いだす結果になりやすい。彼らは、集団からの独立とか、 その由来はどうであっても、財産なるものの意味そのも のは、第一に、私の所有する何かから他人の使用を除外すその集団の支配とかを主張するが、それは、血族集団の連 ることである。だから、財産はそのかぎりにおいて、集団帯性とはおよそ両立しない。もっとも、強力な家長のもと にある家父長制型の大家族という制度は、十分可能ではあ 道徳に見いだされるような生活の単純な連帯性に必然的に るが。こうして富者のための法典があらわれ、貧者のため 対立することになる。 三、支配のため、または自由のための闘争は、強力な個にはまたべつな法典があらわれる。ローマでは貴族と市民 へつべつの法典をもち、イギリスでは豪族と百姓 人に道をひらく。ほとんど総ての場合、これらの闘争は、 と、紳士階級と平民とはべつの法典をもっことになる。当 経済的闘争から引きはなすことはできない。主人と奴隷と のあり場所は、人柄関係であると同様、経済関係でもあっ分の間、この状態は、辛抱強く受けいれられる。けれど た。そしてほとんどすべての大がかりな階級闘争は、そのも、富者が横柄に、封建諸侯が傲慢になると、より古い時 他の源泉がなんであろうとも、少なくとも経済的根底をも代の慣習は、不当だと思われ、もはや拘東カを失うことに っていた。しかし経済的根底だけが、ただ一つの根底では なる。古い絆は断ちきられ、自由と平等への要求がおこっ ない。領地や分捕品や奴隷をえるための戦争と同様に、名て、権威と自山との衝突が始まる。 誉や自由のための戦争も行なわれた。生存竸争は、憤怒の あるいは、その抗争は、知的解放ーー・思想の自由、言論 情動をともなった自衛の衝動や、竸争と支配のための熱情の自由のために戦われる場合もある。こうした自由は、宗 とそれに対応する被支配状態への嫌悪などを、人類種族の教的、または教会的組織にその最強の敵を見いだす場合 中に生みつけたように、社会進歩は、人と人と、血族と血も、時おり認められる。宗教には保守的傾向が強いこと 族と、族と族との間のカの試煉をしめしている。そし は、疑いをいれない。すでにのべたように、宗教は、集団 て、前章でのべたように、戦争や血族闘争に必要であったの価値や規準の強大な保存者である。知的批判は、すでに 共同活動は、一つの統合力であるが、この物語には、他の老朽したものやたんなる習慣的なものを掘りくずす傾向が 側面がある。個人と個人との競争は、だれが勝利者となるあることは、宗教の場合も他の場合と同じである。合理ま かをしめし、集団と集団との竸争は、指導者をきわだたせ義、または自由思想は、「理性をこえる」と称せられてい る事柄にたいしても、同様にしばしば反抗を試みる。それ る傾きがある。そうした大将的人物は、集団のために役だ ちながらも、それと同程度に、集団慣習の打破に関心を見にしても、いっさいの革新を科学に帰し、いっさいの保す
れわれ、近代人は、戦時または国民対国民では、国民的連 帯性を堅持するが、負債や犯罪に関しては、市民法が司法権 を行使するかぎり、成人の個人的責任によって、 ( 僅かな ( 3 ) 例外を除き ) そうした連帯感をすてさった。けれども、最 初の時代においては、より大きな集団や権威は、より小さ い集団を単位として取りあっかった。アカンの家族は、彼 とともに全減した。中国人の正義感では、血縁、あるいは 住居、あるいは職業の近さによって、責任の程度に順序が あることを認めた。ウエルスの法制では、血縁者は、第二 位従兄妹まで、侮辱罪や殺人に近い危害にたいして責任あ りとし、殺人の場合には、第五位従兄妹 ( 第七親等 ) まで 罰金に処せられた。