に送金されるという条件で、この商会あてに手形を振出すでしよう。 ( Ⅳ ) 一八四八年に、一八四七年の恐慌の原囚を研究するための上 だが、そのさい、そのロンドンの商会はじっさいに現金の前貸をする院秘密委員会ができた。だが、この委員会によって報告された証言は には及ばないということが、両者間で暗黙のうちに諒解されています。 やっと一八五七年に公開された (f 窮境の原囚を研究するために任命 すなわらその手形は、回収金が到着するまで支払延期となります。 「商鑿 された上院秘密委員会でなされた証言記録』、一八五七年。 手形はリヴァプール、マンチェスター 、ロンドン、で割引され、そのう的窮境』、一八四八ー五七年、として引用 ) 。この証言で、ユニオン・ ちには、スコットランドの諸銀行によって保有されるのもあります。」 バンク・オプ・リヴァプールの取締役リスター氏はなかんずく次ぎの トすっこ、つこ、 ( 五五頁〔第六八六ー六八九号〕。 ) 「第七八六号。最近、ロンド ンで破産した一商会があります。帳簿を検査してみると、つぎのこと 「第二四四四号。一八四七年の春に、信用の不相応な膨脹が生じまレ が発見されました。マンチェスターに一商会と、カルカッタにもう一 : というのは、事業家たちが彼らの資本を事業から鉄道にうつ つの商会があって、この二つの商会が右のロンドンの商会に二〇万ポ し、しかも、事業を旧来の規模で続行しようとしたからです。誰でもた・ ンドの信用を開始しました。すなわち、右のマンチェスターの商会の ぶん、最初には鉄道株を売って利潤をえ、かくして事業資金を填補レ 取引仲間たちが、グラスゴーやマンチェスターからカルカッタの右の うるものと信じていたのでしよう。誰でも、おそらく、それが不可能 商会あてに商品を委託販売で送り、ロンドンの右の商会あてに総額二 だったことを知って、以前には現金を支払っていた自分の事業で信用・ 0 万ポンドの手形を振出したのです。同時に、カルカッタの商会の方にたよったのです。信用の膨脹はそのせいでした。」 もロンドンの商会あてに二〇万ポンドの手形を振出す、という諒解が 「第二五〇〇号。引受銀行が損失をこうむったこれらの手形は主とし ありました。この手形がカルカッタで売られ、その受取金でほかの手翡て穀物または棉花にたいするものでしたか ? それはあらゆる種 形が買われて、この手形がロンドンに送られ、ロンドンの右の商会はこ類の生産物、すなわち、穀物や棉花や砂糖や、あらゆる種類の外国生 れをもって、グラスゴーまたはマンチェスターの前述の商会が振出し産物にたいする手形でした。当時、おそらく石油をのぞけば、価格の た手形の支払をすることができました。かようにして、この一つの取下落しなかった商品はほとんどありませんでした。」・・・ーー「第二五〇六・ 本 資引によって六〇万ポンドの手形が生みだされたのです。」〔六一頁。〕 号。手形を引受けるプローカーは、担保となる商品の価格下落も充分・ 仮 に保証されるのでなければ、引受けません。」 「第九七一号。現在では、カルカッタの一商会がひと船の荷物」 用 ( ロンドンむけ ) 「を買い、そのロンドンの取引先あてに振出した自分 「第二五一二号。生産物にたいしては二種の手形が振出されます。第 信じしんの手形でこの荷物の支払をして、船荷証券が。ンドンに送られ 一種のものには、あちらから輸入業者あてに振出される無裏書手形が 章るならば、この船荷証券はただ ~ りに、ロンバード街で前貸をえるため あります。 : かように生産物にたいして振出される手形は、生産物 一一に利用されます。だからロンドンの取引先たちは、手形の支払をせねの到着前に満期となることがしばしばです。たから商人は、商品が到 ばならぬ前に、八か月間、貨幣を利用しうる時間があります。」 着しても充分な資本をもたないに まあいには、その商品を売ることので、 きるまで、それをプローカーへの担保にしなければなりません。そこ * 引用された報告書によれば、この取引は完全には決済されなかったとい う。右のロンドンの商会が支払を停止したのである。 ーー編集者。 でたたらに、右の商品を担保にして、リヴァプールの商人からプロー
