95 矛盾論 ( 七六頁 ) 本書「湖南省農民運動の視察報告」の原注三 ( 四一一頁 ) を参照。 ( 七六頁 ) 清朝末、袁世凱が北洋大臣に任命されてのち、か れが新しく編成し、訓練をほどこした陸軍を、「北洋軍ーとよび、 袁世凱とその配下を「北洋軍閥」とよんだ。辛亥革命 ( 一九一一 年 ) で清朝はたおれたが、 革侖の成果は袁世凱にうばわれ、袁世 凱が総統の地位につき、中国にたいする北洋軍閥の支配がこのと きからはじまった。 袁凱の死後、北洋軍閥は多くの派閥にわか れ、それぞれの帝国主義国に支持されて、たえまなく権力あらそ いの混戦をくりひろげた。第一次国内革命戦争で、北洋軍閥政府 は人民革侖勢力のためにうちたおされた。 ( 七七頁 ) 毛沢東選集「中国革命戦争の戦略問題」の注 ( 四 ) を参照。 4 ( 公一頁 ) 一九〇五年八月、孫中山の指導する興中会は、当 時の革命的な小団体である華興会や光復会などと連合して、中国 同盟会を結成した。これはプルジ ' ア階級の全国的な革命的政党 であり、「満洲族の駆逐、中華の回復、民国の樹立、地権の平均」 というのがその政治的綱領であった。しかし、帝国主義の略に 反対して民族の独立を実現するというスローガンは、はっきりか かげられなかった。辛亥革侖ののち、同盟会は改組されて、国民 党となった。 訳注
「これは革命の過程にはとうぜんあることだ、むちゃにはなち らゆる手をつくして農会にはいろうとしている。ところが、 やだが」というだけであった。要するに、だれも、この「む かれらは、農会から手きびしくことわられることがよくある ので、いつもびくびくしながら日をすごしている。農会からちゃ」ということばを完全に否定できなかったのである。だ が、実際はどうだろうか。まえにものべたように、これは、 しめだされ、まるで宿なしといったかっこうを、この田舎の ことばでは、これを「打零ーといっている。要するに、四カ広範な農民大衆がかれらの歴史的使命を達成するために、立 月まえまでは、一般の人からみくびられていた「農民会」なちあがったのであり、農村の民主勢力が農村封建勢力をくっ がえすために立ちあがったのである。同族支配体系の封建的 るものが、いまでは、もっとも羽振りのよいものにかわった な土豪劣紳と不法地主階級こそ、何千年来の専制政治の基礎 のである。まえには顔役衆の権力のもとにひれふしていたも であり、帝国主義、軍閥、汚職官吏の足場であった。この封 のが、いまでは農民の権力のもとにひれふしている。どんな 人でも、昨年十月以前と十月以後とがまったくちがった世の建勢力をくつがえすことこそ、国民革命の真の目標である。 孫中山先生が、四十年も国民革命に力をつくして、やろうと 中であることをみとめている。 してやれなかったことを、農民は数カ月のあいだにやりとげ た。これは、四十年はおろか、何千年ものあいだ、なしとげ 「むちゃくちゃだ」と「まったくすば ることのできなかったおどろくべき功績である。これはまっ たくすばらしいことである。「むちゃ」なことは少しもなく、 農民は農村でむほんをおこして、顔役衆の甘い夢をうちや「むちゃくちゃだ」などとはとんでもない。「むちゃくちゃ だ」とは、あきらかに、地主の利益の側に立って農民の立ち ぶった。農村のできごとが町にったわると、町の顔役衆は、 靆たちまち、大さわぎをはじめた。わたしは、長沙についたばあがりに打撃をくわえる理論であり、あきらかに、封建的な ふるい秩序を維持し、民主的な新しい秩序の確立を妨害しょ 視かりのとき、各方面の人に会い、いろいろな取りざたをきい うとする地主階級の理論であり、あきらかに、反革命的な理 動た。中流社会以上の人から国民党右派までのものは、だれも 論である。革命的な同志なら、だれ一人、こんなでたらめを 心かも、「むちゃくちゃだ」という一言できめつけていた。た 省とえ非常に革命的な人でも、「むちゃくちゃだ」という連中口まねすべきではない。もし、革命的観点をしつかり身につ 湖のてんやわんやの論議に圧倒され、目をとじて農村のありさけており、しかも一度でも農村に行って見てきた人であるな らば、きっと、いままでになかった痛快さを覚えるにちがい まを思いうかべると、つい弱気になって、この「むちゃ」と ない。そこでは、何万何十万の奴れいの群れ・・ーー農民が、自 いうことばを否定できないでいた。非常に進歩的な人でも、 ソンチュンシャン
