在荷 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想19 マルクス 資本論2
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1. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

113 第ハ章流通費 通過程そのものの事情によって販売が妨げられて彼の商品がその大いさは、さらに、中位の販売よりも、または中位の需 在荷を形成するのかということは、事態の本質をなんら変化要の大いさよりも、大きくなければならない。でなければ、 それ以上の余分な需要が充たされえないであろう。他面、在 させえないように見える。だが、自由意志的な在荷形成を、 非自由意志的なそれから区別するものが何であるかを知るこ荷はたえず分解されるから、たえず更新されねばならない。 とは、この問題を解決するために有用である。非自由意志的この更新は、窮極においては、生産・商品の供給・からのみ な在荷形成は、商品生産者の意識に係わりなく彼の意志を妨生じうる。この供給が外国からくるかどうかによっては、事 この更新は、商品の再生産に要する期間に 態は変わらない。 または、これと同じもので 害する流通停滞から生する、 ある。自由意志的な在荷形成を特徴づけるものは何か ? 販依存する。この期間中は、商品在荷が充分になければならな 。商品在荷が、その本源的生産者の手にとどまらないで、 売者はあいかわらず、商品をできるだけ早く売りはなそうと する。彼はたえす生産物を商品として売りにだす。彼が生産卸売商人から小売商人にいたる様々な貯蔵所を通過するとい 物を販売から引上げたとすれば、それは、商品在荷の可能的うことは、現象を変化させるだけであって、事態そのものを 要素を形成するにとどまり、その有効的要素を形成しないで変化させない。社会的に考察すれば、商品が生産的または個 あろう。商品としての商品は、彼にとってはつねにその交換人的消費に入りこんでしまわないかぎり、資本の一部分はあ いかわらず商品在荷の形態にある。生産者じしんは、直接に 価値の担い手たるにとどまるが、それがかかるものとして作 用しうるのは、それが商品形態を脱却して貨幣形態をとるこ生産によって左右されないために、また、恒常的な顧客範囲 を確保するために、じぶんの在庫状態を平均需要に照応させ とによってのみであり、またそれ以後においてのみである。 商品在荷は、与えられた期間中、需要の大いさにとって充ておこうとする。生産期間に照応して購買期限が形成され、 分であるためには、特定の大いさをもたねばならない。そのまた商品が、同種類の新品によって填補されうるまで長かれ さい、購買者の範囲のたえざる拡大が勘定に入れられる。た短かれの時間にわたって在荷を形成する。この在荷形成によ とえば一日のまにあうためには、市場にある商品のほかの部ってのみ、流通過程のーーしたがって、流通過程を包含する 分が流動して貨幣に転形されているときに、一部分がたえす再生産過程のーー恒常性および連続性が確保される。 がまだ市場にあるのに、ーがの生産者にとって完 ~ 商品形態でとどまらねばならない。ほかの部分が流動すると きに停滞する部分は、在荷そのものの大いさが減少すればた了したばあいがありうる、ということが想いだされねばなら えす減少して、ついにはすっかり売れてしまう。だからこのない。生産者じしんが自分じしんの商品を窮極的消費者に売 ってしまうまで貯蔵しようとすれば、彼は一一重の資本を運動 場合には、商品停滞は商品販売の必要条件だと考えられる。

2. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

じゅういっ 池が充溢するばあいには、商品在荷が流通停滞の結果として させねばならぬであろう、 一つは商品の生産者として、 個々膨脹することは、貨幣流通が停滞すれば蓄蔵貨幣が増大する Ⅱもう一つは商人として。商品そのものにとっては、 の商品として考察するか、社会的資本の構成部分として考察のと全く同じである。このばあい、この停滞が産業資本家の するかをとわす、ーー在荷形成の費用が生産者の肩にかかる貯蔵所で生するか商人の倉庫で生するかは、どうでもよい こうしたばあい、商品在荷は、中断されない販売の条件では か、から N までの一系列の商人の肩にかかるかということ なく、商品が売れないことの結果である。費用は同じである によっては、事態はちっとも変わらない。 が、それはいまや純粋に形態からーーすなわち、商品を貨幣 商品在荷が、在荷ーーこれは、与えられた社会的生産段階 では、商品在荷として実存しないとすれば、生産在荷 ( 潜在に転形する必要から、および、この姿態変換の困難から 生ずるのであるから、商品の価値には入りこまないで、価値 的生産元本 ) としてか消費元本 ( 消費手段の予備 ) として、 実存するはずーーの商品形態に他ならぬかぎりでは、在荷の実現における控除・価値損失をなす。在荷の正常形態と異常 維持に要する費用、つまり在荷形成の費用、すなわち、それ形態とは、形態上では区別されず、いずれも流通停滞である に費される対象化された労働または生きた労働は、社会的生から、これらの現象は混同されうるし、いわんや生産当事者 産元本なり社会的消費元本なりの維持費の転化したものに他そのものを欺きうる。というのは、生産者にとっては、商人 ならない。 この費用から生ずる商品価値の増大は、この費用の手に渡った自分の商品の流通過程が停滞しても、自分の資 本の流通過程は流動しうるからである。生産および消費の範 を相異なる諸商品の上に按分比例的に配分するのであるが、 それはけだし、この費用は、商品の種類が異なれば異なるか囲が膨脹すれば、ほかの事情が同等不変ならば、商品在荷の らである。在荷形成の費用は、社会的富の一実存条件ではあ範囲が膨脹する。商品在荷は同じ速さで更新され吸収される るが、社会的富からの控除であることに変わりはない。 が、その範囲が増大する。だから、流通停滞によって膨脹す 商品在荷が、商品流通の条件であり》商品流通において必る商品在荷の範囲が、再生産過程の拡大の徴候だと誤認され 然的に発生した形態ですらあるかぎりにおいて、つまり、貨うる、ーー信用制度の発展によって現実的運動が神秘化され うるばあいには殊にそうである。 幣準備の形成が貨幣流通の条件であるのとまったく同じよう に、この外観的停滞が流動そのものの形態であるかぎりにお 在荷形成の費用は、 ( 一 ) 、生産物分量の量的減少から ( た ただそのかぎりにおいてのみ、この停滞は正常的とえば穀粉在荷のばあい ) 、 ( 一 I) 、質の悪化から、 ( 一一 I) 、在荷 である。しかるに、流通貯水池に滞留している商品が、後か の維持に要する対象化された労働および生きた労働から、な ら追いかけてくる生産の波に席をゆずらず、そのために貯水りたつ。 あんぶん 142

3. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

ーー・・それに応じて、糸販売の偶然から独立する所与の規模で 分量がたえず供給される迅速さ・規則正しさ・および確実さ Ⅱに帰着する。これらの条件が充たされることが少なければ、 の連続的な糸生産を確保するための、これらの在荷の相対的 つまり、供給の確実さ・規則正しさ・および迅速さが少なけ大いさが減少しうる。だが第四に、幾多の原料・半製品など れば、それに応じて、生産資本の濳在部分、すなわち、生産は生産に比較的長期間を要するのであって、殊にこのことは、 者の手で加工を待っ原料などの在荷が大きくなければならな農業の提供するすべての原料についていえる。だから、生産 。これらの条件は、資本制的生産の、したがって社会的労過程の中断を生じさせないためには、新生産物が旧生産物を 働の生産力の、発展度に逆比例する。だから、この形態での填補しうるまでの全期間中、これらのものの一定の在荷が現 在荷もそうである。 この在荷が産業資本家の手で減少す 存しなければならない。 とはいえ、ここに在荷減少として現象する ( たとえばレー れば、そのことは、それが商品在荷の形態で商人の手で増加 ラーによれば ) ものは、一部分は、商品資本形態での在荷ますることを証明するにすぎない。たとえば運輸手段が発達す たは本来の商品在荷の減少にすぎず、つまり、同じ在荷の形れば、輸入港に横たわる棉花を迅速にリヴァ。フールからマン チェスターに運ぶことができ、したがって工場主は、必要し 態変換にすぎない。たとえば、日々自国で生産される石炭の だいに比較的小部分ずつ自分の棉花在荷を更新することがで 分量、したがって石炭生産の範囲および精力が大きければ、 紡績業者は、生産の連続性を確保するために大きな石炭倉庫きる。だがその場合には、同じ棉花が、それだけ大きな分量 を必要としない。石炭供給のたえざる確実な更新がそれを不で商品在荷としてリヴァプールの商人の手に横たわる。だか 要にする。第二に、一過程の生産物が生産手段として他の過らこれは在荷の形態変換にすぎず、このことをレーラーその 程に移行しうる迅速さは、運輸 = および交通手段の発展に依他は見のがしたのだ。また社会的資本を考察すれば、この場 存する。運輸の低廉はこのばあい大きな役割を演する。たと合にも相変わらず同じ生産物分量が在荷の形態で存在する。 えば、炭坑から紡績工場までの石炭の運輸をたえず繰返すこ個々の国にとっては、たとえば、年間に必要な分量が準備さ とは、運輸が比較的低廉なばあいには、長期間用の多量の石れておらねばならぬ範囲は運輸手段の発達につれて減少す 炭を備蓄するよりも高価であろう。以上で考察したこの二つ る。多数の汽船や帆船がアメリカとイギリスとのあいだを通 の事情は、生産過程そのものから生ずる。第三に、信用制度えば、イギリスにとっては、棉花在荷を更新する機会が増加 の発展が影響する。紡績業者が、棉花・石炭などの在荷更新し、したがって、平均的にイギリスで貯蔵されねばならぬ棉 のために糸の直接的販売に依存することが少なくなれば、 花在荷の分量が減少する。世界市場の発展、したがって、同 信用制度が発展すればこの直接的依存が少なくなる、 じ財貨の仕入先の倍加も同じような作用をする。財貨が小口

4. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

いする直接的需要によっては、ますますわずかな程度で規定 で、さまざまな国から、またさまざまな時期に供給される。 され、個別的資本家の自由にする資本の範囲によっては、彼 ニ本来的な商品在荷 の資本の増殖衝動と生産過程の連続および拡大の必要とによ すでに見たように、資本制的生産の基礎上では、商品が生っては、ますます大きな程度で規定される。それとともに、 産物の一般的形態となるのであって、資本制的生産が範囲おどの特殊的生産部門でも、商品として市場にある・または販 路を求める・生産物の分量が必然的に増大する。商品資本の よび深さから見て発展すればするほど、そうなる。だから、 生産の範囲は同等であっても、ーー以前の生産諸様式に形態で長かれ短かれ固定化される資本の分量が増大する。だ から商品在荷が増大する。 くらべても、発展度の低い資本制的生産様式にくらべても、 最後に、社会の最大部分が、賃労働者に、すなわち、手か 比較にならぬほど大きな生産物部分が商品として実存する。 らロへのその日暮らしであって、自分の賃銀を毎週受取って したがって、商品に他ならない だが、すべての商品は、 が資本価値の定在形態としての商品であるすべての商品資本毎日支出する人々に、つまり、自分の生活手段を在荷として も、 その生産部面から直接に生産的または個人的消費に見いださねばならぬ人々に、転化される。この在荷の個々の 入りこまないで、しばらく市場にあるかぎりは、商品在荷の要素がどんなに流動的であろうと、その在荷がつねに流動状 一要素をなす。だから、即自的にも向自的にも、ーー・生産の態にありうるためには、その要素の一部分がたえず停滞して 範囲は同等不変であってもーー商品在荷 ( すなわち、生産物おらねばならない。 すべてこれらの契機は、生産の形態と、これに包含される の商品形態のこの自立化および固定化 ) は、資本制的生産に ーー・生産物が流通過程で通過せねばならぬーー形態転化とか つれて増大する。すでに見たように、これは在荷の形態変換 に他ならない。すなわち、一方で商品形態での在荷が増加すら生ずる。 生産物在荷の社会的形態がどうあろうと、その保管のため るのは、他方で在荷が直接的な生産 = または消費在荷の形態 で減少するからである。それは在荷の社会的形態の変化にすには、費用をーー生産物の貯蔵所をなす建物・容器などや、 また、生産物の本性に応じて多少の差こそあれ、有害な影響 ぎない。社会的総生産物にくらべての商品在荷の相対的大い を防ぐために支出されねばならぬ生産手段や労働をー - ー要す 六さばかりでなく、絶対的大いさも同時に増加するとすれば、 それはけだし、資本制的生産につれて総生産物の分量が増大る。在荷が社会的に集中されればされるほど、この費用は相 対的に小さくなる。この支出は、つねに、対象化された形態 するからである。 または生きた形態での社会的労働の一部分ーーっまり、資本 資本制的生産の発展につれて、生産の規模は、生産物にた 138

5. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

制的形態では資本支出ーーをなすが、生産物形成そのものに ばならぬのだ、と。ーー商品生産者が、その商品の現実的生 Ⅱは入りこまないのであって、生産物からの控除をなす。これ産者であるか、それともその資本制的生産者であるか、つま り事実上その現実的生産者の代表者にすぎないかは、商品の は必要であり、社会的富の空費である。これは社会的生産物 の維持費であって、このことは、商品在荷の要素としての社生活条件をなんら変化させない。彼は、じぶんの物象を貨幣 に転形せざるをえない。その物象が商品形態で固定するため 会的生産物の実存がたんに生産の社会的形態つまり商品形態 に彼が要する空費は、彼の個人的冒険に属するのであって、 およびその必然的形態転化から生ずるか否かということ、ま たは、われわれが商品在荷をたんに生産物在荷ー・ーこれは、商この冒険は、商品購買者にはなんの係わりもない。購買者は 品在荷の形態・すなわち流通過程に属するこの生産物在荷の彼に、彼の商品の流通時間の支払はしない。現実的または推 測的な価値革命の時期に、資本家が故意にじぶんの商品を市 形態・をとらないとしても、すべての社会に共通である 場に出さないでおく場合でさえ、彼が追加的空費を実現する の特殊形態と見なすか否かということに、係わりはない。 か否かは、この価値革命が生ずるか否かに、彼の思惑が当た そこで問題は、この費用はどの程度まで商品の価値に入り るか外れるかに、かかる。だが、価値革命は彼の空費の結果 こむか、ということである。 資本家が、生産手段および労働力に投下した資本を、生産ではない。だから、在荷形成が流通停滞をきたすかぎりは、 物に、すなわち、ある分量の販売されるべき既成商品に転形そのために生ずる費用は商品になんらの価値も追加しない。 他方、流通部面での滞留なしには、資本が商品形態で長かれ したが、これが売れないで貯蔵されるばあいには、この期間 この在荷短かれ滞ることなしには、なんらの在荷も現存しえない。っ 中、彼の資本の増殖過程が停滞するだけではない。 の維持のために建物・追加労働・などのかたちで必要な支出まり、貨幣準備の形成なしには貨幣が流通しえないのと全く は、積極的損失をなす。もし彼が、自分の商品は六か月間も同じように、流通の停滞なしには在荷は現存しえない。つま り、商品在荷なしには商品流通は現存しえない。 この必然性 売れなかったので、この六か月間の維持に自分はこれこれの 額の資本を遊ばせたばかりでなく、そのうえ * 額の空費を要は、ーでは資本家をおびやかさないとしても、で は資本家をおびやかす、ーー彼の商品資本についてではない したというならば、最終購買者は彼を笑殺するであろう。 それはお気のどくさま。君の隣にもうひとり販売が、彼のための生産手段・および彼の労働者のための生活手 者がいるが、その人の商品は一昨日でき上ったばかりだ。君段・を生産する他の資本家たちの商品資本について。 在荷形成が自由意志的であるか非自由意志的であるかとい の商品は売れのこりで、おそらく多かれ少なかれ時間の歯に かじられているだろう。だから君は竸争者よりも安く売らねうこと、すなわち、商品生産者が故意に在荷をおくのか、流

