438 社会学の体系化にとっては、きわめて重要な実質的意味をも るのである。換言すればウェ ー・ハーは、近代資本主義の性情 っ記念碑である。ウェー ーの社会学にはふたつの特徴があを解明することを手がかりとして、ヨーロツ。 ( 文明とヨーロ った。ひとつは、かれの社会学が、独自の歴史意識によって ッパ的人間の存在構造をあきらかにしようとしているのであ うみだされたということである。換言すれば、かれの社会学 り、この問題の解明なしには ( ウェー ーをふくめて ) ヨー は、かれが歴史を比較史的に研究しはじめたときに成立した ロツ。 ( 的人間の生きかたを自覚的に決定することはできない 学問の新しい一分野であるということである。したがってウ と考えているのである。まことにさしせまった痛烈な問題音 工 ーの社会学は、たんなる歴史学でもなければ、またた 識であるといわねばならない。『プロテスタンティズムの倫 んなる社会学でもない。方法論的には、いわば比較史的社会理と資本主義の《精神》』は、このようなウ = ー ーの問題 学と名づけねばならぬ新しい分野を、学問の世界にひらいた意識をその深部にひめている。そしてこのことが、この論文 ものである。もうひとつの特徴は、ウェー ーの学問研究が から精彩ある異常な迫力を感じさせるのだと思う。 ひとつの焦点を一貫して追求したということであり、その焦 この論文のなかでウェ ーくーは、プロテスタント教徒、と 点とは「近代資本主義とはなにか ? ーという問題に集約され りわけカルヴァン主義者の組織的生活態度や、自分を神の道 る。ひろく知られているように、かれの研究領域は近代ヨー 具であると考え、神の栄光を地上にあらわすことをつうじて ロツ。 ( はもとより、古代ヨーロツ。 ( 、古代ユダヤ、中国、イ永遠の救済を確証しようとする世俗内的禁欲の生活態度が、 ンドにまでおよび、またその研究分野も経済はもとより、法労働を合理的に規律化して営利を無限に追求してやまぬ資本 律、政治、思想、芸術、宗教など、およそ人間生活の全領域主義の「精神」との類縁関係をあきらかにし、それによ 0 て にまでおよんだのであるが、これらの多種多様な研究はひと発生当初の資本主義をそのエー トスの側面から究明しようと つの研究焦点を一貫しても 0 ていた。それは「なぜ近代資本している。しかしウ = ーくーは、。フロテスタンティズムが資 主義は近代ヨーロッパにだけ成立したのか ? 」という疑問を本主義の母胎であったなどと主張しているのではない。かれ とくことに集約されている。 は、プロテスタンティズムが、魔術的なものをうちゃぶるこ したがってウェ ー・ハーは、近代資本主義をたんに経済の問 とによって合理化のみちをきりひらいた点を重要視し、もし 題 ( 生産・流通・。分配・消費の過程 ) としてとりあっかって。フロテスタンティズムのエートスがなかったならば、近代資 いるのではない。 このような狭義の意味での経済を問題にし本主義の性格とその歴史とが、こんにち存在しているものと ながら、それと同時に近代資本主義を人間生活のあらゆる分は木質的な点でちがったものとなったであろうと推定し、そ、 野と関連をもつ人間Ⅱ存在の問題としてとらえようとしてい れによって、近代資本主義の精神とプロテスタンティズムの
437 解題 。フロテスタンティズムの倫理と ともに、新カント派とくに西南ドイツ学派の認識論の立場に 立っての、社会科学のあたらしい認識論が、その基本的なす 資本主義の「精神 , がたで、展開されていることに、気がつくであろう。ウェ MAX 舅「 EBER 【 Die protestantische Eth ik ・ハーはその認識論の立場から、メンガーの経済理論に独自の und der 》 Geist< des Kapitalismus. 1904 ー 05. 意味づけをあたえて、それを承認するとともに、経済史や経 済政策についての認識をば、歴史学派の素朴さから解放し 阿部行蔵 て、同じく独自の意味をあたえたのである。 