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検索対象: 世界の大思想26 ラッセル
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1. 世界の大思想26 ラッセル

を追求するに当って、必要なことはユート。ヒアの案出では うことは示してくれないのである。この理由からして、も なくて、連動の最良の方向を見出すことである。ある時期しわれわれの政治理論が、破壊だけをこととするものであ に良い方向であるものも、他の時期での良い方向とは表面ってはならないとすれば、自由ということを越える原則が 的に非常に異なることもありえよう。有用な思想とは、現必要になる。 代のための正しい方向を指し示すものである。しかし何が さきに述べた二つの原則の組み合わせは、それを実践す 正しい方向であるのか、ということを判断するに当って、 るとなると容易なことではない。世界の活力の多くは、抑 つねに適用可能な二つの一般原則がある。 圧的であるような通路へ流れ入っている。ドイツ人たち 1 さまざまな個人と共同社会の成長や活力が、可能なか は、みずから異常なほど活力にあふれていることを証明し ぎり助長されねばならない。 てきたが、不幸にもそれは、隣国たちの活力と両立しえな ツ。ハ一般よ、 いように思われる形態をとっている。ヨーロ 2 一人の個人あるいは一つの共同社会の成長は、他の個 ツ。、はその精 アフリカよりも活力に富んでいるが、ヨーロ 人もしくは共同社会を儀牲にして達成される、ということ インダストリアリズム 力を、工業生産体制を通して、黒人たちがもっ生命力でさ が可能なかぎりあってはならない。 こかっ えアフリカから涸渇させるような方向へ、費消してきたの この二原則のうち後者のものは、ある個人が他の人々に ッパの活力は、アメリカの百万長者た 対処する場合に適用されれば、崇敬の念の原則となる。すである。東南ヨーロ なわち、他人の生命も、われわれが自分自身の生命に感じちの企業に安価な労働力を補給するために、涸渇させられ るのと同じ重要性をもつ、という原則なのである。非個人っつある。また男たちがもっ活力は、過去においては、女 的に政治に適用された場合には、それは自由の原則とな性の発展に対する障害となってきた。そして近い将来にお いては、女たちが男性に対する同様の障害になりうる可能 る。あるいはむしろ、自由の原則を一部分として含むもの 盞になる。自由それ自体は、一つの否定的な原則であり、干性がある。以上のような諸理由からして、崇敬の念の原則 は、それ自体で充全なものではないとしても、きわめて多 こ渉しないように、ということを告げはするが、建設のため 虫のいかなる基礎をも与えるものではない。つまり自由は、 大の重要性をもっている。そしてその原則は、世界が必要 とする政治的変革の多くを、示唆することができるのであ 多くの政治的・社会的諸制度が悪しきものであり、それら おが一掃さるべきものであることを明らかにはするが、それる。 しし、刀 A. 一 らの代わりにどのような制度をもってくれば、 前記の二原則が両方とも満たされうるためには、第一に

