孫中山 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想35 毛沢東
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1. 世界の大思想35 毛沢東

ら、二十八カ年をあゆんで、ようやく基本的な勝利をおさめ 「きみたちは一方に片寄っている」。まったくそのとおりで た。一一十八年の経験をつんで、孫中山がその臨終の遣嘱のなある。一方に片寄ること、これは、孫中山の四十年の経験と かで「四十年の経験をつんで : : : 」といっているのとおなじ共産党の一一十八年の経験がわれわれにおしえるところであ り、勝利に到達し、勝利をかためようとすれば、どうしても ように、同じ結論に達した。つまり、勝利に到達しようとす 一方に片寄らなければならないことをふかく知ったのであ るには、「民衆をよびさまし、また、世界でわれを平等に遇 る。四十年と二十八年の経験からしても、中国人は、帝国主 する民族と連合して、ともに奮闘しなければならない」とい うことをふかく知ったのである。孫中山はわれわれと異なっ義の側に片寄るか、社会主義の側に片寄るかのいずれかであ た世界観をもち、異なった階級的立場から間題を観察し処理って、絶対に例外はない。第三の道はなく二股かけてはなら してきたが、一一〇世紀の一一〇年代にあって、どのように帝国ない。われわれは帝国主義の側に片寄っている蒋介石反動派 主義と闘うかの問題では、このように基本的にわれわれと一 に反対し、また第三の道という幻想にも反対する。 致した結論に達したのであった。 「きみたちは刺激しすぎる」。われわれが言っているのは、 孫中山が世を去ってから二十四年になるが、中国革命の理他のいかなる人のことでもなく、国の内外の反動派、すなわ ち帝国主義者とその手先どもを相手にしてのことである。こ 論と実践は、中国共産党の指導のもとで大いに発展をとげ、 中国の姿を根本からかえてしまった。現在までのところ、中うした連中にたいしては、刺激する、しないの問題はおこら ない。彼らは反動派であるから、刺激しても刺激しなくても 国人民がおさめた主要なそして基本的な経験は、つぎの二つ である。、国内では、民衆をよびさますこと。つまり、労おなじである。反動派を孤立させ、これとたたかって勝っ か、あるいはこれにとってかわるには反動派と革命派のけし 働者階級、農民階級、都市小プルジョア階級、民族ブルジョ めをはっきりつけ、反動派の陰謀、詭計をあばき、革命派内 ア階級を団結させ、労働者階級の指導のもとで、国内の統一 戦線を結成するとともに、それを、労働者階級が指導し、労部の警戒心と注意力をよびおこし、味方の士気をたかめ、敵の 農同盟を基礎とする人民民主主義独裁の国家の樹立にまで発威勢をくじかなければならない。野獣のまえでは、ほんのわ ( 五 ) 展させることである。Ü、国外では、世界でわれを平等にあすかなひるみも見せてはならない。われわれは景陽岡の武松 に学ばなければならない。武松からすれば、景陽岡の虎は、 つかってくれる民族および各国人民と連合して、ともに闘う こと。つまりソ連と連合し、人民民主主義諸国と連合し、そ刺激しても刺激しなくてもおなじで、要するに人間をとって の他各国のプロレタリア階級および広範な人民と連合して国食おうとするものである。虎をうち殺すか、虎にくわれる か、二つに一つである。 際的な統一戦線を結成することである。

