風は大ではないのか ? 風はなき、風はさけび、風 嘆きはいう、「ほろび行け ! 去れ、なんじ嘆きょ ! 」 はほえる。ああ ! ああ ! なんとそれはためいきをつく と。しかし、すべて悩むものは、生きることを欲する。熟・ ことか ! なんとそれは笑うことか ! なんとそれはのど し、楽しくなり、あこがれるために、 をならし、あえぐことか、真夜中はー より遠いもの、より高いもの、より明るいものにあ 真夜中、この酔った女詩人は、なんといましらふで語る こがれるために。「わたしは相続者がほしい」と、すべて ことか ! 彼女はその酔いを酔いつぶしたのではないか ? 悩むものはいう、「わたしは子供がほしいのだ。わたしが 目がさえてきたのではないか ? 反芻しているのではない ほしいのはわたしではない」と。 しかし快楽は相続者を、子供をほしがらない、 ーーー快楽 老いた、深い真夜中は、夢のなかで、その嘆きをか が求めているのは自分自身だ、快楽は永遠を欲するのだ、 みしめている。さらにそれ以上にその快楽をかみしめてい 回帰を欲するのだ、すべてが永遠に自分と同じであること る。なぜなら快楽は、たとえ嘆きが深かろうとも、央楽はを欲するのだ。 心の悩みよりか深いからだ。 嘆きはいう、「裂けよ、血を出せ、心臓よ ! さまよえ、 脚よ ! 翼よ、飛べ ! 高くー 上へ ! 苦痛よ ! 」と。 いざ ! おお、わたしの老いた心よ。嘆きはい う、「ほろび行け ! ーと。 おまえ、ブドウの木よ ! なぜおまえはわたしをたたえ るのか ? わたしはおまえを切るのに ! わたしは残酷 だ。おまえは血を流すーーー。おまえがわたしの酔った残酷 さをたたえるのは何のためだ ? きみたち、より高い人間よ、きみたちはどう思うか ? 「すべて完全になったもの、熟したものはーー死のうとすわたしは予言者か ? ・夢見る者か ? ・酔える者か ? ・夢を る ! 」と、そのようにおまえは語る。、、 フドウ摘みの小刀に解く者か ? 真夜中の鐘か ? 祝福あれ ! 祝福あれ ! しかし、すべて未熟のものは生 一滴の露か ? 永遠の匂いと香りか ? きみたちには聞 きようとするのだ。ああ、悲しいかな ! こえないのか ? きみたちには嗅げないのか ? いまちょ
2 02 だれが命令できるか、だれが服従しなければならぬか も、善人の害悪こそもっとも有害な害悪なのだ。 それがそこで試みられるのだ ! ああ、どんなに長い おお、わが兄弟たちょ、かってある人は善い人、正しい びと ( 一 ) 間の探究、推測と当て違い、学習と新規の試みでそれは調人の心底を見ぬいて、「彼らはパリサイ人だーといった。 べられることか ! しかし人々は彼を理解しなかった。 人間社会、これは一つの試みである、そうわたしは教え 善い人、正しい人自身には、彼を理解することは許され る、 一つの長い探究だ。ところで人間社会が探求する なかった。彼らの精神は彼らのやましくない良心に捕えら のは、命令者なのだ ! れていたからだ。善人の愚かさは、底なしに利ロだから それは試みなのだ、おお、わが兄弟たち ! 決してだ。 「契約」ではない , ぶち破れ、ぶち破れ、そういうやわ ところで、間違いないことはこれだ、善人はいやでもパ らかい心と中途半ばな連中のことばを , リサイ人たらざるをえないということ、ーー彼らには選択 . がないということだー 善人は、自己独自の徳を発明する者を十字架にかけざる をえない , これが間違いのない真実なのだー しかし、彼らの国を発見した第二の者、善い人、正しい おお、わが兄弟たちょ ! あらゆる人間未来の最大の危人の国と心と土地を発見した第二の者、それは次のように 問うた人だった、「だれを彼らはもっともにくむか ? ーと 9 険は、どういう人たちのもとにあるか ? ・それは善い人、 創造する者を彼らはもっともにくむ。