偉大 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想25 ニーチェ
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1. 世界の大思想25 ニーチェ

明日、彼は新しい信仰を持つ。明後日、彼はさらに新し い信仰を持つ。民衆とひとしく、彼は速い感覚と、変わり 市場の蠅について きしよう やすい気象を持つ。 逃げよ、友よ、きみの孤独の中に ! きみが偉い人間た くつがえすことーーそれは彼にとって証明することを意 ちの騒々しさにつんぼになり、小さい人間たちの針にとこ味する。狂気にすることーーー・それは彼にとって確信させる ろきらわず刺されているのを、わたしは見る。 ことを意味する。そして、血はあらゆる論拠の最上のもの 森と岩とは、ぎみと共におごそかに沈黙することを知である。 る。きみの愛する木に、枝の広い木に、等しくあれ。あの さとい耳にだけしのび入る真理を、彼は虚偽、虚無とよ ぶ。実際、彼は、世間で大きな騒音を立てる神々だけを信 木は、静かに耳をすましながら海の上にかかっている。 じる , 孤独の終わるところに、市場がはじまる。市場がはじま るところに、偉い役者たちの騒々しさと、毒・ハイのうるさ 市場は大げさな道化役者に満ちているーー民衆はこうい いうなり声がはじまる。 う偉い人々を誇りとする ! それが民衆にとってその時の 世間では、最上のものも、これをます演出するひとりの支配者である。 人がいなくては、なんの用にも立たない。民衆はこれらの だが、時が支配者たちをせきたてる。それで、支配者た 演出者を偉い人とよぶ。 ちはきみをせきたてる。そして、きみからも、イエスかノ 民衆は偉大なものをほとんど理解しない。偉大なものと ーかを要求する。ああ、きみは賛成と反対の中間にきみの っ 語は、すなわち、創造するものである。だが、民衆は、大事 いすを置こうとするか。 件の演出者と役者のすべてに対しては感覚を持っている。 こういう絶対専制者でせきたてるものに、嫉妬をいだく な、真理を愛する者よ ! 真理が絶対専制者の腕にすがっ 冖新しい価値の創始者をめぐって、世界は回転する。 目に見えず回転する。だが、民衆と名声とは役者をめぐっ たことはかってない。 て回転する。これが「世界の動き」である。 こういうあわただしい者を避けて、きみの安全の中にか こ役者は、機知を持っているが、精神の良心をほとんど持えれ。市場においてだけ、きみは賛成か反対かをもってお っていない。彼が常に信じるのは、人をしてもっとも強くそわれる。 信じさせるもの、 自分を人に信じさせるものである ! およそ深い泉の体験はゆるやかである。何が泉の底に落

2. 世界の大思想25 ニーチェ

246 偉大な人間を探し求めているのだ ! そこで空気がぬける。ふくれたやつの腹を刺すこと、これ あなたはいったい知らないのか、おお、ツアラッスト は退屈しのぎには面白い。聞いておくんだよ、きみたち、 ラ ? ・わたしはツアラッストラを求めているのだ。」 少年よー この今日は賤民のものだ。何が偉大で、何が小さいか、 ここで二人のあいだに長い沈黙が生じた。ところで見分けがつく者がどこにおろう ! そんなところで偉大さ ツアラッストラは自分自身に深く沈潜して、目を閉じてい を求めて、運よくぶつかる者なんかいるだろうか ! 阿呆 た。しかしやがて、相手に心をもどすと、魔法使いの手を だけだ。阿呆だけが運よくぶつかるのだ。 こうち 取り、礼儀と狡知にみちていっこ。 おまえは偉大な人間を求めているのか、おまえ、奇妙な 「さあ ! あそこに坂がある、その先がツアラッストラの阿呆よ ? だれがそんなことをおまえに教えたのか ? 洞穴だ。その洞穴で、おまえの見つけたいと思 0 ている人まがそんなことをする時であろうか ? ・おお、おまえ、け を探すがよい。 しからぬ探求者よ、何でーー・。おまえはわたしを誘惑するの そして、わたしの動物たちに相談するがよい、わたしの か ? 」 ワシとヘビに。彼らはおまえの探すのに手助けをするだろ う。ところでわたしの洞穴は大きい こころ安らかに、ツアラッストラはこう語った、そして もちろんわたし自身はーーわたしはまだ偉大な人間を見笑いながら彼の道を先へ進んだ。 たことはない。真に偉大なもの、それを見ぬくには、今日 では、どんなに洗練された人の目も粗大にすぎる。現にあ るのは賤民の国だ。 一第二部「崇高な者たらについて」 ( 一〇七頁 ) および「詩人 について」 ( 一二〇頁 ) 。 背伸びをしたり、からだをふくらませているような者な = 若いニーチ = は「バイロイトにおけるワグナー」を書いて、 ' ら、わたしはすでにたくさん見た。すると民衆はさけんだ ワグナーを支援した。 ものだ、『見よ、あそこに偉大な人間がいる ! 』と。だ。、、 すべての鞴が何の役に立とう ! しまいに空気はぬけるの あまりに長くふくれていたカエルはしまいに破裂する。

