あらゆる - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想25 ニーチェ
147件見つかりました。

1. 世界の大思想25 ニーチェ

者、肯定する者である。なんじ、清いものよ ! 明るいもすなわち合理性である ! ーと、わたしが教えた時、かの意 のよ ! 光の深淵よー その時、わたしはどんな深淵志の代わりに、この奔放と痴愚とを置いた。 いささかの理性はたしかにーー星から星へまき散らされ にも、わたしの祝福する肯定をはこびこむ。 わたしは祝福する者、肯定する者となった。いつの日か た知恵の種子ーーこの酵母は、あらゆる物に混入されてい 祝福するために両手を自由にしようと、わたしは久しく格る。痴愚に役立っために、あらゆる物に知恵が混人されて いるのだ , 闘し、格闘者であった。 いささかの知恵はたしかに可能である。だが、わたしが あらゆる物の上に、そのものの空としてかかること、丸 い屋根として、緑色の鐘として、永遠の保証としてかかる万物に見いだした幸福な確実さは、すなわち、万物がむし ろ偶然の足でーー踊るのを好むことである。 こと、それこそわたしの祝福である。このように祝福する おお、わたしの頭上の空よ、なんじ、清いものよ、高い ものは、幸いであるー ( 八 ) あらゆる物は永遠の泉において、善意の彼岸にあって洗ものよ ! 永遠の理性のクモやクモの巣が存在しないこ 礼される。善と悪は中間の影、しめった悲哀、行く雲に過と、それこそなんじの清らかさである。 ぎない なんじが神々しい偶然にとって舞踏場であること、 まことに、「万物の上に、偶然という空、純真という空、神々しいサイコロとサイコロ遊びをする者にとって神々の テーブルであること、それこそなんじの清らかさであ 無目的という空、奔放という空がかかっている」と教える っ時、それは祝福することであって、けがすことではない。 だが、なんじは顔を赤らめるのか。わたしは語るまじき 「無目的に」 これこそ世界のもっとも古い品位であ ことを語ったのか。わたしは、なんじを祝福しようとし る。これをわたしはあらゆる物に取りかえしてやり、あら ス て、かえってけがしたのか。 ゆる物を、目的に支配された奴隷状態から救ってやった。 万物の上に、また万物を貫いて、いかなる「永遠な意 それとも、なんじの顔を赤らめさせたのは、両者の恥じ いまやーー昼がくるというので、な 志」もーー意欲しないことを教えた時、わたしはこの自由らいであったか。 と空の明朗さを、緑色のごとくに、あらゆる物の上におい んじはわたしに、行けといい、沈黙せよ、というのか。 ( ル ) 5 学ー 。かって昼が考えたより深い。すべての 世界は深い ( 一 0 ) 「あらゆることにおいて、ありえざることが一つある ものが昼の前で発言を許されるわけではない。だが、昼は こ ( 七 )

