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検索対象: 世界の大思想25 ニーチェ
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1. 世界の大思想25 ニーチェ

をめざしている。きみたちはネコやオオカミとどういう共 言え、兄弟たちょ、われわれにとって悪と最悪と考えら 通点を持つだろうか。 れるものは何か。それは変質ではないか。 あたえる徳 みずから犠牲となり、贈り物となることが、きみたちの の欠けているところでは、われわれはつねに変質を推測す る。 渇望である。それゆえ、きみたちは、あらゆる富を自分の 魂の中に集積する渇望をいだいている。 われわれの道は上昇する。種属から超種属へと。それ きみたちの魂は宝と珠玉をめざして飽くことを知らな で、「すべてを自分のために」という変質する心はわれわ 。きみたちの徳は、あたえようと欲することにかけて飽れにとって、恐布である。 くことを知らないから。 われわれの心は飛躍上昇する。この心はわれわれの肉体 きみたちはあらゆる物をきみたちの方へ、きみたちの中の比喩であり、一つの高まりの比喩である。いろいろな徳 へ強要する。それがきみたちの泉から愛の贈り物としてふ の名称はそういう高まりの比喩にほかならない。 たたび流れでるように。 こうして肉体は歴史をぬって行く。成長するもの、戦う まことに、そのようなあたえる愛は、あらゆる価値の強ものである。そして精神はーーそれは肉体にとって何であ 奪者にならなければならない。だが、この我欲をわたしは るか。肉体の戦いと勝利との、伝令、道連れ、反響にほか 健康で神聖だとよぶ。 ならない。 もひとっ別な我欲がある。あまりに貧しく、飢えて、つ 善と悪との名称はすべて比喩である。比喩は発言しな ねに盗もうとする我欲である。病める者の我欲、病める我 。目くばせするだけである。それについて知ろうと欲す っ 欲である。 るものは、愚か者である。 ぬすびと それは盗人の目をもって、あらゆる輝くものを見る。飢 兄弟よ、きみたちの精神が比喩で語ろうとする刻々に注 ス餓の強欲をも「て、食物をゆたかに持つ人をじろじろと見意せよ。そこにきみたちの徳の源泉がある。 ラる。そして、あたえる者の食卓のまわりを、つねにしのび きみたちの肉体は高められ、よみがえった。肉体は、そ 歩く。 の歓喜をもって精神を陶酔させ、かくて精神は創造者とな こそういう欲望からは、病気と目に見えない変質が語ってり、評価者となり、愛する者となり、万物の恩恵者とな いる。このような我欲のどろぼう的強欲は病弱な肉体につる。 いて語っている。 きみたちの心が、激流に似て、広く満ちあふれあわ立

2. 世界の大思想25 ニーチェ

いた教父にふさわしい祭典を、ついにふたたびあげるため わたしこそ、神を無視する ) アラッストラだ。『わたし だった。なぜなら、わたしこそは最後の教皇なのだ ! より以上に神を無視するものがあろうか。あればその人の ( 四 ) 敬虔な追憶と礼拝の祭典をあげるために。 教えを受けよう』といっている当人なのだ。」 ところがいまやあの男はこの世にいない。敬虔このうえ こうツアラッストラは語って、そのまなざしで老教皇の ないあの男、たえず歌ったり、うなったりして彼の神をた考えと底意をつらぬいた。ついに老教皇はいい はじめた。 たえていた、森の中のあの聖者は亡くなってしまった。 「神をもっとも多く愛し、所有していた者こそ、いまは神・ わたしが彼の小屋を見つけた時、もはや彼自身は見つかをもっとも多く失ったのだ らなかった、 小屋のなかに二匹のオオカミは見つかっ 見よ、おそらくわれわれ一一人のうち、いまとなって たが。オオカミは彼の死をなげいてほえていたーー動物ど はわたし自身のほうが、い っそう神を無視する者ではなか もはすべて彼を愛していたからだ。そこでわたしは逃げてろうか ? しかし、だれがそれを喜びえよう ! きた。 「おまえは神に最後の最後まで仕えた、というが」 さてこそわたしがこの森と山にや 0 てきたのも、むだ足と、ツアラッストラは深い沈黙ののちに物思わしげにたず か ? その時わたしの心は決断した、別の男を探そう、神ねた。「神がどのように死んだか、知 0 ているであろう ? を信じないすべての者のうち、もっとも敬虔な者を 苦悩を共にする同情が彼の息の根をとめたと、世間ではい ツアラッストラを探そうと ! 」 っているが、それは真実であるか ? 老人はこう語って、するどい目で、自分の前に立ってい 神は、人間が十字架にかかるのを見た、そして、人 るその人を見つめた。ところがツアラッストラは老教皇の 間に対する愛がその人の地獄となり、ついにその人の死と 手を取って、長いあいだ感嘆しながらその手を眺めてい なったことに堪えなかったのだ、と世間ではいっている が、それは真実なのか ? 」 「尊師よ、見るがいい」と、やがて彼はいった。「何とい しかし、老教皇は答えず、おすおずと 、いたましげな暗・ う美しい長い手であろう , これは、常に祝福を分かちあ い顔つきで、目をそらした。 たえてきた者の手だ。ところでいまこの手は、おまえの探「彼を引きとめないがいい」とツアラッストラは長い沈思一 している者をしつかりとらえている。わたしを、ツアラッ ののちに、あいかわらず老人の目をまともに見つめなが ストラを。 ら、、つこ。