3. 世界の大思想25 ニーチェ

に魔法をかける魔法使いになった。しかし、おまえ自身に 「それはおまえのほまれになることだ」と、ツアラッスト , お 対しては、どんな嘘も策略も使う余地がないのだ、 ラは、わきに目を伏せながら、陰気にいった。「おまえが まえ自身は自分の魔法にかからないわけだ , 偉大さを求めたことは、おまえのほまれになることだ。し = おまえは嘔吐を収穫した。それがおまえの唯一の真実 かし、それはまたおまえの正体をあかすことでもある。お だ。おまえにおいては、もはやどのようなことばも本物で まえは偉大ではないのだ。 はよい。しかし、おまえのロ、つまりおまえのロにこびり おまえ、よこしまな老魔法使いよ、おまえが自分に飽い ついている嘔吐は本物なのだ。」 て「わたしは偉大ではない』といったこと、それこそわた 「あなたはい「たい何者た ! 」と、ここで老魔法使しがおまえにおいて尊敬するおまえの最善のこと、おまえ いは反抗的な声でさけんだ。「今日生きている最大の者、 のもっとも正直な点だ。 わたしに向かって、だれがそういうロのききかたをあえて その点においてわたしはおまえを一人の精神のざんげ者 するのか ? 」ーーーそして、緑の稲妻が彼の目からツアラッ として尊敬する。そして、たとえそれがほんの一息のあい ストラに向かって走った。しかしすぐ彼は態度を変えて、 だにすぎなかったとはいえ、この一瞬間においては、おま 非しげにいっこ。 えはーー本物だった。 「おお、ツアラッストラ、わたしはあきあきしている。自 しかし、一一一口え、おまえはこのわたしの森と岩の中で何を 分の演技に嘔気をもよおすくらいだ。わたしは偉大ではな求めているのか ? そして、わたしの行く手に身を横たえ 。い。何のために仮装することがあろう ! しかし、あなた たとき、おまえはわたしの何を試そうと思ったのか ? 新のよく知っているとおり わたしは偉大さを求めたの わたしを何によって誘惑したのか ? 」 トー こうツアラッストラは衄明った。そして彼の目はきらめい ス わたしは偉大な人間を演じてみせようと思った。そして た。老魔法使いはしばらく黙っていたが、やがていった。 ラ 多くの人々を信じこませた。しかし、この嘘はわたしの力「わたしがおまえを誘惑した ? わたしは ただ求めて にあまった。この嘘によって、わたしは破減するのだ。 いるだけだ。 おお、ツアラッストラ、わたしにあっては一切が嘘だ。 おお、ツアラッストラ、わたしは本物を求めている ! しかし、わたしが破減するということーーわたしのこの破正しくて、純潔で、単純で、一義的な者を求めている。あ = 減だけは本物なのだ ! 」 らゆる誠実さをそなえた人間、知恵の容器、認識の聖者、 こ ほんもの