2. 世界の大思想26 ラッセル

すぎない。 を国家権力の明確な一部とみなさなければならなくなる。 ( 5 ) そのような行為はイギリスが南アフリカで、アメリカが 自国の境界の外側における国家権力は、主として戦争そ フィリツ。ヒンにおいて、フランスはモロッコで、イタリアはトリ のもの、あるいは戦争の脅威から導びき出される。その権 ポリにおいて、ドイツは南西アフリカにおいて、またロシアは 力の若十は、自国の市民を説得して、〔外国に〕を貸した ベルシャと満州で、さらに日本が満州でおこなったのである。 り貸さなかったりさせる能力にも派生する。しかしこれは 陸海軍から導出される権力に較べれば、それほど重要で はない。国家の対外活動はーー無視しうるほどに稀な例外 なぜ人々は、国家権力を黙認しているのであろうか ? を除けばーー利己的なものである。時としてこの利己的性それには多くの理由があるが、そのあるものは伝統的な性 格は、他の国家の善意を保持する必要から緩和されること質のものであり、またあるものはきわめて現在的で、急退 もあるが、緩和されたからといって変わるのは使われる方した理由なのである。 国家への服従、ということの伝統的な理由は、主権者に 法だけで、追求される目的にいぜん変わりはない。他の国 対する個人的な忠誠むにある。ヨーロツ。 ( 諸国は封建制の 家に対する単なる防衛、ということを別にすれば、追求さ れる目的とは、一方では、文明化されていない弱い国々を下で成長し、もとはといえば、多くの封建領主に所有され たばらばらの諸領地から成っていた。しかし服従心のこの うまく収奪できる機会をつかむことであり、他方では、金 かね よりもっと栄光に満ち金ほどには物質的でない、カと威信ような源泉は、これまでに衰退してしまっており、おそら く現在では、日本あるいは少しましだがロシアを除いて、 を獲得することである。いかなる国家もこれらの目的を追 その源泉は問題とするに足りない。 求するに当っては、その幸福が収奪や隷属化と両立しない 主権者に対する忠誠心の根底に、つねに横たわっていた 無数の外国人を、ためらうことなく死にいたらしめたり、 種族感情というものは、かってあったままに強く残存して 恐怖心をかき立てる必要があると考える諸地域を、ためら おり、今ではそれが、国家権力に対する主たる支柱となっ うことなく荒廃させたりするのである。今次の大戦は別に ている。共通の友情と共通の敵がい心によって賦活され、 しても、そのような行為は過去一一十年のあいだに、多くの 防衛と攻撃のために団結した集団ーーほとんどあらゆる人 小国によって、またオーストリアを除くすべての大国によ ( 5 ) 間は、そのような集団の一員として自分自身を感じること ってなされてきた。しかもオーストリアの場合にも、そう が、自分の幸福にとって欠くべからざる重要事であると気 ナる意志がなかったのではなく、その機会が欠けていたに かね

3. 世界の大思想26 ラッセル

経済史はその諸側面の一つにおいて、都市と田舎との永『神の都市』 ( 訳注ふつう「神の国」と訳されるアウグステイメ スの著作 ) 、などに具体化されていた。それらはすべて都市 遠の紛争を呈示している。あらゆる時代に、文化は主とし て都市のものであり、敬虔心は主として田舎のものであっ的であった。 た。古代においては、子孫にとって重要性をもつようなほ 未開人の侵入はローマ人のつくった道路を破壊し、旅行 ぼすべてのものは、都市に属していた。ギリシャの哲学とを安全でないものとした。したがってかれらは、通商をは 小地域のおのおのは食杓 科学は小アジアとシケリア島 ( 訳注今のシシリー島 ) での、 とんど完全に終焉させてしまい の自給を強制されたのである。同時にかれらは征服者とし 富裕な商業諸都市で始まったのだ。それからそれらのもの はアテネに移り、また次いでとうとうアレキサンドリアに て、田園的貴族政治を確立し、そこから徐々に封建が発 ホェニ戦役で闘ったローマ人たちは、主と展した。中世の俗衆文化はイタリアを除いて田園 ( 田舎 ) 移っていった。 : して農夫でありほとんど文化をもたなかったが、戦勝がロ的、貴族的なものであり、都市的・商業的なものではなか った。この田園的性格は、ごく最近にいたるまでイギリス ーマ人を富裕にしたあとでは、かれらは農耕を奴隷や従属 諸国民の手にゆだね、みすからはギリシャ文化やオリ = ンやドイツ、ロシアに残存した。イギリス詩文の調子は、シ ェイクスビアの「故郷の野生のままの歌」によって定めら トの奢侈に耽溺した。ローマ帝国の異なった諸地域間の通 れたのであり、ビスマルクは軍事的牧羊性をもっていた 商は、急速に増えてゆき、紀元一一世紀には最大に達した。 今では砂漠となっている地域にも、いろいろな大都市が繁し、トルストイはすべての徳が土壌に結びついていると主 - 栄した。それらの廃墟は、北アフリカのひからびた荒野を張した。しかしながら、産業革命はこのような見地を単な 旅する人々を驚かしている。 る残存物と化してしまった。ジョン・・フル ( 訳注イギリス 紀元前六百年から紀元一一百年にいたる長い時期を通じ人の俗称で牡牛君というほどの意味 ) は農夫だが、現代の典型 て、都市は田舎を支配しつづけていた。その事情は、それ的イギリス人は都会的なのである。 ミルトンとジ 以前と以後ではちがったのである。その変化は、さまざま アメリカでは、都市と田舎との紛争は、ハ な宗教的概念に反映している。〔例えば〕「創世記」に述べ エファスンとの対立 ( 訳注初代財務長官ハミルトンが商工業・ パラダイス 中心の連邦主義を唱え、それに反して第三代大統領となったジフ られた楽園は田舎 ( 田園 ) のことであり、ダンテが語った アスンは自作農中心の地方分権制を主張 ) に始まっている。そ 地上の楽園もそうであった。その中間に介在する時期で ・ジャクスン ( 訳注一八二八年から十年・ の紛争はアンドルー は、人間の抱負はプラトンの『国家』や新エルサレム、

