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検索対象: 世界の大思想20 マルクス 資本論3
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1. 世界の大思想20 マルクス 資本論3

題とする全節約は、労働の社会的性格から生ずるのであるか 「これは議会条例の解釈でなく、明らかにその廃棄である」と ら、労働者の生命および健康のこうした浪費を生みだすもの 同じ報告中でホーナーが語るところに は、事実上、労働のこの直接に社会的な性格そのものであよれば、多くの工場では労働者に予告されないで機械が運転 る。この点でも特徴的なのは、工場検査官・べーカーによ される。静止した機械のところでも常に何かがなされるはず って提出されたつぎの問題である、 「密集労働によって であり、そのばあいには常に手や指が機械中で使用されてい ひきおこされる児童の生命のこの儀牲はどうすれば最もよく るから、この信号なしというだけのことからでも絶えす災害 防止されうるかという全間題は、慎重な熟慮を要する」と。 が生する ( 同上、四四頁 ) 。工場主たちは当時すでにマンチ ( 『エ場検査官報告、一八六三年一〇月』、一五七頁。 ) エスターで、工場立法に反抗するための同業組合、いわゆる 工場。ここでは、本来的工場においても、労働者の安全、 「工場条例改正期成国民連盟」を作っていたのであって、こ 快適、および健康のためのあらゆる予防策が抑制されている の連盟は一八五五年一二月には、一馬力あたり二シリングの寄 ことが問題である。産業軍の死傷数を数えあげる屠殺パンフ 附によって、工場検査官の告発にたいする連盟員の訴訟費川 レットの一大部分は ( 年々の工場報告書をみよ ) この点に由を支弁したり、連盟の方から訴訟を起こしたりするために、 来する。空間、通風、などの欠乏も同様。 総額五万ポンド以上を醵金していた。利潤のためならば「秋 一八五五年一〇月にもなお、レナード・ホーナーは、きわ人は殺害にあらず」 (killingnomurder) ということを証明 めて多数の工場主が水平軸の安全装置にかんする法的規定にするのが眠目であった。スコットランドの工場検査官サー 反抗しているーーその危険は、しばしば死者を出す災害によ ジョン・キンケイドがグラスゴーの一商会について語るとこ って絶えず証明されており、また安全装置は、高価でもなくろによれば、この商会はじぶんの工場の古鉄でその機械全部 経営を攪乱するものでもないのに ことを歎いている ( 『エ に安全装置を設け、これに九ポンド一シリングを費した。こ 場検査官報告、一八五五年一〇月』、六、〔七〕頁 ) 。これやその商会がかの連盟に加入したとすれば、その一一〇馬力にた の他の法的規定に対するこうした反抗において、工場主たち いし一一ポンドの寄附を、つまり、安全装置全体のために費 は無給の治安判事たちーー彼らはたいてい、みずから工場主したよりも多くの寄附をしなければならなかったであろう。 であるか、その友人でありながら、こうした事件を判決した ところがかの国民連盟は、あきらかに、 こうした安全装置を によって忠実に支持された。この連中の判決がどんなも命じた条例に反抗するために一八五四年に設置されたのであ のであったかについては、上級判事キャンベルが、 , 彼のもと る。一八四四ー五四年の全期間中、工場主たちはこの条例を に上告されたその一つについて、つぎのようにいナ いささかも念頭においたことがなかった。ところが工場検査

