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検索対象: 世界の大思想35 毛沢東
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1. 世界の大思想35 毛沢東

は無原則的でさえある間題についてのものであった。ところわれわれのところでは、事情がまったくちがう。われわれは が、この原則問題については、論争している双方にいかなる革命的な文学者・芸術家が積極的に労働者、農民、兵士にち 意見の相違もなく、ほとんど一致しており、ともに、労働かづくことを奨励し、かれらに大衆のなかへはいる完全な自 者、農民、兵士の軽視、大衆からの遊離の傾向をある程度も由をあたえ、かれらに真の革命的な文学・芸術を創造する完 全な自由をあたえている。だからこの問題は、われわれのと っていた。わたしがある程度というのは、一般的にいって、 これらの同志の労働者、農民、兵士の軽視、大衆からの遊離ころでは、解決にちかづいている。解決にちかづいていると いうことは、完全に徹底的に解決したということとはちが は、国民党の労働者、農民、 . 兵士の軽視、大衆遊離とはちが 。われわれがマルクス主義を学習し、社会を学習する必要 っているからである。しかし、いずれにしてもこの傾向はあ る。この根本問題が解決されなければ、その他の多くの問題があるというのは、この問題を完全に徹底的に解決するため である。われわれのいうマルクス主義とは、口さきのマルク もたやすくは解決されない。たとえば文学・芸術界のセクト 主義についていうと、これも原則問題であるが、セクト主義ス主義ではなく、大衆の生活、大衆の闘争のなかで実際に役 をとりのそくには、やはり、労働者、農民のために、八路立つ、生きたマルクス主義のことである。口さきのマルクス 主義を実際生活におけるマルクス主義に変えれば、セクト主 軍・新四軍のために、大衆のなかへ、というスロ 1 ガンをか かげ、これを着実に実行して、はじめて、その目的を達成で義はうまれるはずがない。たんにセクト主義の問題が解決さ きるのであり、さもなければ、セクト主義の問題は断じて解れるばかりでなく、その他の多くの問題も解決することがで け決することはできない。魯迅は、かって、「連合戦線は、共きる。 お ・ : われわれの戦線 通の目的をもっことが必要条件である。 談が統一できないのは、われわれの目的が、ただ小グルー。フの だれのために奉仕するかという問題が解決されると、それ 術ためのものか、実際には個人のためのものか、それが一致し ていないことを証明している。目的がすべて労働者、農民大につづく問題は、いかに奉仕するかということである。同志 学 ナこのたちの言葉をかりていえば、向上につとめるか、それとも普 衆にあるなら、当然、戦線も統一される」といっこ。 安問題は、当時の上海にもあったし、いまの重慶にもある。そ及につとめるかということである。 これまで一部の同志は、普及をかなり、もしくはひどく軽 れらの地方では、支配者が革命的な文学者・芸術家を圧迫し て、労働者、農民、兵士大衆のなかにはいってゆく自由をあ視あるいは無視し、向上を不当に強調しすぎた。向上は強調 すべきであるが、一面的、孤立的に向上を強調し、不当な程 たえていないから、この問題の徹底的な解決はむずかしい。 ( 四 )

