かれの認識、かれの強さにも及ぶ。「キリスト者」、自由な まれ」という命令が生ずる。そしてもう一度、ほんとうにし ・一 ) も、それ自身・ 町ばしばよくそのことがわれわれに生じたのに、われわれは警者、。ハウロ主義者、捧げられた者 ( 一二 としては義とされない ( われわれはそれについては第一章か 告を受ける。もう一度われわれはプレ 1 キをかけられ、もう らなんの疑いも残さなかったのだ ) 。確かにローマ書はまっ 一度疑わしく、不確実にされ、砕かれた状態すらもう一度明 たく特定の生の試みへの要求である。そしてローマ書をたん ウロが「パウロ主義」に らかに砕かれなければならない。パ 反対するのだ。ロ 1 マ書自身がどのローマ書の立場にも反対に神学的・哲学的論難の書 ( ローマ書は疑いもなくそれなの するのだ。神の自由が、その自由を認識することから不可避だ ) として理解し、その召集とそのファンファ 1 レ、その 「あなたのことが考えられているのだ」また「あなたがすべ 的に生ずる自由な生の試みに反対するのだ。これが、いかな きなのだ」という言葉を聞きのがすような者はローマ書を完 る洞察力ある者にとってももともとおもいもかけないことで 全に誤解したといえよう。そしてたしかに自由はここで要求 はありえないローマ書一四章の驚くべき転回点である。 反対するのか。そうだ、それは支持するからである。かれされている生の試みの意味である。すなわちキリストによっ てもたらされそして「大審問官」によっていつの時代にも当 らが文字どおり自由な者で強い者であるのは、かれらの自由 と強さに対しても付せられるべき大きな疑問符のためだけにを得ない危険なものとして否認され棄却された神に捕えられ た状態の中にある自由である。しかしこの自由の中の自由が すぎない。信仰に対してではなくてわれわれの信仰に対して 警告を受けるのである。あの見えるようになったわれわれの神の自由であり、そしてこの生の試みの生き生きとした真 が、人間が生と呼ぶものの一切は義とされていないというこ 立っ点、それによってわれわれが生きうる点に対してではな く、そこの、またそこを手がかりとするわれわれの立場と生とである。ローマ書の認識で武装して攻撃に移ろうとおもう・ とに対して警告がなされる。自由な生の試みに対してではな瞬間に、ローマ書がかれに加える攻撃からまぬかれる者は、 く、その試みのあらわれのあいまいさに対して、すなわちわまたしてもローマ書を完全に誤解したといえよう。なぜなら ロ 1 マ書がよりにもよってその読者のあいだの理解力のある・ れわれがなんらかのある歩み、なんらかのある態度、なんら かのある見地、つまりあの試みにおいて近づきうるもの、要者たち、感じやすい者たち、素質をもったパウロ主義者たち に対してきわめてはっきりした「とまれーという命令を与え 求されたもの、義とされたものとしてあらわれるなんらかの ることによって、ローマ書が自分自身を結局は廃棄すると ある道を確かに神の批判にかけないでいることができるとい き、ローマ書はまさにそれによって、ただそれによってのみ うその確かさに対して警告がなされる。この批判を認識する 真であることが明らかとなるからである。読者がこの警告に と、強い者は強くなるが、その批判はこの強い者にも及び、
495 第 15 章ーー第 16 章使徒と教会 ( 15 ・ 7 ー 14 ) 神のあわれみは、強い者がほんとうにまだ弱い者であったと き、この強い者を見いだした ( 五・六 ) 。真理とあわれみ、 これがユダヤ人と異邦人、教会とこの世を結びつける。この 場合だれが強いのか。この場合だれが弱いのか。ここにあら ゆる生の試みの前に、後に、またそれを越えたところに「希 望の神ーが存在する。神の真理とそのあわれみによって見い だされた者のすべての声はこの神に対して歓声をあげる。こ の神は弱さを強い者の中に、強さを弱い者の中に認め、そし てこの神は自分の目で、かれらがみな最高の段階においても 最低の段階においても、神の自由、神の国の祝福された奥義 にあずかるのを見る。 