122 (<) 十分な考察に値いすることであるが、リ = クルゴスのをつけなければならなかったからです。正義にしたがえば、 ラケダイ、ンすなわ ) は、実に驚くほど完全な国何びとも自分の所有するものに関して、無理じいされること あのすぐれた国 ( ちスパルタを指す であり、子供たちの教育を最も主要な任務としてあれほど意 があってはならないのです。」そして、キュロスの言うとこ を用いた国であり、しかもミュ 1 ズの女神たちのいます国で ろによると、まるでわれわれがわれわれの村で アオリスト あったにもかかわらす、この国では学説のことがあまり問題 の不定過去第一形の変化を忘れたときのように、鞭う にならなかった。あたかも、この国の高邁な若者たちは徳よ たれたそうである。私の先生ならば、自分の学校がキュロス くびき りほかのあらゆる軛を軽蔑したので、彼らには、わが国のよ の学校に劣らないことを私に納得させるまえに、「論証的な うな学問の教師ではなしに、ただ、勇気、思慮、正義の教師のしかたで」長々と私にお説教を聞かせることだろう。彼ら みを与えなければならなか「たかのごとく下ある。 (o) 。フ ( , ラケダイ *) は道を短くすることを望んだ。学問は、筋道たて ラトンが『国法』で範としたのは、それである。 ( ) 彼らの てこれを学んだとしても、結局、われわれに思慮、正直、決 訓育のしかたは、いろいろな人の判断やその行為について、 断を教えることしかできないのであるから、彼らは子供たち 子供たちに質問することであった。子供たちが或る人物もしを一挙に事実そのもののうちに置き、耳学問によってではな くは或る行為を非難したり称賛したりするときには、彼らは く、行動の試みによって、教訓やことばだけでなく、主とし その理由を述べなければならなかった。そういうしかたで、 て実例や実践によって、子供たちをきびしく教育し鍛錬しょ 彼らは判断力を鋭くするとともに、正義を学んだ。クセノフ うとした。というのも、それが子供たちの霊魂に一つの知識 オンのなかで、アスティアゲスはキ = ロスに向かって、最近として宿るのでなく、霊魂の素質となり習慣となるように、 教えられたことを話してごらんと言う。するとキ = ロスは言後天的なものでなく、先天的な持ちまえとなるようにしたい う。「われわれの学校で、或る大きな子が、小さい外套をも と思ったからである。このことについて、或る人がアゲシラ っていたので、それを友だちのなかでいちばん背の低い子に オスに、子供たちに何を学ばせるのがい 、と思うかとたずね やって、かわりにその子から大きすぎる外套を取りあげまし たところ、「彼らが大人になったときに為さなければならな た。私は先生からこの争いの裁きを命じられました。私は、 いことを」と答えた。このような教育があれほど驚嘆すべき 両方ともそれでエ合がよさそうだから、そのままにしておけ結果を生んだのも、不思議ではない。 。いいと判断しました。すると、私は先生から、まちがった 人々は、・ キリシアの諸都市に、修辞学者、画家、音楽家を やりかただとたしな・められました。というのも、私は外套が求めに行ったが、ラケダイモンには、立法者、司法官、将軍 よく合うことを考えただけでしたが、何よりもます正義に目を求めに行ったと言われている。アテナイでは、人々はよく
いることだし、あなたもほかの誰彼のように不運な目に遭わ学問からくるものという考えからぬけきれない。そういうば もったい ぬともかぎりません。けれども、気になさらずにおやすみな からしさが、おまじないに勿体をつける。結局、私の護符 しさとなれば、私 さい。私が友人として力を貸しましよう。、・ が、日射病よけよりもヴェニスのお守りになり、魔除けより にできる或る奇蹟を演じることも惜しみません。ただし、あも行動に利いたことはたしかである。私が自分の本性に反す なたの名誉にかけて固く秘密を守ることを約東してくたさ るこのようなおまじないをする気になったのは、ふとした好 。