「ミミやぶき s ( ドイツ人の殺人 賠償金 Wergeld) にたいする血族人の相互連帯責任には、 殺害された人物および、犯罪者との血縁の近さにしたがっ て段階があったことは、個人が彼の酋族共同体における一 定の地位に無数の網の目をもって縛りつけられていたとい うその範囲を、他の何事をもってするよりも、 いっそう明 ( 4 ) 快にものがたっている。」 ( 3 ) たとえば、夫と妻とのある連帯責任の場合。 ( 4 ) ゼエボオム「ウエルスにおける酋族制』 Seebohm, The Tribal System in Wales, pp. 103 f. 第五節血族、または大家族集団は、宗教 的単位であった 血族、または大家族集団は、初期宗教の思想内容や儀式 をも大はばに決定した。そのかわりに、宗教は、集団生活 に完成や価値や神聖感をもたらした。眼に見えぬ力や人物 との血縁関係こそは、基本的宗教観念であった。宗教団体 としての血族集団は、血縁を眼に見える成員とともに眼に 見えない者までを包容するほどに拡大しただけであった。 宗教の本質的特色は、恐れられたり、媚びられたり、魔術 によって制御されたりする眼に見えない存在者にあるので はない。特色はむしろ、眠に見えぬ血つづきの存在者であ って、恐れられることもあるが、同時に尊敬され、愛され もするのである。血族関係は、肉体的か精神的か、どちら に考えられたとしても、神々と礼拝者とを同じ一つの集団 ( 1 ) の成員にしあげる。 ( 1 ) 「原初の時代から宗教は、魔術や魔法とは異なるもの として、血がつながり、好意をもってくれる存在者にうった えかけている。それらの存在者はなるほど、一時その人民に たいして怒りをもっこともあるが、その礼拝者の敵手以外、 または自分の集団内における背教者以外の成員にたいしては いつも、宥められることのできる存在である。未知の力を漠 然と恐れるというのではなく、血縁の強靱な絆をもって礼拝
第二節合理化の機関 第三節社会化の諸機関 第四節この第一段階の道徳的解釈 参考文献 第四章集団道徳ーー慣習、またはモレス 第一節慣習の意味、権威、および起源 第二節慣習を強制する手段 第三節集団的標準の重要性を明示し、集団統制を意識化させる諸条件 第四節慣習道徳の価値と欠点 参考文献 第五章慣習より良心へ、集団道徳より個人道徳へ 第一節対照と衝突 第一一節過渡期における社会学的諸動因 第三節心理学的諸動因 第四節積極的改革 参考文献 第六章へプライ人の道徳的発展 第一節問題と背景 第二節宗教的諸動因 第三節到達された道徳概念 参考文献 第七章ギリシャ人の道徳的発展 ( つプレン、 ER 三 . 三 / 、 - 三 . 0 0 プし 2 望 O / - 、′、 - 凵ン
して、その土地に住み、または土地を所有するほどにな 個人的で、譲渡できないものであるのは、その人の個性で包 みこまれたものだからである。それで死後は墓場の近くに住 ったがゆえに、その氏族の一員だというのではなく、彼 むか、または、その氏族のトーテムか蛇かの中にはいる。だ は氏族の一員であったがゆえに、土地に住み、かっそれ ( 2 ) が、イトンゴは氏族のもので、住居小屋の周囲に徘徊する。 に利害関係をもっていたのである。」 死ねば、酋族のアマトンゴ amatongo ( 祖先霊 ) に復帰す ( 2 ) ハアン『アリアン族の家族制」 Hearn, The Aryan る。だれかがキリスト教徒になれば、あるいはまた、氏族の Household, p. 212. 利害にどこかで不忠実になれば、氏族霊 ( イトンゴ ) は、そ ギリシャおよびドイツの慣習は、最初に引用したとおり の人から離れさる。けれども彼は、自分の個性を失わないよ 「未開族の幼年期』である。ケルト族の間では、古代アイルランドの法律は、 うに、イドロチを失うことはない。」 過渡的段階を示す。すなわち「酋族の土地は、二個の違っ Savage Childhood, PP. 14 f. た割当、酋族の土地 'fechfine' と相続財産としての土地 'orta' からなりたつのであった。