人間が自山であるからこそ人間を奴隷化することができる。 証法 ) のうえに築き上げるかぎり、マルクスがやったように 恥しかし自己を知り、自己を理解する歴史的人間にと 0 て、こ存在を知から分 0 て人間学として人間実存のうえに人間の認 イデオロギー の実践的自山は、ただ、その隷属の永久的で具体的な条件と識を築くことをのぞむ思想を、非理性主義の名のもとにし して、すなわちその隷属を通してかっそれによって、その隷りそけようとするかぎり、実存主義はその探究を遂行しつづ 属を可能ならしめているものとして、その基盤として、把握けるだろう。これは、実存主義がマルクス主義的知の所与を される。かくてマルクス主義的知は疎外された人間を対象と 間接的認識によって ( すなわち、すでにみたように、実存的 するが、しかももしそれが認識を物神化し人間をその疎外状諸構造を遡行的に表示する言葉によって ) 明らかにし、また、 態についての認識のなかに解消したいとねがうのでなけれ社会的世界のなかで人間を再発見し、その実践をあとづける ば、それは資本の流動過程や値民地化の組織を記述するだけような真の理解力のある認識をマルクス主義の枠内で生み出 では不十分である。問いかけるものよ、リ、、 。しカけられるものそうとこころみるだろう、ということを意味する。人間の実 すなわち彼自身ーーーが如何にその疎外を実存するか、そ践とは、おのぞみなら、かぎられた状況をもとにして社会的 の疎外をのりこえしかもそののりこえそのもののなかで疎外可能性に向って人間を投出する投企、といってもよい。それ を生ずるか、を理解せねばならない。彼の思惟そのものが、 で実存主義は、知の外にこぼれ出た、体系の一部分のような 行為者としての人間理解を対象としての人間認識にむすびつものとしてあらわれるだろう。マルクス主義的探究が人間学 けている内在的矛盾を各瞬間ごとにのりこえ、あたらしい概的知の基盤として人間的次元 ( すなわち実存的投企 ) を取り 念をつくり出すことが必要である。そのあたらしい概念とはあげるようになる日から、実存主義はその存在理由をもはや すなわち、実存的理解から生まれ出て、その概念の内容の弁もたなくなるであろう。そのとき、それは、哲学の全体化の 証法的運動の動向を規制するような知の決定囚である。別の運動によって吸収され、のりこえられ、かっ保有されて、特 言葉でいえば、了解はーー実践的有機体の生きた運動として有の探究たることをやめてすべての探究の基盤となってしま 理論的知が状況を照明し解読するかぎり、その具体的状うだろう。この試論を通じてわれわれがおこなってきた指摘 況のなかでのみ行われることができる。 は、われわれの手段の及ぶわずかな範囲内で、この解消の瞬 かくて実存的探究の自主性はマルクス主義者の ( マルクス 間を促進することをねがうものであった。 主義の、ではない ) 消極的態度から必然的に生まれる。その 学説がみずからの貧血症を認識せず、その知を生きた人間の 理解のうえに依拠させるかわりに、独断的形而上学 ( 自然弁
死の恐怖の意味をわれわれに明かすのであって、その逆では味するものであるがゆえに、記号をつくりあげるのであり、 ない。以上の原理を見そこなったために、現代のマルクス主また人間は単に与えられただけのすべてのものの弁証法的の 義は意味と価値とを理解することを止めてしまったのでありこえであるがゆえに、意味するものなのである。われわれ る。なぜならば、一つの対象の意味をその対象自体のもっ純 が自由と名づけるものは、文化的秩序の自然的秩序への還元 粋の物質性に還元することは、権利を事実から演繹すると同不可能性に他ならない。 じように不条理なことであるから。一つの行為の意味と価値 人間の行動の意味を把握するためには、ドイツの精神科医 ( 訳注 ) とは、与件を明るみに出すことによって可能性を実現する運や歴史家が〈了解〉 compréhension と名づけたものを活用 動による見通しのうちにのみ把握されることができる。 する必要がある。しかし、これは特殊な天分でもなければ、 特別の直観の能力でもない。 この認識は単に行為を、その出 訳注原書九五ページの最後の行の : ・・ : c 。 