となったのである。キリスト教はこの際まさしく教会の敵に スと。フラトンは早くも中世において受け容れられ、。フロテス おいてすら、自由を助成した。偉大な政治家は敬虔な精神を タントの運動によって予言者の宗教の深みが新たにされ、ギ リシャ精神は十八世紀のドイツ人文主義によって再経験されもって行動した。単に一時的に権力政治的意図を実現しよう というのではなく、生活秩序と国家形式をエトスと宗教をも た、というのが実情である。 って実現しようとする彼らの意志は、中世以来の西洋の自山 しかし単に精神的のみならず政治的にも、西洋のキリスト の主要源泉であったのである。 教の動向いかんが、ヨーロツ。 ( に対して決定的影響をおよぼ はなはだしい内部か 3 西洋における教養の連続性。 した。比較的考察がこの事実を示している。もろもろの大宗 教の教義は、紀元第三世紀以降、統一を形成する政治的な一らの決裂とか外部からの破壊とか、一見完全な荒廃があった にもかかわらず、西洋における教養の連続性は失われなかっ 動因となったのである。イランの宗教は二二四年以降ササン 朝ベルシャ帝国の担い手となり、キリスト教はコンスタンチた。少なくとも、数千年にわたって行なわれている理解形 式、思惟型態、言語、公式等は存在する。しかも過去への意 ヌス帝以降ローマ帝国の担い手となり、イスラムは第七世紀 以降アラ・フ人の帝国の担い手となった。比較的自由に文化の識的なつながりが断絶している場合でも、何らかの事実的な 交流が行なわれた古代世界、すなわち人文主義の世界に比べ連続性は残存し、後になって再び過去の伝承との意識的な結 合が行なわれたのである。 て、中世の世界には今や交流を断絶する深淵が口を開いた。 シナとインドはつねに彼ら独自の過去を継承して生きた。 多くの戦争は同時にまた宗教戦争でもあったのである。すな これに反しギリシャは彼ら自身の過去を越え、異国たるオリ わちビザンチンの東ローマ帝国とササン朝ベルシャ帝国、ビ エントの過去を継承して生きた。北方諸民族は、彼らにさし ザンチンとアラブ人のサラセン帝国、後には西方諸国とアラ ・フ人との戦争、更に十字軍がみなそうであった。このようなずめ縁のない地中海的世界の文化を継承して生きた。西洋 は、先行する異国の文化を継承するに際し、それをそのつど 変質した世界にあっては、ビザンチンのキリスト教も、他の 自己の独創性を通じて同化し、加工し、変革して受け容れた 目教義的諸宗教とさほど異なるものではなかった。それは多か テオクラ . ティッシュ 原れ少なかれ祭政一致的国家であった。しかし西方世界では事のが特徴的である。 西洋はキリスト教と古代を基礎とするが、両者とも初めの の情は異なる。たしかにここでも、教会の要求は東方のそれと うちは、古代末期にゲルマン民族に伝えられた形態でのキリ 歴異なるところはなかった。しかしこの要求が充たされなかっ たがゆえに教会は戦った。ここでは教会は、単に精神的生活スト教と古代であり、後世になって聖書宗教やギリシャ精神 を展開したたけでなく、世俗的権力に対抗する自由の一動因の根源〈遡る研究が、一歩一歩と積み重ねられたものであ
最後に大量の毒薬を用いれば、快い死が訪すれるというもの来像ーー、更にまた、魂の満たされぬ者が、それにつくべく 教示されるところの来たるべき救済という漠然たる未来像が 1 子ー 彼らもやはり労働はする、それもそのはす労働が一つの気ある。 進歩思想は科学と技術に根ざしており、この領域以外では 晴らしなのだから。しかしこの気晴らしも、全くからだの毒 実際の意義をもたない。しかしこの進歩思想でさえも、科学 にならぬよう気をつけられる。 いかなる牧者もなく、ただ群衆あるのみ ! すべての者が的研究が今後明らかにするものは、おそらく原則的な限界内 に限られているのであって、これは技術的能力に関しても全 平等を欲する。そしてまた、すべての者が平等なのである。 く同じことがいえるのではないか、という懸念を問題とせざ 別様な考えを内に感ずる者は、すすんで精神病院へ入る。 昔は世界中が狂っていたものさーーと、彼らのうち最も抜るをえなくなっている。今日ではなお咲き誇り、実りつつあ る科学は、間もなくそれ以上進めない終結に近づきつつある け目のなさそうな者がいって、そして眠をしばたく。 