。ここでは、男女の肺結核などによる死亡率が、報告中で述べられて均すれば、一人あたり一五六立方フィートにすぎない。周囲が廊下に いるように「わが絹業の一大部分が営まれている言語道断 ( a ( r 。 c 一。 us ) なっていて、天窓しかない或る作業場では、九二人ないし一〇〇人以 な衛生状態」を暴露する。しかも、この同じ絹業こそは、工場主たち上が働かされ、多量のガスが燃される。便所がすぐそばにあって、空 が、その経営の衛生状態が例外的によいことを口実にして、一三歳未間は一人あたり一五〇立方フィートをこえない。またもう一つの作業 満の児童の例外的に長い労働時間を要求し、しかも部分的に許可され場は、上から明かりがくる中庭の犬小屋としかいえず、屋根の小窓一 たものである ( 第一部第八章第六節、二四〇頁 ) 。 つでしか換気されえないが、ここで五人または六人が、一人あたり一 「これまで調査された産業中に、ドクトル・スミスが裁縫業について 一二立方フィートの空間で働いている。」そして「ドクトル・スミス ・彼 2 はい一つ、 述べているほどひどい光景を呈したものはない。 の描写するこれらの言語道断 (atrocious) な作業場では、裁縫工が普 作業場は、衛生関係では甚だしく様々だが、そのほとんどすべては詰通には毎日一二ー一三時間も労働し、特定の時期にはその労働が一五 ・こっ めこみすぎで、換気が悪く、健康にとり甚だ不都合である。 ー一六時間もつづけられる。」三五、二六、二八頁。 ) した室は、そうでなくても必ず暑いものだ。ところが、霧のかかる昼 注意すべきは、また事実上この報告の発表者たる医務部長ジョン・ 間や冬の夕方のようにガスが点火されると、暑気が華氏八〇度どころ サイモンが語っていることだが、二五ー三五歳〔上の表における〕の か九〇度 ( 摂氏二七ー三二度 ) にも昇って、そのために汗が流れ、水 ところで、ロンドンの裁縫工、植字工および印刷工の死亡率が過小に 蒸気がガラス板に凝結し、水がたえず流れおちたり天窓から滴りおち報告されていることである。というのは、この両事業部門では、ロン るようになるので、労働者は、かならす風邪をひくにもかかわらず、 ドンの雇主が多数の若者 ( おそらく三〇歳までの ) を、田舎から徒弟 幾つかの窓をあけ放しにすることを余儀なくされる。 ロンドンの および「見習」としてーーーすなわち修業のために つれてくるから ウエストエンドの最重要作業場一六の状態について彼はつぎのように である。彼らは、ロンドンの工業者死亡率の計算の基礎たるべき就業 述べている。これらの換気の悪い室の容積は、労働者一人あたり最大者数を増加させるが、それと同じ割合では、ロンドンの死亡者数を増 節二七〇立方フィート、 最小一〇五立方フィートであって、すべてを平加させない、というのは、彼らのロンドン在住はただ一時的だからで の ある。この期間中に病気になれば、彼らは田 一〇万人あたり年齢別死亡率 舎の家へ帰って、そこで、ーー・もし死ねば 産業部門と地方 本就業者数 死亡が登記される。この事情は、もっと若い 二五ー = 一五歳一 = 一五ー四五歳一四五ー五五歳 年齢層にはさらにいっそう影響するのであっ 九五八、二六五 て、この年齢層についてのロンドンの死亡率 章 は、工業の反健康性の標準としては全く無価物 ~ 女一二、三七七 値となる ( 三〇頁 ) 。〔第一部三七二頁、注二 五六参照。ーー・ー訳者。〕 一三、八〇三 植字工の事情も裁縫工と同じであって、彼 農耕、イングランド およびウェールズ 裁縫工、ロンドン 植字工および印刷工、 ロンドン 七四三 九五八一、 八九四一、七四七二、 八〇五一、一四五 二、〇九三
からはます前代未聞の産業的繁栄をもたらしたが、ついでま失の結果は取引を縮小することにはならず、かえって取引拡張をする ことになった。当事者たちが貧しくなればなるほど、前の投機で失っ た、一八五七年の破局をもたらしたーー、が準備された。 た資本の埋合せを新たな前貸によって得るために買う必要が、ますま ・エンゲルス。 ) す大きくなる。そこで仕入は、もはや需要供給によっては調整されな * 初版では九月。三四六頁でのマルクスの記述にもとづいて改訂。ーー・編 くなり、手がたい商社の金融操作の最重要部分となった。だが、これ 集者。 は一面にすぎない。 こちらで加工商品の輸出についておこったのと同 (—) 一八四七年の恐慌中の国家証券および株式のおそろしい価値 じことが、あちらでは諸生産物の仕入および船積についておこった。 減少については、一八四八年にイギリス上院によ 0 て発行された一文手形を割引してもらうだけの信用があるインドの商会が砂糖やインデ 書が説明を与えている。