3. 世界の大思想25 ニーチェ

( 二 ) ちたかを知るまでには、泉は長く待たなければならない。 彼らは全く無邪気に刺す。 およそ偉大なものは、市場と名声から離れていく。 古 だが、きみ、深い者よ、きみは小さい傷にもあまりに深 来、新しい価値の創始者は、市場と名声から離れて住んでく悩む。きみがまだなおらぬうちに、同じような毒虫がき みの上をはった。 逃げよ、友よ、きみの孤独の中に。わたしは、きみが毒 ぬすみ食いをするこれらの者を殺すには、きみは誇りが ・ ( イにところきらわず刺されているのを見る。荒い強い風高すぎる。どが、 , オ彼らの毒のある不正を忍ぶことがきみの の吹くかしこに逃げよ ! 宿命とならないように、注意せよ ! きみの孤独の中に逃げよ ! きみは、小さい者たち、あ 彼らはまた賞賛のうなり声できみをとりかこむ。しつこ われむべき者たちに、あまりに近く生きた。彼らの目に見さが彼らの賞賛である。彼らはきみの皮膚と血の近くにあ えぬ復讐を避けて、逃げよ ! 彼らはきみに対しては復讐ろうと欲する。 以外の何ものでもない。 彼らは、神や悪魔にへつらうように、きみにへつらう。 もはや彼らに対して腕をあげるな ! 彼らの数は数えき彼らは、神や悪魔の前ですすり泣くように、きみの前です れない。、 , イたたきとなるのは、きみの運命ではない。 すり泣く。それが何だ ! へつらう者、すすり泣く者であ って、それ以上のものではない。 これらの小さい者たち、あわれむべき者たちの数は数え きれない。豪壮な建築で、雨滴や雑草のため崩壊したもの 彼らはまたしばしば愛きようある者としてきみに姿を示 も少なくない。 す。だが、それは常に臆病者の賢さであった。そうだ、臆 きみは石ではないが、すでに多くの水滴によって、うつ病者は賢い ! ろになった。多くの水滴によって、くずれ、くだけるだろ 彼らはその狭い魂をもって、きみについてしきりに考え る。 きみは彼らにとって常に憂慮される ! しきりに きみは毒・ハイによって疲れ、百個所も引き裂かれて血を考えられるものはすべて、憂慮されるものとなる。 流しているのを、わたしは見る。しかも、きみの誇りは怒 彼らはすべてのきみの徳に対してきみを罰する。彼らが ろうとさえしない。 心からゆるすのはーーきみの過失だけである。 毒・ハイらは、全く無邪気にぎみから血を吸おうとする。 きみは、温和で、正しい心の人であるがゆえに、「彼ら 血のない彼らの魂は血をむさぼり求める。 それゆえ、 の小さい存在について、彼らに罪はないという。だが、

