在荷 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想19 マルクス 資本論2
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1. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

たのであって、その事業によって流通に投げいれられたのだあったが、いまや一六〇ポンドにすぎない。すなわち、三週 ~ 間分でなく一一週間分の追加的在荷である。それはいまや、三 , から ) 、新たに蓄積される蓄蔵貨幣を形成するのでもない。 この一〇〇ポンドは、投下資本のうちもはや同じ事業では週間ごとにでなく一一週間ごとに、しかも、三週間分でなく一一 充用されない一部分であるかぎりでは、いまや事実上流通か週間分だけが更新される。たとえば棉花市場での購入が、よ ひんばん り頻繁かつ小部分ずつ反復される。市場から引上げられる棉 ら引上げられている。だが、この引上げが可能なのは、商品 資本の貨幣への転形およびこの貨幣の生産資本への転形すな花の分量は同じである、けだし、生産物〔糸〕の分量は同等不 わちが一週間だけ速められ、したがってまた、こ変だから。しかし引上げが時期的に変化し、またたびたび行 なわれる。たとえば三か月目と二か月目に購入されるものと の過程で活動する貨幣の通流が速められているからにすぎな 一〇〇ポンドが流通から引上げられるのは、それがもは仮定しよう。棉花の年消費は一一一〇〇梱とする。第一のばあ 、には次ぎのようになる。 や資本の回転に必要でないからである。 一月一日販売量三〇〇梱在庫量九〇〇梱 響 ここでは、投下資本はその充用者のものだと仮定されてい 六〇〇 三〇〇 四月一日″ のる。それが借入資本だとしても事態は変わらないであろう。 三〇〇 三〇〇 七月一日″ 堺流通時間の短縮とともに、彼は、九〇〇ポンドでなく、もは 三〇〇 一〇月一日 回や八〇〇ポンドの借入資本しか要しないであろう。一〇〇ポ ところが第二のばあいには次ぎのようになる。 す ・ま ンドが貸主に返還されれば、その一〇〇ポンドは、前のばあ 一月一日販売量二〇〇梱在庫量一〇〇〇棡 及 いと同じように、新たな貨幣資本をーーーただしの手ではな 八〇〇 二〇〇 三月一日 さ くの手でーー形成する。さらに、資本家は四八〇ポンド 六〇〇 二〇〇 五月一日 大 四〇〇 の価値ある彼の生産材料を信用で入手し、したがって、労賃 二〇〇 七月一日 の 下 二〇〇 二〇〇 そのものに一二〇ポンドだけを貨幣で投下すればよいとすれ 九月一日″ 二〇〇 一一月一日 ば、いまや彼は八〇ポンドだけ少ない生産材料を信用で買え 資 ばよく、したがって、この八〇ポンドだけの生産材料は、信 だから、棉花に投下された貨幣は、一か月おくれて、一〇 章 五用を与える資本家にとっての過剰商品資本を形成するが、資月にでなく一一月に、やっとすっかり還流する。だから、流 第本家の方は一一〇ポンドを貨幣で排除するであろう。 通時間したがって回転の短縮によって、投下資本の九分の一 = 一〇〇ポンドが貨幣資本形態で排除されるとすれば、そし 追加的生産在荷はいまや三分の一だけ減少した。それは前 てこの一〇〇ポンドは、週賃銀支払用の貨幣資本の周期的過 には、追加資本Ⅱ三〇〇ポンドの五分の四Ⅱ二四〇ポンドで

2. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

これは回転にも影響するのであるが 馬鈴薯や根菜は凍害や水害および腐敗を防止され、等々されねばなら本分量の大いさは、 ない。」 ( キルヒホーフ、二九二頁。 ) 「自家需要 ( 特に飼畜用 ) の計算 ー・・・・生産的在荷の形態での流動資本がたんに潜勢的生産資本 このばあいには、生産物および目的に応じて配分 にさいしては、 として定着する期間の長短によって制約される。他面、この 必要を充たすことだけでなく、そのう が行なわれねばならない、 停滞が、迅速な填補の可能性の大小や市場関係などに依存す えさらに、不測の場合のためにかなりの在荷を残すことも顧慮されね るかぎりでは、この停滞それじしんが、ふたたび流通時間か ばならない。このばあい、自家生産物によって需要が完全には充たさ ら、流通部面に属する事情から、生ずる。 れないことが分かれば、さしあたり、ほかの生産物 ( 代用品 ) によっ 「さらに手道具、篩、籠、綱、車にぬる油、釘などのような、すべて て不足を補いえないかどうか、または、不足品にかわる代用品をより の備品または附属品は、迅速に調達しうる手ちかな機会が少なければ 安く調達しえないかどうかが、顧慮されねばならない。たとえば秣の 不足が生じたとすれば、この不足は、根茎作物に藁を加えたもので補少ないほど、すぐ取りかえるために貯えられておらねばならない。最 後に、年々、冬期にはすべての備品道具を注意ぶかく検査して、その うことができる。総じてこの場合には、さまぎまな生産物の真価と市 ところで、 さい必要な補充や修繕はただちに手配されねばならない。 場価格とをつねに念頭におき、それに応じて消費を按配せねばならな えんど・ 1 備品の必要に応するために保有すべき在荷の大小は、一般に、主とし い。たとえば、蕪麦は高価だが豌豆やライ麦は割安だとすれば、馬に て地方的事情によって定まる。近くに手工業者や商店のない所では、 与える燕麦の一部を豌豆またはライ麦と代え、かくして剰された燕麦 その所在地またはその近所にくらべて、より大きな在荷がもたれねば を売れば有利であろう、云々。」 ( 同上、三〇〇頁。 ) ならない。ほかの事情に変わりがなければ、必要な在荷を多量に一挙 に調達する方が、それに適当な時点を選びさえすれば、概して安価な さきに在荷形成を考察したさいすでに述べたように、大き 購人という利益がある。といっても、そうすれば確かに、流動的経営 かれ小さかれ、一定分量の潜勢的生産資本ーーすなわち、だ 資本からそれたけ大きな金額を一挙に引上げることにもなるが、この んだんに生産過程に入りこむために大きかれ小さかれの分量 金額たるや、必すしも事業経営上なしにすませられるものではない。」 間で貯えられておらねばならぬ生産用の生産手段ーーが必要で ( キルヒホーフ、三〇一頁。 ) 時 生産時間と労働時間との差異は、すでに見たように種々さ ある。そのさい述べたように、ある与えられた企業、または まざまな場合を生する。流動資本は、本来の労働過程に入り 生一定の大いさの資本経営にあっては、この生産在荷の大いさ は、その更新の困難の大小、購人市場の遠近、運輸交通手こむ前に生産時間内にありうる ( 靴型製造 ) 。また、本来の 章 一段の発達などによ「て定まる。すべてこれらの事情は、生産労働過程を通過したのちに生産時間内にあることもある ( 葡 第 的在荷の形態で現存せねばならぬ資本の最小限に影響し、し萄酒、種粒 ) 。また、生産時間のところどころが労働時間に よって占められることもある ( 農耕、造林 ) 。流通可能な生 新たが「て、資本投下がなされる時間的長さに影響し、また、 一挙に投下されるべき資本分量の大いさに影響する。この資産物の一大部分は、能動的生産過程に合体されたままであっ

3. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

衡することがありうる、 といっても、後者は ( 棉花騰貴 などのような特殊事情を度外視すれば ) 、その範囲からみれ ば、前者によって規定されかっ刺戟されるではあろうが。イ 第一七章剰余価値の流通 ギリスとインドとの貿易差額は、均衡しているように見える か、順逆いずれか一方への微弱な動揺しか示さないかもしれ ない。だがイギリスで恐慌が勃発すれば、売れない木綿商品 すでに見たように、一年間に生みだされる剰余価値の分量 がインドで在庫する ( つまり商品資本から貨幣資本に転形し が同等不変なばあいでさえも、回転期間における差異は剰余 チ′、刀学 / この面からみれば過剰生産だ ) ということ、お価値年率における差異を生みだす。 よび、他方イギリスでは、インド生産物の売れない在荷が横 ところがさらに、剰余価値の資本化すなわち蓄積において たわっているばかりでなく、売れて消費された在荷の一大部必然的に差異が生ずるのであって、そのかぎりではまた 分がまだ全く支払われていないということが、わかる。だか 剰余価値率が同等不変でもーー一年間に生みだされる剰余価 ら、貨幣市場での恐慌として現象するものは、事実上では、 値の分量における差異が生ずる。 生産Ⅱおよび再生産過程そのものにおける異常を表現する。 さて、まず第一にいっておくが、資本〔家〕 ( 前章の例で 第三に、ーー充用された ( 可変および不変 ) 流動資本その の ) は連続的な周期的収入をもち、したがって、事業の始め ものについていえば、回転期間の長さは、それが労働期間の における回転期間をのぞけば、年度間の彼じしんの消費を彼 長さに由来するかぎりは、つぎのような区別を生ぜしめる。 の生産した剰余価値からまかなうのであって、じぶんの元本 通 一年間に幾度も回転が行なわれるばあいには、可変的ま から前払することを要しない。ところがのばあいには、こ のたは不変的流動資本の一要素は、石炭生産や衣服生産などの の前払が行なわれる。彼は、同じ期間内にと同じだけの剰 価ばあいに見られるように、この資本じしんの生産物によって余価値を生産するのではあるが、その剰余価値は実現されて 剰提供されうる。そうでないばあいには、少なくとも年度内に おらず、したがって個人的にも生産的にも消費されえない。 章はそうしたことは行なわれえない。 個人的消費が問題となるかぎりでは、剰余価値が前取りされ る。そのためには元本が前払されねばならない。 第 生産資本のうち分類の困難な一部分、すなわち、固定資本 の修繕や整備に必要な追加資本が、今やまた新たな脚光をあ びて現われる。

4. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

1 一 2 % 、小麦価格にたいする利子費三 % 、倉敷料二 % 、選別および運搬質一 - て在荷を形成することを必要とする。同様に、生産資本は労 % 、引渡し作業費 1 一 2 % 、合計七 % 、すなわち、小麦価格をクオーターあた 働力の購入を包括するのであって、貨幣形態は、このばあい り五〇シリングとすれば、三シリング六ペンスだという。 (8 ・コーベト「諸 には、労働者がその大部分を市場で見いださねばならぬ生活 個人の富の原因および様式の研究」、ロンドン、一八四一年。 ) リヴァプール 手段の価値形態にほかならない。本節の進むにつれて、この の商人が鉄道委員会でおこなった陳述によれば、一八六五年の穀物貯蔵の ( 純 ) 空費が、毎月、クオーターあたり二べンス、すなわち、トンあたり九 点にもっと詳しくたち入ろう。ここでは、この点はすでに明 ないし一〇ペンスであった。 ( 「勅命鉄道委員会」、一八六七年、証言記録、 らかなものとする。もしわれわれが、みずからを商品生産物 一九頁。第三三一号。 ) に転形していまや販売または貨幣に再転形されねばならぬよ だから、商品資本・したがって商品在荷・としての形態で うな、つまり、いまや商品資本として市場で機能するような 過程的資本価値の立場にたつならば、商品資本が在荷を形成の資本の定在は、生産部面に属しないがゆえに流通費に算入 するような状態は、目的にかなわない不本意な市場滞留であされる費用を生ぜしめる。この流通費が、第一節であげられ る。売れるのが早ければ早いほど、生産過程はそれだけ円滑た流通費と区別される点は、前者は特定の範囲内で商品の価 である。形態転化ーでの滞留は、資本の循環中で行なわ値に入りこみ、したがって商品を高価にするということであ る。いずれにしても、商品在荷の維持および保管に役だっ資 れねばならぬ現実的質料変換、ならびに、生産資本としての 資本のその後の機能を妨げる。他面、にとっては、商本および労働力は、直接的生産過程から引上げられている。 品が市場にたえず現存すること、すなわち商品在荷は、再生他面、ここで充用される資本ーー労働力は資本の成分として 産過程のーーーまた、新資本または追加資本の投下のーー・円滑算人されるーーは、社会的生産物のうちから填補されねばな らない。だから、その投下は、労働の生産力の減少と同じよ のための条件として現象する。 商品在荷としての商品資本の市場滞留は、建物すなわち商うに作用するのであり、したがって、一定の有用的効果を獲 費 品倉庫を、つまり不変資本の投下を必要とし、また、商品の得するに要する資本の分量が増大する。これは空費である。 ところで、商品在荷の形成によって条件づけられる流通費 倉入れのための労働力の支払を必要とする。そのうえ、商品 流 は傷みやすいものであり、また、有害な自然的影響をこうむが、商品形態から貨幣形態への、現存価値の転形時間だけか 六る。それを防ぐためには、追加資本が、一部分は労働手段すら、つまり、生産過程の一定の社会的形態だけから ( 生産物 第 が商品として生産され、したがってまた貨幣への転形を通過 なわち対象的形態に、一部分は労働力に、投下されねばなら せねばならぬということからだけ ) 生するかぎりでは、この オし 。ーベトは、一八四一年に九か月間の小麦貯蔵費を計算して、量の損失費用は、第一節にあげた流通費とまったく同じ性格である。

5. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

ねばならぬとはいえ、たえず新たに購買される必要はない。 購買がいかに頻繁に更新されるかは、既設在荷の大いさに依 存し、在荷がっきるまでにどれだけ長もちするかに依存する。 労働力のばあいには、こうした在荷貯蔵は行なわれない。貨 幣への再転形は、労働に投下された資本部分についても、補 助材料および原料に投下された資本部分のそれと相並んで行 ケネーにあっては、固定資本と流動資本との区別が、本源 ミなわれる。だが貨幣の、一方では労働力への、他方では原料 ス への、再転形は、この両成分ーーその一方は、生産在荷とし的投資 (avances p 「 imitives) と、年々的投資 (avances annuelles) として現われる。彼は、この区別を、正当にも、 とて長期間ごとに購買され、他方の労働力は、短期間たとえば 義一週間ごとに購買されるーーの特殊的な購買Ⅱおよび支払期生産資本ーー直接的生産過程に合体された資本ーーの内部に 農限のゆえに、別々に行なわれる。他面、資本家は、生産在荷おける区別として叙述する。彼にと 0 ては、農業に充用され 重 のほかに既成商品の在荷を保有せねばならない。販売の困難る資本、つまり借地農業者の資本が、唯一の現実に生産的な 笋などを別としても、たとえば、一定分量の注文品を生産しな資本たる意義をもつのであるから、右の区別も、借地農業者 すければならない。その最終部分が生産されるまで、既成部分の資本についてのみ生する。だからまた、資本の一部分の回 ん 力は、注文品がす 0 かり仕上けられうるときまで倉庫で待 0 て転時間は一年であり、他の部分の回転時間は一年以上 ( 一〇 いる。流動資本の回転における他の区別は、流動資本の個々年 ) だということにもなる。ついでながら重農主義者は、発 動の要素が他の要素よりも長く生産過程の準備段階 ( 木材の乾展するうちに、右の区別をほかの種類の資本についても、産 流 燥など ) で停滞せねばならぬときに生する。 業資本一般についても、おこなっている。社会にとっては、 資スクロープがここでもちだす信用業は、商業資本と同じよ年々的投資と多年的投資との区別はきわめて重大であ「て、 定 この規定 うに、個々の資本家にとっての回転を修正する。社会的規模多数の経済学者がーー・スミス以後でさえも にたち帰っているほどである。 章では、信用業は、生産のみならず消費をも加速するかぎりで * avances (Vorschüsse, advancß) は、一般に「前払」または「前貸」 一のみ、回転を修正する。 第 と訳されているが、特殊のばあい以外は「投資」または「投下」と訳してお ー・ー訳者。 この二種類の投資のあいだの区別は、投資された貨幣が生 第一〇章固定資本と流動資本にかんする 学説。重農主義者と・スミス 184