2. 世界の大思想35 毛沢東

うな革命的な植民地、半植民地は、もはや世界の資本主義反題は、一九二四年から一九二七年の中国の第一次大革命の時 革命戦線の同盟軍とみなすことはできず、世界の社会主義革期にはやくも提起された。これは、中国共産党員が提起し、 命戦線の同盟軍に変わっている。 当時反帝、反封建闘争に参加したすべての人びとから賛同さ このような植民地、半植民地の革命の第一段階、第一歩れた。たた当時この理論の意義がまだ展開されていず、その は、その社会的性質からいうと、基本的には依然としてブル ため、人びとがこの問題をぼんやりとしか認識していなかっ ジョア民主主義的なものであり、その客観的要求は、資本主たのである。 義の発展のための道をはききよめることである。だがこのよ このような「世界革命」は、もはやふるい世界革命ではな うな革命は、もはやふるい、ブルジョア階級に指導された、 く、ふるいプルジョア階級の世界革命はとっくに終わってい 資本主義社会とプルジョア独裁の国家の樹立を目的とした革る。これは新しい世界革命であり、社会主義の世界革命であ る。同様に、その「一部分」は、もはやふるい・フルジョア革 命ではなく、新しい、。フロレタリア階級に指導された、第一 段階では新民主主義社会と革命的諸階級の連合独裁の国家を命の一部分ではなく、新しい社会主義革命の一部分である。 これは絶大な変化であり、世界の歴史および中国の歴史はじ 樹立することを目的とした革命である。したがって、このよ まって以来、くらべようのない大きな変化である。 うな革命はまた、まさしく社会主義の発展のためにいっそう 中国共産党員が提起したこの正しい命題は、スターリンの ひろびろとした道をはききよめるものである。このような革 命は、その進行の過程で、敵の状況と同盟軍の変化によっ理論にもとづくものである。 スターリンははやくも一九一八年、十月革命の一周年記念 て、さらにいくつかの段階にわかれるが、その基本的性質に の論文で、つぎのようにのべている。 は変わりはない。 このような革命は、帝国主義に徹底的な打撃をくわえるも 「十月革命の偉大な世界的意義は、主としてつぎの諸点にある。 すなわち十月革命が、 ( 一 ) 民族問題のわくをひろげ、これを、ヨ のであり、したがって、それは帝国主義からはいれられず、 ーロッパにおける民族的抑圧にたいする闘争という局部的な問題 論帝国主義からは反対される。だが、それは社会主義からはい 義 から、被抑圧民族と植民地、半植民地の帝国主義からの解放とい れられ、社会主義国や社会主義の国際プロレタリア階級から 主 う全般的な問題に転化したこと、 ( 一 l) 西方と東方の被抑圧民族 主は援助される。 を、帝国主義とのかがやかしい闘争という共通の軌道にのせて、 新 したがって、このような革命は。フロレタリア社会主義世界 かれらの解放のための広範な可能性と現実的な道をひらき、それ 革命の一部分に変わらざるをえない。 によってかれらの解放事業をいちじるしく容易にしたこと、 ( 三 ) 「中国革命は世界革命の一部分である」というこの正しい命 まさにこのことによって社会主義的西方と奴隸化された東方との