4. 世界の大思想25 ニーチェ

潜し、ふたたび大きな石の上に腰をおろして、考えにふけ し、びつくりしてそこに立っていた。そしてわが胸に問 考えめぐらした。彼のあたりに人影はなかった。「そった。突然、彼は突っ立った。 「同情だ ! より高い人間と悩みを共にする同情だ ! 」 れにしてもわたしの耳にしたのは何であったのか ? 」と、 と、彼は叫んだ。彼の顔は青銅に変わった。「それもよし ! ついに彼はゆっくりいった。「いましもわが身に起こった それがーー・時を得てのさばっていたのだー のは何事であったのだろう ? 」 わたしの悩み、またわたしの共に悩む同情ーーー・そんなも しかし、すでにして思い出が彼によみがえってぎた。そ のが何だというのだ , いったいわたしは幸福を追い求め して一挙に彼は、昨日と今日のあいだに起こった一切のこ ているのか ? いや、わたしの追い求めているのは、わた とを理解したのだった。「ここに石があるではないか」と、 しの仕事だ ! 彼はいって、ひげをなでた。「この上にわたしは昨日の朝、 よし ! シシがきた。わたしの子供たちは近くにいるの 坐っていたのだ。そしてここで予言者がわたしのほうに歩 だ。ツアラッストラは熟した。わたしの時がぎたのだ。 みよってきたのだ。そしてここでわたしは初めて、いまし これはわたしの朝だ。わたしの昼がはじまるのだ。昇っ がた聞いた悲鳴を聞いたのだ、大きな危急の叫びを。 おお、きみたち、より高い人間よ、昨日の朝、あの老魔てこい、さあ、昇ってこい、おまえ、大いなる真昼よー 法使いがわたしに予言したのは、きみたちの困窮について ほらあな っ こうツアラッストラは語って、彼の洞穴をあとにした。 ーー・彼はわたしをきみたちの困窮に誘惑し、わたしを試 そうとしたのだ。『おお、ツアラッストラ』と、彼はわた暗い山からさし昇る朝日のように、燃えながら、力強く。 しにいった、『わたしはあなたをあなたの最後の罪に誘惑 ッしようとしてきたのだ』と」 一ゲッセマネでイエスの弟子たちが眠りこけていたように、 「わたしの最後の罪に ? ーと、ツアラッストラはさけん より高い人間たちが眠っているあいだに、ツアラッストラは起 で、自分自身の言葉に怒って、笑った。「わたしの最後の きでて、さし昇る太陽を迎える。その時、長年待ちこがれてい 罪としてわたしがいままで犯さずにすんでいるのは、何で たしるし、ハトの群れを伴った笑うシシが出現する。力と柔 あろうか ? 」 和、剛胆と純潔の合一した象徴である。ニーチェの手記に、 「超人ーーーキリストの魂を持ったロ 1 マ皇帝シーザー」と書か そしてツアラッストラはもう一度、自分のなかへ沈 ため

5. 世界の大思想25 ニーチェ

167 こうツアラッストラは語った = 官吏の執務ぶりと、出世コースを皮肉ったものか。 三大元帥としての皇帝に対する忠誠。 四星のなかの星である月は皇帝を意味する。 一般にぶかっこうなもの、できそこないの人間。廷臣、あ るいは高官。 六「人間は考え、神はみちびく」というこし、わぎのもじり。 七「大いなる真昼」というニーチェの考えには、キリスト教の ああ、何もかもすでに枯れしぼんで灰色になっているで 最後の審判の思想がまぎれこんでいる。それは人間が超人に転よよ、 ーオしか ! ついさきごろまで、この野原は緑したたり色 換する時であるが、それはヨハネ「黙示録」に見られるような とりどりであったのに ! そして、どんなに多くの希望の 火の裁き、天変地異が先行しなければならぬのである。 ハチミツを、わたしはここからわたしのハチの巣へ持ちは こんだことだろうー あの若い心の持ち主たちは、すでにみな老いてしまった いや、老いたのではない , ただ疲れ、卑俗に なり、安易になったのだ。ーー彼らはそれを、「われわれ はふたたび敬虔になった」と称している。 朝早く、彼らが勇敢な足どりで駆けだして行くのを見た のも、つい最近のことだったのに、彼らの認識の足ははや 疲れて、いまや彼らは、彼らの朝の勇敢さまであしざまに いっているではないかー まことに、彼らの多くは、かっては舞踏者のように足を あげたものだった。わたしの知恵の笑いは、彼らに合図を 送ったものだった。 そのとき、彼らは思いなおしたの だ。いままさに、わたしは見た、彼らが腰をまげてーー十 字架のほうへ腹ばいになっていくのを。 彼らはかって、光と自由のまわりを、蛾のように、若い 背信者について

