たとえば、リチャード・ジョーンズに反対して、ソホ・スク マルクスが住んでいたロンドンのディ 〕の耕作によっては全 ン・ストリート 附近いったいの地名 イギリスを養いえないという『ウエストミンスター・レヴュ 1 』のように。これが農業の特殊的短所と見なされるとすれ ば、その反対こそは真実である。農業のばあいには、土地そ のものが生産用具として作用するがゆえに継起的資本が効果 的に投下されうるが、そうしたことは、土地が基礎として・ 第一節緒論 場所として・空間的作業基盤として・しか機能しない工場で 資本制的生産様式の理論的表現としての近代的経済学の立 は、ぜんぜんまたは極めてせまい限界内でしか見られない。 なるほど〔工場では〕、分割された手工業と比較すれば、小さ場からすれば、地代取扱いの困難は本来どこにあるか、とい な場所に大きな生産的投資を集積しうるのであり、またこれうことを明らかにしなければならない。比較的あたらしい著 は大工業のなすところである。だが、生産力の発展段階を与述家たちの一大多数によってさえこのことが今なお把握され ていないことは、地代を「新たに」説明しようとするあらゆ えられたものとすれば、つねに一定の場所が必要であって、 高層建築にも、一定の実際的限界がある。この限界をこえれる反復的な試みの証明するところである。新しさは、このば ば、生産の拡張はまた地積の拡大を必要とする。機械などにあい、ほとんどっねに、ずっと前に克服された立場に逆戻り 生投下された固定資本は、使用によっては改良されないで、反している点にある。困難は、農業資本によって生みだされた の対に磨損する。あらたな発明によって、このばあいにも若干剰余生産物、および、これに照応する剰余価値一般を説明する この問題は、むしろ、あらゆる生産 ことにあるのではない。 地の改良はもたらされうるが、生産力の発展を与えられたもの 的 と前提すれば、機械は悪化しうるのみである。生産力が急速的資本がどんな部面に投下されるかに係わりなく生みだす剰 淋に発展するばあいには、旧式な機械全体がい 0 そう有利な機余価値の分析によ「て解決されている。困難は、剰余価値が 、つしょにしたすべての 相異なる諸資本間で平均利潤に 章械によって置換えられ、かくして減失しなければならない。 四これに反して土地は、正しく取扱えばたえず改良される。以生産部面における社会的資本が生みだした総剰余価値におけ 第 る、諸資本の相対的大いさに照応する比例的分前にーー均等 前の投資が減失することなしに継起的諸投資が利益をもたら - こ、この均等化の後に、いやしくも分配されるべ 化された後冫 しうるという土地の長所は、同時に、これらの継起的諸投資 きすべての剰余価値が一見すでに分配されおわった後に、い の収益差等の可能性をふくむ。 第四七章資本制的地代の発生史
とに依存する、と。だが、これはどの他の生産物にも当ては で農耕生産物が商品となり、交換価値となり、価値となるか まるのであって、生産物は、それのための等価をなす他の商 らである。資本制的生産とともに商品生産が発展し、したが 品系列の、部分的には分量につれ、部分的には多様性につれ って価値の生産が発展するのと同じ程度で、剰余価値および 剰余生産物の生産が発展する。だが、後者が発展するのと同てのみ、商品として発展する。このことはすでに価値の一般 じ程度で、土地所有の能力ーー自己の土地独占を媒介として的叙述のところで明らかにされた〔第一部七九頁参照〕。一面で は、総じて一生産物の交換能力は、その生産物の外部に実存 この剰余価値のますます増大する部分を横取りし、したがっ て自己の地代の価値および土地そのものの価格を増加させるする諸商品の多様性に依存する。他面では、その生産物じし 能力ーーが発展する。資本家はまだ、この剰余価値および剰んが商品として生産されうる分量は、とくに右の多様性に依 存する。 