2. 世界の大思想25 ニーチェ

れが未来のものの歓楽を知っていようか ? 大いなる憧れについて おお、わが魂よ、わたしはおまえに軽蔑することを教え ( 三 ) た。それは虫食いのようにやってくる軽蔑ではない、もっ おお、わが魂よ、わたしはおまえに「いっかーと「かっともけいべっする時にもっとも愛する大いなるけいべつ、 て」と同様に「今日ーということを教えた。そして、一切愛ゆえのけいべつだ。 の「ここ」と「そこ」と「かしこ」とを越えて、おまえの おお、わが魂よ、わたしはおまえに説きつけることを教 輪舞を舞い踊ることを教えた。 えた。海を説きつけて自分の高さまで引きあげる太陽と同 おお、わが魂よ、わたしはおまえをあらゆる片隅から救じように、もろもろの根拠そのものを説きつけて、おまえ のところへ引きあげるように説きつけることを。 済した。わたしはおまえから塵と蜘蛛と薄暗がりをはらい 落とした。 おお、わが魂よ、わたしはおまえから一切の服従、ひざ おお、わが魂よ、わたしはおまえから小さな羞恥と片隅 まずくこと、「主よ」と呼びかけることを取りあげた。わ の徳を洗い落とした。そして、太陽の目の前に裸で立つよ たしはおまえ自身に「困窮の転回」と「運命」という名を あたえた。 うに、おまえを説きふせた。 おお、わが魂よ、わたしはおまえにもろもろの新しい名 「精神ーという名の嵐で、わたしはおまえの波立っ海の上 を吹きまくった。わたしはあらゆる雲を吹きはらい、「罪」ともろもろの多彩な玩具をあたえた。わたしはおまえを っという名の絞殺者をもしめ殺した。 こんべき 「運〈一」と呼び、「包括の包括」と呼び、「時の〈その緒」 新おお、わが魂よ、わたしはおまえに権利をあたえた、嵐と呼ひ、「紺碧の鐘」と呼んだ。 のように「いな」をいし 、晴れわたった空が「然り」をい おお、わが魂よ、わたしはおまえの土に一切の知恵をそ ス うように「然り」をいう権利を。光のように静かにおまえそいで飲ませてやった。一切のあたらしい知恵の酒と、ま は立っている、そしていまおまえは否定する嵐の中を進んたいつの頃とも分からぬくらい古い強い酒とを。 で行く。 おお、わが魂よ、わたしはおまえの上にあらゆる太陽を おお、わが魂よ、わたしはおまえに自由を取りもどしてそそいだ。あらゆる夜とあらゆる沈黙とあらゆる憧れをそ 3 やった、創られたものと創られたものでないものとに対すそいだ。 そこでおまえはブドウの株のように生長し る自由を。そして、おまえがそれを知っているように、だ こ

3. 世界の大思想25 ニーチェ

これらの道はたがいに矛盾する。たがい冫豆 こ頁をぶつけ合でにーー存在したはすではないか。 う。ーーーそして、一一つの道が出会うのは、まさしくこの門 この瞬間があらゆるきたるべき事物を引き寄せるよう ロである。門ロの名は上にしるされている。『瞬間』と。 に、あらゆる事物はかたく結びつけられているのではない だが、だれかこの二つの道の一つを進んで行く人があっ か。こうしてーー自分自身をも引き寄せるのではないか。 たとしたら、どんどんさきへ、いよいよ遠く進んで行く人 なぜなら、あらゆる事物で、走りうるものは、この長い があったとしたら、小びとよ、おまえは、この二つの道は 小路をもかなたヘーー・・・もう一度走って行かねばならないか 永遠に矛盾すると信じるか。」 らだ ! 「すべて直線をなすものはあざむく」と小びとはあざける 月光の中をはうこの緩慢なクモ、そして、この月光その ようにつぶやいた。「すべて真理は曲線である。時間自体、もの、そして、門ロの道で共に永遠な事物についてささや 一つの円である。」 くわたしとおまえーーわれわれもみなすでに存在したこと 「重圧の霊よ ! ーとわたしは怒っていった。「あまりに安 があるはずではないか。 易なことをいうな ! そうでないと、おまえを、いまうす そしてふたたびもどってきて、あの別な小路を、さ くまっているところに、うずくまったままにしておくぞ、 この長い恐ろしい小路を走らなければーー・・・永 きへ、前へ、 足なえよーーわたしはおまえを高いところに連んできたの久にもどってこなければならないのではないか。 しよいよ小声で。なぜならわたし こうわたしは語った。、 は自分自身の思想と背後思想とを恐れたからである。その 「見よ、この瞬間を ! とわたしはいいつづけた。「瞬間 っ というこの門口から、長い永遠の小路がうしろの方に通じ時、突然わたしは近くで大のほえるのを聞いた。 ている。われわれの背後に永遠が横たわっているのだ。 わたしはかって、大がそのようにほえるのを聞いたこと ス あらゆる事物で、走りうるものは、すでに一度この小路があるか。わたしの思いは過去にさかのぼった。そうだ , を走ったはずではないか。あらゆる事物で、起こりうるも子どものころ、はるかはるか遠い子どものころ。 のは、すでに一度起こり、なされ、通りすぎたはすではな そのころ、犬がそのようにほえるのを、わたしは聞 、、 0 いた。そして、その大が毛をさかだて、頭を上に向け、大 もしあらゆるものがすでに存在したとするなら、なんさえ幽霊を信じる、静まりかえった真夜中にふるえている じ、小びとは、この瞬間をなんと考えるか。この門ロもすのを見た。 ( 四 )