のか否かは、大きな問題である。科学ははるか後になって新 彼らは利ロであり、生起したいっさいを知りつくしてい る。だから彼らの嘲笑揶揄のつきることがないというわけでたな条件下で新たな活動を開始するのであるか、あるいは科 学はそれまでの成果を全般的にひたすら保存するだけで、以 ある。 われわれは幸福というものを発明したのさーーーと、終末人後部分的には喪失さえ蒙り、技術上のこしらえ物やら簡便な 考え方をもってする、生活上必要な自動機械的な操作にまで たちは、、、 そして眼をしばたく」 ( ツアラトウストウラ ) 。 それ以来しばしば、蟻の世界のような未来像が描かれた堕ちてしまうかどうか、これは問題である。ここでは予想は り、衛生学的な処理法や、時間ぎめの処方やら、何ごとであことごとく無駄である。半世紀来繰り返し行なわれているよ ートビアが描かれ うに、せいぜい内的に矛盾のない面白いユ れ一つの全体計画化による投薬やらによって、みずからの幸 うるにすぎない。 福を追求する人間の生活像が描かれたものである。 人間は将来地球を狭いと感ずるようになるだろうか ? と いう別な問題がある。いかなる脱出口も、いかなる距離も、 以上の悲観的幻想に対照的なものとして、十八世紀の進歩 思想以来今日なおポピュラーな、来たるべき栄光という未来人間にはこれ以上思い通りにならす、空間と資源に関する限 人間はかろうじて一定枠内を巡りうるにすぎない。 像、すなわち平和と自由と正義に生きる人間の世界という未り、 予断が報ずる結論は、人間の大集団の生存を維持するたけ 来像があり、そしてまた、たえざる刺激で駆り立て合う諸勢 力が生々躍動しながらに均衡を保っている世界秩序という未にも懐疑的である。世界秩序が達成されて、外部からいかな
ことが肝要である。かくしてのみ、科学の迷信と科学の憎悪 この典型的に近代的な迷信は、科学がなしえぬものを期待 する。この迷信は、物事の想像的科学的全体観を究極的認識という一一重の誤りが避けられる。人間から何が生ずるかは、 と考える。それは科学の諸成果を無批判に受け容れるが、こ時代の変遷を通じて科学を維持し、深化し、ますます多数の れら成果が方法的に獲得される道を知ることなく、またその人間に実現させることの成否に、決定的に制約されている。 この注意は軽くとられてはならない。そもそも真の包括的 つど科学的成果が妥当する限界を知らない。それはあらゆる な科学は、深い魂の、歴史的に制約された構造に結びついて 真理、あらゆる現実を、われわれの悟性の手に負えるものと いるのである。それはきわめて傷つきやすく、決して世代の 解する。それは科学への絶対的信頼をもち、何ら疑念なく科 学の権威に服従するが、この権威なるものは、専門家たちの変遷を貫く確実な持続によって保証されない基礎に拠ってい る。この科学はもろもろの動機のからみ合いから発している 公務上の地位によって左右されるのである。 が、これはきわめて錯綜していて、このうちただ一つが脱落 ところがこの科学の迷信のあてがはずれると、反動として しても、科学そのものが麻痺ないし空虚となるほどである。 科学の排斥が起こり、感情や本能や衝動への訴えかけが起こ るのである。こうなるとあらゆる禍いは、近代科学の発展の結果として、近代世界の数世紀を通じて、全面的な科学的態 せいにされる。このような幻減は、迷信が不可能事を期待す度を実現している科学はつねに稀れであったし、おそらくま る時、いつでも不可避である。正しい秩序は成功せず、最もすます稀れとなっているという事態が見られるのである。物 質的世界の形成とか、世界中至るところでロにされている 立派な計画は失敗に帰し、人間の諸状態の破局が現われる。 その程度たるや、究極の進歩という期待が続くかぎりますま「啓蒙された」世界観という表現に見られるように、さまざ まな成果の醸し出す圧倒的な喧躁も、科学すなわちこの一見 す我慢できないものと感じられる。現今の医師は、随分と高 度の技能をそなえるに至ったものの、それでもあらゆる疾患最もありふれたものが、実は最も深く隠されたものである事 を癒しもできないし、死を阻止もできないという事実は、科実を欺きえない。当の近代人そのものがたいていは科学の何 学によってそもそも可能であるものに対し、あくまでも象徴たるかを全く知らないし、科学へと駆り立てた衝動を真には 的である。人間はいくたびとなく限界に衝き当たるのであ体験しなかった。自分の専門領域ではいろいろな発見を続け る。 別なもろもろの力によって進められ ている研究者すら、 こういった状況においては、かの本当の科学、すなわち知る動きをしばし無意識に続行しながら、ーー往々にして科学 の何たるかを知らず、しかもこの無知を、自分が通暁してい りうるものを明確に知るのと同じく、はっきりとみすからの る小さな領域外での挙動に漏らしている。近代の哲学者たち 限界をも自覚している科学を、自分のものとして身につける