律法の板を破り、 正しい人のもとにあるのではないか ? プレツにエル フェルプレッヒエル 「何が善であり何が正しいかを、われわれはすでに古い価値を破る者、破壊する者をーー彼らは犯罪者と 知っており、それを持ってもいる。ここでまだ探し求める呼ぶ。 なぜなら善人はーー創造することができないからだ。彼 者はわざわいなるかなだ ! 」と口に出していし 心に感じ ているのが、彼らなのだ。 らは常に終わりの初めである。 彼らは新しい価値を新しい板に書く者を十字架にか そして、悪人がどんな害悪をなそうとも、善人の害悪こ そもっとも有害な害悪なのだ ! ける。彼らは自分たちのために未来を犠牲にする、ーー彼一 らは一切の人間の未来を十字架にかけるのだ ! そして、世界を中傷する者どもがどんな害悪をなそうと
「一すじの光のように、わたしは悟るところがあった。自者をも求めない。共に創造し、新しい価値を新しい板の上 に書く人々を、創造者は求める。 分には道連れが必要なのだ。しかも生きた道連れがーー自 創造者は、道連れを、共に収穫する人々を求める。創造 分が行こうと欲するところにになって行くのは、死んだ道 連れや死体ではない。 者にあっては、すべてが収穫されるばかりに熟しているか らである。だが、 生きた道連れが必要なのだ。おのれみずからに従うこと 彼には百のカマがない。そこで穂をむし を欲するがゆえに、わたしに従ってくるーーー・そしてわたし りとり、腹を立てている。 の行かんと欲するところに従ってくる生きた道連れが。 創造者は、道連れと、みすからのカマをとぐことを心得 一すじの光のように、わたしは悟るところがあった。民ているものを求める。彼らは絶減者、善と悪とのけいべっ オ彼らこそ収穫者であり、祝う 衆に向かってではなく、道連れたちに向かって、ツアラッ者と称されるだろう。どが、 , ストラは語るべきなのだー ツアラッストラは家畜の群れものである。 の牧人や大となるべきではないのだ , 共に創造する人々を、ツアラッストラは求める。共に収 畜群から数匹を誘い去るーーそのために、わたしはやっ穫する人々を、共に祝う人々を、ツアラッストラは求め ツアラッ てきた。民衆と畜群はわたしに対し怒るがよい る。彼は、畜群や牧人や死体となんのかかわりがあろう ! ( 四 ) ストラは牧人たちにとって盗賊と称されることを欲する。 では、わたしの最初の道連れよ、ごきげんよう ! わた しはおまえをうつろな木の中にねんごろに葬った。オオカ わたしは彼らを牧人というが、彼らはみずからを善い ミに対しておまえを注意ぶかく隠した。 人、正しい人と呼ぶ。牧人とわたしはいうが、彼らはみず っ だが、わたしはおまえから別れる。時はめぐった。朝焼 語からを正しい信仰の信者と呼ぶ。 スあの善い人と正しい人とを見よ ! だれを彼らはもっとけと朝焼けとの間に、わたしにとって新しい真理がきた。 スも憎むか。彼らの価値の板を破り裂くものを、破壊者を、 わたしは牧人となるべきではない。墓掘り人となるべき ラ犯罪者を憎む。 ところが、それこそ創造者なのだ。 ではない。二どと民衆とは話すまい。これを最後にわたし すべての信仰の信者を見よ ! だれを彼らはもっとも憎は死者と語ったのだ。 こむか。彼らの価値の板を破り裂くものを、破壊者を、犯罪 創造する人たち、収穫する人たち、祝う人たちの仲間に . 者を憎む。 ところが、それこそ創造者なのだ。 なろう。彼らに虹を、超人の階段のすべてを示そう。 ひとりで生きる人たちのために、わたしはわたしの歌を 創造者は道連れを求める。死体を求めない。畜群をも信