後者は、族長階級に属す 第三節血縁関係や家族集団は経済的、産 る人々の個人所有の財産であ 0 海。」印度の連合家族や南 業的単位でもある スラヴ族の家族共同体は、集団所有権の現代的実例である。 土地に関しては、普通、近代的意味での個人的所有権は彼らは、食糧、礼拝、不動産を共有にした。彼らは、共同 認められなか 0 た。狩猟・遊牧民の中では、もちろん、近の家、共同の畜舎をもつ。スラヴ族の格言は、共同体生活 をいかなるの重大さを実感的にものがたる。「共同の大家族は、富も大 代法制の厳密な意味での「所有権」なるものよ、 、っそう重くなる。」 集団ももたなかった。しかし、それにもかかわらず、集団きくなる。」「蜂の巣に蜂がふえれば、し の大小をとわす、それは、かなりは「きりくぎられた領域イギリスのアイルランド支配における一つの困難は、近代 をおさえていて、その中で狩猟し、漁獲した。遊牧生活でイギリス人の個人主義的所有権の概念と、アイルランド人 のもっと原始的な、集団または氏族所有権の概念とに、根 は、放牧地の繩張りと水源地をおさえていた。農耕生活に 本的な相違があることだった。正否はべっとして、アイル なると、もっと確定した所有感覚がおこった。けれども、 所有は、族、ゲンス ( 氏族 ) または大家族に属し、個人ランドの小作人は、自分を単に小作人と見ることを拒否し た。彼は以前、土地を所有していた家族または集団の一員 の所有ではなかった。 だと考え、集団所有権の譲渡の合法性を論破することはで 「土地は氏族に属し、氏族は土地に定住した。人はこう
( 6 ) 創世記、四ノ一 0 ー一二、ヨプ記、一六ノ一八。 るからである。類似の諸理由から戦争に引きこまれる近代 国家に比べれば、ここにいう諸集団はすっと小さいけれど さほど大罪でない罪科には、規則をもった決闘が許され も、その原理は同じである。近代の国家間の戦争に幸いす る場合もある。たとえば、オーストラリア人の間には、隣 る主たる違いは、国家集団がずっと大きいので、戦争はし 人の妻と駈落した男の処分に関する事件が語られている。 ばしば行なわれるわけではなく、平和的調整の可能性につ 不行跡な一一人が帰ってきたとき、長老たちはどうすべきか いてもっと真剣な考慮が要求されるところにある。オレス を考えた。そしてついにつぎのような罰を取りきめた。罪 テスもハムレットも、父の殺害者に復讐することは、聖な 人は立って被害者なる夫に叫んだ。「私はおまえの妻を盗 る義務であると感じている。 んだ。さあがみがみいってくれ。」夫はそこで遠いところ しかし問題は、単純に氏族対氏族の闘争ではない。なぜ から槍を投げつける行動にでた。あとで刃物で切りつけた なら、仇討しなければならぬ血縁のいっそう小さい集団 が、致命的な場所を傷つけるつもりはなかった。犯人はそ が、ほとんどすべての場合、大集団の一部であるからであの攻撃をうらむことはできないが、危害を避けることは許 る。その大集団は復讐の義務を認めながらも、すぐさまそされた。最後に、長老たちは「もういい」といった。正義 れを限界内にとどめることや、また他の手続きと取りかえを確保するための私的行動の奇妙な形式が、日本人の「腹 ( 5 ることの必要を認める。その大集団は殺人を、すべての者きり」という慣習にも見いだされる。その慣習によると、 ( 6 ) への危険な不浄と見るし、「大地から叫ぶ」血は、大地を被害者自身が加害者の戸口で切腹する。それは加害者のう 不浄にし、神々の呪い、または死者の妖霊は、全地域に禍 えに公衆の憎悪を招くためである。インドの慣習ドハルナ いをふりまくかもしれない。その反面、際限のない血の闘 Dharna は、それほど手ひどくはないが、同様な意味をも 争も、同様に災厄である。