もし事がうまくいかなかったら、夜更けに召使が夜食を奇心のせいである。巧妙な見せかけの行為は私の憎むところ である。策略は、慰み半分はもとより人のためになることで とどけに来たとき、これこれの合図をしてください。」彼は も、自分の手でやるのは私は大嫌いである。その行為は悪く 心と耳にあまりに強い衝撃を受けたため、はたして自分の想 ないまでも、その道すじが悪い。 像からくる障害にとりつかれ、私に合図を送ってきた。そこ で私はこう言った。「われわれを追っ払うようなふりをして エジプト王アマシスは、みめうるわしいギリシア娘ラオデ 起きていらっしゃい。そして、ふざけて、私の着ている寝衣 イケをめとった。彼は、よそではどこでも女を喜ばす立派な を脱がせて ( 一一人はちょうど同じ背丈だった ) それをお召し男だったのに、この女だけは享楽することができなかったの なさい。そのままの姿で、私の指図のとおりおやりなさい。 で、これは何か魔術のせいだろうと考えて、彼女を殺すぞと われわれが部屋の外へ出ていったら、お手洗いに行きなさ おどかした。彼女の方では、これは王の心の迷いから起こっ 。そしてこれこれの呪文を三たび唱えながら、これこれの たことだろうと思って、王の心を信心に向一かわせた。そこ しぐさをなさってください。つまり、呪文を唱えるたびに、 で、王はヴェヌスに願をかけ誓いを立てたところ、捧げ物と 私がお渡ししたこのリポンを帯のように巻きつけ、それにつ 犠牲を供えたその夜から、たちまち霊験があらわれて、元気 しているメダルを注意ぶかく腰のうえに当てがい、メダルのを回復した。 図がこれれの位置にくるようにするのです。そうしたら、 ところで、女たちが眉をしかめ、しぶしぶすげない態度で リポンがほどけないように、またその位置がずれないようわれわれを迎えるのはよくない。それはわれわれに火をつけ 録に、リポンをしつかり締めたうえで、安心して、もう一度、 ておいて、水をぶつかけるようなものである。ビュタゴラス 想肝腎な仕事にとりかかりなさい。ただ、お忘れになってはい の嫁は言った。「女が男と寝るときには、スカ 1 トとともに 随けませんが、私の寝衣をベッドの上にかけて、お二人を覆い 羞恥心を脱がなければなりません。そして、スカ 1 トを着け 隠すようになさってください。」こんな猿芝居がおまじな・い ると同時に、ふたたび羞恥心を取り戻さなければなりませ の要点である。われわれは、かくも奇妙な方法は何か深遠な ん。」 ( ) 攻める者の心は、何べんもいろいろな不安にかき
思想は形の定まらないものであり、とうてい仕事の形をとるそれは往々にして愚かであることもある。自分のあるがまま について度を超えて得意になり、慎みを失った自惚れにおち ことができないものである。せいぜい私は、声という無形の いるのは、私の考えでは、愚かというこの悪徳の本質であ ものにそれを託することができるくらいである。最も賢明な 人、最も信心ぶかい人は、一切の人目に立つような行為を避る。この悪徳をいやす最上の薬は、自己について語ることを 禁じることによって結果的には自己について考えることまで けて生活した。行為は、私についてよりも、運命についてい も禁じる人たちが、命じているのとは、正反対のことをおこ っそう多く語るであろう。行為はそれ自身の役目を示すが、 なうことである。傲慢は思想のうちにある。舌はごくわずか 私自身の役目については、ただ臆測的に、不確実にしか、示 しかそれにあずかることができない。自己にかかわること さなし 、。いわば、部分を示す標本のようなものでしかない。 は、彼らの眼には、自己満足にひたることであるように見え 私は私をそっくりそのまま見せる。それは、一目で、血管 る。自己と交わり、自己と話しあうことは、あまりに自己を も、筋肉も、腱も、各部分がそれそれの場所において見わた 可愛がることであるように見える。