余生産物の発展における、みずから行動する機能者である。 工業者も農耕民と同じように いかなる生産者も、 土地所有者は、剰余生産物および剰余価値のうち、かように これ孤立的に考察すれば、価値または商品を生産しはしない。彼 彼の関与なしに増大する分前を横取りするだけでよい。 の生産物は、一定の社会的関連においてのみ、価値となり、 は土地所有者の地位の独自性であるが、しかしつぎのことは そうではない。というのは、土地生産物の価値、したがって商品となる。それは第一に、その生産物が社会的労働の表示 土地の価値は、つねに、それのための市場が拡大し、需要が として現象し、したがって、彼じしんの労働時間が社会的労 増加し、それとともに土地生産物に対立する商品世界が 働時間一般の部分として現象するかぎりにおいてである。第 つまり、 いいかえれば、非農業的商品生産者の大衆および非二に、彼の労働のこうした社会的性格は、彼の生産物に刻印 農業的商品生産の分量がーー増加すると同じ程度で増大する された社会的性格として、その生産物の貨幣性格において、 ということ、これである。ところが、これは土地所有者の関および、価格によって規定されたその生産物の一般的な交換 論 与なしに生ずるのであるから、土地生産物のばあいには、価可能性において、現象する。 値の分量、剰余価値の分量、およびこの剰余価値の一部分の だから、一方では地代を説明するかわりに剰余価値が または、さらにいっそう偏狭なとらえかたでは剰余生産物一 章地代への転形が、社会的生産過程・商品生産一般の発展・に 般がーー説明されるとすれば、このばあい、他方では、商品 三依存するということが独自なこととして現象する。だから、 第 たとえばダヴはこの点から地代を展開しようとする。彼はい および価値としてのすべての生産物に属する性格をもつばら 1 地代は農業的生産物の分量には依存しないで価値に農耕生産物に帰属させるという誤りがおかされる。この誤り 依存するが、しかしこの価値は、非農業人口の分量と生産性は、価値の一般的規定から一定の商品価値の実現に遡及され
160 となっている。ーー訳者。 これはその全範囲において商品生産であるーーの基礎上 事実上、ここでは、農耕およびその生産物に独自な現象は で全生産部門およびその全生産物に共通なことが、ややもす れば、地代 ( および農業生産物一般 ) の独自性と解されがち見られない。むしろ同じことは、商品生産およびその絶対的 なのは、ここに由来する。 形態たる資本制的生産の基礎上では、他のすべての生産部門 地代の高さ ( および、これにつれて土地の価値 ) は、社会および生産物についてもいえる。 的発展が進むにつれて、社会的総労働の成果として発展す これらの生産物が商品ーーすなわち、交換価値をもつ、し る。それにつれて、一方では、土地生産物にたいする市場お かも実現されうる・貨幣に転形されうる・交換価値をもっ使 よび需要が増大し、他方では直接に、ありとあらゆる事業部用価値ーーであるのは、ほかの商品が右の生産物のための等 非農業部門もふくむーーのための竸争的生産条件とし価物をなすところの、すなわち他の生産物が右の生産物にた ての、土地そのものにたいする需要が増大する。詳しくいえ いし商品・価値・として対応するところの、その範囲内でに ば、地代、したがってまた土地の価値は、本来の農耕地代だすぎない。つまり、これらの生産物がその生産者たち自身の ための直接的生活維持手段として生産されるのではなく、商 けについていえば、土地生産物のための市場につれて、した がって非農業人口の増大につれて、ーー・部分的には食糧・部品としてーー交換価値 ( 貨幣 ) に転形され、譲渡されること 分的には原料・にたいする彼らの慾望および彼らの需要につ によってのみ使用価値となる生産物としてーー生産されるそ の範囲内でである。これらの商品のための市場は、社会的分 れて、ーー発展する。