催眠術 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想30 フロイト
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1. 世界の大思想30 フロイト

を明らかにするためには、当人の知らぬような心的過程の存のだが、当人には知っていることがただわからないので、知 っていると自分で思っていないだけの話だという仮定は、ま 在をぜがひでも仮定するようにうながしてくれました。夢の んざら根拠のないものとはいいきれません。第一の糸口は睡 場合には、どうしても説明をどこかほかの領域から借りてこ なければならないうえに、 この場合なら皆さんもわりとたや眠をさまたげる刺激であり、第二の糸口は白日夢であり、そ すく催眠術からの転用をお認めくださるだろうという気持ちれから第三の糸口は催眠状態中に暗示された夢であります。 がわたしにはあるのです。われわれが失策行為をやる状態 さて、大いに自信を高めて、われわれの課題に立ちかえる といたしましよう。つまり、夢を見た当人はその夢について は、皆さんには正常なものと思われるに違いなく、そこには 知っている、ということはたいへん確率をましてきたのであ 催眠状態となんの類似性もありません。ところが催眠状態と 夢を見るための条件である睡眠状態とのあいだには、明瞭な ります。問題はただ、自分が知っているのだということを当 親近性があります。現に、催眠術は人工的催眠といわれるで人に気づかせて、それをわれわれに話すことができるように はありませんか。われわれは催眠術をかける相手に向かっ してやればよいのであります。われわれとて夢を見た当人 て、「お眠りなさい」といいますし、われわれのあたえる暗に、その夢の意味を即座にいえと要求しはいたしませんが、 示は、自然な睡眠中の夢にもなぞらえることのできるものでその人は自分の夢の由来、すなわちその夢を生みだしている あります。もろもろの精神状況は双方の場合とも相似ており 思考や関心の範囲を見つけだすことはできるでしよう。皆さ ます。自然の眠りのなかでは、われわれはわれわれの関心をんもおぼえておいでになりましようが、失策行為の場合に . は、どうしていい違いをやるようになったのかときかれたは 外界全体からひっこめますし、催眠術による眠りにおいて ずです。そしてその問いに対して最初頭に浮かんだ答えが、 も、これまたわれわれは外界から関心を遮断いたしますが、 われわれに解明の糸口をあたえてくれました。ところで夢の われわれに催眠術をかける人だけは例外で、その人とはあく まで関係を保ちつづけます。いずれにせよ、正常な状態にあ場合にもちいるわれわれの技法は、この例にまねた、いたって りながら催眠術の眠りと好一対をなしているのは、いわゆる簡単なものなのです。つまり今度もまた、どうしてそういう 乳母のうたたねで、この場合にも乳母と子供とは切っても切夢を見るようになったのかとたずね、それに対し最初に答え れぬ関係にあり、ただ子供によってだけ乳母の眠りがさまさてくれることをここでも夢の解明と見なそうというのであり れるのです。ですから、催眠中のある状態を自然の眠りの場ます。ですからその人が夢について知っていると思っている かいないかの区別は問題ではなく、両方の場合をただ一つつ 合に転用してくることは、決して無鉄砲なしわざではないと 思われます。夢を見た人も自分の見た夢について知っている場合のようにあっかうのであります。

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410 ームを先頭とする若干の精神医学者たちによって、新しい治祖」的人気を博しだした。するとアカデミーがこれを黙視せ 療手段として暗示療法が行なわれていたのである。フロイト ず、アメリカ大使べンジャミン・フランクリンや著名な化学 の精神療法と深層心理学、とくに無意識についての理論はす者ラウォアージ = をふくむ委員会に命じてメスメリズムを査 でにこの時期に芽生えたと考えられる。いうまでもなく、こ 問に付し、磁気がなくても強い想像力は全身痙攣をひきおこ れには長い歴史的な根があ 0 た。