答え - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>
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1. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

。子供たちには、悪徳の本性的な醜さを教えなければなら 子供は「つまらないことで叱るのね」とロ答えをした。。フラ ない。そうすれば、子供たちは、悪徳を、たんにその行為の トンは言い返した。「習慣はつまらないことではない。」 うえで避けるばかりでなく、心のうちでも避けるようになる 私の思うに、われわれの最も大きな悪徳はわれわれの最も 幼いときからその癖がつくものであり、われわれの最も大事だろう。悪徳がどんな仮面をかぶっていても、それを思うだ なしつけは乳母の手のなかにある。子供がひょこの首をひねけで、子供たちは忌わしく思うようになるだろう。私はよく ったり、大や猫を傷つけて面白がったりするのを、慰み半分知っているが、私は子供のときからいつも表通りを堂々と歩 し力さまやず に見すごしている母親たちがある。或る父親は、愚かにも、 むようにしつけられ、子供どうしの遊戯にも、、、 自分の息子が無抵抗な百姓や下僕をやたらになぐるのを見るいことを混ぜるのを嫌ったので ( 実際、子供の遊戯はたん なる遊戯でないことを心にとめておかなければならない。彼 て、男らしい魂の前兆たと思ったり、息子が意地悪なたくら みやごまかしでその友だちをだますのを見て、利ロだと思っ らにあっては、遊戯は最も真剣な行為であると考えなければ たりする。だが、それこそまさに残忍、暴虐、裏切りの種子ならない ) 、いまだに、どんな些細な慰みごとにおいても、 ごまかしに対しては、心の底から、わざとでなくごく自然な となり、根となるものである。それらはそこから芽を出し、 やがて勢いよく伸びて行き、習慣の手のなかでますます増長気持から、極度に反発を感じずにはいられない。私は二枚の する。だから、これらの忌わしい傾向を、年が若いから、些銅貨に対しても、二枚の金貨のときと同様、また妻や娘を相 細なことだからといって大目に見るのは、はなはだ危険な教手に勝っても負けてもどうでもいいときにも、本気の勝負の 育である。第一、そこにロ出しをしているのは本性であり、 ときと同様、同じ気持でカルタをめくり、同じ気持で勘定を その声は細ければ細いだけ、それだけいっそう純粋で強い する。いついかなるばあいにも私の眼がしつかり私を監視 第二に、許欺の醜さは、金貨と留め。ヒンの差異にかかわらな している。これほど近くで私を見張る眼はないし、これほど 。その醜さは、ことがらそのものにかかわるものである。 私が畏敬する眼もない。 私はこう結論する方がずっと当然だと思う。「彼は、留めビ ( ) 私はついさきごろ、私の家で、ナント出の、生まれつ 録ンをごまかすくらいなら、どうして金貨をごまかさないのき手のない小男を見た。彼は手のなすべき仕事を足に仕込ん だので、事実、彼の足はその本来の役目を半ば忘れているほ 想か」と。しかるに人々はこう結論する。「ごまかしたといっ どであった。おまけに、彼は自分の足を手と呼び、それで庖 随てもたかが麕めビンでしかない。まさか金貨をごまかすこと はないだろう」と。われわれは子供たちに、悪徳をそれ自身丁も使えば、。ヒストルに弾丸をこめて発射する。針に糸を通 して縫う。字を書く。帽子をぬぐ。髪をすく。カルタ遊びも の素質のゆえに憎むことを、注意ぶかく教えなければならな

2. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

165 随想録 に、たがいの友であった。たがいに完全に信頼しあっていた うのも、われわれ自身のものは何ものも、彼のものも、私の から、彼らはたがいに相手の意向の手綱を完全ににぎってい ものも、われわれのために残しておかなかったからである。 た。徳と理性の指導によってこの馬具を引かせても ( それな ティベリウス・グラックスが処刑されたのち、彼と共謀し しには、馬具をつけることもできないから ) 、・フロシウスの たすべての人たちを追求していたローマの執政官たちの前 で、たまたまカイウス・プロシウス ( これはグラックスの第答えは、まさにそれがあるべきであったとおりである。もし 彼らの行為が別々になったならば、彼らはもはやたがいに、、 一の友であった ) を訊間することになったラエリウスが、 私の考えるような友ではなかったし、彼ら自身に対しても友 「お前はグラックスのためにどれだけのことをするつもりだ ではなかった。要するに、 (<) この答えは、たとえば誰かが ったか ? 」と問うたとき、・フロシウスは「あらゆることを」 私に向かって「もし汝の意志が汝に対して、汝の娘を殺せと と答えた。「何だと ? あらゆることをだと ? それなら、も 命じたならば、汝は娘を殺すか ? 」とたずね、私が「それに し彼がわれわれの神殿に放火せよと命じたら、どうする ? ー とラエリウスがたたみかけると、。フロシウスは「彼は決して同意する」と答えるときと同様、たいした響きをもたない。 事実、この答えは、実行への同意の証拠を何ら含んでいな そんなことを命じはしなかっただろう」とやりかえした。 。というのも、私は私の意志については決して疑わない 「だが、もし彼がそう命じたとしたら ? 」とラエリウスは追 求した。するとプロシウスは答えた。「私は彼に服従したでし、また、そのような友の意志についても同様に疑わないか 冫カりに彼がそれほど完らである。世のいかなる理由をもってしても、私が私の友の あろう。」歴史家たちが言うようこ、、 全にグラックスの友であったにしても、このような大胆きわ意向と判断についてもっている確信を私から追い出すことは まる告白によって執政官たちを怒らせる必要はなかったであできない。彼の行為がいかなる相貌を呈して私のまえにあら われようと、私はたちまちその動機を見ぬかずにはいない。 ろう。また、彼はグラックスの意志に関して自分がもってい われわれの霊魂はかくも一体となって事を運び、かくも熱烈 た確信を曲げるべきではなかった。しかし、それにしても、 彼の返答を反抗的だと言って非難する人たちは、友情の秘密な愛情でたがいに思いやり、同じような愛情をもって腹の底 を十分に理解していない。そういう人たちは、事実、彼がグまでさらけだしたのであるから、私は彼の霊魂を私の霊魂と ラックスの意志を自分の意のままになしうるだけの力と認識同様に知っていたばかりでなく、きっと自分を私自身に委ね をもっていたことを、想像してみることもできない。 (O) 彼るよりも、むしろ進んで彼に委ねたことであろう。 世間一般の友情を、これと同列におかないでもらいたい。 らは市民であるより以上に友であった。彼らは、祖国の友で あり敵であるより以上に、野心と反乱の友であるより以上私だって世間一般の友情を人なみに知っているし、そのなか

3. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

230 随想 かたがあるかということを算えるのに瑕をかけ、信じられな かに、極度の恐怖と、極度に昻揚した勇気は、同じようにわ いほどの数の並べかたを発見した人のことがプルタル = スのれわれの腹工合を悪くさせ、下痢をおこさせる。 なかに見られるが、この人の知識もこれに類する。私が立派 (o) ナヴァラ王十一一世サンチ = は「武者ぶるいのサンチ な意見だと思うのは、巧みに手で粟粒を投げてあやまっこと ヨーとあだ名されたが、これは豪勇が恐怖と同じくわれわれ なく針の穴をくぐらせる或る男の芸当を見せられた人が、かの四肢を震えさせるものであることを教えてくれる。家来た くも珍しい才能に何か褒美をや 0 てもらいたいと求められたちが、彼に鎧を着せようとして彼の皮膚が震えているのを見 とき、はなはだ愉快にも、そしてまさに適切にも、こう命じて、「これから臨もうとする危険はたいしたものではありま たことである。「この芸人に一一俵か三俵の粟をやるがいい せん。ご安心なさい」と言ったのに対して、彼はこう答え こんなみごとな技が、練習の材料に事欠くようなことがあっ た。「お前たちは私を見そこなっている。私の勇気がこれか てはならない。」何の優秀性も有用性もない事物を、ただ珍ら私の肉体をどこ〈連れていくか、それを知 0 たならば、私 しいから、新しいから、困難だからといって推奨するのは、 の肉体はそれこそ武者震いをおこすだろう。」 われわれの判断力の弱さを示すおどろくべき証拠である。 (<) ヴェヌスのいとなみにおける陰萎は、冷淡と嫌悪から ついこのあいだ、みんなが私の家に集ま 0 て、事物の両極来るが、また、あまりにも激しい欲望や放埒な熱情からも生 をふくむことばを、誰が最も多くさがしだせるかという遊びじる。極度の冷たさは、極度の熱さと同様、煮るはたらき、 をした。たとえば、 S 一「 0 はわが国の最も偉い人すなわち国王焼くはたらきをする。アリストテレスの言うところによる にささげる称号であると同時に、商人のような下賤な者にも と、鉛の地金は、冬のきびしい寒さに遭うと、強い熱に遭っ 与えられる。その中間の者には決して用いられない。身分の たときと同様、溶けて流れる。 (o) 欲望と飽満は、快楽の 高い女たちは Dames と呼ばれるが、中流の女たちは Damoi ・ 前の状態と後の状態を苦痛で満たす。 (<) 愚味と賢明は、 一と呼ばれる。そして、最も低い階級の女たちが、また人間的な出来事を耐え忍ぶのに、感情と意志の強固な点で一 Dames と呼ばれる。 致する。賢者は不幸を統御するが、愚者は不幸を感じない。 (=) 食卓に布をかけることは、君主の邸と、居酒屋におい 後者は、いわば、出来事のこなたにあり、前者はそのかなた てしか、許されていない。 にある。賢者は、出来事の性質をよく計量し考察し、それを ( ) デモクリトスの言うところによれば、神々と野獣は、 ありのままに評価し判断したうえで、たくましい気力をもっ その中間にある人間よりも、鋭い感覚をもっている。ローマ てそのうえを飛びこえる。賢者は堅固な霊魂をもっているか 人たちは、喪の日と、祭りの日に、同じ衣服をつけた。たし ら、出来事を軽蔑し、足の下に踏みつける。こういう霊魂に

4. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

刊 何ということか ! 半ば焼かれ、骨もあらわに引き裂かれ、 り、ほかに自殺の手段もないところから、たまたまそこにあ 黒い血にまみれた王のしかばねは、むごたらしく地上を引き った荷車用の錆びた古釘をつかみ、喉のあたりをぐさりと一一 すられていくことだろう。 、論集」一の四五 ) 突きっきさした。それでも、自分の生命をぐらっかせること ができないのを見て、すぐさま、腹にもう一突きっき立て、 気を失ってその場に倒れた。ちょうど見まわりに来た最初の («) 私は或る日、ローマで、評判の盗賊カテナが処刑され 番兵が彼のこのありさまを発見した。皆は彼を正気にかえら 吏が首を締めたとき、見物人は るところに行きあわせた。町 いよいよ死体を切りき せ、息をひきとる前にまにあうように、その場で、斬首刑に何の感動も示さなかった。けれども、 たち 処すという宣告を読んで聞かせたところ、彼はこのうえもなざむときになると、刑吏が一太刀斬りつけるごとに、群衆の なかから嘆声と叫喚がおこり、あたかもめいめいがこの死骸 く喜んで、それまで拒否していた葡萄澑を飲なことを承知し た。そして、裁判官たちに、処刑が思いがけなく霓大であるのうえに自分の感情を移したかのごとくであった。 (=) このような非人間的な極刑は、脱け殻に加えるべき ことを感謝し、自分が自殺を決意したのは、何かもっと残酷 で、生き身に対しておこなうべきではない。それゆえ、これ な責苦を受けることを恐れたからで、広場の準備を見ていよ ・ホレド 1 ・本こ とほぼ同様のばあいに、アルタクセルクセスは、ベルシアの 、 - をのが もっと耐えがたい刑 いよこわくなり : おける欠文 古来の法律の苛酷さをやわらげ、職務上の過ちをおかした臣 れるためだったと告げた。 (<) このような苛酷な見せしめは、国民に義務を守るよう下たちを、いままでのように鞭うつのでなく、衣服を剥いで これを身代わりとして鞭うつことを命じ、また、いままでの にさせる手段であるが、私はこれを罪人の死体に対しておこ ように頭髪をむしり取るのでなく、ただその高い帽子を奪う なうように忠告したい。なぜなら、死体が埋葬を許されず、 ことを命じた。 煮られたりこま切れにされたりするのを見ることは、俗衆に (o) エジプト人たちは、あれほど信心ぶかいのに、造りも とっては、生き身に加えられる責苦と同様、恐ろしいことで あるが、実際、当人にとっては、ほとんど、否、まったく何のの豚や、絵にかいた豚を儀牲としてささげることによっ でもないことだからである。 (0) 神のことばにもあるとおて、十分、神の審きを和らげうるものと考えていた。かくも り、《彼らは身体を殺すが、そのあとでは、それ以上に何も本質的な実体である神に、絵や影で支払おうとするのは、何 することができない。》 ( →四 ) 詩人たちは、この光景の恐という大胆な考案であろう。 ろしさを、死そのものより以上に、誇張して描いている。 (<) 私は、わが国の内乱による放縦の結果、残酷というこ の悪徳の信じられないほどの実例が充満している時代に生き

5. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

0 ティッス・リヴィ ) (=) われちは、子供のないことを同じく幸福と考える。 きている甲斐がないと考える』 ( ウス、三四の一七 タレスは、なぜ結婚しないのかときかれたとき、子孫を残 われはいかに多くの人々が、自分の家で友だちに囲まれな がら平穏にいとなむ生活の楽しさを捨てて、無人の砂漠の恐すことを好まないからだと答えた。 ろしさを求めていったかを知っている。また、みずから卑賤 われわれの考えが事物に価値を与えるのだということは、 な境涯に身をおとし、世間を捨て、それに満足し、愛着をさわれわれが多くの事物を評価するのに、それだけとして見な え感じていた者のあることを知っている。さきごろミラノで いで、われわれとの関係において見ることからして明らかで 亡くなったポロメオ枢機官は、高貴な身分、巨大な財産、イある。しかも、われわれは事物の性質をも有用性をも考慮せ タリアの雰囲気、その若さのゆえに、遊蕩に誘われながらも、ずに、ただ事物を得るための労だけを考慮する。あたかもそ あえてきびしい生活に身を持し、夏も冬も同じ衣服で通し、 れが事物の本質の一部であるかのごとくである。そして、事 わらどこ 寝るにも藁床しか用いず、公務の余は、たえずひざまずい 物がわれわれにもたらすものではなく、われわれが事物にも て勉学にすごし、書物のかたわらには僅かの水とパンを置 たらすものを、その事物の価値と呼んでいる。その点で、私 き、それだけで食事をすませ、食事にはそれだけの時間しか は、われわれが出費についてまことにけちであることに気づ く。出費は、それが重ければ重いだけ、その重さに応じて役 費やさなかった。また、私は、間男された男という、誰でも 聞いただけでぞっとすることを、十分承知のうえで、金儲けに立つ。われわれの考えは、出費がむだにかさむのを許さな 。買いあさりがダイヤモンドに価値をつけるように、困難 と出世のために利用する人があるのを知っている。視覚はわ こ、価値をつける。 れわれの感覚のうちで最も必要なものではないにしても、少が徳に、苦痛が信仰に、苦さが薬冫 (=) 或る人は貧乏になるためにお金を海に投げたが、その なくとも最も快いものである。けれども、われわれの器官の うちで最も快く最も有用なものは、生殖に役立っ器官である同じ海を、多くの人々は富を釣るために、いたるところでか きまわす。工。ヒクロスが言ったように、富むことは、重荷を ように思われる。しかるに、それがあまりにも魅力的たとい うだけの理由で、これをひどく忌み嫌い、それの価値のゆえおろすことではなくて、別の重荷と取り換えることである。 にかえってこれをしりぞけた人が、たくさんいる。われとわ事実、吝嗇を生むのは貧困ではなく、むしろ富裕である。私 が眼をえぐった人も、眼について同しように考えたのであはこのことについて自分の経験を語ろう。 る。 私は少年時代を終ってから、三種の状態のなかで生活して きた。第一の時期は二十年近くつづいたが、そのあいだ、私 (o) 最も普通で、最も健康な人々は、子供がたくさんある は不時の収入のほかには生活の資をもたず、他人の指図や援 ことを大きな幸福と考えているが、私やそのほかの或る人た

6. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

のリボに、裁きの手を待つよりもむしろ自決することをすす たたび捕えられそうになったとき、剣でわが身を突ぎ刺した。 アンティ / オスとテオドトスは、彼らの都市工ペイロスがめて、こう言った。「自分の生命を保存しておいて、これを ローマ軍によって危地に追いこまれたとき、全市民に自殺す三、四日後に取りに来る奴らの手に渡すことは、わざわざ他 ることをすすめた。けれども、降伏しようという意見が大勢人のお手伝いをするようなものだ。自分の血をとっておい て、敵の獲物にさせるのは、敵に奉仕することだ。」 を占めたので、彼ら二人は敵陣に飛びこみ、身を守るのでな 聖書のなかにはこういう話がある。神の律法の迫害者ニカ く敵を倒そうとして、戦死した。数年前、ゴゾ島がトルコ人 に襲われたとき、一人のシケリア人は、嫁入り前の二人の美ノールは、親衛兵をつかわして、高徳のゆえにユダヤ人の父 しい娘をもっていたが、まずこの二人を自分の手で殺し、娘と呼ばれた善良な老人ラシアスを、捕えさせようとした。こ の死んだところへかけつけたその母親を殺した。それから、 の善良な人は、すでに門が焼かれ、自分を捕えようとして迫 ってくる敵を見て、もはや逃れる道のないことを知り、悪人 弩と火繩銃をもって町のなかに飛びだし、二発で、戸口に 近づいた最初の二人のトルコ人を殺し、ついで剣を抜いて猛どもの手にかかってひどい目にあわされ、自分の名誉ある地 然と敵中に躍りこんだが、たちまち敵にとりかこまれ、めつ位をけがすよりは、むしろ勇ましく死のうと決意し、われと た切りにされた。彼はこうして自分の家族を隷属から救ったわが身に剣を突き立てた。けれども、あまり急いだために、 あとで、自分をも救った。 剣が、急所をはずれたので、彼は走って城壁のうえから、敵 陣のなかへ身を投げた。敵が飛びすさって場所を明けたとこ ( ) ユダヤの女たちは、アンティオコスの残虐を避けて、 まず自分の子供たちに割礼をほどこしてから、もろともに身ろへ、彼はまっさかさまに落ちた。それでもまだ、いくらカ を投げて死んだ。私はこんな話も聞いた。或る身分の高い捕生命が残っているのを感じると、彼は勇気をふるいおこし、 虜がわが国の牢獄につながれていたとき、近親の者たちは彼血まみれになり傷だらけになったまま立ちあがると、敵をか きわけ、切り立った或る岩のところまでたどりついた。そこ の死刑の確実なことを知って、そのような死の恥辱を避けさ せるために、彼のもとに一人の司祭を使いにやってこう言わで、いよいよ力も尽きはてたので、彼は傷口から両手で自分 せた。「あなたが解放される最上の方法は、これこれの聖人の臓腑をつかみだし、これを引き裂き、細かくちぎりなが ら、追ってくる者どもに投げつけ、彼らのうえに神の復讐が に、これこれの願をかけることです。そして八日のあいだ、 自分ではどんなに衰弱を感じても、まったく食を断っことで加えられることを祈った。 良心に対してなされる暴力のうちで、最も避けられなけれ す。」彼はそれを信じて、はからすも、この方法で、自分を 生命と危険から解放することができた。スクリボニアは、甥ばならないのは、私の思うに、女の貞操に対してなされる暴力 いしゆみ

7. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

は、じっと動かない積荷の方が、それだけ邪魔にならないの (<) われわれの悪は、われわれの霊魂に根ざしている。と と同様である。病人を転地させることは、当人にとって益よ ころが、霊魂は霊魂自身から脱れ出ることができない。 りも害になる。病気を動かせば、病気を深くおしこむことに なる。ちょうど、尖った樶は、これを揺さぶり動かせば、ま 悪は霊魂のうちにある。霊魂は決して自己自身から脱れられ すます深く突きささり、抜けなくなるようなものである。し ホラテイウス『書簡 たがって、人々から遠く離れるだけでは十分でない。場所を 詩』一の一四の一五 変えるだけでは十分でない。われわれのうちにある卑俗な状 態から遠ざからなければならない。われわれ自身を隔離し、 それゆえ、霊魂をつれもどして、自己のうちに引きいれな 自己をとりもどさなければならない。 ければならない。それこそ真の孤独である。こういう孤独な らば、市街のまんなかや、宮廷のただなかでも、享受されう (g) 「私は鎖を断ち切った」とあなたは言う。なるほど、犬 る。けれども、ひとり離れていれば、われわれはそれをいっ は長い努力のすえ鎖を切ったけれども、首にその長い切れ端 そう都合よく享受することができる。 ベルシウス、 をひきすったまま、逃げていく。 五の一五八 ところで、われわれはひとりで生き、仲間なしで済まそう と企てるのであるから、われわれの満足をわれわれ自身に依 われわれも、われわれとともに、鉄鎖をひきすっている。こ 存させよう。われわれを他人に結びつけるすべてのつながり れでは、完全な自由ではない。われわれは、うしろに残して から、われわれを引き離そう。ほんとうにひとりで生きるこ きたものを、いまなお見返り、それで自分の心をいつばいに とができるように、そこでくつろいで生きることができるよ している。 うに、自分を説きふせよう。 スティルポンは、自分の都市の大火からのがれることがで 心が悪徳から清められていないならば、われわれはどれほど きたが、妻と子供と財産を失った。デメトリオス・ポリオル の闘争、どれほどの危険に、たえまなく立ち向かわなければ ケテスは、祖国のかくも大きな破減のなかで平気な顔をして 。い、にはげしい心配、いかに苦しい恐 ならないことだろう いる彼を見て、「君は何も損害をこうむらなかったのか ? ー れが、情欲にとらわれている人間を、引き裂くことであろ う。傲慢、淫蕩、忿怒は、いかに多くのわぎわいをわれわれとたずねた。すると彼は答えた。「うん、何も。おかげで、自 の身にひきおこすことであろう。奢侈とは、どうであろ分のものは何一つ失わなか「た。」 (o) 同じような意味で、 ) 哲学者アンティステネスは冗談にこう言 0 た。「人間は、難 ( ~ ソ五四四 のが

8. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

広大な海を見はらす場所ではない。 にも耐えるであろうが、許されるならば、後の道を選ぶであ ろう。賢者は、彼がなお他人の悪徳と争わなければならない どんよく 野心、貪欲、不決断、恐怖、邪欲は、住む国を変えても、わ かぎり、自分でも十分に悪徳から脱しえたとは思われない。 (=) カンダロスは、悪い仲間と交際していると認められたれわれから離れはしない。 者たちを、悪人として罰した。 暗い憂いは馬の尻に乗って騎士のあとを追う。 、、非社交的で同時に社交的なものは (o) およそ人間くらし ない。一方はその悪徳によるが、他方はその本性による。 アンチステネスは、悪人たちと交際しているのを咎められ たとき、「医者だって病人たちのあいだで暮らしている」と 言ったが、これでは十分な答えになっていないと思う。なぜ なら、医者は病人たちの健康に役立っているにしても、たえ ず病気を見たり病気に接触していると、感染によって自分自 身の健康を害するからである。 ( ) ところで、私の思うに、孤独の目的は、ただ一つ、も っとゆっくりくつろいで生きることである。けれども、人は かならずしもまさに孤独の道を求めるとはかぎらない。しば しば、厄介な仕事を免れたと思いながら、別の仕事を背負い こむにすぎない。一家を治めるには、一国を治めるのとほと んど変わらないくらいの苦労がある。霊魂は、何にかかずら うにしても、そっくりそこにとらわれる。家内の仕事は、そ 録れほど重要ではないけれども、やはり熕わしい。さらに、宮 想廷や市場から解き放たれたからといって、われわれは人生の 主な苦しみから解き放たれるわけではない。 心の憂さを吹きはらってくれるのは、理性と知恵であって、 」三の一の四〇ー〉 それらは、しばしば、修道院や、哲学の学校のなかにまで、 われわれを追ってくる。沙漠も、洞窟も、毛襦袢も、断食 も、われわれをそれらから引き離しはしない 命とりの矢は脇腹につきささったままである。 = ネイス」四の七 = ) 或る人がソクラテスに向かって「誰それは旅に出たが少しも よくなっていない」と言うと、ソクラテスは言った。「それ もそのはず、彼は自己をかかえたまま出ていったからだ。」 なぜ別の太陽が照らす国を求めに行くのか ? 祖国のそとに のが 出たからといって、誰が自分自身から脱れえよう ? ド」二の一六の一 ) もしわれわれが、ますはじめに、自分自身とその霊魂と を、のしかかっている重荷から解き放たないならば、もがけ ばもがくほど霊魂はおさえつけられるであろう。船のなかで

9. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

みのしろ、ん 払うこともできない法外な身代金を出せと要求され、あらゆ傷を受けているような感じは私の意識のなかになかった。事 訂る残酷な責苦を受けながら、自分の悲惨な思いを言いあらわ実、われわれのうちには、われわれの意志から発したのでな い運動がたくさんある。 すすべもない状態におかれているのもそれである。 (<) 詩人たちは、このようにいつまでも死にきれずに長び (g) 半ば死にながら、指は動いてふたたび武器をつかむ。 いている者たちを解放してくれる神々を想像した。 ヴェルギリウス「ア工 ネイス」一〇の三ブ六 私は命ぜられたとおり、この髪の毛を供物として地獄の神に ささげ、お前の身体からお前を解き放つ。 人は転んでも倒れるまえに思わず手をつき出す。これは、自 ネイ ~ 』四の七〇二 ) 然的な衝動によるもので、それによってわれわれの手足はた がいに助けあう。 (æ) 手足はわれわれの理性と離れて運動 われわれが彼らの耳もとで叫んだり、彼らを揺さぶ「たりしする。 て、無理に彼らから出させる短い途切れ途切れの声や答え、 あるいはわれわれの願いに何か承諾を与えているように見え る身動き、それは、彼らの生きている証拠ではない。少なく とも、完全な生命の証拠ではない。われわれもうつらうつら しながら、眠りにおちいる前に、われわれの周囲でおこなわ れていることを夢みるように感じたり、霊魂のふちまでしか ( ) 私の胃が凝固した血でいつばいになっていたので、私 とどかないぼんやりした聴覚で、人の声を聞くことがある。 また、人の言ったことばの端に返事をすることがあるが、その手はひとりでにそこへ動いていった。ちょうど、しばし ば、われわれの意志に反して、手がかゆいところへとどくよ れはむしろ偶然であって、意味をもたない。 うなものである。多くの動物は、人間でさえも、死んでか ところで、私が実際にそれを経験した今では、私はそれに ついてのこれまでの私の判断が正しかったことを少しも疑わら、筋肉をひきつらせたり動かしたりする。誰でも経験して ない。事実、まず第一に、私は気を失っていながら、自分の知っているように、身体の或る部分は、当人の許可なしに、 胴衣の胸をあけようとしてしきりに爪でかきむしっていたが動き出したり、起きたり、寝たりする。ところで、われわれ の表面にしか達しないこれらの感覚は、われわれのものとは ( なぜなら、私は鎧を着ていなかったからである ) 、自分では 大鎌をつけた戦車はあまりにも急速に人の手足を切断するの で、苦痛がまだ霊魂にまで到達しないのに、切り落とされた 手足は地上でのたうちまわるということである。 ス、三の六四二 )