資本制的生産様式が農耕人口を非農耕 人口にくらべて絶えず減少させるということは、資本制的生業によって発展する。生産的諸労働の分割は、それらの労働 産様式の本性に根ざすことである。というのは、工業 ( 狭義のそれぞれの生産物を相互的に諸商品に・相互のための諸等 の lndustrie) では、可変資本にくらべての不変資本の増大価物に・転化させ、それらの生産物を相互的に市場として役 だたせる。これはけっして、農業生産物に独自なことではな は、可変資本のーー相対的には減少してもーー絶対的増大と 結びついているが、他方、農業では、一定の地所を利用する ために必要な可変資本が絶対的に減少し、したがって可変資 地代は、商品生産・たち入っていえば資本制的生産・の基 木はあらたな土地が耕作されるかぎりでのみ増大しうるので礎上でのみ、貨幣地代として発展しうるのであって、貨幣地 あるが、これは再び非農業人口のさらに大きな増大を前提す代は、農業的生産が商品生産となるのと同じ程度でーー・つま るからである。 り、非農業的生産が農業的生産にたいして自立して発展する * マイスナー版ではこの Ackerbaurente が Ackerbauernte ( 農耕収穫 ) のと同じ程度でーー発展する。というのは、それと同じ程度
効果的な豊饒度は、これらの営養素が植物の営養のために同種類の等級の変化からしても、この下層土がやはり耕作圏内 化ー、ー直接に利用ーーーされやすい形態をと「ているか、されにひき入れられて耕土に追加されるばあいに生じうる。こう したことは、部分的には新たな農業方法 ( たとえば飼料草 ) にくい形態をとっているか、によって相違するであろう。、、こ から、自然的に同等な豊饒度の地所において、同じ自然的豊の充用により、部分的には機械的手段・・ー下層土を上層土た 饒度がどの程度まで処理されうるものとされうるかは、部分らしめるか、さもなければ、下層土を上層土と混合したり下 的には農業の化学的発展に依存し、部分的にはその機械的発層土を掘りあげないままで耕作したりするような機械的手段、 によって条件づけられている。 展に依存するであろう。だから豊饒度は、土壌の客観的属性 相異なる地所の差等的豊饒度におよ。ほすこれら一切の影響 だとはいえ、経済的にはつねに、関係、すなわち、農業上の はつぎのことに帰着する。というのは、経済的豊饒度の見地 与えられた化学的および機械的発展状態にたいする関係をふ くみ、したが 0 て、この発展状態につれて変化する。化学的からすれば、労働の生産力の状態、ここでは土壌の自然的豊 手段 ( たとえば、硬い粘土質土壌に一定の流動性肥料を施す饒度をただちに利用しうるものたらしめる農業上の能力 こと、あるいはまた重い粘土質土壌を焼土すること ) によ「発展段階が異なれば相異なる能力ーーは、土壌の化学的組成 その他の自然的諸属性と同じように、土壌のいわゆる自然的 てであれ、機械的手段 ( たとえば重い土壌に特殊の犂を用い 地ること ) によ 0 てであれ、同等な豊饒度の土壌を事実的によ豊饒度の一契機だということ、これである。 だから、われわれは、農業上のある与えられた発展段階を 佯り非豊饒たらしめる諸障碍は除去されうる ( 排水もこれに属 態する ) 。または、さまざまな土壌種類の耕作順位さえもかよ前提する。さらにわれわれは、さまざまな土壌種類の等級は 形 この発展段階に連関して計算されているーー相異なる地所で うにして変わりうるのであって、たとえば、イギリス農業の のある発展期には、軽い砂質土壌と重い粘土質土壌との間にその同時的な資本諸投下についても勿論つねにそうである と前提する。そのばあいには、差額地代が上昇的または下降 地うしたことが見られた。このことはまた、歴史的にー」耕作 差順序においてーーより多く豊饒な土壌からより少なく豊饒な的な序列において表わされうる。