2. 世界の大思想20 マルクス 資本論3

生みだした。ところが、この国が低調になって外国に支配さ 、すなわちやはり E 十である。だから : : : 間題は、 れた時代にも、そこには古典的仮面が残ったのであって、そ 同等な資本と同等な時間とが、しかし不等量の生きた労働が充用され のうち特によくできた二つの型は、スガナレルリ = ールの喜 るばあいには、価値法則の基礎上では、剰余価値率の変動から同等な 出る〕型とドウルカマラ〔イ 人物 の歌劇、「愛の妙薬」に出てくる人物〕型であ平均利潤率が生する、というように解決される。」・ 0 ・シ = ティ べリング「価値法則と利潤率』、ニューヨーク、ジョン・ハインリヒ った。われわれは、この両者の古典的統一がわがロリア閣下 に体化されていることを知る。 最後に私は、読者たちを大西洋のかなたに案内せねばなら 右の計算は甚だみごとで明白ではあるが、しかもわれわれ ニューヨークで医学博士ジョージ・ O ・シュティーベ は、博士シュティーベリング氏に一つの質問を呈せざるをえ リング氏が、やはりこの問題の解決を、しかもきわめて簡単ない。工場—の生産する剰余価値の総額が、工場Ⅱの生産す な解決を見いだした。あまりに簡単だったので、どこでも誰る剰余価値の総額とまったく同等であることを、彼は何によ o 、、およびについては、つまりあら って知るか ? ・ 一人としてそれを認めようとしなかった。彼は大いに立腹し て、大洋の両側で、無数の小冊子や新聞論説をもってこの侮ゆる他の計算因子については、彼は、どちらの工場でも同等 な大いさだと明言するが、については一言もしない。 辱にたいしひどく不平を述べた。なるほど『ノイエ・ツアイ ト』で、彼の全解決は計算の誤りにもとづいていると注意さで生ずる双方の剰余価値量を代数学的にで示したからとい カそれでも彼は平気だった。マルクスも計算の誤って、それらが同等な大いさだということには決してならな れた。どが、 、。シュティーベリング氏は、利潤を無造作に剰余価値と りをやったが、多くの点でやはり正し い。だからわれわれは 同一視するのだから、むしろこれこそ、まさに証明されねば シュティー、、 ヘリングの解決を検討しよう。 ならぬ点である。ところで、可能なのは二つの場合だけであ 「同等な資本をもって同等な時間の作業をするが、不変資本と可変資 る。その一つは、双方のが同等、各工場の生産する剰余価 本との比率を異にする二つの工場をとって見よう。総資本 (c + v) を とし、不変資本の可変資本にたいする比率の差を * で示そう。工場値量が同等、つまり、総資本が同等ならば利潤量も同等なば あい この場合にはシュティーベリング氏は、これから 言—では y=c 十 v であり、工場Ⅱでは y= (c—x) 十 (v 十 x) である。 だから、剰余価値率は、工場—では一であり、工場Ⅱでは + で証明すべきことを最初からすでに前提しているのだ。もう一 序ある。総資本または c + v が所与の時間中に増殖される総剰余価値つは、工場の一方が他方よりも多額の剰余価値を生産するば (E) を利潤 (A) と名づけるならば、 p=m である。したがって利あい この場合には、彼の全計算がだめになる。 潤率は、工場—では一または十であり、工場Ⅱでも一または シュティーベリング氏は、彼のこの誤算の上におびただし

3. 世界の大思想20 マルクス 資本論3

一八六二年。一〇月。「最近の官庁統計によれば、一八六一年に、連慢のできる日賃銀をえることができなくなったからである。 : : : 若干 1 合王国には二八八七の木綿工場があり、そのうち二一〇九は私の地方のばあいには、不良棉花の使用による相違が、全時間就業のばあいで さえ総賃銀の半分に達した。」 ( 二七頁。 ) ( ランカシャーおよびチェシャー ) にあった。私の管区における二一 一八六三年。四月。「この年度中には、綿業労働者の半分よりも 0 九工場のきわめて大きな部分が、少人数しか使用しない小工場であ かに多くが完全就業することはありえないであろう。」 ( 『エ場検査官 ることを、私はよく知っていた。だが、この数が大きいことを発見し て私は驚いた。三九二工場すなわち一九 % では、動力ーーー蒸気力また報告、一八六三年四月』、一四頁。 ) は水力ーー・が一〇馬力未満、三四五工場すなわち一六 % では一〇馬力「東インド棉花・ーー諸工場が現に使用しなければならぬようなーーーを 使用するばあいの重大な不利益は、機械の速度が甚だしく緩慢となら と二〇馬力とのあいだ、一三七二工場では二〇馬力以上である。 これらの小工場主たちのきわめて大きな部分ーーー総数の三分の一以上ねばならぬことである。この数年間、この速度を速くして同じ機械が は、すこし前までは、彼らじしんが労働者であった。彼らは資本より多くの作業をするように全力がつくされた。ところで、速度の減・ 少は、工場主にと同じように労働者にも影響する。けだし、労働者の : だから主たる負担は、 にたいする支配力をもたない人々である。 のこり三分の二の人々にかかるであろう。」 (f 工場検査官報告、一八多数は個数賃銀でーー紡績工は紡がれた糸一封度につき幾ら、織布工 は織物一反につき幾らというふうにーー・支払われ、また、週賃銀で 六二年一〇月』、一八、一九頁。 ) 同じ報告によれば、ランカシャーおよびチェシャーの綿業労働者の払われる他の労働者のばあいでさえも、生産が減少する結果として賃 うち、当時、完全就業者は四万一四六人すなわち一一・三 % 、労働時銀が減少するだろうからである。私の調査 : : : および、私の提供した 間を制限された就業者は一三万四七六七人すなわち三八 % 、失業者は本年度中の綿業労働者の稼ぎ高表 : : : によれば、一八六一年に支配的 であった賃銀の高さと比較計算して、平均二〇 % 、若干のばあいには 一七万九七二一人すなわち五〇・七 % であった。このうちから、マン 五〇 % の減少となる。」 ( 一三頁。 ) 「稼ぎ高は : : : どんな材料か チ = スタ 1 およびポールトン・ーーこの両市では主として、棉花欠乏に よって影響されることが比較的すくない細番手の糸が紡がれるーーーに 加工されるかに依存する。 : : : 労働者の状態は、稼いだ賃銀額にかん かんする数字をさし引いてみると、事態がいっそう慙くなる。すなわしていえば、現在 ( 一八六三年一〇月 ) 、前年同期とくらべて遙かに ち、完全就業八・五 % 、制限就業三八 % 、失業五三・五 % である。 ( 一良好である。機械が改良され、原料にかんする知識が増し、労働者た 九、二〇頁。 ) ちは、最初にたたかわねばならなかった困難を、いまや容易に処理す 「加工される棉花の良否は、労働者にとっては本質的な相違をなす。 る。昨年の春、私がプレストンで裁縫学校」 ( 失業者のための慈善施 本年のはじめ数か月間、工場主たちが相当な価格で買いうるあらゆる設 ) 「に行ったところ、毎週四シリングの稼ぎがあるという工場主の 棉花を使ってじぶんの工場を休ませないでおこうとしたとき、以前に話でさきに織物工場にやられていた二人の少女か、復校を願って、毎 は普通に良質棉花が使用されていた工場に不良棉花が多量に入りこん週一シリングも稼げなかったとこほしていた。私はセルファクティン グ・ミンダー〔自動紡績機械による紡績工〕にかんする話を知ってい だ。労働者たちの賃銀の相違が大きくなったので、多くのストライキ : 一対の自動紡績機をあっかう職工たちは、全労働時間の一四 がおこった。というのは、彼らは今や、もとの個数賃銀ではもはや我る。