3. 世界の大思想35 毛沢東

主義を学習すべきである。文学・芸術活動家が文学・芸術創見解や論争を判定するとすれば、そういう方法は正しくな 。われわれはマルクス主義者であって、われわれが問題を 作を学習すべきであるのはそのとおりだが、マルクス・レー みるには、抽象的な定義から出発してはならず、客観的に存 ニン主義はすべての革命家が学習すべき科学であり、文学・ 芸術活動家も例外ではありえない。文学・芸術活動家が社会在する事実から出発し、これらの事実の分析のなかから方 針、政策、方法をさがしださなければならないことを、マル を学習するとは、つまり社会の各階級を研究し、それらの相 互関係およびそれそれの状態を研究し、それらの様相や心理クス主義は教えている。われわれがいま文学・芸術活動につ いて討議するにも、このようにすべきである。 を研究しなければならないということである。われわれの文 学・芸術がゆたかな内容と正しい方向をもつには、これらの 現在の事実とはなにか。その事実とはつぎのとおりであ 点をあきらかにする以外にはない。 る。すでに五年間つづけられた中国の抗日戦争、全世界の反 ファシスト戦争、中国の大地主・大。フルジョア階級の抗日戦 きよう、わたしは話のきっかけとして、これらのいくつか の問題を提起しただけで、みなさんがこれらの問題や他の関争における動揺と人民にたいする高圧政策、「五・四」以来 の革命的文学・芸術運動ーーこの運動が二十三年間にもたら 連ある問題について意見を発表されるよう希望する。 した革命への偉大な貢献とそのいくたの欠陥、八路軍・新四 軍の抗日民主根拠地およびこれらの根拠地における大量の文 結論 ( 一九四一一年五月一一十三日 ) 話 学・芸術活動家と八路軍・新四軍および労働者・農民との結 講 合、根拠地の文学・芸術活動家と国民党支配区の文学・芸術 け同志諸君、われわれの座談会は、ひと月のあいだに三回ひ 活動家との環境および任務のうえでの区別、目下延安や各抗 にらかれた。みんなが真理探求のために熱烈に論争し、党内、 会 日根拠地の文学・芸術活動のなかですでに発生している論争 談党外の同志たちが何十人か発言をして、問題を展開するとと これらが実際に存在する否定できない事実であ 術もに具体化した。これは文学・芸術運動全体に益するところ問題 芸 、われわれは、これらの事実を基礎として、われわれの問 が大きいとおもう。 文われわれが問題を討議するには、定義から出発するのでな題を考える必要がある。 の では、われわれの間題の中心はなにか。われわれの問題 、実際から出発すべきである。もし、われわれが教科書に 安く したがって、文学とはなにか、芸術とはなにか、という定義は、基本的には、大衆のためという問題、および大衆のため にいかにするかという問題だとおもう。この二つの問題を解 をさがしだしてから、それにしたがって、こんにちの文学・ 芸術運動の方針を規定し、こんにち発生しているさまざまな決しなかったり、解決が当を得ていなかったりすれば、わが

4. 世界の大思想35 毛沢東

反動派を制裁せよ」 ( 八月 ) 。新華日報記者 に談話、中央社・掃蕩報・新民報記者に談 話、「ソ連の利益と人類の利益の一致」 ( 九 月 ) 。ス共産党人〉発刊の辞」、「当面の情 勢と党の任務」 ( 一〇月 ) 。「知識人を大量 に吸収せよ」、「中国革命と中国共産党」、 「スターリンは中国人民の友である」、「べ チューンを記念する」 ( 一二月 ) 。この年、 藍蘋 ( 江青 ) と結婚する。 一九四〇年「新民主主義論」、「投降の危険を克服し、 ( 民国一一九年 ) 哭歳時局の好転をかちとれ」 ( 一月 ) 、「あらゆ る抗日勢力を結集し、反共頑固派に反対せ よ」、「国民党にたいする十項目の要求」、 「《中国工人〉発刊の辞」、「団結と進歩を強 調せよ」、「新民主主義の憲政ー ( 二月 ) 。 「抗日根拠地の政権問題」、「当面の抗日統 一戦線における戦術問題ー ( 三月 ) 、「抗日 の勢力を大胆に発展させ、反共頑固派の進 攻に抵抗せよ」 ( 五月 ) 、「あくまでも団結せ よ」 ( 七月 ) 。「政策を論すー ( 一二月 ) 。 表一九四一年安徽省南部事変にさいして、命令、談話を ( 民国三 0 年 ) 四九歳発表 ( 一月 ) 。「《農村調査〉の序と跋」、「第 年 二回反共高潮を退けたのちの時局」 ( 三月 ) 。 「われわれの学習を改造せよ」、「第二回反 共高潮を退けたことに関する総括」、「極東 ミュンヘンの陰謀をあばけ」 ( 五月 ) 。「反フ アシズム国際統一戦線について」 ( 六月 ) 。 「陜甘寧辺区参議会における演説」 ( 一一 月 ) 。この年、太平洋戦争開始。 一九四一一年「党の作風を整頓せよ」、「党八股に反対せ ( 民国三一年 ) よー ( 二月 ) 。「延安の文芸座談会における 五 0 歳 講話」 ( 五月 ) 。「きわめて重要な政策」 ( 九 月 ) 。「第一一次世界大戦の転換点」 ( 一〇月 ) 。 「十月革命二十五周年を祝す」 ( 一一月 ) 。 「抗日戦時期における経済問題と財政間題」 ( 一二月 ) 。 一九四三年「指導方法についての若干の問題」 ( 六月 ) 。 ( 民国三一一年 ) 五一歳「国民党に問うー ( 七月 ) 。「根拠地の減租・ 生産・擁政・愛民運動を展開せよ」、「国民 党の十一中全会と三期二回国民参政会を評 すー ( 一〇月 ) 。「組織せよー ( 一一月 ) 。 一九四四年ス追いつめられて梁山にのぼる》をみての ( 民国三三年 ) 至歳ち、延安京劇院にあてた手紙」 ( 一月 ) 。 「学習と時局」 ( 四月 ) 。「人民に奉仕する」 ( 九月 ) 。「蒋介石の双十節の演説を評す」、 「文化工作における統一戦線」 ( 一〇月 ) 。 一九四五年「経済工作に熟達せよ」、「遊撃区でも生産 ( 民国三四年 ) 五三歳を進行できる」 ( 一月 ) 。「中国の二つの運 命」、中共第七回大会の政治報告「連合政 府論」 ( 四月 ) 。「愚公、山を移す」、「軍隊