るということは、どうしてもきわめて大きな可能性をもつよ国の革命運動全体が民主主義革命と社会主義革命という二つ の段階をふくむ革命運動の全部であること、これは性質の異 1 うになる。 なる二つの革命の過程であり、まえの革命の過程を完結しな 第七節中国革命の一一重の任務と ければ、あとの革命の過程は完結できないことを、知らなけ 中国共産党 ればならない。民主主義革命は社会主義革命の必要な準備で この章の各節でのべたことをまとめてみると、中国革命全あり、社会主義革命は民主主義革命の必然の趨勢である。そ 体は二重の任務をもっていることがわかる。つまり中国革命して、すべての共産主義者の最終目的は、社会主義社会と共 は : フルジョア民主主義的性質の革命 ( 新民主主義の革命 ) 産主義社会の最終的な達成を、全力をあげてたたかいとるこ とである。中国革命を正しく指導するには、民主主義革命と と。フロレタリア社会主義的性質の革命、現在の段階の革命と 将来の段階の革命という二重の任務をもっている。この二重社会主義革命の区別をはっきり認識すると同時に、両者の連 しすれも中国。フロレタリア係をはっきり認識することをおいてない。 の革命の任務にたいする指導は、、・ 中国の民主主義革命と中国の社会主義革命という一一つの偉 階級の政党ーー中国共産党の双肩にかかっているのであり、 中国共産党の指導なしには、どのような革命も成功をおさめ大な革命を徹底的に達成するよう指導するのは、中国共産党 をのそいて、他のいかなる政党 C フルジョア政党であれ、 ることができない。 中国のプルジョア民主主義革命 ( 新民主主義の革命 ) を達・フルジョア政党であれ ) もにないうるものではない。中国共 成するとともに、すべての必要条件がそなわったときそれを産党は、党創立のその日から、このような一一重の任務を自分 社会主義革命の段階に転化させる準備をすること、これが中の双肩ににない、しかもそのためにまる十八年も刻苦奮闘し 国共産党の光栄ある偉大な革命的任務の全部である。共産党てきた。 こうした任務は、非常に光栄なものであるが、同時にまた 員の一人びとりは、このために奮闘すべきであって、絶対に 中途でやめてはならない。一部の未熟な共産党員は、われわ非常に骨の折れるものである。全国的な範囲の、広範な大衆 れには現在の段階の民主主義革命の任務があるだけで、将来性をもつ、思想的、政治的、組織的にまったく強固な、ポリ の段階の社会主義革命の任務はないと考えたり、現在の革命シェビキ化された中国共産党がなければ、このような任務を や土地革命は社会主義革命であると考えたりしている。これ達成することはできない。したがって、このような共産党を らの観点はあやまりであることを、とくに指摘しなければな積極的に建設することは、共産党員一人びとりの責務であ らない。一人びとりの共産党員は、中国共産党の指導する中る。 すう
主義的なものである。 第五節中国革命の性質 だが、現在の中国の・フルジョア民主主義の革命は、もは われわれは、すでに中国社会の性質、すなわち中国の特殊や、時代おくれとなった、ふるい型の一般的な。フルジョア民 な国情を知ったが、これは、中国革命のすべての問題を解決主主義の革命ではなくて、新しい型の特殊なプルジョア民主 するもっとも基本的な根拠である。われわれはまた、中国革主義の革命である。このような革命がいま中国およびすべて 命の対象、中国革命の任務、中国革命の原動力を知ったが、 の植民地、半植民地諸国で発展しつつあり、われわれはこの これらはみな、中国社会の特殊な性質、中国の特殊な国情か ような革命を新民主主義革命とよんでいる。このような新民 らうまれた、現段階の中国革命にかんする基本問題である。 主主義革命は、世界。