4. 世界の大思想26 ラッセル

本能的に好くというのは、他の人間の同伴に楽しさを感 はなくて、自由な協力という性格をもつものでなければな じ、他の人間がそばにいるだけで歓喜し、その人と話すこ らない。 権威の存在を信じる態度が生きていた時には、自由な協とを欲し、ともに仕事しともに遊ぶことを欲せしめる感情 力なるものは不平等や従属と両立するものだった。しかしである。このことの極端な形態が恋愛であるわけだが、よ 現在では、平等と相互の自由ということが必要なのだ。あり徴弱な諸形態、そしてまさにもっとも徴弱な形態でさ え、政治的な重要性をもっている。たとえに、本能的に嫌 らゆる制度は、もしそれが個人の成長を妨げるべきでない いであるような人間がそばにいると、その他の人間なら誰 とすれば、できるかぎり自発的な結びつきに基づかね、はな らないのであって、法律の強制力とか権力保持者がもっ伝であれより好ましい、と感じさせる傾きがある。だから反 ユダヤ主義者は、そばにユダヤ人がいる時には、自分と同 統的な権威、といったものに基づくべきではない。現在わ じキリスト教徒ならどんなひとをも愛するだろう。また中 れわれがもっ諸度は、根本的な大変革をへないならば、 右のような原則適用後に一つとして残存することはできな国あるいはアフリカの未開地では、白人なら誰もが非常な いだろう。そしてもし世界が、硬化したばらばらの単位の歓迎を受けるであろう。共通の嫌悪というものは、繕やか おのおのが他のすべての単位と争う、という状態におちい な本能的好みをもっともしばしば産み出す原因の一つとな ることを止めるべきだとすれば、右の大変革はうむをいわる。 せす必要となる。 いろんな人間は、本能的好みの頻度や強度において、「 常な違いを見せるものであり、同一の人間でもその点で、 さまざまな個人のあいだに良い関係を成立させる主要な 一一源泉は、本能的に好むということと、共通の目的をもっ違った時には多大の違いが出てくるであろう。この点で異 なった両極端の例として、カーライル ( 訳注 T. Ca 「 理こととである。これら二つのうち共通の目的の方が、政治 1795 ー 1 芻 1 は英国の代表的評論家の一人。その著「衣裳哲学」や、 誌的にはより重要であるように思われようが、実際にはしば 「過去と現在」が有名 ) とウォルト・ホイツ 造しばそれは、本能的に好むことあるいは本能的に嫌うこと功利主義を叩いた、 トマン ( 訳注 Walt Wh 】 tman. 1819 ー 92 はアメリカ最大の民主 会の結果であって、その原因となるのではない。家族から国 的詩人といわれる。主作品に「草の葉」、「民主的眺望」がある ) を 民にいたるまでさまざまな生物学的諸集団は、度合の大小 こそあれ本能的な好みによ「て構成され、その基礎の上にあげることができよう。カーライルにとって、いすれにせ それぞれの共通目的を築くのである。 よ後年の彼にとっては、たいていの男性および女性は反撥 とど