2. 世界の大思想35 毛沢東

180 わたくし 民大衆の反帝・反封建の革命である。中国の社会が、さらに有するものであって、少数のものが私しうるものではな い」とい 、「すべて中国人および外国人の企業で、独占的 一歩進んで社会主義の社会に発展していくには、この革命を 経なければならず、そうでなければ、それは不可能である。 性質をもっか、もしくは規模が大きすぎて私的な力で経営で このような新民主主義革命は、欧米諸国の歴史における民きないもの、たとえば銀行、鉄道、航空事業などの類は、国 主主義革命とは大いに異なっており、それは、ブルジョア階家がこれを経営管理して、私有資本制度が国民の経済生活を 級の独裁をつくりあげるのではなくて、。フロレタリア階級の左右できないようにする。これが資本節制の要旨である」と もいっている。孫中山はまたその遣言のなかで、「民衆をよ 指導のもとにおける革命的諸階級の統一戦線的な独裁をつく りあげるのである。抗日戦争中、中国共産党の指導する各抗びさまし、そして、世界でわれらを平等に遇する民族と連合 日根拠地でうちたてられた抗日民主政権は、抗日民族統一戦し、ともに奮闘しなければならない」という内政、外交の根 線の政権である。それは、プルジョア階級一階級の独裁でも本原則を指摘している。これらの点はすべて、ふるい国際 なければ、。フロレタリア階級一階級の独裁でもなくて、。フロ的、国内的環境に照応した旧民主主義的な三民主義を新しい レタリア階級の指導のもとにおけるいくつかの革命的階級の国際的、国内的環境に照応した新民主主義的な三民主義に改 連合した独裁である。抗日に賛成し、民主主義にも賛成する造したのである。中国共産党が一九三七年九月一一十二日に発 ものでさえあれば、どの政党どの政派に属するものでも、み表した宣言で、「三民主義は中国がこんにち必要とするもの なこの政権に参加する資格をもっている。 であり、わが党はその徹底的な実現のために奮闘するもので このような新民主主義革命は、社会主義革命とも異なってある」と声明したのは、他のいかなる三民主義でもなく、こ おり、それは、中国における帝国主義と民族裏切り者、反動のような三民主義をさすのである。このような三民主義は、 派の支配をくつがえすだけであって、反帝・反封建にまだ参孫中山の三大政策、すなわち連ソ・連共・農労援助の政策を 加しうる資本主義的要素はどのようなものも破壊しない。 とる三民主義である。新しい国際的、国内的な条件のもとで こうした新民主主義革命は、孫中山が一九二四年に主張は、三大政策を離れた三民主義は革命の三民主義ではない した三民主義の革命と基本的には一致している。孫中山は、 ( 共産主義と三民主義は、基本的な民主主義革命の政治綱領 のうえでおなじであるだけで、ほかのすべての点では、みな この年に発表した『中国国民党第一回全国代表大会宣言』 異なっているが、この間題については、ここではふれない ) 。 で、「近世各国のいわゆる民権制度は、往々にしてブルジョ ア階級に専有されており、まさしく平民を抑圧する道具にな こうして、中国のブルジョア民主主義革命では、その闘争 っている。国民党の民権主義についていえば、一般平民の共の戦線 ( 統一戦線 ) からいっても、その国家構成からいって スンチョンシャン

