特徴を地球の最後的分割である、といわなければならない。 、リー・ o ・モリス「植民史』、ニューヨ ーク、一九 原注一へノ もっともここに最後的というのは、再分割が不可能だという 〇〇年、第二巻、八八ページ、第一巻、四一九ページ、第二巻、 意味でではなくーーーそれどころか、再分割は可能であり、不 三〇四ページ。 可避であるーー、資本主義諸国の植民政策が、地球上の未占 イギリスにとっては、植 拠地の領有をおわったという意味においてである。世界はは ロ人 乢民地略取のおそろしく強ま じめて分割されつくした。だから、こんごきたるべきもの 万 った時代は、一八六〇ー一 は、再分割、すなわち、ある「所有者」から他の所有者への 八八〇年である。そして、十 移転だけであって、無所有の状態から「所有者」への移転で 積 平 九世紀の最後の一一〇年間に ド万ル も植民地略取はきわめて顕 したがって、われわれはいまや全世界的植民政策という独 著であった。フランスとド 特の時代に際会しているわけであるが、この政策は、「資本 ロ人 ィッにとっては、それはま 主義における最新の発展段階」と、金融資本と、きわめて緊 きス万 8 さしくこの二〇年間になさ 密に結びついているものである。だから、この時代と過去の のン人は れた。われわれがすでに見 時代との相違ばかりでなく、現在の事態をもできるだけ正確領 ラ方 2 たとおり、独占資本主義以 レ 0 0 00 に解明するためには、なによりもます事実資料をくわしく研地 民フ万 / 前の資本主義、すなわち自 究する必要がある。そのさいます第一に生じるのは、つぎの植 由競争が支配していた資本 二つの事実間題である。すなわち、植民政策の強化、植民地 表 4 11 0 ロ人 主義が最高の発展をとげた 獲得のための闘争の激化ということは、まさにこの金融資本 ス万 1 Ⅱ 第 8 人 1 の時代において見られるかどうか、およびこの点から見て、 時期は、一八六〇年代と一 世界は現在どのように分割されているかということ、であ 八七〇年代である。いまや LO 冖ーっ 0 平 2 われわれは、ほかならぬこ 原注一 万 イ の時代ののちに、植民地略 国アメリカの著述家モリスは、植民史にかんする著書のなか 面開 で、十九世紀のいろいろの時代におけるイギリス、フラン 取のおどろくべき「高揚」 次一年年年 ス、ドイツの植民地領有の大きさの資料をあたえようとここ がはじまり、世界の領土的 8 0- 8 年絽絽 1 1 ろみている。かれのえた結果を要約すれば、第表のとおり 分割のための闘争が極度に である。 ッ マイノレ LO LO t-n 4 0 00 ー C-D
FlpeAHcJ10BHe aBTOpa K pyccKOMY nepeBOÄY [KHHI'H : <AHaJIH3 0 y e - H 目ⅱ》 ]. —B KH. : Max, 9. AHad1H3 OI 以 y 珥 eH 日嶽Ⅱ OTHOIIIeHHe <)H3HqeCKTO K IICHXVIqeCKOMY. Pa3peIIIeHHbIÜI aBTOPOM nep. C PYKOIIHCH 5- ハ 0 Ⅱ . HeM. Ⅱ 3 ュ . r. KOTJIflpa. C npeÄHCJI. aBTOpa K PYCCK. nep. Ⅱ c BCTYIIHT. CTaTbefi A. 60 擘 aHOBa. [M. ] , CKHPMYHT, [ 1907 ] , CTP. 1 ー 4. ー 161. flpeJIHcJ10BHe K 4-MY V13ÄaHHIO CKHHPH : <AHau13 OLIIYLqeHI'II?I>>]. —B KH. : Max, 9. A 日 a Ⅱ 3 OIItymeHHüⅡ OTHOLIIeHHe (l)H3HqeCKOPO K IICHXHtIeC- KOMY. Pa3peIIEHHbIIYI aBTOPOM flep. C PYKOIIHCH 5 - ro 八 0 Ⅱ . HeM. Ⅱ 3Å. r. KOTJIflpa. C npeJIHC 、Ⅱ . aBTOpa K PYCCK. llep. Ⅱ C BCTYIIHT. CTaTbeVI A. 60r ハ a Ba. CM. ] , CKHPMYHT, [ 1907 ] , CTP. 8 ー 10. ー 161. HeBCKHV1, B. 