4. 世界の大思想25 ニーチェ

未来のあらゆる無気味さも、かって鳥どもをおののかし である。 て飛びさらせたものも、まことに、きみたちの「現実」よ ああ、きみたち、生まずめがわたしのまえに立ったとこ りは、まだしも親しめ、打ちとけられる。 ろ、なんという姿だろう ! あばら骨のなんとやせている なぜならきみたちはこういうからだ。「われわれは全く ことだろう ! そしてきみたちの多くは、みずからよくそ 現実者である。そして信仰も迷信も持たない」と。こうい れを吾っていた。 って、きみたちは胸を張るーーああ、胸も持たないくせ 彼はいった。「一つの神があって、わたしが眠っている 間に、何かをこっそり奪い取ったのか。ほんとに、ひとり そうだ、。 とうしてきみたちは信じることができよう、き - の女をそれでつくりだすに足るほどのものをー みたち、色とりどりのまだらのあるものよ ! きみた 自分のあばら骨の貧弱さの不思議さよ ! すでにこ ちは、かって信じられたすべてのものの絵画であるー う語った現代人も少なくない。 きみたちは、信仰そのものの生きて歩きまわる反証であ たしかに、きみたち、現代人よ、きみたちは笑うべきも のだ ! 特に、きみたちが自分自身を驚嘆する時、笑うべ る。またあらゆる思想のくじけた手足である。信じるに値 いせぬ者と、わたしはきみたちを呼ぶ、きみたち、現実者きものだ ! もしわたしがきみたちの驚嘆を笑うことができないとし たら、そして、きみたちのなべからあらゆるいとわしい物 あらゆる時代がきみたちの精神の中にあって、たがいに っ しゃべりまくっている。しかも、あらゆる時代の夢とおしを飲み下さざるをえないとしたら、わたしはわざわいだ ! だが、わたしは重いものを背負わねばならないから、わ はやべりとは、きみたちの目ざめより、はるかに現実的であ たしはきみたちを軽くあしらう。甲虫や黄金虫がわたしの ス 重荷の上にとまっても、それがなんだろうー きみたちは生まずめである。それゆえきみたちには信仰 アが欠けている。だが、創造せずにはおかない者はつねに、 まことに、 この上わたしには重荷が加わってはならな 予言の夢と星のしるしを持っていた。 そして信仰を信 きみたち、現代人よ、きみたちから大きな疲労がき てはならない。 きみたちは、半ば開いた門で、そこに墓掘り人が待って ああ、わたしはわたしのあこがれをもってどこに登るべ いる。「すべては減ぶに値いする。」それがきみたちの現実きか ! すべての山々から、わたしは父の国と母の国を望