それでもし害された血族がそのち、債権者が債務者の戸口に債務が果たされるまで、餓死 報復として流血以下のものでなだめられるならば、それは をいとわず坐りこむのである。それは、このようにして債 もつけの幸いである。そこから身の代賠罪金 wergeld が権者の生霊か死霊かが、債権者の餓死をかえりみない残酷 後世までアイルランド人では残っていて、イギリスの裁判 な債務者につきまとうと思われるからであり、また世論の 官には、けしからぬ処置だと思われた。 非難をもたらすという影響もあるからである。 ( 5 ) 「旧約聖書」申侖記、二一ノ一ー九、民数紀、三五ノ ( 7 ) 古代の正義の主題についてウエスタマーク「道徳観念 の起源および発展』 Westermarck,The Origin and Devel- 三三、三四。 しろ
主義を宗教に帰しては、不合理をまぬかれない。科学の教に沈みこんだのではないと感じさせるだろうからである。」 義や科学の「偶像」は、おきかえるのになかなか困難であ名誉とか名声というものは、一人の人間がつくりあげる種 る。学校も保守的である点では、教会におとらない。その種な「社会我ーの一つを名ざしたものである。それは、一 反面、宗教的自由のための闘争は、通常、不信仰者によっ定の集団の人々が彼をどう考えるか、どう評するかをあら てではなく、信仰者によって戦われた。殉教者の高貴な隊わしている。それは、集団生活において一つの地位を、大 列の歴史は、個人的良心に訴え、または神との個人的直接きな地位を保つ。上席や敬礼や、衣服につけた勲章や身体 関係に訴えた歴史であって、その訴えは、当時の宗教の形の装飾、また勇者、強者、知者、有力者にたいする讃歌な 式的、伝統的、既成宗教的慣習や教義に反抗するためであどは、怯者や弱者にたいする嘲笑とともに、大きくものを った。宗教的寛容や信教の自由のための闘争は、成長する いう。しかし未開集団の場合、集団内部の人々の間の差異 個性の歴史において、知的および政治的自由のための闘争は、ある限界内にかぎられている。集団の組織化が、軍事 と足並みをそろえて生じている。 目的または政治目的のためにもっとはっきり、行なわれる ようになるとき、あるいは、封建君主が多くの家来たちを 四、名誉や社会的尊敬への欲望も、個性を伸長させる。 身辺に集め、その勢力において共同体の他の成員のうえに へジェイムズは、彼の自我心理学の中で、人間が彼の仲間か 道らかちとる承認を彼の「社会的自我」と呼んでいる。「わ高く昇り始めるとき、あるいは最後に、技術や芸術の進歩 が誇示のための、より大がかりな手段をあたえるようにな れわれは、仲間の見える所にいることを好む群居的動物で るとき、認めてもらいたいという欲望は、巨大な範囲にひ はあるばかりでなく、同類の仲間によって注目、それも好意 ろがる。それは、竸争衝動によって増大するが、しばしば 道的に注目されたいという内面的傾向をもっている。個人が 集社会の中でほっておかれ、総ての成員から絶対に気づかれ嫉み、そねみにおちいる場合もある。つぎには、そうした しないままにされる場合があるとしたならば、それ以上に悪欲望は、個人主義をではないとしても、個性を刺激する強 力な要囚となるのである。 良魔的な懲罰は、たとえ物理的に可能であっても、とうてい ( 1 ) ( 1 ) ジェイムズ「心理学」 James, Psychology, I., ch. X. 思いおよぶことができない。」「もっとも残忍な肉体的拷間 ( 2 ) 同 pp. 293 f 慣でさえも、そうした懲罰からの救いになるだろう。という のは、われわれがどれほど目も当てられない状況にあろう 是非の評価が求められる集団が狭小である場合、そこに と、それは、他人の注意をすこしもよばないほどのどん底総ての局地主義や偏狭性や偏見をもった階級的規準が、現 ( 2