4. 世界の大思想25 ニーチェ

ざんぎやく スタンダール、これは スの精神を「解放ーしたのだ : ・ 的残虐のこのもっとも戦慄すべき形式の論理そのものとし と て愛しているということ、わたしがモンテーニ = のいたずわたしの生涯のもっとも美しい偶然の一つであるが いうのは、わたしの生涯で一時期を画するようなことは ら気のいくぶんかを精神に持っており、ひょっとしたら肉 体にも持っているかもしれぬということ、わたしの芸術家すべて偶然のおくりもので、ひとから推せんを受けたこと このスタンダ ールこそ、そ など一度もなかったからだ 趣味が、シェークス。ヒアのような野性的天才を押さえて、 つうふん の物事のさきを見とおす心理家の目、もっとも偉大な現実 時に痛憤をおぼえながらもモリエール、コルネイユ、およ びラシーヌの名を庇護するということ、結局これらのこと的人間に近いことを思わせる ( 爪 = ョッテナポレオンヲ知 まあく レ ) その現実把握によって、まったく貴重な存在だ。 どもは、最近代のフランス人たちもまたわたしにとって魅 、、まとんど見当ら 力ある交際仲間であることをさまたげるものではない。現最後にとりわけ、フランスでは数少なしー スベキエス デリケート , リにおけるほど、あんなに好奇心が強く同時に繊細ぬ種属である正直な無神論者として、スタンダールはよ、 在の。、 いちおうプロスペル・メ りしれぬ価値をもっている、 な心理家たちをいっぺんにすくいあげるには、歴史のどの ひょっとしたら、わたし自 リメにも敬意を表するが : 世紀に網を打ったらよいか、わたしにはまったく見当もっ かない。試みに名をあげるとーーというのは、かれらの数身、スタンダールをねたんでいるのではないか ? 彼は、 はけっして少なくないからだーーポール・ブールジェ、。ヒわたしこそ吐きえたろうと思われる最上の無神論者的警句・ エール・ロティ、ジプ、メーリヤク、アナトール・フランを、わたしからさらっていった。「神の唯一の弁明は、そ 。わたし自身 ス、ジュール・ルメートルの諸君、あるいはこの強い種族の存在しないことである」という警句だ : : : きっすい はどこかで次のようにいったことがある。「これまで生存 のただ一人、わたしがとくにすきな生粋のラテン人ひとり ーパッサンである。打ち明けに対する最大の異論は何であったか ? 神だ」と。 をあげるなら、ギー・ド・モ よた話、わたしはこの世代を、彼らの偉大な先生たち以上に 見 さえ買っている。先生たちのほうは、そろいもそろってド を 一「爪ニョッテライオン leonem ヲ知ルーというラテン語のこ のイツ哲学によって毒されている。 ( たとえばテーヌ氏はヘ とわぎをもじって、「ナポレオン Napoleonem 」にしたもの。 ーゲルのために台なしになった。彼はヘーゲルのせいで偉 スタンダ ールは「意カーを信仰し、したがってナポレオンはそ 大な人々や時代を誤解している。 ) ドイツの手が伸びるか の偶像であった。 ぎり、ドイツは文化を台なしにする。戦争が初めてフラン

5. 世界の大思想25 ニーチェ

は、むだである。わたしの生涯のどんな瞬間をとっても、 か、あらゆる概念を絶して、いっそう重要なのである。ま パテティッシュ 3 さにこの点でわれわれは頭をきりかえねばならない。人類何か思いあがった態度、あるいは激情的な態度を指摘する バトス ことはできまい。身ぶりの激情は偉大さの属性ではない。 がこれまで真面目に考えてきたものは、現実でなくてただ 。あらゆ の想像であり、もっときびしくいえば、病的な、もっともおよそ身ぶりを必要とする者は、にせものだ : る絵画的人間を警戒せよー 深い意味で有害な天性のわるい本能から出たうそなのだ、 「神ー・「霊魂」・「徳」・「罪」・「彼岸」・「真理」・「永 生きて行くことは、わたしには軽く容易になった。生が 生ーといった概念はすべてそうである : ・ ところが人々わたしからもっとも重く困難なものを要求した時に、それ はこれらのものの中に、人間本性の偉大さ、その「神性」 はもっとも軽く容易になったのである。どんな人間も模倣 を求めてきた : ・ 。そのため、政治や社会秩序や教育のすしない あるいは模範を示すことのない第一級の事柄ば べての間題は、底の底までまがいものになってしまった。 かりを、わたしのあとの何千年のすべてに対する責任を持 そしてその結果、有害きわまる人々が偉大な人間とされ、 って、間断なくやりとげてきた、この秋の七十日間におけ 「小さな」事柄、つまり人生の根本要件そのものは、 るわたしを見た者は、わたしに何の緊張のあとも認めず、 これま 馬鹿にするように教えられてきたわけなのだ かえってむしろあふれるばかりの清新さと晴れやかさを認 で一流の人間としてあがめられてきた人々と、わたしをくめたであろう。わたしはこれほど快適に食事したことはな らべてみる時、その差は手に取るようにはっきりしてい これほどよく眠ったこともない。 ーー偉大な任務と交 る。わたしはこれらのいわゆる「一流」どもを、およそ人わるのに、わたしは遊戯よりほかの仕方を知らない。遊戯 間の中にも数えいれない、 彼らはわたしにとっては は偉大さのしるしとして本質的な前提である。どんなささ 、、 2 リい . レ 人間のくす、病気と復讐本能の畸形児である。生に復讐を いな強制でも、陰気な顔つきでも、声の調子が硬いといっ たくらむ、禍いにみちた、根本のところはしがたい非人たことでも、すべてその人間に対する不利な証言である。 間ばかりなのだ : 。わたしはその反対であることを欲すましてその労作に対しては、何層倍も不利な証言であるこ る。わたしの特権は、健康な本能のあらゆる徴候に対してとか , ひとは神経を持っていてはならない : インザ 1 ムカイト、、 最高の鋭敏さを持っていることである。わたしにはどんな とりのさびしさに悩むというのも、一つの不利な証言だ、 病的傾向もない。重病の時でさえも、わたしは病的にはな わたしはいつも「多勢」に悩んできただけだ らなかった。わたしの本質の中に狂信のあとを求めること 七歳という、ほんとうとは思えぬくらいの小さい頃 フィールザームカイト