5. 世界の大思想35 毛沢東

者は功利主義一般には反対しないが、封建階級、ブルジョア及の統一の問題である。統一がなければ、いかなる専門家の 階級、小ブルジョア階級の功利主義には反対し、口さきだけ最高級の芸術も、もっとも狭隘な功利主義となるほかはな 。これを高潔だといっても、自分で高潔ときめこむだけ で功利主義反対をとなえながら、実際にはもっとも利己的、 近視眼的な功利主義をいだいている偽善者には反対する。世で、大衆はそれを却下してしまうだろう。 の中には超功利主義などというものはなく、階級社会には、 労働者、農民、兵士のためという基本方針と、労働者、農 この階級の功利主義でなければ、あの階級の功利主義がある民、兵士のためにいかにするかという基本方針の問題が解決 だけである。われわれは、。フロレタリア階級の革命的な功利 されれば、その他の問題、たとえば、光明をえがくか暗黒を 主義者であり、全人口の九〇パーセント以上をしめるもっとえがくかという問題や団結の問題などは、すべて一度に解決 される。諸君がこの基本方針に同意されるなら、わが文学・ も広範な大衆の当面の利益と将来の利益との統一を出発点と するものであり、したがって、われわれはもっとも広い、も芸術活動家、わが文学・芸術学校、文学・芸術出版物、文 っとも遠いものを目標とした革命的な功利主義者であって、 学・芸術団体、およびすべての文学・芸術活動は、この方針 にしたがっておこなうべきである。この方針をはなれること 局部や目さきだけしか見えない狭隘な功利主義者ではない。 はあやまりであり、この方針になにか合致しない点があれ たとえばある種の作品が、少数の人から偏愛されるだけで、 多数の人からは必要とされず、また多数の人に有害でさえあば、適切にあらためなければならない。 るのに、個人やせまい集団の功利をはかろうとして、これを 無理に市場にもちこみ、大衆に宣伝し、あまっさえ大衆を功 利主義だと非難しようとするなら、それは、たんに、大衆を われわれの文学・芸術が人民大衆のためのものである以 侮辱するばかりでなく、あまりにも身のほど知らずである。 上、われわれは、さらにすすんで、一つは党内関係の問題、 いかなるものも、それがよいものとなるには、人民大衆に真すなわち党の文学・芸術活動と党の活動全体との関係の門 の利益をもたらさなければならない。かりに諸君が「陽春白題、もう一つは党外関係の問題、すなわち党の文学・芸術活 雪ーをよいといし 、それがしばらくは少数の人から楽しまれ動と党外の文学・芸術活動との関係の問題ーーー文学・芸術界 ーレン ( 八 ) ても、大衆が、あいかわらず「下里巴人」をうたっており、 の統一戦線の問題について討議することができる。 諸君がそれを向上させずに、文句ばかりつけているとした まず、第一の間題についてのべよう。現在の世界では、文 ら、どんなに文句をつけてもそれはむだである。現在は、 化あるいは文学・芸術はすべて、一定の階級、一定の政治路 「陽春白雪」と「下里巴人ーの統一の問題であり、向上と普線にそくしている。芸術のための芸術、超階級的な芸術、政 シアリー

