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検索対象: 世界の大思想21 マルクス 資本論4
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1. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

産にたずさわる資本家たちが相互に与えあう信用を分析しょ延期されているにすぎないーに依存する。紡績業者が う。商業信用は、信用制度の基礎をなす。その代表者は、手布業者から手形を受けとったとすれば、その織布業者は、じ 形、すなわち一定の支払期限っきの債務証券、 document of ぶんが市場に出している綿布がやがて売れたときに支払うこ deferred payment ( 延払証券 ) 、である。各人は一方の手でとができる。穀物投機師がその仲買人あての手形を振出した とすれば、その仲買人は、やがて穀物が期待した価格で売れ 信用を与え、他方の手で信用を受ける。われわれはさしあた り銀行信用をまったく度外視するが、これは、まったく別個たときに貨幣を支払うことができる。だから、これらの支払 は、再生産ーーすなわち生産Ⅱおよび消費過程ーーの円滑に の、本質的に異なる契機をなす。この手形が商人たちじしん のあいだで、一方の他方にたいする裏書によって再び支払手依存する。だが信用は相互的だから、各人の支払能力は同時 に他人の支払能力に依存する。というのは、手形を振出すさ たがこのば亠めいには割 段として流通するかぎりでは、 、各人は自分じしんの事業における資本の還流を当てにし 引は介入しない、 それは << からへの債権の移譲にほか たかもしれす、また、やがて彼に手形の支払をなすべき第三 . ならぬのであって、関連を絶対に変化させない。一方の人が 者の事業における還流を当てにしたかもしれぬからである。 他方の人にとってかわるだけである。そしてこの場合でも、 決済は貨幣の介入なしに行なわれうる。たとえば、紡績業者還流の見込みを別とすれば、支払はただ準備資本ーー還流が は花プローカーに、後者は輸人業者 0 に、手形の支払おくれたばあいに自分の債務をはたすために手形振出人が自 由にしうる準備資本ーー・によってのみ可能となりうる。 をせねばならない。 ところで O が糸の輸出もするとすれば、 第二に。 この信用制度は、現金での貨幣支払の必要をなく これはよくあることだが、ーー彼は〔の〕手形でから 「糸を買い、そして紡績業者はプローカーにたいし、 0 かするものではない。まず、支出の一大部分はつねに現金で支、 労賃、租税など。だが次ぎに、た 現ら支払われたじしんの手形で支払をすることができるので払われねばならない、 鉢あって、このばあいには、たかだか、残高だけを貨幣で支払とえば、 0 から手形で支払を受けとるは、この手形の満期 幣、んばよい 。このばあいには、全取引は棉花と糸との交換を媒以前に、みずからはあての満期手形を支払わねばならぬの 介するだけである。輸出業者は紡績業者を代表するだけであであって、そのためには、彼は現金をもっておらねばならな 0 り、棉花プローカーは棉花栽培者を代表するだけである。 。さきに棉花栽培者から綿紡績業者まで、およびその逆に 前提されたような完全な再生産循環は、ただ例外をなしうる 第ところで、この純粋な商業信用の循環については、二つの ことを注意しなければならない。 のみであって、つねに多くの個所で中断されざるをえない。 第一に。 われわれが再生産過程 ( 第一一部第三篇〔三一八ー三二〇頁〕 ) で この相互的債権の決済は、資本の還流すなわち、

2. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

8 彼の意見では、イングランド銀行は逼迫期にも、為替相場この学派の創始者なのである。 ( 「経済学批判」五九頁〔ディーツ版、 一九五一年、八二頁〕参照。 ) 彼は述べていう、「第四四八八号。一八 羽子歩合 の逆調によって金が外国に出てゆかないかぎりは、」 四四年の条例の影響をどうお考えですか ? 銀行業者としてお答 を五 % という元の高さ以上に引上げることを要しなかった。 えしてよければ、この条例は全くみごとな作用をしたと申したい。と 一八四四年の条例がなければ、イングランド銀行は逼迫のさ いうのは、この条例は、あらゆる種類の銀行業者や資本家」 ( 貨幣資 、困難なしに、呈示されるすべての一流手形 (first classä 本家というべし〔・エンゲルス〕 ) 「に、ゆたかな収穫をもたらした bills) を割引しうるであろう、と。 ( 第一〇一八ー一一〇号。 ) からです。しかしこの条例は、安心して取引しうるような割引率の安 ところが一八四四年の条例があっては、また一八四七年のイ定を必要とする尊敬すべき勤勉な事業家にたいしては、きわめて悪い ングランド銀行の状態では、「イングランド銀行がどんな利影響がありました。 : この条例は、貨幣貸付をきわめて有利な事業 「第四四八九号。それ ( 銀行条例 ) のおかげ 子歩合を信用能力ある諸商館に要求しても、彼らは、その支たらしめたのです。」 で、ロンドンの株式諸銀行は、株主に二〇ー二二 % も支払うことがで 払をつづけるために喜んでこれを支払わねばならなかった。」 きるのでしよう ? ある銀行はちかごろ一八 % 支払い、もう一つ 〔第一〇二二号。〕そしてこの利子歩合の引上げこそは、かの条 の銀行は二〇 % 支払ったと思います。彼らは断固としてこの条例を支 例の目的であった。 持するだけの理由があります。」 「第四四九〇号。大資本をもた 「第一〇二九号。私は、外国むけの需要ー ( 貴金属にたいする ) 「に及ない小さな事業家や尊敬すべき商人たち : : : をこの条例はひどく痛め つけます。 : : : そうしたことを知るために私がもっている唯一の資料 ほす利子歩合の影響と、国内的信用払底期にさいしての銀行殺到を阻 は、私は彼らの引受手形で支払われないものの分量が驚くほどあるの 止するための利子引上げとのあいだに、大きな区別を設けなければな らない。」 「第一〇二三号。一八四四年の条例以前には、為替相を見ている、ということです。これらの引受手形は二〇ポンドないし 場がイギリスに順であれば、国内が不安どころか実際上のパニックに 一〇〇ポンドというような、つねに小額のものですが、そのうちに支 おそわれたとしても、銀行券の発行ーーーこれによってのみこの逼迫状払われないもの、支払われないのであらゆる地方に帰ってゆくものが囲 態は緩和されうる には何らの限界も設けられなかった。」 沢山ありまして、これはつねに : : : 小商人たちのあいだの不況の徴候 以上は、三九年間の長きにわたってイングランド銀行の理事であっ です。」ーー・第四四九四号で彼は、事業は今日のところ有利でないと た男の意見である。こんどは、われわれは、一八〇一年いらいスプー 説いている。つぎにおける彼の話は重要だ、というのは、ほかの者が ナー・アトウッド商会の組合員たる私営銀行業者トウエルズのいうこ まだ誰も気づかなかったのに彼は恐慌の潜在を見ぬいたからである。 とを聞いてみよう。彼は、一八五七年の銀行委員会での証人全部のう 「第四四九四号。マインシング・レーン〔ロンドンにおける植民地商 ち、この国の現実の状態への一暼をこころみて恐慌の切迫を見ぬいて品卸売業の中心地〕での価格はまだかなり保合っているが、しかし、 いる唯一の人である。その他の点では、彼はバ 1 ミンガム派の小シリ ちっとも売れす、どんな価格でも売ることができない。ひとびとは名 ング論者の一種であって、彼の組合員たるアトウッド兄弟は、じつは 目価格でやっている。」ーー第四四九五号。彼はつぎのような例をあ

3. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

って割引された手形の支払人の・ーー・債権者であり、この銀行所要の支払手段を受けとるが、追加資本を受けとるのではな 。というのは、彼は、銀行から受けとるよりも大きな資本 券で表現された価値額だけの債務者であって、はかくし 価値を銀行の手に渡したのだから。だが、このより大きな資 て、銀行の資本のうちの照応部分を自由にするのである。 第二に。はに支払い、そしてじしん、またはから本価値は、一面では、一定の形態で利子を生むように投下さ さらに銀行券を支払われる 0 は、この銀行券をもって銀行あれていたので彼の当面の必要ーー支払手段ーーーには使用され ての満期手形を直接または間接に支払う。このばあいには銀えなかったのであり、他面、には、これを売って直接に支 行は自己銀行券をもって支払われた。このばあいには、これ払手段にかえない理由があったのである。彼の有価証券はな かんずく準備資本として機能すべき使命をもっていたのであ で取引が終りである ( << が銀行に返済するまでは ) 。 さて、にたいする銀行の前貸は、どの範囲で資本の前貸り、またかかるものとして彼はそれを機能させたのである。 と見なされ、またどの範囲で単なる支払手段の前貸と見なさつまり、と銀行とのあいだでは一時的・相互的な資本移譲 が行なわれたのであって、は追加資本を受けとりはしなか れるべきであるか ? 九一一ここにつづく原文の文章は関連が理解しがたいので、括弧内の終り〔二 った ( 逆だ ! ) が、必要な支払手段を受けとったのである。 一頁上段終り〕までは編集者があらたに書きかえたものである。その他の関 これに反し銀行にとっては、この取引は貨幣資本を貸付の形 連では、この点はすでに第二六章〔第三部上巻三四九ー三五三頁参照〕で関 態で一時的に固定させることであり、貨幣資本を一形態から ・エンゲルス。 説されている。 ( この問題は前貸そのものの本性にかかわる。これについて他の形態に転形することであって、この転形こそは銀行業務 の本質的機能なのである。 は三つの場合を研究すべきである。 が銀行で手形を割引させて、その割引 第三の場合。 が、何らの担保も提供することなく、 第一の場合。 その人的信用によって銀行から前貸金を受けとる。このばあ料を控除した額を現金で受けとった。このばあいには彼は、 非流動的形態の貨幣資本を銀行に売って流動的形態での価値 いには彼は、支払手段の前貸を受けるばかりでなく、無条件 的に新資本ーーこれを彼は、返済するまで、自分の事業にお額を、まだ期限前の手形を売って現金を、得たのである。手 いて追加資本として使用し増殖することができる・ーーの前貸形はいまや銀行の所有である。このことは、〔その手形の〕支 をも受ける。 払が不完全なばあいには最後の裏書人たるがその額を銀行 この保 第二の場合。 e< が銀行に有価証券、すなわち国債証券に保証する、ということによっては何ら変化しない。 または株式を担保として提供し、これにたいして例えば時価証責任をは、他の裏書人および振出人と分担するのであっ て、これらの人々にたいし彼も求償権をもつ。だから、この の三分の二までの現金前貸を受けとる。このばあいには彼は ( 九ニ )

4. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

「一〇月末 ( 一八四七年 ) には二〇八〇万ポンドの銀行券が公衆の手銀行券が一夜にして市場から消えうせ、それとともに手形を にあった。当時、銀行券を貨幣市場で入手することは一般にたいへん 割引する者、有価証券に前貸する者、商品の買手が消えうせ 困難であった。これは、一八四四年の銀行条例の制限によって銀行券 だが、そ る。イングランド銀行が救援せねばならない、 を調達できなくなるだろうという一般的懸念のせいであった。現在」 の力もやがてつきる。一八四四年の銀行条例はイングランド ( 一八四八年三月 ) 「公衆の手にある銀行券の額は : : : 一七七〇万ポン 銀行をして、その銀行券流通高を制限することをーーしかも ドであるが、今日では何ら一般的な商業的警戒は見られないので、こ れは、使用されるよりも遙かに多額である。ロンドンの銀行業者や貨他ならぬ、全世界が銀行券を叫びもとめている時期に、商品 幣取扱業者で、使用しうる以上の銀行券をもたぬ者は一人もいない。」所有者たちが売りえないのに支払わねばならぬので銀行券さ 「第二六五〇号。もし : : : 商業界および信用の状態をも同時に考 え手に入るならどんな儀牲でも払おうとしている時期に、そ 慮に人れないならば、イングランド銀行に保管されているものを除く の銀行券流通高を制限することをーー・余儀なくさせる。前述 ・ : 銀行券の高は、流通の現状を説明するものとしては全く不充分で の銀行業者ライトはいう、『商業的窮境』、一八四八ー五七一 ある。」 「第二六五一号。公衆の手にある現在の流通手段の額で 年、第二九三〇号、 「警戒期には、この国は平時の一一倍 は多すぎるという感じは、大きな程度において、われわれの現在の大 だけの流通手段を必要とする。というのは、流通手段が銀行 きな沈滞状態から生じている。物価が高く事業がさかんであれば、一 業者その他によって退蔵されるからである」と。 七七〇万ポンドではわれわれに不足感をいたかせるであろう。」 恐慌が勃発すれば、問題になるのはもう支払手段だけであ ( なされた前貸にたいする還流が規則正しく行なわれて、信 用がびくともしないような事業状態であるかぎり、流通手段る。ところが、各人がこの支払手段の入手については他人に 段の膨脹および収縮は、簡単に、産業家や商人たちの要求によ依存するのであり、また、その他人が満期日に支払いうるか どうかは誰も知らないのだから、市場にある支払手段すなわ 贏「て定まる。少なくともイギリスでは、卸売業のための金は の間題にならないし、また、金流通はーー季節的な動揺を別とち銀行券をえるための全くの障碍物竸争が始まる。誰もが入 鍍すればーー長期にわたりほぼ不変の大いさと見なされうるの手しうるだけの銀行券をしまいこな。かくして銀行券は、そ 用で、イングランド銀行券の流通高は、これらの変動のじゅうれが最も必要とされるその時に、流通から消えうせる。サミ ュエル・ガーニーは ( 『商業的窮境』、一八四八ー五七年、第 ぶん正確な測定器をなす。恐慌後の静止期には流通高がもっ 章 一一六号 ) 、かくして恐怖期に退蔵された銀行券の額が、 三とも少ないが、需要の復活につれて流通手段の要求も増加す一 第るのであって、この要求は繁栄が高まるにつれて増大する。 一八四七年一〇月には四ー五〇〇万ポンドだったといってい ・エンゲルス。 ) 流通手段の分量は過度緊張および過度投機の時期に頂点に達る。 する、 そこで恐慌が勃発して、昨日はまだ豊富であった この点では、ガーニーの組合員たる前述のチャブマンの訊

5. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

四たび購買Ⅱまたは支払手段として機能したということを含これを労働者に支払う。労働者はこれでその小売業者に支み 、その小売業者はこれを新たに銀行に預託する。だから、 むであろう。というのは、それが購買および支払を媒介しな 小売業者によって預託されたかの一〇〇ポンドは、第一には かったとすれば、したがって、それが少なくとも四たび資本 製造業者の預金を払出すために、第二には労働者に支払うた ( 商品、このうちには労働力も含まれる ) の転形をあらわさ めに、第三にはその小売業者そのものに支払うために、第四 なかったとすれば、それは一〇〇ポンドの資本を構成するこ には同じ小売業者の貨幣資本のさらに一部分を預託するため となく、各一一〇ポンドにたいする五個の請求権を構成するに に、役だった。そこで二〇週間の終りには、ーー彼じしんが すぎぬだろうからである。 かようにし この貨幣を引出す必要がなかったとすれば、 信用の発展した諸国では、われわれは、貸付のために自由 にされうるいっさいの貨幣資本は預金の形態で銀行および貨て彼は、同じ一〇〇ポンドをもって二〇〇〇ポンドを銀行業 幣貸付業者の手に実存するものと仮定することができる。こ者に預託したことになろう。 この貨幣資本がどの程度まで失業しているかは、諸銀行の のことは少なくとも、全体としての事業に当てはまる。さら に、ほんらいの投機がさかんになる前の好況期には、信用は準備金の流出入にだけ示される。だから、イングランド銀行 容易であり、信頼は増大しているので、流通機能の最大部分総裁ウェゲラン氏は一八五七年に、イングランド銀行におけ は、金属貨幣または紙幣の介入をまたないで、単純な信用移る金は「唯一の ! 準備資本だと結論する、 「第一二五八号。私の意見によれば、割引率は事実上、国内に現存す 譲によって果たされる。 る失業資本の額によって決定されます。失業資本の額は、事実上では 流通手段は相対的に少量であっても預金額は大きいという 金準備であるイングランド銀行の準備金によって代表されます。だか ま単なる可能性は、もつばら次ぎのことがらに依存する。 ら、もし金が流出するならば、それは国内の失業資本の額を減少さ 現 (l) 、同一貨幣片によって行なわれる購買および支払の度 せ、したがって、なお残っている部分の価値を増加させます。」 「第一三六四号〔・ニ = ーマーチ〕。イングランド銀行の金準備は、 磐 ( 一 l) 、同一貨幣片を預金として銀行に復帰させるーーした じつは、この国の全取引がその基礎上で行なわれる中央準備金または がって、購買Ⅱおよび支払手段としてのその機能の反復を、 章 現金準備です。 : : : この準備金、またはこの貯水池こそは、対外為替 . 一預金へのその転形の史新によって媒介する・・ーー・その同一貨幣 相場によってつねに影響されるものです。」 (f 銀行条例にかんする報 第片の再転形の度数。たとえば、ある小売業者が、毎週一〇〇告』、一八五七年。〔一〇八、一一九頁。〕 ) ポンドの貨幣を銀行業者に預託するとしよう。銀行業者はこ れをもって、製造業者の預金の一部分を支払う。製造業者は 現実資本、すなわち、生産資本および商品資本の蓄積につ