というのは、現実に耕作さ 章土壌への移行と同じように逆の移行も行なわれうるのはどうれている地所の全体については序列が与えられているとはい 三してか、ということを明らかにする。これと同じことは、土え、たえす継起的な運動がーー序列を形成するにいた 0 た運 第 壤の組成における人為的にもたらされる改良によって、また動がーー生じたからである。 四種類の土壌、、、 O 、を想定しよう。さらに、一 は農業方法上のたんなる変化によっても、生じうる。最後 に、これと同じ結果は、下層土関係の相違による様々な土壌クオーターの小麦の価格を三ポンドすなわち六〇シリングと
162 るばあいには、さらにいっそう浅薄化される。各商品は流通ば足りるのだが、 つまり、土地生産物または鉱業生産物 過程でのみその価値を実現しうるのであって、商品がその価 が、他のすべての商品と同じように、その生産価格で販売さ 値を実現するか否か、またどの程度まで実現するかは、そのれるということ、これである。すなわち、こうした生産物の ときどきの市場諸条件に依存する。 販売価格は、その費用諸要素 ( 消費された不変および可変資本 だから、農業生産物が価値に発展しまた価値として発展すの価値 ) に加えるに、一般的利潤率によって規定される・投 るということ、すなわち、農業生産物が商品として他の諸商下されたーー消費された・およびまだ消費されていない 総資本にもとづいて計算される・ある利潤をもってしたもの 品に対応し、また非農業生産物が商品としての農業生産物に 対応するということ、または、農業生産物が社会的労働の特に等しい。つまりわれわれは、これらの生産物の平均的な販 殊的表現として発展するということは、地代の独自性ではな売価格はその生産価格に等しいと仮定する。そこで、この前 。その独自性は、農業生産物が価値 ( 商品 ) として発展す提のもとではいかにして、地代なるものが発展しうるか、す なわち利潤の一部分が地代に転形しうるか、したがって商品 る諸条件とともに、また農業生産物の価値の実現の諸条件と ともに、土地所有の権能、すなわち、自己の関与なしに創造価格の一部分が土地所有者に帰属しうるか、ということが問 されたこの価値のますます増大する部分を取得する権能もま題となる。 た発展し、剰余価値のうちますます増大する部分が地代に転 この地代形態の一般的性格を明らかにするために、われわ 形するということ、これである。 れは、一国の工場の圧倒的多数は蒸気機関によって運転され るが、少数のものは自然的落流によって運転されるものと想 定する。その産業部門における生産価格は、一〇〇の資本が 消費されている或る分量の商品では一一五だと想定しよう。 第三八章差額地代。概説 この一五 % の利潤は、たんに消費された資本一〇〇にもとづ いてではなく、この商品価値の生産に充用されている総資本 地代の分析にさいし、われわれはさしあたり、つぎの前提にもとづいて計算されている。この生産価格は、前に説明さ から出発しよう。というのは、こうした地代を支払う諸生産れたように、各個の生産的産業家の個別的費用価格によって ではなく、その全生産部面における資本の平均条件のもとで 物が、それにあっては剰余価値の一部分したがってまた総価 われわその商品が平均的に要費する費用価格によって、規定されて 格の一部分が地代に分解するような諸生産物が、 いる。これはじつは市場生産価格であり、市場価格の諸動揺 れの目的のためには農耕生産物または鉱業生産物を顧慮すれ 690