枢軸時代の事実は、歴史的意味のない、同時代的に発生しの福祉に心がける」べきものとされた。 ルター派の根本教義と同一といってよいほどのこの実例は た珍奇な現象の集計であるのかもしれない。世界史において は、似たような現象が同時代的に起こっているという驚くべ全く驚きに値する。なおこのほかに、シナからヨーロッパに 至るまで、数世紀を通して多数の平行現象が見いだされる。 き事実が、多数指摘されうるのである。例えば、 十六世紀においてジ = スイット派の宣教師たちは、日本にそのための歴史年表が作られている。 これに対して次ぎのように主張しうる。 おいて仏教の一宗派を見いだした ( それは十三世紀以来存在 第一に、歴史に見られる多数の平行現象に関しては、それ していた ) 。この宗派はプロテスタントに驚くほど類似して らが同時代的なたぐいであろうとなかろうと、それらにおい いると思われたが、事実そうであったのである。日本学者フ ー・ト・ラ・ソーセ ては、個々の現象に共通に適用される一つの規則が認められ ローレンツの叙述によれば ( シャントビ ーの教科書において ) 、宗派の教えは次ぎのようなものであるようになるものである、と主張できる。ただしこの枢軸時 った。すなわち、人間の自力は何ら救済の功徳となるもので代においてだけは、われわれは何らの普遍的法則にも従わぬ はない。信ずるということが、すなわち阿弥陀の慈悲と救済平行の事実に遭明するのである。更にいえば、真に歴史的 な、一回限りの事実が、最包括的な、あらゆる精神現象を内 を信ずることが重要なのである。善果をうる自力の修業〔自 に蔵した性格をもっているのである。枢軸時代は、世界史 カ作善〕なるものは存在しない。念仏は何ら修行ではなく、 的普遍的に、全体として一つの平行をなしている唯一の実例 阿弥陀の誓願に保証される救済への感謝であるにすぎない。 、わんや悪人をや ! 」とは、宗なのであって、単に特殊な現象の一致につきるものではな 「善人なおもて往生をとぐ、し 。個々の現象とか現象系列はなお、われわれが枢時代に 派の開祖親鸞の言葉である。いかなる自力修業、魔術的な儀 式や行為、護符、霊場巡り、贖罪、断食精進やこういったた関して述べるような平行を示すものではない。 ぐいの苦行をも否定するのが、伝統仏教に対抗して建てられ 、この三つの平行した動きの示す親近性は、わずか た要請であった。在家の信者も、出家僧と同等の成仏の見込の数世紀に限って認められるのである。枢軸時代以後まで平 行を延長させる試みは、ーー数千年にわたる歴史年表におい みがあった。僧たちは世俗者の教化のための団体にすぎな の い。僧たちは生活態度の点で、もはや世俗者と区別の要はな て、 ますます人工的なものとなってしまう。枢軸時代以 歴く、世俗者と同じ衣をまとった。戒律による独身は廃止され後の展開は平行的展開ではなく、なしろ分散的展開である。 三つの動きは始まりにおいては、同じ目標を目ざす三つの通 た。家庭は宗教生活にとって最善の活動分野とみなされた。 信者たちは、「秩序を保ち、国法に従い、よき民として国土路の観を呈していたのであるが、ついにははなはだ相隔たっ