4. 世界の大思想20 マルクス 資本論3

118 一八六〇年に綿業で過剰生産の行なわれたことが、今にして分かっ・ ろいろある。 : : : 黄麻紡績業は : : : 比較的満足すべき状態にある、と た。その影響は、その後の幾年間も感ぜられた。「二年ないし三年か・ いうのは、近ごろこの原料がほどほどの価格に下落したからである。」 かって、一八六〇年の過剰生産が世界市場に吸収された。」 (f 工場検 ( 「工場検査官報告、一八五九年一〇月』、二〇頁。 ) 一八六一ー六四年。アメリカの南北戦争。棉花飢饉。原料の欠査官報告、一八六三年一〇月」、一二七頁。 ) 「一八六〇年初頭におけ る東アジアの綿製品市場の不振は、プラックバーン , ーーここでは平均 乏と騰貴による生産過程中断の最大実例 して、三万台の機械織機がほとんどもつばら東アジア市場むけの織物 . 一八六〇年。四月。「事業状態にかんして喜んで報告できるのは、 原料の高価にもかかわらす、絹をのぞくすべての繊維工業が、過去半の生産にたずさわ「ているーー・の事業に相応の反作用をおよほした。 その結果として労働需要が、ここでは、棉花封鎖の影響が感せられる、 年間はなはだ好況だったことである。 : : : 若干の綿業地方では、労働 : かようにして幸いに より数か月も前に、すでに制限されていた。 者か広告によってさがし求められ、ノアフォークその他の農村地方か も、多くの工場主は破滅を免れた。在荷の価値がーー在庫品が持たれ らよせ集められた。各工業部門では一般に、原料が甚だしく不足して ていたかぎりではーー・・高まり、かくして、さもなければこうした恐慌 . ・ : われわれを制限しているのはこの不足だけである。 いるらしい 綿業では、新設工場の数、既存工場の拡張、および、労働者にたいす期には不可避である恐るべき価値減少をまぬかれた。」 ( 「工場検査官 報告、一八六二年一〇月』、二八、二九、〔三〇〕頁。 ) る需要が、現在ほど大きかったことはおそらくかってないであろう。 一八六一年。一〇月。「事業はしばらく前からきわめて不振であっ あらゆる方向に向って原料がさがし求められている。」 ( 「工場検査官 : ・冬期の数か月中は多くの工場が労働時間を甚たしく短縮する・ 報告、一八六〇年四月」〔五七頁〕。 ) であろうということは、ありそうもないことでは決してない。それど、 一八六〇年。一〇月。「綿業、羊毛業、および亜麻業地方における ころか、 : アメリカからの平素の棉花供給とわが国の輸出とを中断 事業状態は良好であった。アイルランドでは、一年以上も前からむし した諸原囚をまったく度外視しても、この三年間の生産の甚たしい増・ ろ『きわめて良好」だったといわれるが、原料の価格が高くなかった とすればい 0 そう良好だ 0 たであろう。亜麻紡績業者たちは、かって加とインドおよび中国市場の混乱との結果として、きたるべき冬の労 ない焦躁をも 0 て、鉄道によ 0 てインドの資源が開発されることを期働時間の短縮が必然となるであろう、ということが予想されえた。」 待し、そして、インドの農業がそれに応じて発展し、ついには・ = ・ : 彼 ( 「工場検査官報告、一八六一年一〇月」、一九頁。 ) 棉屑。東インド棉花 ( スラート ) 。労働者の賃銀に及ぼす影響。 らの必要に応ずる亜麻供給がえられることを期待しているように見え 機械の改良。澱粉および鉱物による棉花の代用。この澱粉整糸・ る。」 ( 『エ場検査官報告、一八六〇年一〇月」、三七頁。 ) が労働者に及ほす影響。細番手糸の紡績業者。工場主の欺瞞 一八六一年。四月。「事業状態は目下のところ不振である : : : 少数 「一錘あたり 「ある工場主は私につぎのように書いてよこした、 の木綿工場は操業を短縮し、多くの絹工場は部分的にしか操業してい ない。原料はむしろ高い。ほとんどどの繊維部門でも、原料は、消費の棉花消費の見積りについて、貴方は、つぎの事実を充分に計算に入 者人衆のために加工されうべき価格をこえている。」 ( 「工場検査官報れないらしい。というのは、棉花が高いときには、普通の糸 ( たとん ば、主として一一一ー 三二番手で、四〇番手まで ) を生産する各紡績第 告、一八六一年四月』、三三頁。 ) ア」 0