そういうこともたしかに せるようにできている人体標本のようなものである。咳とい う行為は、私の一部を示し、蒼白い頑や心臓の鼓動という行ありうる。けれども、そのような行き過ぎは、自己に表面的 にしか触れない人たち、自分の仕事を先にして自己を省みる 為は、他の一部を示すが、疑わしいしかたにおいてである。 のをあとまわしにする人たち、自己と対話することを夢想と 私が書くのは、私の動作ではない。それは、私であり、私の か無為と呼び、自己を豊かにし自己を築くことを、イス。 ( ニ 本質である。私は、自己を評価するには慎重でなければなら アに城を築くようなものだと言う人たち、つまり、自己のこ ないし、自己について証言するには、良心的でなければなら ない、低くても高くても差別をつけてはならない、と信じてとを、自己自身と無関係な第一二者のことと見る人たちにおい いる。もし私が、自分にとって、善良な者、賢明な者、あるてのみ、生じるものである。 もし誰か自分より下を見て、自分の知識に陶酔する者があ いはそれに近い者と見えるならば、私はそれを大声で言い立 るならば、彼は眼をあげて過去の幾世紀を眺めるがいい。彼 てるであろう。自己について実際にあるより以下に言うこと はそこに、自分を足下に踏みつける幾千の精神を見いだし は、愚かであって、謙遜ではない。実際の値いより以下で満 足するのは、アリストテレスによれば、卑怯であり小心であて、謙虚になるだろう。もし彼が自分の勇気にうぬ、ほれて思 い上がるならば、彼は二人のスキ。ヒオの生活、多くの軍隊の る。いかなる徳も虚偽に助けられることはない。真理は決し て誤謬の材料にはならない。自己について実際にあるより以生活、多くの国民の生活を思いおこすがいい。彼は、彼らの はるか後方に残されている。いかに特殊な性質をもっている 上に言うことは、つねに思い上がりだとはきまっていない。
(=) したがって、ディオンはカリ。フスが自分を殺す機会をておられませ。どんな約東をもちかけられても、そこにどん Ⅱうかがっていることを知らされたが、「自分の敵ばかりでな な利益があっても、強い者の手中に御身を委ねられてはなり アンリ・ド・ ギ く、自分の友人たちまで警戒しなければならないような惨めませぬ。」 (o) 私の知 0 ているいま一人の君主 ( ュイーズを指す なありさまで生きるよりは、死んだ方がましだ」と言って、 ものと思 ) は、ま 0 たく反対の勧告に従 0 たため、思いがけずご ~ あえてそのことを詮索しようとしなかった。このことを、ア運が開けることになった。大胆さは誰でもその光栄にあやか レクサンドロス大王は、行為によって、いっそう激しく、い りたいと思うものであるが、これは、必要があれば、平服の っそう大胆に示した。パルメニオンからの手紙によって、自 ときでも、武装のときでも、家のなかでも戦場でも、腕を下 分の最も寵愛する医者フィリッポスが、ダレイオスに買収さげているときにも腕を上げているときにも、同じく立派にあ、 れて自分を毒殺しようとしていることを知ったとき、アレク らわれるものである。 (=) あまりに細かく行きとどいた慎】 サンドロスは、この手紙を読めと言ってフィリッポスに手渡重さは、勇敢な行為の大敵である。 ( ) スキビオはシュフ アックスを味方に引きいれるために、自分の軍隊から離れ、 しながら、フィリッポスの差しだす薬を飲みほした。これ は、自分の友人が自分を殺したいのならば、自分はいつでも新たに征服したばかりでまだ安心のできないイスパニアをあ ) すすんで殺されようという決意を示したものではなかろう とにして、ただ二そうの船でアフリカに渡り、この敵地にお , か。大王は大胆な行為の最高の模範である。けれども、私 いて、野蛮人の王の権力のもとに、その信義もたしかめず、 は、彼の生涯のうちで、これほど決然たる気迫にあふれ、ど約束もなく人質もなく、ただ自分自身の偉大な勇気と、自分・ こからみても美しく立派な行為が、ほかにあるかどうか知らの幸運と、遠大な目的にかけた期待だけを頼りにして、身を 委ねた。 ^ こちらが示す信頼は、多くのばあい、相手の信頼 . ティッス・リヴィ 君主に向か 0 てあまりに注意ぶかい用心を勧める者は、君を呼ぶ。》 ( ウス、一三の一三 主の安全を説くふりをして、実は君主の破減と恥辱を説く者 (=) 大望をいだき名誉を求める人は、反対に、あまり疑心 である。危険をおかさずには、気高いことは何一つ為されな にとらわれないように、疑心に対して手綱をひきしめなけれ あなど ばならない。恐れと疑いは、侮りを招きよせる。われわれの い。私の知「ている或る君主 ( ア〉リ・ド・ナヴ一ル、後のア ) よ、 ンリ四世を指すものと思われる ルイ十一 ) よ、ことさら自 (o) 天性きわめて雄々しく果敢な人であるが、 (=) 周囲の国王のなかで最も疑い深かった国王 ( 世を指す 者が、毎日、こんな説得をするので、折角のご運を台なしにし分の生命と自由を敵の手に委ね、彼らに対する全幅の信頼を ている。「ご自分の家来たちにとりまかれておられませ。旧敵示すことによって、彼らにも自分を信頼させ、立派に難局を、 とのどんな和解にもお耳をかしてはなりませぬ。ひとり離れ立てなおした。カエサルは、配下の軍団が自分に向かって区
人間の心は、ユピルが地上を照らす豊かな光線とともに変私はこういう話を聞いた。当時、私がいたところのすぐ近く わる。 で、或る娘が、自分の家に泊っていた無頼な兵士の暴行をの ィア』一八の一三五 ) がれるために、高い窓から身を投げた。彼女は墜落しても死 (o) われわれはさまざまな意見のあいだにただよう。われななかったので、はじめの企てをつらぬくために、喉に短刀 われは、何ものをも、自由に、絶対的に、恒常的に欲するこを突き立てようとしたが、皆にさまたげられた。しかしその とをしない。 ときにはすでにかなりの傷を負っていた。彼女自身が告白し (<) もしかりに、頭のなかに確固たる法則と方針を設定し たところによると、この兵士はただ懇願と贈りものによって ている人があるならば、われわれは、この人の生活のいたる 口説いただけであったが、彼女としては、しまいに手ごめに ところに、気分の不変と、諸行為のあいだに存する揺るぎな されるのがこわかった。これだけで見ると、彼女は、ことば さながら と 、、、貞節を証拠立てる血といし き秩序と関係が、光りかがやくのを見ることであろう。 , し度とし ルクレティアの再来ともいうべき女である。ところが、あと ( o ) エンペドクレスは、アグリゲンツムの市民たちが、明 日にも死ななければならないかのように逸楽にふけると同時で知ったのだが、実際には、彼女はあとにもさきにも、決し に、永久に死ぬことがないかのように建物を建てているこの てそれほど近づきがたい女ではなかった。物語にも、言って いる。「あなたがいかに美男子で親切であっそも、思いを遂 矛盾を、市民たちに指摘した。 (<) このような人 ()J 〕て可人については、容易にげられないこともある。そういうとき、だからとい「てすぐ に、相手の娘を、操のかたい女だと早合点してはならない。 判断をくだすことができる。このことは小カトーのばあいに 見られる。一つの鍵盤に触れれば、すべての鍵盤に触れたこそれは、驢馬曳きでも、うまくいくことがないとは言えな ということだ。」 とになる。それは、どの音もきわめてよく協和する一つのハ アンテイゴノスは、部下の兵士の一人を、その武勇のゆえ ーモニーであり、調子の狂うことはありえない。反対に、わ に目をかけてやっていたが、この男が長いあいだ内臓の病気 れわれのばあいには、行為があればあるだけ、それだけ別々 に苦しんでいるのを知って、侍医にその手当てを命じた。病 の判断が必要になる。だから、最も確実な判断は、私の考え では、それらの行為を前後の事情に結びつけることであっ気が治ってみると、この男が戦争に行きたがらなくなったこ て、それ以上に探索したり、それ以外の結論を引きだしたり とに気づいて、どうしてそんなに臆病になったのかとたずね・ しないことである。 た。すると、この男はこう答えた。「王さま、あなたが私っ 病気を治してくださったからです。病気があったからこそ、 わが国がみじめな混乱状態にあったときのことであるが、