古くはヒッポクラテス、ガすことがあ 0 て、磁気たけではなんの治療効果もない、患者 レンの名を最初にあげなければならぬだろうし、。 ( ラケルス にふれてその想像力を刺激することは危険であるという判定 スもまた一役買っていることは見落とせない。 : カそれほど遡をひきだした。こうしてメスメルはインチキ治療師の折り紙 らなくても、リ = ポーは明らかにメスメリズムの研究から出をつけられ、喜劇の外題にとりあげられる人物にな 0 てしま 発した。シ = テファン・ツヴァイクがアントン・メスメルか った。しかしメスメリズム自体はこの断罪によって終焉を告 ら筆をおこし、メリー ・べーカー エディとフロイトに『精げたわけではなく、むしろそこからはじまったといえるので 神による治療』の バトンをタッチさせていったことは十分のある。十九世紀に入ってイギリスの外科医で頭蓋形態論者の いわれがあった。なぜならメスメルからフロイトへ一本の線ジェームズ・ブレイドは、メスメルの発見の偉大さは磁気液 が、そしてまたメスメルからクリスチャン・サイエンスへい 体という仮説にあるのではなしに、かれがつくりたした、例え ば催眠様の主観的な状態にあるのだと考え、その著『神経催 ま一本の線が通じているからである。モーツアルトと親しか ったこのヴィーンの医師は一七六六年に『遊星の人体におよ眠または神経性睡眠の合理性』 ( 一八四一二年 ) のなかではじ ぼす影響について』という学位論文を書き、星が磁気の流れめて「催眠術」「催眠的な」「催眠術をかける」等の言葉を使 によって人間の生命に影響をおよぼすと主張して注目をひ った。リエ。ホ 1 がメスメリズムの研究をはじめたのは一八六 き、さらに一七七五年には『磁気説についてある外国の医師〇年ごろだったといわれ、数年後に『とくに道徳的行為の見 にあてた手紙』を公けにして、人間のうちにある「動物磁気」地から生理学について考察したーー睡眠と類似の状態につい の助けによって病気を治すことができるという珍説を唱えて て』という著書を公刊したが、これはたった一冊しか売れな 世間を驚かした。科学主義勃興の時代にこのような「魔術的かった。こうしてリエボーはヒステリー的失明や麻痺の治療 観念論」をふりかざす男がカリョストロにおとらぬ山師扱い に催眠術を用いたのである。ブレイドとリエボーこそは近代 されて、悲劇的な生涯をおくらなければならなかったのは、当の精神療法の祖である。この二人の努力によって十九世紀の 然といえば当然だったろう。メスメル冫 よヴィーンを追放され八十年代に精神療法が一般化し、スイスではフォレルが一八 てパリに逃れ、この地で徐々に信者を獲得して、一種の「教八九年に『催眠術』を著わし、ロシアではべクトレフがこの

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の指示にしたがってやってみてもなんの効き目もないこと、 の後入った情報は、ナンシーで催眠術を用いる場合も用いな 精密な観察の結果だと思っていたものがじつは架空の作りご い場合もあるが、とにかく暗示を大規模に治療目的に使い とだったことを思い知らされた。ドイツきっての神経病理学特別の効果をあげている一学派があらわれたということを告 者と見られていたエル。フの著書が、早い話がそこらあたりのげている。だからわたしが開業したての数年間は、もっと偶 本屋で売っている「エジ。フトの」夢判断の本と大差ない、現然にたよる、体系的でない精神療法をべつにすれば、催眠術 実性の乏しいものとわかってショックだったが、反面えらい による暗示がわたしのおもな治療手段となったのは自然な成 先生の説なら頭から信じるという、なかなか抜けきれなかっ 行だったといえよう。 た、素朴な権威信仰をここでまたいくらか捨て去るのには役 そのためもちろん器質的な神経疾患の治療はあきらめねば 立ったようである。そんなわけで電気治療器械をさっそく仕ならなかったものの、このほうはさして問題ではなかったの パウル、一八五 舞いこんでしまったが、それはまだメービウス ( である。というのは、一つには器質的な神経疾患の治療には 三ー一九〇七。 , 1 や = 1 チ = の病歴誌を書いたåで知ら和ウ ) が神経病者において電一般に明るい見通しはなか 0 たし、また一つには都会の開業 気治療の効果があるとすれば、医師の暗示の作用にほかなら医を訪れるこの種の神経病患者は神経衰弱患者に比べればも ぬと喝破するより以前のことだった。 のの数ではないうえ、しかも患者は治療がはかばかしくない 催眠術のほうはややましだった。まだ学生時分に「磁気療と次つぎと違った医者へ渡り歩くので、その相対数は何倍に 法施術師」 ( ンセンの実演を見にいったことがあるが、被施ものぼったからである。しかしこの点をべっとすれば、催眠 術者の女が硬直状態におちいったとき顔面蒼白となり、施術術を用いる治療は事実魅惑的な仕事だった。これによっては 中ずっとこの状態を持続するのを目撃した。このときから催 じめて自分が無力だという気持ちに打ち克てたし、また世間 眠現象が真実性のあるものだと確信して疑わぬようになっ から奇跡を行なう人という評判を立てられればわるい気持ち た。それからしばらくして催眠術肯定論は主としてハイデン もしなかった。ところで催眠療法の欠陥がどの点にあるかを マルティン・ハ によ発見するようになったのはだいぶ後のことで、当座はもつば ( インンゲン大学医学部教授。顕微鏡による細胞の研究で知られた 伝って主張されたが、精神医学の教授連はその後も長いあいだ ら次の一一点に不満をお・ほえた。第一は必ずしも患者のすべて 催眠術をいかさまなうえに危険なものだといって、催眠術家にうまく催眠術がかけられないという点、それから第一一は患 一自 を見くだすことをやめなかった。しかしパリでわたしは患者者によってその催眠状態を意のままにこちらの望む深さにで 7 に症状を作りだしたり、またそれをふたたびとり除いたりすきないという点であった。そこで自分の催眠術技術を磨くっ る方法として平気で催眠術が使われているのを見てきた。そもりでわたしは一八八九年の夏にナンシーに出かけ、数週間

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シス作業のすべてよりも強力なのだということを教えられ く解釈し、プロイヤーが前に吐いた二、三の言葉にしたがっ た。しかも、この個人的な感情関係という契機はどうにも手・ てかれの治療の成行きを再構成することを学んではじめてそ の下しようのないものだったのだ。もう一つは、ある日、自 のなそが解けた。つまり、カタルシス療法が一段落ついたと 思われた後で、その少女に突然「感情転移の愛情」ともいう分が長いことそうではないかと推測していたことをあからさ まに事実として見せつけられるような経験をしたことであっ べき状態がおこったのに、プロイヤーはこれをもはや彼女の 病気と関連づけて考えようとしないで、逆におどろいて彼女た。というのは、あるときひじようにおとなしくて、自由自 から手をひいてしまったのだった。こんないきさつがあって在に催眠術のかかる婦人患者が疼痛発作をおこしたので、そ みれば、いまさらなにを好んで過去の災難を思いかえすようれをその誘因にまで還元して彼女を苦しみから解放してやっ た。すると、彼女は目がさめたとたんにわたしの首に抱きっ な厭なことをする必要があろうか。かれはわたしの説を認め たものか、それとも手厳しく批判を浴びせたものかとしばら いたのだ。運よく不意に召使が入ってきてくれたから助かっ く迷っているうちに、こうした緊迫した瀬戸ぎわに必ずとい たものの、でなければ患者といやなやりとりせずにはすまな ってよいほどおこる偶然事が重なり合ってきて、わたしたち かっただろう。それ以来、この患者とは暗黙の了解で催眠療 はついに袂を分かってしまったのである。 法をつづけるのをやめてしまった。わたしは冷静な科学者の さて一般的な神経質のいろんな形ととっ組んでいるうち端くれだから、自分が女に好かれるたちだから偶々こんなこ に、さらにカタルシスの技法に改変を加えることになった。 とがおこったのだなどと自惚れるはずはなく、いまこそ催眠 わたしは催眠術をやめて、その代わりに他の方法を使ってみ法の背後に働いている神秘的な要素の本性がっかめたそと思 ようとしたが、それはこれまでヒステリー様の状態だけしか った。