ニ四 ) 一四節さて、私の兄弟たちょ、私はいずれにせよ、あなたが た自身が善意にあふれ、認識を完全に所有していて、たがいに正 しいことを勧め合うことがきるということを、完全に確信してい る。 ロ 1 マ書は決して新しい真理を提示するのではなくて、古 い真理を、決して異質の真理ではなくて、既知の真理を、決 して個人的な真理ではなくて、普遍的な真理を提示する。ロ ーマ書は独創的に、深く、あるいは才気を豊かにもつよう要 求しない。しかしローマ書はそのほんとうの要求をもったま ローマ書は決し ま、これにかこつけてひきさがりはしない。 て教義学ではない。しかしまさにそれゆえに反教義学的な長 談義でローマ書に答えたりしてはならないし、ローマ書に近 ローマ書は。ハウロの権威を宣言しない。 づいてもならない。 しかし、これらすべてはまさにせいぜいのところーーー・パウロ にすぎないということを発見することによってローマ書は片 づけられない。なぜならパウロはキリストではないというこ とは、まったく月並みな感銘を失った真理である。キリスト 第一五章ーー第一六章使徒と教会
503 第 15 章ー第 16 章使徒と教会 ( 15 ・ 30 ー 16 ・ 16 ) ( 3 ) よろしく。われわれのために非常につくしてくれたミリャムによわれの前にひらける。おそらくここでローマ書の「言葉」に ろしく。使徒たちの間て評判がよく、かっ、私より先にキリスト 対応する「行為と事実」とが究明さるべきであろう。ここに 者となった私の同郷人・て、囚人仲間てあるアンデロニコとユニア ローマ書中に非常にしばしば見失われていた単純な「生」が スとによろしく。主にあって私の愛するアム。フリアトによろし ある。読者自身が、それそれの仕方で今日にいたるまでこの く。キリストにあって、われわれの同労者・てあるウル・ハノと私の 問いに対する答えである。この挨拶の名簿の考古学的に興味 愛するスタキスによろしく。キリストにあって信頼すべきアベレ ある点と問題点とについてはとりわけツア 1 ンとリーツマン によろしく。アリストプロ家の召使の人たちによろしく。私の同 があらゆる望ましい情報をあげている。この名簿はエベソの 郷人へロデオンによろしく。ナルキソ家の召使のキリスト者たち によろしく。主にあ。て労苦しているツルバナとツルポサとによ教会にあてたが、間違ってローマ書にまぎれこんだ手紙の主 要部分であるという推測は、ローマ書がまったく地上的顏と ろしく。主にあって非常に労苦した愛するべルシスによろしく。 主にあってすぐれたルポスとかれの ( また私の ! ) 母によろし名前をもった特定の人たちにあてられたものであることをは ヘルマスお く。アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロヾ つきりと確認することが望ましいことであるがゆえにすでに よびかれらといっしょにいる兄弟たちによろしく。ビロロゴとユ 共鳴できない。まさしくそうであるにちがいない。教会の一 リヤとに、ネレオとその姉妹とに、オルンパとかれといっしょに 姉妹が一世紀の五十年代の中頃にこの手紙をコリントからロ いるすべての聖徒たちによろしく。聖なる接吻をもってたがいに ーマへ持ってきた。男と女、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ あいさつをかわしなさい。キリストのすべての教会があなたがた 人、主人と奴隷がこの手紙の受取人である。たとえばツルバ にあいさっする。 ( 1 ) 〔原注〕 0 、〔関係代名詞〕のあとの「実際に」〔者ミ〕は削除さる ナやツルポサやそれ以外の「平信徒たち」 ( この長い一連の 、ー / ウロのミにおいてしばしば次につづく べきではない。リーツマノよ、・、 名前の中にいるかも知れない「神学者たち」について語らな 言葉を強調するために用いられるし、八・二四においても校正削除されてい くても ) が、このことを理解するはずがないという可能性 るということを気づかせている。 は、ここでは問題にならないように見える。かって口 1 マ書 ( 2 ) 〔原注〕「われわれのために」〔ミミ凸と読め。