船のときに自分といっしょに泳いで逃げられるような、水に反省することのできる霊魂をもっている。われわれの霊魂は 自己を友とすることができる。霊魂は、攻めるものも守るも 浮く糧食を用意しておくべきだ。」 のも、受けるものも与えるものも、持っている。だから、こ (<) たしかに、分別のある人は、自分自身をさえもってい れば、何も失ったことにならない。 ノラ市が蛮族に破壊されの孤独のなかで、退屈と無為のあまり、自分が腐ってしまう のではないかなどと心配するのはやめよう。 たとき、そこの司教であったパウリヌスは、すべてを失った うえに、彼らの捕虜になったが、神にこう祈った。「主よ、 この損失を私が感じないようにしてください。というのも、 (g) 孤独のなかで、お前がお前自身に対して群衆であれ。 ティ・フルス、四 ご存知のように彼らはまだ、私のものには何一つ手をつけな かったからです。」彼を豊かならしめた富、彼を善きものた らしめた善は、依然としてそのまま完全であった。それこそ ( ) アンティステネスは言っている。「徳は自分だけで満 は、決して損われることのない宝を選ぶことであり、誰も行足する。訓練も、ことばも、行為も要らない。」 く人のいない場所、自分にしか知られない場所に、宝を隠す (<) われわれの見慣れている行為のうちで、われわれにか ことである。われわれは、できれば、妻を、子供を、財産 ごらんのように、或 かわりのあるものは、千に一つもない。 を、わけても健康を、もたなければならない。けれども、わる者は、猛り狂い、我を忘れ、雨と降る銃火をおかして、崩 れわれの幸福がそれによって左右されるほどに、そこに縛られた城壁をよじのぼろうとしている。或る者は、傷だらけに みせうら れてはならない。まったく自分だけの、まったく自由な店裏なり、飢えのために骨と皮になりながら、城門を開くよりは の部屋を一つ取っておいて、そこにわれわれは、われわれの死んだ方がましだとばかり抵抗している。はたして、彼らは 真の自由、本来の隠遁と孤独を、うちたてることができるよ 自分たちのためにそうしているのだろうか ? おそらく、彼 うにしなければならない。 この部屋で、つねにわれわれ自身らが一度もおめにかかったことのない人、彼らのことなど少 と「りあ一い いかなる交際もいかなる外からの交渉もはいり しも気にかけず、そのあいだにも無為と享楽にふけっている はなみず めやに 録 こまないほどに内密な話をしなければならない。妻もなく、 人のためである。また、或る者は洟水をたらし、目脂をた 想子供もなく、財産もなく、お供もなく、召使もないかのようめ、垢だらけになって、夜半すぎに書斎から出てくるが、は に、話したり、笑ったりしなければならない。それは、万一たして彼は、たくさんの書物のあいだに、「いかにすれば、 それらのものを失うことがあっても、それらなしで済ますこ いっそう善い人間し 、っそう満足を知る賢明な人間になるこ とに不慣れを感じないためである。われわれは自己のうちをとができるか」を、求めているのだろうか ? 何のことはな