円 2 消えなんばかりの少数の人間から出発する。世界秩序は、市引力となって他者が納得して従い、平和裡に法秩序に参加す 民的社会を秩序づけたのと同じ諸動機から発するのである。 る場合に限り、成功するだろう。この秩序が、自由、繁栄、 市民的自由はただ地上のわずかの場所において、そのつど独精神的創造、豊富多彩な人間存在の可能性を生み出すのであ る。 特な歴史的過程において獲得されたのであり、その時いわば 政治的自由の鍛錬が行なわれたのであるから、ここで小規模 地球が交通によりいや応なく統一されると、交通の遠 に手本として示された物事を、世界は大規模に実行せねばな 近を基にした距離感や戦力感が基準的要素となる。 らよ、。 数世紀にわたり英国は、その海洋制覇により世界を海から あらゆる人には少なくとも指針を与え、多くの人には模範岸として眺めたのであるが、これらすべての陸地は、海を支 とすべき、政治的自由の古典的発展は、十七世紀以前から英配している秘密の王国の中に封じ込められているも同然であ っこ 0 国において行なわれた。この精神的政治的地盤に立って、自 由の新たな創造がアメリカにおいて成功した。きわめて狭い 今日では航空輸送が新たにつけ加わったが、それは貨物や 地域においてではあるが、スイスはこの自由を連邦制の形で人間の輸送の能率の点で、海上輸送とは量的には匹敵しえな 実現したが、これは、今後のありうべきヨーロッパの統一と いが、しかしきわめて重要な拡張であり、地球は政治的に眺 世界の統一のモデルであると考えられてしかるべきである。 める限にとっては、やはり空から眺めても全体となるのであ る。 今日敗戦諸国においては、自山はほとんど完全に消減して いる。ここでは、テロ組織の機関が自由の擁護を唱えた時に どのみち戦争においては、結局地上戦力が、最後の大詰の は、すでに自由は抹殺されていたのである。 幕を務めなければならぬにしても、海軍力や空軍力が、世界 世界秩序への道は、できるだけ多くの国家における政治的の統一にとっては地上戦力よりいっそう重要と思われる。 このよう 自由の覚醒と自己理解を経由せずには進展しない。 合法的に管理された世界警察力は、空中輸送により最も迅 な状況は、枢軸時代以後のかっての世界帝国への過渡期の状速かっ確実にあらゆる場所に行きわたる、と考えられて誤り ではなかろう。 態には類例を見ない。理念や課題は当時ほとんど意識されな かったし、支配権を獲得した強国のもとでは、自由な国家と 3 世界秩序への途上における危険 いう現実は成立しなかった。 信ずるに足る世界秩序が建設されるに先立って、危険に充 世界秩序は今日、もしそれが成功するとすれば、既存の自 由諸国家の連邦倒から出発するであろう。そしてこの精神がちた過渡期がある。そもそも人間の生存が、実はいつでも過
ものであるにしても、新しい世代はただちに彼らの哲学者をす、という傾向が先行条件とされた点に、統一が成立したの である。 通じて、再び何らかの包括的な意味を求めるのである。この 信仰がおよそ歴史というものに一つの根拠と一つの目標を ような意味が歴史を支配してきたし、現に支配しており、そ していったんこの意味が把握されたとなると、想像的な意味前提としていたとすれば、思想はこの根拠と目標を、実際の 歴史において認識しようという気を起こすことになる。人類 としてであろうと、自分の意志に取り容れられ、指針となり の一つの歴史を構想するもろもろの思想は、神性の啓示によ うるのである ( 例えばキリスト教的歴史哲学、ヘーゲル、マ って与えられたり、あるいは、理性によって洞察される統一 ルクス、コント等に見られる通り ) 。 こういった統一は、歴史を全体として眺めた解釈、すなわの知として、その時どきに現われた試みなのであった。 ち歴史の全体観にはっきりと認められる。 西洋においては、歴史における神の活動は、創造から始ま って、楽園からの追放、予言者たちを通じての神の意志の告 全体観的思惟にとっての統一 知をへて、転換期における神自身の出現による救済、そして ついに待望の最後の審判に終わる一連の営みとして、明らか 歴史の統一性の把握、すなわち普遍史をまとまった全体と なものとなっていた。初めユダヤの予言者たちによって思惟 して思惟することは、自己の究極の意味を求める歴史的知の されたものは、のちにアウグスチヌスを通じてキリスト教的 衝動なのである。 それゆえ歴史の哲学的考察は、人類が結合されるところの型態を獲得し、フロリスのヨアキム〔一二世紀〕からポシュ 工〔一七世紀〕に至るまで反復されたり、変化を受け、レッ 統一を問い求めてきた。人間は地上に棲息することになった シングとヘルダーからへ 1 ゲルに至るまでに世俗化されたの が、しかし彼らは分散して相互に知り合うことなく、さまざ まな形で生活し、数千の言語を喋った。