3. 世界の大思想35 毛沢東

の同盟である。なぜなら、この二つの階級は、中国の人口の村の資本主義的要素を活用し、民族・フルジョア階級と団結し 八〇パーセントから九〇パーセントをしめているからであてともに闘わなければならない。われわれの現在の方針は、 る。帝国主義と国民党反動派をくつがえすのは、主としてこ資本主義を制限することであって、資本主義を一掃すること の二つの階級のカである。新民主主義から社会主義に達するではない。だが、民族・フルジョア階級は、革命の指導者には のも主として、この二つの階級の同盟に依存することであなれないし、国家権力のなかで主要な地位をしめるべきでも る。 ない。民族・フルジョア階級が革命の指導者となることができ 人民民主主義独裁には労働者階級の指導が必要である。とず、また、国家権力のなかで主要な地位をしめるべきでない いうのは、労働者階級だけが、もっとも遠くを見透すことが のは、民族プルジョア階級の社会的経済的地位がかれらの軟 でき、公正無私であり、もっとも徹底した革命性を身につけ弱性を規定し、かれらが遠い見透しに欠け、十分な勇気に欠 ているからである。全革命の歴史は、労働者階級の指導がなけ、そのうえ、かれらのうちの多くの者が民衆をおそれてい るからである。 ければ革命は失敗し、労働者階級の指導があれば革命は勝利 することを証明している。帝国主義の時代にあっては、どの 孫中山は「民衆をよびさますーこと、あるいはまた「農民 労働者を援助する」ことを主張した。だれが「よびさまし」 国のほかのどの階級であろうと、どのような真の革命をも、 また「援助する」のか。孫中山の考えでは、それは小。フルジ 勝利にみちびくことはできない。中国の小ブルジョア階級と ョア階級と民族ブルジョア階級であった。しかし、これは実 民族ブルジョア階級は何度も革命を指導したが、いつも失敗 際にはできないことである。孫中山の四十年の革命は失敗し した。これがその明らかな証拠である。 て民族ブルジョア階級は、現在の段階では、ひじように重要たが、それにはどんな原因があったのか。帝国主義時代にあ っては、小・フルジョア階級や民族ブルジョア階級は、どのよ 6 性をもっている。われわれのそばには、まだ帝国主義がいる 裁が、この敵はひじように凶悪である。中国の近代工業の、国うな真の革命をもこれを勝利にみちびくことができない。原 義民経済全体のうえでの比重はまだ小さい。いまはまだ確かな因はここにあった。 ーオしが、いちぶの材料から推して、抗日戦争前、近代工 主数字まよ、 われわれの二十八年はこれと大いにことなっている。われ われはたくさんの貴い経験をつんでいる。規律のある党、マ 業の生産額は全国民経済生産総額のわずか一〇パーセント前 後をしめるにすぎなかった。帝国主義の圧迫に対抗するため ルクス・レーニン主義の理論で武装した、自己批判の方法を 7 には、またおくれた経済的地位を一歩たかめるには、中国は国とり、人民大衆にむすびついた党。このような党に指導され の経済と人民の生活に有害でなくて有利なすべての都市、農る軍隊。このような党に指導される革命的諸階級、革命的諸

4. 世界の大思想35 毛沢東

336 全面的な強固な社会主義はない。農業社会化の段取りは、国「独裁」または「全体主義」を実行しているといって、われ 有企業を主体とする強大な工業の発展に対応しなければならわれをののしっている外国の反動派こそ、独裁または全体主 ない。人民民主主義独裁の国家は段取りをお 0 て国の工業化義を実行している連中である。彼らは、プロレタリア階級や の間題を解決しなければならない。本文では、経済問題はあその他の人民にたいする。フルジョア階級という一つの階級の 独裁制度、一つの階級の全体主義を実行している。孫中山の まり取り上げないつもりなので、ここではくわしく述べない いうところの平民を抑圧する近世各国の資本家階級とは、ま ことにする。 さにこうした連中のことである。蒋介石の反革命的独裁は、 一九二四年、孫中山みずからが指導し、共産党員も参加し て開いた国民党第一回全国代表大会では、有名な宣言が採択これらの反動どもから学んだものである。 された。この宣言にはつぎのように述べられている。「近世 宋代の哲学者朱熹はたくさんの書物を書き、いろいろのこ 各国のいわゆる民権制度は、往々にして資本家階級の専有すとを言っているが、みんな忘れられてしまった。しかしまだ るところとなり、まさに平民圧迫の道具となっている。しか忘れられていないことばに、「即ちその人の道を以って、還 って、その人の身を治む」というのがある。われわれがやっ るに、国民党の民権主義にいたっては、一般平民の共有する わたくし ところであり、少数人の私しうるものではない」と。だれているのはまさにこれである。すなわち帝国主義とその手先 がだれを指導するかの問題は別として、一般的な政治綱領と蒋介石反動派の道を以って、還って、帝国主義とその手先將 しては、ここにいわれている民権主義は、われわれのいう人介石反動派の身を治めるのであって、それ以外のことではな 民民主主義または新民主主義と合致するものである。一般平 革命的独裁と反革命的独裁とは、性質こそ正反対であるが 民の共有物であることだけがゆるされ、ブルジョア階級の私 有物であることがゆるされない国家制度、これに労働者階級前者は後者から学んだものである。この学習はひじように大 の指導が加われば、それが人民民主主義独裁の国家倒度であ切である。革命的人民が、反革命階級にたいするこうした支 配のしかたを習得しなかったならば、かれらは政治権力を維 る。 蒋介石は、孫中山をうらぎり、官僚。フルジョア階級と地主持することはできず、その政治権力は内外の反動派によって くつがえされ、内外の反動派は中国でふたたび支配者の座に 階級の独裁をうちたてて、中国の平民を抑圧するための道具 にした。この反革命的独裁は、二十二年間にわたって実行さっき、革命人民は災いをこうむることになる。 人民民主主義独裁の基礎は労働者階級、農民階級および都 れ、今日にいたってやっと、われわれの指導する中国の平民 市小プルジョア階級の同盟であり、主として、労働者と農民 によってくつがえされた。 ( 七 )