目 . . MæreP',IaJIH3M 日中 0C0 中負 MePTBOü peaKIIHH. —B KH.: [ 月 eH 目日 , B. H.] MaTeI)HUIH3M 日 9M11HPHOKPHTHIIH3M. KPHTH- qeCKVIe 3aMeTKII 05 0 ユ日 0 ⅱ peaICLIHOHHOÜI 中目 0C0 中Ⅱ I. C Ⅱ p Ⅱみ . CTaTbH B. . HeBcKOI*O <A1flJ1eKTnqeCKHI?I yraTePHaJIH3M Ⅱ中 0C0 中Ⅱ只 MePTB()ü ー 164. ー 269. peaKLIHId>>. 2-e 目 3 ュ . M. , PH3, 1920 , CTP. 371 ー 384. aBT. : H. OPTOAOKC ーー→ AKceJ1bPOÅ, 訂 . . <<06pa30BaHHe>, C Ⅱ 5. , 1908 , No. 1 , CTP. 163 JIeHHH (BJI. YJ1bflHOB). ー 10. OqePKH Ⅱ 0 中Ⅱみ 0C0 中Ⅱ目 MaPKCH3Ma. 中日 0C0 中 CKH ⅱ C60PHHK. C Ⅱ 6. , 1908. 329 CTP. ー 9. C<<3ePHO>) , flJ1exaHOB, r. B. KOHpaJ1 IIIMHJIT HPOTHB l<apna Mapycca Ⅱ (bPHJIPHXa 3HreJ1bCa. 7 YII, 400 CTP. ー 81. KPHTHKa Ha111HX KPHTHKOB. C Ⅱ 6. , CTHII. <06uxeCTBeHHafl 日 O b3a 〉 ] , 19Q6. eCTBeHHa51 FIO b3 の ] , 1906 , CTP. 167 ー 184. ー 81. —B KH.: r. B. KPHTHKa Ha111HX KPHTHKOB. C Ⅱ 6. , CTHII. く 06 以・
427 帝国主義 第 7 表銀行の資産状態 ( 界結心 投下されている資本 ( 単位 18 万ループリ ) ロシアの銀行グループ 生 産 的 ( a の 1 ) 4 銀行〔ドイツの参与するもの〕 シベリア商業銀行 ロシア銀行 国際銀行 割引銀行 ( a の 2 ) 2 銀行〔イギリスの参与するもの〕 商工銀行 ロシア - イギリス銀行 ( a の 3 ) 5 銀行〔フランスの参与するもの〕 サンクト・ペテルプルグ私立銀行 ロシア - アジア銀行 ド モスクワ . 合 ロシア - フランス ( 11 銀行 ) ( b ) 8 銀行 モスクワ ヴォルガ ンカ 商 カ ン銀行 同銀行 商業銀行 マ銀行 人銀 計 社 行 サンクト・ペテルプルグ商業銀行 ( 以前のヴァーウェルベルグ銀行 ) ワ銀行 モスク ( 以前のリャプシンスキー銀行 ) モスク モスク モスク ( 19 銀行 ) ワ ワ ワ 割引銀行 商業銀行 私立銀行 総 計 413.7 239.3 711.8 1 , 9.0 0.2 1 , 4.8 投機的 661.2 169.1 859.1 2 , 080.5 391. 1 1 , 689.4 計 1 , 373.0 8.4 1 , 272.8 3 , 9.5 895.3 3 , 0 . 2