5. 世界の大思想25 ニーチェ

262 の気にくわない。」 ころなら、わたしもまた坐ったのだ。 「わたしがあなたの影であっても、わるく思わないでく あなたといっしょに、わたしはもっとも一いもっとも冷 れ」と、影は答えた。「そして、あなたの気にくわないと たい世界をへめぐってきた、自分ですき好んで冬の尾根と あれば、 いいではないか、おお、ツアラッストラ ! その雪の上を走っていく幽霊さながらに。 点でこそ、わたしはあなたを賞賛し、あなたのいい趣味を あなたといっしょに、わたしはあらゆる禁止されたも 賞賛するものだ。 の、もっともわるいもの、もっとも遠いものの中へも突進 わたしはさすらい人だ。これまでずいぶんあなたのあと した。そしてわたしに何か徳があるとすれば、それはわた をつけて歩いてきた。いつも旅の途上にあって、目的地も しがどんな禁止も怖れなかったことだ。 なければ、ふるさともない。だから実際、永遠のユダヤ人 あなたといっしょに、わたしは、かってわたしの心がう とたいした違いはなしナナ 、。こ。こし、わたしは永遠でもなく、 やまっていたものを破壊した。わたしはあらゆる境界石と ユダヤ人でもないが。 偶像を倒し、もっとも危険な願望を追うた。ーー・実際、わ 何ということだ ? わたしはいついつまでも途上にいな たしはあらゆる犯罪の上を一度は飛びこえたのだ。 ければならぬのか ? あらゆる風に巻きこまれ、定めな あなたといっしょに、わたしは、ことばや価値や大いな 駆りたてられるのか ? おお、大地よ、おまえはあま る名に対する信仰を忘れた。悪魔が脱皮すれば、その名も ( 三 ) りにも丸くなってしまったー 脱落するのではないか ? 名は皮膚にほかならないから わたしはすでにあらゆる表面に坐ってきた。疲れた塵の だ。悪魔自身もおそらくはーーー・皮膚なのだ。 ように、わたしは鏡や窓ガラスの上で眠りこんだ。すべて 『何ものも真実ではない、すべては許されている。』その のものはわたしから取りあげてゆくだけで、わたしには何ようにわたしは自分にいいぎかせた。もっとも冷たい水の も与えてくれない。わたしは薄っぺらになった、 まる中へ、わたしは頭と心で飛びこんだ。ああ、そのために、 で影同然になってしまった。 わたしはどんなにしばしば赤いェビさながらに裸で立った ことだろうー だが、おお、ツアラッストラよ、あなたにはわたしは一 ばん長くつきしたがって飛びもし、歩きもしてきた。そし ああ、一切の善、一切の羞恥はどこへ行ってしまったの て、あなたの前に身をかくすことがあっても、やはりわた か ! 善人に対する一切の信仰はどこへ失せたのか ! あ しはあなたの最善の影だった。どこでもあなたの坐ったとあ、わたしがかって持っていた、あのいつわりの無邪気 ( 二 )

6. 世界の大思想25 ニーチェ

110 みたちをーー見ぬきうるだろう ! 教養の国について 過去の記号をもって書き満たされ、その記号も新しい記 号をもって塗りつぶされている。こうして、きみたちは、 わたしは未来の中にあまりに遠く飛びこみすぎた。わたあらゆる記号解読者に対しても、自分をうまく隠してしま しは恐怖におそわれた。 たとえ腎臓を検査する人であっても、きみたちが腎臓を そして、あたりを見まわすと、見よ、わたしの唯一の同 時代の道連れは、時間だけであった。 持っていることを、だれが信じよう ! きみたちは、絵の そこで、わたしは背後へ、ふるさとの方へ いよいよ具と、にかわでつけられた紙片とで焼いてつくられたよう に見える。 急いで飛んでかえった。こうしてわたしは、現代人よ、き みたちのところへ、教養の国へやってきた。 あらゆる時代と民族がきみたちのヴェールから、色とり どりにのぞいている。あらゆる風俗と信仰が、きみたちの 初めてわたしは、きみたちに対する目とよい欲望を持っ 身ぶりから、色とりどりに語っている。 てきた。まことに、胸にあこがれをいだいてきた。 きみたちから、ヴェールとマントと色と身振りをはぎと だが、わたしはどうしたのか。わたしはひどく不安だっ った者の手には、鳥をおどかすだけのものしか残らないだ たがーー笑わすにはいられなかった ! わたしの目はこん ろう。 なに色とりどりのまだらをまだ見たことがない ! まことに、わたし自身、かって色彩を去り裸になったき わたしは笑いに笑った。足はまだ震え、それにつれて、 みたちを見て、おどかされた鳥である。その骸骨がわたし 心臓も震えていたのに。「こここそ全くあらゆる絵の具っ ばの本場だ ! 」ーーとわたしはいった。 に秋波を送った時、わたしは飛んで逃げた。 五十のまだらで顔や手足を色どって、きみたちはそこに むしろわたしは、下界において、過去の亡霊たちのもと で、日雇い人でありたい ! すわって、わたしを驚かした、きみたち、現代人よ ! きみたちより、下界に住 きみたちのまわりには五十の鏡がならんで、きみたちのむ者たちのほうがまだしも肥え太っているー 色彩の変化にこび、ロまねをしていたー 現代人よ、きみたちが裸であっても、着物をまとってい まことに、現代人よ、きみたちはきみたち自身の顔よりても、わたしはきみたちを見るに耐えない。 このことこそ すぐれた仮面をつけることはできないだろう ! だれがきまことにわたしの内臓にとって苦渋である !

