いものと存じます。というのも、フランスのご婦人がたのう ちで、あなたほど詩についてよく判断し、それを適切にお用 第三十章節度について いになるかたは、あまりいないからです。また、他の多くの 美とともに自然から授かったあの美しく豊かな調和をもっ て、あなたがなさるほどに、詩に生き生きとした魂を与える ( ) われわれは、まるで指先に毒をもっているかのよう ことのできる人もいないからです。奥さま、これらの詩篇に、それ自身では美しく善い事物を、われわれの扱いによっ は、あなたが愛誦なさるに値いするものです。なぜなら、あて腐敗させる。われわれは徳をとらえようとして、これをあ なたも私の意見に同意してくださることと思いますが、これ まりに激しく強い欲求で抱くと、徳がかえって悪徳になって ほど創意と風格をもち、これほど豊かな詩人によって生みだ しまうことがある。「徳には決して行き過ぎということはな されたことを立証するような詩は、いまだかってガスコー 。そこに行き過ぎがあれば、それはもはや徳ではない」な ュから出たことがないからです。また、これらの詩篇が、ず どと言う人たちは、ことばの遊びをしているのである。 っと以前、ご親戚のフォア殿のお名前をいただいて私が刊行 させた詩篇の残りにすぎないからといって、気を悪くなさっ 限度を越えて徳を求めるとき、賢者も狂人と呼ばれ、正しい てはいけません。事実、これらの詩篇は、彼がもっと若いこ 人も不正な人といわれる。 ホラテ・ウス「書簡 ) 詩」一の六の一五 ろにつくった作品だけに、何かしら一だんと生気にあふれ、 沸騰するようなものをもっていますし、美しく高貴な情熱に これは哲学の詭弁である。人は徳を愛しすぎることもある 燃えています。この情熱については、奥さま、いっか私から し、正しい行為においそ行き過ぎることもある。そういう見 お耳に入れるときがあるでしよう。他の詩篇は、その後、彼 かたには、「必要以上に賢明になるな。ひかえめに賢明であ の求婚時代に、その妻のためにつくられたもので、そこには れ」という神的な声があてはまる。 すでに何となく夫らしい冷静さが感じられます。そして、詩 (o) 私は或る高貴のかたが、同じ身分のかたがたには見ら 録は、それが狂おしいまでに心の浮きたっことがらを歌うとき れないほど、自分の宗教心を示そうとして、かえってその宗 想ほど、面白いことはない、私はそう考える者の一人です。 教心の評判を傷つけたことがあるのを知っている。 私は節度ある中庸の人を愛する。善に向かってにせよ、度 (O) これらの詩篇は他のところに見られる。 を越えたことは、私を不快にさせないまでも、私をおどろか 、テ 1 = = は一五叭八年以後、 ) せ、それを何と呼ぶべきか私をとまどわせる。パウサニアス
249 随想録 ヴェルギリウス『ア はじめる。 にいきたいと許しを乞うた。ほかには自殺の手段がなかった エネイス』二の二 ので、彼はこの棒と海綿を喉に突っこんで、みずから窒息し だから、伝えられるところによると、小カトーはファルサロ た、というのである。彼らま、 。いとなみがすむと、香をしま スの戦い以来、国家の非連に心をいため、いつも腰かけて食せたネルの布で自分の性器を拭いた。 事をとり、いっそう厳格な生活を送ったということである。 私はあなたに何もしてあげられない。ただ、ネルであなたの 彼らは偉い人に対しては、尊敬と愛慕のしるしとして、手に ものを拭くほかには。 接吻した。友人同士のあいだでは、ヴェネッィア人がするよ 一一の五八の二 ) うに、挨拶としてたがいに接吻を交わした。 ローマでは、四辻ごとに壷や桶を備えて、通行人が小便をす るのに用いた。 やさしいことばとともに、お前に接吻を与えて、お前を祝福 オヴィデイウス『黒海 しょ一つ。 便り』四の九の一三 子供たちは、しばしば睡眠中に、壺や桶のなかに小便するた めに服をまくりあげる夢を見る。 四の一〇一一〇 ) (o) また、偉い人に懇願したり挨拶したりするのに、相手 の膝に手を触れた。