mment elles ont 6t6 vécues. の elles は意味上、終りから八行目の (。「 mes 或いは終発のときの条件をもとにしてその終局の意味によって説明す りから五行目の facteurs のいずれかを受けるはずであり、しか る弁証法的運動である。それは元米前進的である。わたしは し facteurs を女性名詞と思い誤ることはまずありえないから、 窓に向ってすすな友人の仕種をわれわれ一一人が現にいるその おそらく te 「 mes の女性語尾にひかれてサルトルが誤記したもの時の物質的状況をもとにして理解する。たとえばそれは気候 と思われる。当然 ils ont 6t6 vécus. とあるべきところである。 が暑すぎるということである。友人は〈空気を入れよう〉と 人間とは彼自身にとっても他の人々にとっても意味する力するのだ。この行動は気温のなかには書きこまれておらず、 をもった存在である。なぜなら、純粋の現在をのりこえてそ一連の反作用が〈刺戟〉によってひき起されるような仕方で 暑気によって〈発動させられる〉のではない。それは一一人が れを未来によって説明することなしには、いかにとるに足り ないその仕種も決して理解されることはないであろう。その現にいる実践的分野を、みすからも一体化を行うことによっ 上、人間は、つねに自分の前方に向って、不在の或いは未来てわれわれの眠前で一体化する綜合的行動、にかかわる問題 題の対象を指示するために、或る種の対象を利用するという意である。運動はあたらしいものであり、その場の状況、特殊 味に於いて、記号をつくり出すものでもある。しかし以上の の な障害に順応する。これは、この行動のあらかじめ知られた モンタージュ 法一一つの操作はともに純粋で端的なのりこえに還元されてしま画面構成が連動のための抽象的図式であり不十分な決定しか 方 う。現在の諸条件をその後に来る変化に向ってのりこえるこ うけておらず、企ての一体性の内部で実際に決定される、と とと、現存する対象物を不在に向ってのりこえることとは同 いうことである。すなわち、まずそこにあるテーブルを退け 一のことであるから。人間はその現実性そのものに於いて意ねばならない。そうした後に、その窓は、両開き窓か、上下
ものは集団性である。そしてわれわれはよろこんで。フレハ であろうことはうたがいがない。しかし削除された途中の変 ノフの次の言葉に同意する。「有力な人物は事件の特殊な様数に注目しよう。血まみれのナポレオン戦争、革命思想のヨ 1 ロツ。 ( への影響、同盟軍によるフランス占領、地主たちの復 相やその部分的結果のうちのいくつかを変えることはでき ( 訳注三 ) ( 訳注一 ) る。しかしその事件の方向を変えることはできない。」ただ帰と白色テロ。経済的には、今日では王政復古時代がフラン スにとって退潮の時代であったことが定説となっている。地 間題はそこにはない。現実を定義するためにいかなる水準に 身を置くかが問題となる。「権力を手中にした他の将軍がナ主とナポレオン帝国の産物であるブルジョワジーとの間の軋 ポレオンよりも平和的態度をみせ、ヨーロッパ全体を敵にま轢は科学と産業の発達をおくらせた。経済的覚醒は一八三〇 わすようなこともせす、セント・ヘレナではなくチュイルリ 年から始まる。もっと平和的な皇帝のもとでなら、ブルジョ ーで死んだかも知れない、 ということをみとめよう。する ワジーの飛躍的発展はとどめられることはなかったであろう とプル、ポン家もフランスに復帰することもなかったであろし、フランスは英国人の旅行者にあれほどっよい印象を与え う。彼ら〔プルボン家〕にとっては、もちろんこれは実際に起た〈アンシアン・レジーム〉の様相をとどめることもなかっ ( 訳注四 ) ったこととは反対の結果となったことであろう。しかし総体たであろう。自由派の運動については、たとえそれが発生し としてのフランスの国内生活に関しては、現実の結果とほとていたとしても、一八三〇年のそれとは似てもっかぬもので んどえらぶところはなかったであろう。その〈切れ味のいし あったに相違ない。