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108 他面、商品の価値がここで維持または増加されるのは、ただ かということである。 使用価値・生産物そのものが、資本投下を要する一定の対象 ・スミスは、在荷形成は資本制的生産に独自な現象だと 的諸条件のもとにうっされ、追加労働を使用価値に作用させ いう、とんでもない見解をたてた。もっと近い経済学者、た るような諸操作のもとにおかれるからに他ならない。しかる とえばレーラーは、逆に、在荷形成は資本制的生産の発展に に、商品価値の計算や、この過程にかんする簿記や、売買取っれて減少すると主張する。シスモンディは、これをむしる 引は、商品価値がそこに実存する使用価値には作用しない。 資本制的生産の短所だと見なしている。 一五〔「諸国民の富」〕第二篇、緒論。 それらは、商品価値の形態に関係するだけである。だから、 前提された場合では、在荷形成 ( これはここでは本意ではな 事実上、在荷は、三つの形態ーーすなわち、生産資本の形 い ) にともなうこれらの空費は、たんに形態転化の停滞およ 態、個人的消費元本の形態、および、商品在荷または商品資 び形態転化の必要から生するにすぎぬとはいえ、しかもこれ本の形態ーーで実存する。在荷は、絶対的大いさからみれば らの空費は、その対象そのものが価値の形態転化でなく価値三形態のすべてで同時に増大することもありうるが、一方の の維持であるーー価値は生産物・使用価値としての商品のう形態で増加すれば他方の形態では相対的に減少する。 ちに実存し、したがって生産物・使用価値そのものの維持に もともと明らかなことであるが、生産が直接に自己需要の よってのみ維持されうるーーということによって、第一節の充足を目あてに行なわれて、小部分だけが交換または販売の 空費から区別される。使用価値はここでは、高められも増加 ために生産され、したがって、社会的生産物が全然または小 されもせず、むしろ減少する。だが、その減少が制限され、 部分しか商品形態をとらないばあいには、商品形態での在荷 使用価値が維持される。投下されて商品のうちに実存する価または商品在荷は、富のうちわすかで、あるかなきかの部分 値も、ここでは高められない。だが、新たな労働ー・ー対象化 をなすにすぎない。だが、このばあいには、消費元本、殊に された労働および生きた労働が、追加される。 本来的生活手段は相対的に大きい。古風な農民経済を見さえ さて、さらに研究すべきは、〔一方では〕 - これらの空費がどすればよい。生産物の圧倒的部分が、このばあいには、直接 の程度まで、商品生産一般の、および、一般的・絶対的な形に、商品在荷を形成することなしにーーーけだし、それは所有 態での商品生産すなわち資本制的生産の、独自的性格から生者の手にとどまるからーー在荷的な生産手段または生活手段 ずるかということであり、他方では、これらの空費がどの程に転化する。これは商品在荷の形態をとらないのであり、ま 度まで、あらゆる社会的生産に共通であり、この資本制的生さにそれゆえにこそ、こうした生産様式にもとづく社会では 産の内部では特殊的姿態・特殊的現象形態をとるにすぎない ・スミスにしたがえばー。ー在荷は実存しない。・ス ( 一五 )

7. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

での富の絶対的ならびに相対的な増加は ( 第一部第一一三章第 ミスは、在荷の形態を在荷そのものと混同し、社会は従来、 一一節参照 ) 何よりもまず資本制的生産様式を特徴づける。し 手からロへのその日暮らしで、明日のことはなりゆきに委せ かるに、不変資本の質料的実存形態たる生産手段は、この種 たものと信じている。子供じみた誤解ではある。 一大在荷形成は、・スミスの妄想するように、生産物の商品への転化、お の労働手段ばかりでなく、種々さまざまな加工段階にある労 よび、消費在荷の商品在荷への転化から初めて生ずるのではなく、むしろこ 働材料や補助材料からも成りたつ。生産の規模や、協業・分 の形態転化は、自己需要のための生産から商品生産への移行中に、生産者た ちの経済における猛烈きわまる危機をひぎおこす。たとえばイ , ドでは、ご業・機械などによる労働の生産力の増進につれて、日々の再 く最近まで「ありあまる年にはほとんど何とも交換できなか。た穀物を、大生産過程に入りこむ原料・補助材料などの分量が増加する。 量的に貯蔵する習慣」が維持された。 ( 「報告。ペンガルおよびオリッサの飢 これらの要素は生産場所に用意されていなければならない。 饉」、下院、一八六七年、第一部、二三〇〔ー一一三一〕頁、第七四号。 ) アメ だから、生産資本形態で実存するこの在荷の範囲が絶対的に リカの南北戦争によって突然に高められた、棉花・黄麻などにたいする需要 この在荷が毎日 が、インドの多くの地方で〔棉花栽培の大拡張を誘発し、したがって〕米作増加する。過程が円滑にすすむためには の大制限、米価の騰貴、および、生産者たちの古米在荷の販売を誘発した。 更新されうるか、一定の期間をおいてのみ更新されうるかは そのうえになお、一八六四ー六六年には、オーストラリア、マダガスカルな たとえば、毎日または毎週消費されるよ ど〈の米の未曾有の輸出がおこなわれた。オリ ' サ州だけで百万の人間を奪全く別として、 いさった一八六六年の飢饉の激烈性は、ここに由来する。 ( 同上、一七四、一 りも多くの原料などの堆積が、つねに生産場所に用意されて ・、ールの飢饉にかんする記録」、 二一四、および第三部、「へ′ 七五、二一三、 いなければならない。過程の連続性は、過程の諸条件の定在 三二、三三頁、ーーここでは、飢饉の原因のうちで旧在荷の流出が強調され が日々の購入の生じうべき中断にも左右されす、また商品生 ている。 ) ( 第二稿より。 ) 生産資本形態での在荷は、すでに生産過程または少なくと産物が毎日または毎週販売されしたが 0 て不規則にのみその も生産者の手にある・つまり潜在的にはすでに生産過程にあ生産諸要素に再転形されうることにも左右されないことを、 る・ところの、生産手段の形態で実存する。以前に見たよう必要とする。とはいえ明らかに、生産資本は、きわめて異な 費 に、労働の生産性の発展につれて、したが 0 てまた資本制的る範囲で潜在的でありうるーーーまたは在荷を形成しうる。た 通 生産様式ーーこれは、従来のどの生産様式にもまして労働のとえば、紡績業者が棉花または石炭を用意しておかねばなら 流社会的生産力を発展させるーーの発展につれて、労働手段形ぬのは三か月分か一か月分かということは、大した違いであ 六態でひとまとめに過程に合体されて長かれ短かれの期間たえる。こうした在荷は、絶対的には増加しても、相対的に減少 第 しうることは明らかである。 すくりかえし過程内で機能する生産手段 ( 建物・機械など ) これはさまざまな条件に依存するのであるが、これらの条 8 の分量がたえす増加するが、その増加は、労働の社会的生産 力の発展の結果であるのと同様に、前提でもある。この形態件はすべて、本質的には、中断を生じないように原料の必要 136