クラテスの兄弟で哲学者パシクレスは、 彼らは食事と食事のあいだに間食をした。夏には、葡萄 手を相手の膝にもっていくかわりに、それを股ぐらにもって を冷やすための雪を売る者がいた。冬でも、葡萄酒があまり いった。相手が荒々しくその手を押しのけると、彼は言っ 冷えていないと、雪を用いる者があった。偉い人たちは、酌 た。「どうしていけないのか ? ここも膝と同様、あなたの をする者、肉を料理する者、余興のための道化役者をかかえ ものではないか ? 」 ていた。冬には、食卓のうえに置く焜炉に載せて食べものを («) 彼らは、われわれと同様、食後に果物を食べた。彼ら 供した。また、持ち運びのできる調理箱があり、私もそれを は自分の尻を拭くのに ( ことばづかいについてのつまらぬ迷 見たことがあるが、そのなかに必要な食器をいれて、どこへ 信は、ご婦人たちにまかせなければならない ) 、海綿を用い でも持っていった。 た。そういうわけで、スポンギア ( 海綿 ) という語は、ラテ ン語で猥褻な語である。この海綿は棒の先に結びつけられて 富める人たちょ。このご馳走はあなたがたのためにとってお いた。その証拠には、こういう話がある。或る男が、群衆の 。われわれは、調理箱の料理は欲しくない。 マルティアリス 前で野獣の餌食にされるために連れていかれる途中で、用便 七の四八の四
遠いので、私はすすんでプルタルコスに賛成したい。そし はない。あなたは猫を袋にはいったままで買いはしないし て、或る人間と或る人間とのあいだの隔りは、或る人間と動を値ぶみするときには、まずその馬具をはすし、これを裸に 物とのあいだの隔りより以上だと言いたし して眺める。あるいは、昔、王侯に馬を売るときにしたよう に、覆いをつけることもあるが、それは、あまり必要でない (o) ああ、人間は、いかに他の人間に優越しうることかー 部分を覆って、先方が毛並みの美しさや尻の大きさに気をと テレンテイウス「去 f) 、られすに、も「ばら脚とか目とか足など、最も有用な部分を された男』二の三の 注視するように仕向けるためである。 ひろ また、人間たちの精神のあいだには、地上から天にいたる尋 すう 国王たちが馬を買うときは、馬に覆いをつけて検査するのが 数と同じだけの無数の段階がある。 慣わしである。よくあることだが、頭部は美しいが脚が弱い (<) けれども、人間の評価に関して、不思議に思うのは、 馬だったりしたばあいに、買手が美しい尻、ほっそりした われわれ以外のものは、何でも、それそれの固有の特質によ 頭、すらりとした首にまどわされるといけないからである。 ホラテイウス「諷東 ってのみ評価されるということである。われわれが或る馬を 詩』一の二の八六 褒めるのは、それが逞しく利ロな点についてである。 一人の人間を評価するのに、なぜすっかり包装したまま評価 (=) われわれは或る馬をその駿足のゆえに褒める。観衆のするのか ? 彼は、彼自身のものでない部分をしか、われわ しゅろ 喝条のうちに幾たびも棕櫚の葉を勝ちとったことのゆえに。 れに見せない。彼は、それだけで彼の真価がわかるというよ ス、八の五 ) うな部分を、われわれに隠している。あなたが求めるのは、 剣の価値であって、鞘の価値ではない。けれども、鞘がなけ (<) 馬具についてではない。猟犬を褒めるのは、その速されば、あなたはおそらくそれにびた一文も払わないであろ についてであって、その首輪についてではない。鷹を褒める う。その人自身によって人間を判断しなければならない。そ 録 のは、その翼についてであって、その革紐や鈴についてでは の人の装いによって人間を判断してはならない 。昔の人はお ない。なぜ同じように、或る人間を、彼自身のものによって もしろいことを言った。「あなたはな、せ彼を大きいと思うか 随評価しないのか ? 彼は大勢の供まわり、立派な御殿、あれ知っておいでか ? あなたは彼の靴のかかとの高さまでそれ ほどの信用、あれほどの収入をもっている。これらすべて に入れているからだ。」台座は彫像の高さにはいらない。人 せたけ は、彼のまわりにあるものであって、彼のうちにあるもので の背丈は竹馬を取り除いて計らなければならない。富や名誉
