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検索対象: 世界の大思想21 マルクス 資本論4
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1. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

124 銀行はイギリス資本をもって創立されており、その配当はイ 対外為替相場はつぎの諸事情によって変動しうる。 ギリスで支払われるはずである。同様にイギリスは、外国の ( 一 ) 、一時的な支払差額によって。これがどんな原因によ ノバ、北米および南米のーー有価証券をたくさん って規定されるか、すなわち純商業的原囚によってか、外国 もっていて、その利子をイギリスは受けとるはずである。そでの資本投下によってか、それとも、戦争などにさいしての のうえさらに、外国の鉄道、運河、鉱山業、などへのイギリ そのさいに外国で現金支払がなされるかぎりでのーー・国 スの出資があり、これにも相当の配当がある。これらいっさ家支出によってか、をとわない。 いの項目にたいする送金は、ほとんどもつばら、イギリスの (ll) 、一国における貨幣の価値減少によって。この貨幣が 輸出額をこえる諸生産物で行なわれる。他面、イギリスから金属貨幣か紙幣かをとわない。 これは純粋に名目的である。 外国へーーイギリス有価証券の所有者あてに、および外国に 一ポンド・ スターリングが従来の二分の一の金しか代表しな いるイギリス人の甬費用にーー出てゆくものは、これにくら いことになれば、自明のことながら、一ポンドは二五フラン べればとるに足りないほどである。 にではなく一二フランに計算されるであろう。 間題は、貿易差額と為替相場とにかんするかぎりでは、「与えられ * マイスナ 1 版では初版いらい「貨幣」となっている。 ーーー訳者。 : イギリスはそ たどの瞬間においても時間の間題である。概して、 (lll) 、「貨幣」として銀を使用する国と、金を使用する国と の輸出に長期信用を与えるが、輸人は現金で支払われる。特定の時期のあいだの為替相場が間題であるばあいには、為替相場はこ には、慣習上のこの区別は為替相場に大きく影響する。わが国の輸出 の両金属の相対的な価値動揺に依存する。というのは、この が一八五〇年のように非常に増進している時期には、イギリス資本の 投下がたえず膨服しつつあるはずであり、 : ・かくして一八五〇年の動揺はあきらかに両金属間の法定平価を変化させるからであ る。その一例は一八五〇年の為替相場であった。イギリスの 送金は、一八四九年に輸出された商品にたいしてなされうる。ところ で、一八五〇年の輸出が一八四九年のそれを六〇〇万だけ超過するな 輸出はおそろしく増大したのに、為替相場はイギリスに逆で らば、その実際上の影響は、同じ年に還流したよりもこの額だけ多く あった。とはいえ、金の流出は生じなかった。それは、金価卸 の貨幣が外国に送られた、ということでなければならない。かように 値にたいする銀価値の一時的増大の影響であった。 ( 『エコノ して、為替相場および利子歩合に影響がおよほされる。これに反し、 ミスト』誌、一八五〇年一一月三〇日付〔一八一九ー二〇頁〕 わが国の事業が恐慌中に萎縮して、わが国の輸出が甚だしく縮小すれ ば、前年度の大きな輸出について支払われる送金が、わが国の輸人の 為替相場の法定平価は、一ポンド・スターリングにつき、 価値を著しく超過する。それに応じて、為替相場がわが国に好転し、 リあて二五・二〇フラン 、ハン・フルグあて一三・一〇マ 資本が国内で急速に蓄積され、利子歩合が低落する。」 ( 「エコノミス ルク・・ハンコ、アムステルダムあて一一・九七グルデンであ ト」誌、一八五一年一月一一日付〔三〇頁〕。 )

2. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

によって影・ るか商品の形態で行なわれるかに係わりなく カからの輸入品と交換し、これを見返り輸入なしに輸出しう る。いずれにしても、価値にかんしては、イギリスはじぶん響されるという。為替相場が利子歩合によ「て、ことに、両 国ーーその相互的為替相場が問題たる両国ーーで行なわれる・ が何も要費しなかったものを輸出するにすぎない。および、 たとえば追加資本を形成利子歩合の関係によって影響されるということは、もちろん、 (ll) 、イギリスはすでに輸人品 ウイルソンの知るところである。いまもし彼が、資本一般の の支払をしているかもしれな するアメリカからの輸入品 いこと。イギリスがこれを不生産的に、たとえば軍需品とし過剰ーーっまりさしあたり、貴金属を含むあらゆる種類の商一 品の過剰ーー・が利子歩合に共同規定的な影響をおよぼすこと て消費するならば、これはアメリカにたいする何らの債務も を証明しうるとすれば、彼はじぶんの目標にちゃんと一歩ち 形成せず、また対米為替相場に影響をおよぼさない。 かづくことになる。すなわちそのばあい、この資本中の相当 マーチは第一九三四および三五号で自己矛盾をきたしている のであ「て、この点をウッドによ 0 て第一九三八号で注意さ部分を他国に移転することは、両国において利子歩合を れている。「還流をともなうことなしにわれわれが輸出 ( 軍事しかも反対の方向にーー変動させるに違いなく、したが 0 て 支出〔・ = ンゲルス〕 ) する財貨の製作に充用される商品のど第二にはまた両国間の為替相場をも変動させるに違いない。 ・エンゲルス。 ) の部分も、これらの財貨の送られてゆく国からはやってこな ところで彼は、当時彼が編集していた『エコノミスト』 いとすれば、それはどうしてこの国との為替相場に影響する か ? ・トルコとの貿易が普通の均衡状態にあるものと仮定す誌、一八四七年〔五月一三日付〕、五七四頁でいう、 れば、どうしてイギリスとトルコとのあいだの為替相場が、 「あきらかなことだが、貴金属を含むあらゆる種類の大在荷によって 示されるような資本過剰は、必然的に、商品一般の価格下落を生ずる 相クリミアへの軍需品輸出によって影響されるか ? 」 為で = = ー「ーチは平静をうしなう。彼は、すでに第一九三四ばかりでなく、資本の使用料たる利子歩合の低落を生ずるに違いない 号で同じ簡単な質間に正しく答えたことを忘れて、つぎのよ ( 第一項 ) 。もしわれわれが、こんご二年間この国に役だつに足る商品 金 「われわれはすでに実際的問題を論じっくしたも在荷をも。ているとすれば、これらの商品にたいする一定期間の支配 は、在荷が二か月分に足るか足らぬかの場合にくらべて、あまりにも・ ののごとく、いまや形而上学的論争というきわめて高尚な領 低すぎる〔利子〕率を受けとるであろう ( 第二項 ) 。すべての貨幣貸 域にはいる」と。 付は、どんな形態で行なわれようと、一方から他方への、商品にたい 第 する支配の移転にほかならない。だから、商品が過剰に現存すれば貨・ ( ウイルソンの別の主張によれば、為替相場は、一国から他幣利子は低いはずであり、商品が乏しければ貨幣利子は高いはすであ・ 国へのあらゆる資本移転ーーそれが貴金属の形態で行なわれる ( 第一一一項 ) 。商品がい 0 そう豊富に流れてくるばあいには、売手の第

3. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

いて合理的なことは、同一分量の商品を売る〔買う ? 〕なめに 第四項の、市場が供給過剰ならば、商品所有者は、現存在 二〇〇〇ポンドが必要なばあいには、一〇〇〇ポンドしか必荷がすぐに売れてしまいそうな場合よりも安く売りとばすだ 要でないばあいにくらべて、より多くの貨幣融通を必要とすろう いやしくも売ることができればーーーということは、釭 るということだけである。だが、このことは、ここでは、利 。は明らかである。だが、だからといって利子歩合が低落す 潤と利子との逆比例を示すにすぎない。というのは、不変おるはすだということは、明らかではない。 よび可変資本の諸要素が低廉となるにつれて利潤が増加し、 市場が、輸入商品で供給過剰ならば、利子歩合は昻騰する 利子は減少するからである。だが、逆の場合も生じうるので かもしれない、 商品を市場に投げだすまいとする所有者 あり、またしばしば生する。たとえば棉花は、糸や織物にた 側からの貸付資本需要の増大の結果として。また利子歩合は いする需要がないので低廉でありうる。また棉花は、綿業に低落するかもしれない。というのは、商業信用が円滑なので おける大きな利潤が棉花にたいする大きな需要を生みだすの銀行信用にたいする需要がまだ相対的に低いからである。 で、相対的に高価でありうる。他面、綿業家たちの利潤は、 まさに棉花の価格が低いがゆえにこそ大でありうる。 ( ツ・、 『エコノミスト』誌は、利子歩合の昻騰や、貨幣市場にたい ードの表が証明するように、利子歩合と商品価格とはぜんぜするその他の圧迫の結果として一八四七年に生じた、為替相・ ん互いに独立する運動をなすのであって、利子歩合の運動の場にたいする急速な影響に言及している。だが、忘れてはな 方は、金属準備および為替相場の運動に正確に適応する。 らぬことは、為替相場の転回にもかかわらず金は四月末まで 「だから、商品が過剰に現存するならば、貨幣利子は低いは流出しつづけたということである。この点での転回が始まっ たのはやっと五月の初めからである。 ずである」と『エコノミスト』誌はいう。まさに逆のことが 恐慌中に生ずる。すなわち、商品が過剰であり、貨幣に換わ 一八四七年一月一日には、イングランド銀行の金属準備は 一五〇六万六六九一ポンド、利子歩合は三 % 、三か月払の らない。したがって利子歩合が高い。循環上の他の一段階で リあて二五・七五、ハンブルグあて一三・ は、商品にたいする需要が大きく、したがって還流が容易で為替相場は、。 ( ・三、であった。三月五日に -. あるが、同時に商品価格は高く、また、還流が容易なので利〇、アムステルダムあて一一一 は、金属準備が一一五九万五五三五ポンドに減少し、割引率・ 子歩合は低い。「商品が乏しければ、貨幣利子は高いはずで リあて一一五・六七 は四 % に昂騰した。為替相場は、パ ある」と。ふたたび、逆のことが恐慌後の沈滞期に生する。 商品はーー需要にくらべてではないが絶対的にいえばーー乏ンブルグあて一三・九物、アムステルダムあて一二・ しい。しかも利子歩合は低い に低落した。金の流出はつづいた。次表参照。

4. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

の価値は商品に含まれる労働分量によって規定されるが、労代という諸価値量から構成され、したがって * 、、 N は、 賃の価値は必要生活手段の価格によって規定されており、労それそれそれだけで自立的に与えられ規定されているのであ って、これらの価値量の総額・ー - ーこれは一〇〇より小さいこ 賃をこえる価値の超過分は利潤と地代を形成する、と。 諸商品の価値からそれらの生産中に消費された生産手段のとも大きいこともありうるーーから、つまりこれらの商品価 価値を控除したものの分裂。商品生産物に対象化された労働値形成者の合計から、はじめて商品そのものの価値量が生ず 分量によって規定されるこの与えられた価値分量の、三つのる。この取違えはつぎの理由によって必然である。 第一に。商品の価値諸成分は自立的な諸収入として対応し 成分・・ーーこれらは労賃・利潤および地代として、自立しかっ あうが、これらの収入は、かかるものとして、労働・資本お 相互に独立する収入諸形態という姿態をとる・・・・・ーへの分裂。 この分裂が、資本制的生産の露出した表面では、したがってよび土地という三つの全く相異なる生産要因に連関させられ これにとらわれた当事者たちの考えでは、逆立ちしてあらわており、したがってこれらの生産要因から発生するかに見え るからである。労働力の所有、資本の所有、土地の所有は、 れる。 ある任意の商品の総価値は三〇〇、そのうち一一〇〇は、そこれらの相異なる商品価値諸成分を、このそれぞれの所有者 の商品の生産中に消費された生産手段または不変資本諸要素に帰属させ、したがってそれらを彼らにとっての収入に転形 させる原因である。だが価値は、収入への転形から発生する の価値だとしよう。すると残りは、この商品の生産過程でこ のではなく、それが収入に転形され収人の姿態をとりうる前 の商品に追加された新価値の総額としての一〇〇である。こ に定在しなければならない。 これらの三部分の相対的大いさ の新価値一〇〇は、三つの収入形態への分割のために自由に されうる全部である。労賃を、利潤を、地代をとすれの規定はたがいに相異なる種類の法則にしたがい、商品その ものの価値とのその関連、およびこの価値によるその制限は ば、十十の総額は、この場合にはつねに一〇〇であろ けっして表面にはあらわれないから、この逆立ちの仮象はま う。しかるにこれが、産業家や商人や銀行業者の考えでは、 すます根づよくならざるをえない。 また俗流経済学者の考えでも、まったく違ったことになる。 第二に。すでに見たように、労賃の一般的な騰貴または下 彼らにとっては、商品の価値からその商品の生産に消費され た生産手段の価値を控除したものは与えられたもの日一〇〇落は、その他の事情が同等ならば、反対の方向への一般的利 であって、この一〇〇がついで、、、に分割されるの潤率の運動を生みだすことによって、相異なる諸商品の生産 価格をその生産部面における資本の平均構成に応じて変動さ ではない。そうでなく、商品の価格は簡単に、商品の価値か 一方を騰貴させ、他方を下落させる。だから、こ ら独立しかっ相互に独立して規定される労賃・利潤および地せる、

5. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

だからまた、資本のもとへの労働のたんに形式的な従属が両構成部分の相対的大いさの変動によってのみ発生するから たとえば、以前には、同職組合の職人として働いていたである。 相対的剰余価値の生産の場合には、労働力の価値そのもの 手工業者がいまや賃労働者として資本家の直接の統制のもと で労働するといった形でーーみられたにすぎなかった。こ が現実に低下しなければならない。そして労働力の価値の低 の意味において、絶対的剰余価値の生産は次項で述べる相対下のためには、労働者によって消費される商品 ( いわゆ る必需品 ) を提供する産業部門、Üかかる商品の生産に必 的剰余価値の生産の歴史的出発点をなすものだといってよ この双方の部門におい 要な生産手段を提供する産業部門 相対的剰余価値絶対的剰余価値の生産の場合には、必て、生産力の増大とこれにもとづく商品の低廉化がおこらな 要労働時間は一定不変であって、剰余労働時間のほうが必要ければならない。 このように相対的剰余価値の生産は、生産力の向上を基礎 労働時間をこえて延長されるものとされていた。そして剰余 としてはじめて可能なものであるが、生産力の向上のために 価値率も労働日の長さも、この剰余労働時間の延長の程度に は、絶対的剰余価値の生産の場合のように、資本家が労働過 よって左右されたのであった。 ところで、労働日の長さが一定不変だという前提のもとで程を以前のままの姿でうけつぐというのでは十分ではなく、 は、どのようにすれば剰余価値を増加させることができるで生産の技術的および社会的諸条件そのものの変革が必要であ あろうか ? それは必要労働時間を短縮させることによってる。だから相対的剰余価値の生産は、資本主義に適合した新 たな生産方法を前提条件とするのであり、そして他方、この である。このばあいには剰余労働時間の延長に必要労働時間 生産方法の発展とともに、資本のもとへの労働の従属も、こ の短縮が照応するわけであって、これまで労働者が事実上、 自分自身のために労働していた時間の一部分が、いまや資本れまでのたんに形式的なものから実質的なものへと進展する 家のための労働時間となるのである。ここで変化するのは労のである。 働日全体の長さではなくて、必要労働時間と剰余労働時間と 相対的剰余価値の生産は実際の経済過程では、資本家どう 説 への労働日の分割の比率である。 しのはげしい竸争戦においてくりかえされる特別剰余価値 解 語 このように必要労働時間の短縮と、これにともなう労働日 ( 補 1 参照 ) の発生と消減のプロセスを媒介としておしすす 用 の両構成部分の比率の変化とから生ずる剰余価値は相対的剰められる。 補 1 特別剰余価値いま、ある資本家が新型の機械 余価値と名づけられる。「相対的 , というわけは、この場合 の剰余価値は、必要労働時間と剰余労働時間という労働日の の採用によって労働の生産力を例外的に高めたとすれ

6. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

369 用語解説 るものである。だからそれは、資本の有機的構成が高度化し た場合には、投下総資本の増加につれて累減的な比率で増加 するにすぎないのであり、だからまた労働力への社会的総需 要は社会の投下総資本の増加につれて絶対的には増加する が、相対的にはーーっまり社会的総資本の大いさにくらべる とーーますます減少せざるをえない。 このことは、一定の割 合で増加する労働者人口を吸収していくには、たえす加速化 されるテンボでの総資本の蓄積が必要だということを意味し ている。ところが、こうした総資本の蓄積はまた、資本の有 機的構成のいっそうの高度化を、したがって雇用労働力の総 量のいっそうの相対的減少をもたらす。こうして資本主義的 蓄積の進行、「資本の中位的増殖欲にとって余分な、したが って過剰または付加的な労働者人口」っまり相対的過剰人口 ( 産業予備軍 ) を累進的に生みだすことになるのである。 上記のことから明らかなように、資本の有機的構成の高度 化という概念は、資本主義的蓄積のメカニズムを解明する うえで決定的な意義をもつものであるが、それは同時に他方 では、のちに利潤率の傾向的低落の法則を定式化するにさい しても極めて重要な役割をはたすものである ( 第三部 4 参 補 1 蓄積の一般法則資本主義的蓄積の進行は、資本 の有機的構成の高度化をつうじて産業予備軍を累進的な 規模で生産するが、こうした産業予備軍の増大は、その 労働苦の強まりに比例してますます貧困化する労働者層 の増加をもたらさざるをえない。そして、このような貧 困労働者層と産業予備軍とが多くなればなるほど、被救 恤的窮民ーーー零落者、ルンペン、孤児、等々ーーの数も それだけ多くなる。しかも産業予備軍と被救恤的窮民の 増加は、現役労働者軍の労働条件 ( 賃金や労働時間な ど ) に圧迫を加えることによって資本の蓄積過程に促進 的な作用をおよぼす。このように、資本を増大させるの と同じ原囚が、同時に貧困労働者層、産業予備軍および 被救恤的窮民の増大をもたらすのであり、そしてこの増 大がまた、資本のいっそうの自己増殖を可能にするので ある。そこで、つぎのようにいうことができる。 ルジョアジーの側で富Ⅱ資本が急速に蓄積されればされ るほど、。フロレタリアートり側では貧困、労働苦、奴隸 状態、等々がそれだけ多く蓄積される、と。これが資本 主義的蓄積の一般法則である。そして、この一般法則が 資本主義的生産そのものの敵対的矛盾のあらわれである ことはいうまでもない しかし資本の蓄積過程は同時にまた、資本の専制支配 にたいする労働者階級の抵抗と反逆の増大の過程でもあ る。蓄積過程の進行にともなう貧困、抑圧、労働苦の増 大はやがて、資本主義的生産過程そのものの機構によっ て訓練され結合された労働者階級の反逆の爆発をよびお こさざるをえない。 こうして「収奪者たちが収奪され る」。この収奪によって資本主義的生産様式がより高度 な生産様式に移行する。すなわち、すでに生産力の社会 的性格と調和しえなくなった私的・資本主義的所有形態

7. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

したが、これを六〇シリングで売ったからである。というの 〇シリングに騰貴すればが、それにふり向けられる資本は は、の供給はちょうど需要を充たすに足りただけだからで 二〇 % 以下の利潤率で満足せねばならぬというようなことな ある。かくして地代が、さしあたりでの六〇シリングとい しに、耕作されえた。かくして、の地代は最初にはクオー う地代が生じ、同じ仕方で O およびでも地代が生じた。た ターあたり五シリング、その生産する四クオーターでは二〇 だし、 O およびは相対的には一クオーターを現実価値一一〇 シリングとなり、つぎにはクオーターあたり一五シリング、 シリングおよび一五シリングで提供したが、市場価格は依然 四クオーターでは六〇シリングとなり、つぎにはクオーター として六〇シリングだ , ーーけだし、の提供する一クオータ あたり四五シリング、四クオーターでは一八〇シリングとな ーの供給は総要求を充たすために相変わらず必要だから ということが、常に前提である。このばあいには、最初には Q の利潤率が本源的にはやはり一一〇 % であったとすれば、 <t 、ついでは << およびによって充たされた要求をこえる需 四クオーターについてのの総利潤も一〇シリングにすぎな かったが、この一〇シリングは、小麦の価格が一五シリング要増大の結果として、、 O 、が継起的に耕作されうるこ とになったのではなく、総じて開墾場面が拡大されて、偶然 の場合には、六〇シリングの場合にくらべて、より多くの小 麦をあらわした。だが、小麦は労働力の再生産に入りこむか的に、より豊饒な地所がやっとあとから耕作圏内にはいるこ とになったのである。 地ら、また、各クオーターのうち一部分は労賃を填補し他の一 第一の序列では、価格の騰貴につれて地代は増加し、利潤 部分は不変資本を填補せねばならぬから、この前提のもとで 態は剰余価値がより大きく、したがってーーその他の事情が同率は低落するであろう。この低落は、反対に作用する諸事情 利潤率もより大きかった。 ( 利潤率にかん によって、全部または部分的に麻痺させられうるであろう。 一等不変ならば 第 この点には後段でもっと立入るべきである。忘れてはならぬ する事態は、さらに特殊的に、もっと詳細に、研究すべきで の ことは、一般的利潤率はすべての生産部面における剰余価値 地ある。 ) これに反し、序列が逆であり、過程がから始まったとすによって均等に規定されているのではない、ということであ る。農業利潤が産業利潤を規定するのではなく、その逆であ 章れば、新しい耕地が耕作されねばならなかったとき、まず、 る。だが、この点については後段で。 三クオーターあたりの価格が六〇シリング以上に騰貴した。だ 第 第一一の序列では、投下資本にたいする利潤率は同一不変で が、必要なの供給ーー必要な二クオーターの供給ーーーが提 供されたので、価格はふたたび六〇シリングに下落した。けあろう。利潤の分量は、より少量の小麦とな「て現われるで だし、は、なるほどクオーターあたり三〇シリングで生産あろう。だが、他の商品とくらべての小麦の相対的価格は騰

8. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

くて一般的な騰貴につづく突然的で一般的な下落である。物物価の下落は流通手段の増加と一致したことが指摘されると 価の一般的な下落は、すべての商品と比較しての貨幣の相対しても、それにもかかわらず、流通する商品分量のなんらか のーー・統計的にはぜんぜん指摘されえなくともーー減少また 的価値の増加として表現され、また物価の一般的な騰貴は、 は増加の結果として、流通する貨幣の量が、絶対的にではな 逆に、貨幣の相対的価値の減少として表現されうる。どちら いが相対的に、増加または減少したのだとも主張されうる。 の表現様式においても、現象はいいあらわされているだけで : 言葉づかいをかえても間題がかわさて、われわれの見たように、リカードによれば、こうした 説明されてはいない。 一般的な物価動揺は純金属通貨のもとでも生ずるはずである らないのは、ドイツ語から英語に翻訳しても問題がかわらな しかしそれらの動揺は、その交替によって相殺される。 いのと同様である。リカードの貨幣理論は、同義反復に因果 関係の外観を与えるので非常に好都合であった。物価の周期というのは、たとえば流通手段の不足は物価の下落を生ぜし め、物価の下落は外国への商品輸出を生ぜしめ、この輸出は 的な一般的下落はどこから生するか ? 貨幣の相対的価値の 周期的増加からである。逆に、物価の周期的な一般的騰貴は国内への貨幣の流入を生ぜしめるが、貨幣のこの流入はふた たび物価の騰貴を生ぜしめるからである。流通手段が過剰で・ 立どこから生ずるか ? 貨幣の相対的価値の周期的減少からで 銀ある。そんなことならば、物価の周期的騰落は物価の周期的あり、商品が輸入されて貨幣が輸出されるばあいには、この : この同義反復を逆である。ところで、この、リカードのいう金属通貨そのも 騰落から生ずる、といってもよかろう。 のの本性から生ずる一般的な物価動揺にもかかわらず、こう イ因果関係たらしめることを容認してしまえば、ほかのことは した動揺の激烈で暴力的な形態、すなわちその恐慌形態は、 年何でもすらすらとはこぶ。物価の騰貴は貨幣の価値の減少か 四ら生ずるが、貨幣価値の減少の方は、 リカードから学び発展した信用業の時代のものであるから、だから、銀行券の 一知るところではーー流通手段の過剰から、すなわち、流通す発行が厳密に金属通貨の諸法則にしたがっては調整されない 義る貨幣の分量が貨幣じしんの内在的価値および諸商品の内在ということは、明白となる。金属通貨は、貴金属の輸入およ 貨的価値によ 0 て規定される水準以上に増加することから、生び輸出を救治手段とするのであ「て、貴金属はただちに鋳貨 として流通に入りこみ、かくして、その流入または流出によ ずる。それと同じく、逆に、物価の一般的下落は、流通手段の って物価を下落または騰貴させる。物価にたいする同じ作川 四不足によって貨幣の価値がその内在的価値以上に増加するこ が、いまや人為的に、金属通貨の諸法則の模倣によって、諸 第とから生ずる。つまり、物価が局期的に騰貴したり下落した りするのは、周期的に過多または過少な貨幣が流通するから銀行の手でもたらされねばならない。もし金が外国から流入 するならば、それは、流通手段が不足だという、貨幣の価値 である。ところで物価の騰貴は貨幣流通高の減少と一致し、

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貸付可能な貨幣資本への貨幣の転形は、生産的〔Ⅱ産業〕資として自己資本で行なわれること・にもとづいて商業信用が 銀行信用から相対的に独立していることを表現する。他人の 本への貨幣の転形よりも遙かに簡単な出来事である。だが、 信用資本をあてにする投機師たちはまだ出陣していない。自 ここではつぎの二つのことを区別せねばならない。 己資本で作業する人々は、ほぼ純粋な信用操作からまだ遠く (l) 、貸付資本への貨幣の単なる転形。 はなれている。第一の段階では、貸付資本の過剰は現実的蓄 ( 一 l) 、貸付資本に転形される貨幣への、資本または収入の 積の表現の正反対のものである。第二の段階では、この過剰 一形。 産業資本の現実的蓄積と関連する積極的な貸付資本蓄積をは、再生産過程のあらたな拡張と一致し、これを伴なうが、 含みうるのは、後者だけである。 これの原因ではない。貸付資本の過剰は〔この段階では〕すで に減少しており、もはや相対的なーー需要に比較しての 過剰にすぎない。。 とちらの場合にも、それによって現実の蓄 第一節貸付資本への貨幣の転形 積過程の拡張が助長されるが、それはけだし、低い利子 これは、第一のばあいには低い物価と一致し、第二のばあい 生産的蓄積と逆比例するかぎりでのみこれと関連するよう には緩慢に騰貴する物価と一致するーーが、利潤のうち企業 な貸付資本の堆積・過剰・が生じうるということは、すでに 見たところである。産業循環上のつぎの二つの段階ではそう者利得に転形する部分を増加させるからである。繁栄期の昻 このばあ 揚中に利子が平均高度に昻騰するばあいには、 である。すなわち第一には、産業資本が生産資本の形態でも いには利子はなるほど昻騰するが、利潤に比例しては昻騰し 商品資本の形態でもともに収縮している時期、つまり恐慌後 本 さらにいっそう、こうしたことが生ずる。 資の循環の初めであって、第二には、立直りが始まっても商業 っさいの現 他面、すでに見たように貸付資本の蓄積は、い 信用がまだ銀行信用をほとんど要求しない時期である。第一 本のばあいには、従来は生産および商業に充用されていた貨幣実的蓄積なしに、たとえば銀行業の拡張や集中、流通準備金 の節約、あるいはまた私人の支払手段準備金の節約ーーこれ 幣資本が、失業した貸付資本として現われる。第二のばあいに は、これがだんだんに充用資本として現われるが、その利子らの準備金は、かようにして常に短期間、貸付資本に転形さ 一歩合はきわめて低い、というのは、いまや産業Ⅱおよび商業れるーーというような、たんに技術的な手段によって生じう 第資本家が貨幣資本家に条件を指定するからである。貸付資本る。この貸付資本は、つねに短期間だけ貸付資本の形態を維 の過剰は、第一のばあいには産業資本の停滞を表現し、第一一持する ( たとえば割引も短期でなければならない ) のばあいには、還流の円滑・信用期間の短いこと・事業が主らこれは浮動資本 (floatingcapital) とも名づけられる 539