5. 世界の大思想35 毛沢東

ときだけであろう。中国人は、マルクス・レーニン主義とい 指導のもとで、日本帝国主義をおいはらったのち、人民解放 う全世界にあまねく適用できる普遍的な真理をさがしあて、 戦争を三年間すすめて、基本的に勝利をかちとった。 中国の姿は、それによって、変わりはじめた。 このようにして、西方のプルジョア文明、・フルジョア民主 中国人がマルクス主義をさがしあてたのは、ロシア人を介主義、プルジョア共和国という方式は、中国人民の心のなか してであった。十月革命前には中国人はレーニン、スターリ で一つのこらず破産した。・フルジョア民主主義は労働者階級 ンを知らなかったばかりでなく、マルクス、エンゲルスも知の指導する人民民主主義に席をゆずり、・フルジョア共和国は らなかった。十月革命の砲声はわれわれにマルクス・レーニ人民共和国に席をゆずった。人民共和国をへて社会主義と共 ン主義をおくりとどけてくれた。十月革命は、全世界の、そ産主義に到達し、階級の死減と世界の大同に到達する可能性 してまた中国の先進的な人びとにプロレタリアートの世界観は、こうしてつくられた。康有為は「大同書」を書いたが、 をもって国家の運命を観察する手段とし、あらためて自分の かれには大同にたっする道はさがしあてられなかったし、ま 問題を考えなおすよう手助けをした。ロシア人の道をあゆむたさがしあてられるはずもなかった。・フルジョア共和国は外 こと これが結論であった。一九一九年には、中国に五・ 国にはあっても、中国は帝国主義の圧迫をうけているため、 四運動がおきた。一九二一年には、中国共産党が成立した。 中国にはありえない。唯一の道は、労働者階級の指導する人 絶望のなかにあった孫中山は、十月革命と中国共産党にめぐ民共和国をたどることである。 りあった。孫中山は十月革命を歓迎し、中国人にたいするロ その他すべてのことが試みられたが、いずれも失敗に帰し シア人の援助を歓迎し、中国共産党が彼と協力することを歓た。その他のことに未練をもっていた人びとのうち、あるも 迎した。孫中山が死んで、蒋介石がでてきた。二十一一年の長のはたおれ、あるものはめざめ、あるものはいま頭をきりか て 6 い期間に、蒋介石は、中国を最後の土壇場にまでおいやった。 えつつある。事態の発展があまりにも速いので、おおぜいの に この期間に、ソ連を主力軍とする反ファシズム第二次世界大者が唐突の感じをうけ、あらためて勉強しなおさなければな 裁 義戦は三つの帝国主義大国をうちたおし、二つの帝国主義大国らないという気になっている。人びとのそうした気持はよく 主を戦争をつうじて弱め、世界で損害をうけずにすんだのはアわかる。われわれは、あらためて勉強しなおそうと要求する このような善良な態度を歓迎する。 民メリカという一つの帝国主義大国だけであった。しかし、ア 人 メリカ国内の危機はきわめて深刻である。アメリカは全世界 中国プロレタリアートの前衛は、十月革命ののち、マルク を奴隷化しようとし、蒋介石に武器をあたえて、何百万もの ス・レーニン主義を学んで、中国共産党をつくった。つづい 中国人を殺害するのをたすけた。中国人民は、中国共産党の てすぐ、政治闘争にはいり、まがりくねった道をたどりなが