この要素をとり除くため、あるいは少なくとも切り離 治療の対象にされていなかったのをなんとか打破したいと思すために、どうしても催眠法をやめなければならなかったの である。 ったからである。また経験をますにつれて、たとえカタルシ スのためだけに催眠術を用いる場合でも、二つの重大な懸命 とはいえ、催眠術はカタルシス療法にたいへん役立った。 伝 がわいてきたのだ。一つは、患者に対する個人的関係がしっそれは患者の意識野をひろげ、患者が覚醒時に知ることので くりいかなくなると、せつかくのよい結果でさえ急に拭い去きなかったことを知るようにさせることができた。この点で ったように失われてゆくことであった。それでもなんとかふ催眠術に代わるものは容易にありそうもなかったのだ。こう して困り果てているとき、以前によくべルネームのところで 砺たたび和解の道を見いだせれば、よい結果はとりもどせた : 、それにしても個人的な感情関係のほうがやつばりカタル 見せられた実験の記憶がうまくよみがえってきてくれたので

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おこることも な体験をしたこともあります。わたしが何度も催眠術を用い ということもあるのですから。 あるとの意 芻てノイローゼ状態から救ってやったある婦人患者が、とくに 精神分析から獲得した認識の光に照らして、われわれは催 頑固なある発作の治療中にわたしの首っ玉にしがみついたの眠術の暗示と精神分析の暗示との差異を次のように述べるこ です。以上のことを考えると、医者としてはやはり自分の暗とができます。すなわち、催眠療法は心生活におけるあるも 示的権威の本性はなんであり、またその権威はなんに由来し のを隠し飾ろうとし、分析療法はそれをとりはらい遠ざけよ ているかという問題を、欲するといなとにかかわらず、いやうとすると。前者のやりかたは美容術のようなものですし、 おうなく考えさせられずにはいなかったのであります。 後者のやりかたは外科医術のようなものです。前者は、症状 以上が経験の証言であります。これらの経験から、われわがあらわれないようにするために暗示を利用し、抑圧を強め れは直接的な暗示を断念することによって、かけがえのない ますが、症状形成を招いたいっさいの過程はもとのままにし ものを放棄したのではないことを教えられます。さて、これておくのです。分析療法のほうはもっとすすんで根本に、す に関連して、若干のことを省察してみましよう。催眠療法をなわち症状を生じさせた葛藤に手をくだし、これらの葛藤の 行なうことは、医者にとっても患者にとってもきわめてわず結果を変えんがために暗示を利用するのです。催眠療法は患 かな労力を課するにすぎません。この療法は、今日なお多数者を無為、無変化のままに、したがってまた罹病のあらゆる の医者が奉じているノイローゼの評価にびったりしたもので新しい誘因に対しても同じく無抵抗のままにしておきます。 あります。医者は神経質者に申します、どこも悪いところは分析療法は医者にも患者にもやっかいな仕事を課し、この仕 ありませんよ、ただ神経ですな、ですから、わたしの二言一一一事は内的抵抗をとりのそくために用いられます。これらの内 言で、たちまちあなたの苦しみなんか吹き消してあげましょ的抵抗を克服することによって、患者の心生活は永久に変化 うと。しかし、適当な装置の外的な助けなど借りなくとも直させられ、一段と高い発達段階へ高められて、新たな罹病の 接手を加えれば、ほんのちょっとした力を用いるだけで大き可能性から守られるのです。この克服作業は分析療法の根本 の仕事であって、患者はあくまでそれを実行しなければなり な重荷を動かしうるはずだなどということは、われわれのエ ネルギー論的な考えかたに矛盾いたします。事情がこういう ませんし、医者は教育という意味で作用する暗示の助けを借 りて、患者がそれを実行できるようにしてやるのです。です 比喩を許すものであるかぎり、そんな芸当は / イロ】ゼの場 合には成功しないことは、経験もまたこれを教えてくれてい から、精神分析療法は一種の再教育であるといわれても、そ ます。といっても、この論証が攻撃できないものでないことれは事実また不当ではありません。 暗示を治療に使用するわれわれのやりかたと、催眠療法に は、わたしも知っております。「喚起、 ( 喚が催眠胤法に」。て