5. 世界の大思想20 マルクス 資本論3

本家は、まだまだ「国務をおこなったり哲学したり」するど かぎり、そのかぎりでは資本家の労働は、それが資本制的外皮 3 ころではないが を脱してしまえば資本とまったく係わりがないことは、この 産業資本家でなく産業管理人こそ「わが産業体制の精髄」形態そのものと全く同様である。もし人あって、この労働は であることは、すでにユーア氏の語ったところである。事業資本家の労働としてーー資本家の機能としてーー必要だと語 の商業的部分についていえば、それについて必要なことはするならば、それは、俗物どもは資本制的生産様式の胎内で発 でに前篇で語られている。〔二四一ー二頁参照。〕 展した諸形態をその対立的な資本制的性格から分離し解放し ては考えることができない、ということ以外にはなにも意味 契・ユ 1 ア「マニュファクチアの哲学」、フランス訳、一八三六年、 第一巻、六八頁〔英語版 ( ロンドン、一八三五年 ) では四二頁〕。ここで、 しない。貨幣資本家にくらべるならば、産業資本家は労働者 工場主たちのこの抒情詩人は、同時に工場主たちについて、彼らの多くはそ といっても、資本家としての、すなわち他人の労働の搾 の充用する機構のことをちっとも考えていないという、証言をしている。 取者としての、労働者ーである。彼がこの労働にたいして 資本制的生産そのものは、指揮指導という労働を資本所有要求し収得する賃銀は、取得した他人の労働量にちょうど等 からまったく分離して街頭をさまようにいたらしめた。した しく、搾取という必要な骨おりを彼が引きうけるかぎり、こ がって、この指揮指導という労働が資本家によって行なわれの労働の搾取度に直接に依存するのであって、彼がこの搾取 ることは無用となった。楽長はオーケストラ楽器の所有者た に要費する努力・ーーこれを彼は、相当の支払をして管理人に ることを全く必要とせず、いわんや、彼がほかの楽士たちの転嫁することができるーーの程度には依存しない。恐慌後に 「賃銀」になにか関係せねばならぬということは指揮者とし は、つねに、イギリスの工場地方において、以前に工場主だ ての彼の機能には属しない。最高の発達をとげた資本家自身ったものが、彼らじしんの元の工場を、いまや新たな所有者 ( も七 ) からみれば大土地所有者が余計なものであるのと同じよう しばしば彼らの債権者ーーーの管理人として、安い賃銀で 監督しているのがよく見かけられる。 に、生産の機能者としての資本家が余計なものとなったとい 毛私のよく知っているある場合には、一八六八年の恐慌後、破産した一工 うことは、協同組合工場がこれを実証する。資本家の労働が、 場主が、自分じしんの元の労働者たちの有給賃労働者となった。すなわちこ たんに資本制的生産過程としての生産過程から生ずるのでな の工場は、破産後、一つの労働者組合によって継続され、かっての所有者は く、つまり資本とともにおのずから消減するのでないかぎり、 管理者として雇われたのである。 g-* ・エンゲルス。 他人の労働を搾取するという機能にとどまらないかぎり、つ 商業的管理人のばあいにも産業的管理人のばあいにも、管 まり、社会的労働としての労働の形態からーー一つの共同的理賃が企業者利得とはまったく分離されて現われることは、 成果に達するための多数者の結合および協業からーー生ずる労働者の協同組合工場においても資本制的株式企業において ( 七六 )