ツアラッストラは、混乱し動揺して、これに答えず黙し そんな人を探し求めて、この高みに登ってくる者があっ ていた。ついに彼は、思い迷う者のようにたずねた。「で、 たら、むだ骨をおることになろう。なるほど洞穴は見つか あそこでわたしを呼んでいるのは、だれなのか ? 」 るだろう、背後の洞穴、もろもろの隠されたもののための 「自分で分かっていられるではないか」と、予言者ははげ隠れ家は見つかるだろう、だが、幸福の坑道、宝の部屋、 しく答えた。「何のために自分をかくされるのか ? あな新しい幸福の金鉱脈にはお目にかかれないであろう。 たを求めて叫んでいるのは、より高い人間なのだ ! 」 幸福ーーどうして、こんな埋もれた隠者のもとで、幸福 が見つかろうか ! 幸福の島々や、もっと遠く忘れられた 「より高い人間だって ? 」と、ツアラッストラは恐布にと らえられてさけんだ。「それはまた何を欲するのか ? そ海のあいだに、わたしは最後の幸福を探さねばならないの れはどんな望みを持っているのか ? ・より高い人間 そではないか ? いつはここでどうしようというのか ? 」ーーそして彼の肌 しかし、すべては同じことだ。なんのかいもないこと は汗でおおわれた。 だ。探してみてもはじまらぬ。幸福の島だって、もうない のだ ! 」 しかし予一一一口者はツアラッストラの不安には答えないで、 深みのほうに耳をすまし、耳を傾けた。だが、そこは長い あいだ、物音もなく静かだったので、予言者はふりむい 予言者はそのように嘆いた。しかし、彼の最後の嘆きを た。するとツアラッストラが立ってふるえているのが目に 聞くと、ツアラッストラはふたたび明るくなり、しつかり たよ、つこ。 とした。まるで深い穴から明るみに出てきた人のようであ 「おお、ツアラッストラーと、予言者は悲しげな声でいし った。「 ! 否 ! 三たび否 ! 」と、彼は強い声で叫ん はじめた。「あなたがそこに立っている姿は、自分の幸福だ。そして、ひげをなでた。 「そのことはわたしのほ ス に目まいを起こしている人のようではない。倒れないためうがよく知っている ! 幸福の島々はまだあるのだ ! そ には、あなたはいやでも踊らなくてはなるまい のことについてはロをきくな、おまえ、なげきの悲哀表 しかし、あなたがわたしのまえで踊り、あなたのあらゆよ , こ る旋回を飛んでみせても、だれもわたしにいうことはでき そのことについてはびちゃびちゃいうのをやめてくれ、 おまえ、午前の雨雲よ ! 現にわたしはすでに、おまえの まい、『見よ、ここに最後の楽しい人間が踊っている ! 」 悲哀によって濡れ、水をあびた犬のように立っているでは
ると、客人一同に向きなおり声をはげまして叫んだのだっ 「おお、きみたち、そろいもそろってひょうきん者よ、道 そしてもう一度、ツアラッストラは語りはじめた。「おお、 化役者よ ! 何できみたちはわたしのまえで気取「たりかわたしの新しい友だちたちよ」と、彼はい 0 た。 「き くしたりするのか , みたち、奇妙な連中よ、きみたち、より高い人間よ、いま だってきみたちめいめいの心臓は、うれしさと意地わる きみたちがどんなにわたしの気に入っていることか、 でそわそわしているではないか、とうとうきみたちがまた きみたちがふたたび陽気になってくれてからという 子供に帰った。つまり敬虔になったということで ! ものは ! 実際、きみたちはみな花を開いたのだ。わたしの とうとうまたきみたちのすることが子供そっくりに 思うのに、きみたちのような花には、新しい祭典が必要だ。 なった、つまり祈ったり、手をあわせたり、『神様』とい ちょっとした勇ましいナンセンスとか、何か神の礼 ったりしたということで ! 拝に似たロの祭りとか、何か古なじみの楽しいツアラッ しかし、もうこんな子供部屋から出て行くことだ ! 今ストラ的道化とか、きみたちの魂を明るくふくらませるそ 日、あらゆる児戯が演ぜられたわたし自身の洞穴から出て よ風みたいなものが。 行くことだ。この戸外できみたちの熱い子供じみたはしゃ この夜とこのロの祭りを忘れるな、きみたち、より高い ぎと心の大騒ぎを冷やすがいい ! 人間よ ! これはきみたちがわたしのところで発明したも もちろん、きみたちは子供のようにならなければ、あの のだ。わたしはそれをいいしるしだと思う、 天国には行けない。 ( そしてツアラッストラは両手で上のものを発明するのは、快方に向かう人たちだけだからだ ! ほうを指し示した。 ) そして、きみたちがふたたびこのロ・ハの祭りを祝う時に しかし、われわれは天国なんかへまったく行きたいとは は、それをきみたちのために祝うがいい、またわたしのた 思わないのだ。われわれは大人になったのだ、 だからめに祝うがしし わたしの思い出として ! 」 われわれは地上の国を欲するのだ。」 こうツアラッストラはった。