6. 世界の大思想35 毛沢東

420 想は、すでに一九四四年九月だされた「国民政府と統帥部を党のひきいる全国人民とアメリカ帝国主義に支援された国民 改組して、民主的連合政府をつくれ」というよびかけにもは 0 党蒋介石集団との内戦にな「た。しかし、内戦は、一九四七 きりあらわれており、このよびかけに応じて立ちあがった重年七月から九月にかけて、人民解放軍の全面的な攻勢に転 慶各党派各階層の代表の要求や中国民主同盟などの要求にも じ、戦争は、それまで蒋介石軍の解放区内侵入にあったが、 はっきりだされていたものであるが、毛沢東はこの報告のな これからは、解放区内ではなく、国民党支配地区でおこなわ かで、新民主主義の時期における中国共産党の一般的綱領とれるようになり、蒋介石の二十年にわたる反革命支配は、消 当面している時期における具体綱領をくわしくのべ、連合政減〈むかいはじめた。毛沢東はこうした転換を予見して、そ 府の樹立とその政府の性格をあきらかにしているのである。 の歴史的意義と世界革命的意義をあきらかにするとともに、 こうした転換点にたつ中国共産党の政策を明らかにしている 毛沢東当面の情勢とわれわれの任務 のである。すなわち、戦争が進展する時期において党が解決 ( 一九四七年十二月 ) する必要のある軍事問題、土地問題、統一戦線問題について 詳細かっ明確な方針をあたえているのが、この報告であり、 目前形勢和我們的任務 この報告にもとづいて活動したために、二年のちの一九四九 年十月一日には、中華人民共和国の成立をかちとったのであ これは本文の前に付されている中共中央毛沢東選集出版委る。 員会の解題でも明らかにされているように、一九四五年から はじまった第三次国内革命戦争が、一つの転換点にたっした 毛沢東人民民主主義独裁について 一九四七年十二月、陜西省米脂県楊家溝でひらかれた中共中 ( 一九四九年六月三十日 ) 央委員会でおこなわれた報告である。 一九四五年八月、毛沢東は身の危険を冒して重慶にとび四 論人民民主専政 十三日間、国共両党間の交渉をつづけ、ついに「双十節協 定」を結んだが、蒋介石は、この協定のインクもかわかない この論文は中国共産党成立二十八周年を記念して書かれた うちに、内戦を挑発し、毛沢東のせ 0 かくの平和〈の願望も論文であるが、この論文の書かれた一九四九年六月には、す 努力もふみにじ「てしま 0 た。こうして、中国は抗日戦争勝でに北京・天津が解放されたばかりか、南京・上海も解放さ 利後、そのきずもまだ癒えない一九四六年七月から中国共産れ、全国の軍事的勝利は確かなものにな「ていた。中国の情