6. 世界の大思想35 毛沢東

414 年五月三十日上海でおこった労働者虐殺事件への抗議がきっ かけとなって、一年余にわたって、全国の主要都市では労働 者・学生・市民のストライキとデモがつづき、この大衆運動 の高潮を土台として、一一六年七月には国民党と共産党の統一 戦線による「北伐ーがはしめられた。革命がこうして、新し 浅川謙次 い発展をとげた反面、国民党内部には、公然たる反共派が形 安藤彦太郎 成されて、一一五年八月には国民党左派の指導者廖仲愷を暗殺 し、二六年三月には中山艦事件とよばれる反共クーデターを 毛沢東中国社会各階級の分析 ( 一九一一六年三月 ) おこした。こうした一連の反共事件の発生と、蒋介石の裏切 り準備にたいして、中国共産党はいつまでも「国共合作」 中国社会各階級的分析 に幻惑されることなく、いかなる階級が革命の真の指導者で この論文は、つぎの「湖南省農民運動の視察報告」 ( 一九あるか、いかなる階級が革命の真の同盟者であるか、各階級 二七年三月 ) とともに、中国革命史上「第一次国内革命戦争を科学的に分析する必要があ 0 た。 中国共産党の指導者のなかにも、「国共合作」に幻惑され の時期」といわれる時期 ( 一九二四年一月から一九二七年七 て蒋介石の裏切りに警戒心を全く失っていたもの、あるいは 月まで ) に執筆された代表的な論文だといわれている。この 時期に毛沢東が書いた論文や評論はその数が相当多いものと国共合作に最初から反対し、労働者階級だけで革命をおこな おもわれる。湖南省の軍閥支配を分析した「趙恆惕の階級的うことを主唱し、蒋介石が革命を裏切ろうが裏切るまいが 基礎とわれわれの任務」と題する論文もかれの執筆によるもそれには何の関心も示していないものもいた。前者は陳独秀 こ代表 に代表された右翼日和見主義者であり、後者は張国燾冫 のといわれ、また当時発行されていた中共機関誌「響導」な どにも、いくつかの署名短文が発見されるが、中共中央委員された極左日和見主義者であった。しかもこの右翼と極左の 会毛沢東選集出版委員会編集の「毛沢東選集」に収められて両翼の日和見主義者の共通点は、中国社会の階級分析を科学 的におこなっておらす、敵は誰か、味方は誰かという革命の いるものは、この二論文たけである。 一九一一六年から二七年という年は、中国新民主主義革命の第一の重要な問題が・ほやけていたこと、とくに、中国の新民 最初の高潮の時期であ 0 たとともに、国民党蒋介石の反共陰主主義革命における農民の役割を正しく評価できなかたこ 謀が着々すすめられた時期でもあった。すなわち、一九二五とにある。 解題