従ってかって普遍史であるが、こういったものは、そのつど、一なる全体の歴史 いっさいがこの歴史の中にそれそれの場 標を考えた者は、その視圏の狭さゆえに、例えばわれわれにあに関する知であり、 とっては西洋、シナにおいては中国への制限という犠牲のもと所を占めるのである。人間の生活の一連の基本原理が登場す に、統一を形成した。この外部に存在するものは、歴史に属るが、これらは奥儀を究めることによって、真に存在するも 起 史さず、野蛮人や自然人の生活とみなされ、それらは民族学的の、生起するものを教えるものであった。 しかしこういった構想は、二千年を通じて、きわめて大々 興味の対象ではあっても、歴史の対象ではなかった。一歩一 歩と、地上のあらゆる未知の民族を、一つの、すなわち自己的に信ぜられ、語られたにかかわらず挫折する。すなわち、 歴史が全体知として構想される時はいつでも、個人の の文化に加入させ、彼らを自己の秩序ある世界につれきた
結果可能となった交通に関する事実上の統一体となった。し 狭義の歴史は、大略次ぎのような図式で描き出される。 数十万年の永い先史時代と、われわれと同様な人間が生活かもこういった統一性は、強制による独裁的世界帝国の形で した数万年にわたる暗い世界から、紀元前数千年以降、古代あれ、協調による法に基づく世界秩序の形であれ、闘争と緊 高度文化がメソボタミア、 = ジ。フトにおいて、インダス河流張のうちにあってかえって、政治的な統合への要求を高めて いるのである。 域において、黄河のほとりにおいて発生した。 今日まではただ地域史の集積があったにすぎず、またいか 地球全体と比較すると、以上の地域は、その他いっさいの なる世界史も存在しなかった、といわれるのはもっともであ 地域のおびただしい人間、すなわち、現代間近まで依然とし て広大な地域を占めていた自然民族の中に浮かんだ光の島る。 われわれが歴史と呼ぶもの、従来までの意味では今まさに 。こ、ということになる。 古代高度文化から、すなわち古代高度文化自体もしくはそ終わろうとしているものは、数十万年にわたって繰り拡げら の周辺から、紀元前八〇〇年から一一〇〇年に至る枢軸時代にれた人間の地上における棲息と、今日世界史が真に始まるま おいて、人類の精神的基礎づけが発生した。しかも相互に独でとの間のわずか五千年の時の間であった。歴史の以前に は、連繋の意識もなく、孤立化した人間集団をなして、ほと 立した三つの場所、すなわち東西に分極した西洋、インドな んど自然の出来事に近いような、終始ただ同じことが繰り返 らびにシナにおいて発生した。 西洋は中世末期以降ヨー 0 ッパにおいて、近代科学を生みされるだけの生命の継続があ 0 た。しかもそれにつづく、わ ってみれば、世界史とい 出し、この科学をもって十八世紀来技術の時代を生み出しれわれの従来までの短い歴史は、い う舞台に登るための出会い、集合であり、今後の旅行に耐え これは枢軸時代以来初めての、精神的物質的な意味 るための準備たる精神的技術的修行時代なのであった。われ で、真に全く新たな出来事なのである。 ヨーロツ。 ( からアメリカが植民され、精神的に基礎づけらわれは、まさに出発しつつあるのである。 れた。東方キリスト教に根ざすロシアは、合理的なもの、技 われわれが歴史をいくつかの時代に区分する際、いつでも 題術的なものとして決定的に形成され、その傍ら自分の手で、 大雑把な簡略化が行なわれるのであるが、しかしこの簡略化 太平洋岸に至るまでの全北アジアを植民した。 アメリカ、ロシア、ヨ 1 ロッパ、インド、シナ、近東、南は本質的なものの指標であらねばならない。誤った一方的解 アメリカおよびその他の地域に分かれる今日の世界は、十六釈に凝り固まってしまわないように、われわれは今一度世界 世紀以来の遅々たる過程においてではあるが、技術の発展の史の図式を構想してみよう。
