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検索対象: 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学
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1. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

主義者たちを克服するアメリカの国民哲学として成立した のである。 しかし、プラグマティズムがアメリカの国民哲学として 成立したからといって、プラグマティズムが解こうとした 問題がすべて、アメリカ土着の問題であったわけではな 。土着の問題を土着の方法で解こうとする哲学には、輸 入の間題を輸人の方法で解こうとする哲学と同様に、国民 哲学は成立することができないのである。国際的最前線の 問題を国民的自覚をもって解こうとする場合にのみ、国民 一まえがき 哲学は、みごとに開花するのである。 。フラグマティズムが国民的自覚をもって解こうとした国 プラグマティズムがアメリカの思想的独立宜言であるこ とは、だれでもがよく知っているとおりである。。フラグマ際的諸間題は、何であったか。というよりも、アメリカに ティズムの成立までにアメリカの社会は、—植民地体制。フラグマティズムを成立させた国際的最前線の問題は、何 匕であったか。これが、第一に説明を必要とする問題であ の時期、Ⅱ独立戦争を中心とする革命の時期、Ⅲ南」 戦争を通じる産業革命の完成と資本家階級が支配権を確立る。 プラグマティズムは、一八七〇年代の初期にハー する時期という三段階をへて、思想的独立を準備したのだ とみられる。こうした社会過程を背景として、アメリカの大学の所在地、マサチュセッツ州ケムプリッジに集まった 思想史は、— ジョナスン・エドワーズに代表される。ヒュ 六人のインテリ侍、ジョゼフ・ウォーナー、ニコラス・セ ー・ライト、オリ イント・ジョン・グリーン、チョーンシ ーリタン的合理主義哲学の時代、Ⅱジェファスンやフラ ・ウエンデル・ホームズ、ウィリアム・ジェイムズ、 ンクリンに代表される啓蒙主義の時代、Ⅲエマスンたち・ハー コンコード派に代表される浪漫主義的観念論の時代に大別チャールス・サンダース・。ハースの思想的交流から生れ、 ジョン・フィスクとフランシス・アポットの二人が誕生を されるが、これらの三つの思想潮流はすべて、ヨーロッパ ースは後年、この交流が″形而 に本流をもち、そのアメリカ版にほかならなか「た。プラ手つだ 0 たといわれる。。 ( グマティズムは、これらの潮流やセントルイスのヘーゲル上学クラ・フ″と名のったとのべ、プラグマティズムの誕生 解説 プラグマティズムとデュウイの立場 久野収

2. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

や、十字軍による、のちには貿易によるアラビア文明との接目を集めるようになった。レムプラントのような画家は、 キリシャ・ローマの文学や芸術とのますます親密な 旧時代の男性や女性に人柄の輪郭を見いだしたが、しかも 交渉をふかめたが、これこそ、近代の初頭では人心を動かその肖像画は、人物が王侯か農民かの疑問をすこしも示唆 す有力な動因であった。「学芸復興」、あるいは世俗的生活しなかった。ヴェラスケスは国王でも、呑んだくれでも、人 にたいする興味や歓喜の再生は、絵画、ク」、 彫伝奇小説と柄を突きとめるという同じ無慈悲さと不屈さで描き出し してイタリアであらわれ、シェイクスビア劇としてイングた。田園詩人・ ( アンズは、待望の日をつぎのように歌った。 ランドであらわれた。オランダやスペインの絵画、フラン 「にもかかわらず、世のひとがみな兄弟と スの戯曲、ドイツの音楽などが、これにつづいてあらわれ なるときはくる。」 た。そして最後に、個人の人柄を描きだすのに特技をしめ す芸術形態である小説が、全世界にひろがっていった。 第三節革命以後 芸術的、文学的表現のこの豊かな発展は、中世の特色で あったような主題とその取扱い方の道徳的支配からの独立 一、アメリカ革命とフランス革命は、政治における危機 を要求した。「文芸復興」は強力な諸人物の描写をもってを明示した。産業革命はヨーロッパおよびアメリカにおけ 先頭にたった。「王政復古」は、清教徒主義に反動を加え る普通人の生活に、それ以上に広範囲にわたる変革をもた た。「疾風怒濤」の運動 ( ハ世 ) は、文学的伝統に反抗した らした。アメリカとフランスの革命は、最初、農奴の解放 ばかりではなく、個性を圧迫すると感じられた制度や慣習と中産階級の勃興に始まった自由への関心を動機とする運 要にも反逆をおこした。 動を、さらに前進させることになった。イギリスではすで の 芸術や文学のいま一つの影響は、もっと積極的であった。 に内乱過程と一六八八年の革命によって議会政治をうちた 蘒この期における人道主義の発展は、多くの源泉に基づくもてていた。さらにイギリス国民は、一八三一一年には一歩進 道のであるが、芸術はいっそう広い共感を表現し、共感に寄与めて、政治の悪弊を改革し、参政権を拡張した。アメリカ 代した。芸術は、感情を伝達する。戯曲や小説は、他民族の革命をいっそうきわだたせたのは、自由の明白な宣言であ 諸生活にわれわれを引きいれる。「文芸復興」のころは、多って、その結果は新国家の形成となった。フランス革命 れくの主人公や女主人公は、主として上層階級の提供する人は、その徹底的性格のゆえに、アメリカ革命よりもさらに 物であったが、時代が進むにともない中産階級の人物も注みごとであった。それは、ヨーロツ。ハ人の諸観念にいっそ

3. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

431 解題 ている。訳者の非力とペダンティズムのために、翻訳が必 要以上にむつかしくなっていることを心配するが、それで も、一読してわかるようにはなっていると思う。 本書は第三に、形式主義の倫理学書ではなく、内容的倫 理学書である。実践的意志が道徳的義務を実現するための 形式だけに議論を集中する形式主義ではなく、形式主義に デウィⅡタフッ社会倫理学 も適当なスペースをあたえながら、倫理的行為の内容を順 J. Dewey and J. H. Tufts 】 Ethics, 1908. 序だてて論じている。その上、個人主義のモラルだけでは Revised Edition, 1932. なく、社会倫理の新しい諸問題にも、約三分の一のスペー スをさいているのである。″ビジネス〃の問題や″労資間 の団体交渉″における正義と平等の問題を倫理学の守備ハ 久野収 ンイの中にひきいれたのは、たぶん、本書が最初だといえ ないまでも、はなはだ早いことはたしかである。本書は、 本書は、この全集の他の書物とはちがって、『世界の大思 想』ではない。しかし、本書が『世界の大思想』の一冊に現代に生きる人間の直面する実践的諸間題を倫理学的に照 くわえられたのは、他のすべての書物へのもっとも適切な明している点で、かなりュニークな位置をしめる書物であ 入門の役割を演じるとみなされるからであろう。普通の市る。 民は、『世界の大思想』をただ理論的関心や理論的研究の 本書はまた、序文に見られるように、一九三二年に全面 ために、読むのではない。彼らは、なんらかの意味で、実的改訂版を出している。一九三二年といえば、ルーズベル 践的関心から『世界の大思想』にはいっていくのである。 ト政権が″新しいアメリカ″にむかって出発した時代であ そうだとすれば、ヨーロッパ人の思想史における実践的り、本書は、ルーズベルト時代の進歩派のむかうべき倫理 関心を理論化し、体系化した『倫理学』の書物は、『世界へのア・フローチを示したものとして、ルーズベルト時代の の大思想』の、まことに適切な一般的人門になるといって頽廃形態である現在のアメリカの自己批評の意味をもって も、いいすぎにならないであろう。 いる。この倫理学を読めば、現在のアメリカを批判する的 本書は第一一に、入門書にふさわしい読みやすさをそなえ確な視点がえられるであろう。現在のアメリカは、この倫 解題

4. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

れわれの目論見には重要さをもたない。重要な点は、集団たは一階級のだれでもを、私の母とか、祖父とか、兄弟、 の成員たちが彼ら自身を同一祖先に属すると見ていること姉妹とか呼び、また私と同階級の他のだれもが、同じ人々 ( 1 ) である。ある種族では、祖先は動物であったと信じられてを母とか、祖父とか、兄弟または姉妹と呼ぶのである。そ / ワイ民族の間に いる。その場合、出てくるのは、トーテム totem 集団と呼うした階級わけのもっとも単純な形は、、 ばれるもので、北アメリカのインディアンや、アフリカ人見いだされる。そこでは、われわれのいう祖父母、父母、 や、オーストラリア原住民の間に見いだされ、セム諸族の兄弟姉妹、子女、孫に当る各世代に基づき五つの階級があ 最初のあり方も多分、そうであったであろう。他の場合でる。しかし、その階級をしめすコト。 ( は、われわれの場合 にそうであるように、特別な両親を意味として少しもふく は、だれだれという英雄や、何々という神さえも、祖先と して指名されている。いすれにしても、この説の本質的部んではいない。 ( 1 ) 「われわれのよく知っているあらゆる酋族において、 分は同一である。すなわち、同一の血が全成員の中に流れ っさいのコトバは例外なく、血縁関係の承認では一致する。 ているので、一人一人の生命が、集団の共通生命の一部で そしてそれは階級わけの存在に依拠したものであって、その あるというのである。血縁関係の程度は、あまり重要では 基本念は、特定集団の女性は、他の集団の男性と結婚する ない。注意すべきは、この集団が家族と同じではないとい ことを意味する。各酋族は、当人が現に結婚する男女、また うことで、家においてはふつう、夫と妻とはそれそれの異 は、正当な集団に属するものとして合法的に結婚しうる全て なった血族集団から出たのであるから、彼らのそれぞれ違 の男女に区別なく適用される共通のコトバをもつ。そのコト った血縁関係を持続するのである。いくつかの民族では、 バは、現在の母にも、また父が合法的に結婚することのでき スペンサ たすべての婦女にも適用されるコトバである。」 結婚式は妻を夫の血縁につなぐことを象徴化してさえい ーとギレンの共著「中央オーストラリアの原住民族」 Spen ・ る。この場合、家は血縁集団となるけれども、それは決し cer and Gi11en, Native Tribes of Central Australia. て普遍的現象ではない。 この点を心にとめていえば、第一階級に属する者はだれ 人間というものは、個人であるよりは、ます第一に集団 の一員であるという感情は、ある血縁集団の中では、階級でも、第三階級のすべての兄弟姉妹にたいして一様に祖父 関係のワク組みによって促進される。このワク組みによる母であり、第三階級の者はみんな、同じ階級の者にとって 一様に兄弟か姉妹かであり、第四階級の各人にたいしては と、ある特定の人を、私の、私ひとりの、父とか母とか、 一様に父または母であるということになる。オーストラ また祖父、伯父、兄弟、姉妹とかいわないで、一集団、ま

5. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

一「アメリカ革命やフランス革命と違って、産業革命に表に変化をもたらし、制度の相対的権勢や特典に変化を引 は正確な年月を指定することはできない。革命は、水力やきおこした。中世では教会と神の栄光、十五世紀から十八 蒸気力で動かされる機械の大がかりな導入とともにはじま世紀までは国家の権力と個人の自由、革命以後は民主主義 と富が、人間の胸底を動かし、彼らの献身をそそる主調で った。それはいまなお、大量生産のための新しい考案によ って進行しつつある。それは、発明の広大な活動と自然諸あった。 紙面の余裕がないので、ここではただ、現在および将来 力の新しい発見や利用にともなってあらわれた革命であ る。それは、大資本の組織化と産業の支配に対応するもの道徳問題を提起する産業革命の三つの著しい特徴を指摘 のであった。それは、貨幣や信用の莫大な資源を支配するするだけにとどめたい。すなわち、 C 諸階級の新しい整 点において、銀行業やその他の金融諸機関の拡張によって列、Ü経済組織の独裁的、または寡頭的支配の組織化、 助けられた。それはまた、大量の人口を田園から都市に集および、Ü生産された巨大な富の不平等な分配である。 中させた。それは、家族や家庭から伝来の機能の多くを奪この三つのどれよりももっと微妙で基本的な変化は、財貨 の評価、善い生活の意味、すなわち、成功や優越の意味に いさった。それは、アメリカを独立の農夫や職人の国民か ら、雇傭主のために働く男女の大群から成りたつ国民に変引きおこした変化である。それらは、天然資源のこれまで 化させた。それは巨大な富を生産した。それはアメリカで期待されなかった開拓に、われわれの精力を傾けさせた結 傾は、天然資源の急速な利用と、単一な連邦政府のもとでの果がもたらしたのである。これらの問題については、第三 部で考察を加えるであろう。 広汎な地域の行政とを可能にした。 三、この時期において、道徳とその諸問題に影響をおよ 通信と運輸の諸方法が改革されて、革命は、諸民族の間 の言語、伝統、政治的孤立のかべを次第に打破し、中世教ぼした第三の主要な局面は、自然科学と社会科学の進歩で 会が求めた世界統一に、何か他の形式でたちもどらせつつある。化学、生物学、人類学、社会学が誕生することにな 道ある。合衆国のひろくひろがった遠隔の地でも、今日、朝った。物理学、心理学、生理学、医学、経済学、政治学は 代の新聞から、同じ報道を知り、またラジオからも同じ報道新しい諸方法を発展させた。物理学の適用は、安楽とぜ いたくを増大させ、それらを一般的に利用しやすくした。 を聞いて、政治的統一を可能ならしめている。革命は、政 治における民主主義の進歩に寄与したのであるが、産業に総ての種類の財貨の生産は大きく増加し、この増加は、適 おいては独裁制を復興させた。それは、価値の人間的評価正配分の問題を引きおこした。しかし道徳におよぼす科学

6. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

プラグマティズムは、アメリカの思想的独立宣 言であると同時に、ヨーロッパ思想史の最良の 伝統をみすて、専門技術主義におちこむ危険を もはらんでいるのである。 社会が体制化し、組織化され、個人の知力が 社会体制から一方的に組織化される危険に直面 ドして、デュウイは、社会体制によって″組織化 される〃知力ではなく、社会体制を″組織化しな 一おす〃知力をスローガンにかかげ、その方法の 発見を、自由なコミ ュニケーションをひろめ、 し一ふかめる過程に託しているようにみえる。 しかし、コミュニケーションがマスコミとし て体制化されるだけではなく、マスコミ体制そ のものが社会体制にみごとに支配され、みごと に先きまわり的、チョウチンもち的に適応する 独占資本下の″大衆社会〃においては、デュウ イの方法と希望は、暗くいろどられないわけにいかない れてよいのは、まさにその理由からである。 ″大衆社会れ この史上最大のレ・ハイアサンーーの分析 こうした知カ概念は、西部へ西部へと開拓線のひろがる と批判に関するかぎり、デュウイのペンは、日ごろの鋭利 十九世紀後半のアメリカにとっては、まさにあつらえむき さをうしない、持てあましている様子がよみとれるのであ の自己表現であったであろう。 しかし、知力を人間行動の手段として規定するだけにおる。彼の晩年の書物一人々の諸問題』には、彼のもてあま しと苦渋が実によくあらわれている。彼は、問題を投げか わるならば、手段をどれだけ展望的に規定しても、ヨーロ ッパ思想史の中で″理性〃がはたしてきた超越的理念や規けたままで、たちさったといえるであろう。生れかわれれ ば、社会科学を本格的に勉強したいといった彼の気持は、 範の側面は、だんだんと消失しないわけにいかないだろう。

7. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

理学によって、自分のゆがみをうっし出されるのである。 日本を照らすサーチライトの役割をも果たすことができる のである。 それと同時に、アメリカの現状との比較は、この倫理学の たらない部分をも、あるいは自覚させてくれるかもしれな 本書が、学校の中で、家庭の中で、職場の中で、回読さ れ、討論されるようになれば、原著者たちはもちろん、訳 最後に本書は、プラグマティズムの倫理思想を代表する者としての私も、たいへんありがたいと思う。おわりに、 だけではなく、現代の市民主義的立場の生みだした最高の私を援助して、とにかく完訳にまでこぎつけさせてくれた 河出書房、吉武寛君にあっくお礼を申したい。 倫理学書の一つとしての資格をあわせそなえている。 翻訳のテキストには、 Ethics, Revised Edition, by John デュウイとタフツは、本書の中で、一方では、イギリス Dewey and James H. Tufts, 1932 , Henry H01t and 経験論の功利主義の倫理を、他方では、ドイツ観念論のア プリオリな形式主義の倫理を根本的に批判しながら、自分 Co. New York を使用した。 のプラグマティズムを功利主義から快楽主義的契機を引き さり、視野と規準を個人から社会にまで押しひろげた社会 的功利主義として、倫理学の分野で貫徹している。こうし て、この二つの立場に対する根本的批判のうえに、プラグ マティズムをきずくというプラグマティズムの誕生期的特 色は、ここでも、はっきり、あらわれているのである。 市民社会の自己矛盾から生じる人間の疎外や対立を強調 する社会主義的倫理学との争点のとりあい、およびこのと りあいをはっきりさせる仕事は、これからの重要課題にそ くするであろう。 その上、一九三〇年代のアメリカは、今日の日本であ る。本書の第三部で論じられる現在の社会倫理の困難な諸 問題は、深刻な実践的意味をもって、現在の日本にそのま まあらわれ、混迷と暗黒をふかめている。本書は、現在の

8. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

430 参考文献 家族の初期形態については、第一一章、第四章の終わ りに引用された文献を見よ。それとともに、グットセ ル『社会的、教育的繝度としての家族の歴史』 G00d 。 ell. A History of the FamilY as a Social and Educa ・ 『結婚制度史』 tional lnstitution, 1923 一ホワード Howa 「 d, A History 0 ( Matrimonial lnstitutions' 3 vols., 190 ウエスタマーク『人間結婚史』 Wester ・ marck, A History 0f Human Marriage' 1901 一サム ナーとケラー『社会の科学』 Sumner and Keller' The Science 0f society. VOI• 3 , 1927 ブリフォル 『母』 Briffau1t, The M0thers, 1921 現代の諸問 題について、、ポーズンキット『家族』 Bosanquet' TheFamily,1906; カルホーン『アメリカ家族の社 会史』 Calhoun, A social Hist0 「 y the Ame 「 ican Family, 3 vols. , ミをフリフォルト、上掲書、最後 の章。グットセル、上掲書。グローヴスとオグパ 『アメリカの結婚と家族関係』 Groves and ogburn' American Marriages and Family Relationships. 192 望ゼニングス『人間性の生理学的基礎』 マクド Biological Basis 0 ( Human Nature' 193 ーガル『人柄と人生行動』 McDougall' Character マリノウスキイ and the Conduct 0f Life. 1921 『社会構造の基礎としての親の資格』カルヴァートン・ とシ、マルハウゼン『新世代』の中の一文、 a 一一 no- ・ wski, Parenth00d, the Basis 0f Social Structure' in Calverton and Schmallhausen, The New Gen- eration, 193 ポーベノー『家庭の保存』 Popenoe' ・『近 The Conservation 0f the FamilY, 1926 ・リート 代家族』 Reed, The M0dern FamilY' 1929.

9. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

一一、イタリアは、違った種類の実験を企てつつある。ロ シアでは政治権力が経済階級の支配に従属させられている 第三節資本主義が存続すべきであ のに反し、イタリアでは経済的利害が国家権力に従属させ るならば られている。ムッソリニの指導下におこった「ファシスト 革命」は、しばらく社会主義にかたむいたのち、権力の均 自由竸争を経済過程のただ一つの規制装置とする自由情 衡を逆転し、国力や国威の増進に役だつような仕方で、経任の極端な個人主義が、もはや現在の諸条件に当てはま広 済生活を監督し、支配する方向に進んでいった。一方では、 なくなった事情は、まえにのべたとおりである。ちょうリ 雇傭主たちも、他方では、労働者たちも、ビジネスのとる現代都市の雑踏せる交通が、突進する自動車の流れを規判 政策、または労働者の行なう努力の中で、経済作用や国力し、歩行者たちを保護するために、交通巡査を必要とすス の能率に干渉するいかなる手段にも訴えてはならないと、 よう - に、 公共の福祉と、経済上、歩行者の地位にあス 警告されている。 大多数の民衆との諸必要は、利潤を目標とせず、正義を日 国家福祉の最高目的への献身的努力を鼓吹するために、 的とする権威の優位を要求してくる。この権威は、勝ちわ ローマが世界を支配していたころのローマ帝国の伝統が、 こうと争っている競争者のあいだに秩序を維持するもの A もちだされる。この目的への関心から、新聞雑誌や個人個して、正義を解釈するばかりではなく、産業生活の事情亦 人の政府批判は、きびしく抑圧された。ファシズムへの同化によって必要とされる共同善への関心から、競争の規 情的擁護者は、アメリカの聴衆にたいして、こういった、 を修正するものとして、正義を解釈するのである。 すなわち、「アメリカでは、諸君は、自由と能率とを結合 それで、争点は、修正資本主義ーーそこでは民主主義僞 することができるであろう。しかし、イタリアではあきら原理が、われわれの政治組織、教育組織に体現されて、 。かに、われわれはまだ、そうすることができず、両方のうすます一般の承認を高め、さらに、自由と能率と正義が 2 ちの一つを選ばなければならない。」現在、ファシズムは、 きるかぎり結合されるであろうーーーそうした修正資本主 来ロシアにおける共産主義と同様、イタリアの確固たる国策が、ロシアやイタリアにおいて実験されているような、 であるように見える。その間、他の国々の諸人民は、この っと過激な性格の諸政策に対立する場合の優劣である。 二つの実験の成果を研究することに関心をよせるほうがよ もう一つの側面から見れば、争点は、近代世界におけス いであろう。 政治的、宗教的、教育的生活の中で、ますます認識を高

10. 世界の大思想27 デュウイ=タフツ 社会倫理学

相手を反則によってゲームからけおとしたり、あるいは産た。賃銀は、都市居住民の場合、下宿人をおくとか、他の 業において、優位にたっ交渉力を利用して、労働者の生活 いろいろなやり口をとることによって補足された。しか 水準を低下させたり、労働者の条件を改善しようとする彼し、不況時代や金融危機には、大群が失業に投げだされ、 らの企てを敗北させたりするかぎり、竸争は、法的に合 慈善や公共の保護の負担を加重した。そうした未熟練労働 法、違法どちらであろうとも、道徳的には不当である。 者の大群はーー合衆国とは社会的、政治的諸制度において も、教育の一般水準においても、異なった国々からやって きているので、国語ばかりではなく、 ーー経済的水準だけ 第五節移民の制限 ではなく、文化的、政治的水準にとっても、危険をおよぼ この制限はある意味では、不当な竸争を制限するいま一すと、多くの人々によって信じられた。多くの地方では、 つの努力だと見なされてよい。しかし、それは、別項とし外国渡来者の票が抜けめのない政治屋たちによって組織さ てとりあっかうに十分な特色をもっている。アメリカの産れ、一単位にまとめられた。とくに大都市では、そうであ った。経済政策は、社会の他の諸部面に有害に働き、アメ 業やビジネスを、他国から輸入される財貨に関税をかける リカ的生活の根本のいくつかを破壊しかねない場合が、こ ことによって保護するという初期の努力は、主としてビジ ネスを擁護するためであった。もっとも、保護関税は同時こでもまた生じたのである。 公民的根拠にたって無制限の移民を恐れた人々と労組と に、他の国々においては合衆国よりも労賃がふつう、低か ったから、アメリカの賃銀水準を保護するためである、との一致した影響力は、移民制限の手段を国会に採択させる 主張されもした。しかしながら、他の国々からの労働者の結果となった。傾向はこれまでのところ、この制限を緩め 移入には、、かなる保護関税もなかったから、労働者は賃るよりは、むしろきつくするほうにむかっている。 銀水準を維持する努力において、苛烈な竸争に巻きこまれ たのはあきらかである。 第六節所得税 鉄道建設、あるいは鉄や鋼の生産といった産業の巨大な 合衆国がこれまで採用した社会統制の分野におけるもっ 発展の時期には、強靱な労働者で、ほとんどどんなに安い 賃銀で働くのも辞さない移民の大群が、合衆国に輸人されとも急進的な政策は、憲法第十六次修正条項である。この た。大多数は一週、十ドルそこそこの平均賃銀で雇傭され条項は、所得税を徴収する権限を議会にあたえるもので、