10. 世界の大思想4 モンテーニュ 随想録<エセー><上>

加 1 随想 (æ) 私が妻に向かって、ときには冷たい顔をしたり、とき (<) われわれは断固たる決心をもって、侮辱に対する復讐 にはやさしい顔をするのを見て、そのどちらかを偽りだと思 をくわだて、ようやく本望を達してこのうえない満足を味わ う人があるならば、それは愚か者である。ネロは、その母をつた。にもかかわらす、われわれは泣く。われわれが泣くの 溺死させようとして送り出したとき、別れを告げながら、やは、本望を遂けたことについてではない。何も変わったもの はりこの母の別れのことばに心が動くのを感じ、恐怖と憐れはない。むしろ、われわれの霊魂が、ことがらを別の眼で見 みをこもごも味わった。 るからであり、別の側面から見るからである。なぜなら、お (<) 太陽の光は連続した一すじのものでなく、新しい光のおのの事物には、多くの面、多くの相があるからである。 ・ : たえずあとからあとから、きわめて稠密に発射されるた血のつながり、昔からの親しみや友情が、われわれの心をと めに、その切れめがわれわれには見えないのだという。 らえ、そのときの事情に応じて、一瞬、われわれの心を動か す。けれども、その回転はあまりに急激なので、われわれに はとらえられない。 輝く光の豊かな泉ともいうべき太陽は、たえす新生する光で 天をうるおし、つねに光線のうえに光線を投げかける。 精神が何かを企て何かをおこないはじめるときほど、すみや ス、五の一一八二 ) かになされるものはない。それゆえ、精神は、われわれの眼 にうつるいかなるものにもまして、すみやかに動く。 同様に、われわれの霊魂も、その矢を、さまざまな方向に、 三の一八三 ) 眠に見えないように、発射している。 ( ) アルタ・ハノスは、甥のクセルクセスの顔色が急変した («) そういうわけで、それらの移りゆきを一つにまとめよ のを見てとって、彼を叱った。そのとき、クセルクセスは、 うとすると、われわれは誤る。ティモレオンが、あれほど慎 ギリシアを征服するためにヘレスポントスを渡る味方の軍勢 重で高潔な熟慮によってようやくなしとげた兄の殺害を泣い の測りしれぬ偉大さを眺めていた「はじめは、これほどおお たとき、彼は祖国に自由を回復させたことについて泣いたの ぜいの人間が自分のために働いてくれるのを見て、喜びに体 でもなく、僭主の死を泣いたのでもない。肉親の兄のために がふるえ、睛れやかな浮き浮きした顔つきをしていた。とこ 泣いたのである。彼の義務の一つは果たされた。彼をしても ろが、突然、同じ瞬間に、これだけの生命も、あと百年もす う一つの義務を果たさせよう。 ればみな死ななければならないのだということに思いしナ て、眉をひそめ、悲しさのあまり涙を流したところだった。