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43 湖南省農民運動の視察報告 か、一年後に再起し、一九二六年の春まで湖北、湖南、河南の各 省を占拠していた。ヒ ' ゞ ゴ伐軍カ広東省を出発して、さいしょにうち たおした敵がこの呉佩孚である。 ^ ( 一三頁 ) 三民主義というのは、孫中山が提起した、中国のプ ルジョア民主主義革侖のなかの民族、民権、民生の三つの問題を 処理する原則と綱領である。時代のちがいによって、三民主義の 内容にも新旧のちがいがある。旧三民主義は、中国の旧民主主義 革命の綱領であって、新民主主義革命の段階になると、進歩的な 役割はもはやうしなわれた。一九二四年一月、孫中山は共産党員 の提案をうけいれ、中国国民党第一回全国代表大会で、三民主義 にあらたな解釈をくたし、旧三民主義は、このときから新三民主 義に発展した。新三民主義には、連ソ、連共、農労援助の三大政 策と帝国主義反対、封建主義反対の綱領がふくまれ、第一次国内 革命戦争の時期における中国共産党と国民党との合作の政治的基 礎となった。本書「新民主主義論」の第十節 ( 一一只ー一一一一一頁 ) を参照。 九 ( 一三頁 ) 富農の農民協会への加入はゆるすべきではなかった が、第一次国内革命戦争の時期、農民大衆はまだこのことを知ら よ、つこ。 广、刀↓ー 一 0 ( 一一三頁 ) 毛沢東同志がここでいっている「赤貧」と「次貧」 には、農村のプロレタリア、半プロレタリアおよびルンペン・プ ロレタリアがふくまれる。 = ( 一一四頁 ) 国民党県党部とは、その党務をあっかう県段階の 機構である。 一一一 ( 一一五頁 ) 袁祖銘は、貴州省の軍閥で、一九二六年六月から 一九二七年一月まで、湖南省西部一帯に根をはっていた。 一三 ( 三 0 頁 ) 土地付加税とは、当時の豪紳政権が、もとからと りたてていた地租のほかに、田畑の面積に応じてわりあてた苛酷 な税金である。この付加税は地主の土地を小作している貧しい農 民に直接課せられた。 一四 ( 三 0 頁 ) 督軍とは、北洋軍閥が支配していた時期に一つの 省を管轄した軍事首長のことである。督軍は、全省の軍事、政治 の大権を一手ににぎり、対外的には帝国主義者と結託し、対内的 には封建的、軍事的な地方割拠をおこない、その省の独裁者であ る。 ( 三 0 頁 ) 挨戸団とは、当時の湖南省農村の武装組織の一つ 「挨戸」とは、ほと であり、常備隊と非常備隊からなっていた。 んど各戸ごとに人をだすという意味である。一九二七年、革命が 失敗したあと、多くの地方の「挨戸団」は地主にのっとられ、反 革命の武装組織に変わった。 一六 ( 三一頁 ) 当時、武漢の国民党中央執行委員会の指導下にあ った各地の国民党県党部の多くは、連ソ、連共、農労援助という 孫中山の三大政策を実行する組織であり、共産党員、国民党左派 およびその他の革命的な人びとの革命的同盟体であった。 ( 三四頁 ) このことばは「孟子ー尽心章句上」から引用した もので、だいたいの意味は、人に弓をおしえることの上手な人 は、弓をひきしばっても矢をはなたず、いまにもはなとうとする 姿勢をとるだけだということである。毛沢東同志がここでこのこ とばをかりてたとえているのは、農民の自覚の度合いを無視し て、農民に代わって迷信その他のよくない風俗習慣を取りのぞく べきではなく、農民が自覚をもってそれを取りのぞくよう、かれ らを教育することに、共産党員は長じていなくてはならないとい うことである。 一 ^ ( 三五頁 ) 唐生智は、当時革命の側にたって北伐戦争にくわ わった将軍である。葉開は、当時北洋軍閥の側にたって革命に 反対した将軍である。 一九 ( 三六頁 ) 孫伝芳は、浙江、福建、江蘇、安徽、江西の五省