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366 かん ある。被験者が夢遊状態からさめると、決まってその間におた。しかし技法を変えたことはまたカタルシス療法の面貌を も一変させてしまった。催眠術はあるダイナミックな作用を きたことについての記憶を失っている様子だった。ところが ベルネームは絶対に知っているはずだといい張り、それを思陰蔽していたのだが、いまやそれがあらわにされて、この作 用を把えることによって、確固たる理論的根底があたえられ いだすように求め、あなたはなにもかも知っているのだか ることになったのだ。 ら、ただ口にだしていいさえすればいいのだと断固としてい いきると、被験者はなおひたいに手をあてていたが、忘れて 患者があれほど多くの心内および外部の体験事実を忘れ去 っていたのに、上記の技法を用いるとそれらの事実を回想さ いた記憶がほんとによみがえってきて、最初こそほんのぼっ 冫しったいなんによるのであろうか。 りぼつりとであったが、そのうち堰を切ったように、しかもせることができたのよ、、 きわめて明瞭に口を突いてでてくるのたった。これだ、自分この疑問に対しては、観察があますところなく解答をあたえ もやってみようと思った。わたしの患者たちもこれまでは催てくれた。つまり、忘れ去られていたことはすべてなんらか の意味で不快なことだったのだ。おそろしいことだとか、苦 眠術によってはじめてさぐりあてたことをすべてまちがいな うんぬん 「知っている」はずだ。場合によっては相手の頭に手をあ痛なことだとか、人格を云々されるような恥ずかしいことだ ててやりながら、絶対に知っているのだと受け合ってやった とかだった。それだからこそ忘れ去られたのだ、すなわち意 り、はげましてやったりすれば、忘れている事実や関連を意識に残っていなかったのだという考えがおのずからわたしの 識のなかに押しの。ほらすことができぬはずはない。もちろん頭に浮かばずにはいなかった。だがそれをふたたび意識にの・ 催眠術をかけるよりもっと骨が折れよう。だが、それだけ教・ほらせるためには、患者の心内で反抗をくわだてるなにもの、 えられるところも多いのだ。こう思ってわたしは催眠法をや かにうち克たねばならず、患者に迫って回想を強要するため め、ただ患者を・ヘッドに寝かせておく点は催眠術の場合を踏 には、医者自身も努力を払う必要があった。医者に求められ 襲したが、自分はべッドの後方にかけて、こちらからは患者るこの努力の程度は症例の異なるに応じて異なり、回想さる を見ることはできても、向こうからは自分が見えないように べき事柄の困難さの度合いに正比例して大になった。したが したのである。 って医者のカの費消度は、明らかに患者の抵抗を測る尺度た ったのである。こここ 冫いたってこれまで自分で感じとってい たことを、いまはただ言葉に移しさえすればよかった。こう して抑圧の理論ができあがったのだった。 この病因過程はいまではたやすく再構成された。ごく簡単 わたしの期待は充たされた。わたしは催眠術から解放され

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、 339 精神分析入門 おいてだけ可能なやりかたとがどの点で違っているかを、 発見の客観的確実性を疑わしくする危険はやはり存すると。 まやわたしは皆さんに明らかにしたと思っております。皆さ治療に役立つものは研究の価値を損じてしまう。これが、最 んは事実また、分析療法はその効果がぎりぎりのところまで もしばしば精神分析に対して唱えられてきた異議でありま あくまで計算してかかることができるのに、一方催眠療法です。正直のところ、この非難はまとをはすれてはいますが、 はその成果の気まぐれさが目立っ点を、暗示を感情転移に帰といっていちがいに筋違いだとして撥ねつけることもできま 着させることによっておのずからご了解になりましよう。