なぜならそれは経済的基盤を欠いていた サーベル〉も秩序を恢復しプルジョワジーの支配を確立してはずであるから。以上の点を別にすれば、たしかに、歴史の しまうと、やがてプルジョワジーにとって重荷にならずには 進化は同じものであっただろう。ただし、ないがしろにされ いなかったであろう : : : そこで自由主義的運動が始まったこて偶然の列に捨て去られた〈以上の点〉こそ、人間たちの生 とであろう : : : おそらくルイ・フィリツ。フは一八二〇年か一活のすべてなのである。プレ、 / ーノフはフランスがそれから 八二五年に王座に上ったかも知れない : : しかしいかなる場立ち直るのにあれほど長期間を必要としたナポレオン戦争の 合にも、革命運動の最終的な結果はそれが事実そうであったおそるべき出血をも冷然とながめ、ブルポン家復活の特徴と ( 訳注一 1) ことと背馳することはなかっただろう。」わたしはこの文章 なり国民全体が苦しんだ経済的社会的生活の停滞について無 をあの古めかしい。フレ ハーノフから引用した。この文章はい 関心であった。彼は一八一五年以降、ブルジョワジーと宗教 つもわたしを苦笑させたものだ。なぜならマルクス主義者が的狂信主義との軋轢がひき起したふかい不安を無視した。王 この問題について大いに進歩したとは信じられないからであ政復古時代に生活し、苦しみ、たたかい、結局王制をくつが る。最終的な結果が事実そうであったことと背馳しなかったえした人々のうちの誰ひとりとして、もしもナポレオンがあ
の思惟をぬすんでしまう。彼は絶え間なく迂回をし、結局蓍 哲学の輪郭をえがき出し、具体的で体験的な歴史が個々の思 想体系を生み、これらの思想体系がこの哲学の枠内で、それ現された観念はふかい偏差を生じたものとなり、彼は言葉の ( 原二 ) シモーヌ・ド ? まやかしにとらわれてしまう。サド公爵は ぞれ決った社会的集団の現実的で実際的な態度をあらわす。 ーー・・封建制の衰退期を体験し ボーヴォワールが示したように その言葉はあたらしい意味をになう。言葉の普遍的意味が限 たが、〔当時〕封建制の特権を身に受けた連中は次々に異議を られ、深まり、たとえば十八世紀に於いて〈自然〉という言 葉は対話者の間に直接的な連累関係をつくり出す。それは厳申し立てられていた。彼の有名な〈サジスム〉とは、戦士と 密な意味づけの間題ではなく、デイドロの時代の自然の観念しての権利を自己の人格の主体的な資質のうえに築き上げる については論議の果てしがっかなかった。しかしこの哲学的ことによって、それを暴力のうちにふたたび確認しようとす る盲目的なこころみである。ところでこのこころみがすでに モチーフ、このテーマ、はすべての人によって理解される。 ブルジョワ的主観性に滲透されており、貴族の客観的な称号・ このように文化の全般的な諸々のカテゴリーも個々の体系も が制御をゆるさぬ自我の優越性によっておきかえられて、 それを表現する一一一口語も、すでに一つの階級の客観化であり、 る。その当初から彼の暴力的躍動は偏向を生じていた。しか 潜在的な或いは公然の矛盾の反映であり、疎外現象の個別的 あらわれである。世界は外部にある。個人の内部にその神経し彼がもっと前へすすむことをのぞんだとき、彼は自分の前 に、自然の観念という重要な観念を見出した。彼は自然の法 組織によって記しとどめられた記号として言語や文化がある のではない。個人こそ文化や言語のなかに、すなわち用具の則こそは最も強力な法則であり、虐殺も拷間も自然の破壊を・ 分野の特定の一部分のなかに存在する。それゆえ、自分が明再現したものに他ならない、等、のことを証し立てたいとの ( 原注三 ) るみに出すものを表示するために、人間は同時にゆたかすぎぞんだ。しかしその観念そのものが彼にとって方途に迷わさ・ もすれば少なすぎもする諸要素を駆使する。それは少なすぎせるような意味を含んでいた。一七八九年のすべての人々に る。なぜかといえば言葉や推理の型や方法は限られた数しか とっては、貴族であろうとブルジョワであろうと、自然とは ないから。それらのものの間には、空洞や、空隙があり、生よいものであった。すると一挙に体系が偏向をもち始める。 まれ出てくる思惟は適切な表現を見出すことができない。そ殺人と拷問とが自然の模倣にすぎないからには、最悪の大罪 れはゆたかすぎる。なぜかといえば、個々の語彙がその時代こそよいものであり最もみごとな美徳こそわるいものである ことになる。同時に、この貴族は革命思想に魅せられてしま・ 全体によって与えられたふかい意味づけを身につけてもたら すからである。思想家が語るや否や、彼は自分の語りたいと う。彼は八七年以後、今日〈貴族革命〉と呼ばれているもっ のそな以上のことを語り、」 のことを語り、時代が彼から彼に火をつけたすべての貴族たちのもっ矛盾を経験する。彼は