これによれば、一八四七年二月の状態にくら イゴや絹または棉花を買ったのは、その仕入価格が最近のロンドンの べて、同年一〇月二三日の価値減少はつぎの額に達した。 物価にくらべて利潤を約東したからではなく、むしろ、ロンドンの商 イギリスの国家証券では : 会あての以前の手形がやがて満期となり、支払われねばならなかった : ・九三、八二四、二一七ポンド輒 船渠Ⅱおよび運河株では・ : からである。ひと積みの砂糖を買い、ロンドンの商会あての一〇か月 鉄道株では・ : : 一九、五七九、八二〇″ 払手形でこれの支払をして、船荷証券を大陸ごし郵便でロンドンに送 るほど簡単なことがあったろうか ? その後二か月もたたぬうちに、 : 一一四、七六二、 三二五ポンド 合計・ : 船積されたかされないかのこの商品の船荷証券が、したがって商品そ ( Ⅱ ) 東インド取引 ここではもはや、商品が買われたから手形 のものが、ロンバード街で担保に入れられて、そのロンドンの商会は、 が振出されたのでなく、割引されうる・貨幣に換えられうる・手形を この商品にたいして振出された手形の満期八か月前に貨幣を手に入れ における眩惑について、「マン 振出しうるために商品か買われた た。そして、船荷証券や倉庫保管証券に前貸して、マインシング・ チェスター・ガーディアン』、一八四八年一一月二四日付〔四一員〕、は 〕の『紳商』たちあてのインド諸商会の 〔地品卸蒄業の中心地 つぎのように述べている。 手形を無限額まで割引するたけの余分な貨幣が割引商会の手にあるか ロンドンのはを通して、マンチェスターの製造業者 O から、東 ぎりは、万事がすらすらと故障も困難もなしに進行する。」 インドのに送るための商品を買わせる。は、 O からあてに振出 ( このインチキな手続きは、インド貿易商品が喜望峰を迂回せねばな された六か月払手形で、 0 に支払う。はまた、 << あての六か月払手 らなかったかぎり、依然としてさかんに行なわれた。それがスエズ運 形で支払われる。商品が積込まれると、 << は、送達された船荷証券に たいし、同じく、あての六か月払手形を振出す。「だから買手も荷河を、しかも汽船で通過するようにな 0 て以来、仮空資本を製造する 主も、ともに、彼らが現実に商品の支払をする数か月前に、資金を手この方法は、商品の長い旅行時間という基礎をうばわれた。そして電 に入れる。しかもこの手形は、こんな「長期取引」では回収のための信によって、インドの市況がイギリスの事業家に、イギリスの市況が インドの商人に、その日のうちにも知られるようになって以来、この 時間が与えられねばならぬというロ実で、満期のさいに書換えられる ・エンゲルス。 ) のがごく普通であった。しかるに不幸にも、こうした取引における損方法はまったく不可能となった。
のばあいには、銀行業者が貨幣を保有していることが想定されねばな信用は、個人保証によって与えられるばかりでなく、有価証券を供託 らぬのであって、そうでなければ、小切手は何らの価値もないであろすることによっても与えられる。」 ( 一七四、一七五頁。 ) 「「商品を担 う。」 ( 一二四頁。 ) 地方的取引はつぎのものに媒介されて諸銀行の手に保として前貸される』資本は、手形の割引によって前貸されるばあい 集積される。 ( 一 ) 、支店銀行によって。地方銀行はその地方の小都市と同じ作用をする。誰かが、自分の商品を担保として一〇〇ポンドを に、ロンドンの銀行はロンドンのさまざまな区域に、その支店を有す借りるならば、それは、彼がその商品を売って一〇〇ポンドの手形を る。 (ll) 、代理店によって。「地方銀行はいずれもロンドンに代理店え、この手形を銀行業者に割引させるのと同じことである。だが、前 を有するが、これは、ロンドンにおいて自己の銀行券または手形を支貸してもらえば、彼は、市況がよくなるまで商品を持ちつづけること 払い、また、地方に住む人々の勘定へロンドン住民によ 0 て払込まれができ、また、そうでなければ緊急目的用の貨幣をえるためにこうむ る貨幣を収受するためである。」 ( 一二七頁。 ) 各銀行業者は他行の銀るはずの犠牲を避けることができる。」 ( 一八〇、一八一頁。 ) 行券を受けとめて、それを再び払出さない。各大都市では、彼らは週 『通貨理論の吟味」〔エディンバラ、一八四五年〕、六二、六三頁、 月日はふたたび支出されて に一度か二度集 0 て銀行券を交換しあう。残高はロンドンあての手形「私が今日に預ける一〇〇〇ポンドが、日 で支払われる。 ( 一三四頁。 ) 「銀行の目的は取引を容易にすることであ への預金となるということは、うたがいない事実である。明後日に る。取引を容易にするものはすべて、投機をも容易にする。取引と投は、それがふたたびによって支出されて 0 への預金となり、以下、 機は多くの場合にきわめて密接に結びついており、どこまでが取引で無限にこうしたことが生じうる。かようにして、この同じ一〇〇〇ポ どこからが投機であるかを明言するのは困難なほどである。 : : : 銀行 ンドの貨幣は、一連の移転によって、絶対に確定できない数倍の預金 のあるところでは、どこでも、資本を比較的容易かっ低廉に入手する額となるかもしれない。だから、イギリスにおける総預金の一〇分の ことができる。資本の低廉が投機を助長するのは、肉やビールの低廉九は、銀行業者ーーーそのおのおのが自分の預り分について責任をおう の帳簿上の記帳額以外にはまったく実存しないということは、あ が大食や酩酊を助長するのと全く同じである。」 ( 一三七、一三八頁。 ) ・・一つるこし J で、のる。 : かくして、たとえばスコットランドでは、流 本「自己銀行券を発行する銀行はつねにこの銀行券で支払うのであるか 資ら、彼らの割引業務は、もつばらこうして得た資本で行なわれるかに ! ) 「は三〇〇万ポンドをこえな 通貨幣」 ( しかもほとんど紙幣たけだ 仮見えるかもしれないが、しかしそうではない。銀行業者は、じぶんが かったが、預金は二七〇〇万ポンドであった。ところが、一般的で突 と 用割引する手形の全部を自己銀行券で支払うこともできるが、しかも、 然な預金払戻要求 (a run on the banks 〔銀行取付〕 ) が生じないか 信 ぎり、この同じ一〇 0 〇ポンドが還流してきて、同じように確定でき 彼の手にある手形の一〇分の九は現実資本を代表するかもしれない。 章 というのは、彼じしんはこの手形に自己紙幣しか与えないとはいえ、 ない金額を、同じように容易に決済しうるであろう。私が今日、ある 五 二この紙幣は、手形が満期となるまで流通内にとどまるとは限らないか事業家にたいする私の負債を決済する一〇〇〇ポンドが、明日は一商 らである。手形は三か月も通用しうるのに、銀行券は三日で帰ってく 人にたいするその事業家の負債を決済し、明後日は銀行にたいするそ の商人の決済をする、というようなことが無限に生じうるのであるか 芻るかもしれない。」 ( 一七二頁。 ) 「顧客による借越勘定は取引の常態で あって、これが事実上、現金信用の与えられる目的である。 : : : 現金ら、その同じ一〇〇〇ポンドが手から手に、銀行から銀行に渡って、
ねがわれわれの市場で消費されたのです。したがって、だいたい、多や、けっして。その分量が適度でさえあれば、われわれはそれを全く 芻くの貨幣がシティの貨幣市場に投ぜられたが大した額の貨幣は引上げ正当な手形と見なします。 : ・ : ・〔第六〇九号。〕この種の手形はしばし られなかった、という結果が生じました。」〔一三五頁、第一七五四おば延期されます。」 よび第一七五五号。〕 チャールズ・ 一八四七年の東インド日中国市場における眩惑。 リヴァプール・ジョイント・ストック銀行の重役 << ・ホヂスンは手ターナー ( リヴァプールにおける一流の東インド商社の社長 ) 、ーー・「モ 形がどけだけ銀行業者の準備金たりうるかを明らかにしている、 ーリシャス島との取引関係や類似の取引で生じた出来事をわれわれは 「われわれの預金全部の少なくとも一〇分の九と、われわれが他人か誰でも知っています。プローカーたちは、商品を担保として、その到 ら受けとった貨幣の全部とを、日々満期となる手形にしてわれわれの着後、その商品にたいして振出された手形の支払をするための前貸を 紙挾みに入れておくのが、われわれの慣習でした : ・ ・ : ので、恐慌期中すること、 これは全く当然のことです、ーー・ーおよび、船荷証券を には、日々満期となる手形の額が、日々われわれのもとに提出される担保に前貸することを常としたばかりでなく、生産物を担保として、 支払請求額とほとんど等しくなりました。」三九頁〔第三五二号〕。 ) その船積前に、また若干のばあいにはその製造前に、前貸をしました。 投機手形。ーーー「第五〇九二号。手形 ( 売った棉花にたいする ) は主私はたとえば、カルカッタで、ある特殊なばあいに、六ー七〇〇〇ポ ーリ、、ス として誰によって引受けられたのですか ? ーー ( この書でたびたびあ ンドの手形を買ったことがあります。