催せん。しかし、もしかりにこの異論が正当たとするなら、精 眠術を用いるさいには、われわれ医者は患者の感情転移能力神分析は、じつのところ、とくに巧みに偽装した、とくに有 の状態には左右されますが、患者の感情転移能力そのものに効な暗示療法の一種にほかならぬことになり、われわれは生 影響をあたえることはできません。催眠術をかけられる者の活感化や精神力学や無意識に関する精神分析の主張をすべて 感情転移は陰性であるか、または、たいていの場合そうであたわいないものととってよいことになりましよう。事実、精 るように、双価性のものでありましよう。すなわち、患者は神分析の反対者たちはそう考えているのであって、わけても、 特殊な態度をとることによって自分の感情転移をあらかじめ性的体験そのものではないまでも、性的体験の意義に関する 防いだかもしれません。それについてはわれわれはなにも知ことはすべて、われわれが自分たちの堕落した空想のなかで らないのです。精神分析においては、われわれは転移そのも このような推測をやってから、患者たちにそれを「説きっ のに働きかけ、転移にさからっているものをなくし、われわけ」たのたというのです。これらの非難は、理論の助けを借・ れの活用しようと思う道具をととのえるのです。こういうふ りるよりも経験をひきあいにだすことによって、よりたやす うにして、暗示の力をまったくべつな目的に利用することが く反駁することができます。自分で精神分析をやってみた者 できるようになります。つまり、暗示の力を完全に掌中にお は、そんなふうにして患者に暗示をあたえることなどできな さめるのです。患者は自分だけで、すなわち自分勝手に暗示 いことは、何度も確かめることができたはずであります。思 されるのではなくて、患者が暗示の影響を受け入れるかぎ者をある種の学説の信奉者にして、医者のおかすかもしれぬ り、われわれのほうでその暗示を自由にあやつるのでありま誤謬の一端をになわせることは、もちろん決してむつかしい す。 ことではありません。そういう場合、患者は患者でない者の ところで、皆さんはこうおっしやるかもしれません、われような、つまり弟子のような態度をとりますが、しかしそれは われが精神分析の推進力を転移と呼ぼうが、暗示と呼ばう医者が患者の知性にだけ影響をあたえるにすぎないで、患者 が、いずれにせよ患者に影響をあたえることは、われわれの の病気に影響をあたえはしなかったということなのです。と

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412 て使われた本来医学的な術語であるが、この方法によって人 り身をまかせて医師を崇拝渇仰し、わが身を捧けきったつも 間は自分自身の過去にもどり、以前の諸体験にあとから正し りになって、すべての願望や心配ごとをうち明けたのである。 い処置を加えれば、流れ去ったものに付着している汚れを浄医師はいうなれば彼女の愛人役にすり変えられていた。いま めることができる。ノイロ ] ゼの治療はこのような方向におや彼女自身の全存在の問題が、他者に対する愛情のなかに融 いて行なわれなければならない。換言すれば、その「抑圧ー けこんでゆく。ここにおいて、生はこの女性にとりふたたび ( 最初は「防衛」と呼んでいた ) を他に転すれば、もはやそ生きいきとしたものになってきた。しかし医術によってつく の「抑圧」に苦しめられることがなくなる。つまり、患者は りだされたこの傾向は決して純正なものではなく、それは仮 健康になったのである。無意識的なものにもとづいてその人象としてその仮面を剥ぎとられる必要があった。このような を苦しめていたもろもろの力とのたたかいに費消されていた「感情転移ーはなるほど精神治療の成功にとって欠くべから エネルギーは、ここにおいてふたたび他の任務のために自由ざるものには違いなかろうが、しかしその本質において一つ に用いられるようになる。これがノイローゼが治ったという の過渡的な段階にすぎないことにフロイトは気づいた。この ことにほかならない。 過渡的な段階は必要ではあるが、とどのつまりは克服されな ところでフロイトが次にとりあげたのは、それでは人間はければならぬものであった。