フロレタリア社会主義革命の一部であ これらのすべての点を知ったので、われわれはつぎに現段階 り、帝国主義すなわち国際資本主義と断固たたかうものであ の中国革命のもう一つの基本問題、すなわち中国革命の性質る。それは、政治的には、、 しくつかの革命的階級が連合して がなんであるかを知ることができる。 帝国主義者と民族裏切り者、反動派にたいしておこなう独裁 現段階の中国革命ま、、 ーしったいどんな性質の革命であろう であり、中国社会をブルジョア独裁の社会とすることに反対 か。。フルジョア民主主義革命であろうか、それともプロレタする。それは、経済的には、帝国主義者と民族裏切り者、反 リア社会主義革命であろうか。あきらかに、後者ではなくて動派の大資本、大企業を没収して国家の経営にうっし、地主 前者そある。 階級の土地を分配して農民の所有にうっすが、同時に、一般の 中国社会がまだ植民地・半植民地・半封建の社会である以 私的資本主義企業を保存し、富農経済を消減しない。したが 上、中国革命の敵がまだ主として帝国主義と封建勢力である って、このような新しい型の民主主義革命は、一方では資本 党以上、中国革命の任務がこの二つの主要な敵をうちたおす民主義のために道をはききよめるが、他方では社会主義のため 産 族革命と民主主義革命である以上、しかも、この二つの敵をに前提をつくりだすものである。中国の現在の革命段階は、 共 国 うちたおす革命にはブルジョア階級が参加することもあり、 植民地・半植民地・半封建的社会を終結させることから社会 中 たとえ大ブルジョア階級が革命を裏切って革命の敵となった主義社会を樹立するまでの一つの過渡的段階であり、新民主 畍としても、革命のほこ先はやはり資本主義一般と資本主義的主義革命の過程である。この過程は第一次世界大戦とロシア 中私有財産にむけられるのではなくて、帝国主義と封建主義に 十月革命ののちにはじめてうまれたもので、中国では一九一 むけられる。そうである以上、現段階の中国革命の性質は、 九年の五・四運動からはじまったものである。いわゆる新民 。フロレタリア社会主義的なものではなくて、プルジョア民主主主義革命とは、。フロレタリア階級の指導のもとにおける人
革命を裏切り、革命を失敗させたことがある。したがって、 法、中国革命の主要な形態は平和的なものではありえず、武 当時の革命的な人民と革命的な政党 ( 共産党 ) は、これらの力的なものでなければならないこともきまってくる。な。せな ブルジョア分子を革命の対象の一つとせざるをえなかった。 ら、われわれの敵は中国人民に平和的に活動する可能性をあ 抗日戦争では、汪精衛が代表する大地主・大・フルジョア階級たえず、中国人民にはいかなる政治的な自由も権利もないか の一部がすでに寝がえりをうち、民族裏切り者になりさがっ らである。スターリンは「中国では、武装した革命が武装し た。したがって、抗日の人民も、民族の利益にそむいたこれ た反革命とたたかっている。ここに、中国革命の特徴の一つ らの大ブルジョア分子を革命の対象の一つにせざるをえなく と、その長所の一つがある」といっている。これは、まった よっこ 0 く正しい規定である。したがって、武装闘争を軽視し、革命 このことからも、中国革命の敵は異常に強大なものである戦争を軽視し、遊撃戦争を軽視し、軍隊の仕事を軽視するよ ことがわかる。中国革命の敵には、強大な帝国主義があるば うな観点は、正しくない。 かりでなく、強大な封建勢力があり、しかも、一定の時期に このような敵をまえにしているので、革命の根拠地の問題 は、帝国主義、封建勢力と結託して人民を敵とする。フルジョ もうまれてくる。強大な帝国主義とその中国における反動的 ア階級の反動派もある。したがって、中国の革命的人民の敵同盟軍は、どうしても、長期にわたって中国の中心都市を占 の力を軽視するような観点は正しくない。 領しているので、もし革命の隊列が帝国主義およびその手先 との妥協をのそまず、あくまでもたたかいつづけようとする このような敵をまえにしているので、中国革命の長期性と 残酷性がうまれてくる。