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れるべきであって、事実上、消費元本たるべき使命をもっ現においてのみ実現されうるーーを提供する使命をもっ部分の 何らの要素も形成しない。・スミスはここで附言すること 物形態をとっていない一切の資本が除外されるべきである。 「固定資本を維持するための全出資は、明らかに、社会の純収人からを忘れているのだが、労賃についていえることは、生産手段 はんらゆう 除外されねばならない。有用な機械や工具 : : : を整備しておくために の価値のうち、利潤および地代という範疇のもとで剰余価値 必要な原料も、これらの原料を所要の形態に転化するために必要な労として産業資本家 ( 直接には ) の収入をなす成分についても 働の生産物も、この収人の一部分をなしえない。なるほど、この労働 いえる。これらの価値成分も、生産手段、すなわち消費でき の価格はかの収入の一部分をなしうる。というのは、そのために使用 ないもののうちに実存する。それらの価値成分は、貨幣化さ される労働者たちは、その賃銀の全価値を彼らの直接的消費在荷に投 れた後にはじめて、第二の種類の労働者によって生産された じうるからである。だが、ほかの種類の労働のばあいには、価格も」 消費手段のうちから、それらの価格に相当する分量を引上げ ( すなわち、この労働に支払われる賃銀も ) 「生産物も」 ( この労働が て、それらの価値成分の所有者たちの個人的消費元本中に移 体化されるものも ) 「この消費在荷に入りこむ。その価格は労働者た ちの消費在荷に、その生産物は他の人々、すなわち、この労働者たちすことができる。だが、それだけになおさら、・スミス の労働によって自分の生計や便益や娯楽を増加してもらう人々の消費は、年々生産される生産手段の価値のうち、この生産部面で 在荷に。」 ( 第二篇第二章、一九〇、一九一頁〔岩波文庫新版、Ⅱ、一一機能する生産手段ーー生産手段を作るための生産手段ーーの 五一ー二頁〕。 ) 価値に等しい部分、つまり、ここで充用される不変資本の価 ・スミスは、ここで、生産手段の生産に従事する労働者値に等しい部分は、それが実存する現物形態のゆえにばかり と、消費手段の直接的生産に従事する労働者との、きわめて でなく、それの資本機能のゆえにも、収入を形成するあらゆ 重要な区別づけに出くわす。前者の商品生産物の価値は、労る価値成分から絶対的に排除されているということを認めざ 賃の総額ーーすなわち、労働力の購入に投下された資本部分るをえないはずなのだが。 の価値ーーーに等しい成分をふくむ。この価値部分は、物体的 第二の種類の労働者ーー直接的消費手段を生産する労働者 には、これらの労働者によって生産された生産手段の特定部 については、 << ・スミスの諸規定は全くは正確でない。 分として実存する。彼らの労賃として受けとられる貨幣は、 すなわち彼はいう。この種の労働においては、労働の価格も 彼らにとっては収入を形成するが、しかし彼らの労働は、彼生産物も、ともに直接的消費元本に入りこむ、 「価格は」 らじしんにとっても他の人々にとっても、消費できる生産物 ( すなわち、労賃として受けとられる貨幣は ) 「労働者たちの を生産したのではない。だから、これらの生産物そのもの消費在荷〔消費元本〕に、そして生産物は、他の人々、すなわ は、年生産物のうち、社会的消費元本ーー「純収入」はこれち、この労働者たちの労働によって自分の生計や便益や娯楽