マックス・ウェ ーの学問研究には、ふたつの時期があ この独自の方法論的な意味というのが、「理念型」 ldeal ・ ったといわれている (Marianne 舅「 e ま r, ン、、 6 ~ ) typus と「没評価性」 Wertfreiheit の二つの概念で表示さ 、 der So 笠 0Z0 ミ S. 141 円 ) 。第一の時期は、かれが れるのである。この論文においては、このうち、前者につい ての叙述の方が多いのだけれども、後者についてもまた必要『中世商事会社史論』 (Zur G 、 e 、 H を ) g ミ一 ! な説明が加えられているから、二つの概念の意義をあわせて f 、き ~ ミンき、ミミミ•) を執筆した一八八九年から、そ・ 理解することができよう。ただひと言で、これらの概念を理のご約一〇年、神経疾患にかか 0 て病床についた一八九八年 ごろまでであり、第二期は数カ年にわたる病床生活をへたの 解するための急所をおさえてみようなら、それは、新カント ・ ( ーが、認識と実践との密接な関係をちふたたび研究活動に復帰し、一九〇四ー五年に発表された 派の立場に立っウェー わきまえつつも、認識をば実践から引きはなさなくては、そ『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神こ ( の本質はとらえられぬと考えた分析論理と、および認識の秩、 ro 、ご、 4 ミ c 、 e に der 》 G 代ミ《 des Ka. を、ミミま , - 序と事実そのものとのあいだの距離は結局なくならないと考】 904 ー 05. ) をもって決定的な第一歩をふみだし、一九〇九年・ えた観念論とである、といえよう。この認識論にたいする批以降の社会学の体系化をめざす精力的な学究活動を展開した のち一九二〇年に急逝するまでをいうのである。ここに訳出 - 判もまた当然に、そこから開けるであろう。 された、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神こ この翻訳は『科学論文集』 Ge ききミメ fs ミき、 ーの学究生活の第一一期の門出をかざる記念碑で は、ウェ W 、 s き s e 、》 1922 をテキストに用いた。「世界思想 ーの思想」に収められた訳文にある。 教養全集、十八巻、ウェー しかも、この記念すべき論文は、かれの研究活動の時代区 . 多少手を加えて、日本語らしい訳文になるようにしておい 分をしめす形式的な意味をもつだけではない。
るとともに、その教義に部分的な変更が加えられたのであ る。その後も敬虔主義は、ルター派教会内の一連動という位 置にとどまってきたが、ただ、ツインツェンドルフにひきい られて、フス派とカルヴァン派とに影響されていたモラヴィ アの兄弟団に合流した一部の人びと ( ヘルンフート兄弟団 ) だけは、メソディスト派と同じくみすからの意志に反し、独 一世俗内的禁欲の宗教的基礎 自の方法によって一教派を組織したのである。カルヴァン主 義とアナ・パ。フティスト派とは、その成立した初期には、そ 歴史上の禁欲的。フロテスタンティズム ( ここで用いた意味れぞれ明瞭に区別することができた。しかし十七世紀の後半 カルヴァン主義の・ ( 。フティスト派になると、両者は密接に結びついてしまっ で ) の担い手には、四つのものがある。 がその西ヨーロッパの主要な伝播地域において、とくに十七たのであり、十七世紀初葉のイギリスとオランダの独立派と では、両者のちがいはそれほど激しいものではなかわた。敬 世紀にとった形態。②敬虔主義。③メソディスト派。④ 虔主義と同じように、ルター主義とのちがいが必すしも明瞭 アナ・・ハ。フティスト派の運動から発生した諸教派、である。 ではなく、また、その外形上の特徴についても、信徒の純粋 これらの運動は、たがいになんらの関連をもたずに存在して な精神についても、カソリシズムときわめてよく似ているイ いたのではなく、また非禁欲的な改革派教会からの区別さ え、明確なものではなかった。