7. 世界の大思想25 ニーチェ

をめざしている。きみたちはネコやオオカミとどういう共 言え、兄弟たちょ、われわれにとって悪と最悪と考えら 通点を持つだろうか。 れるものは何か。それは変質ではないか。 あたえる徳 みずから犠牲となり、贈り物となることが、きみたちの の欠けているところでは、われわれはつねに変質を推測す る。 渇望である。それゆえ、きみたちは、あらゆる富を自分の 魂の中に集積する渇望をいだいている。 われわれの道は上昇する。種属から超種属へと。それ きみたちの魂は宝と珠玉をめざして飽くことを知らな で、「すべてを自分のために」という変質する心はわれわ 。きみたちの徳は、あたえようと欲することにかけて飽れにとって、恐布である。 くことを知らないから。 われわれの心は飛躍上昇する。この心はわれわれの肉体 きみたちはあらゆる物をきみたちの方へ、きみたちの中の比喩であり、一つの高まりの比喩である。いろいろな徳 へ強要する。それがきみたちの泉から愛の贈り物としてふ の名称はそういう高まりの比喩にほかならない。 たたび流れでるように。 こうして肉体は歴史をぬって行く。成長するもの、戦う まことに、そのようなあたえる愛は、あらゆる価値の強ものである。そして精神はーーそれは肉体にとって何であ 奪者にならなければならない。だが、この我欲をわたしは るか。肉体の戦いと勝利との、伝令、道連れ、反響にほか 健康で神聖だとよぶ。 ならない。 もひとっ別な我欲がある。あまりに貧しく、飢えて、つ 善と悪との名称はすべて比喩である。比喩は発言しな ねに盗もうとする我欲である。病める者の我欲、病める我 。目くばせするだけである。それについて知ろうと欲す っ 欲である。 るものは、愚か者である。 ぬすびと それは盗人の目をもって、あらゆる輝くものを見る。飢 兄弟よ、きみたちの精神が比喩で語ろうとする刻々に注 ス餓の強欲をも「て、食物をゆたかに持つ人をじろじろと見意せよ。そこにきみたちの徳の源泉がある。 ラる。そして、あたえる者の食卓のまわりを、つねにしのび きみたちの肉体は高められ、よみがえった。肉体は、そ 歩く。 の歓喜をもって精神を陶酔させ、かくて精神は創造者とな こそういう欲望からは、病気と目に見えない変質が語ってり、評価者となり、愛する者となり、万物の恩恵者とな いる。このような我欲のどろぼう的強欲は病弱な肉体につる。 いて語っている。 きみたちの心が、激流に似て、広く満ちあふれあわ立

