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検索対象: 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集
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1. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

最後に、「合法性」による支配があります。これは、法規の に帰依するというのは、取りも直さず、その人物個人が内的 正しさへの信仰と、合理的に作られた規則に基づく事実上の に人間の指導者としての「天職を与えられている」と認めら 「権限」による支配、したがって、法規が命ずる義務に忠実れていることを意味し、人々が彼に服従するのは、風習や法 であろうとする態度による支配であります。これは近代の規のゆえではなく、彼を信じているからである、ということ 「公務員」や、この点で公務員と似ているすべての権力者がを意味します。彼が偏狭で空虚な一時的な成り上りものでな 行なうところの支配であります。ーーもちろん、実際に服従 い以上は、ひたすら自分の間題に生き、「自分の仕事に励む」 の最も強い動機になっているものは、恐怖と希望ーー魔力やでしよう。それでも、彼に従う人々、すなわち、弟子、家 権力を持つものの報復に対する恐怖と、彼岸または此岸にお来、全く個人的な味方などが帰依する対象は彼の人柄であり ける報いへの希望ーーーですし、それと同時に、実にさまざま彼の資質なのであります。指導者はどんな地域にも、また歴 な利害であります。これについては、やがてお話することに史上のどんな時期にも現われましたが、その場合、一方で なるでしよう。けれども、この服従の「正当性ーの根拠を間 は、魔法使いと予言者、他方では、武将、一味の首領、傭兵 題にいたします場合、どうしても、私たちは、この三つの隊長というのが過去における最も重要な形態でありました。 「純粋」な類型にぶつかってしまうのです。そして、この正しかし、私たちにとってもっと関係が深いのは、政治的指導・ 当性の観念とその内的な基礎とは、支配の構造にとって非常者が、先ず初めは自由な「デマゴーグ」、次には議会の「政 党指導者」という姿で現われたという西洋独特の現象であり に重要な意味を持つものなのです。もちろん、純粋な類型な どというものは、現実には殆んどお目にかかることはありま ます。デマゴーグが現われたのはヨーロッパ、それも特に地 せん。しかし、今日のところは、これら純粋な類型の間の変中海文化独特の都市国家においてだけでありましたし、政党 指導者の方もヨーロツ。ハ生えぬきの立憲国でしか育たなかっ 化、移行、結合という恐ろしく面倒な事柄には立ち入るまい たものであります。 治と思います。これは、「一般国家学」の問題の一部ですか 政 ところで、このような政治家たちを支えているものは本米 ら。今、私たちの興味を惹くのは、これらの類型のうちで特 の に第二のもの、すなわち、服従する側の人たちが指導者の純の意味での「天職」でありますが、もちろん、この人たちだ 粋に個人的な「カリスマ , に帰依することによ 0 て成立するけが政治的権力闘争の唯一の決定的な人物であ「たわけでは 職 支配であります。なぜなら、最高の意味における天職というありません。むしろ、最も決定的なのは、どういう種類の補・ 考えかたはここに根ざしているのですから。予言者、戦争指助手段を政治家が自由に出来るかということです。政治的支 導者、教会や議会の非常に偉大なデマゴ 1 グなどのカリスマ配権力はどうやってその支配を主張し始めるのでしようか。

2. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

るのだが、議会人が、今日のドイツの議会でいまだにみられ組織の人事内容を一瞥して直ちに認められることは、上司、 とくに昇進の早かった新任の上司が、その職名に「値する」 3 るような不十分な仕方で仕事場や物的情報手段や事務員をも という内的承認を部下から受ける場合は、通例どころかむし つだけの場合には、「弁護士支配」は有効な補助力となるも のである。けれども、議会経営のこうした技術的側面につい ろ例外だ、という事実である。任命についての配慮、任命者を てはここで論じないことにして、次のように問うことにしょ左右した動機、さらに特別幸運をつかんだ被任命者がその地 う。民主化の圧力のもとで、また、職業的政治家と党官僚お位につくために使用した手段、などにかんする極めて大きい よび利害関係者団体の官僚のもつ意義の増大という圧力のも疑念が、 ( 些細な風評は論外としても ) この人事の只中にいる 真剣な大多数の人びとの頭から離れるものではない。大抵は とで、党内の指導者層はいかなる方向に発展していくのか。 無言のかかる批判が、なにごとも知らぬ世間の明るみを避け また、この発展は議会のあり方にいかなる反作用を及ぼすの て行なわれているだけである。誰しも思い当る無数の経験に 、刀 よれば、昇進を最も確実に保証するものは、物置に対する従順 わが国の文筆家たちの通俗の見解は、「民主化」の影響の 問題を簡単に片付けている。すなわち、デマゴーグが擡頭すさの程度、つまり上司に対する部下の「順応性」の度合なので るのだ、そして成功するデマゴーグというのは、大衆獲得のある。概していえば、〔この場合〕選択というものは天成の指 手段について全然ためらいのない男だ、というのである。生導者の選択では全然ないのである。大学の人事についても、 活の現実を理想化してみても、意味のない自己欺瞞となるだ消息通は、非常に多くの場合これと同じ疑念をも ( ている。 けだろう。デマゴーグの意義の増大にかんするこの議論は、 もっともこの場合には , ーー・官僚については一般にみられない ことだがーー提出された業績に対する世間の監督がこの人事 こうした悪い意味においても、しばしば現実にあてはまって に影響する、ということもあるにはある。これにひきかえ、 いるし、正しい意味においても、実際に現実をいいあててい 公権力に到達する政治家ことに政党指導者は、紙上で政敵 る。「陛下のまわりにはまもなく悪党だけが残るでしよう」、 一一、三十年前にある有名な将軍が一独裁君主に向かって述べと競争者の批判を浴びることによって白日の下に曝されるの たこの意見は、君主制の作用をいいあてたものだったが、先であり、彼は、おのれに対する闘争の中で、自分の擡頭の前 の議論も、これとほぼ同じ程度に、民主制についていえるの提となった動機や手段が容赦なく暴露されることを覚悟して である。民主的な選択を冷静に考察しようとすれば、それ以おかねばならぬ。それ故、冷静に観察してみれば、政党デマ 外の人的組織とこの組織の行なう選択制度との比較がつねに ゴギー内部における選択がー・ー。長い眼でまた大局をみるとき 迫られてくるだろう。さて、最良の将校団まで含めた官僚制 官僚制の閉ざされた扉の奥で行なわれる選択に比して、 、 0

3. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

ろう。ここにえらばれた例も、またわれわれが試みた概括的概念をもちいることは、つねに、思考や意欲がは「きりしな いことをかくすための口実であり、容易ならぬごまかしの道 な分析も、なおやはり、大ざっぱで単純である。専門家以外 具となることがしばしばであって、それは正しい問題提起の のひとは、たとえば「労働者階級の利益」という概念のおな じようなーーまたより原理的なーー分析を、まあや「てごら発展をさまたげる、一つのやりかたである。 この論文は、科学と信念とを区別する、しばしば微妙な境 んになるとよい。そうすれば、労働者の利益や理想といって も、またわれわれが労働者を考察するときにいだいている理界線をあきらかにし、社会経済的な研究の意味を認識しても 想とい 0 ても、どんなに矛盾だらけの混乱がそこにかくれてらおうという目的だけを追求するものであるが、いまやわれ いるかが、わか 0 ていただけるであろう。利害のあらそいとわれはその結論に到達した。およそ経験的な知識の客観的な 妥当性がもとづく根拠というのは、あたえられた現実が、特 いうあいことばをば、まったく経験的な立場から強調するこ とによ 0 て、克服しようとしても、それはできない相談であ殊な意味で主観的である範疇にしたが 0 て秩序だてられると 、つこと、 いいかえるならば、われわれの認識の前提をあら る。すなわち、さまざまなありうる観点を明瞭にするどく概 念的に確定することが、このばあいには、文言の不明瞭さをわしており、かっ経験的な知識のみがわれわれにあたえうる 脱するための、ただ一つの方法なのである。「自由貿易論」真理の価値をば前提することにむすびついている範疇によ 0 を世界観ないし妥当な規範として主張するならば、それは笑て秩序だてられるということなのであるし、またそれだけで ある。経験的な知識に特有なこの真理を価値が多いと考えな 止の沙汰であるけれども、わが国の貿易政策上の議論にたい いひと・ー、ーそして科学的な真理の価値にたいする信念は一定 して、「自由貿易論」は次のような重大な損害をあたえてき ことわ 0 ておくが、個人がどのような貿易政策上の理の文化の産物であ「て、おのすとあたえられるものではな そういうひとにたいしては、われわれは、われわれ その損害 想を主張しようと、それはまったく関係がない というのは、われわれドイツ人が、自由貿易論という理念型の科学の手段をも「てしては、提供すべきなにものももたな 論 い。たしかにそういうひとは、科学のみがはたしうるところ 的な公式においてしたためられた、地上最大の商人の古来の 学処生術のもっ索出的な価値を過小評価した、ということであのもの、すなわち、経験的な現実ではなくまた経験的な現実 を模写するのでもなく、思考によって現実を妥当なしかたで 会る。個々のばあいに考察される観点がそれそれの特性におい 社 てほんとうには「きりするのは、理念型的な概念の公式をも秩序だてることをゆるすような概念や判断をもとめようとは せす、それらにかわるような一つの別の真理を、もとめてい ちいて経験的な内容を理念型とっきあわせる、というしかた によ「てのみである。日常用語でもちいられる不明瞭な集団るのであろうが、かれは成功することはないであろう。われ

4. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

8 カ 頁 ) この種の説明は非常に多く使われている。したがって選びの私はいかにしてこの選びを確信できるであろうか ? 教説によ「て解放された聖徒の行動意欲は、も「ばら現世の合理ルヴァン自身にとって、これは間題にならなかった。かれは 化のために努力することになるのである。とりわけ、あらゆる人 自分を「 ( 神の ) 武器」であると感じ、かれ自身の救いの確 びとの「個人的」または「私的ーな幸福よりも「公的な」利益、 実さを固く信じていた。したがってかれにとっては、各個人 ないしはバクスターが後世の自由主義的な合理主義とまったく同 が自分自身の選ばれていることの確かさを、いかにして知り 義語でもちいているような ( 「キリスト教指南」第四巻、二六二 うるかという疑問については、根本的には、次の解答による 頁、またそれよりいくぶん強い意味でもちいられているのは「ロ ほかにはなかった。すなわち、われわれは神が決定したとい マ書秀句集」参照 ) 「多数者の幸福」を個人の「個人的な」、ある う知識と、真実の信仰より生じたキリストへの信頼とをもっ いは「私的な」幸福よりも重要視する思想は この思想自体は ビューリタン主義では被造物の 決して新しいものではないが て満足すべきである、という答えである。かれは、人間の行 神格化の否定から由来するものであった。アメリカで伝統的に個 為によって、かれらが選ばれているか、あるいは呪われてい 人的な労働奉仕を嫌慙するのは「民主的な」感情にもとづく他の るかを、判別することができるという意見については、神の 多くの要素とならんで少なくとも ( 間接的には ) この伝統と関連 秘儀を犯す不遶な試みとして原理的に排斥したのである。現 があると思う。同じことは、ビューリタンであった国民が専制政 世の生活では、神に選ばれた者も外面的には呪われた者とい 治にたいして相対的には大きな自主性をもっていることについて ささかもちがうところはないのであり、「終りにいたるま もいえるのである。また一般に、偉大な政治家にたいするイギリ ス人の態度をみると、内心から自発的に偉人に「従う」傾向が強で」耐え忍ぶ真実な信仰をのぞけば、神に選ばれた者の主観 的な経験ですらーー「聖霊の戯れ」としてーー呪われた者に い反面、そのヒステリックな偶像化や、人間は誰にでも喜んで政 治的に服従するものだという単純な考えを拒否しているが、このとってもありうるのである。かくして、神に選ばれた者は、 点についても同じことかいえると思う。 神の見えざる教会を構成するのであり、かついつまでもそう なのである。この態度が、かれの後継者たちーーー早くもべー われわれにとって、決定的に重要な当面の問題は、現世の ザに・も、とりわけ多数の平信徒にとっても継承できなかった 生活におけるいっさいの利害よりも、はるかに来世が重要視のは、まったく当然のことである。かれらにとっては、恩恵 され、確実なものと考えられた時代に、いかにしてこの教義をのもとにあることを認識しうるとの意味における ( 救いの確 人びとが堅持してきたか、ということである。すべての教徒かさ ) が、とりわけ重要なこととみなされるようになったの であり、かくて、予定説が信奉されたところでは、どこにお の胸に生じた一つの疑問は、他のいっさいの利害を忘れさせ いても、「神に選ばれた者 [ の一員であることを知る確実な たにちがいない。すなわち、「私は選ばれているだろうか ?

5. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

必要な生活要素であります。けれども、政党の機構はさまざにしているのであります。 こういう普通の意味の政党にしても、最初は、例えば、イ まであります。例えば、教皇派や皇帝派のような中世都市の 「政党」は、純粋に個人の部下でありました。教皇党規約をギリスの場合のように、完全に貴族の部下でありました。或 見て、貴族ーーーもとは、騎士として生活し、したがって条邑る貴族が何かの理由で政党を変えるたびに、彼の下にいるも を受ける資格のある家柄の意味でしたがーーの財産没収、官のはみな同じく反対党に移ったものです。国王を初めとして 職や選挙権の剥奪、超地方的な党委員会、厳格な軍隊組織と大貴族は、選挙法改正までは、多くの選挙区に対して官職任 命の権利を持っていました。こういう貴族政党に近いのが名 密告者への賞金などを知りますと、私たちは、ポリシエヴィ ズムのソヴィエト制度、厳選された軍隊組織とーー特にロシ士政党で、これは、市民階級の権力が上昇するにつれて各地 に発達して来たものです。西洋の典型的なインテリ層の精神 アではーー秘密警察組織、「ブルジョア」 ーー企業家、商人、 利子生活者、聖職者、王室の子孫、警官ーーから武官を奪的指導を受けていた教養と財産のある人たちは、階級的利害 、政治的権利を剥奪し、財産を没収したことを思い出すで により、家の伝統により、純粋にイデオロギー上の理由によ 1 〉よ一つ一 0 一方、中世の政党の軍隊組織は名簿に基づいて編成って、いろいろな政党に分裂してゆき、これを指導するよう された純粋の騎士軍で、その指導的地位は殆んどすべて貴族になりました。聖職者、教師、大学教授、弁護士、医者、薬剤 が占めていましたが、これに対して、ソヴィエトの方は高給師、富農、製造業者ーー・イギリスでジェントルマンに数えら 企業家、出来高賃金制、テイラー : ゾステム、軍隊や工場のれる全部の人たちーーは、最初、多くは地方的な政治クラ・フ 程度の一時的な団体を組織いたしました。変動期には小市民 規律などをそのまま保持し、いや、むしろ、改めて採用し、 階級が名乗りを上げ、また、時に指導者が出現するーーとい 外国資本を物色し、というわけで、要するに、自分たちがま っても、普通はその仲間からではありませんがーーー場合には さに・フルジョア的制度として打倒したものをまた残らず取り 入れて、とにもかくにも、国家と経済とを動かさねばなりま。フロレタリアさえ名乗りを上げたものであります。この段階 では、まだ超地方的な組織を持っ政党が永久的団体として広 せんでしたし、その上、ソヴィエトは帝政時代の秘密警察官 く国内に存在するにはいたっておりません。結東しているの を再び国家権力の主要機関として活動させたのですから、こ は議員だけで、候補者の推薦は地方名士が決めます。綱領の ういう点を見ますと、この類似はますます明瞭になってまい 一部は選挙演説から生まれることもあり、名士の集会や議会 ります。けれども、今、私たちは、このような暴力組織を問 題にしているのではなく、政党の地道で「平和的」な選挙運政党の決議によって生まれることもあります。クラブの指導 動を通じて投票市場で権力を握ろうとする職業政治家を間題は臨時の仕事なので、副業として、また名誉職として行なわ

6. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

義的性格と大衆デマゴギーも、また政党の官僚制化とステロ か考えない。」あらゆる経験が教えているように、大衆はっ 3 化も、とにかくそれ自体としては、指導者の擡頭を頑強に阻ねに、目前の純粋に情緒的かっ非合理的な影響力に身を曝し 止するものではないのである。国家権力の中で真に自己を主ているからである。 ( 因みに、大衆はこの点でまったく同様 張しようとするほどの緊密に組織された政党ならば、指導者のふるまいをする近代の「独裁的 , 君主制と共通点をもって 的人物である限り、大衆の信任を受けた人物には服従しなけ いる。 ) 冷静明快な頭脳ーー民主主義的政治まで含んだあら ればならない。 これに対して、フランス議会の緩やかに組織ゆる政治の成功は結局頭脳でかちえられるーーが責任ある決 された追随者層が純然たる議会的陰謀のまさしく本来の発祥定を下すさいには、審議に参加する人数が少なければ少 地であることは、周知のとおりである。大衆のケーザル主義ないほど、Ü審議参加者各人と彼らに指導されるものにと 的信任者が国家活動の確固たる法の形式を踏みはすさないこ って、おのおのの責任が一義的に明確であればあるほど、そ と、また、彼が純粋に情緒的な動機によって、つまりもつばれだけ一層頭脳の働きはさえてくるものである。例えば、ア ら悪い意味での「デマゴーグ」的な素質に基づいて選出されメリカの上院が下院に優越している所以は、決定的に、より ないこと、このことをかなりよく保障しているものはなにか少数の上院議員の発揮する機能にあるし、イギリス議会の挙 というと、諸政党のしつかりした組織、さらにとりわけ、議げた政治的成果のうち最良のものは、一義的な責任が生み出 会の委員会活動に習慣的に規則正しく参加して自己を訓練したものである。一義的な責任が薄れるとき、政党支配の成 し、ここで自己の力を示すという大衆指導者に課せられた強果もその他のあらゆる成果も薄れてくる。そして、しつかり 制力、がこれである。指導者選択の今日のごとき条件のもと と組織された政治的利害関係者グループによる政党経営が、 においてこそ、強力な議会と責任ある議会政党、いいかえれ国家政治的にみて合目的的であるというのも、これと同じ理 ば国政担当者たるべき大衆指導者の選択と実力証明の場とし由に基づいている。その反面、国家政治的にみてまったく非 ての、議会と政党の機能は、安定した政治の根本要件なので 合理なのが、組織されていない「大衆」すなわち街頭の民主 ある。 主義である。このものは、無力なまたは政治的に信用を失っ なぜなら、大衆民主主義のもつ国家政治的な危険は、なに た議会をもっ諸国において、しかもとくに合理的に組織され はさて措いてもまず、政治において情緒的要素が強大な力を た政党のないところで、最も強力なものになる。わが国には もつにいたる、という可能性の中に存するからである。「大口マン民族の喫茶店文化はなく、国民の気質はかなり落着い 衆ーそれ自身は、 ( 個々の場合にどんな社会的階層から構成ているけれども、この点を伏せてみると、労働組合やそれか されているかに係わりなく ) 「せいぜい明後日までのことし らまた社会民主党のような組織は、純粋に人民決議的な諸民

7. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

へトリープ に適した候補者になることは、彼らが経営に忙殺されるとい 党にあっては、あの危険は他の諸政党と比べてみると最小だ、 う理由からだけでも、絶対に不可能である。〔とはいえ〕社会といえるだろう。なぜなら、社会民主党の場合ですら、この 民主党の場合だけは、党官僚が比較的広い範囲にわたって候政党が政党受禄者層の政党と化して動きがとれなくなるとい 補者になっている。これに反して、殆んどのブルジョア政党う事態は稀ではないにしても、闘争の激しさが、比較的強力 においては、職務に拘東された政党書記がいつも最適任の候にこのような政党の硬化を阻むからである。にもかかわら 補者だとはいえないのである。議会内における党官僚というず、社会民主党の場合ですら、本来の指導者のごく一部が党 この要素が〔選挙民の〕代弁者となることはすこぶる望ましく 官僚であったにすぎないのである。 また有益であるとはいえ、議会においてもし党官僚層だけが 政治的経営に対する現今の要求の性質から当然に生するこ 優勢を占めることにでもなれば、それが及ぼす作用は好まし とだが、民主化されだ議会と政党である限り、議会人の補充 いとはいえないだろう。しかし、このような党官僚層の優勢にかんしては、一つの職業がかえってとくに大きな役割を果 は、最高度に官僚制化された政党たる社会民主党の内部でも している。弁護士がこれである。その理由は、弁護士が法律 続かないのである。さらに、真の指導的人物にとって不都合知識の点で遶色がないということ、またもっと重要なのは、 な「官僚精神ーの支配という危険が党官僚層によ 0 て呼び出弁護士という職業が官庁お抱えの法律家とは対照的に、闘争 される可能性は、相対的に甚だ少ない、と思われる。むしろ、 の訓練を経ているということであるが、それと並んでなお、 選挙運動にさいして、やむなく近代的な利害関係者の組織を 一つの純物質的な契機が決定的な理由となっている。それ 顧慮せねばならぬ事情の方が、はるかにこうした危険を意味は、弁護士が、今日の職業的政治家に絶対必要である事務所 府しているのである。つまりこれらの組織の職員が政党の候補を自分で所有している、ということである。かくて規則的な 者名簿に侵入してくることであって、もしも比例代表選挙法政治活動の要請が高まってくるとき、弁護士以外のあらゆる 議が名簿式普通選挙の形で実施されるならば、この名簿への侵自由な企業家は、自分の経営の仕事があるためにこの要請に ッ入の割合は決定的にふえてくることだろう。そういう職人ば対してとりわけて「ゆとりがなく」、職業的政治家となる これにひきかえ ドかりで構成された議会は、政治の実を挙げることができない ためには自分の職業を放棄せざるをえない。 くらがえ 秩だろう。もっとも、政党とか労働組合とかの組織の職員の精弁護士の方は、自分の職業から職業政治家的活動へ鞍替する 新 神は、公明正大に闘争することによって訓練される結果、書ことは、技術的にみても内面的条件よりみても、他の職業に 類室で平々凡々と働いている国家の職員の精神とはまるで違比してとくに容易である。議会主義的民主制の「弁護士支 ったものである。それ故、まさしく急進政党とくに社会民主配」ということは、概して十把ひとからげ式に非難されてい

8. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

る。それはドイツのデュリンガーが書いた「リゴーリ伯』の なかで、いたるところで深刻な感銘をうける、死と死後の世 界についての深い恐怖感とまったく同じものであやーー教皇 と破門とにたいする闘争において、「自分の霊魂の救いのた めの憂慮よりも、故郷の町にたいする愛着を重大と考えた」 フィレンツェ市民の栄誉についてマキアヴェリが述べてい る、あの自信にみちた現世主義の精神などとは、およそ別の 世界のことであり、またワグナーが死と戦っているジーグム ンドにいわせているーー「ヴォータンによろしくとったえて くれ、ヴァルハルによろしくといってくれ : : : だが、ヴァル ハルのはかない喜びだけは、どうかわたしに告げないでくれ いっそうかけはなれている。し よ」ということばなどとも、 ニャンとリゴーリ白と かし、この不安のあたえる作用は、・ハ では、とくにちがっている。同じ不安が後者では、考えられ うるかぎりでの自己卑下の動機となっているのに反して、前 者では、それは人生にたいする倦むことをしらぬ組織的な闘 争を喚起するための刺激になっているのである。この相違 は、はたしてどこから生じてきたのであろうか ? 原注三六「 ( 神との ) 深き交わりは、教会や制度、組織のなかに あるのではなく、孤独な心の奥底にある」というドウデンの好著 「ビ = ーリタンとアングリカン」 ( 一一三四頁 ) は、この重要な点を 説明している。この個々の人びとの深奥な内面的な孤立化は、同 じく予定説を支持したヤンセン派の人びとでもまったく同じであ 原注三七「個人主義」という表現は、考えられるかぎりの多様 な意味をもっている。ここでもちいるその意味については、以下 っ′」 0 の叙述で明らかになると思う。 ( このことばを別の意味にもち、 て ) ルター主義が禁欲的な生活規制をしなかった点で、それを 「個人主義的とみなす人びとがいる。また、たとえばディート リッヒ・シェ 1 ファ 1 は著書「ウォルムス和約の考察」 ( 一九 O 五年 ) において、このことばをまったく別の意味にもちいて、中 世では、歴史家にとり重要な事件において ( こんにちと異なり ) 非合理的要因が大きな意味をもっという点で、この時代を「強烈 な個性」の時代と呼んでいる。シ = ーファーは誤ってはいない。 たが、かれに反される人びともまた誤っているとはいえない。 「個性ーとか「個人主義」とかいう場合、両者はまったく別のこ とをさしているからである。研究衝動に駆られた歴史家がある歴 史時期を概念づけようとの目的で、その表題様式としての概念を 「内容規定しよう」とする場合に、その概念の対立が生ずるのは 当然なことである。 原注三八べィリー著「敬虔にもとづく行為」 ( 一八七頁 ) ま た、シ = ペーナーも著書「神学的思索」 ( ここでは第三版を引用 ) で同様な立場に立っている。すなわち、かれによれば、友人の 告が神の栄光のためになされることはまれで、多くは ( 利己的と は限らないが ) 血肉の情に発するものとされる。またトマス・ア ダムズの思想によれば、「かれーー知恵ある人ーー・は人の利害に . 肓目ではないが、自分自身の利害についてもっともよく眼がきい ている。かれは自分自身のことにだけたずさわり、火の中に無用 ・ : かれはこの ( 現世の ) 虚偽を知 に手を入れようとはしない。・ っているので、自分自身しか信用せず、他人が失敗してもなんら 被害をこうむらない程度でしか他人を信用しない。」 ( 「。ヒーリ べィリーはなお ( 前掲書一七 タン神学者著作集」五一頁 ) 。 六頁 ) 、毎朝ひとなかに出かける前には、自分が危険にみちた蜜 林にはいるように考えて、「深慮と正義のマントを授かるよう

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「内閣」 的政治家 [ も発達し始めました。言うまでもなく、君主に対的な最高官庁のほかに全く個人的な腹心の人々 を身辺に置き、これを通して枢密院・・ーー名称はとにかく して実際に発言力のあるこうした助言者は、昔から世界中に として、最高の官庁ーーの決議に決定を下すことによって、 あったものです。オリエントでは、サルタンを統治の結果に 対する個人的責任から出来るだけ庇う必要から、「宰相ーと官吏たちの専門的教養の否応なしに増大してゆく圧力から逃 いう独特な人物が作り出されました。西洋では、カール五世れようとし、そして、最高の指導権を自分の手に掴んでおこ の時代ーーマキアヴェリの時代ーーにヴェネチア公使館報告うとしたのです。こういう専門の官吏と独裁との見えざる闘 が外交の専門家の間で熱心に読まれましたが、これの影響を争はいたるところで行なわれたものです。議会というものに 強く受けて、外交術が初めて意識的に研究される技術になっ直面し、議会の政党指導者の権力への野心というものに直面 たのであります。外交術に通じた人たちの大部分は人文主義するにいたって、状況はようやく一変いたしました。非常に 的な教養を身につけており、辛亥革命以前のシナの人文主義異なった条件が働いていましたのに、そこから生まれた結果 的政治家たちと同じように、お互いにその道に通じた仲間と は外面的には同じものでありました。もちろん、多少の相違 して交際しておりました。内政を含む政治全体が一人の指導はありました。王朝が実権を握っていた場合はいつも・ーー・特 にドイツのようにーー・君主の利害と官吏の利害とは堅く結び 的政治家によって形式上統一的に指揮されねばならないとい う必要は、立憲政治が発達するに及んでのつびきならぬ決定つき、議会やその権力要求に対抗しておりました。官吏は、大 的なものになりました。もちろん、その以前にも、君主の助臣のポストのような指導的な地位さえ自分たちの仲間で 言者、というよりはーー・・事実上ーー君主の指導者として、こ官吏の昇進の目標としてーー占めようと考えておりました。 また、君主は君主で、自分に忠実な官吏のなかから、自分の ういう人物はいつの世にもいたものであります。けれども、 官庁組織が初めに辿った道は、最も進んだ国の場合でも、こ裁量で大臣を任命出来ることを考えておりました。ところ 治れとは違「たものでした。合議制の最高行政官庁は成立してで、官吏と君主とがともに希望していたのは、議会に対して は政治的指導権が断然一体となって対抗するということであ のおりました。この行政官庁は、理論から申しましても、また て し 次第に衰えてはゆきましたがーー実際から申しましてり、したがって、合議制を廃して、中心的な内閣首班を置く ということでした。その上、純粋形式的に政党との闘争や政 も、決定を下す君主自身の司会のもとで会議を開いておりま 職 した。日一日とアマチ = アの立場に陥っていた君主は、合議党の攻撃を避けるためにも、君主は、自分を掩護して責任を 制を利用して意見や反対意見を述べさせ、多数派や少数派に負ってくれる人物、つまり、議会に対して答弁したり、反対 理由を付した投票を行なわせることにより、また、更に、公をしたり、政党と取引するような人物を求めていました。こ