390 まず、商業信用の形態で、支払手段としての貨幣の機能にも な大きさで自立的にあたえられる。そして利子率のこうした 外面的な確定性・自立性こそ、利潤のこの量的な分割を一つのとづく商品生産者や商人たちの相互的前貸を自然発生的基礎 として発展する。それは、本来の商業貨幣として銀行券など 質的な分割へ転化させる根拠なのである。すなわち、利潤か ら独立した利子の確定的な決定が、あたかも利子は資本の所の本来的信用貨幣の基礎となる手形 ( 支払約東書 ) を流通さ せることによって、貨幣を節約し、再生産過程の流動性をた 有 ( 貸付資本 ) それ自体の果実であり、残りの利潤はもつば かめるが、他面この信用形態があくまで商品資本の形態での ら資本の機能 ( 機能資本 ) の果実として企業者利得をなすか のような関係に、つまり質的に異なった二つの利潤範疇への貸付であることから、その展開は現実の再生産の発展過程と 平均利潤の分裂に、導くのである。以上、利子の利潤からの直接一致し、それによって限界づけられている。現実の再生 自立化が利潤の他の部分を企業者利得へ転形させ、この分割産から自立化する利子生み資本本来の運動形態として、貨幣 取扱資本の発展とも結びつく銀行信用が、この商業信用の基 を利潤および資本の質的分裂として固定化するわけである。 だが、一たびこの分裂が確立するや、利子は純粋に資本所有礎上に成立する根拠はそこにある。そこでは、あらゆる種類 の貨幣的富を社会的に集中した銀行が、その貨幣を自由な貸 の果実として企業者利得とのみ対立させられ、後者もまた利 子とのみ対立させられて機能資本家の意識のなかで監督労働付資本として、手形割引その他各種の前貸をつうじて個々の 機能資本に貨幣の形態で貸付けることをつうじて、商業信用 の賃金にまで昇華され、さらに利子生み資本もいまや完全に 生産と流通から切り離され、たんなる物として利子を生なとの個人的連鎖を社会的なものへと代位・統合・拡充し、再生 いう幽幻の境地に安住し、総じて資本の物神性はその完成の産過程の流動性と膨張力を飛躍的にたかめるが、またその手 域にいたる。その意味で、利子生み資本をマルクスは「完成段として銀行の発行する本来的信用貨幣 = 銀行券 ( 自行宛の 一覧払手形 ) は、貨幣そのものに決定的に代位し、さらに支 された資本」と名づけたが、資本固有の分析も、一般理論の しまや利子生み資本の運動形態Ⅱ信用の展開を残払能力をはるかにこえる架空の貸付・信用創造を展開させ、 範囲では、、 やがて発券銀行としての中央銀行を軸点とする信用Ⅱ通貨制 すのみとなる。 7 信用利子生み資本の成立の分析につづいて、マルクス度の国民的Ⅱ国際的体系の整備へと進ませる。信用は、こう した体系をつうじて、資本の社会的配分・利潤率の均等化を は、その運動形態Ⅱ体系をなす近代信用制度の基本形態およ び役割を一般的に特徴づけ、さらにその信用制度をつうじ媒介・促進し、貨幣Ⅱ流通費を節約し、さらに生産と資本の る貸付貨幣資本の蓄積と現実資本 ( 産業Ⅱおよび商業資本 ) 集積・集中 ( さらに独占の形成 ) を飛躍的に促進する。とり の蓄積過程との関連 = 矛盾に説きおよぶ。近代の信用制度はわけ信用が株式制度Ⅱ株式会社の生成を媒介・促進すると
国民の産業戦にさいしては、、 しわゆる自然的方法によってでち、各労働者の全労働力を毎日支出しても、彼の個人的要求 なく強制手段によって達成されるべき資本の加速的発展に帰に欠くべからざる生活手段を生産するに足りるだけだとすれ 着する、という点においてである。国民的資本が漸次かっ緩ば、総じて剰余生産物も剰余価値も問題となりえないであろ 慢に産業資本に転化するか、それともこの転化がつぎのこと う。農業労働の生産性が労働者の個人的必要をこえるという によってーーというのは、保護関税を媒介として、主として ことは、すべての社会の基礎であり、なかんずく資本制的生 土地所有者・中小農民・および手工業に課せられる租税によ産の基礎であ「て、資本制的生産なるものは、社会のますま って、自立する直接的生産者の加速的収奪によって、資本のす増大する一部分を、直接的生活手段の生産から解放して、 強行的に加速された蓄積および集積によって、要するに資本これを、ステ = アートのいうように ee heads ( 自由な勤労 制的生産様式の諸条件の加速的確立によってーー時間的に加者 ) に転化する、すなわち他の部面で自由に搾取できるもの 速されるかは、たいへんな区別をなす。