10. 世界の大思想21 マルクス 資本論4

176 するであろう。 しかしこの表では、すべての土地種類のあり、したがって需要は、たんに国民的消費の限界によって 豊饒度の絶対的増大と同時に、優等地 O およびにおけるよ調整されているのではない。最後に、小麦の生産の増加およ り高い相対的豊饒度の増大が、したがって同等な資本諸投下び低廉化の結果として、ライ麦または燕麦のかわりに、小麦 のもとでの生産物の差額の増大が、したがって差額地代の増が人民大衆の主要食糧となりうるのであり、したがってこの ことによっても小麦の市場が増大するのは、生産物が減少し 大が、仮定されている。 第二の前提は、総生産物の増大に総需要が歩調を合わせるて価格が騰貴すれば反対のことが生じうるのと同じである。 だから、これらの前提のもとでは、また、仮定された数 ということである。第一に、増大がとっぜん生するものと考 える必要はなく、むしろ、だんだん増大して、ついに序列三字的諸関係によれば、序列三の結果として、クオーターあた りの価格は六〇シリングから三〇シリングに、つまり五〇 % が出来るものと考えるべきである。第二に、必要生活手段の 消費がその低廉化につれて増大しないということは誤りであだけ下落することになり、生産は、序列一と比較すれば一〇 囲クオーターから二三クオーターに、つまり一三〇 % だけ増加 る。イギリスにおける穀物法の廃止は ( 〔・・〕ニューマ ン〔「経済学講義』ロンドン、一八五一年、一五八頁〕参照 ) 反対のすることになり、地代は、土地では不変のまま、 o では二 ことを証明したのであって、これと対立する考えは、収穫上倍、では二倍以上となることになり、また総地代は、一八 ポンドから二二ポンドに、つまり二二協 % だけ増加すること の大きな突然の相違ーーーこれは気候のせいに他ならない になる。 は穀物の価格において時には不釣合な下落を生ぜしめ、時に は不釣合な騰貴を生ぜしめるということから生じたにすぎな * 以下は「 O では六ポンドから七んポンドに、では九ポンドから一二ポ ンドに増加することになり、また総地代は、一八ポンドから二二ポンド このばあいには、低廉化が突然で短期であるために消費 に、つまり一一五 % ・ : ・ : 」の誤りであろう。ーー訳者。 を充分に膨脹させるだけの期間がないとしても、低廉化が調 整的生産価格そのものの下落から生じ、したがって継続的で 以上一二つの表 ( このうち序列一は、からに上昇し、ま あるばあいには、この反対のことが見られる。第三に、穀物たからに下降するという一一重のものと見るべきである ) の一部分はブランデーまたはビールとして消耗されうる。そは、ある与えられた社会状態における、与えられた段階づけ して、この二つのものの消費増加はけっして限界の狭いもの たとえば相異なる三か国で並存するものーーと解しても ではない。第四に、事態は部分的には人口の増大に依存する よく、同じ国の相異なる諸発展期に継起するものと解しても が、部分的には、その国は イギリスがまだ一八世紀の中よいが、これら三つの表を比較すれば次ぎのことがわかる。 頃すぎまでそうだったように 穀物輸出国でありうるので ( l) 、序 ( 列は、既成のものとしては、 ーー・その形成過程の