8. 世界の大思想35 毛沢東

われわれ共産党は中国の軍隊改革の事業を援助することを 国の軍隊はすべてこの国家のこの政府に属すべきである。い つの日か中国に新民主主義の連合政府が出現すれば、中国解望んでいる。人民と団結し、日本侵略者に反対することを望 放区の軍隊をただちにそれに引きわたす。だが、国民党のすみ、中国解放区に反対しないすべての軍隊にたいしては、八 べての軍隊も同時にそれに引きわたさなければならない。 路軍と新四軍はそれを自己の友軍とみなし、適切な助力をあ 一九二四年、孫中山先生は「今日より国民革命の新しい時たえるべきである。 代を画すべきである。 ・ : その第一歩は、武力を国民に結び 第六土地問題 つけ、第二歩は、武力を国民の武力にする」といった。八路 軍、新四軍はこの方針を実行し、「国民の武力ーとなったか 日本侵略者を消減し、新中国を建設するためには、土地制 らこそ、つまり人民の軍隊となったからこそ戦いに勝っこと 度の改革を実行し、農民を解放しなければならない。孫中山 ができたのである。国民党の軍隊は、北伐戦争の前期には、 先生の「耕すものに土地をーという主張は、当面のプルジョ 孫先生のいわれた「第一歩」を実行したので戦いに勝った。 ア民主主義的性質の草命の時代における正しい主張である。 北伐戦争の後期から現在までのあいだは、その「第一歩」さ なぜ、当面の時代の革命を、「フルジョア民主主義的性質 えすててしまい、反人民の立場にたってきたので、日一日と の革命」とよぶのか。それは、この革命の対象が、・フルジョ 腐敗堕落し、「内戦の玄人ーであるほかは、「対外戦争」では ア階級一般ではなくて、民族的抑圧と封建的抑圧たからであ 「素人」でしかありえない。国民党軍隊内のすべての愛国的、り、この革命の措置が、一般的に私有財産を廃止するのでは 良心的な将校たちは、孫先生の精神を復活し、自己の軍隊をなくて、一般的に私有財産を保護するものだからであり、こ 改造するよう立ちあがるべきである。 の革命の結果、労働者階級は力を結集して、中国を社会主義 ふるい軍隊を改造する仕事では、教育できるすべての将校の方向への発展にみちびくことができるようになるが、しか にたいして、適切な教育をほどこし、かれらが正しい観点をし、相当長期にわたってなお資本主義が適宜な発展をとげる て からである。「耕すものに土地を」とは、土地を封建搾取者 6 学びとり、ふるい観点を一掃して、これからは人民の軍隊の ためにつづいて奉仕するよう援助すべきである。 の手から農民の手にうっし、封建地主の私有財産を農民の私 合中国の人民の軍隊を創設するために奮闘することは全国人有財産に変え、農民を封建的な土地関係から解放することに 民の責任である。人民の軍隊がなければ、人民のすべてはな よって、農業国を工業国にかえる可能性をつくりだすことで い。この問題については、けっして空論のみにとどまってはある。したがって、「耕すものに土地を」という主張は、プ ならない。 ロレタリア社会主義的性質の主張ではなく、一種のブルジョ

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ア民主主義的性質の主張であり、われわれ共産党たけの主張階層を代表しているからである。中国には農民を単独に代表 ではなく、あらゆる革命的民主派の主張である。ただちがっする政党がなく、民族ブルジョア階級の政党には徹底した土 ているのは、中国の条件のもとでは、この主張をとくにしんけ地綱領がないので、徹底した土地綱領を制定し実施し、農民 んにとりあけ、ロでいうだけではなく、実際にそれをおこなっ の利益のためにしんけんに奮闘し、それによってもっとも広 ているのがわれわれ共産党だけだということにある。では、 範な農民大衆を自己の偉大な同盟軍としてかちとったものは 革命的民主派とはどんな人びとであろうか。もっとも徹底し中国共産党たけで、それゆえに、農民およびすべての革命的 た革命的民主派である。フロレタリア階級をのそけば、農民は民主派の指導者となったのである。 最大の革命的民主派である。農民の圧倒的多数は、つまり封 一九二七年から一九三六年にかけて、中国共産党は土地制 建的なしつぼを身につけている富農をのそけば、「耕すもの度を徹底的に改革する方策を実行し、孫先生の「耕すものに に土地を」を積極的に要求しないものはない。都市の小・フル 土地を」の主張を実現した。歯をむきだし爪をといで、十年 ジョア階級も革命的民主派であり、「耕すものに土地を」は も人民に反対する戦争、すなわち「耕すものに土地を」に反 農業生産力を発展させるので、かれらにとって有利である。 対する戦争をおこなったのは、孫中山先生のすべての不肖の 民族プルジョア階級は動揺する階級であり、かれらには市場子らがあつまっている団体ーー国民党内の反人民集団であっ が必要だから、かれらも「耕すものに土地を」に賛成する。 だが、かれらの大半は土地とつながりをもっているので、その 抗日期間中、中国共産党は大きく譲歩し、「耕すものに土 うちの多くのものが「耕すものに土地を」をおそれる。孫中地を」の政策を小作料・利子の引きさげ政策にあらためた。 山先生は中国最初の革命的民主派であり、民族ブルジョア階 この譲歩は正しく、それは国民党の抗日への参加をうなが 級の革命派、都市の小・フルジョア階級および農村の農民を代し、またわれわれが農民を抗日に動員するばあいに解放区の 表して、武装革命を実行し、「地権の平均」および「耕すも地主の抵抗をすくなくした。もし特別の支障がなければ、わ のに土地を」という主張を提起した。だが残念ながら、かれれわれは戦後もこの政策を実行してゆくつもりであり、まず が政権をにぎっていたとき、すすんで土地制度の改革を実行全国的範囲で小作料・利子の引きさげを実現し、そのうえで したことはなかった。国民党の反人民集団は、政権をにぎつ適切な方法をとり、段どりを追って「耕すものに土地を」を てからは、完全に孫中山先生の主張を裏切った。現在、「耕達成する。 すものに土地を」に頑強に反対しているのは、まさにこの反 ところが、孫先生を裏切った人びとは「耕すものに土地 人民集団であり、それはかれらが大地主、大銀行家、大買弁を」に反対するだけでなく、小作料・利子の引きさげにさえ こ 0