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「労働者たら にさらされるのである。」 ( 九一、九二頁。 ) 同意された ( 七〇頁 ) 。着手された事業は、主として下水工事、道路 の態度はほとんど非難の余地のないものであった、 ・ : 彼らは進んで 工事、街路鋪装、水道用貯水池、などであった。 プラック バーンの委員会長へンダースン氏は、この点について、エ屋外労働をひきうけ、そしてそれをやりとげた。」 ( 六九頁。 ) 場検査官レッドグレーヴに書をよせていう、 「現在の苦悩時代に 一八六四年。四月。「ときどき、さまぎまな地方で、労働者の不足 おける私の全経験を通じて、公共事業条例にしたがってプラックバ にかんする苦情が聞かれるのであって、それは主として特定の諸部 ン市会がこの地方の失業労働者たちに与えた仕事を彼らがこころよく 門、たとえば織物業においてであるが、 ・ : しかし、この苦情の根源・ 進んで受取ったこと以上に、私をひどく愉快にさせまたは喜ばせたこ は、この特殊部門における労働者そのものの何らかの現実的不足にあ とはない。以前 ( ( こよ熟練労働者として工場ではたらいた綿紡績工と、 るのと同様に、使用される糸の種類が劣悪な結果として労働者が稼ぎ うる賃銀が少ないことにもある。先月、ある工場主たちとその労働者 いまや地下一四ないし一八フィートの下水溝で日雇労働者としてはた らく彼との対照よりも大きな対照は、おそらく考えられぬであろう。」 たちとのあいだに賃銀をめぐる幾多の悶着がおこった。私が遺憾に思咽 ・ : 公共 ( 彼らはこの仕事によって、家族数に応じて毎週四ないし一二シリン うのは、ストライキがあまりにも頻繁に生じたことである。 グを稼いだが、これだけの金額で、しばしば八人からなる家族がやつ事業条例の作用は、工場主たちにとっては競争として感ぜられるので てゆかねばならなかった。プルジョア諸君はこれによって二重の利益あり、その結果、ペーカップの地方委員会は活動を停止した。という すす をえた。すなわち、第一に彼らは、例外的な低利で彼らの煤けた投げわけは、まだ運転されていない工場があるのに早くも労働者の不足が・ 明らかになったからである。」 ( 『エ場検査官報告、一八六四年四月』、 やりの都市を改善する資金をえたのであり、第二に彼らは、労働者に 通例の賃銀率よりも遙かに低く支払ったのである。 ) 「彼がほとんど熱九、一〇頁。 ) たしかに工場主諸君にとっては絶好の時期であった。 帯的な温度に慣れ、筋力よりもむしろ手先きの軽快や正確を無限に多公共事業条例の結果として需要が甚だしく増大して、べ 1 カップの石 割場では、多くの工場労働者が、いまや一日に四ー五シリングを稼い く必要とした労働に慣れていたとすれば、また、彼が現在うけとりう アトリエ・ナショノー だ。かくして公共事業ーー・一八四八年の国民作業場のこの新版、とい る賃銀の二倍どころかしばしば三倍もの賃銀に慣れていたとすれば、 っても、こんどはプルジョアジーの利益のために設けられたもの 彼が、与えられた仕事をこころよく受取ったのは相当の克己と顧慮と がだんだん中止された。 あ要することであり、これは彼にとって最高の名誉である。プラック ーンでは、人々は、ほとんどありとあらゆる種類の屋外労働で、す 無価値体での実験 なわち、硬くて重い粘土地をかなりの深さに掘ることや、排水、石割 「私は、さまぎまな工場における労働者たらの現実の稼ぎである甚だ 、道路工事や、深さ一四フィート、 一六フィート、ときには二〇フ しく引下げられた賃銀 ( 完全就業者の ) をあげたのであるが、だから ィートにも及ぶ下水溝用の掘割りやで、試練された。そのさい、彼ら といって、けっして、彼らが毎週同一額を稼いでいるということには は、しばしば深さ一〇ないし一二インチの汚物や水の中に立つのであ ならない。労働者たちはここでは大きな動揺にさらされている。とい って、このばあいには、彼らはいつでも、しめった寒気ーーこれは、 うのは、工場主たちが、同一工場で棉花と棉とのさまぎまな比率を イングランドでは何所でもそうだとしても、そのどの地方にもまけな もって絶えず実験をする結果である。いわゆる「混棉」はしばしば弯