この手形の代金はモ げられた木棉工場主・ガードナーいわく〔・エンゲルス〕、 ) 島に送られて、そこで砂糖の栽培に役たてられました。手形はイギリ 商品プローカーによってであって、商人は棉花を買ってこれをプロー スに送られたが、その半分以上は拒否されました。ついで、この手形 カーに渡し、このプローカーあてに手形を振出して、これを割引させ の支払に充てられるはすであった砂糖の船荷がついに到着したときに るのです。」ーー・「第五〇九四号。そしてこの手形はリヴァプールの諸は、この砂糖はその船積前に、それどころか事実上おそらくその製造 銀行に渡って、そこで割引されるのでしよう ? ーーーそうですが、ほ前に、すでに第三者への担保とされていたことが分かりました。」 ( 五 かでも。 : : : 主としてリヴァプールの諸銀行によって承認されたこの四頁〔第六七七号〕。 ) 「東インド市場むけの商品はいまや、製造業者に 融資がなされなかったとすれば、私見によれば、昨年度の棉花は封度現金で支払われねばなりません。だが、これについては多言を要しな あたり一Ⅵないし二ペンスがた安かったでしよう。」ーー「第六〇〇号。 というのは、買手がロンドンで幾らかの信用を有するならば、彼 あなたは、投機業者によってリヴァプールの棉化プローカーあてに振はロンドンあてに手形を振出して、いま割引率の低いロンドンでこれ 山されたおびただしい数の手形が流通したといわれたが、棉花いがい を割引させるからです。彼は、こうして入手した貨幣をもって製造業 : インドむけ商品の出荷人がインドからの回収金 の植民地生産物にたいする手形への貴行の前貸についても、同じこと者に支払います。 力いえますか ? ー・ー ( リヴァプールの銀行業者 << ・ホヂスンいわく : 一万ない を入手しうるまでには少なくとも一二か月かかります。 ・エンゲルス〕、 ) それは、あらゆる種類の植民地生産物についてのし一万五〇〇〇ポンドをもってインド貿易に従事する人は、ロンドン の一商会で多額の信用を与えてもらうでしよう。彼はこの商会に一 % 話ですが、棉花については特にそうです。」ーー「第六〇一号。あなた は銀行業者として、この種の手形を避けようとされますか ? 支払い、また、インドむけに送った商品の代金はこのロンドンの商会
も同様である。企業者利得からの管理賃の分離は、他のばあ利潤よりも大きかった。この高利潤の原因は、これらのどの いには偶然的現象であるが、このばあいには恒常的現象であ場合にも、不変資本充用上の節約増大であった。だが、これ る。協同組合工場では監督労働の対立的性格が消減する、と についてわれわれに興味があるのは、このばあいには平均利 いうのは、管理人は労働者によって支払われ、労働者にたい 潤 ( Ⅱ利子プラス企業者利得 ) が事実上、手にとるように、 して資本を代表するのではないからである。総じて株式企業管理賃とはぜんぜん別の大いさとして現われることである。 信用制度につれて発展する・ーーが機能としてのこの管理 このばあいには利潤が平均利潤よりも大きかったのだから、 労働を、自己資本のであれ借受資本のであれ資本の占有から企業者利得もほかの場合よりも大きかったわけである。 ますます分離する傾向のあることは、あたかも、ブルジョア 天ここは一八六五年に書かれたのであるから、ここに引用された計算書は せい・せい一八六四年までのものである。 ・エンゲルス。 社会の発展につれて司法上および管理〔 = 行政〕上の諸機能が 土地所有ーー封建時代には右の諸機能は土地所有の属性であ 同じ事実は、、 しくつかの資本制的株式企業、たとえば、株 から分離すると同様である。だが一方では、資本の式銀行にも見られる。ロンドン・アンド・ウエストミンスク 単なる所有者たる貨幣資本家に機能資本家が対応し、信用の ー・ンクは一八六三年に三〇 % の年配当を支払い、ユニオ 発展につれてこの貨幣資本そのものが社会的性格をおび、銀ン・・ ( ンク・オブ・ロンドンその他の銀行は一五 % を支払っ 行に集積され、そして銀行からーーもはやその直接的所有者た。このばあいには、総利潤から、管理人の俸給のほかに、 からでなくーーー貸出されることによって、しかも他方では、 預金に支払われる利子が控除される。高利潤は、このばあい いかなる名義のもとでも、ーー・借りたものであろうとなかろう には、預金にたいする払込資本の比率が低いことから説明さ 得 とーー資本を占有しない単なる管理人が、機能資本家そのもれる。