10. 世界の大思想35 毛沢東

あるが、これとこれらの国の・フルジョア階級の行為とは同日選び、帝国主義の手先、すなわち地主階級と官僚・フルジョア こ論じられるものではない。孫中山は一生のうちこ、、 冫しくた階級およびそれらの階級を代表する国民党反動派とその共犯 びとなく資本主義諸国に援助をよびかけたが、結果はムダ者たちにたいして独裁をおこない、専政をおこない、これら で、かえって無慈悲な打撃をうけた。孫中山の一生のうちに の連中を抑圧し、かれらに勝手な言動をゆるさず、神妙にふ いちどだけ国際的な援助をうけたことがあるが、それはソ連るまうことしか許さないことである。もし勝手な言動に出れ からの援助であった。読者諸君、孫先生の遣嘱に目をとおし ば、直ちにとりしまり、制裁をくわえる。しかし、人民の内 ていただきたい。先生がそこでじゅんじゅんとさとしている部では、民主主義制度を実施し、人民は言論、集会、結社な ことは、帝国主義諸国の援助に目をむけることではなくて、 どの自由の権利をもつ。選挙権は反動派にはあたえず人民に 「世界でわれわれを平等に扱ってくれる民族と連合」するよ だけあたえる。この二つの面、すなわち、人民内部の民主主 うにということである。孫先生はひどい目にあい、だまされ義の面と反動派にたいする独裁の面のむすびついたものが人 て経験を得た。われわれは先生のことばを心にとめ、一一度と民民主主義独裁である。 だまされてはならない。われわれは国際的にはソ連を先頭と どういうわけでそうするのか。それは誰でもはっきり知っ する反帝国主義戦線の側に属しているが、真の、友好的な援ている。そうしなければ、革命は失敗し、人民は災難をこう 助はこの側からもとめうるたけで、帝国主義戦線の側からは むり、国家はほろびるからである。 もとめられない。 「きみたちは国家権力を死減させようとしているのではない 「きみたちは独裁だ」。愛すべき先生方よ、おことばどおりのか」。われわれはそうしようとしているが、いまはまだそ で、われわれはまったくそのとおりである。中国人民が何十うしないし、またそうすることはできない。なぜか。まだ帝 年もかかって積んできたすべての経験が、われわれに人民民国主義が存在し、国内反動派が存在し、国内の階級が存在し 主主義独裁を実行させるのである。それは人民民主主義専政ているからである。われわれの現在の任務は人民の国家機構 といっても結局同じことで、つまり、反動派の発言権をうばそれは主として人民の軍隊、人民の警察、人民の法廷のこと 、人民にだけ発言権をあたえることである。 であるが、国防をかため、人民の利益をまもるために、これ 人民とはなにか。中国では、そして現段階では、労働者階を強めることである。中国は、これを条件として、労働者階 級、農民階級、都市小。フルジョア階級および民族プルジョア 級と共産党の指導のもとで、着実に農業国から工業国にすす 階級である。これらの階級が労働者階級と共産党の指導のもみ、新民主主義社会から社会主義社会と共産主義社会にすす とで、団結し、自分たちの国家をつくり、自分たちの政府をみ、階級を消減させ、大同を実現することができる。軍隊、