3S1 解説 テーニュの不在は、必すしも防疫上の処置の手ぬかりとはな が、彼のこの行動については、ふた通りの批評が為されてい らなかった。然し、極度の混乱期に際して、市の最高責任者る。一つは、さきにも一寸触れたように、 ここに彼の怯懦を が不在であることは、市民の士気に関係するところがあった見る解釈、感染を怖れて、たとい彼の責任外にあったとは一一戸 であろう。八月一日、モンテーニ、は職権を市参議の手に戻 え、身を挺して同胞を激励し、その救助に当たらなかったこ すために館を出た。然し彼は、ポルドーにではなく、ジロンド とを咎める解釈、その友ラ・ポエシーの、身をもって訓えた 河を距ててその対岸にある、フィャスに来たのであった。そストワ主義の真髄に戻るという解釈である。いま一つは、ポ ルドーにベスト病の発生し始めた当時、モンテーニュは館に こで彼は職権を返還すると、直ちにまたモンテーニュの館に 帰っていった。このモンテーニュの行動は『随想録』のどこ 帰っていたので、そこから態々悪疫の蔓延する土地に跳びこ にも誌されていない。また当時の人々の書き物の中にも、暗むことは、常に行動の慎重を期するモンテーニュの性格に反 示されていない。十九世紀になって発見された彼の市参議にすることであり、あえて悪疫を怖れて逃げたのではない。ま 宛てた二通の書信によって、これは明るみに出たのである た八月一日、後任者マチニョン元帥との事務引継ぎの場に列 席しなかったのは、それが一種の形式で、必すしも彼の列席 を必要としなかったので、何も彼が怯懦の故ではない。彼が 怯懦でないことは、シャト ー・トロンペットの確保に際して , ヴ館 をナの 取った、彼の勇敢な行動それ自身が証明しているではない か、第一、同時代の人々にして、誰一人この時のモンテーニ ュを非難している者はいない、と言うのである。両者いずれ もある種の真実を含むと思われるが、もしこの時、彼があえ て悪疫を怖れず、身を挺して病魔の蔓延する地に跳びこん で、仮りに生命を失っていたとすれば、同様の機会に際会し て生命を落とした第三のロトルー、ベルジュンスをわれわれ 帥ンる は持ち得たであろうけれども、少なくも「随想録」の中でも , 、徒後れ最も美しいとされるその第三巻を、その他の、これまた彼の」 思想の発展を跡づける貴重な書き込みと共に、持ち得なかっ たことだけは確かである。
193 随想録 せ、おもだった召使の異動ーといったようなことがらについ いほどである。そこで、私はこう考える。「植物、樹木、動 て、しばしばわれわれの労をはぶいてくれるのに便利なもの物、そのほか、生きているすべてのものが、もともと、気候 である。こういう昔の風習は、めいめい自分の家でも、復活の害から身を守るのに十分な外被を備えているように、 させたらいいと思う。それをおろそかにした私は、愚か者だ と思う。 それゆえ、ほとんどすべての生物は、獣皮、獣毛、員殻、甲 ルクレテイウス、 殻、樹皮などでおおわれている。 四の九三六 第三十六章衣服を着る習慣について われわれももとはそうだった。けれども、人工の光で日の光 を消す人たちのように、われわれは借りものの能力で本来の (<) どこへ行こうと思っても、私は習慣の柵をどれか押し能力を消してしまったのである。」容易にわかるように、われ 破らないわけにいかない。それほど念入りに、習慣はわれわわれにとって不可能でないものを、不可能ならしめるのは、 れの通路をふさいでいる。このごろの寒い季節に、私はこん習慣である。なぜなら、衣服をまったく知らないそれらの民 なことを考えてみた。最近発見されたあの諸民族の裸で歩き族のなかにも、われわれの気候とほとんど同じ気候のもとに まわる習慣は、インド人やモール人のばあいのように、気候暮らしているものもあるからであり、さらに、われわれの身 が暑いのでやむなく生じた習慣なのか、それとも、人間の本体の最も敏感な部分は、つねにむきだしになっている部分で 来の姿なのか ? 