ÅHCJI. aBTOpa K PYCCK. llep. Ⅱ c BCTYIIHT. CTaTbeVi A. BOPJWHOBa. CM. ] , CKHPMYHT, [ 1907 ] , CTP. III—XII. ー -69. LlTO TaKOe 目ユ ea み目 3M ?—B KH. : B()I'JWH()B, A. 目 3 Ⅱ C 目 xo 月 or 目日 06111eCTBa. (CTaTbH 1901 ー 1904 r. ). C Ⅱ 5. , JlOPOBaTOBCKHV1 目 qaPYL11HHKOB, 1904 , CTP. 11 ー 34. ー 254 ー 255. 3M ⅢⅡ 0M0 日目 3M. KH. I—III. M. ー C Ⅱ 5. , AOPOBaTOBCKHM1 目 qaPY111HHKOB, 1905 ー 1907. 3 T. KH. I. CTaTbH Ⅱ 0 中目 0C0 中Ⅲ I. 2-e Ⅱ 3 ル M. , 1905. 185 CTP. ー 32. KH. Ⅱ . CTaTbH Ⅱ 0 中仕Ⅱ 0C0 中Ⅲ l. 2-e Ⅱ 3 ュ . , C Ⅱ 5. , 1907 , 181 CTP. ー 90. KH. III. C Ⅱ 5. , 1906. XLVIII, 159 CTP. ー 40. BaJIeHTHHOB, H. 中Ⅱ訂 0C0 中 CK Ⅱ e f1()CTPO'2HHfl MaPKCH3Ma. JIuaQKrrmqeCKHl"1 Marre- PHaJIH3M, 3M Ⅱ p は OMOH 目 3M 目 3MIIVIPVIOKPHTVICI(2CKflfI 中目 0C0 中Ⅱ . [ M. , K 日 . Mar. (<COTPYÄHHK 日 POB Ⅵ H 以Ⅲ 0 , 1908 ]. 307 CTP. ( KPHTHqeCKHe oqe1)KH. KH. 1- 只 ). <Bonp0CbI 中ロ 0C0 中ⅢⅡ日 c Ⅱ xo or Ⅲ , M. , 1889 , KH. I, CTP. 127 ー 146 ー 234. 1907 , K 日 . IV ( 89 ) , ceHTf16Pb—OKTf16Pb, CTP. 324 ー 366 ー 234. reJIb(l)OHA, 0. 目 . 中Ⅱみ 0C0 中目只目 C()BpeMeHHb11'1 Ⅱ 03HT 目 B Ⅱ 3M. —B KH.. OqePKH Ⅱ 0 ロ 0C0 Ⅲ MaPKCH3Ma. 中 0C0 中 CK ⅲ C60PHHK. C Ⅱ 6. , [ 《 3e - PHO>], 1908 , CTP. 243 ー 290. POrOJlb, H. B. MepTBb1e ム y ⅢⅡ . ー 43 、 PeB 目 3 叩 . ー 275. nayre, ロ . r. r. FIJ1exaHOB 目目 . 以目は kl. Ko BTOPOMY PYCCKOMY 目 3 ユ a 日Ⅲ 0 3
ドイツの物理学者のうちで、マッハ主義の潮流と系統的に 陽と地球の距離は一一〇〇〇万マイルもあるはずがない ' なぜ たたかったのは、一九〇六年に死んだルードウイヒ・ポルツ なら、そんなことは想像できないからだ、と主張する無教養 マンであった。すでにのべたように、彼は、「新しい認識論な人間の意見と比較する」 ( 一八六ページ ) 。ポルツマンは精神 的ドグマに心酔する」ことに反対して、簡単明瞭にマッハ主と意志を「物質粒子の複雑な作用」 ( 三九六ページ ) としてし 義を唯我論に帰着させた ( 本書第一章、第六節参照 ) 。もちろん、 めそうとする科学の理想を否定していない。 * ルードウイヒ・ボルツマン「通俗論集』、ライブツイヒ、一 、ポルツマンは唯物論者と名のるのをおそれているのであっ 九〇五年、一八七ページ。 