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官たちがパーマストンの指令にもとづいて、今後この条例をなさねばならぬ専門鑑定のための極めて巧妙にこねあげられ 励行すべきことを工場主たちに通告した。工場主たちはただ た規定によって工場主の敗訴をほとんどありえないものにし ちに連盟を設立したが、その最も有力な成員中には、自分じ た。結果は、災害の急激な増加であった。一八五八年の五月 しんが治安判事であり、またその資格でこの法律そのものをから一〇月までの半年間に、検査官べーカーは、その前の半 適用せねばならぬ人がたくさんいた。一八五五年四月に新内年間だけにくらべても二一 % の災害増加を認めた。彼の意見 務大臣サー・ ジョージ・グレーが、政府はほとんど名目だけによれば、総災害の三六・七 % は避けえられたのである。な の安全装置で満足するつもりだという調停案を出したとき、 るほど一八五八年および一八五九年には、一八四五年および 連盟はこれをさえも憤然として拒否した。さまざまな訴訟に 一八四六年にくらべて、検査を受けた産業部門における労働 さいし、有名な技師トマス・フェア ・ハーンは鑑定者として、 者数が一一〇 % 増加したにもかかわらず、災害数はいちじるし 資本の節約と侵害された自由とのために名声をかけて尽力し すなわち一一九 % ーー減少した。だが、この減少は何か た。工場検査官長レナード・ホーナーは、工場主たちによっ ら生じたか ? この問題点が今日 ( 一八六五年 ) までに解決 て、あらゆる仕方で迫害され、誹謗された。 されているかぎりでは、それは主として新機械ーー安全装置 . * クロムウエルの殺人に抗議した一バンフレットの表題 ( カウッキ 1 版 がすでに前から設けられており、何らの特別費用もかからな 注 ) 。ーーー訳者。 いので、工場主の気にいる新機械ーーの採用によって解決さ コート・オヴ・クイ 1 ンス・ペンチ 工場主たちはそれでも安んぜず、ついに普通法裁判所れたのである。労働者のうちには、失った腕にたいして多類 の損害賠償を判決され、この判決を最高審でも確認してもら の判決をえたのであって、その解釈によれば、一八四四年の 約 節条例は地上七フィート以上に置かれた水平軸には何らの安全うことができた者も、若干あった。 ( 『エ場検査官報告、一八 上装置も命じていない、というのであった。最後に一八五六年川六一年四月一一一〇日』、三一頁。同上、一八六一一年四月、一七 ) 。、ツテン 充には、偽〔者ウイルソン・・ 宗教を看板にして 資金袋の騎士たちのために汚れた仕事をすることを常に自慢と 以上は、労働者 ( 多数の児童をふくむ ) を機械のところで 不する、かの偽信者の一人ーーによって、彼らがどうにか満足使用することから直接に生ずる危険から、彼らの生命と四 章しうる議会条例を通過させることができた。この条例は、事を保護するための手段の節約についてである。 第実上、労働者からあらゆる特殊的保護を奪って、機械による 屋内一般における労働。ーー空間したがって建物の節約が 災害の損害賠償を受けるためには普通法裁判所に行けといし どんなに労働者をせまい場所につめこむかは、周知である。 ( イギリスの裁判費用のもとでは全くの嘲弄だ ) 、他方では、 そのうえになお、通風手段の節約がおこなわれる。この両者