十八世紀の半頃、イギリス国ギリス国教会派とカルヴァン主義との関係にも、同様のもの 倫教会のなかにはじめて形成されたメソディスト派は、その建があ「た。あいまいな表現ではあるが、広義の意味で「・ヒ = の ーリタニズムーとよばれたあの禁欲的な運動では、そのすべ 設者たちの意図するところによれば、新しい形式の教会をう ム ズ ちたてようとしたのではなく、従来の古い教会のなかに禁欲ての教徒、そのなかでもとくに熱烈な擁護者たちが、イギリ ス国教会の根本思想を攻撃したのはまぎれもない事実である 冖的精神を喚起しようとしたにすぎなかったのであるが、その ス発展の過程において、とくにアメリカに布教が拡大するにおが、この場合でも両者の対立は闘争の過程を通じてしだいに よんで、初めてイギリス国教会から分離したのである。敬虔激化していったのである。しかもこんにちのわれわれにとっ 主義は、イギリス、とくにオランダのカルヴァン主義を源流て、あまり重要な意味をもたぬ機構や制度を度外視するにし 9 とし、はじめは正統派と密接な関連をもっていたが、十七世てもーーというより度外視すればするほどーー事態は同じこ 紀の末期にシュペーネルの領導のもとにルター主義と合流すとである。教義のちがい、とくに予定説や義認論にみられる 第二章禁欲的プロテスタンティズムの 職業倫理
プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の「精神」 阿部行蔵訳
130 性格をもっ対立関係をとっていた。この二つの場合の支配者 さて、ここで観点をかえて、具体的な問題をとりあげてみ の立場にあった宗派とは、フランスの場合はカソリック派で よう。キリスト教信仰での、もっとも内省的な立場を代表す あったが、その教徒のうちの下層の人びとは世俗的な悦楽をる人たちが、商人階層から非常に多くでているという事実が パイエティズム 熱望し、その上層の人びとは正面から宗教に敵対したのでああゑそのうちでもとりわけ、敬虔主義の熱烈な信徒は、主 る。もうひとつの場合の教派とは、ドイツのプロテスタント として商人階層から多く出身している。こうした事実をみる 派であるが、かれらはこんにちでもなお、世俗的な営利追求につけて、われわれは、あまりにも内省的な性格をもっため の生活で繁栄しつづけており、その上層部は宗教にたいして に商人という職業に適さない人びとの心に、〈黄金崇拝》が いちじるしく無関心になっている人びとである。この事例がある種の抵抗をよびおこしたためであると解釈することもで 明らかに示しているように、カソリシズムが《超自然的》できるとおもう。たとえば、アッシジのフランチェスコの場合 あるとか ( それは俗にそういわれているだけのことだ ! ) 、 にみられたように、敬虔主義者の回心の経過は主観的にはそ 。フロテスタンティズムが唯物的な《世俗的な楽しみ》にふけうしたものと考えてよいだろう。また、これと同じく、近代 っているとか ( これも俗説にすぎぬ ! ) 、そのほかこれに類では牧師の家庭から、しばしば資本主義の偉大な企業家があ するまったく根拠のないさまざまな見解をもってしては、わらわれていることも ( セシル・ローズなどはその代表的な人 れわれの研究課題を解明することなど、とうてい不可能であ物 ) 、青年時代にうけた禁欲的な教育にたいする反抗の結果 る。このような空疎な考え方は、こんにちの事態を的確に把であると説明することができるとおもう。しかし、この種の 握するものではないし、また過去の事態にたいする場合でも説明のしかたでは、どうしても説明できない場合がある。 このような 完全に失敗するだけのことである。もしかりに、 それは、有能な資本主義的な企業家の精神と、そのひとの実 考えかたにもとづいて研究をすすめてゆくとしても、その場生活のすべてを支配し規制する強靱な信仰とが、ひとりの人 合には、ついに次のような予想をもたざるをえなくなること 間や、ひとつの集団のなかに同時に存在する場合であり、し だろう。