つまり、「感情転移」はさらに なぜこのような「抑圧」を行なうのかという問題であった。 合理化されなくてはならなかった。ノイローゼ治療における 厳密にいえば、「精神分析」の方法はこの間題をもってはじ 催眠術の危険は、まさにここにあったのだ。それをさとった まると見られる。こうしてかれは発見したーー自分が「通痢」以上、フロイトは催眠療法を捨てざるをえなかったわけであ の方法を用いて治療した患者たちにおいておもに「抑圧ーさ る。そしてこれに代わって用いたのが、いわゆる「自由連想」 れるのは、性的なものと関連ある諸体験だったということ の方法だったのである。患者を診察室のべッドにかけさせ、 を。この思いがけぬ経験がシャルコーのふと洩らしたあの言医師は患者から見えない場所に腰をおろして、患者がそのと 葉を思いおこさせるとともに、問題の解明に明るいヒントをき思いつくことを残らず話させるのである。もちろん、この 投げかけた。たまたま催眠療法を施していたときのことであ方法にも障害がないわけではなかった。患者がおし黙ったま る。患者の婦人が催眠術からさめると、いきなり医師である ま頑強に口をきかないことも、一再ならずあったからだ。 かれに抱きついてきたのだった。この突発的な出来事の意味 ところがその後まもなく、フロイトはこの「自由連想法」 をフロイトは科学者らしく冷く判断した。この婦人は催眠術をやめてしまった。そのきっかけとなったのは、「夢」のも のために部分的に理性をうばわれ、無意識的な衝動にすっか つ重大な意味の発見であった。夢は疑いもなく完全に意識か

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いた感動的な空想を言葉で表現するようにしむけると、決ま とることによって、プロイヤ 1 は長いあいだ苦心の末この患 3 ってうえにあげたような意識障害から解放されることを偶然者をすべての症状から解放してやることができたのである。 の観察から認めたのである。この経験をもとにプロイヤーは 患者は快くなり、その後すっと健康を保ち、かなりの仕事も ある治療方法を考えだした。つまり、患者を深い催眠状態に できるようになった。しかしこの催眠術治療の結末にはなに 導いて、そのつど彼女の気持ちを苦しめているものについてかあいまいな点があって、プロイヤーはこの点をどうしても かたらせるようにしたのだ。こうしてひとたび抑欝性の錯乱 はっきりさせてくれなかった。またなぜかれがその見たとこ の発作が征服されてしまうと、プロイヤーは同し方法をくり ろひじように貴重な認識をあれほど長く秘して公表せず、学 返し用いて彼女の抑制と身体的障害をとり除いた。覚醒状態 問の進歩に貢献しようとしなかったのかも理解に苦しむとこ にあるとこの少女も他の患者と同じに、自分の症状がどうしろだ 0 た。次の問題点は、プロイヤーがた 0 た一症例につい て生じたかをいうことができず、またそれらの症状とこれまて発見したことをはたして一般化してよいものかどうかとい での生活で受けたなんらかの印象のあいだのつながりもぜんうことだ 0 た。かれの発見にかかわる事態はどうみても基本 ぜん見つけだせないのだった。それが催眠術をかけられる的な性質のものだと思われたから、それがひとたびただ一つ と、すぐ求められている関連を見つけだした。その結果彼女の症例ででも立証された以上、他のどんなヒステリー症例に の症状はすべて病父の看護中におこった印象深い体験に帰着おいてもあてはまらぬなどということは信じられなかった。 すること、したがってどれもみな意味をもっており、これらの だがこの点の決定は経験に俟っしかないわけだった。そこで 感動的な状況の名ごりだとか回想だとかに合致していることわたしはプロイヤーのやりかたを自分の患者たちについても がわかった。彼女は父親の病床である考えまたは衝動を抑え実験しはじめた。特に一八八九年にベルネームのもとを訪れ つけなければならぬことが多かったため、その代わりに、つ て以来催眠術による暗示の作業能力には限界のあることがわ まりその代理として上記の症状があらわれたというわけであ かってからは、もつばらプロイヤーの方法だけを用いたので る。