それは同時に、自然 たらしめるのである。 * これは free hands の誤りであろう。 的な国民的生産力の資本制的で産業的な利用における巨大な ーー・訳者。 だがひとよ、、、 区別をなす。だから重商主義の国民的性格は、その代弁者た テールやパッシーなどのような近ごろの経済 ちがロにする単なる空文句ではない。国民の富および国家の 学的著述家ーーすなわち、全古典派経済学の晩年どころかそ 資源だけを問題とするというロ実のもとで、彼らは事実上、 の臨終にさいして、剰余労働したがって剰余価値一般の自然 資本家階級の利益および致富一般を最後の国家目的だと宣一一一〔条件にかんする最も本源的な考えを反復し、またそうするこ し、また彼らは、古い超俗的国家にたいして市民的社会を布とによって、地代がとっくに剰余価値の一特殊的形態および 告する。だが同時に、資本および資本家階級の利益ーー・資本一独自的部分として発展したのちに、この地代について何か 制的生産ーー・の発展は近代社会における国民的カおよび国民新しくかっすばらしいことでも語るかのように信じている著 的優越の基礎となった、という意識も現存する。 述家については、なんと語るべきであろうか ? 過去に属す さらに、事実上、すべての剰余価値生産したがってまたする一定の発展段階では斬新・独創・深遠・正当であったこと べての資本発展は、自然的基礎からみれば農業労働の生産性を、それが平凡・陳腐・虚偽となっている時代に反復するこ に立脚するということは、重農主義者の正しい点である。総とこそは、俗流経済学を特徴づけるものである。こうするこ じて人間が、一労働日のうちに、各労働者が自分じしんの再とによって俗流経済学は、古典派経済学の専心した諸問題に 生産に要するよりも多くの生活手段ーーっまり、最狭義では ついては何も気づかないことを告白する。俗流経済学はこれ より多くの農耕生産物ーーを生産しえないとすれば、すなわらの問題を、市民的社会の発展のより低い立場でのみ提起さ
ばならない。資本主義制度においては、奴隷制度などにおけ三三 % である。ところが、どれだけの使用価値が一定の時 間中、したがってまた一定の剰余労働時間中に生産されるか 8 ると同じく、剰余労働はただ敵対的な一形態をとるのであっ は、労働の生産性に依存する。だから、社会の現実的富、お て、社会の一部分の純粋な無為徒食によって補足される。一 定分量の剰余労働は、災害にたいする保険のために必要であよび、社会の再生産過程のたえざる拡大の可能性は、剰余労 働の長さに依存するのではなく、剰余労働の生産性に、およ 、再生産過程の必然的な・慾望の発展および人口の増加に 照応する・累進的拡張ーーこれは資本制的立場からは蓄積とび、そのもとで剰余労働が行なわれる生産諸条件の内容豊富 名づけられるーーのために必要である。資本がこの剰余労働 さの大小に依存する。自由の領域は、事実上、窮迫と外的合 をつぎのような様式および諸条件ーーすなわち、従来の奴隷 目的性とによって規定される労働がなくなるところで、はじ 制、農奴制などという諸形態のもとでよりも、生産諸カ・社めて始まる。だからそれは、事態の本性上、本来の物質的生 会的諸関係・の発展のため、および、より高度な新社会の諸産の部面の彼岸のものである。未開人がじぶんの慾望を充た 要素の創造のためにいっそう有利な諸条件ーーーのもとで強制すため、じぶんの生活を維持し再生産するために自然と戦わ するということは、資本の開化的側面の一つである。資本はねばならぬように、文明人もこうした戦いをしなければなら かくして、一面では、社会の一部分によっての他部分を犠牲ず、しかも、どんな社会形態、ありうべきどんな生活様式の とする強制および社会的発展 ( その物質的および知的諸利益もとでも、こうした戦いをしなければならない。