6. 世界の大思想25 ニーチェ

だが、わたしのような性質のものは、こういう時を避けある。このきびしさが、すべて登山する者に必要である。 1 亠、よ、・ すなわち、その時はこういう。「いま初めてなんじ これに反し、認識する者としてしつこく目をくばる者 は偉大さのなんじの道を行く ! 山頂と深淵とは どうして万事につけてその前景以上を見うるだろうー や一つに帰したー だが、おお、ツアラッストラよ、なんじはあらゆるもの なんじは偉大さのなんじの道を行く。いまや、これまで の根底と背後を見ようと欲した。それゆえなんじは自分自 なんじの最後の危険と呼ばれたものが、なんじの最後の隠身を越えて登らなければならない 上へ、上へ、なんじ れ家となったー の星をも自分の下に見るようになるまで , なんじは偉大さのなんじの道を行く。いまや、なんじの そうだー 自分自身を見おろし、さらに自分の星を見お 背後にはもはや道のないことを、なんじの至上の勇気とし ろさねばならない。それで初めて自分の頂上といえるだろ・ なければならない , う。それだけがなお自分の最後の頂上として残ってい なんじは偉大さの・なんじの道を行く。この道をたどっ て、なんじのあとをこっそりつけて行く者があってはなら なんじの足自身がみすからの通ったあと、その道 こうツアラッストラは、登りながら自分に向かって を消して行け ! そこには、不可能としるされてあれ ! 、きびしい警句で心をなぐさめた。いまだかってなかっ もし、はしごが全然ないとしたら、なんじは自分の頭の たほど、彼の心はきすついていたからである。そして山の 上に登ることを心得ねばならない。そうしないで、どうし背の高みにきた時、見よ、彼の前に別な海がひろびろと横 て上に登ることをのぞむのか。 たわっていた。彼は立ちどまって、長いあいだ沈黙してい なんじ自身の頭の上に、そして、なんじ自身の心を越え た。しかし、この高みでは夜は冷たく、澄んで、明るい星 て ! なんじにそなわるもっとも柔和なものがもっともき にちりばめられていた。 びしいものにならなければならない。 わたしはみすからの連命を知る、と彼はようやく悲しく たえす自分をしきりにいたわった者は、しきりにいたわ いった。よし ! 覚悟はできている。わたしの最後の孤独 ったために、ついには病弱となる。きびしくするものを、 はまさにはじまった。 ほめよー ハターとミツの流れる国をわたしはほめない ! ああ、わたしの足下のこの黒い悲しい海よ ! ああ、こ 多くを見るためには、自分を無視することを学ぶ必要が の身ごもれる、暗夜の苦渋よ ! ああ、運命と海よ ! お