6. 世界の大思想25 ニーチェ

こうツアラッストラは語った 157 んだ。彼らの ( イの幸福と、日のあたった窓ガラスのまわも人間の最上の家畜にする。 りの彼らの羽音とを、わたしは残らずよく推察した。 「われわれはわれわれのイスを中間に置いた」ーーと彼ら 善意のあるところ、等量の弱さのあるのを、わたしは見のあいそ笑いはわたしにいう。 「死に行く剣士から、 た。正義と同情のあるところ、等量の弱さのあるのを、わ満足したブタからと同様に引きはなして。」 たしは見た。 これはしかしーー・凡庸である。たとえ中庸と呼ばれよう 彼らはたがい冫 とも。 こ、円満で、公正で、親切である。砂粒が 砂粒同士、円満で、公正で、親切であるように。 ささやかな幸福をつつましく抱擁するーーそれを彼らは 一しきりに話題にはするが、ほんとうに考えはしない。 「忍従ーと呼ぶ ! そうしながら、彼らは新しいささやか チェについてしきりに語られるが、深くニーチェの真意を理解 な幸福に早くもつつましく流し目を送る。 するものは少ない。 根本において彼らは単純に一つのことをもっとも念願し = 彼らがわたしの思想を騒がしく論議するので、かえってわ ている。すなわち、だれからも苦痛を与えられないこと たしは孤立する。 を。それで彼らはだれに対しても先まわりして、親切をつ 三悪い眼光で見られると、不幸になる、という迷信がある。 ツアラッストラは危険視される。 四社会主義の時代には、超人の思想のような貴族主義モラル これはしかし臆病である。たとえ「徳ーと呼ばれるとし は受けいれられない。 ても。 三自主的に意欲するものは少なく、多数のものは他人の意志 この小人たちが荒つ。ほく語るとしても、その中にわたし に支配されている。 は彼らのしやがれ声を聞くだけである。 息を吹きこむ 六フリードリヒ大王が、みずからを国家の第一の公僕と呼ん ごとに彼らの声はしやがれる。 にルよ一つこ。 彼らはぬけ目がない。彼らの徳はぬけ目のない指を持っ なまあたたかい凡庸な幸福に執着する現代人。 ている。だが、 , 彼らにはこぶしが欠けている。彼らの指は っ 0 こぶしのかげに隠れることを知らない。 彼らにとって徳とは、つつましく、おとなしくさせるも わたしは民衆のあいだを通り、 いくたのことばを落とし のである。それでもって彼らはオオカミを大にし、人間をて行く。だが、彼らは拾うことも取っておくことも知らな

7. 世界の大思想25 ニーチェ

くる。では、別れよう ! おお、わたしの頭上の空よ、なんじ、恥じろう者よ ! 小さくする徳について 赤く燃える者よ ! おお、なんじ、日の出まえの幸福よ ! 昼がくる。では、別れようー こうツアラッストラはった。 ツアラッストラはふたたび陸地にあがった時、すぐに彼 ほらあな の山と洞穴に向かっていかず、あちこち歩き、いろいろた ずね、あれこれとさぐった。こうして彼は自分自身につい 一ツアラッストラは海の空の美しさをたたえる。しかし、そ て戯れていった。「うねりくねって源に流れかえる川を見 の美しさは、道徳的な合理的な世界秩序などという解釈にけが よ ! 」と。というのは、彼がるすの間に人間がどうなった . されない限りにおいて可能だ。宇宙が理性的秩序に支配されて か、大きくなったか、小さくなったか、知りたいと思った いるなら、神々しい偶然や創造的生命の発現などの余地がなく からである。彼は一列の新しい家を見て、あやしんでいっ なる。 = 愛と恥じらいとは、あからさまに外に示されない、内蔵さ れた思想。 「これらの家は何を意味するのか。まことに、大いなる魂 三太陽は、最大の希望、カの根源などの象徴。 が、みずからの比喩として建てたのではない ! 四功利主義の道徳や、宗教的罪過の倫理。 愚かな子どもがおもちゃ箱から取りだしたのだろうか。 = 行く雲は、清浄な空をくもらしけがすから、陰険な妥協的ほかの子どもが箱にしまえばよいが。 な、中途半ばな立場を象徴する。 それから、これらのへやべやよ、おとながそこに出入で、 六キニク学派のディオゲネスはたるの中で暮らした。 きるだろうか。これらのへやは絹の人形のために作られた セ万物を支配するのは、合理的道徳的秩序ではなく、非合理 と、わたしには思える。あるいは、みすからをもぬすみ食 的生命である。 ^ 人を陥れる迷い いさせる、ぬすみ食いの徒のためにつくられたと思える」 と。 れ昼は、一切を合理的に平板にする割り切った判断をさす。 一 0 すべてのものが合理的判断に適応するわけではない。 そしてツアラッストラは立ちどまって、考えこんだ。や