407 方法の問題 を保つかぎり、すべては真理であるかそれとも真理の契機であ をつねに知っている。これらすべての壁はただ一つの牢屋を る。誤謬でさえも現実の認識をふくんでいる。コンディャックの つくり、その牢屋がすなわちただ一つの生命であり、ただ一 哲学は、その時代には、プルジョワジーを革命と自由思想へとは つの行為である。個々の意味は変貌し、変貌することをやめ こぶ時代の流れのなかでーー・歴史の進化の現実の因子として ず、そしてその変貌がすべての他の意味のうえに影響をも ースの哲学よりもはるかに真実であったの 今日に於けるヤス。ハ つ。そのとき全体化が発見するべきことは、行為の多次元的 。虚偽とは死である。われわれが現在もっ御念はそれがわれわ な二体性である。意味の相互的滲透作用と相対的自律性の条 れに先立って死んでいるがゆえに虚偽である。腐肉の臭いのする 件であるこの一体性を、われわれの思惟の古くさい囚習が単 やつもあればたいへん小ざっぱりしたちつほけな骸骨であるやっ もある。いずれにしても同じことだ。 純化してしまう危険がある。現在の言語形式はこの一体性を 第一一。投企は必す用具に関する可能性の分野をくぐらねば 回復させるのにほとんど適してはいない。しかもやはり、こ ( 原注一 ) れらの種々相の相互照応 ( すなわちお互い同士および一つの ならない。その用具の特有の性格が、程度に深浅の差はある 相が全体との間にもっ諸関係 ) の弁証法的法則として、その が、投企を変える。それは客観化を条件づける。ところで用 複雑で多面的な一体性をあらわすこころみを、われわれはこ 具自体はーーそれが何であれーー技術の或る発展段階の産物 の不適当な手段とこの不適当な因習とでもってやらなければであり、窮極の分析では、生産力のそれである。われわれの ならない。ヘーゲルとマルクスの後では、人間についての弁テーマが哲学的なものであるので、わたしは文化の世界に例 みかけ 証法的な知識があたらしい理性を要求している。この理性ををとろう。思想に関する投企は、その外見が何であれ、基礎 的状況を、それがもっ諸々の矛盾を意識化することによって 経験のなかに築き上げたいという意欲を欠いているために、 今日、われわれおよびわれわれの同類について、東でも西で変えることをふかい目的としているということを理解せねば ならない。階級と人間的条件との普遍性のあらわれである独 も、ひどい誤謬でないようなものはほんの一行も一言も、語 ( 原注二 ) 自の矛盾から生まれて、思想的投企はその矛盾を露わにする られも書かれもしていないことは確かである。 ためにそれをのりこえ、それをすべての人に明示するため 原注一この場合象徴化を云々しないように。それはまったく別 に露わにし、解決するためにそれを明示することを目指す。 のことである。彼が飛行機を見ること、それがすなわち死なの しかし単なる露呈と大っぴらな表示との間には、文化にかか だ。彼が死のことを考えると、死とは、彼にとってその飛行機に わる用具と、言語の、はっきりと限られた分野が介入する。 他ならない。 原注一一それではいささかも真実は語られていないのか、と反問生産力の発展は科学的な知を条件づけるが、今度はそれが生 される向きもあるだろう。それどころではない。思惟がその運動産力の発展を条件づける。この知を通して生産関係は一つの