聖書にもあるように、天の下にあるものはあるからである。 (o) たとえば、眼、ロ、鼻、耳など、ま すべて同じ法則に服しているのであるから、分別のある人は、 たわが国の百姓たちにあっては、われわれの祖先と同様、胸 このような問題を考察するとき、なるほどそこでは自然的法や腹などが、むきだしになっている。 («) もしわれわれが 則と人為的法則とを区別しなければならないにしても、世界スカートやズボンをはいて生まれてくるべきだったならば、 の全般的秩序を拠りどころとするのがつねであった。という 自然は、おそらく、季節の打撃にさらされる部分を、ちょう のも、そここよ、 冫ーしかなるにせものもありえないからである。 ど指先や足の裏にそうしてくれたように、もっと厚い皮で武 ところで、他の生物はその生存を保っために必要な糸と針を装してくれたにちがいない。 完全に与えられているのに、われわれだけは不完全で貧弱な (o) なぜ信じがたいと思われるのだろうか ? 衣服をつけ 状態のまま生みたされ、しかも外からの助けなしには自分をる私の習慣と、わが国の或る百姓の習慣とのあいだには、こ 維持していくことができないとは、実のところ、信じられな の百姓の習慣と、自分の皮膚以外に何も着ない人間とのあい
178 うら たない人間である。家にいた男はそういう人間であった。そてのことについて完成された習慣がある。なるほど、彼らは ればかりでなく、彼はしばしば、旅のあいだに知りあった多野生である。自然がひとりでに、その通常の進行から生みだ くの水夫や商人に、私を会わせてくれた。だから私はこの男した果実を、われわれが野生と呼ぶのと同じ意味で野生であ の報告で満足する。何も宇宙論者の言うことまでしらべなく る。けれども、実のところ、われわれが人工によって変質さ てもいい せ、普通の秩序から逸脱させたものをこそ、われわれはむし われわれにとって必要なのは、自分の行ったことのある土ろ野生と呼ぶべきであろう。前者においては、真実で、有益 地について自分の見聞を話してくれる地理学者であろう。けで、自然的な徳と本性が、生き生きと、たくましく存在す れども、彼らは、パレスチナを見たという優越感をふりかざる。それらをわれわれは、後者において退化させ、われわれ して、世界の他のあらゆる土地についてわれわれに報道するの堕落した好みにかなうように順応させただけである。 (o) 権利をもとうとする。私は、このことに関してだけでなく、 けれども、あの未開の国々のさまざまな果実のうちにも、微 他のすべてのことがらにおいても、各人が自分の知っている妙な風味があって、それがわれわれの果実におとらず、われ ことを、知っている程度だけ、書いてくれればいし 、と思う。 われの嗜好にすばらしいものと感じられる。 (d) 技巧の方 なぜなら、他の点では誰でも知っていることしか知らない人が、われわれの偉大でカづよい母なる自然よりも名誉を得て でも、或る河や或る泉の性質については、自分だけの知識あいるのは、道理に合わない。われわれは自然の作品の美しさ るいは経験をもっている、ということもありうるからであと豊かさのうえに、あまりに多くのわれわれの工夫を加えす る。それにしても、そういう人は、この小さな知識をひろめぎて、それをまったく窒息させてしまった。それにしても、 自然は、その純粋さが光りかがやくところではどこでも、わ るのに、自然学全般を書こうと企てるであろう。この悪癖か れわれのむなしくあさはかな努力に、驚くべき恥をかかせて ら多くの大きな不都合が生じてくる。 しる。 ところで、私の話にもどるが、新大陸の民族について私が 聞いたところでは、その民族のうちには野蛮なもの未開なも のは何もないように思う。ただし、各人が自分の習慣にない ことを野蛮と呼ぶならば、話は別である。事実、われわれは 自分の住んでいる国の意見や習慣を実例とし理想とするほか には、真理と理性の照準をもたないように思われる。新大陸 にも、やはり、完全な宗教があり、完全な政治があり、すべ (=) きづたはおのずからはびこり、山桃は人気ない洞穴に 美しく咲きほこり、小鳥の歌はたくまずしてかえってこころ ( 一 ~ 二一〇ス ) (<) われわれは、あらゆる努力をもってしても、最も小さ