われわれの敵が異常に強大であるた なら、もし革命の隊列が自分の力をたくわえ、きたえあげる め、革命勢力は長い期間をかけなければ、最終的に敵にうちとともに、カのたりないうちに強大な敵と勝敗を決する戦闘 勝つだけの力をたくわえることも、きたえあげることもできをさけようとするなら、都市を利用して農村地域を攻撃して 党 産ない。また、中国革命にたいする敵の弾圧が異常に残酷であくる凶悪な敵とたたかえるよう、また、長期の戦闘を通じ 国 て、しだいに革命の全面的勝利をたたかいとれるように、お るため、革命勢力は、自分の頑強性を錬磨し発揮しなければ、 中 自分の陣地を堅持することも、敵の陣地を奪取することもでくれた農村をすすんだ強固な根拠地にきずきあげ、これを軍 きない。したがって、中国の革命勢力がまたたくまに結成で事、政治、経済、文化のうえでの偉大な革命の陣地にきずき 国 き、中国の革命闘争がたちまちのうちに勝利できるというよあげなければならない。 こうした状況のもとでは、中国経済 うな観点は、正しくない。 の発展の不均等なこと ( 統一的な資本主義経済でないこと ) 、 このような敵をまえにしているので、中国革命の主要な方中国の土地の広大なこと ( 革命勢力に機動の余地があるこ
192 それ以後は、中国のブルジョア民主主義革命は、新しいブ 建社会に変わりはじめたときからはじまったものである。こ のかん、太平天国運動、中仏戦争、清日戦争、戊戊政変、辛ルジョア民主主義革命の範疇にそくするものに変わり、革命 の陣営からいえば、世界。フロレタリア社会主義革命にそくす 亥革命、五・四運動、北伐戦争、土地革命戦争をへて、こん にちの抗日戦争にいたっており、こうした多くの個々の段階る一部分となった。 なぜか。それは、第一次帝国主義世界大戦と最初に勝利し に、ちょうど百年の時間がついやされた。ある意味からいえ ば、それはすべてこの第一歩を実行したものであり、中国人た社会主義十月革命が、世界全体の歴史の方向を変え、世界 民が異なった時期に異なった程度でこの第一歩を実行したも全体の歴史的時代を画したからである。 のであり、帝国主義と封建勢力への反対を実行し、独立した 世界の資本主義戦線が地球の一角 ( その一角は全世界の六 民主主義社会の樹立のためにたたかい、最初の革命を達成す分の一の土地をしめている ) で崩壊し、その他の個所でもす るためにたたかったものである。そして、辛亥革命は、よりでにその腐朽性をすっかりさらけだしている時代、これらの いっそう完全な意味で、この革命の発端となった。この革命まだ残っている資本主義の部分が植民地、半植民地にますま は、その社会的性質からいうと、。フロレタリア社会主義革命すたよらなければ存続できなくなっている時代、社会主義国 ではなくて、ブルジョア民主主義革命である。この革命は、 がすでに樹立され、しかも、それがあらゆる植民地、半植民 いまでもまだ完成していず、なお多くの精力をそそがなけれ地の解放運動をたすけるためにたたかう用意があると表明し ばならないが、それはこの革命の敵が、いまにいたるまでなている時代、資本主義諸国のプロレタリア階級が日一日と社 スンチュンシャン お非常に強大だからである。孫中山先生が、「革命なおいま会帝国主義の社会民主主義政党の影響から解放されるととも に、植民地、半植民地の解放運動を支持することを表明して だ成功せず。同志よ、さらに努力せよ」といったのは、この いる時代、このような時代には、どんな植民地、半植民地国で ようなブルジョア民主主義革命のことである。 ところが、一九一四年に第一次帝国主義世界大戦がおこあろうとも、そこに帝国主義に反対する革命、すなわち国際 ブルジョア階級に反対し、国際資本主義に反対する革命がお 一九一七年のロシア十月革命で、地球の六分の一をしめ こるならば、それはもはやふるい世界ブルジョア民主主義革 る地域に社会主義国家が樹立されてから、中国のプルジョア 命の範疇にそくするものではなく、新しい範疇にそくするも 民主主義革命には変化が生じた。 それ以前は、中国のブルジョア民主主義革命は、ふるい世のである。それはもはやふるい。フルジョア的、資本主義的な 界ブルジョア民主主義革命の範疇にそくし、ふるい世界ブル世界革命の一部分ではなく、新しい世界革命の一部分、すな わち。フロレタリア社会主義世界革命の一部分である。このよ ジョア民主主義革命にそくする一部分であった。