opment of Moral ldeas, ch. vii. ョホブハウス「道徳の者とともに埋葬されて見えない世界へお伴すること、恒久一 進化」 Hobhouse, MoraIs in Ev01ution, Part. I. ch. =. の礼拝がささげられることーーこれらいっさいの事柄が雄・ ポロックとメイトランド「イギリス法制史」 POIIock and 弁にものがたっている。葬式の行なわれるごとに、葬式は MaitIand, History of EngIish Law. 共感と畏敬をもって共通の感情に訴え、集団の統一と、集」 三、あるいくつかの場合は、成功を確保するか災禍を避 団の判断によって行なわれる統制とを、強く成員に意識さ・ けるために、特別の注意を要求する。この項目のもとに、 せる。 典型的実例として、 C 生誕、結婚、死去、Ü種蒔時、 ( 8 ) 「旧約聖書」レビ記、一二。 苅入れ、または集団の維持に重要な他の季節、Ü戦争、 結婚の規律も重要さはほとんど劣らない。しばしばそれ 四外客の歓待。 は、もっとも重要な慣習だとさえ思われる。掠奪結婚とか C 世界に出現する新生命と、生気ある呼吸 spiritus, ハがあるが、このコト・ハから原始文 anima, psyche の消えさる死去とは、この世のいともふし売買結婚とかいうコト・ 化において任意の男が任意の女と結婚しうるという印象を ぎな事柄だという深い印象を人間にあたえる。オーストラ リア人のように新生児は祖霊の再受肉と見るべきか、ある受けるとすれば、それはまちがいである。男性は自分の氏 いはカフィル人 Kafirs のように、霊界からの新創生物と族以外、トーテム以外の女性と結婚せねばならぬ ( 族外結 見るべきか、いすれにしても、それは危険きわまりない時婚 exogamy) という規則は、氏族制度のほとんど普遍鮑 ( ドし日し通則である。それは、彼が結婚の相手をもとめなければな レ機である。母親は「潔め」られなければならなし乎ーノ らぬ他の氏族がどれであるかは、しばしば精確に明示され はも、場合によっては父親も、注意ぶかく守られねばなら ている。ある酋族の間では、特定集団の男性は、どの年齢 . ぬ。こみいった慣習があるのは、集団がその事態をいかに 重視するかを示す。死者にたいする儀式は、さらに厳粛で層から、どの血族集団から相手を択ばねばならぬかが綿密 . に規定されている。求婚は、われわれのそれとは違ったル ある。それは一般に、未開人が死者の全減を信じないから ールにしたがい、性関係は、あるいくつかの点では、研 徳である。死者はなんらかの形で生きつづけている。たぶん ーズ 家を驚かすほど乱雑に見えるけれども、多くの点におい 団影のごとく、漠然として。しかし、あいかわらず有力で、 集団の一員であり、墓場か炉辺にうろついている。死骸埋て、われわれの場合よりもい 0 そう厳格であり、違反への 加罰はさらに厳酷である。統制のいくつかの特色にはまち 葬のための準備、その他の処置、土葬または火葬の儀式、 慟哭の叫び、喪服、食物や武器の供物、寵愛の馬や妻が死がいもあるが、統制の趣旨そのものにはなんの疑いもいれ
快楽も、いちじるしく増大する。リズムの効果に加えて、 ピッチ 歌の場合には音の高低やメロディーの統一からくる効果が 第四節この第一段階の道徳的解釈 あり、酋族や氏族の成員たちは、今日、マルセイエーズを 歌ったり、教会の大聖歌を合唱したりする人々のように、 この第一段階において、われわれがあっかっているの 彼ら相互のもっとも強烈な共感や支持を感する。こうした は、あきらかにいろいろな力や行動であるが、それらは、 理由があるから、オーストラリアの民族の間にコロポリ イとい「て、開戦前などに行なう祭典、イスラ = ル人の聖意図を道徳においたものとしてではなく、結果が道徳的価 値をもつものとしてである。