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い。さらに、そのつぎには、文学・芸術界の特殊問題ーー芸活動ははなはだ不十分であり、同志諸君がこの点を指摘した のは正しい。文芸批評は複雑な問題で、多くの専門的な研究 術の方法と芸術の作風の点で団結すべきである。われわれは 社会主義リアリズムを主張するが、これはまた一部の人びとを必要とする。ここでは、基本的な批評の基準の問題だけに が賛成しないので、この団結の範囲はもっとせまくなるであ重点をおいてのべよう。そのほか、一部の同志が提起したい ろう。ある問題では団結があっても、他の問題では闘争があくつかの個々の問題やいくつかの正しくない観点について ったり批判があったりする。それそれの問題は、たがいに切も、わたしの意見を簡単にのべておく。 りはなされてもいるし、結びついてもいるので、たとえば抗 文芸批評には、政治的基準と芸術的基準の一一つの基準があ 日の問題のように、団結をうむ問題でも、闘争もあれば、同る。政治的基準にしたがえば、抗日と団結に有利なもの、大 時に批判もあるのである。一つの統一戦線のなかで、団結が衆が一心同体になるようはげますもの、後退に反対し、進歩 あるだけで闘争がなかったり、闘争があるだけで団結がなかを促すものは、すべてよいものであるが、抗日と団結に不 ったりすること、たとえば、過去にある一部の同志がとった 利なもの、大衆の不和反目を挑発するもの、進歩に反対し、 ことのある右翼的な投降主義や追随主義、あるいは極左的な 人びとを後退させるものは、すべてわるいものである。ここ 排外主義やセクト主義はいずれもあやまった政策である。政でいうよい、わるいは、いったい動機 ( 主観的願望 ) できめ 治のうえでもそうであるし、芸術のうえでもそうである。 るのか、それとも効果 ( 社会的実践 ) できめるのか。観念論 文学・芸術界の統一戦線における各種の勢力のあいだで者は動機を強調して効果を否定し、機械的唯物論者は効果を は、小ブルジョアの文学者・芸術家が、中国における一つの重強調して動機を否定するが、われわれはこの両者とは逆に、 要な勢力である。かれらの思想や作品には多くの欠点がある弁証法的唯物論の、動機と効果の統一論者である。大衆のた が、かれらは比較的に革命にかたむいており、比較的に勤労めという動機と大衆から歓迎されるという効果とは切りはな 人民にちかづいている。したがって、かれらの欠点克服をたせないものであり、両者を統一しなければならない。個人や せまい集団のための動機はよくないが、大衆のための動機が すけ、かれらを勤労人民に奉仕する戦線にかちとることは、 あっても、大衆から歓迎されず、大衆に有益な効果をもたら とくに重要な任務である。 さないものは、やはりよくない。ある作家の主観的願望、す 四 なわちその動機が正しいかどうか、よいかどうかを点検する には、その宣言をみることではなく、その行動 ( 主として作 文学・芸術界の主要な闘争方法の一つは文芸批評である。 品 ) が社会大衆のあいだでうみだす効果をみることである。 文芸批評は発展させるべきであるが、この面における従来の

8. 世界の大思想35 毛沢東

していそがしいことによる。しかし是非とも、つかまなけれ ばならない。「つかむ」というのは、この問題を議事日程に のぼせ、研究することである。国内革命戦争時期のわれわれ の大規模な、あらしのような、大衆的階級闘争は、すでに基 本的に終わってはいるが、まだ階級闘争は存在し、それは主 として、政治戦線と思想戦線での階級闘争で、しかも、まだ ひじように鋭いものである。思想問題は現在すでに非常に重 要な問題になっている。各地方党委員会の第一書記はみずか ら出馬して思想問題をつかむべきであって、この問題を正し く解決するにはこの問題を重視し、研究する以外にない。各 地方では今回の宣伝会議のような会議を召集し、その地方の 思想活動と、思想活動に関連した各方面の問題を討議された こうした会議には党内の同志が参加するばかりでなく、 党外のものをも参加させ、異なった意見をもったものも、参 話加させなければならない。われわれの今回の会議の経験が証 9 明しているように、 こうしたやり方には悪い点はなく、会議 議の進行にとってはよい点だけである。 会 動 活 伝 国 全 産 一 ( 四 0 一頁 ) ここで抗日戦争時期の整風といっているのは、一九 四九年に延安および各抗日根拠地の党組織において普遍的に展開 された主観主義反対、セクト主義反対、党八肱反対を内容とした 大規模な整風運動のことである。解放戦争時期の整風というの は、一九四八年に各解放区の党組織が土地改革運動と結びつけ て、普遍的におこなった整党運動のことである。中華人民共和国 成立初期の整風とは、全国的に勝利したのち一九五〇年、全党 的にすすめた整風運動で、この運動の目的は、大量に入党した新 党員の教育を強化して、かれらの中にある思想の不純な状態をか えることと、老党員のあいだの勝利によって生まれたごうまんな 気分と発展しはじめた強制命令的作風を克服することにあった。 ( 四 0 六・四 0 七頁 ) 毛沢東選集第三巻「軍隊の生産自給、あわせ て整風生産の二大運動の重要性について」を参照されたい。