しかしこの症状はたいていただ一つの「外傷的な」情景ある。数年間やってみてますますその正しいことを確認し、 の沈澱物ではなく、多数の類似の状況を総計した結果なのだ この種の処置を施したすべてのヒステリー症例においてプロ った。いま患者が催眠状態でそのような状況を幻覚によってイヤーの観察と類似した文句ない観察材料を入手したとき 再度回想し、あのとき抑えつけられた心的行為をあとになっ に、かれに向かって共同で著書をだそうではないかと申し入 て自由な感動を発散させることで始末してしまえば、症状はれた。これに対しかれははじめは猛烈に反対していたが、しま 消し去られて二度とあらわれないのだった。こうした処置を 、にはとうとう折れて承諾した。もっともこれには、そうこ

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も、第三のものが欠けていたのです。・ヘルネームの方法はど 眠状態における暗示と同じ成果をもっことができるのです。 ところで、皆さんはこの問題においてまずどんなことを聞の方面から見ても、信用のおけるものではありませんでし た。ある患者には適用できましたが、ある患者には適用でき きたいとお思いになりますか。経験の証言ですか、それとも ませんでした。また、ある患者ではおおいに成功いたしまし 理論的な考察ですか。 たが、ある患者ではほとんど成功いたしませんでした。が、 前者からはじめるといたしましよう。わたしはベルネーム の門下生でしたが、一八八九年にかれをナンシーにおとずその理由がどこにあるかはわからなかったのです。療法のこ うした気まぐれさよりももっと腹立たしかったのは、効果が れ、また暗示に関するかれの著書をドイツ訳したことがあり ます。そして、数年間催眠療法をおこない、まず最初はこれ長つづきしないという点でした。しばらくたっと、患者はむ かしの病気が再発したとか、むかしの病気はなおったが新し と禁止暗示とを併用し、後には・フロイヤー式患者訊問法をも い病気がおこったとかというのを耳にしたのです。そこでま あわせ用いました。ですから、わたしは催眠療法または暗示 たあらためて、催眠術をかけなくてはなりませんでした。こ 療法の成果については、自分の十分な経験をもとにお話しし うした事実を前にして、経験を積んだ医者の側からは、何度 てよいわけであります。むかしのある医家の言によると、理 も催眠状態をくり返すことによって患者の自主性を失わせ、 想的療法とはてっとり早く、信用がおけて、しかも患者にとっ て不愉快でないものでないといけないとのことですが、ベル 麻薬のようにこの療法に慣らしてはいけないという警告が発 せられていました。ときにはまったく思ったとおり成功し、 ネームの方法は確かにこれらの要求のうち二つは充たすもの でありました。ベルネームの方法のほうが分析的方法よりもわずかな労をはらっただけでけっこう持続的効果がえられた としても、それほど上首尾な結果がえられた条件はわからな はるかにてっとり早く、いや問題にならぬほどてっとり早く いままだったのです。一度、こんなことがありました。わた 行なわれましたし、また患者に苦労も不快もあたえませんで しは短期間の催眠療法である女の重い症状をほとんどすっか した。医者にとっては、いつの場合も同じゃりかたで、つま りとりのそいてやりましたが、それがふとしたことからその 門り同じ方式を用いて種々さまざまな症状を存在しないように 析するだけで、症状の意味も意義もとらえることはできないの患者がわたしを嫌いだしてからというもの、またもとの木阿 神ですから、それはしまいには単調なものとなったのです。っ弥にもどってしまったのです。そして、わたしとの関係がな かなおりできてから、あらためてわたしは前よりももっと徹 まり、職人仕事で、決して学問的な活動ではなく、魔術や悪 魔ばらいや手品に類しておりました。がしかし、そんなこと底的にその症状を消失させましたが、患者がまたもやわたし は患者の利害にとっては問題ではなかったでしよう。けれどを嫌いだすと、やはりそれは再発するのでした。また、こん