この調子を挫くような馬鹿だったならば、ほとんどすべてのども、彼らが自己の義務として彼ら自身に要求するよりもず 貴族がそうであるように、私も学校から書物に対する嫌悪をつと厳しく、私の義務でもないものを要求するのは不公平で しか持ち帰らなかったことだろうと思います。先生はその点す。私をそういうふうに非難することによって、彼らは、私 でたくみにふるまいました。彼は何も見ないような振りをし の好意的な行為を無視し、私に対して当然払われるべき感謝 ながら、私が隠れて読むかぎり、それらの書物を貪り読むこを取り消しているのです。私が他にほどこした善行は、私が とを許し、同時に規定の他の学課の勉強にも身を入れるよう いままでに他の誰からも善行をほどこされたことがないこと にやさしく仕向けることによって、私の意欲をかき立ててくを思いあわせるならば、もっと重みがあっていいはずです。 れるのでした。事実、父が私のことを託した人々のうちに求私の財産は私のものですから、それだけ私はいっそう自由に めた主要なものは、性質の善良さとすなおさでした。私の性私の財産を処理することができます。それにしても、もし私 質も、不精と怠惰のほかには、」 牙に悪いところがありませんが自分の行為を飾る人間であったならば、おそらく私は、そ でした。危ぶまれたのは、私が悪をなすかもしれないというれらの非難をはねかえしてやることでしよう。そして、誰か ことではなくて、私が何もしないのではないかということで に対して、私は教えてやるでしよう。彼らは、私が十分に施 した。私が悪人になると予言した者は誰もありませんが、役しをしないといって怒っているのではなく、私がいまよりも もっと多く施すことができるはずだといって怒っているので に立たない人間になりそうだと言う人はありました。人々が 私のうちに予見したのは、無為であって、邪心ではなかったす。 のです。 (<) それにしても、私の霊魂は、同時に、自分ひとりでし (o) 私はまさにそのとおりになったと思います。現に私の つかりした動きをなすこと、 (o) 自分の認識する対象に関 耳に聞こえてくる苦情は、こんなことです。「怠け者だ。友して確かで自由な判断をくだすこと (<) を、やめません 人や身うちに対する義務にも、おおやけの義務にも、冷淡でした。そして、誰との交際もなしに、ひとりで消化しまし だ。あまりにも自分本位だ。」最もロの悪い人でも、「な。せ彼た。そして何よりも、私の霊魂がカや暴力に屈することはま は取ったのか ? なぜ彼は支払わないのか ? ーとは言いませ ったく不可能であったことを、私は確信しています。 ん。むしろこう言います。「なぜ彼は免除してやらないの (=) 私の少年時代のもう一つの能力もそれに加えておきま か ? なぜ彼は与えてやらないのか ? 」 しようか ? それは、落ちついた顔をして、しなやかな声と 人々が私のうちにそういう義務以上の行為をしか望まない 身ぶりで、自分の演じる役に自分を適合させていく能力で ならば、私はそのことを好意として受けとるでしよう。けれす。というのも、年に似あわず、
355 随想録 げ、悪徳の種子そのものをも絶減させるように徳に向かって 或るイタリアの貴族は、かって私の前で、自分の国民をけ 修養しておくことは、悪徳の進行を一生懸命に妨けようとし なしてこんな話をした。「イタリア人の機敏なこと、彼らの たり、情念の最初の打撃をくらってから、その進撃を阻みこ頭の敏捷なことはたいしたもので、彼らは自分たちの身に起 れに打ち勝とうとして武装したり抵抗したりするよりも、は こりそうな危険な出来事を遠くから予見する。だから、戦争 るかに立派である。また、この第一一の態度も、たんに生まれで、まだ危険を認めたわけではないのに、しばしば彼らが身・ つき温厚順良なたちで、もともと放埒や悪徳を嫌う性質を授の安全に備えるのを見ても、驚くには及ばない。 フランス人 かっているばあいよりも、はるかに立派である。このことにやイスパニア人は、それほどすばしこくないから、先へ先へ ついては、、 しささかも疑いの余地がないと思う。な、せなら、 と出て行く。危険を限で見、手で触れてみるまでは、これを この第一二の、最後の道は、人を無邪気にさせるが、人を有徳こわがらない。そして、いざそのときになって、あわてふた にはさせないし、悪をなすことからまぬがれさせるが、善をめく。けれども、ドイツ人やスイス人は、もっと粗野で鈍重 ) なすに十分な能力を与えはしないように思われるからであだから、したたか打ちのめされるまでは、なかなか思いとど る。