すなわち、一方での超世俗的であり禁欲的・敬虔的 かも、このような場合は決してまれではない。わけても、カル であることと、他方での資本主義的な営利を追求することと ヴァン主義の場合には、それが出現したあらゆる場合に、 は、決してたがいに矛盾しあうものではなく、むしろ逆に、 の二つのものの結合をみせている。カルヴァン主義は、他の しすこにあっ この二つのものは相互に内的な類縁関係をもつものだと考えプロテスタンティズムの信仰“宗派と同じく、 : るべきではなかろうか、と予想することである。 ても、たとえばフランスのユグノー派の教会では、始めから 原注七オッペンバッハー、 前掲書、六八頁。 回心者のなかに僧侶と産業家 ( 商人・手工業者 ) が存在して マンモュズム
業家精神との結合が、いきいきとみられる。そこで、この序二〇篇、第七章 ) といった。イギリス人が、営利追求の実生 文のような部分ではこれ以上の事例をあげる必要はないとお活において抜群であったということは ( これとは別の関係に もうのであるが、すでにあげた若干の事例だけをみても、っ立つものではあるが、かれらが政治上の自由な制度をつくり ぎのことだけは明らかである。すなわち《勤労の精神〉とあげてゆく資質をもっていたこととあわせて ) モンテスキュ ーがかれらにその栄誉をささげている信仰にたいして、おそ か、《進歩の精神》、あるいはこれ以外のどんな言葉でよばれ るとしても、プロテスタンティズムによってよびさまされた らくなんらかの関係をもっている、と考えてよいのではない 精神というものを、こんにちひろく考えられているように、 。こ「つ一つカ いかなる意味においても ^ 世俗的な楽しみ》とか、《啓蒙主 このように疑問をなげかけてゆくと、まだいまのところで 義》などとむすびつけて考えてはならぬということである。 は明確なかたちにまでなってはいないが、たがいに関連をも ルター カルヴァン、ノックス、フート等の古プロテスタン っと予想されるいくつかの問題が、われわれのまえにつぎつ ティズムは、こんにちのわれわれが《進歩》とよんでいるも ぎにすがたをあらわしてくる。われわれにあたえられた研究 のなどとは、まったくなんの関係ももたなかった。こんにちの課題は、これらの不明確なことがらを、あらゆる歴史現象 では、どんなに頑固な宗教家ですら当然のこととみとめてい につきまとうあの無限の多様性にもかかわらす、可能なかぎ る現代生活の慣習にたいしてすら、古プロテスタンティズム りそれを明確なものにし、かっそれを定型化 (formulieren) は真正面から否定的な態度をとっていたのである。そこで、 することでなければならない。そのためにわれわれは、これ もしわれわれが古プロテスタンティズムの精神と、近代文明までのように不明確でありかっ抽象的な概念で議論すること の精神とのあいだに、なんらかの類縁関係をみとめようとすをやめて、具体的なキリスト教として歴史のなかにそれぞれ るならば、われわれはそれを、古プロテスタンティズムが の個別的な形象をとってあらわれた、あの偉大な宗教上の諸 ( 通常そういわれてきたように ) 多かれ少なかれ唯物主義的思想のもっ独自性と、それら相互のあいだの相違性とにたち いって研究しなければならない。 であり、または「世俗の楽しみ」にふけったという反禁欲的 しかし、これにさきだって、なお二、三の点について記し な点についてではなく、それがもっていた純粋に宗教的な特 ておく必要がある。ひとつは、われわれが歴史的にあきらか 徴のなかに、求めるほかにはないのである。モンテスキュー にしようとする研究対象そのものの特質についてであり、つ がイギリス人について、イギリス人は「つぎの三つの重要な ぎにわれわれの研究領域のなかで、このような研究がいかな ことで世界中のいかなる国民もおよばぬほどの進歩をなしと げた。宗教と商業と、そして自由とである」 ( 『法の精神』第る意味において成立しうるのか、という問題である。 、 0