義は封建的地主階級の主要な支持者であるから、帝国主義の建主義とたたかう力となりうるのか。このことが現段階にお 支配をくつがえさなければ、封建的地主階級の支配を一掃すける中国革命の原動力の問題である。この革命の原動力の問 ることはできない。反対にまた、封建的地主階級は帝国主義題をはっきり認識することによって、はじめて中国革命の基 の中国支配の主要な社会的基礎であり、農民は中国革命の主本戦術の問題が正しく解決できる。 カ軍であるから、農民をたすけて封建的地主階級をうちたお 現段階の中国社会にはどんな階級があるか。地主階級があ り、ブルジョア階級がある。地主階級とブルジョア階級の上 さなければ、中国革命の強大な隊列を組織して帝国主義の支 しすれも中国社会の支配階級である。また、。フロレ 配をくつがえすことはできない。したがって、民族革命と民層部は、 : タリア階級があり、農民階級があり、農民以外のさまざまな 主主義革命という二つの基本的任務は、たがいに区別される 類型の小ブルジョア階級がある。この三つの階級は、こんに とともに、たがいに統一されている。 中国のこんにちの民族革命の任務は、主として国内に侵入ちの中国のもっとも広大な領土において、いまなお被支配階 してきた日本帝国主義とたたかうことであり、また民主主義級である。 革命の任務は、戦争の勝利をかちとるために完遂しなければ これらすべての階級の中国革命にたいする態度と立場は、 ならないものであるから、この二つの革命の任務はすでに一すべて、かれらが社会経済のなかでしめている地位によって つに結びついている。民族革命と民主主義革命とをまったく きまる。したがって、社会経済の性質は、革命の対象と任務 異なる二つの革命段階にわけるような観点は、正しくない。 を規定しているばかりでなく、革命の原動力をも規定してい る。 第四節中国革命の原動力 つぎに、中国社会の各階級を分析してみよう。 一地主階級 党現段階の中国社会の性質、中国革命の対象、中国革命の任 地主階級は、帝国主義の中国支配の主要な社会的基礎であ 務についての分析と規定によると、中国革命の原動力はなに 共 国 、封建制度によって農民を搾取し抑圧する階級であり、政 中力 鮱中国社会が植民地・半植民地・半封建的社会であり、中国治的、経済的、文化的に中国社会の前進をさまたげ、少しも 革命のたたかう対象が主として中国における外国帝国主義の進歩的役割をもたない階級である。 中 したがって、階級としてみれば、地主階級は革命の対象で 支配と国内の封建主義であり、中国革命の任務がこの二つの 抑圧者をうちたおすことである以上、中国社会の各階級、各あって、革命の原動力ではない。 抗日戦争のなかでは、一部の大地主が、一部の大ブルジョ 階層のなかで、どんな階級、どんな階層が帝国主義および封
なく、かれらが帝国主義に反対しさえすれば、その革命は。フとなっている。この革命の第一歩、第一段階では、けっして ロレタリア社会主義世界革命の一部分となり、かれらは。フロ中国の・フルジョア階級の独裁する資本主義社会を樹立するこ レタ・リア社会主義世界革命の同盟軍となる。 とではなく、また樹立できるものでもなくて、中国のプロレ 中国革命は、こんにちにいたってその意義がいっそう増大タリア階級を先頭とする中国の革命的諸階級の連合独裁の新 している。こんにちは、資本主義の経済的危機と政治的危機民主主義社会を建設することであり、これによってこの第一 によって、世界が日一日と第一一次世界大戦におしやられてい 段階を終えるのである。それから、さらにこれを第二の段階 るときであり、ソ連が社会主義から共産主義への移行をめざ に発展させて、中国の社会主義社会を樹立するのである。 しており、全世界の。