8. 世界の大思想25 ニーチェ

こうツアラッストラは語った 289 おのれみすからにとっても仮面であり、 おのれみずからの獲物となる獣 それがーー・真理の求婚者だというのか ? 否 ! 痴人にすぎぬ ! 詩人にすぎぬー ただ花やかな言葉を語り、 道化の仮面のかげから色とりどりの奇声を発し、 、リ 2 ーレ いつわりのことばの懸橋の上を、 色とりどりの虹の上を渡り歩き、 まやかしの天と まやかしの地のあいだに さすらい、浮かんでいるだけなのだ 痴人にすぎぬ ! 詩人にすぎぬ ! それがーー真理の求婚者か ? 静かに、硬直して、なめらかに、冷ややかに、 像になったためしはなく、 神殿の柱にもならぬ。 神殿のまえに置かれて、 神の門番となったことはない。 否 ! こうした真理の立像に敵意を持ち、 神殿のまえよりか荒野を家として、 猫の気まぐれに満ち、 あらゆる窓を飛びぬけて、 ひらりと ! あらゆる偶然に飛びこむ。 か あらゆる原始林を嗅ぎつけ、 病的なあこがれで嗅ぎまわり、 やがてあまたの原始林のなかで まに、ら 色さまざまの斑のある猛獣に立ちまじって 罪深いほど健康に、花やかに、美しく走りまわろうと する。 欲情に舌なめずり、 幸福げに嘲笑を浮かべ、幸福げに地獄さながら、幸福 げに血に飢えて、 掠奪し、忍び歩き、のそきながら走り回ろうとするの あるいはまたワシにも似て。長く、 長く、じっと深淵を見入るワシ、 自分の深淵を。 おお、その深淵の何と深く、 下のほうへ、奥のほうへ、 いよいよ深い深みへとうねっていることか ! やがて、 たちまち、まっしぐら、 さっと羽ばたき、 小羊めがけておそいかかる、 急転直下、はげしく飢え、 小羊に舌なめずりし、 、」 0

9. 世界の大思想25 ニーチェ

いものが、一つの泉から不減の確実さを持って、ほとばし となった。これにくらべれば、これ以外の人間行為はすべ て貧弱で限られたものに見えてくる。この巨大な情熱と高り出ている。高さとは何であり、深さとは何であるか、こ の時まで人々にはわかっていなかったのだ。真理とは何で みの中では、ゲーテやシェークス。ヒアのような者でも一 瞬、息がつまるだろうとか、ツアラッストラにつきあわせあるか、については、なおさらだ。この真理の啓示の中に は、すでに先取されていたような、だれか偉大な人によっ てみれば、ダンテはただの信心家に過ぎず、真理を初めて 創造する者、世界を支配する精神、一個の運命ではないとてすでに想察されていたような瞬間は、ただの一つもな ツアラッストラ以前には、どんな英知も、どんな魂の いったこと ヴェーダの詩人も僧侶にすぎず、ツアラ 探究も、どんな説話の術もなかったのだ。もっとも手近な ッストラのような者の靴のひもを解く値打ちさえないとい もの、もっとも日常的なものが、ここでは未聞の事柄を ったこと、こうしたことはすべてごく取るにたらぬこと 語っている。章句は情熱にふるえ、雄弁は音楽となり、稲 で、この作品の生きている距離、紺碧 ( ~ ) の孤独につい ては、すこしも説明にならぬことだ。ツアラッストラは次妻はこれまで見当さえつけられていなかった未来へ向かっ のようにいう永遠の権利を持っている。「わたしはわたして投げだされている。従来あったもっとも威力のある比喩・ の力も、一一一口語が具象性の自然に帰ったこの姿にくらべれ のまわりに円を描き、神聖な境界線を引く。山がいよいよ それにツアラッスト ば、貧弱であり、児戯に類する。 高くなるにつれて、わたしと共に登る者は、いよいよ少な ラが高みから降りたって、だれにでも無上にやさしいこと くなる、 わたしはいよいよ神聖さをます山々から、一 つの山脈をつくる。」あらゆる偉大な魂の英知と慈愛を打ばをかけるありさまはどうだ ! 彼がその敵である僧侶に いちがん さえやさしい手をかけ、彼らと共に、彼らのために悩むあり って一丸としてみるがよい。それらすべてを合わせても、 ここではあらゆる瞬間に人間が克服 ツアラッストラの言説ひとっ生みだすこともできまい。彼さまはどうだ , の昇降する梯子は巨大である。彼はどんな人間よりも広大されている。「超人」という概念がここで最高の現実とな ったのだ。 これまで人間にあって偉大と呼ばれていた をに見、広大に欲し、広大な能力を示した。あらゆる精神の むじゅん 一切のものは、無限のはるかかなたに、彼の下に横たわっ の中でもっとも肯定的なこの精神は、一語ごとに矛盾してい なぎびより る。彼の中ではあらゆる対立が一つの新しい統一に結合さている。凪日和の静けさ、軽やかな足、意地わると高慢の れているのだ。人間本性の最高の力と最低のカ、も「とも遍在、そのほかツアラッストラという典型にとって典型的 甘美なものと、もっとも軽やかなものと、もっとも恐ろしである一切のものは、偉大さの本質的属性として、かって はしご