て、自分はけっして神の存在に反対するものではないと、特 * * ジークムント・ギュンター「一九世紀無機自然科学史」、ペ 別にことわりさえしている。しかし、彼の認識論は事実上唯 ルリン、一九〇一年、九四一、九四二ページ。 物論的なものであって、一九世紀の自然科学史家・ギュン ・ポルツマンは、しばしば物理学者の観点からオストワ ターがみとめているように、大多数の自然科学者の意見を代 ルトのエネルギー論に反対して、論陣をはっており、オスト 表している。»-a ・ポルツマンは言う。「われわれは、すべて の物がわれわれの感官にひきおこす印象によってのみ、その ワルトが運動エネルギーの公式 ( 質量と速度の一一乗の積の二 物の存在を推論するものである」 ( 前掲書、二九ページ ) 。理論分の一 ) をくつがえすことも、排除することもできす、まず は自然、外界の「模写」 ( あるいは写像 ) である ( 七七ページ ) 。 エネルギーを質量からみちびきだし ( 運動エネルギーの公式 物質は感性的な感覚の複合にすぎないと言う人にむかって、 を採用し ) 、つぎに質量をエネルギーと規定して、欠陥の多い ー一三九ペ ルツマンは、それなら他人もそうかたる人の感覚にすぎな循環論法におちいっていることを論証した ( 一 いのだ、と指摘している ( 一六八ページ ) 。これらの「イデオ ージ ) 。これについて、私はポグダーノフが『経験一元論』の ローグーー、ポルツマンは哲学的観念論者というかわりに、し第三巻でマッ ( の受売りをしているのをおもいだす。ボグダ ーノフはマッハの『カ学』を引合いにだして、こう書いてい ばしばこう言っているーーはわれわれに「主観的な世界像ー を描いてみせる ( 一七六ページ ) 。ポルツマンは「いっそう簡る。「科学では、物質の概念は力学の方程式のなかにあらわ 単な客観的世界像」のほうをえらぶ。「観念論者は、物質もれる質量係数に帰着するが、質量係数は、精密に分析してみ われわれの感覚と同じように存在するという主張を、打たれれば、一一つの物理的複合ーー物体ーーーが相互に作用するばあ いの加速度の逆数であることがわかるー ( 一四六ページ ) 。もち た石は痛みを感するという子供の意見と比較する。実在論者 は、心理的なものが物質的なものに、まして原子の働きに起ろんある物体を単位にとれば、他のすべての物体の運動 ( カ 源するとはけっして考えることはできないという主張を、太学的な ) を加速度の簡単な比であらわすことができる。しか
界と価値が討議されているとき、実際には実証科学の正当性したがって、「伝統的機械論」 ( レイは、物理学を力学に還元 する諸見解の体系という特別の意味でこの言葉を使ってい や客観の認識の可能性が批判されているのであるー ( 前付一ー 二ページ ) 。人々は「現代自然科学の危機ーからいそいで懐疑る ) 「は、経験の成果以上に、またそれを越えて、物質世界 の実在的な認識をしめしていた。これは経験の仮説的な表現 的な結論をひきだそうとしている ( 一四ページ ) 。この危機の ではなかった。これはドグマであった」 ( 一六ページ ) ・ 本質はなにか ? 物理学者は、一九世紀のはじめの三分の二 ここで、この尊敬すべき「実証主義者ーの言葉を中断せね の期間は、すべての本質的な点ではたがいに一致していた。 ばならない。あきらかに、彼は伝統的物理学の唯物論哲学を 「人々は自然の純粋に力学的な説明を信じていた。物理学は 力学の複雑化したものにすぎない、すなわち分子力学にすぎわれわれに描いてみせているが、悪魔 ( すなわち唯物論 ) と ない、と仮定されていた。物理学を力学に還元するときもちまともに対決したくはないのである。ヒューム主義者にとっ いられる方法について、メカニズムの細部についてだけ、意ては、唯物論は形而上学、ドグマ、経験の限界外への超出、 ヒューム主義者レイは、唯物論 見がわかれた」。