8. 世界の大思想25 ニーチェ

ことを、しくじったからこそ、なおさら尊重するーーこの 「神」「霊魂不 ほうがむしろわたしの道徳に属する。 減」「救済」「」など、すべてわたしが少しの注意も、 時間もかけなかった概念ばかりである。子供の頃さえそう ミ」っこ、 たぶんわたしは、それほど子供らしくなかっ 無神論など、わたしは知らな たわけではあるまいか ? 、。論理の成果としてはもちろん、そういう考えになるき つかけ、事件としてはなおさらである。無神論はわたしに がさつな答えで満足するには、わ は本能的に自明なのだ。、、 いくらか人なみ以上にわたしが物知りなのは、なぜ たしはあまりにも好奇心が強く、あまりにも疑問すきで、 か。一般にわたしがこんなに利ロなのは、なぜか。問題に あまりにも尊大なのだ。神はわれわれ思想家には、一つの ならぬ問題なんかについて、わたしは考えたこともない、 それどころかっき がさつな答え、まずいごちそうだ 自分を浪費したことはないのだ。 たとえば、ほん つめた話、「おまえたちは考えてはならぬそ ! 」という、 とうの宗教的難問といったものを、わたしは経験上知らな 、。どれくらい自分が「罪深い」かなどいうことは、わたわれわれに対するがさつな禁令にすぎない : しには完全にすりぬけていった問題だ。同様に、良心の呵 これとまるで違ってわたしの興味をひく問題が一つあ ふくし しやく 責がどんなものか、それを判断する信頼のおける基準も、 る。「人類の福祉」は、神学者の奇妙なとりざた以上に、 わたしにはない。ひとから聞いたところでは、良心の呵責むしろこの間題のほうにかかっている。すなわち、栄養の など、わたしには尊敬すべきものとも思われない 問題である。これは手頃には、次のように方式化できる。 よる行為をあとから見殺しにするなど、わたしはしたくな 「きみの最大限のカ、ルネッサンス式の徳、道徳酸におか 見 、。むしろわたしとしては、わるい結果も結果なのだか されない徳の最大限に行きつくには、ほかでもないきみ自 この点 のら、結果そのものを価値の問題から原則的に除外するほう身、どういう栄養をとらねばならぬか ? 」と。 を選ぶだろう。結果がわるいと、ひとはとかく自分のしたでは、わたしの経験はお話にならぬくらいひどいものだ。 ことに対する正しい目を失いがちだ。良心の呵責というの こういう問題をこんなに遅くなってから聞いたこと、こう も、わたしには一種の「魔の眼」と思われる。しくじった いう経験をつんだあげくに、こんなに遅くなって「分別」 なぜわたしはこんなに利ロなのか