「あなたがたのために」 〔き〕と読むな。この婦人が手紙受取人のためにつくしてくれた努力のたを要求しうるような一般読者が存在していたように、ローマ めにかの女をたたえるということはここではまったく見当はずれとなるし、 書がかれら自身の間いに対する答えとなったような一般読者 それ自体奇妙な例外となるだろう。 が存在していたように、なんらかのかたちでロ 1 マ書を理解 ( 3 ) 〔原注〕ま。 0 ミ桑〔ミリャム〕からまミに〔マリヤ〕が生じえた。 その逆ではない。 し認めていたにちがいない一般読者が存在していたように見 苦難、勇気、信頼 ( 主にあるそれ ! ) からなる、相互援助 える ( このことはあの推測が正しいときでもまたあてはま と尊敬 ( 主にあるそれ ! ) からなる小さな世界がここでわれる ) 。この一般読者にとっては神学は ( この神学だ ) ただち
ってである。使徒とは、。フラスの人間ではなく、マイナスの ローマに旅したいとのパウロの願いは、あきらかにローマ 人間であり、このような空洞があらわれるところの人間であのキリスト者の願いを入れたものではあるが、すでにしばし る。そのことによってかれは他の人たちにとって、なにものばかれの計画にまで具体化された。しかし、ローマにおいて かである。そのことによってかれらに恵みをわかち与える。 起こったことは、多くの場所ではまだはじめられていない。 そのことによってかれらをカづけ、緊張と待望と祈りをつづ だから、処女地における種まきの仕事、このかれの生涯の仕 けさせる。かれは自己を積極的に主張することに少しも重き事は ( 一五・二〇ーー一一一 I) 、かれをいつも他の道に導いた をおかないからこそ、霊はかれを通じて恵みを与える。そししかし、かれが種をまかなかったところでもとり入れをし、・ てそのとき、わかち与える者は、与えれば与えるほど、おの他の人がすでに働いたところでも働こうとの熱望と意図もも ずから受ける者となる。受ける者は、受ければ受けるほど、 ちつづけていた。神の意志によって ( 一・一〇 ) 、いままで わかち与える者となる。当然キリスト者のあいだでは、それ実現できなかっただけである。 は君からか、それとも私からかと問うことはしない。なぜな 一四ー・ - ー一五節私には、まさに私自身にとって、・ キリシア人に ら、それは君からでも私からでもなく、われわれはどちらも も未開の人にも、教養ある者にも無知な者にも、果たすべき責任 無であり、なにももたないからである。われわれを越え、わ がある。そこ・て私の願いは、ローマにいるあなたがたにも、救い の音ずれを宣べ伝えることてある。 れわれの背後に、われわれの彼岸に、それが現にあるという しもべ ことで十分である。優越者と初心者をともに、その人間的な パウロは僕としての誓いを立てさせられている ( 一 外面と内面の破れと試煉の中でなぐさめるもの、信仰が、すそれは、かれの個人的な願いの限界を意味するとともに、そ のなわち信仰の音ずれ、信仰の内容、神の真実があるというこ の達成の可能性をも意味する。国境も文化の相違も、かれを 一とだけで。このようにともに天国の戸をたたきたい、 このよけっしてひるませないであろう。そして、もし必要とあれ うにともに霊によって動きたいとの願いがわれわれの内に起ば、ローマの思想と宗教の大市においても、イコ = ウムやル こってもよいであろう。もっとも、このともにということ自 ステラの愚かな人たちの間でと同様、大胆にかれの務めを果 序体は、たしかに空虚な、つまらないことなのであるが。 たすであろう〔→斬←三、〕。最後に、救いの音ずれがまだ聞 章 かれていないところでのみ語るとの原則も、けっしてメジャ 一三節兄弟たちょ。あなたがたに知ってもらいたい。私は、ほ 第 人やベルシア人の法律のようなものではありえない。なぜな かの異邦人の間て得たように、あなたがたの間ても実を得るため ら、救いの音ずれをすでに聞いてしまったとだれがいい切れ いままてそれが妨げられてきたのだが・ーー・あなたがたのと ころに行こうとしばしは企てた。 るだろうか !