9. 世界の大思想35 毛沢東

194 あいだに橋をかけ、世界帝国主義にたいする、西方のプロレタリ ことであろう。すでに一九一六年の十月に、レーニンは論文「自 アからロシア革侖をへて東方の被抑圧民族にいたる新しい革侖戦 決にかんする討論の総括」のなかで、自決権にかんする民族問題 線をうちたてたことである。」 の基本点は、全民主主義的運動の一部分をなすことをやめ、すで に全プロレタリア社会主義革命の構成部分に転化したと述べた。 この論文のあと、スターリンは、植民地、半植民地の革命 レーニンならびにロシア共産主義のその他の代表たちの、民族間 が旧範疇から脱して。フロレタリア社会主義革命の一部分にな こ 題についてのそれ以後の著作については、述べるまでもない。 ったと論述した理論を、何回となく展開している。なかで うみてくると、ロシアのプルジョア民主主義革命の時代に書かれ も、もっとも明快的確に説明しているのは、スタ 1 リンが一 たスターリンの小冊子の一定の簡所を、われわれが新しい歴史的 1 ゴスラビアの民 九二五年六月三十日に発表した、当時のユ 情勢のために新しい時代、すなわちプロレタリア革命の時代には チャンチュンシー 族主義者と論争した論文である。これは張仲実訳の『スタ いった現在、セミッチが引用することは、どんな意味をもちうる だろうか。それはセミッチが、時間と空間をはなれて、生きた歴 ーリンの民族問題論』に収録されており、表題は『ふたたび 史的情勢とは関連なしに引用し、それによって、弁証法の根本的 民族間題によせて』となっている。それにはつぎの一節があ な要求にそむき、ある歴史的情勢のもとでは正しいことも、異な る。 った歴史的情勢のもとでは正しくないものになりうることを考え ( 1 ) 「セミッチは、一九一二年末に書かれたスターリンの小冊子「マ なかった、という意味をもちうるにすぎない。」 ルクス主義と民族間題」の一カ所をひきあいにだしている。そこ これによってわかるように、二とおりの世界革命があり、 には、「勃興しつつある資本主義の諸条件のもとでの民族闘争は、 一つは、・フルジョア階級および資本主義の範疇にそくする世 プルジョア階級同士の闘争である」と述べてある。あきらかに、 かれは、これによ 0 て現在の歴史的条件のもとでの、民族運動の界革命である。このような世界革命の時期は、とっくにすぎ 社会的意義を規定する自分の定式が正しいことをほのめかそうと さって、はやくも一九一四年、第一次帝国主義世界大戦が勃 している。だが、スターリンの小冊子は帝国主義戦争以前に書か発したとき、とりわけ一九一七年のロシア十月革命のときに れたもので、その当時は、民族問題はマルクス主義者の見方から 終わりをつげた。それ以後もう一つの世界革命、すなわち。フ すれば、まだ全世界的意味をもっ間題ではなく、また自決権にか ロレタリア社会主義世界革命がはじまった。このような革命 んするマルクス主義者の基本的要求は、プロレタリア革命の一部 は、資本主義国の。フロレタリア階級を主力軍とし、植民地、 分として評価されすに : フルジョア民主主義革侖の一部分として 半植民地の被抑圧民族を同盟軍としている。被抑圧民族のな 評価されて、 した。そのとき以来、国際情勢は根本的に変化した こと、一方では戦争が、他方ではロシアの十月革侖が、民族問題かでの革命に参加している階級、党派、個人がどんな階級、党 を、プルジ = ア民主主義革命の一部分から、プロレタリア社会主派、個人であろうと、またかれらがその点を意識しているか 義革侖の一部分に転化させたということを見ないのは、笑うべき どうか、主観的にその点を理解しているかどうかにかかわり ( 五 )