そればかりでなく、こういう状態は、不完全や無力に近まらない。」これはおそらく冗談でしかなかったであろう。 いもので、私はいかにその境界を定めて両者を区別すべきかそれにしても、戦争という職業では、新参者はしばしば危険 を知らないくらいである。そういうわけで、善人とか無邪気に身を投じるが、一度ひどい目に遭うと、とてもそんな無分 別はできなくなる、というのもなるほどもっともである。 な人という呼びかたは、し 、くぶん軽蔑をふくんだ呼びかたに なる。私は、純潔、謹厳、節制などというような多くの徳 が、むしろ身体的欠陥から由来することがあるのを知ってい (æ) 最初の戦闘では、未知の栄光に対する欲求と、初陣の る。危険を知らない勇気 ( そんなものまで勇気と呼ばなけれ 功名に対する希望が、どんなことをやってのけるか知らない 亠は . な、 0 ばならないとすれば ) 、死の蔑視、不運に対する我慢は、そ ネイス」一一の一五四 ) のような出来事を十分に判断することも、ありのままに考え ることもできない人々のばあいにも生じうるし、しばしば見 (<) そういうわけで、われわれが或る一つの行為を判断す うけられるものである。無理解と愚昧は、このように、とき るときには、いろいろな事情とともに、この行為を生みだし として徳行の真似をする。たとえば、私は、人が咎められて た人間全体を考慮にいれたうえで、この行為に名を与えなけ しいはすのことがらについて、かえって褒められるのを、しればならない。 ばしば見たことがある。 私自身のことにひとこと触れておこう。 ( ) 私は、とき
350 これは歴史というよりも、むし 行為の原因を、何らかの悪い動機もしくは何らかの利欲に帰て、とうてい否定しえない。 している。彼が判断しているあの無数の行為のなかに、理性ろ皇帝カルル五世に対してフランソワ王を弁護した書物であ る。私はお二人が事実の大筋に何らかの変更を加えたとは思 の道にしたがって生じたものが一つもないなどということ いたくない。けれども、出来事の判断を、理性に反してまで は、考えられないことである。いかなる堕落も、その感染か 、ように歪曲したり、自分たちの主君の らまぬがれた者が一人もないというほど、あまねく人々をとわれわれに都合がいし らえることはありえない。そう思うと、彼の好みにはいくぶ生涯における徴妙な点はすべて省略したりするのは、彼らの いつものやりかたである。その証拠に、モンモランシー殿や ん悪徳があったのではないか、おそらく、彼は自分自身にし ブリオン殿の失脚のことは、ここでは忘れられている。それ たがって他人を判定したのではあるまいかと、私は心配にな ばかりでなく、マダム・デスタンプの名前さえ、ここには出 にはこう書てこない。秘密の行為は隠すのもよかろう。けれども、天下 わがフィリツ。フ・ド・コミーヌ スの年代記作者、 ) 周知のことがら、世間にひろがりあれほど重大な結果をひき きこんである。「ここには、おだやかな、こころよい、素朴 で単純な一 = 〕語がある。純粋な叙述には、著者の誠実さがは 0 おこしたことがらを、だま 0 ているということは、許されが きり輝いており、自己を語るのに虚栄がなく、他人を語るのたい過ちである。要するに、フランソワ王とその時代の出米 に偏執や羨望がない。その議論と勧告には、他の立派な才能事について完全な知識を得たいと思う人は、私の言うことを 信用してもらえるならば、他の歴史家のもとに行くがいし にもまして善意と真実がともなっている。また、いたるとこ ろに、大事件によって養われたその家柄のいい人間を示す威このお二人の歴史から得られるものは、この二人の貴族が参 加した戦闘あるいは戦功に関する詳細な記述である。また、 厳と重々しさがあらわれている。 ) の『回想録』には、こう書き当時の君主たちの個人的な言行である。ランジ = 殿がおこな った交渉や折衝である。