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のであって、私経営的画策をこえ、人間の一生涯をこえる場合さえあ まる。このばあいに年々回転するのは、固定資本たる機械・ 絽る。すなわち、林地を得るために投下された資本は」 ( 共同体による役畜などのばあいとま「たく同じように、資本の一部分だけ 生産のばあいには、この資本は要らないのであって、問題はたた、共 である。この資本は、比較的長期にわたって生産過程に固定 同体が、いくばくの土地を造林用に、耕作地および牧場地から取上げ される資本であり、かくして総資本の回転を遅延させるが、 うるかである ) 「長期間後にはじめて儲けがあり、回転はただ部分的 範疇的な意味での固定資本を形成しない。 に行なわれるのであって、完全な回転は、多くの木材種類では、やっ ここに在荷と名づけられるものーー一定分量の生きた樹木 と一五〇年もたってから行なわれる。そのうえに、持久的な木材生産 そのものは、年々の利用高の一〇倍ないし四〇倍に達する生木の在荷または家畜ーーは、相対的な意味では生産過程にある ( 労働 を要する。だから、ほかに収入がなく、また広大な森林を所有しない 手段としてと同時に労働材料として ) 。その再生産の自然的 人は、正式な林業を営むことができない。」 ( キルヒホーフ、五八頁。 ) 条件によって、規則正しい経営では、かなりの部分がつねに この形態をとっておらねばならない。 生産時間 ( これに含まれる労働時間は相対的にはわずかに もう一種の在荷ーーというのは、潜勢的生産資本を形成す すぎない ) が長いこと、したがって回転期間が長いことは、 造林を、不利な私的載したがって資本制的経営部門 これるにすぎないが、経営の本性によって、だんだんと能動的生 は、個々の資本家の代わりに結合資本家〔会社〕があらわれ産過程に入りこむにすぎぬとはいえ多少の分量で堆積されて おらねばならす、したがって、比較的長期間にわたり生産に ても、本質的には私的経営であるーーたらしめる。文化およ び産業一般の発達は、昔から森林の破壊たることを如実に一小投下されておらねばならぬ在荷ーーーも、回転にたいして類似 してきたのであって、それに比べれば、この発達が逆に森林の作用をする。これに属するものは、たとえば畑に運ばれる まぐさ の維持および生産に貢献した程度は、まったく取るにたりな 前の肥料であり、また、家畜生産に入りこむ穀物や秣などの ような生活手段在荷である。 「経営資本のかなりの部分は、その経営の在荷にふくまれている。た キルヒホーフからの右の引用文のうちで、特に注目に値す が、この在荷は、うまく保存するに必要な予防策が適当に施されない るのは、 「そのうえに、持久的な木材生産そのものは、 かぎり、多かれ少なかれ価値を失うことがある。それどころか、管理 年々の利用高の一〇倍ないし四〇倍に達する生木の在荷を要 そのものの欠如のために、経営用の生産物在荷の一部分がまったく駄・ する」という文句である。つまり、一〇年ないし四〇年以上 目になることがある。だからこの点では、特に納屋や飼料庫や穀倉や かかって、一度の回転である。 穴蔵などにかんする周到な管理が必要となり、また、貯蔵所はつねに . 牧畜のばあいにも同様である。畜群 ( 家畜在荷 ) の一部分適当に閉鎖され、しかもそのうえ清潔にされ、換気され、等々されね は年生産物として販売されるが、他の部分は生産過程にとど ばならない。穀物その他の貯蔵作物はときどき適当に混せかえされ、

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剰分一一〇ポンドと、周期的に過剰となる一週間分の生産在荷によって旅が二週間に短縮されるとしよう。すると生産在荷 は三週間分から一一週間分に変わりうる。そこで、そのため として実存した八〇ポンドとから成るとすれば、この八〇ポ ンドについての話であるが、工場主がわでの過剰生産在荷の投下される八〇ポンドの追加資本が遊離されるのと同じよう に、労賃用の一一〇ポンドの追加資本も遊離される。けだし、 減少に、棉花商人がわでの商品在荷の増加が照応する。同じ 棉花が、生産在荷として工場主の倉庫に横たわる期間が短縮六〇〇ポンドの資本が一週間だけ早く回転して還流するから されるだけ、商品として棉花商人の倉庫に横たわる期間が延である。 長される。 他方では、たとえば、原料を提供する資本の労働期間が短 これまでわれわれは、事業 X における流通時間の短縮は、 縮され ( その例は前章で与えられた ) 、したがってまた原料 >< がその商品をより速かに販売するーーまたはその支払を受 の更新が早くできるようになれば、生産在荷が減少されえ 縮されるということに、由来するものと仮定した。つまり、 逆に、流通時間したがって回転期間が延長されるならば この短縮が、商品の販売の短縮、すなわち、流通過程の第一追加資本の投下が必要となる。資本家が追加資本をもってお 段階たる商品資本の貨幣資本への転形ー ()5 の短縮から誘導れば彼じしんのポケットから。だが、そのばあいには、この されている。それは、第二段階ーからも、したがって、 資本は何らかの形態で、貨幣市場の成分として投下されてい 資本家 X に流動資本の生産諸要素を提供する資本、 N 、な るであろう。それを自由に処分できるものとするためには、 どの労働期間なり流通時間なりにおける同時的変動からも、 それを従来の形態から解放しなければならない。たとえば、 生じうるであろう。 株式は売られ、預金は引出されねばならぬのであって、この - ばあいにも貨幣市場への間接の影響が生する。あるいは、彼 たとえば棉花、石炭などが、その生産Ⅱまたは貯蔵地から はそれを借入れねばならない。追加資本のうち労賃に必要な 資本家の工場所在地までの旅に、旧来の運輸では三週間か 部分についていえば、正常な事情のもとでは、それはつねに . かるとすれば、新在荷の到着するまでの >< の生産在荷の最小 限は、少なくとも三週間分なければならない。棉花や石炭が貨幣資本として投下されねばならぬのであって、そのために . 旅をしているあいだ、それらは生産手段としては役だちえな資本家は、その分だけ、直接的圧迫を貨幣市場に加える。 。それらは、そのあいだはむしろ、運輸業およびそこで使生産材料に投下されるべき部分については、彼がそれを現金 で支払わねばならぬばあいにのみ、こうしたことが必至であ 用される資本の労働対象をなし、石炭生産者または棉花販売 者にとっては、流通状態にある商品資本をなす。運輸の改良る。彼がそれを信用で入手しうるならば、これは貨幣市場に