れよ、、 しまおこなわれている学問の大部分が、われわれの役 (o) アナクシメネスはビ = タゴラスに手紙を書き送りまし に立っていないことに気づくでしよう。また、現に役に立っ た。「死と隷属がつねに眼のまえにあるのに、どうして私が ている学間のうちにも、無用な拡がりや深みがあることに気星の秘密などにかかわりあっていられましよう ? 」 ( なぜな づくでしよう。そういう部は、そのままに放っておくほうが ら、当時、ベルシアの諸王が、アナクシメネスの国に対して しいでしよう。そして、ソクラテスの教育法にしたがって、 戦争の準備をしていたからである。 ) われわれはめいめいこ りんしよく 有用性に欠ける部分においては、われわれの研究の制限をす う言わなければなりません。「野心、吝嗇、無謀、迷信にう るのがいいでしよう。 ちのめされ、そのほかにも内心に人生のさまざまな敵をもっ ていながら、どうして私が世界の運行などに思いをはせてい られましよう ? 」 (<) あえて賢明になれ。すぐに始めよ。よく生きることを 後日に延ばす者は、河水の涸れるのを待って渡ろうとする田 (<) お子さまには、彼をいっそう賢明にし、いっそう良く 舎者に似ている。 するのに役立つものを教えてから、そのあとで、論理学、自 だが、河の水は流れる。そして永久に流れつづけるだろう。 然学、幾何学、修辞学が何であるかを話してきかせるのがい ホラテ→ウス『書簡 ) いでしよう。どの学問を選ぶにしても、すでに判断力ができ ているのですから、彼はたちまちそれに通暁するでしよう。 彼の学科は、ときには談話冫 こより、ときには書物によってす すめていくのがいいでしよう。家庭教師は、ときには、その 教育の目的にかなった著者の書物をそのまま子供に与え、ま たときにはそれの精髄と実質をよく噛みくだいて与えるのが いいでしよう。もし教師自身がそれらの書物に十分精通して いないで、そこにふくまれる多くの立派な教説を見いだすこ とができないばあいには、その目的を達するために、文学に 素養のある人をそこに加え、必要に応じてしかるべき材料を 提供してもらい、それをお子さまの教育に分配するのがいい 十五世紀のアリストテレス学者。 ) の学 でしよう。この学科がガザ ( ギリシア語の文法書で知られる 科よりも容易であり自然的であることは、誰も疑わないでし 最も愚かなのは、子供たちに (=) 双魚宮、きらめく獅子座、ヘスペリアの海に沈む山羊 座には、どんな影響力があるか ? ス、四叨一の八五 ) 星の学問や (d) 第八天体の運行などを教えて、自分自身の 動きかたをあとまわしにすることです。 プレイアデス座、牛飼座の星に、何の用があろう。 アナクオン「オ )
民のなかにも、しばしば、最も芸術的な作品に匹敵する精神 く辞書をひろげて、疥癬とは何か、尻とは何かを研究したう 的作品を生まれさせた。牧人の芦笛の歌から出たガスコー えでなければ、そのことを私に言おうとしないだろう。 ことわざ ュの諺に「吹くだけなら誰でも吹けるが、指先が思うにま (<) われわれは他人の意見や知識をしまいこむ。それで、 かせぬ」というのがあるが、何と私の話題に適切な例ではあおしまいである。われわれはそれらをわれわれのものにし るまいカ なければならない。われわれは、火が必要になって、隣りの (<) われわれはこんなふうに言うことができる。「キケロ家にそれを貰いに行き、そこに盛んに火が燃えているのを見 ると、そこで腰をすえて暖まり、もはや自分の家へ火を持っ がこう言った。これはプラトンの考えである。これはアリス て帰るのを忘れてしまう人によく似ている。