ああ、ふいごの働ぎしかしないような大思想がおびたた しくある。それはふくらまし、いよいよ空虚にする。 創造者の道について きみは自分を自由と称するのか。わたしが聞きたいの 兄弟よ、きみは孤独の中に行こうと欲するか。きみ自身は、きみの支配的な思想であって、きみが一つのくびきか への道を求めようとするか。なおしばしためらって、わた らのがれた、ということではない。 しのいうことを聞け。 きみは一つのくびきをのがれることを許されたものであ 「求める者は、道を失いやすい。およそ孤立は罪である。」るか。奉仕的服従を放棄するとともに、最後の価値を放棄 こう群集はいう。そしてきみは久しくこの群集に属してい した者も少なくない 何からの自由か。それがツアラッストラになんのかかわ 群集の声はきみのうちになおもひびくだろう。そして、 りがあろう ? だが、きみの目は明らかにわたしに告げね きみが「自分はもはやきみたちと同じ良心をともにしな ばならぬ。何のための自由かを。 ーという時、それは嘆きであり、苦痛であるだろう。 きみは自分自身にきみの善と悪とを与えることができる 見よ、この苦痛そのものを生んだのは、あの同じ良心で か。きみの意志を律法のように自分の上にかかげることが あった。その良心の最後の徴光がまだきみの悲しみの上に できるか。きみ自身にとって、きみの律法の裁判官、復讐 燃えている。 者となることができるか。 だが、きみは、きみ自身への道である悲しみの道を行こ きみ自身の律法の裁判官、復讐者とだけいっしょに孤立 うと欲するのか。それでは、それに対するきみの権利と力しているのは、恐ろしい。すなわち、一つの星が孤独の荒 を示せー 涼たる空間、氷のような気息の中に投げだされるのであ きみは新しいカ、新しい権利であるか。最初の運動である。 るか。みすから回転する車輪であるか。きみは星をも強要 今日なおきみは多くの者のために悩んでいる、きみ、ひ して、きみのまわりを旋転さすことができるか。 とりなる者よ。今日なおきみは勇気と希望を完全に持って ああ、高きをのぞむ情欲はおびただしくある ! 野心家 たちのけいれんはおびただしくある ! きみがそういう情 だが、いつの日か孤独はきみを疲れさせるだろう。いっ の日かきみの誇りはのたうち、きみの勇気は歯ぎしりする 欲家や野心家のひとりでないことを示せ !
四 5 こうツアラッストラは語った 高く そして脚のことも忘れるな ! きみたちの脚もあ げろ、きみたち、よい舞踏者よ。さらによいことは、きみ たちが逆立ちもすることだ , 幸福の中にいても身の動きの重い動物がいる。もともと かんむり 笑う者のこの冠、この・ ( ラの花輪の冠、わたし自身が脚ののろい動物がいる。逆立ちしようと骨折る象さながら この冠を自分の頭にかぶせたのだ。わたし自身がわたしの に、彼らは奇妙に大骨を折る。 哄笑を神聖だと宣言したのだ。そういうことをやるだけの しかし、幸福をまえにしてふざけるのは、不幸をまえに 十分の強さを持っている人を、わたしは今日わたし以外に してふざけるよりはましだ。萎えた足で歩くよりは、無骨 は見いださなかった。 に踊るほうがましだ。だから、わたしの知恵を学び取れ。 舞踏者ツアラッストラ、翼で合図をする軽い者ツアラッ 最悪の事物にも二つのよい裏面があるのだ、 ストラ、すべての鳥に合図しながら、飛ぶ身構えのでき 最悪の事物もまた一一本のよい舞踊の脚を持っている た、覚悟も用意もととのった、至福にも軽々しい者。 ものなのだ。きみたち、より高い人間よ、きみたち自身を 真実をいう予言者ツアラッストラ、真実に笑う者ツアラ きみたちの正しい脚の上に立たせることを学んでくれ ! 