たとえば、ロンドン・アンド・ウエストミンスター・ 業のに属するあらゆる現実的機能をおこなうことによって、残 ・ハンクのばあいには、一八六三年に、払込資本は一〇〇万ポ 企 るのはただ機能者だけとなり、資本家は余計な人物として生ンド、預金は一四五四万一一七五ポンドであり、ユニオン・・ハ 子 産過程から消減する。 ンク・オブ・ロンドンのばあいには、一八六三年に、払込資 章イギリスの協同組合的諸工場の公表計算書を見れば分かる本は六〇万ポンド、預金は一二三八万四一七三ポンドであっ こ 0 二ことであるが、これらの工場は、ときには私営工場主よりも 第 はるかに高い利子を支払ったにもかかわらず、管理人の賃銀 企業者利得と、監督賃または管理賃との混同は、本源的に これは、その他の労働者の賃銀とまったく同じように、 は、利子をこえる利潤の超過分が利子に対立してとる対立的 投下可変資本の一部分をなすーーを控除した後の利潤が平均形態から生じた。この混同はさらに、利潤を剰余価値すなわ ( 七八 )
は、彼らの利益はその職人たちの利益と決定的に対立する。」 ( 二七頁 ) 「こ ち不払労働としてでなく資本家じしんのなす労働にたいする の国の工業労働者たち (journeymen mechanics) のあいだでの教育のひろ 労賃として説明しようとする弁護論的意図から発展させられ い普及は、専門知識を有する人々の数を増加させることによって、ほとんど た。これにたいしては、やがて社会主義者の側から、利潤は すべての親方および雇主の労働および熟練の価値を日々減少させている。」 ( 三〇頁。ホヂスキン『資本の要求にたいする労働の擁護」、ロンドン、一八 事実上、理論的にかくあるべきだとされたものにーーすなわ 二五年。 ) ち単なる監督賃にーー縮小されるべきだという要求が対置さ 合「因習的な障碍の一般的緩和と教育の便宜の増大とは、〔不熟練労働の賃 れた。しかもこの要求は、かの理論的曲飾にたいし、ますま 銀を騰貴させないで〕熟練労働の賃銀を低下させる傾向がある。」 (h ・・ ミル『経済学原理』第二版、ロンドン、一八四九年、第一巻四六三頁。 ) 〔角 す不快なものとして対立するようになった。というのは、多 括弧に入れた「不熟練」云々の一句はミルにはなく、マルクスの附加した言 数の産業的および商業的管理人階級が形成されるにつれて、 葉である ( カウッキ 1 版注 ) 。 ーー訳者。〕 一方ではこの監督賃が、他のあらゆる労賃と同じように、だ 資本制的生産の基礎上では、株式企業のもとで、管理賃に んだんと一定の水準および一定の市場価格を見いだすように かんする新たな詐欺が発展する。というのは、現実の管理人 なったからであり、他方ではそれが、独自の訓練を要する労 いがいに若干数の管理。監督顧問が登場するが、彼らにあっ 働力の生産費を低下させる一般的発展につれて、熟練労働に ( 八 0 ) ては、事実上、管理および監督は株主を掠奪して自分の懐を 対するあらゆる賃銀と同様にだんだん下落したからである。 こやすための単なる口実となるからである。この点について 労働者の側では協同組合、・フルジョアジーの側では株式企業 は、『シティ、またはロンドンのビジネスの生理学。つけた が発展するにつれて、企業者利得を管理賃と混同するための 、取引所スケッチと喫茶店』、ロンドン、一八四五年、に大 最後の口実も足もとから奪いさられて、利潤は実際的にも、 へんよい話が見いだされる、 「八つも九つもの相異なる 理論的に否定できないものとして、すなわち単なる剰余価値 会社の管理に関与することによって銀行業者や商人がどんな それにたいし何らの等価も支払われていない価値、実現 利得をするかは、つぎの実例をみれば分かる。ティモシー・ された不払労働・ーーとして、現象した。かくして機能資本家 = イブラ ( ム・カーティス氏が破産のさい破産裁判所に提出 は労働を現実に搾取するのであって、彼の搾取の果実は、彼した個人収支表をみると、重役職の項に、年々八ー九〇〇ポ が借受資本をもって作業するばあいには、利子と、利潤のう ンドの収支があげられていた。カーティス氏はイングランド ち利子をこえる超過分たる企業者利得とに、分かれる。 銀行および東インド会社の重役であったので、どの株式会社 でも彼を重役に迎えうることを仕合せとしたのである」と。 究「親方たちは、その職人たちと同じように労働者である。この性格にお 〔八一、〕八二頁。ーーこうした会社の重役が毎週の会議ごと いては、彼らの利益はその職人たちの利益とまさに同一である。だが、彼ら はまた、資本家であるか、さもなければ資本家の代理人であって、この点で に受ける報酬は少なくとも一ギニー ( 二一マルク ) である。 ( 七九 )