10. 世界の大思想25 ニーチェ

一つの新しい認識が、酢 0 ばくて重い認識が、あなたをがそれらの事物によ「て、うさを晴らすためではないか ? わりこ 訪れてきたのであろうか ? 酸味をおびた練粉のように、 話すことは、一つの美しい愚行だ。話すことによって、人 はっこう あなたは横たわっていた。あなたの魂は釀酵してふくれ、 間はすべての事物の上を踊りこえる。 そのすべてのふちからあふれるばかりに、ふくれあがっ すべて語ること、音声のあらゆる嘘は、なんと好ましい ものであろう ! 音声によって、われわれの愛は七色の虹 ツアラッストラは答えた。 おお、わが動物たちょ、 の上で踊るのだ。 そんなふうに、しゃべりつづけてくれ、そしてわたしに聞 それに答えてワシとヘビがいった 「おお、ツアラ かせてくれ ! おまえたちがおしゃべりしてくれると、わッストラ、わたしたちのように考える者にとっては、すべ たしは気が晴れる。おしゃべりが出てくる場所では、世界ての事物は自分で踊ってくれる。それはやってきて、手を はすでにわたしにとって花園と変わらない。 握りあい、笑い、そして逃げるーーそしてまたもどってく ことばと音声が世にあるということは、なんと好ましい ことか。ことばと音声とは、永遠に分かたれたもののあい 一切は行き、一切はもどってくる。存在の車輪は永遠に だをつなぐ虹ではないか、見せかけの橋ではないか ? 回転する。一切は死んで、一切はふたたび花を咲かせる。 すべての魂にはそれぞれ別の世界がある。すべての魂に存在の年は永遠にめぐる。 とって、すべての他の魂は、それそれ一つの背後の世界 一切は破れ、一切は新たにつぎあわされる。存在の同じ 家が永遠にたてられる。一切は別れ、一切はふたたび挨拶 もっとも相似的なもののあいだにおいてこそ、みせかけする。存在の輪は、永遠におのれに忠実である。 はもっとも美わしくいつわる。なぜなら、もっとも小さい あらゆる刹那に存在ははじまり、すべての『ここ』のま 断層こそ、橋渡しするのがもっとも困難だからだ。 わりに、『かしこ』の球が回転する。中心はいたるところ そと わたしにとってーーどうして「わたしの外なるものーが にある。永遠の歩む道はまがっている。」 ふう、ん ありえよう ? ・「外なるもの」はないのだー ところがわ ッ おお、おまえたち、道化師よ、手回し風琴よ ! れわれはあらゆる音声に接してそれを忘れる。われわれが アラッストラは答えて、ふたたび微笑した。なんとよく、 亡ハれるということは、なんと好ましいことかー おまえたちは知っていることか、七日の間に成就されねば もろもろの事物に名前と音声が贈られているのは、人間 ならなかったことを、 ヾ - 」 0