躍と横跳びを愛 ッストラ、短気者でも頑固者でもなく、跳 どうか哀愁の調べと一切の賤民の悲哀を忘れてほしい ! する者、わたし自身がこの冠を自分の頭にかぶせたのだ ! おお、賤民の道化師なんか、今日わたしにはなんと悲しく 見えることか ! ところでこの今日は賤民のものなのだ。 一マタイによる『福音書」二七の二九「いばらで冠を編んで その頭にかぶらせ」のもじり。 一一「軽率ー leichtfertig というわるい意味のことばに、「軽く 用意のととのった」 leicht-fertig ということばのしゃれをふく ませた。 もっと わが兄弟たちょ、きみたちの胸を張れ、高く ! 山の洞穴から吹きおろす風に見習え。あの風は自分の笛 にあわせて踊ろうというのだ。あの風の過ぎゅく足跡のし たで、海は身ぶるいして飛びはねる。 ロにも翼をあたえ、雌ジシの乳をもしぼるような、こ
てしまったのだ。そして、思いもかけぬ幸連にぶつかった お役ご免 者のように、男は飛びおきて、ツアラッストラめがけて突 進してきた。 しかし、ツアラッストラが魔法使いからのがれてまもな 「旅人のきみよ、あなたがどなたであろうとも」と彼はい く、またしても自分の行く手にだれかが坐「ているのを見つた。「道に迷 0 た、探し求めているこの老人を助けてく た。それは黒衣をつけた背の高い男で、やせこけた青白い れ ! ここでは危害を受けそうなのだー 顔をしていた。この男はツアラッストラをひどく不快にし このあたりの世界は、わたしにはなじみもないし、縁遠 - た。「ああ」と、彼は自分の心にいった。「あそこに坐って い世界だ。そのうえ野獣のほえるのも聞こえてくる。そし いるのは仮装した悲哀だ。僧侶のたぐいの者と見える。彼て、わたしを守ってくれたはずの男も、もはやこの世にい らはわたしの国に何の用があるのだろう ? ないのだ。 何ということだ ! 例の魔法使いから逃れたばかりな わたしの探し工いたのは、最後の敬虔な人間なのだ。聖 のに、またしても別の魔術師に出くわすまわりあわせと者で世捨人で、今日世界じゅうが知「ていることを、ただ ( 三 ) ひとり森の中にあって、何ひとっ聞いたことのない人なの あんしゅ ( ニ ) 按手の礼を受けたどこかの魔法使いか、神の恩寵に ひほうしゃ よる怪しい奇蹟行者か、聖油をぬられた世界誹謗者か、ど 「今日世界じゅうが知っている、というのは、何のこと いつも悪魔がさらって行けばいいんだ ! か ? 」と、ツアラッストラはたずねた。「たとえば、世界 ところが、おるべき場所にいたためしがないのが悪魔じゅうがかって信じていた古い神がもはや生きていない、 トた。いつもやつは遅刻する、このいまいましい曲がり脚の といったことなのか ? 」 ッ小びとめは ! 」 「あなたのいうとおりだ」と、老人は悲しげに答えた 9 ツアラッストラは我慢できなくなって、このように、いの 「わたしはこの古い神に、その最後の時まで仕えた身だ。 いなかで呪い、どうしたら見て見ぬふりをしながら黒衣の男 ところでいまやわたしはお役ご免になった。主人はいな こ のそばをすりぬけられようかと考えめぐらしていた。とこ いが、自由というわけでもない。思い出を別とすれば、片 ろが見よ、そうは行かなかった。というのは、その瞬間 時ももはや楽しくはない。 に、坐っている男はすでにツアラッストラの姿を目にとめ わたしがこの山へ登ってきたのは、年老いた教皇、年老