人間の発展 この自然的必然の領域 につれて、慾望が拡大するがゆえに、 をふくむ ) の独占化が見られなくなるような一段階を生ぜし めるのであるが、他面では、この独占化は、より高度な社会が拡大する。だが同時に、この慾望を充たす生産諸力も拡大 形態のもとではこの剰余労働を物質的労働一般にあてられるする。この領域内での自由は、ただ、社会化された人間・結 時間のいっそう大きな制限と結びつけることを許すような、 合した生産者たちが、自然との彼らの質料変換によって、盲 この質料変 諸関係のための物質的手段および萌芽を創造する。というの 目的な力によってのように支配されるかわりに、 は、剰余労働は、労働の生産力の発展しだいで、総労働日が換を合理的に規制し、彼らの共同的統制のもとにおくという 小さくても大でありえ、また、総労働日が大きくても相対的点ーーー最小の力を充用して、彼らの人間性に最もふさわしく に小でありうるからである。必要労働時間が三時間、剰余労最も適当な諸条件のもとで、この質料変換を行なうという点 働が三時間ならば、総労働日は六時間であり、剰余労働の率 にのみありうる。だが、これは依然としてつねに必然の は一〇〇 % である。必要労働が九時間、剰余労働が三時間な領域である。必然の領域の彼岸において、自己目的として行晒 らば、総労働日は一二時間であり、剰余労働の率はわすかに なわれる人間のカの発展が、真の自由の領域が、
る一丿あての為替相場が二五・二〇以上に昂騰するのに比 ("The scotch hate g 。ミ . = ) 紙幣としては、諸商品の貨幣定 例して、イギリスの対仏債務者またはフランス商品購買者に在はただ社会的な定在である。救済するものは信仰である。 と「て有利となる。どちらの場合にもイギリス人は、その目諸商品の内在的精霊としての貨幣価値を信仰すること、生産 的を達成するために要するポンド・スターリングが少なくて様式とその予定秩序とを信仰すること、自己じしんを増殖す すむ。ーー貴金属を入手しがたい遠方の諸国では、手形が払る資本の単なる人格化としての、生産の個々の代理者を信仰 すること。だが、新教が旧教の基礎から解放されていないよ 底していてイギリスに送金するために不充分であるならば、 うに、信用主義は重金主義の基礎から解放されていない。 その自然的影響として、普通にイギリスへ送られる生産物の しまや、手形のかわりにイギ 価格が騰貴する。というのは、、 リスへ送るためにこの生産物にたいする需要が増加するから である。インドではしばしばそうした場合がある。 第三六章先資本制的なるもの イギリスで貨幣の甚だしい過剰があり、利子歩合が低く、 有価証券の価格が高いばあいには、為替相場の逆調が、およ 利子生み資本、または高利資本ーーー利子生み資本の古風な び金の流出さえもが、生じうる。 一八四八年中には、イギリスはインドから多量の銀を受け形態はこう名づけられうるーーは、その双生児兄弟たる商人 と「た。というのは、一八四七年の恐慌、および、インド取資本とともに、資本の大洪水前的形態に属するのであ「て、 の引における大きな信用喪失の結果として、堅実な手形は払底これらの資本形態は、資本的生産様式にはるかに先行し、 また、きわめて相異なる経済的社会構造のもとで見いだされ し、中程度の手形は引受けを嫌われたからである。この銀は 全部、到着するかしないかに、すぐヨーロッパ大陸ーー革命るものである。 高利資本の実存に必要なのは、諸生産物の少なくとも一部 によっていたるところで貨幣蓄蔵が行なわれていたヨーロッ パ大陸に流れてい 0 た。この同じ銀は一八五〇年に大部分が分がすでに商品に転化していること、および、商品取引と同 章インド〈帰「てい 0 た。というのは、為替相場の状態によ 0 時に貨幣の相異なる諸機能が発展していることだけである。 高利資本の発展は、商人資本の発展、ことに貨幣取扱資本 てこれが今や有利となったからである。 の発展につながる。古代ローマでは、製造業がまだ古代的な クレディットジステーム 重金主義は本質的に旧教的であ「て、信用主義は本質平均的発展よりもはるかに低い状態にあった共和制後期いら 、商人資本、貨幣取扱資本、および高利資本がーー古代的 的に新教的である。「スコットランド人は金貨をきらう。」 641
