしたいかさまの ごちゃ混ぜにする代わりに、彼の前提を証明したとしても、

6. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

423 第一七章労働力の価値または価格の労賃への転形 利子・地代などのいかなる特殊的姿態に結晶しようとも、実第六 ~ 労貝 体的にみれば不払労働時間の物質化である。資本の自己増殖 の秘密なるものは、これを解いてみれば、資本が他人の一定 分量の不払労働を自由に処分するということである。 、フルジョア社会の表面では、労働者の賃銀は、労働の価 格・一定分量の労働に支払われる一定分量の貨幣・として現 象する。ひとは、このばあい、労働の価値を云々して、その 貨幣表現を労働の必要価格または自然価格と名づける。他方 ではひとは、労働の市場価格、すなわち、労働の必要価格の 上下を動揺する価格を云々する。 だが、商品の価値とは何か ? 商品の生産に支出される社 会的労働の対象的形態である。また、何によってわれわれは 商品の価値の大いさを度量するか ? 商品に含まれる労働の 大いさによって。では、たとえば一二時間労働日の価値は何 によって規定されるだろうか ? 一二時間という一労働日に 含まれる一一一労働時間によって。 これはばかげた同義反 復である。 第一七章労働力の価値または価格の 労賃への転形 560

7. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

時間と労働とで ( ! ) 二四〇ャードを生産する新機械を採用した。労働者た 現象しうる。だから、もろもろの国民的労賃の比較にさいし ちには、機械改良のための彼らの雇主の資本投下によって得られた利潤の分 ては、労働力の価値の大いさの変動を規定するあらゆる契機 . 前にあずかるべき何らの請求権もなかった。そこでプライト商会は、支払率 を一ャードにつき一べンス半から一べンスに引下げようと提案したのである 自然的な・および歴史的に発展した・生活必需品の が、けだし、それでも労働者の収入は、同じ労働にたいし従来とまさに同額価格および範囲や、労働者の教育費や、婦人Ⅱおよび児童労 だからであった。だが、名目的な引下げが行なわれたのであって、それにつ 働の役割や、労働の生産性や、労働の外延的および内包的大 いて労働者はーー彼らの主張によればー・・ーー前もって然るべき警告を受けなか った、というのである。」 いさが、ーー考量されねばならない。皮相きわまる比較でさ 査「労働組合は、賃銀を維持しようとするのあまり、機械改良の利益の分 え、さしあたり、相異なる諸国における同じ事業の平均的な 前を得ようとする ! ( なんという恐ろしいことだ ! ) : : : 彼らは、労働が短 日賃銀を同等な大いさの労働日に還元することを、必要とす 縮されたからといって賃銀の引上げを要求するのだ、・ : しいかえれば、彼 らは、産業的改善に課税しようとするのた。」 ( 「事業の結合について」、新版、 る。もろもろの日賃銀をかように均等化したのち、時間賃銀 ロンドン、一八三四年、四二頁。 ) がふたたび個数賃銀に翻訳されねばならない。というのは、 労働の生産性ならびに内包的大いさの測度器となるのは個数 賃銀だけだからである。 第二〇章労賃の国民的差異 「それをもって、より安い財貨がより多く買えるがゆえに、賃銀」 ( こら で問題なのはその価格だ ) 「が騰貴した、というのは正確でない。」 ( デヴィ ッド・プカナン編、 < ・スミス「諸国民の富」、一八一四年、第一巻、四一 七頁における編者注。 ) 第一五章でわれわれは、労働力の価値の絶対的または相対 的 ( すなわち剰余価値と比較しての ) 大いさにおける変動を どの国でも一定の中位の労働強度なるものがあって、それ 生じうる多様な組合せを考察したのであるが、他方では、労弸以下の強度の労働は、商品の生産にさいし社会的必要以上の 働力の価格が実現されるべき生活手段の分量がまた、この価時間を消費するのであり、したがって標準質の労働としては 格の変動から独立するーーーまたは、この価格の変動と異なる 計算されない。ある与えられた国では、労働時間のたんなる 運動をなしえた。すでに述べたように、労働力の価値ま長さによる価値の度量を変更するのは、国民的平均以上に高 たは価格を労賃という皮相な形態にたんに翻訳するだけで、 い強度だけである。個々の国を構成部分とする世界市場では 右のすべての法則は労賃の運動の法則に転化される。この運これと異なる。中位の労働強度といっても国々で変化する。 動の内部では組合せの変動として現象するものが、相異なるある国では大きく、他の国では小さい。だから、これらの国 諸国にとっては、もろもろの国民的労賃の同時的差異として民的諸平均は段階状をなすのであって、その度量単位は世界 ( 六四 )

8. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

三一一「労貿は、労働の価格と、なされた労働の分量とによって定まる。 時間であり、労働力の日価値は六労働時間の価値生産物たる 労賃の増加は、必ずしも労働の価格の増大を意味しない。より長く就業し、 三シリングだとしよう。こうした事情のもとでは、一労働時 より大きな刻苦精励をすれば、労賃はかなり増加しうるが、労働の価格は同 間の価格は三ペンスであり、その価値生産物は六ペンスであ じままでありうる。」 ( ウエスト、前掲書、六七、六八、および一一二頁。 ) ところで、「労働の価格」はいかにして規定されるか ? という主要問題に る。いまもし労働者が、一日に一二時間よりも少なく ( また いたっては、ウエストは月並みの文句で片づける。 は週に六日よりも少なく ) 、たとえば六時間または八時間し 三三一八世紀の産業プルジョアジーの最も熱狂的な代弁者たる、われわれが か就業させられないとすれば、彼は、この労働価格のもとで しばしば引用した「産業および商業にかんする一論」の著者は、事態の叙述 ( 三四 ) に混乱をきたしてはいるが、このことを正しく嗅ぎつけている、 「食糧 は二シリングまたは一シリング半の日賃銀しか受取らない その他の必需品の価格によって規定されるのは労働の分量であって、労働の 前提によれば、彼は、自分の労働力の価値に相当する日賃銀 価格 ( 名目的な日賃銀または週賃銀のこと ) ではない。必需品の価格が甚だ だけを生産するためにも平均して一日に六時間労働せねばな しく下落すれば、もちろん、それに比例して労働の分量が減少する。 場主たちの知るごとく、労働の価格を騰貴させたり下落させたりするには、 らぬのであるから、また同じ前提によれば、彼は、各一時間 その名目額を変動させる以外にいろいろな方法がある」 ( 同上、四八および のうち半分だけを自分自身のために労働して半分を資本家の 六一頁 ) と。 Z ・・シーニョアは、ことわりもなくウエストの著書を利用 ために労働するのであるから、彼が一二時間よりも少なく就 した「賃銀率にかんする三つの講義」、ロンドン、一八三〇年、において、 なかんすく次ぎのようにいう、 「労働者は主として労賃の高さに関心を業させられる場合には〔自分のために〕六時間の価値生産物を もっ」 ( 一四、〔一五〕頁 ) と。つまり、労働者が主として関心をもつのは、 うち出しえないことは明白である。さきには過度労働の破壊 彼が受取るもの、すなわち名目的賃銀額であって、彼が与えるもの、すなわ 的結果が見られたとすれば、ここでは、労働者にとって彼の ち労働の量ではない ! 過少就業から生ずる苦悩の源泉が発見される。 だが、一般的法則としては次ぎのようにいえる、 日労 話こうした異常な過少就業の作用は、労働日の一般的な強制法的短縮の作 銀働・週労働などの量が与えられているならば、日賃銀または 用とは・せん・せん異なる。前者は、労働日の絶対的長さとは何ら関係がなく、 一五時間労働日のばあいにも六時間労働日のばあいにも同じように現われう 賃週賃銀は労働の価格によって定まるのであ 0 て、労働の価格 る。労働の標準価格は、第一のばあいには労働者が平均して一日に一五時間 そのものは、労働力の価値につれてーーさもなければ労働力 労働することを、第二のばあいには六時間労働することを、基礎として計算 章の価値からのその価格の背離につれてーーー変動する。これに されている。だから、彼が前のばあいには七時間半しか、後のばあいには三 時間しか就業させられなくても、その作用は同じである。 一反し労働の価格が与えられているならば、日賃銀または週賃 第銀は、日労働または週労働の量によ 0 て定まる、と。 もし時間賃銀が、資本家は日賃銀または週賃銀を支払う義 時間賃銀の度量単位たる一労働時間の価格は、労働力の日務がなく、ただ労働者を就業させる好きなだけの労働時間を 価値を普通の労働日の時間数で除した商である。後者は一一一支払えばよいという仕方で確定されるとすれば、資本家は労

9. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

度労働による若死から救うために少しでも労働したがっている者がたくさ不規則な諸動揺によって交錯されるーーーをともなう近代的産 んいるのに、この工場では、成年工が一日に一二時間ないし一三時間の労働 業にとっては、労働の需要供給を資本の膨脹および収縮によ を要求された。」さらにいう、 「われわれは、この時間外労働の慣習が、 って・つまり資本のその時々の増殖慾に従って・規制しない 雇主と「召使』との間のいやしくも我慢できる関係を可能ならしめるか否か と問いたい。過度労働の犠牲者は、それによって強制的怠惰におとしいれら で、 そうすると労働市場は、時には資本が膨脹するがゆ れた者と同じように、不正を感ずる。この地方には、労働を公正に配分しさ えに相対的に不足なように見え、時には資本が収縮するがゆ えすれば、すべての者を部分的に就業させるためになすべき仕事が充分にあ むしろ逆に、資本の運動を人 えに過剰なように見える、 る。われわれは雇主にたいし、他の労働者が労働欠乏のために慈善によって 糊ロすることを余儀なくされているのに一部の労働者を過度労働させたりし ロ量の絶対的運動に依存させることは、まことに美わしい法 ないで、少なくとも今日の事態がつづくかぎりは一般的に操業短縮すること 則であろう。だが、これは経済学的ドグマである。このドグ を懇願するのだが、これは正当な要求に他ならない」と。 ( 「一八六三年一〇 マにしたがえば、資本蓄積の結果として労賃が騰貴する。労 月三一日の工場検査官報告」、八頁。 ) 「産業および商業にかんする一論」 の著者は、彼の何時もながらの確かなプルジョア的本能をもって、就業労働賃の昂騰は労働者人口の急激な増加に拍車をかけるのであっ 者にたいする相対的過剰人口の影響を把握している。「この王国における怠て、この増加は、労働市場が供給過剰となり、したがって資 惰のもう一つの原因は、充分な労働者数の欠如である。〔 : : : 〕製品にたい 本が労働者供給にくらべて不足となるまで、つづく。労賃が する何らかの異常需要によって労働量が不足をきたせば、いつでも、労働者 たちは彼らじしんの重要さを感じ、彼らの雇主にもそれを感じさせようとす下落する。そして今やメダルの裏面が現われる。労賃の低落 る。これは驚くべきことである。ところで、こうした場合には、一日じゅう によって労働者人口がだんだん減少し、したがって、労働者 怠業することによって雇主を当惑させるために労働者の諸群が団結したほど あるいはま 人口にくらべて資本がふたたび過剰となる、 法 にも、こやつらの考え方は堕落しているのである」と。 ( 「一論』二七、二八 的 こ、ほかの人々の説明によれば、労賃の低落は、またそれに 頁。 ) けだし、こやつらは賃銀引下げを要求したのである。 般 の概していえば、労賃の一般的運動は、もつばら、産業循環照応する労働者の搾取増大は、ふたたび蓄積を促進するので あるが、他方では同時に、賃銀の下落は労働者階級の増加を 蓄の周期的変動に照応する産業予備軍の膨脹および収縮によっ 的 て調整されている。だから、それは、労働者人口の絶対数の運阻止する。かくして再び、労働供給が労働需要よりも少なく 制 資動によって規定されているのではなく、労働者階級が現役軍なり、賃銀が騰貴する、等々という状態が生する。これは、 章と予備軍とに分裂する比率の変動によって、過剰人口の相対発展した資本制的生産にとっては美わしい運動方法である ! 二的大いさの増減によって、過剰人口が時には吸収され時には賃銀昂騰によ「て現実に労働能力ある人口の何らかの積極的 第 ふたたび遊離される程度によ「て、規定されているのである。増加が生じうる前に、その間にわた「て産業戦が行なわれ、 一〇年目ごとの循環と、その周期的諸段階ー・ーこれらの段階戦闘が戦われ決戦されねばならぬ期間が、いくたびも経過す るであろう。 は、さらに、蓄積が進むにつれて、ますます急速に継起する

10. 世界の大思想18 マルクス 資本論1

恐慌 第八節大工業によるマニュファク チュア、手工業、および家 内労働の変革・ : (ß) 手工業と分業とに基づく協業の 止揚 (.0) マニュファクチュアおよび家内 労働に及ばす工場制度の反作用・ ( e) 近代的マニュファクチュア : ("<) 近代的家内労働 ( ) 近代的マニュファクチュアおよ び家内労働の、大工業への移行。 かの経営諸様式への工場条例の 適用による、この革命の促進・ 第九節工場立法 ( 保健ーおよび教 育条項 ) 。イギリスにおけ るその一般化 第一〇節大工業と農業 第五篇絶対的および相対的剰余価 値の生産 第一四章絶対的および相対的剰 三六〈 ・ : 三究 ・ : 三 90 ・ : 三七三 三会 三犬 余価値・ 第一五章労働力の価格と剰余価 値との大いさの変動 : ・ : : : 四 = 第一節労働日の大いさおよび労働 の強度が不変で ( 与えられ ていて ) 労働の生産力が可 変な場合 : ・ 第一一節労働日は不変、労働の生産 力も不変で、労働の強度が 可変な場合・ : 第三節労働の生産力と強度が不変 で労働日が可変な場合 第四節労働の持続、生産力、強度 が同時に変動する場合・ : 第一六章剰余価値率を表わす様 様な範式・ 第六篇労賃 第一七章労働力の価値または価 格の労賃への転形・ : ・ : 四一五 ・ : 四ニ 0 ・ : 四一一三