ローマ書講解 岩小 波川 哲圭 男治 訳
さげる責任を負ったその神の真実を証言することが問題なの 個人的なこと ( 一・ である。このような人間の応答真実、すなわち恵みをうけと める信仰は、当然従順への要求でもあり、その要求はまた他 八節ます第一に、私は、あなたがたの信仰が全世界にいい伝え られていることを、イエス・キリストによって、私の神に感謝す の人間にも向けられるものである。この要求は、呼びかけ、 る。 照明をあたえ、ゆり起こす。このような要求こそが宣教であ 復活はその力を実証した。ローマにもキリスト者がいる。 って、それ以外に別な宣教が存在するわけではない。その者 ノウロと個人的な関係なしにキリスト者となっ において、二つの世界が出会い、分離するのだが、その者のかれらは、。、 た。しかしたれがかれらにキリストの呼びかけをもたらした 名は、栄光をうけるべきである。恵みが、権能をあたえて、 としても ( 一・六 ) 、かれらは現に召されている。それだけ それを可能にする。な・せなら恵みそのものが、破砕なのだか で十分感謝する理由がある。墓の戸から石はとりのけられ ら ( 五・一 I)O た。言葉は流れ出る。イエスは生きている。かれは世界の首 パウロを異邦人たちの使徒たらしめたその同じ神は ( 一・ 一 ) 、ローマのキリスト者をも、近づいたかれの国のために都にもいます。いたるところでキリスト者は、この報知に耳 確保する。聖さへと召された者たちとして、かれらはもはやをそばだてた ( 一六・一九 ) 。たといそれが一つのたとえに すぎないとしても、なお一つのたとえではある。パウロは、 かれら自身のものでも、古い過ぎ行く世界のものでもなく、 かれらを召した方のものである。かれらのためにもまた、人口ーマのキリスト者の、敬虔さや、その他の人間の目にも見 の子は復活の力により神の子と定められたのである。かれらえる美点を神に感謝したのではなく、ただ単純にキリスト者 もまた今ここにおいて偉大な危急と希望の認識の中にとらえとしてのかれらの存在を感謝したのである。特別な性質や特 一られている。かれらもまたかれらの仕方で、神のために選び別な行為よりもはるかに重要なのは、旗が立てられ、主の名 がよばれ、告白され、神の国が待ち望まれ、宣べ伝えられる わかたれ単独者となったのである。かれらの新しい前提もま 言た、「われわれの父なる神および主イ = ス・キリストからのという事実である。そこに、まさに信仰が、すなわち神の真 序恵みと平安」である。この前提がいつも新しい出来事として実に出会う人間の応答真実が成立する。この事実が存在する ところには、イエスの復活によって導入される危機が進行 章生起するように ! かれらの平安がかれらの不安となり、か 第れらの不安がかれらの平安となるように ! それがローマ書し、かれが神の子として定められたことが啓示され ( 一 しもペ 四 ) 、主の僕が感謝する理由をもつ。そしてローマにおいて のはじめであり、おわりであり、内容である。 しもべ は、主に対して戸が開きはなたれているのだから、僕である
496 ーいかなる書物の中にもいない。またローマ書を書いた人を身で語ることのできることを語る。それはいつでもどこにお 「信ずる」とか、かれが書いたことを「信ずる」とかいうこ いても真であることを明らかにする。それは教えられた人た とは一瞬たりといえども問題とならない。われわれは神を信ちを教える。それは知っている人たちに対する伝達である。 ずることができるだけだ。まさにそのことがロ 1 マ書のテー それは善意の人たちに勧める。ただ比喩的な仕方でのみそれ ゼであり、「パウロ主義ーのテーゼである。このテーゼの不は舞台にあらわれ、旗を拡げ、行進をなし、敵を除き、勝利 安な警告に反対するパウロの敵がただ息づくのを見いだすよをおさめる。それはそうしたことをなしおえると、まるでな りずっとまえにこのテーゼによってかれは、自分自身を廃棄にごとも生じなかったかのようにその占領地を棄てる。