5. 世界の大思想26 ラッセル

の非難がもつ効力は、頼もしいものではなかったのだ。わな信仰は、成功とは何であるかについての誤った見方か たしは、次のことを明らかにしたいと思う。つまり金銭崇らして、人々が自分自身の本性を骨抜きにする方向へ導び 拝ということが、減退しつつある生命力の結果であると同き、人間の福祉に何物をもつけ加えない企業を、賞賛する ようにしむけてゆく。さらにその信仰は、人々の性格や目 時に、その原因でもあるというのはどういう意味でなの か、また金銭崇拝を減少させ、一般の生命力を増大させる的意識の死せる均一化を助長し、人生の歓喜を減退させ、 ためには、われわれの諸制度をどう変えればいいのか、と共同社会全体をたいくっと失意、幻減の状態におく内的歪 いうことである。明確な目的のための一手段として、金をみを促進する。 西洋的進歩の開拓者たるアメリカは、もっとも完ぺきな 欲することを問題としているのではない。苦闘しつつある 芸術家は、自分の芸術のための閑蝦をもっ必要から、金が形で金銭崇拝を発揮している、と多くの人々が考えてい る。理由のある必要のすべてを満たすにはありあまる金 ほしいと思うことがありうる。しかしそのような欲望は限 定されたものであり、非常につつましい額の金で十分に満を、すでにもっている裕福なアメリカ人でも、きわめてし たすことができるのである。わたしが考察したいのは、金ばしば非常な勤勉さで事務所づとめをつづけるものだが、 銭の崇拝、つまりすべての価値が金で測られ、金こそが人そのような勤勉さは、そうしなければ餓え死にするような しいわけがつくようなしろものなのだ。 場合にだけ、 生の成功を究極的にテストするものだ、という信仰につい てなのだ。 しかしイギリスも、かなり少数の人々を除けば、ほとん その信仰は、一 = ロ葉にこそ出さないとしても、現実にきわどアメリカと同じほど、金銭崇拝にお、ほれている。イギリ スにおける金銭欲は、収入をどこまでも増やすために努力 めて多数の男性や女性にいだかれている。しかもその信仰 は、人間性と調和するものではない。な、せならそれは、生する、という形よりはむしろ、ある階層に属するという社 源命の要求や、なんらか特定の性格をもった成長へ向かおう会的地位を、俗物的に欲望するという形をとるのがふつう のとする、本能の傾向性を無視した信仰だからである。それである。男たちは、自分の威厳にとって必要だと感じるた 改は人々に、金銭の獲得にさからうような自分の欲望を、つけの部屋数や召使いの人数を、家にそろえることができる ような収人を得るまで、結婚をひきのばすのである。その 社まらないものとして処理させてしまうのだが、そのような ことから彼らには、若いあいだは自分の愛情関係に注意を 欲望 ( 複数 ) は通例、収人を少しでも増やすといったことよ りも、幸福にとってより重要なものである。また右のよう怠らない、ということが必要になる。無分別な結着にひき たの