7. 世界の大思想25 ニーチェ

いものが、一つの泉から不減の確実さを持って、ほとばし となった。これにくらべれば、これ以外の人間行為はすべ て貧弱で限られたものに見えてくる。この巨大な情熱と高り出ている。高さとは何であり、深さとは何であるか、こ の時まで人々にはわかっていなかったのだ。真理とは何で みの中では、ゲーテやシェークス。ヒアのような者でも一 瞬、息がつまるだろうとか、ツアラッストラにつきあわせあるか、については、なおさらだ。この真理の啓示の中に は、すでに先取されていたような、だれか偉大な人によっ てみれば、ダンテはただの信心家に過ぎず、真理を初めて 創造する者、世界を支配する精神、一個の運命ではないとてすでに想察されていたような瞬間は、ただの一つもな ツアラッストラ以前には、どんな英知も、どんな魂の いったこと ヴェーダの詩人も僧侶にすぎず、ツアラ 探究も、どんな説話の術もなかったのだ。もっとも手近な ッストラのような者の靴のひもを解く値打ちさえないとい もの、もっとも日常的なものが、ここでは未聞の事柄を ったこと、こうしたことはすべてごく取るにたらぬこと 語っている。章句は情熱にふるえ、雄弁は音楽となり、稲 で、この作品の生きている距離、紺碧 ( ~ ) の孤独につい ては、すこしも説明にならぬことだ。ツアラッストラは次妻はこれまで見当さえつけられていなかった未来へ向かっ のようにいう永遠の権利を持っている。「わたしはわたして投げだされている。従来あったもっとも威力のある比喩・ の力も、一一一口語が具象性の自然に帰ったこの姿にくらべれ のまわりに円を描き、神聖な境界線を引く。山がいよいよ それにツアラッスト ば、貧弱であり、児戯に類する。 高くなるにつれて、わたしと共に登る者は、いよいよ少な ラが高みから降りたって、だれにでも無上にやさしいこと くなる、 わたしはいよいよ神聖さをます山々から、一 つの山脈をつくる。」あらゆる偉大な魂の英知と慈愛を打ばをかけるありさまはどうだ ! 彼がその敵である僧侶に いちがん さえやさしい手をかけ、彼らと共に、彼らのために悩むあり って一丸としてみるがよい。それらすべてを合わせても、 ここではあらゆる瞬間に人間が克服 ツアラッストラの言説ひとっ生みだすこともできまい。彼さまはどうだ , の昇降する梯子は巨大である。彼はどんな人間よりも広大されている。「超人」という概念がここで最高の現実とな ったのだ。 これまで人間にあって偉大と呼ばれていた をに見、広大に欲し、広大な能力を示した。あらゆる精神の むじゅん 一切のものは、無限のはるかかなたに、彼の下に横たわっ の中でもっとも肯定的なこの精神は、一語ごとに矛盾してい なぎびより る。彼の中ではあらゆる対立が一つの新しい統一に結合さている。凪日和の静けさ、軽やかな足、意地わると高慢の れているのだ。人間本性の最高の力と最低のカ、も「とも遍在、そのほかツアラッストラという典型にとって典型的 甘美なものと、もっとも軽やかなものと、もっとも恐ろしである一切のものは、偉大さの本質的属性として、かって はしご

8. 世界の大思想25 ニーチェ

わたしは答えた。「ああ、それがわたしのことばか。わの足はふるえた。 それで、彼らはわたしにいった。『おまえは道を忘れた。 たしは何ものか、わたしは、さらに価値のあるものを待っ 、まは、歩くことも忘れている ! 』 ている。わたしはその人によって砕けるにさえ値いしない すると、何かがまた声なくわたしに語った。「人々のあ すると、何かがまた声なくわたしに語った。「おまえのざけりが何だ ! おまえは、服従を忘れた人間だ、さあ、 命令せよ ! 一身が何だ ? おまえはまだ十分謙譲でない。謙譲はもっ すべての人にとってだれが一ばん必要であるか、おまえ とも堅い皮を持っている。」 は知らないのか。それは、偉大なことを命令する者であ そこで、わたしは答えた。「わたしの謙譲の皮はこれま る。 で何を忍ばなかっただろう ! わたしは自分の高山のふも とに住んでいる。わたしの頂上はどのくらい高いか。だれ 偉大なことを遂行するのはむずかしい。だが、もっとむ もまだそれをわたしにいわなかった。、、こが、 オわたしは自分ずかしいのは、偉大なことを命令することだ。 の谷間をよく知っている。」 おまえは力を持っている。しかもおまえは支配すること すると、何かがまた声なくわたしに語った。「おお、ツを欲しない。」 アラッストラよ、山を移そうとする者は、谷や低地をも移 わたしは答えた。「わたしには、命令するシシの声が欠 けている。」 そこで、わたしは答えた。「わたしのことばはまだ山を すると、何かがまたささやきのようにわたしに語った。 移したことがない。わたしの語ったことは、人間にとどか「もっとも静かなことばこそ、あらしをもたらすものだ。 なかった。わたしは人間たちのところへ行きはしたが、ま ハトの足でやってくる思想は世界をみちびく。 だ彼らのもとに到達しなかった。」 おお、ツアラッストラよ、おまえは、きたるべきものの すると、何かがまた声なくわたしに語った。「おまえは影として行け。そうすれば、おまえは命令し、命令しつつ それについて何を知っていよう ! 夜がもっとも静まる先行するだろう ! 」 時、露は草の上に落ちる。」 そこで、わたしは答えた。「わたしは恥じる。」 すると、何かがまた声なくわたしに語った。「おまえは わたしは答えた。「わたしが自分の道を見いだして、進 んだ時、人々はわたしをあざけった。実際、その時わたし なお子どもになり、恥じらいを捨てねばならない。