りいっそう具体的な別の諸水準に於いて取り上げ、この別の 水準に於いてそれがもちうる結果を検討することからわれわ このような見地からすれば、 れを逸脱させるべきではない。 すべての行為やすべての言葉は段階を異にする多種多様な意 味をもっている。この。ヒラミッドにあっては、下層のより一 般的な意味が上層のより具体的な意味のために枠の役割をつ とめているが、しかも、この上層の意味はその枠の外へ決 して出ることはできないとはいえ、それをその枠から演繹し たりその枠内に解消したりすることはともに不可能である。 たとえば、フランスの雇傭者のマルサス主義はわが国のブル ジョワジーの或る層に守銭奴根性へのはっきりした傾向をひ きおこしている。しかしもしも、甲のグルー。フ、乙の人間の 守銭奴根性のなかに単なる経済上のマルサス主義の結果しか 見ないのであれば、具体的な現実を見おとしてしまうことに なるだろう。なぜなら守銭奴根性はごく幼いころ、ほとんど 金銭の何であるかを知らないような時期から芽生えるもので あり、それゆえそれはまたこの世界内で自分自身の肉体と自 分のおかれた状況とを生きる一つの警戒的な生き方なのだ。 またそれは死に対する関係である。これらの具体的な性格 を経済的運動の基盤の上に究めることは結構であるが、しか ( 原注 ) こう のもその特殊性を見失わないようにしなければならない。 法することによってのみはじめてわれわれは全体化のことを考 えることができるだろう。 原注「エスプリ』誌の医学特集号に関して、ジャン・マルスナ ック Jean Marcenac は、編集者に対して、彼らが〈ベルソナリ ( 訳注 ) スト〉的傾向にまけてしまい、医者と思者との関係にあまりに長 長とかかずらいすぎた、と言って非難している。彼は、実状は 〈もっと地味〉にそしてもっと単純に経済的なものである、と付 言している (Lettres francaises, du 7 mars 1957 ) 。ここにはフ ランス共産党のマルクス主義的知識人を不毛化させている偏見の みごとな例がみられる。フランスに於ける医業がわが国の社会の 資本主義的構造とわれわれをマルサス主義にみちびいた歴史的事 情によって条件づけられていることには誰ひとり異議はないであ ろう。医師の相対的稀少性がわが国の体制の結果であり、この稀 少性が今度は医師と患者との関係に影響を及ほしていることもま 、て、の場合、病人はまさに患者さんで た明白な事実である。たしし あり、また他方に於いて、病人を診療できる開業医の間には或る 種の竸争があること。それ自体が〈生産関係〉にもとづいてでき 上っているこのような経済関係は、直接的な人間関係を不自然な ものにし或る意味でそれを物化させるために作用するというこ と、以上のこともまたみとめられるだろう。しかしそれから先は どうだろうか。これらの性格は多くの場合に人間関係を条件づ け、不自然化し、変形させ、それを蔽ってしまうが、しかもそれ からその独自性をうばうことはできない。わたしが記述した枠内 で、上に列挙された諸因子の影響のもとに於いて、われわれはや はり、小売商人相手のおろし商人や、指揮官相手の基地の兵士に かかり合うのではなく、わが国の体制の内部で治療という物質的 な企てによって定義される人間にかかり合うのである、という事 実に変りはない。そしてこの企ては二重の面をもっている。なせ なら、マルクス流に語るなら、医者をつくるものは病気であるとい うことはうたがいがない。そして一方に於いて、病気とは社会的 なものであるが。これは単に病気がしばしば職業的なものである とか、またそれがそれ自体で生活の或る水準をあらわすとかのた
382 ( 訳生一 ) 訳注三 euristique とは heuristique ともつづる、元来は古文彼はその証明についてきびしくなくなる。カーステン修正 書学の用語。しかしカントは経験の構成に関係するのではなく経と、〈自由ヨーロッパ放送〉の呼掛けと、世間の噂話とがフ 験構成の原理を指導しこれを発見させる原理を発見的原理 He 日・ ランスのコムミュニストにとってはあの〈世界的帝国主義〉 istisches Prinzip 或いは規制的原理 Regulatives Prinzip と呼 という本質をハンガリア事件の原流に〈位置どらせる〉ため んだが、サルトルはこれとはちがう意味で用いているようであ に十分であった。