フロレタリア階級と被抑圧民族を指導し これが、現在の中国革命のもっとも基本的な特徴であり、 援助して、帝国主義戦争に反抗し、資本主義の反動制度に打これが二十年来 ( 一九一九年の五・四運動からかそえて ) の 撃をあたえる能力をもっているときであり、資本主義諸国の新しい革命の過程であり、これが現在の中国革命のいきいき 。フロレタリア階級がいまや資本主義を打倒し、社会主義を実とした具体的な内容である。 現しようとしているときであり、中国の。フロレタリア階級、 農民階級、知識層およびその他の小・フルジョア階級が、中国 五新民主主義の政治 共産党の指導のもとで、すでに偉大な、独立した政治勢力を 形成しているときである。こんにち、われわれはこのような 中国革命は二つの歴史的段階にわかれ、その第一段階は新 時期におかれているが、それでは中国革命の世界的意義がい 民主主義革命であって、これは中国革命の新しい歴史的特黴 っそう増大したものと評価すべきであるかどうか。わたしは である。この新しい特徴は、中国内部の政治関係と経済関係 すべきだとおもう。中国革命は世界革命の偉大な一部分であでは、具体的にどうあらわれているだろうか。つぎにその状 る。 況について説明しよう。 論この中国革命の第一段階 ( それはまた多くの小段階にわか 一九一九年の五・四運動 ( 五・四運動は一九一四年の第一 主れる ) は、その社会的性質からいうと、まだ。フロレタリア社次帝国主義大戦と一九一七年のロシア十月革命ののちにおき 民会主義革命ではなく、新しい型のブルジョア民主主義革命で た ) までは、中国ブルジョア民主主義革命の政治的指導者 新 あるが、しかし、それは、とっくにプロレタリア社会主義世は、中国の小・フルジョア階級と・フルジョア階級 ( かれらの知 界革命の一部分となっており、いまではさらにこの世界革命識層 ) であった。当時中国の。フロレタリア階級は、まだ自覚 の偉大な一部分となっており、この世界革命の偉大な同盟軍をもった、独立した階級勢力としては政治の舞台に登場して
170 ワンチンウェイ ・フルジョア分子、たとえば公然たる汪精衛やかくれた汪精衛つまり、中国の国情をはっきり理解することは、革命のすべ のやからは、すでに敵に投降したか、あるいは敵に投降しょての問題をはっきり理解する基本的なよりどころになる。 うとしているが、英雄的な中国人民はかならずさらにたたか 中国の現在の社会の性質が植民地・半植民地・半封建的な いつづけていくであろう。日本帝国主義を中国から追いだ ものである以上、中国革命の現段階の主要な対象あるいは主 し、中国を完全に解放するまで、このたたかいはけっしてや要な敵はいったいだれであろうか。 むことはありえない。 それはほかでもなく、帝国主義と封建主義、つまり帝国主 中国人民の民族革命闘争は、一八四〇年のアヘン戦争から義国のブルジョア階級と自国の地主階級である。な。せなら、 かそえて、すでにまる百年の歴史をもち、一九一一年の辛亥現段階の中国社会で中国社会の発展をおさえ、はばんでいる 革命からかそえても、三十年の歴史をもっている。この革命 主要なものはほかでもなく、この二つだからである。この二 の過程はいまなお完結してはいないし、革命の任務もまだい つはたがいに結託して中国人民を抑圧しているが、帝国主義 ちじるしい成果をおさめていないので、全国人民、まっ先に の民族的抑圧が最大の抑圧であり、したがって、帝国主義は 中国共産党は、断固として奮闘する責務をになうよう要求さ中国人民の第一の、もっとも凶悪な敵である。 れている。 日本の中国にたいする武力侵入後は、中国革命の主要な敵 では、この革命の対象はいったいだれか。この革命の任務は、日本帝国主義および、日本と結託して公然と投降した はいったいなにか。この革命の原動力はなにか。この革命の か、あるいは投降しようとしているすべての民族裏切り者と 性質はなにか。また、この革命の前途はどうか。これらの問 反動派である。 題が、つぎに説明しようとするものである。 