6. 世界の大思想26 ラッセル

という。しかしかれらの支配は永久のものではありえす、 表し、社会主義共和国が至福千年の代りにくることとなる。 理念はつねに西方へ移住する。だからドイツを離れたあと 初期のキリスト教徒たちと同じように、マルクスはその至 アメリカへ移り、そこで理念はアメリカ合衆国とラテン・ ・福千年がきわめて近い将来にくるものと期待した。〔だが〕 アメリカのあいだに大戦争をひき起こすという。そのの次後のキリスト教徒たちと同様に、マルクスの期待もむな ち、理念がもし西方へ移動しつづけるとすれば、日本へ到 しかった。ふたたび世界は、人類のある部分の願望を具現 達するはすだと思われるが、ヘーゲルはそうはいわないのする整然たる公式にとって、手におえぬものであることを である。世界を一周したのち、絶対理念が実現され、人類証明したのである。 はそれ以後いつまでも幸福だということになる。絶対理念 しかしながら、過去と未来の歴史の経過を要約したもの とは、キリストの再臨に対応するものなのだ。 だと自称する一般的公式が、すべて楽天的なものであるわ シュペングラーは、〔人間の歴史に〕、週期が この空想的な理論ーーーそれなりに、大。ヒラミッドをめぐけではない。 くりかえされるというストア学派の教説を、現代に復活さ る迷信と同じほど。ハカげている理論 が、無数の教授た ちに英知の頂点として受けいれられたことは奇妙である。 せたのである。その説は、もし本気で受けいれるならば、 その理論が国民的虚栄心に訴えるドイツばかりではなくあらゆる人間的努力をまったく無益なものとしてしまう。 シュ。ヘングラーによれば、一連の諸文明は、そのおのおの て、その種の偶然的利点をもたないイギリスやアメリカに . おいても、そう受けいれられたものだ。さらにいっそう驚が先行する文明の型をかなりの細部にいたるまでくりかえ しているのであり、それぞれの文明は徐々に成熟にまで上 くべきことに、そういった考えがマルクスの教説ーーその 第子たちによって、あらゆる科学的なことの終局的な言葉降し、次いで不可避的な衰退へ下降してゆくという。われ としてほめ称えられた教説ーーの底にも横たわっているのわれの文明の衰退は、一九一四年に始まったのであり、わ れわれに可能ないかなることをしても、われわれの世界が である。たしかにマルクスは、若干の修正はほどこしてい る。「理念」は生産様式におき代えられ、その理念を次々老衰に向かって進んでゆくのを、止めることはできないだ ろうという。 に具現する諸国民は、継起する諸階級におき代えられては その理論は、陰うつなものであるとともに根拠がない。 いる。しかしそれでもなお、古めかしい神話的筋道はのこ 一つているのである。つまり共産主義革命がキリストの再臨これまでの〔歴史についていわれた〕週期なるものは、歴 にとって代り、。フロレタリア階級の独裁が聖者の支配を代史をきわめて人為的に排列した結果であり、ある事実には

7. 世界の大思想26 ラッセル

ねばならない。われわれは明日に期待をつなぐべきではな く、現在、ごく少数の者によって考えられていることを、 多数の者の共通の考えにさせうる時代を、期待しなければ ならないのだ。もしわれわれが勇気と忍耐とをもつなら ば、早かれ遅かれ人々が将来うながされることになる思想 や希望を、われわれは考えそして感じることができるの だ。その時には、倦怠と失意は精力と熱意に転するであろ われわれが生きているあいだに、世界のためにわれわれ う。その理由からして、われわれがなすべき第一のこと は何をすることができるのだろうか ? は、われわれはどのような種類の生活を良きものと考える 多くの男性や女性は、人類に役立ちたいと願いながら、 途方にくれている。彼らの力は無限に小さく見えるのであか、また世界にどのような種類の変革が起こることを望ん でいるか、という点についてわれわれ自身の考えを明晰に る。絶望が彼らをとらえる。もっとも強い情熱をもつ人々 しておくことである。 が、無力感からもっとも苦しむのであり、また希望を見出 思索に非常な生命力のある人々がもっ究極的な力という せないことから、精神の破減にもっともいたりやすいので ものは、現代政治の非合理性に苦しな者たちが考えるより ある。 も、はるかに大きいものである。宗教上の寛容ということ 間近かな将来だけを考えるかぎり、われわれのなしうる は、かってはごく少数の大胆な哲学者だけが、孤独にいだ ことは多くないように見える。おそらくわれわれには、 いた思想であった。また理論としての民主主義は、クロム 〔今次の〕戦争を終らせることができないであろう。国家 ウエルの軍隊にいたひとにぎりの人々のあいだに、生じた 卿や私有財産がもっ過剰の権力を、うちこ、ほっこともできな ものであった。王政復ののちに、その人々によって民主 いし、また今ここで、教育に新生命を吹きこむこともでき 造ないのである。その種の事柄においては、われわれは悪弊主義の理論がアメリカに伝えられ、それが独立戦争という 形で実を結んだのである。ワシントンの側に立って戦った 会を見ぬきながら、政治の通常の手段をいかに使おうとも、 ラファイエットその他のフランス人が、その民主主義理論 急速にその悪弊をやすことはできぬのである。世界が誤 をアメリカからフランスへもたらしたのであり、そこでは った精神で支配されていること、そして精神の変革が、一 ョのうちに起こりうるものでないことを、われわれは認め同理論がルンーの教えと結びついて、フランス大革命をう 第八章われわれは何をなしうるか