これらの力や行動は、人間を 祭、ギリシャ人の秘儀祭典や公開祭典など、つまり、すべ もっと合理的、理想的、社会的に高めるもので、行動のい ての人民の間に、愛国的、または宗教的目的のための共同 っそう意識的な制御や評価に必要な基盤となる。諸力とい 集会に際して、歌と踊りとは付きものであったのである。 うのは、生物的、社会的、心理的力のことである。それら 多くの場合、これらの歌と踊りは、共通の大義のために身 の力は、正しい意味において道徳と呼ばれる特別な種類の 命を捧げて湧き立っ熱情の頂点に、会衆をかりたてたので 心理的行動ではない。なぜなら、道徳は、ただ善い結果を ある。 えることばかりでなく、それを目当てとすることをもふく メロディーやリズムの音声は、ただその形式だけによっ ても、統一カを発揮する。単純な歌のいくつかは、それ以むからである。ところが、歌と踊りのような活動、または 母親の単純な育児の世話のような諸活動は、生物的要素が 上おすべきものをもたない。しかし、すっと早い時期から、 関歌を歌うばかりではなく、多少律動的、文学的形式をと 0 大きい。それらは、純粋に生物的なものであるかぎり、道 徳的とはいえない。また他の諸行為、たとえば、農耕の作 のて、酋族の歴史や祖先の功績をたたえる朗誦が加わってい る。これが、踊り、歌う統一カに、もう一つの力を加え業や種々の手わざは、大量の知力を含有する。これらの活 しっしょに集団の歴動は、飢えを満たすとか、敵にたいする武器をつくりだす 活る。朗誦をききながら、血族集団は、、 び史を生き返して味わい、その栄光の誇りにふるえ、その失とかという目的をもつ。けれども、この目的は、われわれ の身体的、または衝動的本性によって立てられたものであ 基敗に涙し、各員は、氏族の歴史は自分の歴史、氏族の血は る。それが目的としてただ受けいれられるままで、他の事 自分の血だと実感するのである。 柄と比較し、評価し、選択されたものでないかぎり、それ
活の基本的傾向や過程の意味を表現する。成長していく知である。母系氏族の間では、土地の私有はあまりなか ? た。いずれにしても、技芸が未発達である限り、私有財産「 力は、この生活にいっそう大きな統制力をあたえることに よって、生命の力を増進する。有機体の諸必要から出発には必然的に限界があった。私有財産の要求は、個人中心、 し、発展を高めるこの生活過程は、探検者、狩人、発見的産業様式の自然的付随物であった。すでにのべたよう に、集団が生産したものは集団が所有し、個人が製作した 者、職人または技芸家が獲得した自然支配力を増進し、自 然世界に満足を見いだす場合もある。人間世界においてもの、捕獲したものは、彼のものとして取りあっかわれる・ は、生活過程は、特異な強さをあらわす。そこには、自己というのが、共通原則であった。個人的産業がもっと重さ 主張への四つの傾向が認められる。 をくわえるようになったとき、個人はますます多くを私有 一、性の衝動と情動は、この点では特異な地位をしめ財産として要求した。 る。一方では、それはある程度、社会化的動因である。そ 母系氏族から父系家族、あるいは大家族への転換は、財 れは、両性を引きつけ、こうして家族の基本となる。しか産の個人的支配へカ添えを贈った。父親は、自分の家畜や し他方では、それは、社会集団が規律のためにたてた限界家屋を息子にゆすることができた。印度の連合家族は、実 へ、や約東に逆らって、たえず反逆をおこす。不倫な関係を戒際は、父権制度の一つの類型である。にもかかわらす、父 道めた法令、ハムラビやモーゼの法典から、近代の法典に至の財産が息子に渡される場所では、彼の姉妹の子供らに渡 される場所よりは、個人財産を固執する傾向が、やはりは るまでは、個人の性向と集団の意志との間の衝突を証拠だ るかに強かった。 