中国のプルジョア階級は、もともと、やはり帝国主義から 抑圧されており、かれらも辛亥革命のように、革命闘争を指 第二節中国革命の対象 導して、主要な指導的役割を演じたこともあり、北伐戦争や 第一章第三節の分析によって、中国の現在の社会が植民現在の抗日戦争のように、革命闘争に参加したこともある。 だが、このブルジョア階級の上層部、つまり国民党反動集団 地・半植民地・半封建の性質をもっ社会であることを知っ が代表する層は、一九二七年から一九三七年までの長い期 た。中国革命の対象、中国革命の任務、中国革命の原動力、 間、帝国主義と結託するとともに、地主階級と反動的同盟を 中国革命の性質、中国革命の前途と転化をはっきり理解する には、中国社会の性質をはっきり理解することをおいてな結び、かってかれらを援助した友ーー・共産党、。フロレタリア 階級、農民階級、その他の小。フルジョア階級を裏切り、中国 。したがって、中国社会の性質をはっきり理解すること、
うな革命的な植民地、半植民地は、もはや世界の資本主義反題は、一九二四年から一九二七年の中国の第一次大革命の時 革命戦線の同盟軍とみなすことはできず、世界の社会主義革期にはやくも提起された。これは、中国共産党員が提起し、 命戦線の同盟軍に変わっている。 当時反帝、反封建闘争に参加したすべての人びとから賛同さ このような植民地、半植民地の革命の第一段階、第一歩れた。たた当時この理論の意義がまだ展開されていず、その は、その社会的性質からいうと、基本的には依然としてブル ため、人びとがこの問題をぼんやりとしか認識していなかっ ジョア民主主義的なものであり、その客観的要求は、資本主たのである。 義の発展のための道をはききよめることである。だがこのよ このような「世界革命」は、もはやふるい世界革命ではな うな革命は、もはやふるい、ブルジョア階級に指導された、 く、ふるいプルジョア階級の世界革命はとっくに終わってい 資本主義社会とプルジョア独裁の国家の樹立を目的とした革る。これは新しい世界革命であり、社会主義の世界革命であ る。同様に、その「一部分」は、もはやふるい・フルジョア革 命ではなく、新しい、。フロレタリア階級に指導された、第一 段階では新民主主義社会と革命的諸階級の連合独裁の国家を命の一部分ではなく、新しい社会主義革命の一部分である。 これは絶大な変化であり、世界の歴史および中国の歴史はじ 樹立することを目的とした革命である。したがって、このよ まって以来、くらべようのない大きな変化である。 うな革命はまた、まさしく社会主義の発展のためにいっそう 中国共産党員が提起したこの正しい命題は、スターリンの ひろびろとした道をはききよめるものである。このような革 命は、その進行の過程で、敵の状況と同盟軍の変化によっ理論にもとづくものである。 スターリンははやくも一九一八年、十月革命の一周年記念 て、さらにいくつかの段階にわかれるが、その基本的性質に の論文で、つぎのようにのべている。 は変わりはない。 このような革命は、帝国主義に徹底的な打撃をくわえるも 「十月革命の偉大な世界的意義は、主としてつぎの諸点にある。 すなわち十月革命が、 ( 一 ) 民族問題のわくをひろげ、これを、ヨ のであり、したがって、それは帝国主義からはいれられず、 ーロッパにおける民族的抑圧にたいする闘争という局部的な問題 論帝国主義からは反対される。だが、それは社会主義からはい 義 から、被抑圧民族と植民地、半植民地の帝国主義からの解放とい れられ、社会主義国や社会主義の国際プロレタリア階級から 主 う全般的な問題に転化したこと、 ( 一 l) 西方と東方の被抑圧民族 主は援助される。 を、帝国主義とのかがやかしい闘争という共通の軌道にのせて、 新 したがって、このような革命は。フロレタリア社会主義世界 かれらの解放のための広範な可能性と現実的な道をひらき、それ 革命の一部分に変わらざるをえない。 によってかれらの解放事業をいちじるしく容易にしたこと、 ( 三 ) 「中国革命は世界革命の一部分である」というこの正しい命 まさにこのことによって社会主義的西方と奴隸化された東方との