8. 世界の大思想26 ラッセル

411 年表 「婦人参政権団体全国連合」を地盤とし 誌に「数学的論理学の哲学的重要性」を 寄稿。 て闘ったが落選。このころウェブ夫妻、 ド・ショウ、・・ウエルズ 一九一四年『外界の認識」を出版。アメリカのハ らと親交。 ヴァード大学に招かれ、この著書の草稿 一九〇九年四月、『エディン・ハラ・リヴュー』誌に を講義。八月第一次大戦始まる。十一月 「プラグマティズム」なる論文を寄せ、 『戦争と平和』誌に「なぜ諸国民は戦争 とくにその真理観を批判。 を愛すか」を執筆して、反戦運動を開 始。さらにこの年、次の哲学的一一著述も 一九一〇年『プリンキビア・マテマティカ」第一巻 を出版 ( ホワイトヘッドと共著 ) 。また 刊行さる。『ベルグソンの哲学』、『哲学 ェッセイズ における科学的方法』。 『哲学論文集』をも出版。十月より母校 ケンブリッジ大学トリニティ・コレッジ 一九一五年「徴兵反対同盟」 ( Z 0 =) の委員とな り、いろんな平和主義者と協力。小冊子 で論理学および数理哲学の講師 ( 常勤 ) に就任。 『恐怖の帰結たる戦争』を刊行。またヨ ーロツ。ハ知識人への訴えとして「戦時に 一九一一年親友・・ムーアもケン・フリッジ大学 じき おける正義について」を執筆。 哲学講師となる。「実在論の基礎」、「直 知による知識と叙述による知識」など学一九一六年『社会改造の諸原理』、『協商政策論』、 会誌に執筆。 『戦時下の正義』の三著書を公刊。 ZO 一九一二年『プリンキビア・マテマティカ』第二巻 の反戦パンフレットの責任を問われ、 ( 同じく共著 ) 出版。『哲学の諸問題」を 六月ロンドンの簡易裁判で百ポンドの罰 も刊行。オーストリアのヴィトゲンシュ 金に処せられる。さらにケンブリッジ大 タインがラッセルの下に留学し、相互影 学の愛国的な同僚たちの反感をも買い 七月、同大学から追放されてしまう。 響始まる。 一九一三年『プリンキ。ヒア・マテマティカ』第三巻一九一七年アメリカの出版社から『政治の諸理想」 を公刊。諸雑誌に反戦の言論活動をつづ ( 同じく共著 ) 出版。十月『モニスト』

9. 世界の大思想26 ラッセル

例えば・ ・トーニーが「宗教と資本主義の興隆」を ようにアメリカで刊行されたが、のち一九五七年にやはり アメリカのフイロソフィカル・ライブラリー社から出たラ書いて、。フロテスタンティズムが近代資本主義の原因とな ッセルの論文集 ("Understanding History and Other ったかに論じたことを、ラッセルは反駁してゆく。より社 Essays") にもその一章として再録されている。 会的な原因をあげるかれは、その点でむしろマルクスに近 いのだが、マルクスの歴史観に対するラッセルの最大の批 これは前記の小冊子として初めから書き下されたものだ 判は、歴史における原因としての人間個人の知性、という が、同年の一月に、滞米中のラッセルが・ハーンズ財団から ものをマルクスが無視している点に向けられる。 とっぜん解約の通告を受け、生活費にさえ支障をきたした とき、その一助にという意味もあって執筆された。しかし 要するにラッセルは、歴史において科学的な一般化がな しうる限度をよく意識しており、そのような方向へ努力す 内容面からみると、その二年前から同財団の援助によっ て、古代から現代にいたるぼう大な西洋哲学史の研究・執る経済史・社会学的歴史以外に、諸個人を詳しく学ぶこと 筆を開始していたラッセルが、 ふつうの哲学史よりも枠をによって「演劇あるいは叙事詩の長所を真理性の長所と結 ひろげて、歴史論一般にまでたくわえてきた思考を展開しびつける」歴史研究をも主張するのである。科学主義一本 たものが、この小冊子だということができる。一九四五年やりの歴史学がもっさまざまな盲点を指摘している点で、 に公刊されたかれの『西洋哲学史』を、要約したと見られラッセルのこの小冊子は注目すべき存在理由をもっとわた しは考える。 る行文が方々に見られるのはそのためである。 歴史に介入し良き意図を実現しようと苦闘した諸個人 子供のための歴史教育や、ヘロドトスやッキュディデ ス、プルタルコス、ギポン、等の歴史家がなぜ偉大な歴史が、歴史の経過そのものによっていかに裏切られてきた か、その事実をも重要視するラッセルは、終りの方で「組 家といえるのか、といったことを巨匠的な筆致で軽やかに 織の歴史学」を提案することによって、その問題にこたえ 述べ始めているが、そのような「軽ロ」 (frivolities) とか ようとする。学究としてのみでなく、実践の苦杯をもいく れ自身がいうものにまじって、歴史方法論に関する重大な どか呑みつづけたラッセルの、この提案に応することはま 諸間題が扱われてゆく。ヘーゲルに顕著に見られるよう な、全世界史を一つの図式でとらえようとする「歴史哲だ未来の間題なのである。 学」を、ラッセルは当然批判してゆきながら、「ルクスの 歴史観に対しては、賛成と反対の諸点を明らかにする。