ロ 1 する。「体系」としてのパウロ主義に反対して怒ることがで マ書に反対して正しい者であろうとする者、その者に対して よ きる人は、水車に反対して戦うのであって、ただかれがなに かれ自身の責任においてーーー・そのことはまったく阻止 も学ばず、なにも忘れなかったということを論証するにすぎ されていない。「私は、あなたがた自身が善意にあふれ、認 ローマ書は権威信仰に訴えもしなければ、構成的思考識を完全に所有していると、完全に確信している」。したが の能力にも訴えなければ、より高次の世界に対する意識に って、敬虔な人よ、このことを受け入れないがよい。できる も、特殊な体験能力にも、啓発された良心にも、宗教的感情 なら、あなたの立場を喜びなさい。あなたがそれをなすかぎ センスス・コム - 一ス にも訴えないで、なしろ常識に、「一般の真理感情」 ( 工 り、提出された問いに耳をふさぐな。われわれはもちろん ティンガー ) に、 この世代が誇るいわゆる「単純さ」の錯乱 本気でいわれているのだがーーーあなたが信じようとする を見ぬき、これにあきあきする者たちの子どもらしい無邪よりはるかに同意的である。しかし反正統的な恨みの爆発に 気さ ( 確かにそうだ ) に、すなわち異邦人の誠実に、つまり 対しては、ユーモアのある意味以外の意味は実際にはもはや 人間生活の状態の事態的考察から、ただちに、まったく遠ざ これ以上認められえないのである。 かろうとしない熱心な態度に訴える。ローマ書は受信人の中 一五ーーー一六節私は、あなたがたにふたたびおもい出しても の「兄弟たち」に、すべてのものの中にいる実存的な一人の らうために、ところどころ、いくらか大胆にあなたがたに書し 者に語りかける。ローマ書は、あらゆるイデオロギ 1 を嫌 た。それは神から私に与えられた恵みによって、異邦人に対する って、あるがままのものを「単純に」とり上げようとする者 キリスト・イエスの祭司、すなわち神の救いの音ずれに対する聖 はだれも真剣には否定することのできない関与そのもの、理 なる奉仕のっとめをなす者として書いたの・てあり、こうして異邦 解そのもの、共同作用そのものを期待する。それはだれも 人が聖霊によって聖められ、喜んて受け入れられるささげ物とな がすでに聞いたことをいいあらわす。それはだれもが自分自 るため・てある。
ノヾノレト ローマ書講角牟 月、川圭治・岩波哲男訳 一世界の大思想 可出書房新社
51S くルト年表 圭治 一八八六年五月一〇日スイス・ ーゼルに生まる。 父はのちにベルン大学の教会史と新約学の 教授となった神学者フリツツ・ 一九〇四年ベルン大学神学部に入学。ひきつづいてド ィッのベルリン、テュービンゲン、マール ブルクの大学で神学を学ぶ。 一九〇八年ハイデルベルクの教会史家・ラーデの助 九年手として神学雑誌『キリスト教世界』の編 集を助ける。 一九〇光年ジ = ネーヴのドイツ語教会の牧師となる。 一九一一年スイス・アールガウ州の町ザーフェンヴィ 二一年ルの牧師として説教に集中する。またその 町の三つの工場の労働争議にも関与し、ス イス宗教社会主義運動と関係する。 一九一五年社会民主党に入党。 一九一七年説教集「神を求めよ、さらば生くべし」 (ß・トウルナイゼンと共著 ) を出版。 一九一九年『ローマ書講解』第一版をベルンの出版社 ・・ペシュリンより出版。ドイツの神 学者・メルツがそれをドイツの神学界に 紹介、その推薦で同年秋、タン・ハッハでの ドイツ宗教社会主義運動の協議会にて「社 会の中にあるキリスト者」を講演。・ゴ ーガルテン、・ブルトマンらと知り合う。 一九二〇年一〇月、・ゴーガルテンとの「日夜をわ かたぬ」話合いの結果、『ローマ書講解』 の改訂を決意する。 一九一一一年九月、改訂稿ほぼ完成。同年クリスマス に、ミュンヘンの出版社 o ・カイザーから 『ローマ書講解』第ニ版を出版。ただし出 版年は一九一一一一年としてある。 一九二二年ドイツ・ゲッティンゲン大学神学部に、ア ーー・一一五年メリカの長老派教会の寄付講座として新設 された改革派教義学教授に就任し、神学者 として活躍をはじめる。また二一一年には、 神学雑誌『時の間に』をゴーガルテンらと ともに刊行、弁証法神学の運動はじまる。 一九一一三年「キリスト教世界』誌上で、 < ・・ ナック、・ティリッヒらと論戦を交わす。 一九一一四年第一論文集『神の言葉と神学』、「死人の復 活』を刊行。 一九二五年ドイツ・ヴェストファーレン州ミュンスタ ーー・三〇年ー大学に転任。 一九二七年『ピリ。ヒ書講解』、『キリスト教教義学試論』