もろもろの文化は発展段階をもつ。開花してから末期の終て、他の二つの世界ーーインドとシナーーに並び立ってい る。西洋は、。 : ノヒロンおよびエジ。フトの時代から今日に至る 結に至るまで様式の変遷を示しながら、数世紀にわたって一 つのまとまりをなすもろもろの文化過程が見られるものであまで内的にまとまりをなした世界である。しかしギリシャ人 オリエントオクシデント 以来この西方文化大陸の内部には、東と西との内的区 る。約百年毎を一系列とする典型的な世代の連続がみられる 分がなされてきた。かくして旧約聖書、イランーベルシャ的 のである ( すなわち、興隆、成熟、衰頽 ) 。あるいはまた、 時にはシュペングラーのいうような千年を寿命とする文化過エトス、キリスト教は、インドやシナと区別された意味での オリエント 西洋に属するが、しかしそれらは西洋の中での東に属する 程も見られるかもしれない。 のである。インドとエジプトとの中間地帯には、実際いつで しかしいつの場合でも、衰頽以後の動きが残るのである。 この際それは独 決して永劫の末期状態も、終わりのない「文化の果てた生活もインドの影響がおよんだのであるが、 シナにおいてもイン特な歴史学的興味をそなえた中間地帯なのであり、簡単明瞭 状態」も、決定的硬直状態も存しない。 で適切な普遍史の区分がどうしてもうまく適用されない状態 ドにおいても、いくたびとなく新たな根源的な創造が破開し なのである。 てくる。 第三段階では、全体の統一ということが重大な意味を 歴史の過程を全体として理解しようとの試みは、ことごと もち、空間の決定的な閉鎖性を伴うこの全体を、これ以上越 くむなしいことが立証された。バビロンからギリシャとロ え出ることはできない。統一の前提となるのは、今後達成さ マをへて、ヨーロッパへの文化の中心の推移が着目されて、 歴史の進路は東から西へと進むといわれた。この意味で、道れる普遍的交流の可能性である。この段階はまだ歴史的現実 として成立していないが、来たるべき未来の可能性であり、 は今後アメリカへ向かうとの予想がなされたのはもっともと 従って経験的研究の対象ではなく、現在ならびにわれわれの いえる。しかしインドでは、道はインダス河流域 ( 古ヴェー 状況をはっきりと自覚することにより、構想を試みる対象な ダの時代 ) から中央地域をへて ( ゥパニシャットの時代 ) 、 標 ガンジス河流域 ( 仏陀とその時代 ) へと、要するに西から東のである。 原へと進んだのである。それだけでなく西洋でも、先のと反対 現代の状況はヨーロッパによって作り出されたのである。 のの動きが認められるのであり、このような図式はいつでもた いかにしてこのような状況に立ち至ったのか ? 歴だある観点のもとで限られた世界に対して、しかもいろいろ 西洋史が含む大きな切れ目や断層は、分裂の様相、徹底的 の制限づきで当てはまるにすぎない。 な変貌をとげて新たに自己を生み出すという様相を、この歴 近東ーヨ 1 ロッパ的世界は、比較的まとまった全体をなし
るほど、世界はいっそう深く引き裂かれる。 学はやがてそれをなしとげることができるだろう、そう人々 は信じている。 しかし、古い世界像からの解放は、身のほど知らずの科学 を、またしても、科学的と思いあがった新たな世界像へみち ここでおこっているのは、どういうことか ? 科学的思考 びくことになる。しかもこの世界像の方が、さきの古い世界方法が自分のものになっていないところでは、思慮のないい 像よりも、自由なはずのわれわれをいっそうつよく圧しつぶわば逆に魔術的な思考が、古い魔術のかわりにあらわれてき す。 たのである。異論の余地ない科学と技術的能力の領域におい 魔術から解放第二に、世界はすでに魔術から解放されてい て、魔術から全面的に解放されたのは結構であるが、そのた された世界る。科学と技術は、われわれを魔術から解放めにかえ「て、存在するすべてのものを絶対化することによ してくれた。科学と技術は、われわれが自然のなかで物質的って、日常の充実した現実を破壊することになる。かっては な生存を主張するのをきわめて容易ならしめた。魔術的操作われわれの運命は、風土や郷土に結びつけられていた。この・ は、今日では、実際に不法であるばかりでなく、自己の悟性風土や郷土の気分のなかで、広大無辺な天地自然の意識にい を裏切る人間の不誠実な行為である。 たるまでの無限に豊かな現象のなかで、われわれは何ごとか 世界が魔術から解放されたとはいうものの、技術上の実際を体験するのであるが、これは、決して現実ばなれしたもの 面から生じた心がまえにおいては、事情はまったくあべこべ でも、たんなる主観的感情でもない。 である。こんなことがおこっている。