10. 世界の大思想19 マルクス 資本論2

もたねばならぬのであり、これによって彼らは、自分の生産産の考察のさいには見られないという単なる事情は、問題が 資本の一部を一時的に商品形態で横たえておいても、彼らの独自の一現象ーー諸要素—の ( 再生産にかんする ) 違った組 生産過程を続行することができるのである。彼らは、前提に 合せ、すなわち、それなくしては総じて拡大された規模での よれば、商人としての業務全体を生産業務と兼営する。だか再生産が行なわれえないような変化した組合せにのみ起因す ら、彼らは、再生産過程の個々の機能がさまざまな種類の資る一現象ーーーにあることを証明する。 本家たちのあいだで自立化すれば商人の手にあるべき追加的 貨幣資本をも、自由にしなければならない、と。 第三節蓄積の表式的叙述 これについては、つぎのように反駁すべきである。 ( l) 、 こうした在荷形成およびその必要は—ならびにⅡのすべての さてわれわれは、再生産を、つぎの表式によって考察しょ 資本家に見られる。単なる商品販売者として考察すれば、彼う。 らのあいだの区別は、彼らは相異なる種類の商品を売るとい I ) 4000C 十 1000 v 十 1000m Ⅱ 6000 うことだけである。商品Ⅱでの在荷は、商品での先だっ在 (I) 1500C 十 376 v 十 376m Ⅱ 2252 荷を内蔵する。この在荷を一方で無視するならば、他方でも ます気づくのは、年々の社会的生産物の総額 H8252 が、最 無視せねばならない。これを両側で考慮に入れるならば、問 初の表式〔二九九頁〕ーーそこではそれは 9000 であった 題は少しも変化しない。 ( 一 l) 、Ⅱの側での今年度は翌年度の おけるよりも小さいことである。はるかに大きい総額を仮定 ための商品在荷をもって終るのと同じように、その同じⅡの しても、たとえば一〇倍にしても、さしつかえない。最初の 側での今年度は、前年度から持ちこされた商品在荷をもって表式におけるよりも小さい総額をえらんだのは、けだし、拡 始まった。だから、年々の再生産の分析にさいしては、 大された規模での再生産 ( これはここでは、より大きい資本 その最も抽象的な表現に還元すれば、 どちらの場合にも投下をもって経営される生産とのみ解される ) は、生産物の 商品在荷を消去せねばならない。われわれは、今年度にその絶対的大いさとは関係がないことを、ーー商品分量を与えら 全生産をーーしたがって今年度が商品在荷として翌年度にまれたものとすれば、与えられた生産物のさまざまな要素の組 わすものもーーゆだねることにより、他方ではまた、今年度合せの差異または機能規定の差異を前提するにすぎず、した が前年度から受けついだ商品在荷を今年度から引きさるので がって、価値量からみればさしあたり単純再生産に他ならぬ あり、かようにして事実上、一平均年度の総生産物を分析の ことを、 明瞭にするためである。単純再生産の与えられ 対象とするのである。 ( 三 ) 、回避すべきこの困難が単純再生た諸要素の、量ではなく質的規定が変化するのであって、こ 512