「こんにちでは、物理Ⅱ化学がわれわれにし等々に見えるにちがいない。 めしている光景は、がらり変ったもののように見える。極端を知らないので、弁証法について、エンゲルスのいう意味で な不一致が一般的な統一にとってかわった。しかも細部におの弁証法的唯物論と形而上学唯物論とのちがいについて、ま いてばかりでなく、指導的で基本的な思想のうえでもそうで ったくなんの概念をももっていない。だから、たとえば、絶 ある。学者ひとりひとりがその特殊な傾向をもっていると言対的真理と相対的真理との関係は、レイには絶対にはっきり していないのである。 ったら、誇張になるだろうが、なお科学、とくに物理学は、 芸術と同じように、多数の学派をもち、それらの学派の結論「 : : : 伝統的な機械論にたいして一九世紀の全後半期になさ は、しばしば異なり、ときには相互に対立的、敵対的であるれた批判は、機械論の存在論的実在性についての前提を無効 ということを確認しなければならない。 にした。この批判にもとづいて、物理学についての一つの哲〕 現代物理学の危機と呼ばれているものの原理と範囲の全体学的概念が確立され、この概念は一九世紀末の哲学ではほと んど伝統的なものになった。科学は記号定式以上のものでな は、こうして理解される。 く、記号」 ( 標示、符号〈を ge 〉、サイン、マーク、シンポ 一九世紀なかばまで伝統的な物理学は、物質の形而上学に 到達するには、物理学を継続してゆきさえすれば足りると仮ル ) 「法以上のものでなかった。そしてこの記号法は、学派 定していた。この物理学は、自己の理論に存在論的価値をあにおうじてちがっているので、記号をつけるためにあらかじ たえていた。そしてこの理論はまったく機械論的であった。」 め作りあげられている ( fag 。 nné ) ものだけに記号がつけられる 0
のこんなふうな思想上の同僚がマッハの哲学を熱心に歓迎し と自然科学を支配してきた非哲学精神とを非難するために、 すでに個々の思想家の声があがっている。たとえば、物理学ているのだ。マッ ( の『カ学』がフランス語訳で出たとき、 0 ルヌーヴィエの協力者で弟子の。ヒョンの手で発行されている こうしていたるところに新鮮 / カそうである : 者のマツ、 : な力が躍動しており、自然科学は誤りをおかすことがないと「新批判主義者」の機関誌『哲学年報』 ( 《 L ・ Année Philosoph- ique>) は、こう書いている。「マッハ氏の実証科学が、実体、 いう盲目的な信仰を打破するために働いている。そして人々 は、ふたたび秘密の深淵へ通する別の道をさがしはじめ、真物、物自体を批判するうえで、どの程度、新批判主義の観念 論と一致しているかを、とくにのべるにはおよぶまい」 ( 第一 理の住居のいっそうよい入口をさがしはじめている」。 * リヒアルト・フォン・シーベルトーゾルデルン博士『客観五巻、一九〇四年、一七九ページ ) 。 ロシアのマッハ主義者のほうはどうかといえば、彼らはみ と主との超越について』、一八八二年、三七ページと第五節。 彼の「認識論の基礎』、一八八四年、三ページ参照。 な、内在論者と縁があることを恥すかしいとおもっている、 * * 『科学的哲学季刊誌』、第一七年、一八九三年、三八四ペー もちろん、ストルーヴェ、メンシコフ一派の道を意識的 にあるかなかった人々から、これ以外のことを期待してもむ * * * リヒアルト・フォン・シューベルトーゾルデルン博士「人 りであった。ひとり。ハザロフだけは、「内在論学派の何人か 間の幸福と社会問題」、一八九六年、前付五、六ページ。 粢「内在哲学雑誌」、第一巻、ベルリン、一八九六年、六、九の代表者」を「実在論者」と呼んでいる。