食物を腹いつば トテレスのことばそのままである。」けれども、われわれは、 いに詰めこんでも、もし、それが消化されないならば、それ われわれ自身として、どう言うのか ? われわれはどう判断 おうむ がわれわれの血となり肉とならないならば、それがわれわれ するのか ? われわれはどうおこなうのか ? 鸚鵡だって、 の体力を増強させるのでないならば、われわれにとって何の それくらいのことなら、立派に言えるだろう。このやりかた ルクルスは経験によらずに、ただ書物を読ん は、私にあのローマの金持のことを思い出させる。彼は、莫役に立とう ? だだけであれほど偉大な大将になったが、はたして彼はわれ 大な費用をかけて、学問のあらゆる分野にわたって有能な人 われのようなしかたで書物を読んだのであろうか ? たちを集めることに心を砕き、つねに彼らを身辺に置き、自 (=) われわれは、あまりに他人の腕に頼りすぎて、自分の 分が友人たちのあいだで何ごとかについて話すようなことが 生じたばあい、彼らに自分の代理をさせ、それそれの得手に力を無くしてしまう。私は死の恐怖に対して武装しようとす ると、すぐにセネ力のご厄介になる。私は、自分のために、 したがって、或る者は演説を、或る者はホメロスの詩句をと もしくは誰か他人のために、慰めを得ようとすると、すぐに いうふうに、何でも提供することができるようにさせておい キケロからそれを借りてくる。もし私がそういう訓練を受け た。そして、この知識がそれらの人々の頭のなかにあるとこ ろから、この知識を自分のものだと考えていた。自分の学識ていたならば、私はそれを私自身のうちに求めたことであろ う。こんな人頼みの、物乞いの能力は、私の好まないところ は、わが家の豪華な書庫のなかにあると思っている人々も同 じことである。 である。 ( ) 私の知っている或る人は、私が彼の知っていることを ( ) なるほどわれわれは他人の知識で知者になることはで 7 たずねると、それを私に教えるために、私に本を持って来さ きるにしても、われわれ自身の知恵によってでなければ、少 かいせん せる。こういう人は、お尻に疥癬ができたとしても、さっそなくとも賢者にはなることができない。
ン・ポニをやはり絞首刑に処した。けれども、砦が強いか号 第十五章理由なく城を固守する者は罰せらいかの判定は、それを攻める方の兵力との比較によ「てなさ れる。というのも、鉄砲の二梃ぐらいに対して抵抗するのは れる 当然であるが、三十門の大砲に対抗しようとするのは狂気の 沙汰だからである。征服者側の君主の威光、その評判、人々 のささげる尊敬が勘定に加わると、えてしてこちら側の方を (d) 勇気にも、他のもろもろの徳におけると同様、限度が 買いかぶるおそれがある。同じ理由で、人々は自分たちゃそ あり、それを超えると、人は悪徳の道に迷いこむ。だから、 両者の境界を見分けるのは実際むずかしいことであるが、その兵力を過大視し、とうてい自分たちに楯つくことのできる の限界をわきまえない者は、えてして勇気から、無謀、強ものがあろうなどとは思わないから、自分たちの運のつづく 情、狂愚におちいりがちである。そういう考えから、兵法上かぎり、抵抗のあるところではどこでも、刃をつきつけるこ とになる。たとえば、東洋の君主たちゃ、いまなお存続して とうてい支えきれない要塞を執拗に守ろうとする者は、とき いるその後継者たちの用いる傲慢無礼で、野蛮な命令に満ち には死刑にさえ処せられるという、われわれの戦時の慣習が た勧告文や挑戦状に見られるのが、それである。 生まれてきたのである。そうでないと、罰せられないのをい とりで ( ) さらに、ポルトガル人がインドを征服するときに上陸 いことにしてつまらぬ砦に拠って、大軍を阻止しようとする した地方には、国王自身あるいはその代将によって征服され 者が出てくるだろう。元帥モンモランシ 1 殿下は、パヴィア 攻囲のとき、ティティノ河を渡ってサン・タントワーヌ地区た敵に対しては、身代金や助命の交渉に応じる必要がないと いうことを、一般の鉄則としている国々があった。 