電灯のスイッチをいれ われわれは、暗号の世界としての、また暗号相互の戦いと たり、ラジオをつけたり、自動車を走らせたりするとき、わしての、現実のなかに生きている。われわれの科学的認識 れわれはそこに何が生じているのかを知っていない。われわは、現象を魔術から解放することによって、それと対照的 に、これらの暗号を、いっそう明らかにし、いっそう豊かに . れは技術的操作を学ぶ。別に何の不思議もない、科学的認識 にもとづいてできるようになっているのだということを、わし、いっそう根原的に働くようにさせる。これらの暗号は、 れわれは知っているにすぎない。けれどもそこで、われわれ科学によって生み出されるべきでもないし、科学によって抹〕 は世界中のいかなるものについても同様だと期待する。そし殺されるべきでもない。 てこう考える。すべてではないまでも、多くのものが理解さ〈神》という暗号の世界における戦いについて、一つの例 れている。それにしても原則としては、すべてのものがあま暗号 を挙げよう。《神》という暗号でもって、わ すところなく理解されるはずだ、と。たとえば、科学は、なれわれは言う、「神は世界を創造した」と。或る暗号はいう、 るほどまだ生物や人間をつくることはできない、けれども科「神は数学者である」と。神は尺度と数にしたがって、世界
あらゆる民族は、破開を経験した 後来の諸民族。 、という古くからの考え方がある。その根拠となっている のは、歴史とは運動、本質的変化、新しい開始を含むものとの世界に基づく民族と、破開に触れずじまいの民族とに分けら 観念である。西洋では全く異質的な文化、すなわちまず古代れる。前者が歴史的民族、後者が未開民族である。 破開をへた世界そのものの内部にあって、新たな大帝国を 近東およびエジプト文化、次ぎにギリシャーローマ文化、更 政治的に組織した分子は、マケドニア人とローマ人であっ にゲルマンーローマ文化が相次いで起こる。地理的な中心、 活動の舞台、諸民族の変遷交替がある。これに反しアジアでた。彼らの精神的貧困の理由は、彼らが心底からは破開の経 は、形こそ変われ、つねに同じものが存続しており、破局に験に襲われなかった、という点にある。たしかに彼らは、歴 瀕して姿を消しても、恒久不変なものである、同一の根底か史的世界の中にあって、征服し、支配し、秩序を立て、教養 ら再建される。こうした観察をすると、東ではインダスやヒを同化保存し、文化的遺産の伝承を救うことはできたが、し ンドウクッシュの非歴史的な安定性、西では歴史的変動が基かし経験を進めたり深めることができなかったのは、上述の 調であるという観念が起こる。この際大文化圏の最も深い分理由によるのである。 北欧諸民族はこれと異なる。いかにも大きな精神的革命 離面は、ベルシャとインドとの間にある。エルフィンストン / ヒロニアやエジ。フト同様ほと は、北欧諸民族にあっては、。 : の言葉をかりれば、ヨーロツ。 ( 人はインダス河に達するま んど起こらなかった。これら北方諸民族は原始的世界にまど では、まだヨーロッパにいると信しうるのである ( ヘーゲル ( 5 ) ろんでいたが、しかし枢軸時代の精神的世界が彼らにおよん が引用している ) 。 このような解釈は、私の見るところでは、十八世紀におけだ時、彼らは、われわれ自身としては客観的に把握しがたい るシナおよびインドの歴史的情勢に起因している。エルフィ本質たる、北欧人特有の魂の態度をもって ( ヘーゲルはそれ ンストン卿は当時の状態を見たにすぎず、決してシナおよびを北方の魂と呼んた ) 、一つの独立した実体にまで生長し たのである。 インドを全体的内容において見たのではない。当時両者は、 沈滞の極に達していたのである。 破開以後の世界史 十七世紀以降のインドとシナにおける後退は、全人類にも 枢軸時代以降二千年の歳月が流れた。世界帝国での統合状 起こりかねないことを、大々的に象徴してはいないであろう しすれも最後的なものとならなかった。大帝国が崩壊 か ? シナとインドもかってはそれから身を起こしたところ態は、、・ した後、三つの地域のどこでも、諸国家の相剋の時代、動乱 の、アジア的基盤へ再び没入するのを回避すること、これが の時代、民族の移動、一時的にすぎない征服の時代が相次 やはりわれわれの運命にかかわる問題でもなかろうか ?