ボグダーノフは 「内在論学派はカント主義と経験批判論との中間形態にすぎ ・ルヌーヴィ , について一言しよう。彼は、フランスでない」と簡単に ( そして事実上まちがって ) 言っている ( 「経 1 ジ ) 。・チェルノーフは「一 勢力があり、ひろく流布しているいわゆる新批判主義者の学験一元論」、第三巻、前付一三ペ 派の首領である。彼の理論哲学は、ヒ = ームの現象論とカン般に内在論者は、その理論の一つの側面でだけ、実証主義に トの先天主義との結合である。彼は、物自体を決定的に否認近づいているが、他の側面では、実証主義の枠をはるかには み出ている」と書いている ( 『哲学的および社会学的試論』、三七 験している。彼は、諸現象の関連、秩序、法則を先天的なもの 経 ページ ) 。ワレンティノフは一言う。「内在論学派はこれら ( マ AJ と称し、法則を大文字で書き、それを宗教の基礎に変化させ ッハ主義 ) の思想に無用な形式をまとわせ、唯我論の袋小路 犠ている。カトリックの僧侶はこの哲学に狂喜している。マッ 唯 主義者のウィリーは憤慨してルヌーヴィエを「第二の使徒に突きあたっている」 ( 前掲書、一四九ページ ) 。ごらんのよう ここにはお好みしだい、なんでも求められる、 。ウロ」「一流の蒙昧主義者」「自由意志の決疑論的伝道者」 と呼んでいる ( 『学校知識に反対して」、一二九ページ ) 。内在論者でも、ワサビ付きのチョウザメの切身でも、実在論でも、唯 ( 六も )
タ・ハコ、包装用錫箔、箱、その他の製造にかんする種々の発 生産量の六六・三 % 、一九〇八年には五六・一 % にたっし 原注一 た。その採鉱高は、右の両年度に、それそれ四三・九 % と四明の試験がおこなわれ、またここで発明が完成されている。」 「また、その他のトラストもいわゆる Developping engi— 六・三 % であった。 neers ( 技術発展のための技師 ) をつかっている。かれらの任務 原注一フリツツ・ケストナー博士「組織強制。カルテルとアウ トサイダーとの闘争の研究』、ベルリン、一九一二年、一一ペ 1 ジ。 は、新しい製造方法を発明し、技術的改良の試験をすること 原注一一・リーフマン「参与会社と融資会社。近代資本主義と である。鉄鋼トラストは、その技師と労働者にたいして、技 有価証券の研究』、第一版、イエナ、一九〇九年、二一二ページ。 術をたかめたり生産費をひきさげたりすることのできる発明 原注ニ 原注三同書、二一八ページ。 にたいして、多額の賞金を支払っている。」 原注四・チールシュキー「カルテルとトラスト」、ゲッティ 原注一「タバコ工業にかんする委員報告」、ワシントン、一九 0 ンゲン、一九〇三年、一三ページ。 パウル・ターフェル「北アメリカのトラ 九年、二六六ページ 原注五新・フォーゲルシ = タイン「組織形態」、二七五ページ。 ストと技術の進歩にたいするその影響」、シュトウットガルト、 トラストにかんするアメリカ政府委員会の報告は、つぎの 一九一三年、四八ページから引用。 ようにのべている。「競争者にたいするトラストの優越は、 原注二同書、四九ページ。 その経営の規模の巨大なこととその技術的設備の優秀なこと ドイツの大工業、たとえば最近数十年の間に巨大な発展を にもとづくものである。タ・ハコ・トラストは、その創立の当 とげた化学工業でも、技術改良の事業はこれと同じように組 . 初から、いたるところで手労働を大々的に機械労働にとりか えるためにあらゆる努力をかたむけた。このトラストは、この織されている。この工業では、すでに一九〇八年ころまで に、生産の集積の過程によって二つの主要な「集団ーがつく 目的のために、タ・ハコの製造になんらかの関係のあるすべて りだされ、そしてこれらの集団はそれぞれのやりかたで、や の特許を買収し、このために莫大な金額を支出した。