に宿営するべく命を受けたが、橋のたもとの一つの塔が抵抗 (=) だから、わけても、勝ちほこった、武力のある敵の裁 して邪魔になるので、ついに砲撃を加え、中にいた者をこと ごとく絞首刑に処した。さらにその後、山脈の向こうへ遠征判官の手中におちないよう、できるだけ用心しなければなら した太子殿下に従って、ヴィラノ城を攻略したときにも、た だ大将と旗手だけを残もて、城内にいた者どもをことごとく 狂暴な兵士たちに惨殺させたのち、残る二人を絞首刑に処し た。これも同じ理由からである。また大将マルタン・デュ・ べレは、当時同じ地方のトリノの総督であったが、城砦を攻 略したとき、城内の者どもを皆殺しにしたあとで、大将サ 第十六章臆病の処罰について (d) 私はかって、或る君主で偉大な大将が、「兵士を卑怯
ではない。それらは軽薄さの仲間である。むしろ、悲しみの だから、ここでは苦痛たけを間題としよう。私も、もちろ うちにあっても、堅忍不屈であることによって幸福は得られ ん、苦痛が人生の最悪の出来事であるということに同意する にやぶさかでない。なぜなら、もし世のなかに誰よりも苦痛 について」三の一一〇 ) そういう理山で、われわれの父 を憎み、苦痛を避ける人があるとすれば、それは私だからで祖たちは、「戦争の危険をおかして武力で得た征服は、謀略 ある。いままでのところでは、幸いに、私はあまり苦痛に縁や談判によって得た征服より名誉なわけではない」などと言 がなかっただけに、なおさらそうである。しかし、われわれわれても、納得することができなかったのである。 は苦痛を絶減することができないまでも、少なくとも忍耐に よって苦痛を軽減することはできる。肉体は苦痛によって動 徳はそれを為すのに苦労したときほどいっそう快いものであ ルカヌス『ファルサ かされることがあるにしても、霊魂や理性は平静な状態を保 リア』九の四 0 四 っことができる。 さらに次のことはわれわれの慰めとなるはずである。苦痛 もしそうでなかったなら、われわれのあいだで、誰が、 が激しければ、自然、それは短く、苦痛が長ければ、それは 徳、勇気、気力、度量、覚悟などを重んじるであろうか ? 、。キケロ「善悪の それらが相手として挑戦すべき苦痛がなくな 0 てしま「たな軽い。 (O) 『激しければ短く、長けれま軽』 ( 。し限界』二の二九 ら、それらの果たすべき役割がどこにあるであろうか ? 『徳 (d) 君がそれをあまりにひどく感じるときには、君はそれ をそう長くは感じないであろう。苦痛はそれ自身終りとなる は危険に餓えている。』 ( こ ~ ネ力「摂理 ) もし堅い地上に寝たり、 武器に身をかためて炎天下の暑熱に耐えたり、馬や驢馬の肉か、または君に終りをもたらすであろう。いずれにしても同 じことである。 (o) 君がそれを負いきれなくなれば、それ で餓えをしのいだり、自分の身体を切り裂いて骨のあいたか ら弾丸を抜き出してもらったり、さらに縫ったり焼いたり探が君を負ってくれるであろう。『思っても見たまえ。死は大 きな苦痛を終らせる。小さな苦痛はたびたび休止期間があ 針を入れられたりするのに耐える必要がないならば、い る。われわれは中くらいの苦痛にはうちかっことができる。 い何によってわれわれは凡人の上に抜き出る優越性を得るこ それゆえ、苦痛が軽ければ、われわれはそれに耐えて行くこ 録とができようか ? それは災いや苦痛を避けるのとは大違い 想である。賢者の教えているように、同じく善良な行為をなすとができるであろう。耐えきれなくなれば、劇場から出るよ うに、面白くなくなった人生から退出することができるであ 随にしても、そこに多くの苦痛が伴えば伴うだけ、それはいっ 。キケロ、同上、 ろう』 ( そう価値の高いものとなる。 (o) 『われわれの幸福は、喜 一の一五 (<) われわれが苦痛を受けるときにかくも耐えがたく感し び、楽しみ、笑い、遊びといったようなもののなかにあるの