10. 世界の大思想35 毛沢東

文学・芸術活動家は、自己の環境、任務と適応できず、外部れわれの文学活動、演劇活動、音楽活動、美術活動の全体は 的にも内部的にも一連の問題にぶちあたるであろう。わたし大きな成果をあげてきた。これらの文学・芸術活動家のう の結論は、この二つの問題を中心とするが、同時にこれと関ち、多くのものは抗戦以後に活動をはじめ、また、多くのも 連するいくつかの他の問題にもふれることにする。 のは抗戦以前から長いあいだ革命活動をおこない、かずかず の苦労をかさね、その活動や作品によって広範な大衆に影響 をあたえてきた。だが、これらの同志のあいだでさえ、文 学・芸術がだれのためのものかという問題が明確には解決さ 第一の問題は、われわれの文学・芸術はだれのものかとい れていないのはなぜだろうか。かれらのなかに、革命的な文 うことである。 学・芸術は人民大衆のためのものではなく、搾取者、抑圧者 この問題は、もともと、マルクス主義者によって、とくに のためのものだなどと主張しているものがまだいるとでもい レーニンによって、はやくから解決されている。レーニン うのであろうか。 は、すでに一九〇五年、われわれの文学・芸術は「幾千万の たしかに、搾取者、抑圧者のための文学・芸術がある。文 勤労者に奉仕」すべきであると強く指摘している。わが各抗 学・芸術が地主階級のためのものであれば、それは封建主義 日根拠地で文学・芸術活動に従事する同志たちのあいだで の文学・芸術である。中国の封建時代の支配階級の文学・芸 は、この間題はすでに解決されていて、これ以上話す必要は ないかのようにみえる。実はそうでない。多くの同志は、こ術はこのようなものであった。こんにちでも、このような文 の問題について明確な解決をえていない。したがって、かれ学・芸術は中国でまだかなり大きな勢力をもっている。文 学・芸術がブルジョア階級のためのものであれば、それは。フ らの気分のなかに、かれらの作品のなかに、かれらの行動の リアンシーチウ ( 二 ) ルジョア階級の文学 , 芸術である。魯迅が批判した梁実秋 なかに、かれらの文学・芸術の方針問題についての意見のな かに、大衆の要求に合致せず、また実際の闘争の必要に合致のような人間は、口さきでは、文学・芸術は超階級的なもの だといっているが、実際には、プロレタリア階級の文学・芸 しない状態が、多かれすくなかれ発生するのはまぬかれな 術に反対して、・フルジョア階級の文学・芸術を主張してい 。現在、共産党、八路軍・新四軍とともに、偉大な解放闘 チョウッ十レン る。文学・芸術が帝国主義者のためのものであれば、周作人、 争に従事している大量の文化人、文学者、芸術家ないしは一 チャソッーピン ( 三 ) 般文学・芸術活動家のなかには、もちろん、一時的な投機分張資平らがそうだが、それは民族裏切りの文学・芸術とよば 子がいくらかいるかもしれないが、圧倒的多数は共同の事業れる。われわれにあっては、文学・芸術は上述のさまざまな のため、活動にはげんでいる。これらの同志に依拠して、わ人びとのためのものではなく、人民のためのものである。わ