そこには、知るに値いすることがら こんである。「ことがらをいかに処理すべきかを経験したこ とのある人たちによって書かれたものを読むのは、つねに楽や、凡俗でない談話が充満している。」 しい。けれども、このお二人のうちには、聖ルイ王の家来だ ったジョアンヴィル殿、シャルルマーニュ大帝の大法官エジ 第十一章残酷について ナールなど昔の歴史家のうち、もっと記憶に新たなところで はフィリップ ・ド・コミーヌなどのうちに輝いているあの率 (d) 徳は、われわれのうちに生まれる善への傾向とは別の 直で自由な筆法が、大いに欠けていることは明らかであっ
279 随想録 (<) われわれの行為は、いろいろな断片の寄せ集めでしか理することは不可能である。何を描くべきか自分でもわから よい。《彼らは快楽を軽蔑するが、苦痛こよ弓、。 冫し弓し栄誉を蔑ない人にとっては、絵具がいくらあっても、それが何の役に 。キケ。「義務につ ) (d) 立とう ? われわれは一人として、自己の人生に一定の計画 視するが、不名誉には意気沮喪する〉 ( い われわれは、いつわりの旗印をかかげて名誉を得ようとすを立てていない。われわれは人生の部分部分をしか思案しな い。射手はます何を狙うべきかを知らなければならない。そ る。徳はそれ自身のためにしか追求されることを欲しない われわれがときに他の目的のために徳の仮面を借りると、徳のうえで、手、弓、弦、矢、動作を、そこに適合させなけれ はただちにこの仮面をわれわれの顔から剥ぎとる。徳は色あばならない。われわれの企ては、方向も目標ももたないの ざやかな強い染料であるから、霊魂がひとたびそれに浸さで、わき道へそれる。いかなる風も、めざす港をもたない者 にとっては、無益である。ソフォクレスがその息子から家事 れると、この色は、霊魂の一部を持ち去らないでは、抜けな 、。そういうわけで、一人の人間を判断するには、長く丹念を処理する能力がないとして非難されたとき、これに対し にその跡を追わなければならない。もし、そこに恒常性がそて、或る人が彼の悲劇の一つを見ただけで、その能力がある と断定したことに、私は賛成することができない。 れ自身にもとづいて存在しているのでないならば、 ( ) 熟 ( ) また、 ミレトスの国政を改革するために派遣された・ハ 慮ののちに生きるべき道を選んだ》 (å ) ~ → ) のでないなら ば、 (<) もし、さまざまな事情の変化が、彼の歩みを ( 私ロス島の人々の推測も、私の思うに、彼らの引き出した結論 は、その道をと言いたい。なぜなら、歩みは早くなったり遅を理由づけるのに十分でない。彼らは島へ行って、よく耕さ くなったりすることがありうるからである ) 変えるならば、 れた土地、よく管理された農家を見つけて、その主人たちの 彼をそのままにさせておくがいい。彼は、わがタル、ポット 名を記録しておいて、ミレトス市で市民たちの集会を開いた ジョン・トールポット。ォルレア とき、これらの主人たちを新しい行政官や司法官に任命し ) の格言にあるように、風のまに ンを攻囲したイギリス軍の大将 まに行くことになろう。 た。というのも、よく家を治める者は、よく国を治めるだろ うと判断したからである。 古人の言うように、偶然がわれわれのうえにかくも大きな 力をもつのは、不思議ではない。というのも、われわれは偶 (<) われわれはすべてばらばらの断片からできている。わ 然によって生きているのだからである。自己を生活を全体とれわれの構造はまとまりがなく雑多であるから、おのおのの して或る一定の目的に向かわせなかった人にとっては、個々断片は、瞬間ごとに、思い思いのことをする。だから、われ の諸行為を秩序づけることは不可能である。自分の頭のなかわれとわれわれ自身とのあいだには、われわれと他人とのあ いだにおけると同じくらいの差異がある。 ( o ) 《つねに同一 に全体の形ができていない人にとっては、個々の諸部分を整