全体化的探究が全体性のスコラ学に席をゆ る。 訳注四大月書店刊「マルクス・エンゲルス選集」第八巻上一八ずった。「部分を通して全体を探る」という発見的原理が 〇ページ参照。 「特殊を粛清する」というあのテロリスト的実践に変ってし ( 原注 ) ところで、このんで分析を口にするマルクス主義者の主意まった。ルカッチーーあれほど度々歴史に暴力をふるったル 主義は、この操作を単なる儀式に還元してしまった。知識をカッチが、一九五六年にこの動きのとれなくなったマルクス 富ませ行動に指針をあたえるために、諸事象をマルクス主義主義の最上の定義を見出しえたのは偶然ではない。二十年に の全般的な見通しのなかで究めることはもはや問題ではな わたる実践が彼にこの疑似哲学を主意的観念主義と呼ぶのに 。分析とは、ただ、細部を切りすて、或るいくつかの出来必要な権成をあたえている。 事の意味を無理に変え、事実を不自然に曲げ、時には事実を 原注この種の知的テロルはしばらくの間特殊的囚子の〈肉体的 つくり出すことさえして、下部の方から、その実体として、 粛清〉と照応した。 不動で物神化された、彼らのいわゆる〈綜合的観念〉を再発 訳注一サルトルがここで Kerstein と書いているのはおそらく 見することに存する。マルクス主義の開かれた諸概念はとざ Kersten の誤記であろう。カーステン Charles J. Kersten はア メリカの下院議員でウイスコンシン州出身であり、一九五六年の されてしまった。それはもはや現実解明のための鍵でも、図 選挙に落選して現在は議席がない。しかし在任中は例のマッカー 式でもない。それらの概念はそれ自体すでに全体化された知 シズムの有力な担い手として反共運動その他に活躍した。ここで として措定されている。マルクス主義は、これらの独自的で サルトルが挙げている〈カーステン修正〉なるものが如何なる提 物神化された典型を、カント流にいうならば、経験を構成す 案かは明らかでまよ、・ : ーオしカ一九五六年十一月二十三日、二十七日 る概念と化する。これらの典型的概念の現実の内容はつねに にかけての世界労連代表団の報告書の中には、ハンガリア事件を 過去の知である。しかし現在のマルクス主義者はそれを永遠 同国に於ける社会主義政権てんぶくの陰謀であることを証明する な知としている。分析に際しての、彼のただ一つの心がかり 証拠文献として、一九五一年になされたアメリカ安全保障協会の はこれらの諸本質を〈位置どらせる〉ことである。それらの 設立に関する討論でのカーステン議員のきわめて反動的な演説を 引用している。或いはそのことを指すのかと思われる。なおこの 木質が先験的に真理を代表していると確信すればするほど、
370 はのそまなかった。しかしまさにそのことによって、彼はキ は理解されえない。あらゆる哲学に対抗して、せまいがしか リスト教を人間実存の最高の契機としたのである。ところが し無限のふかさをそなえて断乎として自己を主張するこの内 キエルケゴールは逆に神的なものの超越性を説く。人間と神面性、言語の彼方に他人と神とに対する各人の個人的な事件 との間に、彼は無限の距離をおき、全能の神の存在は客観的としてふたたび見出されたこの主観性、これこそキエルケゴ な知の対象となることはできず、主観的な信仰の的となる。 ールが実存と名づけたものなのである。 すると今度はこの信仰が、そのおのすから生ずる力と自己主 訳注一 Jean Wahl 1888 ー現代フランスの哲学者。パリ大学 張をもって、のりこえ可能で分類可能な一契機、一つの認識、 教授。実存主義について深い理解をもつ。 訳注二この言葉については、その通りではないが同じ趣意の言 へと還元されることは決してないのである。かくてキエルケ 葉がキエルケゴール 「死に到る病』の中に出ている。たとえば筑 ゴールは、本質のもっ客観的普遍性に対して独自の純粋な主 摩書房版「世界文学大系」中の『キエルケゴール篇』三一二ー 観性の、すべての実在の平穏な媒介的在り方に対して直接的 ページ参照。 