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旧来の諸借地での最終の諸投資にたいしてはその生産価格をの場合には、借地料は支払われるとはいえ、なんら現実の地 ) 支払うにとどまるが、同時に土地のための地代をもたらす代は支払われない。だが、資本制的生産様式に照応する諸閃 ような生産価格を支払う点ーーまで昻騰する理由だからであ係が実存するところでは、地代と借地料とは一致しなければ る。土地がとにかく地代を支払わねばならぬことが、この ならない。しかも、ここで研究すべきものは、まさにこの正 常的関係なのである。 ばあいには、土地と、旧来の諸借地での最終の諸投資との あいだの、差額地代を創造する原因である。 以上で考察したもろもろの場合には、現実に、資本制的生 穀物価格は生産価格によって規制されるという前提のもと産様式の内部で、地代をもたらすことなしに土地投資が行な で、土地等級 << はなんらの地代も支払わないと一般的にいうわれうるのであるが、これらの場合でもわれわれの問題のた われわれは地代を、この言葉の範疇的な意味に解すめに何も決定しないとすれば、植民地諸関係を云々すること はいっそう無駄である。植民地を植民地たらしめるものは、 る。借地農業者が、彼の労働者の標準的労賃または彼じしん ここではわれわれは、本来の農耕植民地だけを間題とす の標準的平均利潤からの控除分をなす借地料を支払うとすれ る、 自然状態で見いだされる豊饒な地所の大量だけでは ば、彼は、地代ーーー彼の商品の価格のうち労賃および利潤と こうした ない。それはむしろ、これらの地所が取得ーー土地所有のも 区別される自立的な成分ーーを支払うのではない。 とに包摂ーー・されていないという事情である。これこそは、 ことが実際上たえす生ずることは、すでに以前に注意した。 一国の農村労働者の賃銀が一般的に労賃の標準的平均水準以土地が考察されるかぎりでは、旧来諸国と諸植民地とのあい だの大へんな区別をなすものである、ーーすなわち、ウェー 下に圧下され、したがって労賃の控除分・労賃の一部分・が ( 一二八 ) 一般的に地代に入りこむかぎりでは、このことは、最劣等地クフィールドが正当に注意しており、またすでに彼よりもず 代の借地農業者にとっての例外的事例をなすものではない。最っと前に重農主義者たる父ミラボー、その他の古い経済学者 たちが発見したような、土地所有の法律的または事実的な非 地劣等地の耕作を可能ならしめるその同じ生産価格ではすでに 絶この低い労賃が一構成項目をなしており、したがって、生産実存。植民者たちが無造作に土地を取得するか、それとも、 章物を生産価格で売っても、この土地の借地農業者は地代を支名目的土地価格の名義で事実上では土地にたいする適法な権 四払うことはできない。土地所有者はまた、じぶんの土地を労利名義をえるための手数料だけを国家に支払うかは、ここで 第 は全くどうでもよい。また、すでに移住した植民者たちは法 働者に、すなわち、労賃をこえる販売価格がもたらすものの 全部または最大部分を他人に地代の形態で支払って満足する律上の土地所有者だということも、どうでもよい。事実的 に、植民地では土地所有は、資本の・あるいはまた資本なし 労働者に、賃貸することもできる。とはいえ、すべてこれら

