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検索対象: 世界の大思想19 マルクス 資本論2
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1. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

って、いまや現物で填補されねばならぬ時までの、固定資本 れる。農業でのように、労働が季節的にーーまたは、さまざ またはその個々の要素の価値の再生産および積立てーーー貨幣 まな時期にさまざまな分量の労働がーー・充用されるばあいに は、それに応じて、時には少量、時には多量の労働力が購入形態でのーーである。だがこの貨幣は、固定資本の新たな諸 される。これに反して、商品販売から得られた貨幣は、それ要素に再転形されて、死減した諸要素を填補する時にのみ、 が固定資本の磨損分に等しい商品価値部分を貨幣化するかぎその蓄蔵貨幣形態を失い、かくして初めて、流通によって媒 介される資本の再生産過程へふたたび能動的に入りこむ。 りでは、生産資本の成分にーーその価値喪失を填補するのだ 単純な商品流通が単なる生産物交換と同一でないのと同様 この貨幣は生産資本のかたわら がーー再転形されはしない。 に沈澱し、貨幣形態のままでとどまる。この貨幣沈澱は、多に、年々の商品生産物の転態は、そのさまざまな成分間の単 かれ少なかれの年数からなる再生産期間 , ーー不変資本中の固なる無媒介的な相互的交換には分解されえない。そこでは貨 これは特に固定資本価値の再生 定的要素がその旧来の現物形態のまま生産過程で機能しつづ幣が、一つの独自な役割 が終るまで、くりかえされる。建物・機械など産の様式にも現われるーー・を演ずる。 ( 生産が共同的であっ ける期間 て商品生産の形態をとらないと前提すれば趣きが異なること のような固定的要素の寿命がっきて、もはや生産過程で機能 は、のちに研究すべきである。 ) しえなくなれば、その価値は、その固定的要素〔の残骸〕のか さて、基本表式にたち帰るならば、部門Ⅱでは 2000C 十 たわらに、全部が貨幣ーー固定資本から、その協力によって 500V 十 500m であった。ここでは、年内に生産される消費手 生産された諸商品にだんだんと移譲されたところの、そして 諸商品の販売によって貨幣形態に移行したところの、貨幣沈段の全体は価値 3000 であって、商品総額を構成するさまざま 澱すなわち価値の総額ーーのかたちで填補されて実存する。 な商品要素のそれそれは、その価値からみればー「 c 十ー v 十ーー m に、百分比では 66 ド c 十 16 ドく十 16 ド m に、分かれ この貨幣は、やがて、固定資本を ( またはこれの諸要素を、 る。部門Ⅱのさまざまな商品種類はさまざまな比率の不変資 というのは、固定資本の相異なる諸要素は寿命を異にするか らである ) 現物で填補するために、したがって生産資本のこ本を含むであろう。同様に、不変資本中の固定部分も、商品 の成分を現実的に更新するために、役だっ。だからこの貨幣種類が相違すれば相違するであろう。同様に、もろもろの固 定資本部分の寿命、したがってまた年々の磨損分、または、 は、不変資本価値の一部分たる固定部分の貨幣形態である。 だから、この貨幣蓄蔵は、それじしん、資本制的再生産過程それらの固定資本部分の助けによって生産される諸商品に按 の一要素である。すなわちそれは、固定資本がその寿命を終分比例的に移譲される価値部分も、そうであろう。こうした ことはどうでもよい。社会的再生産過程にかんして問題とな り、したがってその全価値を生産された商品に交付してしま

2. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

剰分一一〇ポンドと、周期的に過剰となる一週間分の生産在荷によって旅が二週間に短縮されるとしよう。すると生産在荷 は三週間分から一一週間分に変わりうる。そこで、そのため として実存した八〇ポンドとから成るとすれば、この八〇ポ ンドについての話であるが、工場主がわでの過剰生産在荷の投下される八〇ポンドの追加資本が遊離されるのと同じよう に、労賃用の一一〇ポンドの追加資本も遊離される。けだし、 減少に、棉花商人がわでの商品在荷の増加が照応する。同じ 棉花が、生産在荷として工場主の倉庫に横たわる期間が短縮六〇〇ポンドの資本が一週間だけ早く回転して還流するから されるだけ、商品として棉花商人の倉庫に横たわる期間が延である。 長される。 他方では、たとえば、原料を提供する資本の労働期間が短 これまでわれわれは、事業 X における流通時間の短縮は、 縮され ( その例は前章で与えられた ) 、したがってまた原料 >< がその商品をより速かに販売するーーまたはその支払を受 の更新が早くできるようになれば、生産在荷が減少されえ 縮されるということに、由来するものと仮定した。つまり、 逆に、流通時間したがって回転期間が延長されるならば この短縮が、商品の販売の短縮、すなわち、流通過程の第一追加資本の投下が必要となる。資本家が追加資本をもってお 段階たる商品資本の貨幣資本への転形ー ()5 の短縮から誘導れば彼じしんのポケットから。だが、そのばあいには、この されている。それは、第二段階ーからも、したがって、 資本は何らかの形態で、貨幣市場の成分として投下されてい 資本家 X に流動資本の生産諸要素を提供する資本、 N 、な るであろう。それを自由に処分できるものとするためには、 どの労働期間なり流通時間なりにおける同時的変動からも、 それを従来の形態から解放しなければならない。たとえば、 生じうるであろう。 株式は売られ、預金は引出されねばならぬのであって、この - ばあいにも貨幣市場への間接の影響が生する。あるいは、彼 たとえば棉花、石炭などが、その生産Ⅱまたは貯蔵地から はそれを借入れねばならない。追加資本のうち労賃に必要な 資本家の工場所在地までの旅に、旧来の運輸では三週間か 部分についていえば、正常な事情のもとでは、それはつねに . かるとすれば、新在荷の到着するまでの >< の生産在荷の最小 限は、少なくとも三週間分なければならない。棉花や石炭が貨幣資本として投下されねばならぬのであって、そのために . 旅をしているあいだ、それらは生産手段としては役だちえな資本家は、その分だけ、直接的圧迫を貨幣市場に加える。 。それらは、そのあいだはむしろ、運輸業およびそこで使生産材料に投下されるべき部分については、彼がそれを現金 で支払わねばならぬばあいにのみ、こうしたことが必至であ 用される資本の労働対象をなし、石炭生産者または棉花販売 者にとっては、流通状態にある商品資本をなす。運輸の改良る。彼がそれを信用で入手しうるならば、これは貨幣市場に

3. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

定資本要素の贈与を受けたことになろう。 ーー自分の投下し分 1 が現物で更新しなければならぬ自分の不変資本の固定成 た貨幣の残り 1 一 3 にかんしては、部分 1 はまず、自分の不変分の転化形態である。だから部分 1 は、ここでは買手として 資本の流動成分の買手として登場した。同じ貨幣で、—は、 のみ登場するのであって、自分の貨幣のかわりに同じ価値額 部分 1 から 100 の価値ある残りの商品を買う。だから、この の、固定資本の現物的要素たる商品—を受けとる。部分 2 貨幣は彼 ( Ⅱの部分 1 ) の手に還流する。けだし彼は、自分は、最大限として ( —とⅡとのあいだの商品転態のために— がさきに買手として登場したすぐあとで、商品の売手として から貨幣が投下されない場合 ) 、ただ 200 ポンドを流通に投す 登場するからである。この貨幣が還流しなかったとすれば、 ればよい。けだし、部分 2 は、その商品価値の半分について Ⅱ ( 部分 1 ) はに、 100 だけの商品にたいし、まず 100 の は、 >-«への売手たるにとどまり、—からの買手ではないから 貨幣を与え、ついで、なおそのうえに 100 の商品を与えたこ である。 とになり、したがって、自分の商品をに贈与したことにな 流通から 400 ポンドが部分 2 に復帰する。そのうち 200 ろう。 は、これを部分 2 が 200 の商品の買手として投下したのち売 これに反し、 100 の貨幣を投下した部分 2 に 300 の貨幣が手として回収するからであり、さらに 200 は、部分 2 が 200 還流する。そのうち 100 は、部分 2 がまず買手として 100 の の価値ある商品を—に売るだけで、これにたいする商品等価 貨幣を流通に投じ、そしてこれを売手として回収するからでを—から買戻さないからである。 あり、また 200 は、部分 2 が価値額 200 の商品の売手として (o) 、部分 1 は貨幣 200 と商品 200C とを所有し、部分 2 は のみ機能して、買手としては機能しないからである。だから商品 200C (d) を所有する。 この貨幣は、—には還流しえない。だから固定資本の磨損分 部分 2 は、この前提のもとでは貨幣を投する必要がない、 は、Ⅱ ( 部分 1 ) が固定資本要素を購入するため流通に投じ 産 というのは、部分 2 は、にたいしては、総じてもはや買手 生た貨幣によ 0 て決済されている。だがこの貨幣は、部分 1 のとしてではなく、ただ売手としてのみ機能するのであり、つ 純貨幣としてでなく、部門—に属する貨幣として、部分 2 の手まり、—によ「て買われるまで待てばよいからである。 にはいる。 章 200 は、»-«と 部分 1 は、貨幣 400 ポンドを投下する、 0 (=) 、この前提のもとでは、Ⅱ o の残りは、部分 1 が 200 の の相互的商品転態のために、 200 は、—からの単なる買手と 第 貨幣を所有し、部分 2 が 400 の商品を所有するように配分さ して。この後者 200 ポンドをもって、部分 1 は固定資本要素 れる。 を買う。 部分 1 はその商品を売ってしまったが、 200 の貨幣は、部 —は貨幣 200 ポンドで 200 だけの商品を部分 1 から買い

4. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

を始める前に、総商品が、商品資本が、機械が、全部的に販。 であり、時期を異にして行なわれる。だからこの貨幣は、一 これに反して、資本家が 8440 封・ 時的には、日常的消費に予定された貨幣準備または蓄蔵貨幣売されておらねばならない。 けだし、流通を中断された貨幣は蓄蔵貨幣形態にあるわ度の糸を販売すれば、残りの 60 封度の販売は、 ( 】 560 封・ —> ( 消費財 ) という形態で、ま 度の糸 ) —b0 ( 78 ポンド ) けだからーーの形態で実存する。この貨幣の、流通手段ー ったく分離された剰余価値流通を表わすであろう。ところで 蓄蔵貨幣としての一時的形態をも含むーーとしての機能は、 この貨幣は投 10000 封度の糸生産物のそれそれの部分の価値諸要素は、総。 貨幣形態での資本 (-) の流通には入りこまない。 生産物のばあいと同じように、生産物の諸部分で表わされう 資されるのでなく、支出されるのである。 る。この 10000 封度の糸が、不変資本価値 ( ) たる 372 ポン われわれの前提によれば、投下総資本はつねに全部的に一 ドの価値ある 7440 封度の糸と、可変資本価値 ( こたる 50 ボ・ 段階から他の段階に移行するのであり、したが「てこの場合 ンドの価値ある 1000 封度の糸と、剰余価値 (E) たる 78 ポン、 にも、の商品生産物は、生産資本の総価値 H422 ポンド、 トの価値ある 1560 封度の糸とに分割されるのと同じように、 プラス、生産過程で創造された剰余価値Ⅱ 78 ポンド、を担っ ている。可分的商品生産物を問題とする前例では、剰余価値各 1 封度の糸も、 0 たる 8 べンスの価値ある 11.904 オン・ スの糸と、たる 1.200 。ヘンスの価値ある 1.600 オンスの糸 は 1560 封度の糸の形態で実存するのであって、もしこれを 1 と、たる 1.872 ペンスの価値ある 2.496 オンスの糸とに分割 封度の糸あたりで計算すれば、剰余価値は 2.496 オンスの糸 される。資本家はまた、 10000 封度を継起的に販売すること、 の形態で実存する。これに反し、商品生産物がたとえば 58 によって、その継起的諸部分に含まれる剰余価値要素を継起 ポンドの価値のーーそして同じ価値構成のーーー機械だとすれ ば、この機械の価値の一部分Ⅱ 78 ポンドは剰余価値ではあろ的に消費し、かくしてやはり継起的に十の総額を実現す うが、この 78 ポンドはその総機械のうちにのみ実存するであることもできよう。だが、この操作も、結局は、】 0000 封度 ろう。その機械は、それじしんを微塵にくだいて使用価値とぜんぶが販売されることを、したが「てまた 8440 封度の販売 . ともにその価値をも破壊することなしには、資本価値と剰余によ「ておよびの価値が填補されることを、内蔵する。 価値とに分けることができない。つまり、この二つの価値成 ( 第一部第七章第一一節 ) 。 ・この流通符号 ( ー ) が原典ではイクオール↑ ) になっている。ーー訳、 分は、観念的にのみ商品体の諸成分で表示されうるのであっ 者。 て、各 1 封度の糸が 10000 封度の糸の可分的・自立的な商品 それはともあれ、によって、に含まれる資本価値 要素として表示されうるようには、商品の自立的諸要素と しては表示されえない。機械のばあいには、が特殊的流通も剰余価値も、分離されうる実存を、相異なる貨幣額たる実

5. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

労働力に転態されている。この労働力は資本家によって、労働力が継起的に生産過程に合体されて、それじしんの価値“ 四働過程で生産的に消費される。第五週の終りには一〇〇〇ポ五〇〇〇ポンドを再生産するばかりでなく、そのうえ五〇〇・ ンドの価値生産物が出来ている。その半分たる五〇〇ポンド 〇ポンドの剰余価値を生産する。第二回転期間に投下される は、労働力の支払に支出された可変資本の価値が再生産され可変資本五〇〇ポンドは、第一回転期間に投下されたのと同 たものである。のこり半分たる五〇〇ポンドは、新たに生産じ資本五〇〇ポンドではない。後者は消費され、労賃に支出 . された剰余価値である。しかるに、五週間分の労働力ーーこ されている。だがそれは、第一回転期間に商品形態で生産さ れへの転態によって資本の一部分が可変資本に転形した れて貨幣形態に再転形された新可変資本五〇〇ポンドによっ は、やはり支出されて、生産的にではあるが、消費されてい て、填補されている。だから、この新貨幣資本五〇〇ポンド る。昨日活動した労働は、今日活動するのと同じ労働ではな は、第一回転期間に新たに生産された商品分量の貨幣形態で 。それの価値は、それによって創造された剰余価値といつある。資本家の手にふたたび同一貨幣額五〇〇ポンドーーす いまや、労働力そのものとは別ものたる生産物の価なわち、剰余価値を度外視すればちょうど彼が最初に投下し 値として実存する。とはいえ、生産物が貨幣に転形されるこ ただけの貨幣資本ーーがあるという事情は、彼の運転するの とによって、その生産物価値のうち投下可変資本価値に等し は新たに生産された資本だという事情を隠蔽する。 ( 商品資 い部分は、新たに労働力に転態されえ、したがって、新たに本の価値成分のうち、不変資本部分を填補する他の部分につ 可変資本として機能することができる。再生産されたばかり いていえば、その価値は新たに生産されるのではなく、その でなく貨幣形態に再転形された資本価値をもって、同じ労働価値の実存形態を変えるにすぎない。 ) ーー第三回転期間を 者ーーすなわち労働力の同じ担い手ーーーが働かされるという とって見よう。ここでは、三度目に投下される資本五〇〇ポ 事情は、どうでもよい。資本家が第二回転期間に、旧労働者ンドが旧来の資本でなく、新たに生産された資本であること でなく新労働者を使用することもありうる。 は明瞭である。けだし、この資本は、第一回転期間でなく第 だから、事実上、五週間からなる回転期間の一〇度のうち 一一回転期間に生産された商品分量のーーすなわち、この商品 に、継起的に五〇〇〇ポンド 五〇〇ポンドではない 分量のうち投下可変資本価値と等しい価値をもっ部分の の資本が労賃に支出されるのであって、この労賃はさらに労貨幣形態だからである。第一回転期間に生産された商品分量 働者によって生活手段に支出される。こうして投下された資は販売されている。その価値のうち、投下資本価値の可変部 本五〇〇〇ポンドは消費されている。それはもはや実存しな分に等しい部分が、第二回転期間の新労働力に転態されて新 。他面、五〇〇ポンドでなく五〇〇〇ポンドの価値ある労 たな商品分量を生産し、これがふたたび販売されて、その価

6. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

頁〕でいう、 「どの社会でも、各商品の価格は、け。きよく、こ者のための収人の三源泉たる、労賃、利潤および地代に分解 れら三つの部分 ( 労賃、利潤、地代 ) のどれか一 0 、または三 0 の全した後、なんと彼は、まわり途をして、第四の要素、すなわ 部に分解されるのであって、どの進歩した社会でも、これら三つの部 ち資本という要素を密輸入せねばならない。 この密輸人は、 分はすべて、多かれ少なかれ、ほとんど大部分の商品の価格中に成分 総収入と純収入とを区別することによって行なわれる、 として人りこむ」と。あるいはまた、六三頁〔同上、一九六頁〕でさ 「ある大国の全住民の総収人は、彼らの土地および労働の年産物ぜん らにいうところでは、「賃銀、利潤および地代はあらゆる収入ならび たいを包含し、純収入は、第一には彼らの固定資本の・第二には彼ら にあらゆる交換価値の三つの根源である」と。われわれは後になお、 の流動資本の・維持費を控除したのち、なお彼らの手に残って自由に 「諸商品の価格の諸成分」または「あらゆる交換価値の諸成分」にか できる部分を、 しいかえれば、彼らがその資本をくいこむことな んする << ・スミスのこの学説を詳しく研究するであろう。 ↓ 0 , らに く彼らの消費在荷にくりいれうる部分、すなわち、彼らの生計や使益 いわく、「このことは、個別的にみた各個の商品について妥当するの や娯楽に支出しうる部分を、包含する。彼らの現実の富も、彼らの総 であるから、各国の土地および労働の年生産物全体を構成するあらゆ 収入にではなく、彼らの純収入に比例する」と。 ( 前掲書、一九〇頁 る商品の総体にも妥当しなければならない。 この年生産物の総価格ま 〔岩波文庫新版、Ⅱ、二五一頁〕。 ) たは総交換価値は、同じ三部分に分解されねばならす、その国のさま これについての注意、 ぎまな住民のあいだに、彼らの労働の賃銀として、あるいは彼らの資 本の利潤として、あるいは彼らの土地所有の地代として分配されねば ( 一 ) 、・スミスがここではっきり取扱っているのは、単 ならない」と。 ( 第二篇第二章、一九〇頁〔岩波文庫新版、Ⅱ、二四 純再生産だけであって、拡大された規模での再生産または蓄 九ー五〇頁〕。 ) 積ではない。彼は、機能資本の維持のための支出について語 lll< 「ほとんど大部分の商品の価格」という文句について読者が思い違いを っているだけである。「純」収入は、社会なり個別的資本家 しないように、・スミスじしんがこの言葉をどう説明するかを、つぎに示 なりの年生産物のうち、「消費元本ーに入りこみうる部分に そう。たとえば、海魚の価格中には、地代は入りこまないで、労賃と利潤と めのう が入りこむだけであり、瑪瑙の価格中には労賃が入りこなだけである。すな等しいが、この一兀本の範囲は、機能資本にくいこんではなら わち、「スコットランドの若干の地方では、貧乏人たちが、瑪瑙の名前で知 ない。だから、個人的ならびに社会的生産物の価値の一部分 られている色とりどりの小石を海浜で集めることを仕事にしている。彫石業 は、労賃こも、利潤または地代にも分解しないで、資本に分 者がその代価として彼らに支払う価格は、彼らの労賃だけから成りたつ。と いうのは、地代も利潤も、その価格中のいかなる部分をも構成しないからで解する。 ある。」〔岩波文庫新版、 一九五頁。〕 ( 一 l) 、・スミスは、 gross revenue と net revenue 、す ・スミスは、かように、個別的に見たあらゆる商品の価なわち、総収入と純収入との区別づけという言葉の遊戯によ 格、ならびに「各国の土地および労働の年生産物 : : : の総価って、彼じしんの理論から逃避する。個別的資本家も、全資 格または総交換価値ーを、賃労働者、資本家および土地所有本家階級またはいわゆる国民も、生産中に消費された資本の ( 三八 )

7. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

からである。想いおこされるのは、鏡の作用ー・ーすなわち、人が正し この 600 が貨幣に転形される。この貨幣のうち、ふたたび、 い観点に立てば対象がは 0 きりと正しい釣合でうつり、また人があま 400C は不変資本の現物形態に転態され、 100V は労働力に転 りに近くか遠くに立てばいっさいがばんやりとゆがんで現われるとい 態されるのであって、総剰余価値が蓄積されるばあいには、 う、かの鏡の作用である」と。 ( 二四二、二四三頁。 ) その他に 100m が、生産資本の現物的諸要素への転態によっ これこそは、ひとりよがりの・フルジョア的愚昧というもの て追加的不変資本に転形される。ここではつぎのことが想定 されている、 ( 一 ) 、与えられた技術的条件のもとでは、 機能的不変資本の拡張のためにも、新たな産業的事業の創設 のためにも、この額で充分であること。だが、この過程が生 第二一章蓄積と拡大再生産 じうる前に、つまり現実的蓄積たる生産拡大が始まりうる前 に、剰余価値の貨幣への転形、および、この貨幣のはなはだ 長期にわたる積立てが必要なこともありうる。 ( 一 l) 、つぎの 毛以下、終りまで第八稿。 蓄積が個々の資本家にとっていかにして行なわれるかは、 前提は、事実上すでに前もって拡大された規模での生産が始 第一部で明らかにされた。商品資本の貨幣化によって、剰余まっているということである。けだし、この貨幣 ( 貨幣で積 価値をあらわす剰余生産物も貨幣化される。こうして貨幣に立てられた剰余価値 ) を生産資本の諸要素に転形しうるため 転形されたこの剰余価値を、資本家は自分の生産資本の追加 には、これらの要素が商品として市場で買われうるものでな 的現物要素に再転形する。つぎの生産循環では、増大されたければならぬからである。このばあい、それらの要素が既成 生資本が増大された生産物を提供する。ところで、個別的資本商品としては買われないで注文によって作られても、なんら 、大のばあいに現われることは年々の総再生産でも現われざるを区別はない。それらが支払われるのは、それらが出来てから りえないのであって、それはたとえば、単純再生産の考察にさ後のことであり、いずれにしても、それらについての拡大さ いして見たように、消耗された固定成分が、ーーー個別的資本れた規模での現実的再生産がーー従来の正常的生産の拡張が 章のばあいにーー貨幣で継起的に沈澱して積立てられるという すでに生じた後のことである。それらは潜勢的には 一一ことが、年々の社会的再生産でも現われるのとまったく同じすなわちその諸要素においてはーー定在しなければならなか である。 った。というのは、それらの生産が現実に生ずるためには、 ある個別的資本が 400 c 十 100 v であって年剰余価値が 100 ただ注文という衝動、すなわち商品定在に先行する商品購買 であるならば、商品生産物は 400C 十 100V 十 100m である。 と、その先取り販売とを要しただけだからである。このばあ ( 五も )

8. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

態では問題にされない。 200 ポンドの貨幣を年々じぶんのポケットから追加するので (=) 、一方では—が、Ⅱから購入するためにさらに 400 ポ なければ、ついに新たな紡績機械を買うことができないとい ンドを貨幣で投下して、これが—に還流するのと同じように、 うこと、これである。 他方ではⅡが、から購人するために 400 ポンドを投下して、 だが、この愚劣さは外観にすぎない。部門Ⅱを構成する資 それがⅡに還流するものと前提された。こうした前提がなさ本家たちの固定資本はその再生産期限をまったく異にする。 れねばならぬのは、けだし、商品転態に必要な貨幣を資本家ある資本家たちの固定資本は全部が現物で填補されるべき期 階級—または資本家階級Ⅱが一方的に流通に投下するという限に達している。他の資本家たちの固定資本は、この段階ま 仮定こそ、かえって恣意的だろうからである。ところで前項でに多かれ少なかれあいまがある。後の部類に属するすべて ( 一 ) で明らかにされたように、 200nC (d) を貨幣化する の資本家に共通なのは、彼らの固定資本は現実には再生産さ ために—が追加貨幣を流通に投するという仮説は愚劣なものれないということ、すなわち、現物で更新ーーまたは同一種 として排斥されるべきであるから、残っているのは、明らか類の新品によって填補ーーーされるのではなく、その価値が継 に、固定資本の磨損分を填補すべき商品価値成分を貨幣化す起的に貨幣で積立てられるということである。初めの方の資 る貨幣はⅡ自身がこれを流通に投するという、外観的にいっ本家は、その創業当時ーーそのさい彼はある貨幣資本をもっ そう愚劣な仮説だけであろう。たとえば、 X 氏の紡績機械が て市場に現われ、これを一方では ( 固定的および流動的 ) 不 生産中に失う価値部分は縫糸の価値部分として再現する。一変資本に転形し、他方では労働力すなわち可変資本に転形し 方では彼の紡績機械が価値または磨損で失うだけのものが、 たーーと全く ( または、この場合にはどうでもよいことだが 他方では貨幣として彼の手に積立てられねばならない。い ま部分的に ) 同じ状態にある。創業当時と同じように、彼は今 >•< は、たとえば 200 ポンドだけの棉花を >* から買い、かくしや、この貨幣資本をーーっまり、不変的流動資本および可変 て流通に 200 ポンドの貨幣を投下するとしよう。は同じ 200 資本の価値と同じように、不変的固定資本の価値をもーーーふ ポンドでから糸を買い、この 200 ポンドが今度は紡績機械たたび流通に投下しなければならない。 の磨損分を填補すべき元本として X のために役だっ。その帰 だから、資本家階級Ⅱが、—との転態のために流通に投ず 着するところは、ただ、の生産やその生産物やその販売をる 400 ポンドの半分は、Ⅱにおけるつぎのような資本家たち 度外視すれば、は、紡績機械の価値喪失分を自分じしんに ーー・・・すなわち、流動資本に属する自分の生産手段を自分の商 支払うために 200 ポンドを蓄蔵するということ、すなわち、 品によって更新するばかりでなく、自分の固定資本を自分の 彼は自分の紡績機械の価値喪失分 200 ポンド以外になお別の貨幣によっても現物で更新しなければならぬ資本家たちの手

9. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

ばならない。だが、前に展開した法則によれば、流通に投下ずるのであって、これによって、表式の全基礎、すなわち同 された貨幣は、のちに同等分量の商品を流通に投ずる資本制等不変な規模での つまり、さまざまな生産部門間の完全 的生産者の手に復帰する。—は、明らかに、Ⅱの購入にさ な比率性を前提とするーー再生産が消失するであろう。一方 いしてⅡにたいし、 2000 の商品分と、他になお余分の貨幣額の困難は、はるかにいっそう不愉快な一つの困難によって除 を与えきりに ( それが転態操作によって—に復帰することな かれるにすぎぬであろう。 この問題は独自の困難を呈するものであり、しかも従来、 しに ) 与えることはできない。そうでなければ、—は商品分 量Ⅱ o をその価値以上に買うことになろう。Ⅱは、事実上そ一般に経済学者によって取扱われていないので、われわれは の 2000C と交換して I ( 1000V 十 1000m ) を入手するばあ、、 9 し翡順をおって、この問題のあらゆる可能な ( 少なくとも外見的 それ以上には何も—から要求すべきではないのであって、こ に可能な ) 解決、というよりも、むしろ問題そのものの状況 の転態中に流通する貨幣は、両者のいずれがそれを流通に投を考察することにしよう。 じたか、すなわち、両者のいずれがます購買者として登場し さしあたり、いまさきの想定によれば、Ⅱは、—に 2000 の たかによって、—またはⅡに復帰する。同時に、Ⅱはこのば商品を売るが、—からは 1800 の商品しか買わない。商品価値 あい、その商品資本の全価値額を生産手段の現物形態に再転 2000n c のうちには、貨幣で蓄蔵されるべき、磨損填補用の 形するわけであるが、しかるに前提によれば、Ⅱはその商品 200 が含まれている。かくして価値 2000n c は、生産手段— 資本を販売したのち、その一可除部分を、今年の再生産期間 と交換されるべき 1800 と、貨幣で ( 2000C を—に売った後に ) 中には貨幣から不変資本Ⅱの固定的成分の現物形態に再転形保持されるべき磨損填補分 200 とに分かれるであろう。ある しない。だから、Ⅱが貨幣残高を得ることができるのは、た いは、その価値についていえば 2000nCu1800C 十 200C ( d ) ここにというのは déchet ( 磨損分ー・・ー・・ 産だ、Ⅱが 2000 を—に売りながら、しかも—からは 2000 よりもであろう、 エンゲルス ) のことである。 再少なく、たとえば 1800 しか買わない場合だけであろう。この そこで、考察すべきはつぎの転態である・ 単よあ、、—は差額を 200 の貨幣によって補わねばならぬので 章あって、この貨幣は—には還流しない。けだし、—は、流通 I ) 1000 v 十 1000m 一一に投下されたこの貨幣を、商品 200 を流通に投ずることによ 第 1800C 十 200C (d) って再びそこから引上げるのではないからである。このばあ —は、労働力の支払のために労賃として労働者に流れてい 、Ⅱのためにはその固定資本の磨損勘定として貨幣元本が 生ずるが、他面—では、 200 だけの生産手段の過剰生産が生った 1000 ポンドで、 1000n c だけの消費手段を買う。Ⅱは、 460

10. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

って支出した 500 ポンドが還流する。Ⅱへは、その商品生産した後には、さしあたり、労働者がこれらの資本家に提供し 8 物の不変部分をあてにして投下された貨幣が還流し、また— た商品形態で実存する。これらの資本家は、貨幣形態でのこ へは、その商品生産物の剰余価値部分をあてにして投下されの資本を、労働者に、労働力の価格としてすでに支払ってい た貨幣が還流するとすれば、それはただ、資本家Ⅱは商品形る。彼らはそのかぎりでは、彼らの商品生産物のうち、貨幣 態Ⅱで実存する不変資本のほかに、資本家—は商品形態—で で投下されたこの可変資本に等しい価値成分をすでに支払っ 実存する剰余価値のほかに、それぞれなお 500 ポンドの貨幣ている。その代わりに彼らは、商品生産物中のこの部分の所 を流通に投じたからに他ならない。彼らは結局、彼らのそれ有者なのである。だが、労働者階級のうち彼らによって使用 ぞれの商品等価の交換によって相互に完全に支払いあったのされる部分は、自分じしんの生産した生産手段の購買者では である。彼らが自己の商品の価値額いがいにこの商品転態の なく、Ⅱによって生産された消費手段の購買者である。だか 手段として流通に投じた貨幣は、彼らのおのおのが流通に投ら、労働力の支払にさいして貨幣で投下された可変資本は、 じた割合に応じて、流通から、彼らのおのおのの手に復帰す直接には資本家—の手に復帰しない。それは、労働者の購買 る。このことによっては、彼らは一文も儲けない。Ⅱは、消を通して、労働者に必要な一般に買いやすい商品の資本制的 費手段形態で不変資本 2000 と貨幣で 500 とをもっていたが、 生産者の手に、つまり資本家Ⅱの手に移るのであり、これら いまも依然として、生産手段で 2000 と貨幣で 500 とをもって の資本家がこの貨幣を生産手段の購入に用いることによって いる。それと同じように、—も依然として、 1000 の剰余価値初めて、 この廻り道をして初めて、資本家—の手に復帰 ( 商品たる生産手段から、今では消費元本に転形されている ) する。 と、貨幣で 500 とをもっている。一般的にいえば、産業資本 結論、ーー単純再生産にあっては、商品資本—中の価値額 家たちが彼らじしんの商品流通の媒介物として流通に投ずる 十は ( したがって総商品生産物—のうちこれに照応する 貨幣は、 それが商品の不変価値部分をあてにして投。せら比例的部分も ) 、部門Ⅱの総商品生産物中やはり比例的部分 れようと、商品中に実存する・収入として支出されるかぎりとして区分される不変資本Ⅱに等しくなければならない。 での剰余価値をあてにして投ぜられようと、 彼らが貨幣すなわち I (v 十 m) 日 llc でなければならない。 流通のために投下しただけが、それそれの資本家の手に復帰 する、ということになる。 第四節部門Ⅱの内部での転態。必要生活 部門—の可変資本の貨幣資本への再転形についていえば、 手段と奢侈品 この資本は、資本家—にとっては、彼らがこれを労賃に投下