生命のせまいが情熱的な非妥協性の、科学的明証性に対して ごらんの通り、キエルケゴールはヘーゲルから切りはなす 世の思惑をもかえりみす執拗に自己を主張する信仰の、権利 ことはできないのであって、このいっさいの体系の遠慮会釈 回復を主張するにいたった。彼は始末のわるい〈媒介〉をま ぬがれるためにはいたるところに武器をもとめる。彼は自分のない否定は、〈 1 ゲル哲学によって全面的に支配されてい このデンマ 自身のなかに、のりこえることをゆるさぬ対立関係、不決断る文化圏の外では生まれることはありえない。 な状態、あいまいさ、を見出す。逆説、両義性、不連続、両ク人は概念や歴史に追いつめられていると感じて、自分の身 をまもる。つまり、これは信仰の合理主義的な人間化に対し 刀論法、などである。これらすべての分裂状態のなかにも、 おそらくへーゲルなら、形成最中の、或いは発展のさ中にあてキリスト教的ロマンチスムが起した反動である。この仕事 る、矛盾しかみとめないであろう。しかしこの点こそまさにを主観主義の名のもとにしりぞけることはきわめて易々たる キエルケゴールがヘーゲルを難する点なのだ。このような分ことだろう。しかし、その時代の枠のなかに身をおきなおし てみて、むしろ注目すべきことは、ヘーゲルがキエルケゴー 裂状態を意識する前に、イエナの哲学者はそれを欠陥のある 観念とみなす決心をしてしまったことだろう。主観的生命ルに対して正しかったとまったく同じだけ、キエルケゴール は、それが体験せられたものであるかぎり、決じて知の対象はヘーゲルに対して正しかった、ということである。〈ーゲ イデオロ 1 グ ルは正しい。デンマークの思想家のように、結局は空虚な主 となることはできない。それは原理的に認識をまぬがれてし こ固執するかわり まい、信仰者と超越性との関係はのりこえという形のもとに観性に堕してしまう凍りついた貧寒な逆説冫
アトミザション ( 訳注 ) に、これらの知識は、ほとんど見分けがっかぬまでに押しひ主義に奉仕して、。フロレタリアートの〈微粒子化〉を実現し ようとこころみている操作にひとつの教理を付与した。 3 しがれて、今度は自分たちの方が諸原理を結び合せることに なるだろう。哲学的対象物は、その最も簡素な表現にまで還 原注デカルト哲学の場合には、〈哲学〉のはたらきは否定的な ものとしてとどまった。それは過去の邪魘物を取りはらい、破壊 元されて、いわゆる〈客観的精神〉のなかに、果しのない仕 し、封建制度の無限の複雑性や特殊性を通して、プルジョワジー 事を示唆する規制的観念という形をとって残りつづけるだろ の特性である抽象的普遍性を垣間見させた。しかし、社会的闘争 う。かくて今日、わが国では〈カント的理念〉について語ら そのものが別の形をとる別の状況にあっては、哲学理論の寄与は れ、ドイツではフイヒテの〈世界観〉について語られて、 積極的なものとなりうる。 る。これはすなわち、一つの哲学は、それがその毒性を存分 訳注合理主義、したがってその〈分析精神〉が、現在プルジョ に発揮する間は、決して生命を欠いた事物として、受動的で ワ・デモクラシーの防衛の武器となって、全体へ、綜合へと向う もうすでに終ってしまった知の統一として、あらわれること プロレタリアートの〈微粒子化〉に貢献している、というこの考 えは、サルトルの仕事の発足からみられるもので、この点につい はない、ということである。社会の運動から生まれた哲学は ては、たとえば「レ・タン・モデルヌ創刊の辞』参照。 それ自身が運動であり、未来を蚕食する。この具体的な全体 化は同時に一体化をその最後的限界まで遂行しようとする抽 かくて哲学は、その哲学を生みだし、それをにない、そして 象的投企でもある。この方向からみれば、哲学は探究と説明その哲学によって照明される実践 praxis が生きつづけるか の一方法としての性格をもつ。哲学がそれ自体およびその未ぎり、有効なものとしてのこる。しかしそれは変貌し、独自 来の発展についてもつ自信はその哲学をになう階級の自信を性をうしない、次第に大衆に滲透してゆくというまさにその 再現したものに他ならない。あらゆる哲学は実践的であり、 ために、はじめの歴史的にはっきりと日付をもった内容をす 一見最も思弁的とみえる哲学でさえもそうである。