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てである。だが、 ある。農村が中世において、たとえばイタリーでのように、 第一に。農耕への、自立的で指導的な力としての資本のこ 封建制が例外的な都市的発展によって破壊されていないいた の参加は、一挙にかつ一般的に生ずるのではなく、漸次的に るところで都市を政治的に搾取するとすれば、都市はいたる かっ特殊的生産諸部門において生ずる。それがまずとらえる ところで、かっ例外なしに、その独占価格・その租税制度・ のは、本来の農耕ではなく、牧畜、とくに牧羊ーーその主生 その同職組合制度・その直接的な商人的詐欺やその高利・に 産物たる羊毛は、工業の興隆期にはさしあたり生産価格をこ よって、農村を経済的に搾取する。 える市場価格のたえざる超過分を提供するのであって、この ひとは、資本制的借地農業者が農業的生産に参加するとい うことだけによ 0 て、つぎのこと、すなわち、はやくから何超過分はや「と後にな 0 て均等化するーーのような生産部門 である。一六世紀中のイギリスにおいてはそうであった。 らかの形態で地代を支払った土地生産物の価格は、少なくと この資本制的生産はさしあたり散在的にのみ開始 第二に。 もこの参加当時には製造業の生産価格よりも高くなければな されるのだから、資本制的生産はさしあたり、独自な豊饒度 らぬー・ーこの価格が独占価格の高さに達するからにせよ、こ の価格が土地生産物の価値まで昻騰したのであ「て、土地生または特に有利な位置によ 0 て全体として差額地代を支払い うるような地所の集団だけを占領するという仮定には、けっ 産物の価値は、平均利潤によって調整される生産価格よりも して反対すべき点はない。 事実上高いからにせよーーということが証明されるものと想 りに、土地生産物の価格は、資本制的生産様式 第三に。か 像することもできよう。というのは、そうでなければ、資本 これは事実上、都市需要の重さの増加を前提とする 生制的借地農業者は、土地生産物のあるがままの価格では、ま 発 す平均利潤をこの生産物の価格から実現し、ついで、その同の開始当初には、たとえば一七世期の最後の三分の一期にイ の 玳じ価格からさらにこの利潤をこえる超過分を地代の形態で支ギリスでは疑いもなくそうだったように生産価格よりも高か 的 ったとしても、これは、この生産様式が資本のもとへの農業 払うことはできぬだろうからである。そこでひとは、つぎの ように結論することもできよう、 , ーー資本制的借地農業者をのたんなる包摂から幾らか脱出すれば、そしてこの生産様式 章土地所有者との契約において規定する一般的利潤率は、地代の発展と必然的に結びついた農業上の改良および生産費の低 四を含むことなしに形成されていたのであり、したが「て、そ下が生すれば、一八世紀の前半にイギリスでそうだ 0 たよう れが調整者として農村的生産に入りこめば、この超過分を見に、土地生産物の価格下落という反作用によ 0 て相殺される であろう。 いだして土地所有者に支払うのである、と。たとえばロート だから、この伝統的な仕方では、平均利潤をこえる超過分 ベルッス氏が事態を説明するのは、この伝統的な仕方によっ