はてる。性的情熱には、繰りかえし繰りかえし、いっさいの 最初に私有財産の権利をえたのは、長、または支配者 社会的、法律的、宗教的制裁を突破するものがあ「た。だ 集から、ギリシャ詩人から現代のオニイル O'Neill に至るまでありがちであったようである。南スラヴ族のある家族の へで、それは、悲劇の人気テーマであった。性的情熱の価値 間では今日もなお、家長が自分の個人的諸食器をもってい 嫉と適切な規制とは、「宗教改革連動」にともなう慣習道徳て、家族はそれをわけてもらう。多くの民族の間では、 よの広範囲な転換において争点となったのであるが、均衡が長が家畜をもっていて、勝手にそれを処分しうるが、他の 慣 いまなお、達成されていないのはあきらかである。 人々は、ただその血族共有の財産を分有するだけである。 アイルランドの旧ブレホン法典 Brehon laws は、この段 一「未開集団においては、道具や武器、家畜や奴隷の私 階を示している。 有財産がありえたかもしれないことは、さきにみたとおり
人間がもつ、その同胞とは違った、または大衆や集団の 子供が大人にまで成長するには、正常な人間では個性っ 型から抜けだした特異な人柄や特質は、個性として知られ発展をふくむ。彼はますます自分で決定し、自分で責任を ている。彼がそれによって彼自身であって、他人でないと とる。彼はいくつかの点では、家庭や学校の行ぎ方と違い ころのものが、個性である。その一つのタイプは、天才に がちになる。同様に、文明の進歩は、個性の発展を助長す 見いだされ、いま一つは、仲間の者のうえに支配権を行使る。個人主義の同様な発展があるかないかは別としても、 しうる人物に、いま一つは、予一一一口者に、いま一つは、広い 自己を主張することが、しばしば利己的傾向への好機会を 人間的共感をもった男女に、さらにいま一つは、大胆な犯提供することは、たやすく察知される。慣習や集団統制の 罪者に見いだされる。個性はそれゆえに、善の力にも悪の旧東縛がぬぎすてられたとき、強いカで悪賢い個人がおど 力にも成りうるけれども、道徳的にはどちらでもないい りでて、仲間の者を搾取する。程度や比率こそ違うが、ギリ ソフィスト ずれにしても、それは、集団や慣習的標準からの独立に導シャにおける弁論家たちの時代、イタリアにおける学芸復 ロマンチック きがちである。行動というものは、個人的、自発的になる興の時代、西ヨーロッパにおける啓蒙連動や浪漫主義運動、 の時代、また産業革命の時代のような時期と運動では、個 傾向をもっている。 個人主義というコトは、その反対に、個性と同意語に性の発展と個人主義の発展とは手をたすさえて進んだ。こ - 用いられる場合もあるが、ふつうには、利己主義、排他主うした危機的運動は、善悪両方を招来する。けれども、個、 いかなる種類の 義という意味をもち、公的、共同体的利害と対照された個性発展の道徳的価値を評価するためには、 人的権利を主眼とする一定の理論や政策を意味する。排他性質が大いに力をえて、表現を見いだすかが知られる必要 主義または利己主義的意味づけとして、個人主義は、個人がある。そして自由というようなきわめて貴重な価値でさ えも、社会的拘東や義務の総てへの辛抱なさに変化しかね、 の私的利害が集団または共同体の利害に対立し、意図的に 前者の方を選ぶ立場を想定する。あるいは少なくとも、個ない場合があるし、個人主義の利己的な形式をとって、一 般的善の敵となる場合もあるのである。 人は自分自身の利害にかまけて、他人の、あるいは共同体 の利害に関心をもっ余裕がないというのである。各人は、 各人のためにある。政府や経済の特定理論にそれがどう関 第二節過渡期における社会学的諸動囚 係するかは、ここで考慮する必要はなく、後章で考察する であろう。 慣習的集団道徳から意識的個人道徳への変化をもたらす