著者緒言 第一章問題の所在 宗派Ⅱ信仰と社会階層 : 二資本主義の「精神ー ルターの職業観念ーー研究の課題 第二章禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理・ 一世俗内的禁欲の宗教的基礎 : 禁欲と資本主義の精神 : ・
ての側面にわたる合理的形成を意味していた。またこの禁欲的な日常生活の諸原理との関係を研究するためには、資料と わぎ は、もはや「償いの業ーとしてではなく、救いの確かさを確して、とくにその牧会活動のなかから確実に成立したと考え 認しようとするすべての人びとに要求される行為であった。 られる神学の諸文献を検討することが必要である。なぜなら このような宗教的要求にもとづく、「自然のまま」の生活と ば、来世がそのすべてであり、聖餐をうけられるか、否かの 「勧め」 は厳密に異なる聖徒の独自の生活はーーこれが重要なことで資格が、キリスト者の社会的地位を決定し、 あるがーーもはや修道院のなかで現世の外でおこなわれたの (consilia) 、「救霊問答」 (casus conscientiae) 、等々を見た ではなくて、現世とその秩序の内でおこなわれた。来世を目 だけでもわかるようにーー牧会、教会訓練、説教などによる 標としつつ、現世の内部でおこなわれる生活の合理化こそ、 聖職者の感化が、われわれ近代人にとって想像を絶するほど 禁欲的プロテスタンティズムの職業観念の帰結にほかならな の影響をあたえていた時代においては、そうした牧会の実践 かったのである。 のうちに働いていた宗教的な諸カこそ、「国民精神ーの形 現世から離れ孤独のなかにのがれたキリスト教の禁欲は、 成にとって決定的な影響をおよぼすものであったからであ る。 その源流は修道院のなかでおこなわれ、しかもそれを教会の 支配のもとにおいてきたのである。しかしながら、世俗的な 近く発表される論文〔「プロテスタント諸教派と資本主義の精〔 日常生活のもつ自然のままの性格はそのまま放置されてい 神」のことーーー〕とはちがって、われわれは、この論文での論 た。いまや、この禁欲は、市井の生活のなかに姿をあらわし、 議をふかめるために、禁欲的プロテスタンティズムを一つの 修道院の門扉をその背後にとざすとともに、世俗的な日常生全体として処理してもさしつかえないと思うのである。しか 活そのもののなかにその方式を浸透させ、これを現世のもの も、職業観念の首尾一貫した基礎づけをあたえているのが、 としてではなく、また現世のためのものとしてでもなく、現力ルヴァン主義からうまれたイギリスの。ヒューリタニズムで 世内における合理的生活として改造しようとしたのである。 ある事実から、われわれはこの論文の方法論にしたがって、 それが、どのような結果を招いたかについては、以下の研究この信仰の代表者の一人を研究の中心的な対象にしたいと思 で明らかにしたいと思う。 う。リチャード・・ハクスターは、その態度がすぐれて実践的 であること、友好的であること、および、おびただしく出版・ され翻訳されたかれの著作が、ひろくその価値を認められて 一一禁欲と資本主義の精神 いることなどからみて、他の。ヒューリタン倫理の代表的な著 禁欲的プロテスタンティズムの宗教的な基礎概念と、経済述家のうちでも抜群の位置をしめている。長老派の教徒であ
167 プロテスタンティズムの倫理 するカソリシズムの立場は無益であるというプロテスタンティズ ムの教理を確立したのであるが、それとともに信仰告白のなかに 「各人はその職業に応じて」という表現をもちいている。この事 実と、あたかも一五三〇年代のはじめ頃から、ルターが各人のお かれている秩序をますます神聖視するようになったことと、それ と同時に世俗的な秩序を神の意志によるものとして喜んで受けい れようとする態度がますます強烈になったことなどが、この聖書 翻訳における「職業」の用法と関係しているのはいうまでもない ところであり、これは生活のすみずみにまでおよぶ神の個別的な 摂理についてのルターの信仰が熱烈になった結果である。