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114 にインドへ送られた一二〇〇万ポンドは、インドが規則正しい期限に わらず対インド為替相場はイギリスに順であるといわれましたが、そ もちろんです。 : : : 私の知るとイギリスへ支払わねばならぬ年賃料を獲得するために役だったのだ、 ういわれる理由がありますか ? ころでは、一八五一年のインドむけ連合王国の輸出の現実価値は七四と。〔第一七九二号。〕「貴金属市場におよばす直接的影響が考察され るかぎりでは、一二〇〇万ポンドの投資は、貨幣での現実的投資のた 二万ポンドに達しました。そのうえに、インド事務局 (lndia House) めに金属が送出されねばならなかったかぎりでのみ、こうした影響を の手形、すなわち、東インド会社が自分じしんの支出をまかなうため およばしうる。」 にインドから引く資金を加えねばなりません。この手形は同年、三二 第一七九七号。 ( ウェゲランの質問。 ) 「この鉄・ ( レ 1 ル ) の代金の還 〇万ポンドに達し、かくして連合王国のインドむけ総輸出は一〇六一一 万ポンドに達しました。一八五五年には、 : : : 商品輸出の現実価値は流が生じないとすれば、それが為替相場に影響するとはどうしていえ るのですか ? 一〇三五万ポンドに達し、インド事務局の手形は三七〇万ポンドでし ーー・・商品の形態で送り出される投資部分が、為替相場 ・ : 二国間の為替相場の状態 た。かくして総輸出は一四〇五万ポンドでした。一八五一年について の状態に影響するものとは信じません。 は、一方の国で提供される債務または手形の量と、これにたいして他 は、インドからイギリスへの商品輸人の現実価値を確かめる資料がな いと思いますが、一八五四年および五五年についてはあります。一八方の国で提供されるその量との比較によって影響される、とだけいう ことができます。これが、合理的な為替相場の理論です。一二〇〇万 五五年には、インドからイギリスへの商品輸人の総現実価値は一二六 七万ポンドでした。この額を一四〇五万ポンドと比較すれば、両国間の送付についていえば、一二〇〇万はさしあたりこの国で募集された の直接貿易ではイギリスにとり一〇三八万ポンドの出超となります。」ものです。ところで、この一二〇〇万の全部が硬貨でカルカッタ、ボ この点についてウイルソンは、為替相場は間接貿易によっても影響ンべイ、およびマドラスに投下されるというような取引だとすれば、 ・ : この突然の需要が銀価格および為替相場に強い影響をおよばすで されるという。たとえば、インドからオーストラリアおよび北アメリ あろうことは、東インド会社がその手形を三〇〇万から一二〇〇万に 力への輸出はロンドンあての手形によって支払われるのであり、した がって為替相場におよばす影響は、商品が直接にインドからイギリス増加すると明日にも通告するばあいと、まったく同じです。だが、こ に送られるのと全く同じである。さらに、インドと中国とがいっしょ の一二〇〇万の半分は : : : イギリスで商品 : : : レールや材木その他の : これは、インドに送られる特定種類 にされるならば、差額はイギリスに逆である。というのは、中国はた 材料の購入に投下されます。 えずインドに阿片代金として多額の支払をせねばならず、またイギリ の商品の代金として、イギリス資本をイギリス自国内で投下すること スは中国に支払をせねばならぬのであって、この額がこの回りみちをであって、それでおしまいです。」ーー・第一七九八号。 ( ウェゲラン ) 「しかし、鉄や材木という、鉄道に必要なこれらの商品の生産は、外国 へてインドに行くからである。 ( 第一七八七、一七八八号。 ) さて第一七九一号でウイルソンは質問する、ーー・資本が「レールお商品のさかんな消費を生ずるのであって、これは為替相場に影響する たしかにそうです。」 のではないですか ? よび機関車の形態で出ていっても、金属貨幣の形態で出ていっても , ウイルソンのつもりは、鉄の大部分は労働を代表し、この労働に文 為替相場におよばす影響は同じことではなかろうか、と。この点につ いてのニーマーチの答はまったく正しい。最近数年間に鉄道敷設用払われる賃銀の大部分は輸入商品を代表するということであり ( 第一

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恐慌の抽象的可能性は、さらに支払手段としての貨幣 という機能をはたすことになるのである。 の機能からも生する。ここでは、信用で商品を購買し、 貨幣としての貨幣は、蓄蔵貨幣、支払手段および世界貨幣 一定期間ののちに貨幣を支払うのであるから、なんらか という三つの形態にわかれる。第一の蓄蔵貨幣は、販売が購 の事情で支払不能になれば恐慌がおこりうる。しかもこ 買によって補足されず、販売で得られた貨幣が価値の絶対的 の場合には、たんに生産物が売れないということだけで な化身として流通界からひきあげられる場合をいい、第二の はなく、一定の支払期限内に売れないというだけのこと 支払手段は、貨幣なしに信用で商品を購買し、一定期間のの からも恐慌がおこりうるのであって、そのかぎりで、こ ちにはじめて貨幣を支払う場合をいう。最後に、貨幣が国内 の場合の恐慌の可能性はいっそうすすんだ具体的形態で 流通の枠からあふれでて世界市場での一般的等価として役立 あるということができる。 つばあい、貨幣は世界貨幣として機能するのである。 補恐慌の抽象的可能性商品流通 w ーー G ーーー w にお 3 貨幣の資本への転化資本の流通形式は G¯W¯G 、で いて貨幣がはたす流通手段としての機能には、一つの危あるが、このは G + 」 G であって、最初に投下された貨幣 機的なモメントがふくまれている。というのは、直接額に一定の増加分を加えたものに等しい。そしてこの増加分 的な生産物交換の場合とはちがって、商品流通の場合に が剰余価値と名づけられるのである。 は、ほんらい内的統一を形づくっているはずの W : : : W では剰余価値はどこから発生するか ? この問題を真に が、 W—G ( 販売 ) と G—W ( 購買 ) という一一つの科学的に解決するには、しかし等価交換ーー価値どおりの交 まったく独立した過程に分裂させられているからであ換ーーーを出発点としなければならない。というのは、不等価 る。だれも自分の商品を販売したからといって、すぐに交換の前提のもとでは、すでに存在する価値の配分が変わる だけであって、社会的な見地からは価値の増殖がおこったこ ) 他人の商品を購買する必要はないのだから、販売と購買 とは時間的にも場所的にもばらばらになりうるわけであとにはならないからである。ところで、等価交換のもとで剩 る。そして、こうしたことのうちに恐慌の抽象的可能性余価値が発生しうるのは、ただ、貨幣所有者が市場で一商品 が内包されているのである。ここに抽象的可能性とは、 その使用価値自体が価値の源泉であるような一商品 「内容のない、十分な内容をもった動機のない、恐慌のをみいだす場合だけである。そして、こうした独自な一商ロ叩 もっとも抽象的な形態」のことである。なにによってこ は実際に存在する。労働力という商品がそれである。 の可能性が現実性に転化するかということは、単純な商 労働力とは人間の身体のうちに存在している労働能力のこ - 品流通そのもののなかにはふくまれていない。 とであって、人間がなんらかの使用価値を生産するたびに運

10. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

少なくとも様々な決定的な事業諸部門では騰貴する。その結ちろん、現金買いに必要な流通手段の分量でさえ、相対的に は減少する。それは絶対的には膨脹しうるが、どんな事情の 果として、流通貨幣の分量が、少なくとも特定の限界内では というのは、流通手段の通流速度の増大そのものが分量もとでも相対的にはーー再生産過程の膨脹に比較すれば 増大を制限するからーー増大する。社会的収入のうち労賃か減少する。一方では、より多量の諸支払がいっさいの貨幣介 ら成りたっ部分は、本源的には産業資本家によって可変資本入なしに清算される。他方では、過程の活気が増大すれば、 の形態で・したがってつねに貨幣形態で・前貸されるのであ購買手段ならびに支払手段としての同一分量の貨幣の運動が るから、この部分は繁栄期には、その流通のために比較的多 いっそう急速になる。同一分量の貨幣がより多数の個別資本 くの貨幣を必要とする。だがわれわれは、この貨幣を、一度の還流を媒介する。 は可変資本の流通に必要な貨幣として、もう一度は労働者の こうした時期には、貨幣の通流が潤沢に現われ る、 といっても、部分Ⅱ ( 資本移譲 ) は少なくとも相対 収入の流通に必要な貨幣として、一一度計算してはならない。 解 見労働者に賃銀として支払われる貨幣は、小売取引に支出さ的に収縮し、部分— ( 収入支出 ) の方は絶対的に膨脹するの ン であるが。 れ、かくしてーーーもろもろの小さな循環においてさらにあら 一ゆる中間取引を媒介したのちーーほぼ一週間ごとに小売業者 還流が商品資本の貨幣への再転形たるを表現す フの預金として銀行に戻ってくる。繁栄期には資本家たちにと ることは、すでに再生産過程を考察したさいに、第二部第一 クって貨幣の還流が円滑にはかどり、したがって、貨幣融通に 篇〔三五ー四三頁〕で見たとおりである。信用は、貨幣形態で たいする彼らの欲求は、彼らがより多くの労賃を支払わねば の還流を、産業資本家にとっても商人にとっても、現実的遠 。ならぬーー彼らの可変資本の流通のためにより多くの貨幣を流の時点から独立させる。両者はいずれも信用で売る。だか 資必要とするーーということによっては増加しない。 ら、彼の商品は、それが彼にとって貨幣に再転形する前に、 段 総結果は、繁栄期においては収入の支出に役だっ流通手段つまり、彼じしんにとって貨幣形態で還流する前に、譲渡さ 通の分量が決定的に増大する、ということである。 れている。他面、彼は信用で買うのであり、かくして彼の商 さて、資本の移譲にーーーしたがって、資本家たちじしんの 品の価値は、彼にとっては、この価値が現実に貨幣に転形さ 八間でのみーーー必要な流通手段についていえば、この好況期はれる前に、商品価格が期日に支払われる前に、すでに生産資 第同時に信用がもっとも弾力的で容易な時期である。資本家と本なり商品資本なりに再転形している。こうした繁栄期には 資本家とのあいだの流通の速度は直接に信用によって調整さ還流が容易かっ円滑にはかどる。小売業者は卸売業者に、卸 れ、したがって、諸支払の決済に必要な流通手段の分量はも売業者は製造業者に、製造業者は原料輸入業者にというふう