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「最近わずか数年間に生じた機械改良の急速な歩調によって、工場主 ウルフ式機関を使用したのであって、らかごろ製作された機関はたい たちは、動力を追加しないでも生産を拡張することができた。労働日 ていそうであった。そのウルフ式機関は二つの汽籥をもつが、その一 の短縮によって労働の消費節約が必要となったのであって、経営の上 方では、汽罐から出てくる蒸気が、その圧力のうち大気の圧力をこえ 手なたいていの工場では、どうすれば投資を減少しながら生産を増加 る超過分に応じて動力を生じ、ついで、従来のように。ヒストンが動く しうるかが、常に研究される。私の地方のはなはだ賢明な一紳士の好 たびに空中に逃げるかわりに、約四倍大の容積をもっ低圧汽笛へはい り、そこでさらに膨脹したのち復水機に導かれる。こうした機関によ意によって、一つの書類を私は入手している。というのは、一八四 0 って得られる節約的結果は、毎時間三・五ー四封度の石炭で毎時間一年から現在までの期間の、彼の工場における就業労働者の数および年 馬力が得られるということであって、旧式の機関では、これに一二な齢、充用された機械および支払われた賃銀、にかんするものである。 いし一四封度が必要だったのである。ウルフの二汽笛式、または高圧彼の商社の雇傭労働者は、一八四〇年一〇月には六〇〇人で、そのう 機と低圧機とを結合した方式は、巧妙な装置によって既存の旧式機関ち二〇〇人は一三歳未満であった。一八五二年一 0 月には三五 0 人に に適用することができ、かくして、この機関の効果を増大させると同すぎず、そのうち六〇人だけが一三歳未満であった。どちらの年にも 時に石炭消費を減少させることができた。これと同じ結果は、この八 ほとんど同数の機械が運転され、同一額が労賃に支払われた。」 ( 「エ 場検査官報告、一八五二年一〇月』、五八、〔五九〕頁におけるレッド 年ないし一〇年間に、高圧機を復水機と結合させ、前者で使用された グレーヴの報告。 ) 蒸気を後者に移行させてこれを運転させることによっても得られた。 この仕組みは多くのばあいに有用である。」 こうした機械改良は、合目的的に作られた新しい工場建築物に装置 「同一蒸気機関にこうした新改良の若干またはすべてを設備すれば、 されて初めて充分な作用をしめす。 その作業能力がどれだけ増加するかということを、正確に知ることは 「機械改良にかんして私が述べねばならぬのは、何よりもまず、この 容易でないであろう。だが、思うに、同一重量の蒸気機関で、今や少新機械の装置に適した工場の建築に一大進歩が生じたことである。 ・ : 私は糸をすべて最下階で撚らせているが、ここだけに二万九〇〇 節なくとも平均五〇 % だけ多くの仕事または作業がなされること、およ 〇本の撚糸紡錘を装置している。この部屋と倉庫だけで、私は少なく 上び、毎分一三〇フィートという速度制限時代に五〇馬力を生じた同じ こ とも一〇 % の労働節約をしている。これは、撚糸方法そのものの改良 用蒸気機関が、多くのばあい今や一〇〇馬力以上を生すること、 本れだけのことは確かである。復水機で高圧蒸気を使用することの最高の結果というよりも、むしろ、機械をただ一個の伝動機のもとに集中 一個の起動軸で同数の した結果である。そして私のところでは、ただ 畯の節約的結果、ならびに、事業拡張のために旧来の蒸気機関に対して なされる要求の大増加は、この三年間に管状汽罐を採用するにいたら川紡錘を運転することができ、そのために他の商社にくらべて、軸伝動 五しめ、かくして、蒸気生産費をさらに著しく減少させた。」 ( 「工場検で六〇ないし八〇 % の節約をしている。そのほかに、こうして油脂な 第 どの多大の節約ができる。 : : : 要するに私は、工場設備の完成と機械 査官報告、一八五二年一〇月』、二三ー二七頁。 ) 発動機についていえることは、伝動機および作業機についても同じの改良とによって、少なく見積っても労働を一〇 % 節約し、しかも動 力、石炭、油脂、起動軸および・ヘルトなどを大いに節約した。」 ( 『エ よ - つにいえる

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ンズ氏によれば彼じしんの地方で設置されつつあり従って他の地方で を引用するが、そこで彼は、彼じしんの地方の産業統計を可能なかぎ もおそらく同様だろうと判断すべき追加の紡錘や織機を考慮に入れな り正確に集成している、 いでも、そうなのである。」 ( 五九、六〇頁。 ) 「各現実馬力は、前紡機つき四五〇本の自動紡錘を、または二〇〇本 のスロッスル紡錘を、または捲返し・毛刈り・および整経機つき一五 台の四〇インチ幅物の織機を、運転する。各馬力は、紡績のばあいに 第三節一般的例証、一八六一ー六五年の は二人半、織布のばあいには一〇人の労働者を就業させるのであっ 棉花恐慌 て、彼らの平均賃銀は週に一人あたりゅうに一〇シリング半である。 よこいと たていと ・ : 仕上げられる平均番手は、経糸用の三〇ー三二番と緯糸用の三四 前史、一八四五ー六〇年 ー三六番である。毎週生産される紡糸を一錘あたり一三オンスと仮定 一八四五年。綿業の繁栄期。棉花価格はきわめて低かった。これに すれば、一週間では八二万四七〇〇封度の糸ができ、そのために価格 「この八年間に、私は、この夏およ ついて・ホーナーはい - つ、 二万八三〇〇ポンドの九七万封度、すなわち二三〇〇梱の棉花が消費 こ AJ こ、 び秋に支配的たったような活な事業期を見たことがない。 きれる。 ・ : われわれの地方 9 ラ , クバーン ) を中心とする半径五綿紡績業ではそうだ。まる半年間、私は毎週、あらたな工場投資にか マイルの範囲内 ) では、毎週の棉花消費量は一五三万封度すなわら一一一んする報告を受けと 0 た。あらたな工場が建築されたのもあり、少数 六五〇梱で、その費用価格は四万四六二五ポンドである。これは、連 ながら空工場があらたな賃借人を見いだしたのもあり、運転中の工場 合王国の木綿紡績業全体の一八分の一、機械織物業全体の一六分の一 が拡張されて強力な蒸気機関が新設され、作業機が増設されたのもあ である。 る。」 ( 『エ場検査官報告、一八四五年一〇月」、一三頁。 ) たから、・ヘーンズ氏の計算によれば、王国の綿紡錘の総数は二八八 一八四六年。愁嘆が始まる。「すでに久しい以前から、私は木綿工 〇万本であ 0 て、これをフルに運転するには年々一四億三二〇八万封場主たちから彼らの事業の不振状態にかんする極めて広範囲な愁嘆を : この六週間、さまざまな工場が、一日に一二時間でな 度の棉花を必要とするであろう。だが、輸出をさしひいた棉花輸入高耳にする。 は、一八五六年および一八五七年には一〇億一三五七万六八三二封度 ・ : 棉花の く通常八時間への操業短縮を始めた。これが広がるらしい のにすぎなかった。したがって必然的に四億九五〇万三一六八封度の不大騰貴が生じたが : : : 製品の騰貴どころか : : : その価格は棉花の騰貴 変足が生じたに違いない。この点について私と親しく語ったべーンズ氏前よりも下落している。最近四年間における木綿工場数の大増加の結 果として、一方では原料の需要が甚たしく増加し、他方では市場への 価の信ずるところでは、プラックバーン地方の消費にもとづく年々の棉 章花消費の計算は、糸の番手ばかりでなく機械の優秀さも違うので、過製品の供給が甚だしく増加したに違いない。原料の供給と製品の需要 ~ ( 大に失するであろう、とのことである。彼は、連合王国の年々の棉花が不変なかぎり、右の両原囚はともに利潤圧下の作用をしたに違いな したか、この両原因はさらにいっそう強く作用した。というのは、 消費総額を一〇億封度と見積っている。だが、彼が正しくて現実に一一 一方では棉花の供給が近ごろ不充分だったからであり、他方では製品 二五〇万封度の供給超過を生ずるとすれば、需要供給はすでに現在ほ の需要がさまざまな内外市場で減少したからである。」 ( 「工場検査官 とんど均衡を保っているように見えるのであって、そのことは、ペー