的な、ある程度のたしかさをもった確証しか問題となりえ 語らせるとき、まさにこれこそがパウロをゆがめることた す、当然私の前提もこのような原則に従うものである。いま と。私がすべてを満足行くように説明したとはまったく考え 私があらかじめ、パウロはローマ書において、ほんとうにイ ないとしても、私の仮定を撤回しようとは思わない。たしか エス・キリストについて語っており、なにか別のことについ にパウロは神について、われわれが普通は知りえないが、あ て語っているのではないと前提しても、それもさしあたり一 くまでも知りえたであろうことを知っている。これをパウロ つの仮定であって、よくても悪くても歴史家の予備的仮定のが知っているとの事実を私が知っていることが、私の「体系」 一つとかわらないのである。私の仮定をつらぬきとおすことであり、私の「教義学的前提」であり、私の「アレクサンド ( 1 ) ができるかどうか、またどこまでそれが成功するかを決定し リア主義ーであり、その他いろいろと いいたいとおもわれて うるのは、講解のみである。もしその仮定が間違っているな いるところのものなのである。私は、歴史批評的に考察した ら、つまりパウロが時と永遠の永続する危機以外のなにごと としても、それがある程度、最良といえるほどうまく行って かについて、ほんとうに語ったのならば、かれの本文そのも いると考える。というのは、近代のパウロ像は、私にとって アド・アプスルドウム のを追って行くうちに私は矛盾におちいるであろう。もちも、また他の二、三の人たちにとっても、歴史的にもはやま ろん、どのような根拠にもとづいて私がこのような仮定を立ったく信頼しえないものだからである。ーーー現代の現象や問 ててローマ書ととり組んだのかとさらにたずねられるなら、 題をいくつも引用したが、それはただ解説の意味をもつにす 私は次のように反問することによって答えるであろう。それぎない。私の意図は、状況についてあれこれいうことではな では一人の真面目な人間が、もともとどのような真剣さにも く、ローマ書を理解し、解明することである。他の注解書の 価しないといったものでは決してないある本文ととり組む際ほとんどすべてをしめている時代史的平行事象が、われわれ にーー神は神であるとの仮定以外の仮定を立てることがで自身が証人となりうる出来事よりもこの目的そのもののため きるだろうかと。また、私がこの仮定によってパウロを非常 に意味が深いというのはどうしてであるかを、私が理解に苦 にゆがめてしまっていると頑固に非難しつづけるとすれば、 しむのは、私の講解の原則とかかわることなのである。 私は次のように非難しかえさなくてはならないだろう。見か ・ハルトは第一版において、人間の堕罪と救済をプラトンのイデア説の けの上ではパウロにイエス・キリストについて語らせておき 論理によって解明しようとしている。それはいわばキリスト教化されたプラ トン主義であるから、オリゲネスらのアレクサンドリアの教父神学に通ずる 序ながら、実際には絶対的相対性と相対的絶対性の、人知学的 ものであり、また歴史的背景の解明よりも、思想的内容を重んずる・ハルトの 混沌について、つまりまさにかれがその全ての手紙におい 「神学的釈義」が、フイロン以来アレクサンドリアにうけつがれていた聖書 て、もっとも烈しい嫌悪の言葉をあびせたあの混沌について の比喩的解釈法に似ているところから、アレクサンドリア主義であるとの批