こうし てこれまでのラテン語の用法では「神聖なる生活」、とくに修道 院における、または聖職者たる生活への神の召命を意味するもの が、右にのべた ( 宗教改革的な ) 教義に影響されたルターの場合 には、世俗内の「職業」Ⅱ労働もそのような意味をもつようにな ったのである。という理由は、ルターはこの頃、べン・シラ書の ギリシア語訳にある 6 き ( およびミの語を、これまでは修 道僧の翻訳であるラテン語 (vocatio) の類縁語だけで訳してい のに反して、《 Beruf> と訳したのであるが、それはその数年前ま でには、箴言二二章二九節にあるヘブル語、すなわらべン・シラ 書のギリシア語訳にみえる 7 をの原語であり、とくに ツ語の Beruf やスカンディナヴィア語の Kald, Kalleise にあた るーー聖職者の「召命」から由来しているこのヘブル語を、他の 個所 ( 創世記三九・一 ) と同じように、 <Geschäft> ( 用務 ) と訳 しているからである。 ( この語の訳は、七十人訳聖書では、 70 ヴァルガータ訳聖書では opus, 英語訳聖書では business となっ ており、スカンディナヴィア語訳やその他手元にある翻訳は、す べてこれと一致している。 ) かくしてルターは、こんにちの意味 での <Beruf> という語を完成したのであるが、それはまずルタ ー派の間のみでもちいられた。カルヴァン派は旧約外典を聖典外 のものと考えていたからである。カルヴァン派の人びとが、ルタ ーの Beruf の観念を受けいれ、これを強調するようになったの は、いわゆる「救いの確かさ」という問題が重要な問題としてと りあっかわれるようになった経過とその結果によるのである。カ ルヴァン派の最初の聖書翻訳 ( ラテン系の ) では、この観念を示 す訳語はまだなく、かつまたすでに硬化してしまった国語には、 そうしたものを造出する力はなかったのである。 ともあれ、それについで十六世紀には《 Beruf> ( 職業 ) の観念 は、すでに宗教書以外の文献のなかでも、こんにちの意味でもら いられるようになった。ルター以前の翻訳者は、を <Be ・ ( たとえばハイデルベルクの古版 rufung> ( 召喚 ) と訳していた。 ー六六年、一四八五年のものを参照。 ) 一五三七 聖書の一四六二 年のエックのインゴルシ = タット訳には ( その召されたる召命に おいて ) となっている。ルター以後のカソック訳では、おおむね ルターを直接に模倣している。 イギリスでは なかでも最初のものとしてーーウイクリフの 翻訳 ( 一三八二年 ) では、この語を《。一 ep 一品》 ( のちに <calling> という外来語にとってかわられた古い英語 ) と訳している。 これはロラード派の倫理の性格をまさしく特徴づけるものであ これに り、のちの宗教改革時代と同様の語感を示している。 反して一五三四年のティンダルの翻訳は、この語を身分的な考え かたとむすびつけ「その召されたる身分 state そのものに」と訳 しており、一五五七年のジネーヴ訳聖書も同じである。一五三 九年のクランマーの公定訳は state を calling におきかえたが、 他方カソリック系のランス版 ( 一五八二年 ) 、およびエリザベス 時代のイギリス国教会宮廷聖書は、ヴァルガータ訳聖書にしたが って再び <vocation> の語をもちいているのは注目に値する。イ
「ンエーノヾ 政治・社会言侖集 国民国家と経済政策 田中真晴訳 国民社会党の設立によせて 中本寸貞二訳 社会科学および社会政策の認識の「客観性」 出口勇蔵訳 プロテスタンティズムのイ侖理と資本主議の孵青神」 ド可音に行蔵訳 支配の社会学 - 世良晃志良に訳 新秩序ドイツの議会と政府 中本寸貞二山田高生訳 職業としての政治 清水幾太良 5 清水ネ豊子訳 - 世界の大思想 23 河出書房新社