10. 世界の大思想20 マルクス 資本論3

よび経過において事情に恵まれるならば、自分の資本にくらべて実に尨大な では消極的に止揚され、後者では積極的に止揚されているだ 額の買物をすることができる。」 ( 同上、一三六頁。 ) ーー「製造業者や商人な けである。 どは、すべて、彼らの資本をはるかにこえる事業をしている。 : : : 資本は今 以上でわれわれは、信用業の発展ーーおよび、そのうちに 日では、何らかの商業的事業の取引上の制限であるよりも、むしろ、その上 によい信用が築かれるべき基礎である。」 ( 「エコノミスト」、一八四七年、一含まれている資本所有の潜在的止揚ーーーを主として産業資本 三三三頁。 ) に連関させて考察してきた。以下の諸章では、信用を利子生 み資本そのものに連関させてーー利子生み資本におよぼす信 労働者たちじしんの協同組合工場は、旧来の形態の内部で は、旧来の形態の最初の突破である。といっても、それはも用の影響、ならびに、そのさいに信用がとる形態をーー考察 ちろん、つねに、その現実的組織においては、既存制度のあするが、それについては、一般的になお若干の特に経済学的 な注意をしておかねばならない。 らゆる欠陥を再生産し、また再生産せざるをえないのである あらかじめ、なお次ぎのことを、 : 。だが、資本と労働との対立は、その工場の内部では止揚 されている、 信用業が過剰生産および商業的過度投機の主要な槓杆とし たとえ最初には、組合としての労働者たち て現象するとすれば、それはけだし、再生産過程ーーー・これは は彼らじしんの資本家だという、すなわち、生産手段を彼ら 割じしんの労働の価値増殖に使用するという、形態でにすぎなその本性からして弾力的であるーーがこのばあいには極限ま いとはいえ。こうした工場は、物質的生産諸カ・およびこれで強行されるからに他ならす、しかも再生産過程が強行され るのは、けだし、社会的資本の一大部分がその非所有者、す 信に照応する社会的生産諸形態・の特定の発展段階では、いか一 して自然的に、一生産様式から新たな一生産様式が発展し出なわち、自分の私的資本の諸制限を小心翼々と考量する所有 に来あがるかを示す。協同組合工場は、資本制的生産様式から者がみすから機能するばあいとはまったく異なり、向うみず 生発生する工場制度がなければ発展しえなかったであろうし、 なことをする非所有者によって充用されるからである。この また、この生産様式から発生する信用制度がなくても発展し ことによって明らかとなるのは、資本制的生産の対立的性格 資えなかったであろう。信用制度は、資本制的個人企業が資本にもとづく資本の価値増殖は特定点までしか現実的で自由な 章制的株式会社に漸次的に転形するための主要基礎をなすのと発展を許さず、したがって事実上では生産の内在的な桎梏お 二同じように、多かれ少なかれ国民的な規模での協同組合企業よび制限をなすが、この桎梏・制限は信用業によってたえず ( 八九 ) の漸次的拡張の手段を提供する。・資本制的株式企業は協同組突破される、ということに他ならない。したがって、信用業 引合工場と同じように、資本制的生産様式から組合的生産様式は、生産諸力の物質的発展および世界市場の作出を促進する への過渡形態と見なされるべきであって、ただ、対立が前者のであるが、あらたな生産形態の物質的基礎としてのこれら