その方法ててゆき、大衆のなかでそして大衆を通じて解放のための集 は社会的、政治的武器である。偉大なデカルトの弟子たちの団的な用具となり変る。デカルト哲学が十八世紀に於いて、 分析的、批判的合理主義は彼らをこえて生きつづけた。それお互いに融合してしまうことはないがしかもお互いに補足し 合う二つの姿をとってあらわれたのもこのような事情によ は、闘争の生んだものであるが、その闘争の方へ立ちかえっ る。一方では、理性についての理念として、分析的方法とし てそれを照明したのである。ブルジョワジーがアンシアン・ レジームの諸制度をくつがえそうと企てたとき、合理主義はて、それはドルバック、エルヴェシウス、デイドロ、さては それらの諸制度を正当化しようとこころみていた時代おくれルソーにさえも霊感をあたえたのであり、反宗教的パンフレ ( 原注 ) の意味づけに攻撃を加えた。さらに後になると、それは自由ットや機械論的唯物論の根源に見出されるものもやはりそれ
おいてーーー・彼にとって浄化的思想として、一つのカタルシス る。実際、革命者は単なる反抗者とは異なってある秩序を欲 としてあらわれる。そしてこれによって彼が自己を決定されするのだ。そして彼に与えられる精神的秩序はつねに、多か たものと見なすとき、彼は同時にただちにその主人たちのおれ少なかれ、彼を抑圧する社会のまやかしの影像であるか そろしい自由から解放される。なぜなら彼は主人をも共に決ら、彼は物質的秩序を選。ほうとするのだ。物質的秩序とは ) 定論の鎖の中に引きずりこみ、主人をもまたものと見なすか彼が同時に原因ともなり結果ともなる有効性の秩序である。 匕こ、 ここでもまた唯物論が彼に助けの手をのばす。この神話は自 らである。その際、彼は主人たちの命令をその状況、本育 歴史から出発して説明するのであり、すなわちそれを宇宙の由がまったく排除された社会の最も正確な姿を提供するの 中に投げこむのである。すべての人間がものであるならば、 だ。オーギュスト・コントはこれを、劣者によって優者を説 もはや奴隷というものはなく、あるのはただ事実上の被抑圧明しようとする主義と定義した。当然この場合、優者とか劣 者だけである。ペリシテ人が自分と共に減びるならば自分も者とかという言葉は道徳的意味で言われているのではなく、 神殿の廃墟の下に埋まることを拒まなかったサムソンのよう複雑な組織形態をもっているかいないかを意味している。と に、奴隷は主人たちの自由並びに彼自身の自由を否定するこ ころでまさしく労働者は、彼が養い守っている者から劣者と とによって、また主人たちと共に自分も物質の中に呑み込ま見なされ、抑圧階級は初めから優者の階級として振舞ってい る。その内部構造がより複雑繊細であることによって、イデ れることによって、自らを解放するのだ。このとき、彼が心 に抱く解放された社会はカントの目的の国とは正反対であオロギーや文化や価値体系を作り出すのは抑圧階級である。 る。それは自由の相互承認にもとづくものではない。そうで社会の優者層の傾向は、劣者の中に優者の没落を見るにもせ はなく、解放の関係はものに対する人間の関係である以上、 よ、また劣者は優者の必要に仕えるために存在するのだと考 えるにもせよ、優者によって劣者を説明することである。こ この関係がこの社会の基礎構造をなすであろう。大切なのは の目的論的な説明の仕方は当然宇宙解釈の原理にまで高めら ただ人間のあいだの抑圧の関係を廃し、それによって、互い に力を尽くして戦いあう奴隷の意志と主人の意志とが、共にれる。これとは逆に、《下から》の説明、すなわち経済的、 全面的にものの方に向かうことである。解放された社会は世技術的、さらに生物学的条件による説明は、被抑圧階級が採・ 界の開発の調和的経営であろう。この社会は特権階級を吸収用する説明である。なぜならこの説明は彼を社会全体の根底 してつくられ、労働すなわち物質に対して働きかける行為に とするのだからである。優者が劣者の派生物にすぎないとす よって定められるのであるから、またそれはそれ自身決定論 れば、《上流階級》はもはや一つの従現象にすぎないわけで の法則に従うのであるから、円環は完結し、世界は閉じられある。被抑圧者が仕えるのを拒めば、上流階級は衰弱し減广