こうツアラッストラは語った きみたちを生みふやしてゆくばかりでなく、生み高めて いくことーーそのために、おお、わが兄弟たちょ、結婚の きみたちの結婚の結びつきが、ますい結びにならぬよう花園がきみたちの助けになるように , に気をつけよ ! きみたちはあまりに早く結んだ。だから その結果としてーー結婚を破る姦通になるのだ , 一結婚によって人格を破壊せられた。 結婚を曲げたり、結婚を偽っているよりか、結婚を破る 姦通のほうが、まだましだ , かってある女はわたし にいった。「なるほどわたしは姦通によって結婚を破りま した。だが最初に結婚が破ったんですーーわたしを ! 」 古い源泉について悟った者は、見よ、ついには未来の泉 悪い縁組を結んだ者が最悪の復讐者であることを、わた と新しい源泉を求めるようになるだろう。 しは常に見た。彼らはもはやひとりで歩けないしかえしを おお、わが兄弟たちょ、遠からずして新しい諸民族がわ 世の中に向けるのだ。 き出てくるであろう。そして新しい泉が新しい深淵へざわ それゆえ、わたしは、誠実な者たちがたがいにこう語りざわと流れおちるであろう。 あうことを望む。「わたしたちは愛しあっている。愛を失 というのは、地震ーーこれは多くの泉を埋め、多くの飢 わないように、たがいに気をつけよう ! それとも、わた渇者をつくるけれども、それはまた内部のもろもろの力と したちの約東は過失であろうか ? 」 秘密の数々を白日のもとに持ちあげるからだ。 「わたしたちが大きな結婚に適格かどうかを見るた 地震は新しい泉をあらわにする。古い諸民族の地震のう めに、わたしたちに、しばらくの期間と小さな結婚をあたちに、新しい泉がほとばしり出るのだ。 えよ ! つねに二人でいることは、重大なことがらだか そしてその時、「見よ、ここに多くの渇いた者たちのた めの一つの泉がある。多くのあこがれにみちた者たちのた このようにわたしはすべての誠実な者たちにすすめる。 めの一つの心がある。多くの道具のための一つの意志があ そして、もしわたしが違ったふうにすすめたり語ったりし る」と叫ぶ者ーーこの者のまわりに一つの民族が集まるで 似たら、超人と、きたるべき一切のものに対するわたしの愛あろう。それがすなわち、多くを試みる人たちなのだ。 など、 いったい何であろうかー
生まねばならぬ者は病んでいる。しかし生んでしまった者 その父祖が女や強い酒やイノシシを愛したというのに、 は不浄だ。 その子孫が自分に純潔を求めるなんて、何たることだ ? それこそ愚行というものだろう ! そんな男が一人、あ 女たちに問うてみよ。楽しいから生むのではない。 ドリと詩人を鳴かせるのは苦痛なのだ。 るいは二人、あるいは三人の女の亭主でおさまるなんて、 きみたち創造する者よ、きみたちには不浄なものが一杯実際容易ならぬことだとわたしには思われるのだ。 くつついている。それは、きみたちが母とならねばならぬ たとえそんな男が修道院を建てて、その入口の上に「聖・ からなのだ。 への道」と書いたところで、 わたしはやつばりいうで 新しい子供、おお、それを生むためには、どんなにたくあろう、「どこへ行く道か知れたものかー また一つ馬 さんの新しいれもまた日の目を見ることか ! 避けて通げたことをやらかすだけだ ! 」と。 ばんざい るがよい ' そして生み終えた者は、自分の魂を洗い清め そんな男が自分で獄舎と隠れ家をつくったとさ、万歳 , るべきだ ! だが、わたしはそんなことは真に受けない。 孤独の中では、人がその孤独へ持ちこんだものも生長す る。内なる獣も生長するのだ。われわれが多くの人に孤独 を思い止まらせるのもそんなわけからだ。 砂漠の聖者以上にきたないものが、かって地上にあった きみたちの力にあまるほど有徳であろうとするな ! でろうか ? 彼らのまわりには、悪魔だけが出没したのでは プタもまた出没したのだ。 きそうにもないことを自分に要求するな , すでにきみたちの父祖の徳が通ったとおりの足跡をたど れ ! きみたちの父祖の意志がきみたちといっしょに登ら 一三人ぐらいの女ですむのは大それたことだ ( 容易なことで ないのに、どうしてきみたちは高く登ろうというような気 ない ) という反語。 を起こすのか ? 草分けになろうと志す者は、せめてしんがりにならない ように気をつけろ ! そしてきみたちの父祖が悪徳を犯し たところで、きみたちは聖者ぶろうと思ってはいけない おずおずと、恥じて、不器用に、飛びそこなった虎のよ