だが、 はり独占に近づいていった。はじめは、これらの集団は一一組 . そのままではなんの役にもたたない特許も多く、それらは、 トラストにつかわれている技師の手で変形されなければならの大工場のコ一社連合」で、おのおの一一〇〇〇万マルクない し二一〇〇万マルクの資本をもっていた。すなわち、一方に 義なかった。一九〇六年の末には、特許の買収だけを目的とし は、以前のマイスター会社だったへヒストにある工場と、フ 国た二つの子会社が設立された。また同じ目的のために、この 帝 ランクフルト・アム・マインにあるカッセル工場との連合で トラストは、自分の鋳物工場、機械工場、修理工場を設立し ーフェンにあるアニリンー 5 た。ブルックリンにあるこの種の工場の一つは平均三百人のあり、他方は、ルードウイヒスハ ーフェルドにある以前の・ハイエル会社 ソ 1 ダ工場と、エル・ハ 労働者を使っているが、ここでは巻ハコ、小型葉巻、嗅ぎ 原注五
の「世界の一一重化ーの誤りを解明したのは、ほかでもない新 をとりのぞいたというのである。このような主張の本源をた パークレをとってみるがよい、そうすれしい哲学である、と。さきにあげた著述家たちは、この「二重 しかめるために、 化」について感動にみちたおびただしい言葉を書きつけた。 ば、それが結局、おこがましい作り話にすぎないことがわか るだろう。・ハ 1 クレは、物質は「実存しない物」 (nonentity) 彼らは、忘れつ。ほいためか、それとも無学のためか、これら ( 第六八節 ) であり、物質は無 ( 第八〇節 ) である、とまったくの新発見がすでに一七一〇年におこなわれていたことを、書 ークレは、唯物論者を皮肉って言うに きそえなかったのである。 明確に言っている。・ハ は、「君たちは、そんなによいこととおもうなら、他の人た ・ハークレは、こう書いている。「これらのもの」 ( 観念あ ちが『無』という言葉をつかっているのと同じ意味で、『物るいは物 ) 「についてのわれわれの知識は、きわめてあいま 質』という言葉をつかったらよかろう」、 ( 前掲版、一九六ー一 いにされ、こんがらかされてきた。そして、われわれは、感 九七ページ ) 。。ハ ークレは一一 = ロう、 はじめには、人々は色や覚の対象の二重 ( ( w 。まミ ) の存在ーー一方は可知的な、ある いは心のなかの存在、他方は実在的な、そして心のそとの 匂いなどが「現実に存在している」と信じていたが、その ( すなわち意識のそとの ) 存在ーーーを仮定することによって、 後、そのような見解を放棄し、そういうものは、われわれの きわめて危険な誤りへみちびかれていった」。そこで。ハーク 感覚に依存してしか存在しないということをみとめた。しか し、古いあやまった概念は徹底的には除去されなかった。残レは、思考されえないものを思考する可能性をゆるすこの ・ハークレ監督が一 「不条理」な意見を、嘲笑しているのである ! 「不条理」の 存物は「実体ーの概念であり ( 第七三節 ) 、 みなもとは、もちろん、「物」と「観念」を区別することで 七一〇年に最終的に暴露した、かの「偏見」 ( 一九五ページ ) あり ( 第八七節 ) 、「外的客体を仮定する」ことである。この同 なのである ! ところが、一九〇八年にわが国に道化者がい じみなもとは、一七一〇年に。ハークレが発見し、そして一九 るのである。彼らは、「最新の実証主義」と「最新の自然科 学」だけが、これらの「形而上学的」概念をとりのぞくとこ〇八年にポグダーノフが再発見したように、物神や偶像の信 仰を生みだす。「物質あるいは知覚されない物体の存在は、 撮ろまでやっとこぎつけたと、主張するアヴェナリウス、ペッ 経オレト、 無神論者と宿命論者のおもな支柱であったばかりでなく、あ マッハ一派をまじめに信じている。 論この同じ道化者 ( そのうちにはポグダーノフもふくまれらゆるさままざまな形態の偶像崇拝は、この同じ原理をより ハークレは一 = ロう。 唯る ) は、読者に、つぎのように断言している。人間の意識どころにしている」 ( 第九四節 ) と。 ここで、われわれは、外界の存在を説く「不条理」な学説 は、その意識のそとに存在する物を「反映」するものである からみちびきだされる「有害」な結論にも到達したのであ かのようにいう唯物論者の永久に論破されている学説のなか