10. 世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集

374 政党指導者と比較すればーー公衆に対して極度に無責任で表である。その内部構造に地域的・社会的・宗派的等々の激し 面に出てこない連中の手に、委ねているからである。彼らは い対立を蔵する一切の大衆国家において、大半の法律はこの 専門教育を受けていない選挙人に対して、候補者の推薦をし妥協に基づかざるをえない。所得および財産の累進的な没収 ているわけである。これは、技術的な専門的資格を要求されや「国有化」などは別として、その他の税法が、階級対立の ている行政官吏について、実に不適当な任命方法といえよ激しい大衆国家において、どうすれば国民選挙によってとも う。裁判官の職務まで含な最も近代的な行政の要求のために かく承認されることになるのか、これは見究めのつかぬ問題 は、〔国民選挙による官吏よりも〕選出された国家主席に任命さである。さて、こうした結果ですら、社会主義者にとって れた専門教育ある官吏の方が、アメリカでは技術の点でも廉はあるいは驚くべき結果にみえないかもしれない。ただ、国 潔さの点でも、はるかにすぐれた働きを示している。専門的民投票の制約下にある国家機関が、名目上はしばしば非常に 官吏の選択と政治的指導者の選択とは、まさに異質のものな高額で一部は没収可能な財産税を効果的に実施した、という のである。 この経過とは逆に、権力をもたないが故にあような例はーー実にアメリカでも、また、古い伝統によって れほど腐敗したアメリカ各州議会に対する不信感がつのった実質的思考力をもち、政治的訓練を経た住民をもっスイス諸 結果、国民による直接の立法を拡大していく方向がでてきて 州の極めて有利な条件のもとにおいてすらーーー皆無だという までの話である。それから次に、国民投票的原則は、政党指 国民投票には、選挙手段としても立法手段としても、技術導者の固有の重みと官吏の責任を低下させる。指導的な官吏 的特性から生する内的な限界がある。投票の回答は、「賛成」 の提案を拒絶する国民投票によってこの官吏を否認しても、 か「反対」かのいずれかに限られている。大衆国家の中で、 その結果は、議会制の国家における不信任投票の場合と違っ 議会の最重要の機能である予算の確定を国民投票にまかせて て、それら官吏の退陣ではない。 いや、この結果は決し いるところは、どこにもない。また、相反する利害の調停に てえられないのである。なぜなら、この否認投票は否認の理・ 根拠をもつようなあらゆる法律の成立を国民投票に問うこと由を悟らしめるものではないし、否認投票を行なう大衆は、 は、大衆国家においては、きわめて重大な障害に出遭うこと 政府に反対投票を行なう議会多数派のように、否認成立の後 だろう。なぜなら、存在する利害の対立を討議によって調停は自分らの側から責任ある指導者を出して、否認した官吏と する手段がない場合に、鋭く対立したいくつかの論拠から出交替させる義務を負っていないからである。 てくるものは、ただ「反対 [ の声でしかないからである。国 その上、国家的官僚制独自の経済行政がふえてくればくる 民投票によってえられないものは、まさしく妥協ということ ほど、全能の官吏から公的に説明と回答を求めて彼らを答弁