および『ヘーゲル弁証法ならびに哲学一般 の批判」と題する論文を執筆、未完。現在 『一八四四年の経済学・哲学手稿」として 公刊。八月末ー九月初、エンゲルス、マル クスをパリに訪問、終世の協力関係はじま る。・フレーノ・ / 、ウエル批判のために共同 で『聖家族』の執筆に着手。 一八四五年二月、出版者レスケと『政治学および国民 経済学の批判』の出版契約をむすぶ ( 実現 パリから追放されてブリュッセル せず ) 。 に転居。『聖家族』を出版。三月頃、『フォ イエル・ハハにかんする一一のテーゼ』を書 き、弁証法的唯物論と史的唯物論の大綱を 完成す。 ( 四月、エンゲルス、・ハルメンか らブリュッセルに転居。エンゲルスの「イ ギリスにおける労働階級の状態』出版。 ) 五月ー七月初旬、セイ、シスモンディ、シ ア、ガニール、等の経済学書を読み、抜萃 をつくる。七月中旬ー八月中旬、エンゲル スとともにイギリスに旅行、主としてマン チェスターで、べティ、トウーク、タムス ン、コペット、等を読んで抜萃をつくる。 一八四六年一月ー五月、哲学および社会主義にかんす る批判的著作「ドイツ・イデオロギー』 ( 工 ンゲルスと共著 ) を書いたが出版できず。 一一月、共産主義の国際的宣伝と組織のため に、各国に共産主義者通信委員会を組織す る計画をたてて、・フリュッセルに委員会を 設ける。九月ー一二月、オーウエン、ケネ 、ブレー、等を読んで抜萃をつくる。一 二月末、プルードンの『貧困の哲学』を読 み、その批判書『哲学の貧困」に着手。 一八四七年六月、ロンドンの共産主義者同盟第一回大 会で『共産党宣言』の起草を決議。七月、 『哲学の貧困』をプリュッセルで出版。一 一月末ー一二月上旬、ロンドンの共産主義 者同盟第一一回大会に出席、『共産党宣言』 の起草を委嘱される。一一一月後半、プリュ ッセルのドイツ人労働者協会で「賃労働と 資本』にかんする数回の講演をする。下旬 から「共産党宣言」の起草に着手。 一八四八年二月、『共産党宣言』をロンドンで出版。 三月、ブリュッセルから退去を命ぜられ、 ハリにゆく。四月、。ハリからケルンにうつ る。五月、『新ライン新聞」を創刊。九月、 発行を停止される。一〇月、再刊。 一八四九年四月、『賃労働と資本』を連続論文の一部 として「新ライン新聞』に掲載。五月、。フ ロイセン政府によって国外に追放され、
332 が払底して利子歩合が五 % 以上となったときには、「大昔いらい」こ 一〇〇ポンドをよこすならば、その間に私がこの貨幣でえることので の仕方で支払った。顧客もこうした銀行手形を受けることを喜んだ、 きる利子は、すべて私の利潤であろう。以上は、銀行の諸操作、なら というわけは、ジョーンズーロイド商会の手形は自分じしんの手形よ びに、預金や銀行券や手形を媒介として銀行資本が創造される仕方に りも割引されやすかったからである。この手形は、じっさい、しばし ついての、事態に即した概括である。」 ( 一一七頁。 ) 「銀行業者の利潤 ば二〇人ないし三〇人もの手を通ったのである。 ( 同上、第九〇一ー は、一般的にいえば、彼の借受資本または銀行資本の額に比例する。 九〇四号、第九九二号。 ) 一銀行の現実の利潤を確かめるためには、総利潤のうちから投下資本 すべてこれらの形態は、支払請求権を移譲しうるものとするために の利子を控除しなければならない。その残りが銀行利潤である。」 ( 一 役たつ。「信用がとるべき形態のうち、信用がときに貨幣機能を果た 一八頁。 ) 「顧客にたいする銀行業者の前貸は他人の貨幣をもってなさ さずにすむような形態は、ほとんど一つもない。この形態が銀行券で れる。」 ( 一四六頁。 ) 「銀行券を発行しない銀行業者たちこそ、手形の あろうと手形であろうと小切手であろうと、過程は本質的に同一であ割引によって銀行資本を創造する。彼らは、その割引操作によって自 り、結果も本質的に同一である。」 ( フラートン「通貨の調節につい 行の預金を増加させる。ロンドンの銀行業者たちは、自分と預金取引 て」、第二版、ロンドン、一八四五年、三八頁。 ) 「銀行券は信用上の をする商会にたいしてのみ割引する。」 ( 一一九頁。 ) 「取引銀行で手形 小貨幣である。」 ( 五一頁。 ) を割引して、その手形の総額について利子を支払った商社は、少なく っゞは、、・ ・ギルバート 「銀行業の歴史と原理』、ロンドン、 ともその総額の一部分を、無利子でその銀行の手に残さなければなら 一八三四年、から。 「銀行の資本は二つの部分、すなわち、投下よ ) ) オしカような仕方で銀行業者は、その前貸貨幣にたいしては相場よ 資本 (invested capital) と借りものたる銀行資本 (banking capital) りも高い利子歩合を受けとり、また、自分の手に残っている残高によ とから成りたつ。」 ( 一一七頁。 ) 「銀行資本または借受資本はつぎの三 って自分の銀行資本を創造する。」 ( 一一一〇頁。 )- ー・・準備金、預金、 つの仕方で受けとられる。 ( 一 ) 、預金の受入れによって、 (ll) 、 「預金銀行は貸越金の移転によって流通 ) 切手、の節約について、 自己銀行券の発行によって、 ( 三 ) 、手形の振出によって。誰かが、私媒介物の使用を節約し、小額の現実貨幣をもって多額の取引を決済す に一〇〇ポンドを無償で貸してくれて、私がこの一〇〇ポンドを誰か、 る。かくして遊離された貨幣は、銀行業者によって、割引などによる 他人に四 % の利子で貸出すならば、私は、一年たてば、この取引によ顧客への前貸に充用される。だから、貸越金の移転は預金制度の効果・ って四ポンド儲けるであろう。それと同様に、誰かが私の支払契約書を高める。」 ( 一二三、〔一二四〕頁。 ) 「たがいに取引する二人の顧客 が、同じ銀行業者と取引しているか別々の銀行業者と取引しているか (I promise to pay 〔私は支払うことを約東する〕というのが、イギ リスの銀行券では普通の形式である ) を受けとってくれて、これを年は、どうでもよい。というのは、銀行業者たちは手形交換所で小切手・ を交換しあうからである。だから、移転によって、預金制度は、金属 度末に私に返還し、そしてこれに対し、あたかも私が彼に一〇〇ポン ドを貸したかのように四 % を支払ってくれるならば、私は、この取引貨幣の使用をまったく駆逐するような程度にまで拡張されうるであろ・ う。各人が銀行に預金取引があり、自分の支払のすべてを小切手です によって四ポンド儲ける。さらにまた、地方都市の誰かが、私に、私 が二一日後にロンドンの第三者に一〇〇ポンドを支払うという条件で るものとすれば、この小切手が唯一の流通媒介物となるであろう。こ
369 解説 たりつばに再現されているかぎり、ほかの訳書が先に出たか こうした著書を翻訳するためには、文章的なドイツ語を知 らといって、文句をいう権利は誰にもないであろう。 っているだけでは不充分である。マルクスは、日常用語や方 ジョン・プロード ( ウスによるこうした翻訳の最初の数頁言的ないいまわしをよく用い、新語をつくりだし、あらゆる が「トウ・デイ』誌の〔一八八五年〕一〇月号に発表されてい 科学部門から例証をあげ、一ダースもの外国語の文献から比 る。はっきり言うが、この翻訳は、とうてい、原文を忠実に 喩をとっている。マルクスを理解するためには、じっさい 再現したものだとはいえないのであって、それというのは、 ドイツ語の言葉も文章もマスターしていなければならず、ま プロードハウス氏が、マルクスの翻訳者として必要な能力をた、ドイツの生活にもいくらか通じていなければならない。 何ももっていないからである。 その一例。オクスフォードのある学生たちが、フォア〔四 . 本オール〕のポートでドーヴァ海峡 を漕ぎわたったとき、彼らの一人 0 扉が caught a 。「 ab した ( 「 のらえた」であるが、オールを水中にふかく入 れすぎて調子をみだしたという意味のスポー 町 集ャ ) という新聞記事があ 0 た。と スころが「ケルン新聞』のロンドン . 通信員は、忠実にも、これを文字・ 0 0 ンどおりにとって『カニが一学生の 0 工 オールにひっかかった』とじぶん 調の新聞に報道した。もうなん年も 0 英ロンドンのまんなかに住んでいる 1 人でも、じぶんの知らない分野の 0 専門用語に出くわすと、こんなこ 論つけいな間違いをしかねないもの 5 資とすれば、文章的ドイツ語をどう・ にか知っているだけなのに、きわ めて翻訳しにくいドイツの著作家 ム第 0 を 0 0 EY R を D F. R ー C K E N G E L S 、℃