9. 世界の大思想25 ニーチェ

今日の時代には、良い不信を持て、きみたち、より高い 人間よ、きみたち勇気ある者よ ! きみたち腹蔵なき者 よ ! そしてきみたちの根拠を秘めておけ ! なぜなら、 この今日という時代は賤民のものだからだ。 きみたちの能力以上のことを望むな。自分の能力以上の 賤民が根拠もなしに、ひとたび信ずるようになったもの てんぶく ことを望む者には、よこしまな虚偽がある。 を、いまさら根拠をあげてだれがーー転覆できるものか ? とりわけ、彼らが偉大なことを望む場合がそうだ , そして、市場では身ぶりで説得することが行なわれてい ぜなら、彼らは偉大な事物に対する不信を起こすからだ、 る。ところで根拠などあげることは、賤民に不信を起こさ この巧妙なにせ金づくりと俳優どもは。 せるだけだ。 はては彼らは自分自身に対して虚偽となり、やぶに 市場で真理が勝利をおさめるような場合があったら、き らみとなり、うわべを塗られた虫食いとなる。強いことみたちは良い不信で自問するがよい、「どんなに強い誤謬 ば、看板みたいな徳、かがやかしい、まやかしの作品によ 、、、、実はその真理のために戦ったのか ? ーと。 づて飾られて。 学者にも用心するがよい ! 彼らはきみたちを憎んでい そこでは用心が肝要だ、きみたち、より高い人間よ ! る。彼らは不生産的だからだ ! 彼らの目はつめたく乾き なぜなら、今日、わたしにと 0 て正直以上に貴重な、まれぎ「ている。彼らの前に出ると、どんな鳥も毛をひきむし なものはないからだ。 られてしまうのだ。 この今日は賤民のものではないか ? ・ところで賤民は知 彼らはうそをつかぬといって威張っている。しかしうそ らないのだ、何が偉大で、何が小さく、何がま「すぐ正直をつく力がないというだけでは、それがそのまま真理に対 であるかを。賤民は無邪気にまが 0 ている。賤民はいつでする愛とはいえぬ。用心、用心 , もうそをつく。 熱狂におちいらぬというだけでは、なかなか認識という にはほど遠いのだ ! わたしは冷えきった人々を信じな 、。うそをつきえぬ者は、真理が何であるかを知らぬ者な のだ。

10. 世界の大思想25 ニーチェ

でもよい。 すればよいのだー こうツアラッストラは衄っこ。 一死を説教する者、すなわち現世軽視の厭世主義について。 一一働くことによって不安をまぎらそうとする。これも厭世的 逃避である。 彼らがすみやかにここから去ってくれさえ 戦争と戦士について わたしたちは、わたしたちのもっともすぐれた敵から容 赦されることを欲しない。わたしたちが心底から愛する者 たちからも容赦されることを欲しない。そこで、わたしを してきみたちに真実を語らしめよー 戦争における兄弟たちょ ! わたしはきみたちを心底か ら愛する。わたしはきみたちと等しいものであり、またそ うであった。わたしはきみたちのもっともすぐれた敵でも ある。そこで、わたしをしてきみたちに真実を語らしめ わたしはきみたちの心の憎しみとねたみを知っている。 きみたちは、憎しみとねたみを知らないほど偉大ではな それで、せめて憎しみとねたみを恥じないほどに偉大 であれ ! きみたちは、認識の聖者でありえないとしたら、せめて 認識の戦士であれ。それは認識の神聖さの道連れであり、 先駆である。 わたしは多くの兵士を見る。わたしは多くの戦士を見た 彼らのまとっている制服を、「一つの形」とよんで いる。彼らの身を包むものが一つの形でないように ! きみたちは、その目で常に敵をさがしているようなもの・ きみたちの敵をさがしているようなものであれ。きみ