9. 世界の大思想25 ニーチェ

ツアラッストラは微笑していった。「ますそれを考えだ 山腹の木について すのでなければ、発見されないような魂が少なくない。」 「そうだ、悪の中へ ! ーと若者はかさねて叫んだ。 ツアラッストラの目は、ひとりの若者が彼を避けたのを 「きみは真理を語った。ツアラッストラよ。ぼくは、高き 見たことがあった。ある晩、彼がひとりで、「彩牛」と呼に登ろうと欲していらい、もはや自分自身を信じない。だ どうしてこういうことが起一 ばれる町をとりかこむ山をぬけていくと、見よ、彼は歩きれももはやぼくを信じない ながら、この若者が木にもたれてすわり、疲れた目で谷をきるのか。 見つめているのを見つけた。ツアラッストラは、若者がす ぼくはあまりに早く変化しすぎる。ぼくの今日はぼくの わっている木をつかんで、こういっこ。 昨日を否定する。ぼくは登る時、たびたび階段をとびこえ 「わたしは、この木を両手でゆすろうと思っても、できな る。ーー階段はそれをゆるさない。 いだろう。 高いところにいる時、ぼくは常に孤独である。ぼくと語 だが、わたしたちの目に見えなし 1 。 、虱よ、この木をいじ る者はいない。孤独の寒気に、ほくはふるえる。しかも、ぼ め、欲するほうに曲げる。わたしたちは、目に見えない手くは高みで何を欲するのか。 によってもっともひどく曲げられ、いじめられる。」 ぼくのけいべっと、あこがれは、手をとりあって成長す すると、若者はおどろいて立ちあがっていった。「ツア る。ぼくは、高く登れば登るほど、登る者を一そうけいべ ラッストラの声が聞こえる。わたしは彼のことを考えてい っする。しかも、彼は高みで何を欲するのか。 たところだ。」ツアラッストラは答えた。 ぼくは登ること、つますくことをどんなに恥じることだ 「なぜきみはそのためにおどろくのか。・ーー人間も木も同ろう ! 自分のはげしい息づかいをどんなにあざけること じようなものだ。 だろう ! 飛ぶ者をぼくはどんなに憎むことだろう ! 高 高く明るいところへのびようとすればするほど、その根みにあってぼくはどんなに疲れていることだろう ! 」 はいよいよ強く地中へ、下へ、暗黒へ、深みへ 悪の中 ここで若者は沈黙した。ツアラッストラは、ふたりがも へ向かっていく。」 たれて立っている木をしげしげと見て、こういっこ。 「そうだ、悪の中へ ! 」と若者は叫んだ。「きみがぼくの 「この木はこの山にひとり立っている。人間と動物とを越 魂を発見したということは、どうして可能なのか。」 えて高くのびた。

10. 世界の大思想25 ニーチェ

赤い法服の裁判官よ、きみがすでに考えの中でなしたい っさいのことを、声高くいおうとしたら、だれでも「この あお白い犯罪人について 不潔漢と毒虫をのそけ ! 」とさけぶだろう。 裁判官たちょ、儀牲奉納者たちょ、きみたちは、動物が だが、思想と行為とは別物である。行為の表象は別物で うなすかないうちは、殺すことを欲しないのか。見よ、あある。それらの間には原因結果の車輪は回転しない。 お白い犯罪者はうなすした。 , 行為の表象がこのあお白い人間をあお白くしたのだ。だ 、 - 彼の目からは大いなるけいべ つが語っている。 が、彼が行為をなした時、彼はその行為とひとしい成長を 「わたしの自我は克服されるべきあるものである。わたし していたのだ。だが、行為をしてしまった時、彼はその行 の自我は人間の大いなるけいべつである。」こうその目か為の表象に耐えられなかった。 らは衄っている。 こうなると、彼は常に自分を一つの行為の行為者と見な していた。わたしはこれを狂気と呼ぶ。例外が本質に変わ 彼がみすからを裁いたことは、彼の最高の瞬間であっ ってしまったのだ。 た。この崇高な人を再びその低劣さに立ちかえらせるな ! このように自分自身に苦悩する人にとっては、早い死以 メンドリは一本の線で金しばりにされる。犯罪人が行な 外に、救済はない。 ったしわざは、彼の哀れな理性を金しばりにした。 ーー行 裁判官たちょ、きみたちの死刑執行を同情であらしめ為のあとの狂気とわたしはこれを呼ぶ。 よ。復讐であらしめるな。きみたちは殺すことによって、 聞け、裁判官たちょ ! もひとっ別な狂気がまだある。 みずから生命を正当化するように、心せよ , それは行為の前のものである。ああ、きみたちはこの魂の きみたちが殺す人と和解するのでは、十分でない。きみ中に十分深くはいこみはしなかった ! たちの悲しみは超人への愛であれ。それによって、きみた 赤い法服の裁判官はこういう。「この犯罪人はなぜ殺し ちのなお生きながらえている生命を正当化せよ , たのか。彼は奪おうと欲したのだ」とーーだが、わたしは 「敵」というべきであって、「悪漢」というべきではない。 きみたちにいう。「彼の魂は血を欲したのだ。強奪品を欲 かっ 「病人ーというべきであって、「卑劣漢」というべきではな したのではない。 つまり、彼は刃物の幸福に渇えていたの 、。「愚かものーというべきであって、「罪人」というべき ではない。 彼の哀れな理性はしかしこの狂気を理解せす、彼を説得