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216 で機能せざるをえない部分を代表するのではない。投下流動貨幣に転形されるか、またこの転態のための貨幣はどこか 資本—日六〇〇ポンドのうち、五分の四Ⅱ四八〇ポンドはた Ⅱ一二〇ポンドは労賃に えす生産材料に投下され、五分の一 ひとたび流通時間の短縮が生じたならば、上述の六〇〇ポ つまり毎週、八〇ポンドは生ンドのうち、四八〇ポンドでなく四〇〇ポンドだけが生産在 投下されると想定しよう。 産材料に、二〇ポンドは労賃に。だから、資本ⅡⅡ三〇〇ポ荷に再転形される。のこり八〇ポンドは貨幣形態のまま留保 ンドも、生産材料のための五分の四Ⅱ二四〇ポンドと、労賃され、労賃のための上述の二〇ポンドとともに、一〇〇ポン ドの排除資本を形成する。この一〇〇ポンドは、六〇〇ポン のための五分の一ⅱ六〇ポンドとに分割されねばならない。 トの商品資本の購買〔販売 ? 〕によって流通から出てくるので 労賃に投下される資本はつねに貨幣形態で投下されねばなら ない。六〇〇ポンドの価値額の商品生産物が貨幣形態に再転あって、いまや流通から引上げられるーーけだし、一一度と労咽 形ーー・販売されれば、そのうち四八〇ポンドは生産材料 ( 生賃および生産諸要素には投下されないからーー・・・とはいえ、忘 産的在荷 ) に転形されうるが、一一一〇ポンドは六週間分の労れてはならぬのは、それは、貨幣形態においては、最初に流 賃の支払に役だっために貨幣形態を保持する。この一二 0 ポ通に投げいれられたときと同じ形態にふたたびある、という ンドは、六〇〇ポンドの還流資本のうち、つねに貨幣資本形ことである。最初には九〇〇ポンドの貨幣が、生産在荷と労 態で更新され填補されねばならぬーーしたがって、つねに投賃とに投下された。同じ生産過程を遂行するためには、いま ではもう八〇〇ポンドしか要らない。かようにして貨幣形態 ) 下資本のうち貨幣形態で機能する部分として現存せねばなら しまや、投資口を求める新た で排除された一〇〇ポンドは、、 ぬーー最小限である。 さて、周期的に三週間のあいだ遊離される・そしてやはり な貨幣資本を、貨幣市場の新たな一成分を、形成する。それ 二四〇ポンドの生産的在荷と六〇ポンドの労賃とに分割されは、なるほど、すでに以前にも周期的に遊離貨幣資本の形態 うる・三〇〇ポンドのうち、流通時間の短縮によって一〇〇および追加的生産資本の形態をとっていたが、これらの潜在 . ポンドが貨幣資本形態で排除され、回転の機構から全部的に状態そのものは、生産過程の遂行の条件ーーその連続性の条 投げだされるとすれば、この一〇〇ポンドの貨幣資本のため件だからーーであった。いまやそれは、もはや生産過程の遂 の貨幣はどこからくるか ? その五分の一だけは、周期的に 行のためには必要でなく、したがって、新たな貨幣資本を形 といっても、それ 回転の内部で遊離される貨幣資本から成りたつ。だが五分の成し、貨幣市場の一成分を形成する、 四ⅱ八〇ポンドは、すでに同じ価値だけの追加的生産在荷に はけっして、現存する社会的貨幣準備の追加的要素を形成す よって代位されている。どんな仕方でこの追加的生産在荷に るのでもなく ( けだしそれは、事業の開始当時に実存してい

8. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

うち、この労働期間の残りに投下されねばならぬのは三〇〇される可変資本部分に等しくなければならない。最大限にお いては、それが全遊離資本を包括することがありうる。現実 ポンドにすぎない。だから、第二労働期間の終りには、その には、それはたえす、この最小限と最大限とのあいだを動揺 うち三〇〇ポンドが遊離される。この三〇〇ポンドはどんな 状態にあるか ? 三分の一は労賃に、三分の一一は原料およびする。 かように、単なる回転連動の機構によって遊離される資本 補助材料に、投下されると仮定しよう。すると、還流した六 は ( 固定資本の継起的還流による貨幣資本、および、各労働 〇〇ポンドのうち、一一〇〇ポンドは労賃用として貨幣形態に あり、四〇〇ポンドは生産的在荷の形態ーー・・不変的流動生産過程で可変資本に必要な貨幣資本とあい並んで ) 、信用制度 資本の諸要素の形態ーーにある。だが、第一一労働期間の後半が発展すれば重要な役割を演じなければならぬと同時に、ま た信用制度の基礎の一つをなさねばならない。 にはこの生産的在荷の半分しか要らないから、のこり半分は われわれの例において、流通時間が三週間から一一週間に短 三週間のあいだ、過剰なーーすなわち一労働期間分としては 響過剰なーー・生産的在荷の形態にある。しかるに資本家は、還縮されると仮定しよう。これは、正常ではなく、たとえば好 況や支払期限短縮などの結果だとしよう。労働期間中に投下 流資本中のこの部分 ( 四〇〇ポンド ) のうち、当面の労働期間 の された六〇〇ポンドの資本は、必要なよりも一週間はやく還 に要るのは半分Ⅱ一一〇〇ポンドにすぎぬことを知っている。 回だから、彼がこの二〇〇ポンドの全部または一部分をただち流して、この一週間だけ遊離されている。さらに、従来と同 じく、労働期間の半ばに三〇〇ポンド ( かの六〇〇ポンドの ぼに再び過剰な生産的在荷に転形するか、それとも、より有利 にな市場関係を期待してその全部また一部分を貨幣資本として部分 ) が、しかも、三週間でなく四週間だけ遊離される。だ MJ 保持するかは、市場関係しだいであろう。他面、労賃に投下から貨幣市場には、一週間のあいだ六〇〇ポンドがあり、そ のあいだ三〇〇ポンドがあ 三週間でない して四週間 のされるべき部分二〇〇ポンドが貨幣形態で保持されること る。これは、一資本家にかぎらず多数の資本家に見られるこ 投は自明である。資本家は、労働力を買った以上、それを原料 資のように倉庫に預けておくことはできない。彼はそれを生産とであり、また、さまざまな時期にさまざまな事業部門でお 章過程に合体させねばならぬのであり、週末にはその支払をすこることであるから、市場には、より多くの自由にされうる 一る。だから、三〇〇ポンドの遊離資本のうちこの一〇〇ポン貨幣資本が現われる。こうした状態が長くつづけば、生産が 可能なばあいにはーー拡大される。借入資本で作業する 力ならず、遊離されたーーすなわちその労働期間には 貨幣資本の形態をとるであろう。だから、貨資本家たちは、貨幣市場にたいする需要を減らせるであろう 必要でない 幣資本の形態で遊離される資本は、少なくとも、労賃に投下が、このことは、供給の増加と同じように貨幣市場を緩和さ

9. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

このばあいには、もともとこの目的のために投下された資本件から生ずる混乱は、ここに考察すべきでない他の仕方で調 Ⅱと同一ではないが、価値ではこれに等しく、投下総資本中整すべきである。これに反し、ある種の事業では、注文に応 の同じ可除部分をなす。 じて断続的にのみ作業が行なわれるのであって、労働期間と 第二に、 労働期間中に機能した資本は、流通時間中は労働期間とのあいだに中断が生じうる。こうした場合には、 遊休する。第一一例では、資本は五週間の労働期間中は機能しそのかぎりにおいて追加資本の必要がなくなる。他面、季節 て、五週間の流通時間中は遊休する。だから、このばあいに労働のたいていの場合には、還流の時期のための特定の限界 も与えられている。同じ労働が翌年度に同じ資本をもって更 資本—が一年間に遊休する総時間は半か年となる。そこで、 この時間中は追加資本Ⅱが登場するのであって、この資本も新されうるためには、そのあいまにこの資本の流通時間が終 第一一例では半年間遊休する。だが、流通時間中の生産の連続っていなければならない。これに反し、流通時間が、一生産 性を達成するために必要な資本を決定するのは、一年間の流期間からつぎの生産期間までの間隔より短いこともありう 通時間の総範囲または合計ではなく、回転期間にたいする流る。このばあいには、資本は、そのあいまに他の方面で充用 されなければ遊休する。 ( ここではもちろん、すべての 通時間の比率に他ならない。 第四に、 労働期間のために投下される資本、たとえば 嚇回転が同じ条件のもとで行なわれるものと前提されている。 ) 回だから、第二例では、必要な追加資本は五〇〇ポンドであっ第三例での六〇〇ポンドは、一部は原料および補助材料に・ ・ほて、二五 0 〇ポンドではない。 これは全く、追加資本が本源労働期間のための生産的在荷に・不変的流動資本に・投下さ に的投下資本と同じように回転に入りこみ、したがって、後者れ、一部は可変的流動資本に・労働そのものの支払に・投下 される。不変的流動資本に投下される部分が生産的在荷の形 とまったく同じように回転数によって分量を補う、というこ のとに由来する。 態で実存する期間は同じでない たとえば原料は全労働期 投第三に、 生産時間が労働時間よりも長いかどうかによ 間中は横たわっておらず、石炭は一一週間ごとにしか調達され 資っては、ここに考察する事情は変わらない。それによって総ない かもしれない。とはいえ、 ここでは信用はまだ 章回転期間は延長されるが、しかし、回転のこうした延長のゆ除外されるから、 この資本部分は、生産的在荷の形態で 一えには、労働過程のための追加資本が必要とはならない。追自由にできるのでないかぎりは、貨幣の形態で自由にでき、 第 加資本は、流通時間によって生する労働過程中のすきまを充必要に応じて生産的在荷に転形されうるのでなければならな い。このことによっては、六週間にわたって投下される不変 たすことだけを目的とする。だからそれは、流通時間から生 ずる混乱から生産を保護しさえすればよい。生産の独自な条的流動資本価値の大いさは変わらない。これに反し、ーー予

10. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

「一社会の流動資本は、この点で一個人の流動資本と異なる。一個人 を増加してもらう人々の消費在荷〔消費元本〕に」と。だが 労働者は、彼の労働の「価格」、すなわち、彼の労賃に支払の流動資本は、彼の純収入から全部的に除外されていて、その一部分 をなしえない。彼の純収人は、もつばら彼の利潤からのみ成りたちう われる貨幣を食って生活することはできない。彼は、消費手 る。だが、各個人の流動資本は彼の属する社会の流動資本の一部分を 段を購買することによってこの貨幣を実現させる。この消費 なすとはいえ、だからといって、それはけっして、無条件的に社会の 手段の一部分は、彼じしんの生産した商品種類から成りたっ 純収入から除外されているのではなく、その一部分をなしうる。小売 こともありうる。他方では、彼じしんの生産物が労働搾取者商人の店にある全商品は、け 0 して、彼じしんの直接的消費に予定さ の消費にしか入りこまないこともありうる。 れた在荷に入れられてはならぬとはいえ、しかもそれらの商品は、他 の人々ーーー・すなわち、他の元本から得てきた収入によって、小売商人 ・スミスは、かように、固定資本を全部的に一国の「純 の資本も自分たちの資本も減少させることなしに、小売商人のために 収入」から除外したのち、つづけて次ぎのようにいう、 その諸商品の価値と彼の利潤とを規則ただしく填補してやる人々 「かくして、固定資本を維持するための全支出は必然的に社会の純収 の消費元本には入れられうる。」 ( 同上。 ) 入から除外されているとはいえ、流動資本を維持するための支出のば あいにはそうでない。この流動資本を構成する四つの部分たる貨幣、 つまり、ここでは次ぎのことがいわれているのだ、 生活手段、原料および完成生産物のうち、後の三者は、すでに述べた ( 一 ) 、固定資本、および、その再生産 ( 機能のことを彼は ように、規則ただしく流動資本から取出されて、社会の固定資本中に 忘れている ) や維持のために必要な流動資本と同じように、 述か、または、直接的消費に予定された在荷中に移される。消費できる 消費手段を生産するために働く各個の資本家の流動資本も、 叙財貨のうち、前者の」 ( 固定資本の ) 「維持に使用されない部分は、の 全部的に彼の純収入から除外されているのであって、彼の純 来こらず、後者中に」 ( 直接的消費に予定された在荷中に ) 「入りこむの 収入たりうるものは彼の利潤だけである。だから、彼の商品 がであって、社会の純収入の一部分をなす。だから、流動資本のこれら て 三つの部分を維持することは、固定資本を維持するために必要な部分生産物のうち彼の資本を填補する部分は、彼の収入をなす価 「をのぞけば、年生産物中の一部分たりとも社会の純収入を減少させな値成分には分解されえない。 象い」と。 ( 第二篇第二章、一九二頁〔岩波文庫新版、Ⅱ、二五四頁〕。 ) ( 一 l) 、各個の資本家の流動資本は社会の流動資本の一部分 章これは同義反復であって、流動資本のうち、生産手段の生をなすのであって、それは、各個の固定資本〔が社会の固定資 つま本の一部分をなすの〕とまったく同じである。 一産に役だたない部分は消費手段の生産に入りこむ、 第 ( 三 ) 、社会の流動資本は、個別的流動資本の総額にすぎぬ り、年生産物のうち社会の消費元本をなすはずの部分に入り こむ、というだけのことである。、、こが、 ナ重要なのは、すぐ続とはいえ、各個の資本家の流動資本とは異なる性格を有す る。各個の資本家の流動資本はけっして彼の収入の一部分を いて述べられていることである、