もっとも正常的な形態である。土地の所有がこの経営様式の法則である。この生産様式にとっての豊作の不幸。 一四 0 トウーク物価史」、ニューマーチ編、一八五七年、第六巻、二九ー 四完全な発展のために必要なのは、用具の所有が手工業的経営 三〇頁〕におけるフランス国王の開院式勅語を見よ。 の自由な発展のために必要なのと同じである。土地所有はこ 自由な土地所有と結びついている場合の小農業の独自な害 のばあいには、人格的自立性の発展のための基礎をなす。そ 悪の一つは、耕作者が資本を土地の購入に支出することから れは、農業そのものの発展のためには、必要な一通過点であ 生ずる。 ( 同じことは、大土地占有者が、第一には土地を買 る。土地所有を崩壊させる諸原因は、土地所有の制限をしめ圏 うため、第二にはこれをみずから自分じしんの借地農業者と す。その諸原因とはつぎのものである。大工業の発展の結果 して経営するために資本を支出する過渡形態についてもいえ たる、土地所有の正常的補足をなす農村的家内工業の絶減。 る ) 。このばあいに単なる商品としての土地がとる可動性に こうした耕作のもとにおかれた土地の漸次的な疲弊と吸取。 よって、占有変動が増大する、 あらたな世代ごとに、遺 共同所有地 , ーーこれはどこでも、分割地経営の第一一の補足を 産分割ごとに、農民の立場からすれば、土地があらたに投資 なし、またこれだけが、分割地経営に、家畜の飼養を可能な として入りこむ、すなわちそれが彼によって買われた土地と らしめる , ーーの、大土地所有者による横奪。植栽地経営とし なる、というふうに。土地価格は、このばあいには、個別的 て営まれるか、資本的に営まれるかをとわず、大耕作の竸 な虚偽の生産費の、または個別生産者にとっての生産物の費 争。農業上の諸改良ーーこれは、一方では土地生産物の価格 の下落をまねき、他方ではより大きな投資とより豊富な対象用価格の、重要な一要素をなす。 一巴ムニエ〔「フランスにおける農業について」、パリ 一八四六年〕およ 的生産条件とを必要とするーーもこれに貢献することは、一 びリュビコン〔「フランスおよびイギリスにおける社会の機構について」、・ハ 八世紀の前半にイギリスで見るとおりである。 一八三七年、四七頁以下、六四、一〇五頁〕を見よ。 分割地所有はその本性上、労働の社会的生産諸力の発展、 土地価格は、資本化された、したがって先取りされた地代 労働の社会的諸形態、資本の社会的集積、大規模な牧畜、科 にほかならない。農業が資本制的に経営されて、土地所有者 学の累進的応用、を排除する。 は地代だけを受領し、借地農業者はこの年地代いがいには何 高利と租税制度とは、いたるところで分割地所有を衰頽さ も土地に支払わないことになれば、土地所有者そのものによ せるに違いない。土地価格における資本の支出は、この資本って土地の購入に投下された資本は、彼にとっては利子を生 を耕作から取りあげる。限りない、生産手段の分散および生む投資ではあるが、農業そのものに投下された資本とは。せん まうだい 産者そのものの離散。人間力の老大な浪費。生産諸条件の累ぜん何らの関係もない、ということは手にとるように明らか 進的悪化と諸生産手段の騰貴とは、分割地所有の必然的な一 である。この資本は、農業で機能する固定資本の一部分も流 ( 一四 0 )