る、マッハとアヴェナリウスの全理論は、哲学的蒙昧主義で ( 「科学的哲学季刊誌」、第一八巻、一八九四年、一四六ページ、注 ) 9 あり、主観的観念論を不条理にまで徹底させたものである。 。ヘッォルトは反駁する。 * ・・フイヒテ「「エネジデムス」の批評」、一七九四年、 「しかし、認識論上の重要問題は、けっして、われわれがそ 全集、第一巻、一九ペ 1 ジ。 のような場所を一般に考えることができるかどうかというこ ・。ヘッォルトは、アヴェナリウスのおちいった立場の不とではなく、それを、どんな個人的思考からも独立して現に 合理なことを知って、赤面した。彼はその著書『純粋経験の存在しているもの、あるいは存在していたものと考えるのが 哲学入門』 ( 第二巻 ) のなかで、一つの節 ( 第六五節 ) 全部を、 正しいかどうかということである」。 「地球の初期時代はかっての現実にあったかどうかという問 正しいことは正しい。人々は、あらゆる地獄、あらゆる森 . 題ーにあてている。 の精を考えたり、「つけくわえて考える」ことができるし、 。ヘッォルトは言う。「アヴェナリウスの学説では、自我 ルナチャールスキーは : : : ひかえ目にいうならば、宗教的概 . (das lch) は、シュッペのばあいと異なった役割をはたして念を「つけくわえて考え」さえしたが、しかし、認識論の課 いる」 ( われわれの哲学は、アヴェナリウス、マッ ( 、シュ題は、まさにこのようにつけくわえて考えだされたものの非 実在性、空想性、反動性をしめすことである。 ッペの三人によって創始されたものである、とペッォルト、、、 率直に何度も言明していることを、注目しよう ) 「しかも、 「なぜなら、系 o 」 ( すなわち脳 ) 「が思考に属しているとい うことは、アヴェナリウスと、ここで擁護されている哲学者 . それはやはり理論にとってきわめて重大な役割をはたしてい る」 ( シュッ。へがアヴェナリウスの仮面をはいで、アヴェナとにとっては、自明のことがらだからである・ : : ・」と。 これは正しくない。 リウスにあっても、実際にやはりすべてのものが自我にのみ 一八七六年のアヴェナリウスの理論 ささえられていると言ったことは、明白にペッォルトに影響は、脳をぬきにした思想の理論であった。一八九一ー一八九 しているし、ペッォルトは訂正したいとおもっている ) 。ペ四年の彼の理論のなかにも、いますぐわかるように、同じよ ツォルトは、つづけて言う。「アヴェナリウスは、かってつうな観念論的たわ言の要素がある。 ぎのように言った。人は、もちろん、人跡未踏の『場所」を 「 : : : しかし、この系 O は、たとえば地球の第一一期 (Sekun ・ 考えることができる。しかし、このような環境を考えるー ( 傍 därzeit) の存在条件」 ( 傍点は。ヘッォルト ) 「であろうか ? 」 9 点はアヴェナリウス ) 「ことができるためには、自我 (Ich-Be ・そしてここでペッォルトは、本来、自然科学はなにを欲する ze 一 chne ( e 。 ) として言いあらわされたものが必要であり、自我」か、われわれはどのようにして観測者をつけくわえて考える ( 傍点はアヴェナリウス ) 「の思想がこの環境なのである」 ことができるか、ということについてのアヴェナリウスの所