10. 世界の大思想26 ラッセル

君主が現実に統治しているような場合では、ますます 機もなくなるであろう。つまりある国民の側における恐怖く、 は、他の国民が高慢であると想定することに帰因する。支当てはまることになってくる。だが統治しているのが寡頭 配していることを誇りとする高慢さとか、紛争を落着させ集団である場合には、それほど当てはまるわけではなく、 る場合に、暴力そのものあるいは暴力を使うぞという脅し真正の民主制になんらかの形で近づいているところでは、 さらに当てはまらなくなるものだ。しかし右のことは、あ 以外の手段は用いようとしない態度は、力を所有すること らゆる国々で少なからぬ程度に当てはまるのであり、その で昻然たる人間によく見られる習慣なのである。長いあい だ〔権力〕を行使する習慣をもった人間は、独裁的でけん理由は、首相とか外務大臣といった人々が、必然的に権成 。、レとしてしか考えられの座にある人間だからである。このような事態を正す方向 か好きになり、対等の人間をライ / / への第一歩は、ふつうの市民の側に外交問題に対する真正 ないようになる。校長たちの会議が、類似の会合のたいて の関心が生じ、国家的高慢さが市民の他の利益を危険にお いのものよりは、激しい意見の対立をきたしがちであるの 、よるこ と市民たちがいしー としいれるのを許すべきでない、 は有名なことだ。校長のおのおのは、他の校長たちをまる で自分の扱う学童と同様に扱おうとし、そうされる側はそとにある。戦争のあいだは、通常の市民も興奮していて、 のような扱いに憤慨し、当人はそのような〔相手の〕憤慨当の高慢 ( おごり ) のために喜んであらゆることを儀牲に するものだが、平時になると彼らは、権威の座にいる人間 に憤激する、という始末になる。 ( 6 ) この個所が書かれたのは、一九一五年であった。 ( 訳注 よりもはるかに容易に、次のことを悟るであろう。つまり 一九一四年にほ 0 発した第一次大戦にアメリカが参戦したの外交間題も私人の関心事と同じように、原則に従って友好 おど は、一九一七年四月になってからであり、それまでアメリカ 裡に解決すべきであって、暴力そのものあるいは暴力の脅 は、自国は「侵略から安全である」と考えていたことを指して しによって残忍に決着をつけてはならない、ということで 理 ある。 ・諸 の 現実に政府を構成している人々がもっ個人的偏見の効果 改習慣的に権威というものをもつ人間たちは、友好的な話は、労働間題についてきわめて明瞭に見ることができょ サンジカリスト 社しあいにはとくに不向きである。ところが諸国家間の公式う。フランスの組合主義者たちは、国家とは資本主義の所 関係を主として牛耳る者たちは、それぞれ自国では多大の産にほかならず、資本が労働との紛争に用いる武器の一部 、と主張している。民主的な国家においてさ にすぎない 権威をもった人間なのである。このことはいうまでもな いる。 )