状態 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>
184件見つかりました。

1. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

かる罪なき行為もいっそう完全に申し分なくおこなわれたで事情はたえず流転し変化する。私は自分の一生のうちでいく あろうと判断するからであり、われわれも同じようにおこな たびか重大な失敗にぶつかったが、それは私がよい考えを欠 いたいと思うであろうからである。私がいま老年になって私 いたからではなく、幸運を欠いたからである。われわれの取 の若いときのふるまいを反省してみるとき、私は、自分がおり扱う事物には、、 しろいろ秘密の、予見されえない部分があ およそ自分なりに秩序をもって身を処したと思う。それは私 る。ことに、人間の本性のうちには、暗黙の、表面に現われ の抵抗がなしうるすべてである。自慢するわけではないが、 ない状態、ときにはその本人にさえも知られない状態があっ 同じような事情にあうならば、私はいつでもそうするであろて、これが突然の機会に出現し、めざめる。私の知恵がそれ う。私を染めているのは、しみではなくて、むしろ全般的なを洞察し予見することができなかったときにも、私はそのこ 染色である。私は表面的な、いい加減な、儀礼的な後悔を知とに関して私の知恵を不満に思うことはない。知恵の役目は らない。真の後悔は、私がそれを後悔と呼ぶまえに、あらゆその限界のなかにとどまっている。出来事が私を打ち負かし る面で私を責めるものでなければならない。それは、神が私たのである。 (=) もし出来事が、私の拒否した決心の方に を見るのと同じように深く全面的に、私の内臓をかきむしり 幸いするならば、救いようがない。私は私自身を非難しな 苦しめるものでなければならない。 い。私は、私の運を責めるが、私のしわざを責めはしない。 これは後悔と呼ばれるものではない。 仕事に関しては、私はやりかたがうまくないので、多くの 幸運を取り逃がした。それにしても、私の思慮は、そのとき フォキオンはアテナイ人たちに或る勧告を与えたが、この そのときの事情に応じて、適切な選びかたをした。私の思慮勧告は聞きいれられなかった。それにもかかわらず、事態 の特徴は、いつでも、最も容易で確実な方を選ぶということ は、彼の意見に反して、かえって繁栄に向かった。或る人が である。私は、私の過去の思案においては、われながら、自彼に言った。「どうだ、フォキオン、君は事態がこんなにう 分の規則にしたがって、そのときそのときの事態に賢明に対まく運んで満足しているか ? フォキオンは答えた。「こう 処してきたつもりである。いまから千年たった後にも、私なったことについては、私も満足している。けれども、私 は、ああいう勧告をしたことについて後悔してはいない。」 は、同じような機会には同じようにするであろう。私は事態 がいまどうであるかを言っているのでなく、私がそれにつし 私は、友人たちから意見を求められると、自由に、はっきり て考慮をめぐらしていたときに事態がどうであったかを言っ 言ってやる。私は、世間の人々が誰でもするように、「事態 ているのである。 はあぶないものであるから、私の考えとは反対になるかも知 @) あらゆる思慮の力は、時を得るか否かにある。機会やれない。そうなると、人々は私が意見を述べたことについて

2. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

仕している。 (-a) われわれは、良心のためよりも、栄光のれらの別の能力とを、組みあわせることができない。そうい ために、輝かしい機会を備える。 (o) 栄光に達する最も近うわけで、われわれは悪魔に対して野蛮な形態を与える。ま い道は、われわれが栄光のために為すことを、良心のために た、タメルランに対しては、彼の名についての評判から受け 為すところにあるといえよう。 (=) また、アレクサンドロ る想像上の姿にしたがって、釣りあがった眉、大きく開いた スがそ・の舞台のうえで演じる勇気は、ソクラテスが人目につ鼻孔、恐ろしい顔つき、並みはずれた身の丈を与えない者が かない低俗な行為において示す勇気にくらべて、力強さの点あろうか ? 誰かがかって私を = ラスムスに会わせていたな でとうてい及ばないように思われる。ソクラテスをアレクサらば、私は、彼が召使や宿の女主人に向か 0 て言「たこと ンドロスの地位において考えることは、容易にできるが、アを、すべて金言や格言と思わないではいられなか「たにちが レクサンドロスをソクラテスの地位において考えることは、 いない。一人の職人がその便器やその女房のうえにまたがっ 私にはできない。前者に向か「て「あなたは何をなしうるているところを想像するのはわれわれにと「て容易である か ? 」と問うならば、彼は「世界を征服すること」と答える が、その態度や能力によって尊敬される大統領がそうしてい であろう。後者に向かって、同じことを間うならば、彼は るところを想像するのは容易でない。そういう人が、高い玉 「人間的生活をその自然的条件にしたが「ていとなむこと」座から、生活の場にまで降りてくるなどとは、われわれには と答えるであろう。この方が、はるかに一般的で、 いっそう考えられない。 重要で、いっそう合法的な知識である。霊魂の価値は、高く 悪徳的な霊魂が、何か外部からの衝撃によってしばしば善 行くことではなくて、秩序正しく行くところに存する。 いおこないをすることがあるように、有徳な霊魂も、悪いお (o) 霊魂の偉大さは、偉大さのうちにおいてではなく、平こないをすることがある。それゆえ、有徳な霊魂を判断する 凡さのうちにあらわれる。われわれを内面において判断し試には、この霊魂の落ちついた状態によって、この霊魂がとき みる人たちは、われわれの公的行為の輝きをあまり大きく考どき自宅にいることがあるならば、自宅でくつろいでいると えず、むしろそれを、重い泥土の溜っている底からほとばし きに、判断しなければならない。あるいは少なくとも、この り出た幾すじかの細い噴水でしかないと見ている。同様のば霊魂が休息して、その自然的な状態に近づいているときに、 あいに、われわれをこの勇ましい外観によって判断する人た 判断しなければならない。自然的な傾向は、教育によって助 ちは、われわれの内的状態についても、同じように勇ましい けられたり強められたりすることはあるが、変えられたり、 ものと結論する。彼らは、自分たちのものと同じ通俗的な能 抑えられたりすることはほとんどない。今日でも、何千とい 力と、自分たちには及びもっかないほどに驚嘆させられるそう 本性が、抑圧的な訓練にもかかわらず、徳へ向かって、あ

3. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

4 覊第想銀 われわれの国家は病気にかかっている。それにしても、もっその領土内に限られた一つの君主国たけでなく、種々異な る、遠い地方の、あまり好意的でない、統治もゆきとどかな とひどい病気にかかりながら、死なすにすんだ国家もあっ 、、不正なしかたで征服された多数の国々をも、維持したの た。神々はわれわれを手玉にとって遊んでいる。神々はみん である。 なでわれわれをおもちゃにしている。 いかなる国民にせよ、海と陸との主人たるこのローマ国民に 神々は人間を毬のようにもてあそぶ。 。 , ラウッス ( 捕 ) 対して、敵意をいだくことは、運侖がこれを許さない。 ルカヌス 天の星は、ローマという国家に、この種のことがらにおい て星がなしうることの見本ともいうべき運命を与えた。ロー 揺れるものがすべて倒れるわけではない。かくも大きな身体 マは、自己のうちに、一国の運命にかかわるあらゆる形態と の組織は、一本の釘より以上のもので支えられている。それ 出来事をふくんでいる。秩序と混乱が、幸運と不運が、一国は、その古さによっても、支えられている。あたかも、古い においてなしうるすべてをふくんでいる。この国がいかなる建物が、年月のために土台もなくなり、上塗りやセメントが 動揺と動乱に動かされ、いかにそれに耐えてきたかを見るな 剥げ落ちても、それ自体の重さにおいて立派に自己を支えて らば、自分の現状に絶望しなければならない国があるだろう いるようなものである。 か ? もし領土の広さが国家の健康であるならば ( 私は決し てこの意見に賛成しない。 ( ) 私にはイソクラテスの意見の それはもはやしつかりした根によって支えられているのでは ない。それ自身の重さが、それを土に固着させているのであ 方が気に入っている。彼はニコクレスに、広い領土をもっ君 ルカヌス、 る。 主を羨まずに、継承した領土をよく保つことのできる君主を 羨むべきだと教えた ) 、 (=) この国は、最も重い病気にかか さらに、ただ側壁や壕だけを偵察するのはよいやりかたで っていたときくらい、健康だったことはない、ということに はない。城塞の堅固さを判断するには、どこからこれに近づ なる。最も悪い状態にあったときに、最も幸福だったという くことができるか、攻める側がどんな状態におかれるかを、 ことになる。最初の皇帝たちの統治下では、ほとんどいかな る政府の影さえも認められなかった。それは、想像されうる見なければならない。船だって、外からの暴力を受けずに、 かぎりの最も恐ろしい陰鬱な混乱である。それにもかかわらそれ自身だけの重みで沈むものはめったにない。ところで、 いたるところに限を向けてみると、すべてのものがわれわれ ず、この国はそれに耐え、そのなかで存続した。この国は、

4. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

れに対して備えができている。 もらおうと望んでいるのである。われわれは、何も、奇蹟や ネイス」六の一〇三 ) 不思議をあさりに行く必要はない。私には、われわれが通常 (<) それにしても、私は、見習いとしてはかなりひどい試見なれている事物のあいだに、奇蹟のあらゆる困難を凌駕す るほどに不可解な驚異が存在するように思われる。たとえ 練を受けた。しかも、かなり急激な変化によってである。と ば、われわれが生じてくるもとをなすあの一滴の精液が、そ いうのも、私はきわめて快い幸福な生活状態から、およそ想 像されうるかぎりの最も苦痛な生活状態へと、一挙に突きおれ自身のうちに、われわれの父親の、ただたんに身体的な形 ばかりでなく、思想や性向の刻印をまでも帯びているという とされたからである。事実、この病気はそれ自身としてはな ことは、何という驚異であろうか ? この一滴の液体が、ど はだ恐ろしい病気であるが、そればかりでなく、私のばあい この無数の形を宿しているのであろうか ? には、普通に見られるよりもはるかに激しくきびしいしかた また、いかにして、精液は、それらの相似を運び伝えるの で、この病気が始まった。発作があまりにしばしば私を襲う か ? その経過は、曾孫が曾祖父に、甥が叔父に似るという ので、私はもはや完全な健康をほとんど感じるときがないほ どである。それにしても、いままでのところ、私は私の精神ぐあいに、向こう見ずであり、不規則である。ローマのレ。ヒ ヅス家には、引きつづいてではなく間隔をおいて、片方の限 を安定した状態に保っているので、私がこの状態をそのまま バイで が軟骨でおおわれた子供が、三人も生まれた。テー 続けていくことができさえすれば、私はほかの多くの人々よ は、母の胎内を出るときから、槍の穂先の形をもっている一 りもかなり良い生活状態にある。というのも、ほかの人々 は、分別を欠いているので、自分で自分に与える熱や苦痛だ族があった。そして、それをもっていない者は、不義の子と 見なされた。アリストテレスの言うところによると、或る国 けに悩まされているありさまだからである。 では、女たちが共有であって、子供は相似によってそれそれ 世には、自惚れから生じる或る種の巧妙な謙遜がある。た とえば、われわれは、多くの事物に関するわれわれの無知をの父親に当てがわれた。 ( ) 私がこの結石の体質を私の父に負うていることは疑い 認めており、自然の作品のうちにはわれわれにとって知覚さ ない。なぜなら、父は、膀胱のなかに出来た大きな結石のた れえない幾多の性質や状態があり、われわれの能力ではその 手段をも原因をも発見することができないということを、か めに、非常に苦しんで死んだからである。父は六十七歳とい くもへりくだって認めているが、この謙遶がくせものであう年齢に達してはじめてこの病気に気づいた。それ以前に る。この正直で良心的な告白によって、われわれは、われわは、父は、腰にも、脇腹にも、その他のどこにも、それらし い前兆あるいは感覚をもったことがなかった。父はそのとき れが理解すると言う他の事物についても、同じように信して

5. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

うちに後悔と悔恨の念を生じさせるのに役立ち、神の鞭をの乱れにも左右されるならば、もしわれわれの判断が狂気や も、国家的な懲らしめの鞭をも、われわれの罰として感じさ無謀さから事物の印象を受けとらなければならないならば、 われわれはいかなる確かさをわれわれの判断から期待するこ せるのに役立つ。同情は寛大な心を刺激するのに役立つ。 (=) 自己を保ち、自己を支配する思慮は、われわれの恐怖とができようか ? によってよびさまされる。また、いかに立派な行為が、野心 (o) 「人間は、自己を忘れて狂気になり無分別になるとき に、最も偉大な、最も神に近いわざを生みだす」と哲学が考 によって、自惚れによって、よびさまされることであろう ? (<) いかにすぐれた健全な徳も、結局、何らか度はすれたえるのは、あまりにも大胆ではないだろうか ? われわれ は、われわれの理性の欠如とその昏睡によって向上する。神 このことが、エビクロス派の人々 昻奮なしには存在しない。 を動かして、われわれのことがらに対する心づかいや配慮を神の密室に入り、そこに運命の流れを予見するための、二つ の自然的な道は、狂気と睡眠である。これは考えてみるとお 神に負わせないことにした理由の一つではないだろうか ? というのも、神の慈愛の行為でさえも、われわれに対してそもしろい。情念がわれわれの理性にもたらす分裂によって、 の働きを及ぼすときには、霊魂を徳行へ向かって刺激し勧誘われわれは有徳になり、狂気あるいは死の似姿がもたらす理 するもろもろの情念によって、自己の安息をみださないでは性の根絶によって、われわれは予言者になり、予見者にな る。私はこれほど心から哲学を信じる気になったことはな いられないからである。 (0) それとも、彼らは別様に考え、 。神聖な真理が哲学的精神のなかに吹きこんだ純粋な霊感 情念を、不名誉にも霊魂をしてその平安から離脱させる嵐と 解したのであろうか ? 《海の静けさとは、海面にさざ波をによって、哲学は、その主張に反して、こう認めないわけに いかないからである。「われわれの霊魂の平安な状態、落ち 立てさせるようなそよ風さえもない状態である。同様に、霊 魂は、いかなる情念によっても動かされない状態にあるとついた状態、哲学が霊魂に得させてくれる最も健康な状態 は、霊魂の最善の状態ではない。」われわれの覚醒は、睡眠 き、静かであり穏かである。》 ( 《論』の ~ , (<) いかに異なる意見と理由、いかに相反する思想が、わよりもいっそう眠っている。われわれの知恵は、狂気よりも いっそう知恵が足りない。われわれの夢は、われわれの推理 れわれの情念の多様性によってわれわれに示されることであ ろうー かくも不安定で変りやすく、その本性上とかく混乱よりもいっそう価値がある。われわれの占めうる最悪の場所 は、われわれのうちにある。けれども、哲学は、われわれが におちいりやすいもの (o) 強いられた借りものの歩みをし こう認めるだけの分別をもっていると考えないのだろうか ? かしないもの (<) について、われわれはいかなる確信をも っことができようか ? もしわ れの判断が、病気や情念「精神は、人間から離れているときにはかくも賢明で偉大で

6. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

テレスの法律と同じように、健康な長い生命をもって、そのら、私は自然にしたがってよりも、むしろ習慣にしたがって 身体を維持することができた。 書くであろう」 学説のうえからでなく、事実上、おのおのの国民にとって なるほど、人為的に考え出されたこれらの政治形態は、す ままでその下で国民が自己を べて笑うべきものであり、実行に移すには適していない。最最もすぐれた最善の政体は、い 維持してきた政体である。その形態と本質的な利点は、習慣 もよい社会形態について、またわれわれを結合させるのに最 に依存する。われわれはとかく現在の状態に不満をいだいて も都合のいい規則について、長いあいだおこなわれてきた大 いる。けれども、民主的な国家にあって、寡頭政治を望み、 論争は、ただわれわれの精神の訓練にのみふさわしい論争で ある。ちょうど、学問のうちには、喧騒と論争を本質とし君主制のうちにあって、それとは別の政体を望むのは、悪徳 でもあり愚かでもある。 て、それ以外には何らの生命ももたない多くの主題があるよ うなものである。このような描かれた国家は、新しい世界に お前の国を、あるがままに愛せよ。王国ならば、王制を愛せ おいてならば、実現されるかも知れない。けれども、われわ よ。寡頭政治にせよ、民主政治にせよ、やはりそれを愛する れは、人間を、すでに何らかの習慣に縛られ、それによって が、い。なぜなら、神がお前をそこに生まれさせたのだか 形成されたものとしてとらえる。われわれは、ビュラやカド モスとちがって、人間を生み出すのではない。われわれは、 何らかの手段によって、人間を立て直し、新たに並べ直すこ さきごろ亡くなった善良なビブラック殿は、そのように語っ とはできるが、その習性となった襞を元どおりにすること た。彼はかくも高貴な精神、かくも健全な意見、かくもやさ は、すべてを破壊するのでないかぎり、ほとんど不可能であしい品性の持主であった。この人が亡くなったこと、また同 る。或る人がソロンに向かって「あなたは、アテナイ人たち時にフォア殿が亡くなったことは、わが国の宮廷にとって重 に対して、できるかぎり最善の法律を与えたか ? 」とたずね大な損失である。はたして今日フランスに、われわれの国王 たとき、ソロンはこう答えた。「そうだ。私は彼らの受けい の顧問として、忠誠と才能において、この二人のガスコン人 れうるかぎりの最善の法律を与えた。」 に代わるべき別の一対が残っているだろうか ? この二人 (o) ヴァロも同様に弁解している。「もし私がまったく新は、それそれ別様に、美しい霊魂であり、今の時代にはそれ しい宗教について書かなければならないのだったら、私はそそれの形において稀れに見る立派な霊魂であった。けれど れについて自分の信じるとおりに書くだろう。けれども、宗も、われわれの腐敗、われわれの嵐とは、あまりにもそぐわ 教はすでに出来あがって受けいれられているものであるか ない、あまりにも不釣合なこの二つの霊魂が、どうしてこの

7. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

いろいろな病気の構造は、動物の構造にもとづいてつくらつである。 れている。病気は、それの発生したときから、その定まった (-a) 私は、風邪、痛風、下痢、動悸、頭痛、その他の病気 運命とその寿命をもっている。これをその進行にさからって については、それらが私の体内で老衰し、自然死によって死 ぬままにさせておいた。それらを養っておくのに私が半ば慣 無理に力で短くしようとする人は、かえって、これを延ば し、これを倍加する。そういう人は病気を鎮めるのでなく病れたころに、私はそれらを失った。人は病気を敵視すること によってでなく、むしろ歓待することによって、いっそうよ 気を昻ぶらせる。私はクラントルのこの意見に賛成する。 く病気を祓いのけることができる。われわれは人間的状態の 「病気に対して、意地になって向こう見ずに抵抗してはなら 法則に、静かに耐えなければならない。われわれは、あらゆる 。といって、気地なく病気に圧倒されてもならない。 むしろ、病気の状態と、われわれの状態に応じて、自然的医薬にもかかわらす、老いるように、衰弱するように、病気 になるように生まれついている。メキシコ人はその子供たち に、病気に譲らなければならない」 (=) われわれは病気に が母の胎内から出てくるときに、こう言って挨拶するが、そ 通路を与えてやらなければならない。私は、病気を好きなよ うにさせておくので、私の内部には病気があまり長くとどまれは彼らが自分の子供たちに与える最初の教訓である。「わ が子よ、お前は耐えるためにこの世に生まれてきたのだ。耐 らないことを知った。また、人々が執拗で頑固だと考えてい る病気についても、私は病気そのものの衰退によって、医術えよ、忍べよ、せよ。」 誰の身にもおこりうることが、或る人の身に起こったから の助けをかりずに、医術の規則に反して、これを退散させ といって、これを嘆くのは不正である。 (o) ^ 不正な掟がお た。少しばかり自然のするようにさせておこう。自然の方が 「だ われわれよりもその仕事をよくわきまえている。 前にだけ課せられたのならば、不平を言うがいい。》 ( 「書簡』 「あなただってそうなる が、誰それは病気で死んだ。」 f)(=) 或る老人が、神に、自分の健康をいつまでも完全に 逞しく保ってくれるようこ、、、、 ~ ししカえれば、自分を青年に帰 だろう。この病気でなければ、ほかの病気で。」いかに多く してくれるように祈っているのを見るがいし の人が、尻に三人も医者を侍らせながら、やはり死んでいっ たことであろう ? 実例は、あらゆるものを、あらゆる意味 で映し出してくれるおぼろな鏡である。快い医薬ならば、そ 愚か者よ ! そんな空しい願い、そんな子供じみた祈りが、 何の役に立つか ? オヴ→デ→ウ「悲 ) れを受けるがいし 。それは、それだけに、現在的な利益であ る。 (o) 私はおいしくて食欲をそそる医薬ならば、それの それは狂気ではないだろうか ? 彼の状態はそれを許さな 名前や色にはこだわらない。快さは、効果の主要な要素の一

8. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

117 随想録 あのストア派の哲学者が、民衆の声の偶然的な一致から得分のことについて二百六年をおぼえている」と言った。或る たと言っているこの説は、これを神から得たと言った方がよ人たちはこれにつけ加えて、それらの霊魂はときには天に昇 り、それからふたたび降りてくると言った。 くはなかったか ? 《われわれが霊魂の不死について論じる とき、民衆がこそって地獄の神々を恐れかしこむということ おお、父よ。それでは、天へ昇る霊魂もあり、ふたたび身体 は、われわれにとって、少なからぬ重みのある論拠である。 の重い絆に戻ろうとする霊魂もある、と考えなければならな 私はこの民衆の信念を利用する。》 (æ いでしようか ? ・これらの不幸な霊魂に、どこから、かくも (<) ところで、この問題に関する人間的論証の無力さは、 はげしい光の欲求がやってくるのでしようか ? われわれの不死とはいかなる状態であるかを示すためにこの ヴェルギリウス「ア工 ネイス』六の七一九 意見のあとにつけ加えられた寓話的な場景によって、特には ^ 彼ら つきりする。 (o) ストア派はしばらく措こう。 オリゲネスは、霊魂を、良い状態から悪い状態へ永久に往 からす はわれわれに烏と同じ長さの寿命を与えている。彼らによれき来するものと考える。ヴァロの語る説によると、四四〇年 ば、われわれの霊魂は、長く生きなければならないが、いっ の周期を経て、霊魂は最初の身体に帰る。クリュシッポス までもというわけではない。》 (\ 茹』「→→ ストア派は、限定されない或る期間ののちにそうなるはずだと言う。 は、霊魂に、来世で一つの生命を、ただし有限な生命を与え 。フラトンは、。ヒンダロスや古代の詩から得た信念として、 てんべん ている。 (<) 最も広く受けいれられ、今日まで方々に伝わ霊魂は無限に有転変するように定められており、この世の っている説は、ピ = タゴラスがその発起人だと言われている生命が一時的なものでしかないように、来世の罰や報いも一 説であった。もっとも、彼はその最初の創案者ではなく、た時的なものでしかないと言い、結論として、霊魂は、幾たび だ彼の賛同の権威によってこの説が多くの重みと信用を得た もの旅でそれが行ったり来たり滞在したりした天国や地獄や だけのことである。それによると、霊魂は、われわれから出この世のことがらについて、特殊な知識をもっており、それ 発して、或る身体から他の身体へ、獅子から馬へ、馬から国が霊魂の想起の素材になると言う。 王へと、たえず次から次へと住居を変えながら、流転してい プラトンは他の箇所で、霊魂の転変についてこう述べてい くだけである。 る。「善く生きた人は、指定された星と一つになる。悪く生 ( ) そして、彼自身は、「以前はアエタリデスであったが、 きた人は、女に移る。もしそれでも直らないならば、悪徳な けだもの ついでエウフォルポス、そのあとがヘルモティモス、最後性格にふさわしい状態の獣に変えられる。そして、彼が理 に、。ヒ、ロスから。ヒ = タゴラスに移ったことを思い出す。自性の力によって、自分のうちにある野蛮で愚劣で物質的な性

9. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

ただけのことである。 れない。人間のなかの出来損いでしかないわれわれでさえ (o) 彼は、執政官の職を拒まれた当夜、遊んで一夜をすご も、ときには他人の言説や模範によってめざめさせられ、霊 した。彼は、死ななければならなかった当夜、読書をして一魂をその平常よりもはるかに高く飛躍させることがある。け 夜をすごした。生命を失うことも、職務を失うことも、彼にれども、霊魂を駆り立て、激動させ、いわば霊魂を自己の外 とってはまったく同じことであった。 に連れ去るのは、一種の情念である。なぜなら、ひとたびこ の旋風が過ぎ去ると、われわれの霊魂は、知らぬまに、ひと りでに弛緩し、最低の段階とはいわないまでも、少なくと 第二十九章徳について も、もはやさっきのような状態ではなくなってしまうからで ある。そうなると、われわれは、小鳥を逃がしたとか、グラ (<) 私は経験によって知っているが、霊魂の激発的な昻揚スをこわしたというような、どんな出来事にも、ほとんど普 通の人と同じように、かき乱される。 と、確固として変らない習慣とのあいだには、大きな差異が ( ) 秩序、節制、堅忍の三つを除けば、私の思うに、すべ ある。また、私はよく知っているが、われわれ人間がなしえ ないことは一つもない。それどころか、誰かが言ったようてのことは、きわめて欠点や欠陥の多い人間によっても、な されうる。 に、われわれは神性そのものをも凌駕することができる。と ( ) そういうわけで、賢者たちの言うように、一人の人間 いうのも、自分のカで自分を、物に動じない人間たらしめる いつを適正に判断するためには、主として彼の普通の行為を検討 ことは、自分の本来の性質によってそうであるよりも、 し、その日常生活のうちに彼を見てとらなければならない。 そう立派なことだからである。さらに、われわれは人間的な 弱さに神の確固不変を結びつけることさえもできる。けれど 。ヒュロンは、無知によって、あれほど面白い学説を立てた も、それは激動によってである。昔の英雄たちの生涯のうち人であるが、他のすべての真に哲学した人たちと同様に、自 には、ときとして、われわれの自然的な力をはるかに越える分の生活を自分の学説に合致させようとっとめた。彼は、人 ように見える奇蹟的なひらめきがある。けれども、実をいう 間的判断は決意も選択もすることができないほどまでにきわ と、それはひらめきである。そういう昻揚した状態でわれわめて無力なものであると主張していたし、また、すべての事 れの霊魂を染め、そういう状態をわれわれの霊魂に滲みこま物を無差別なものと見なすことによって、人間的判断をたえ せ、かくしてそれらがわれわれの霊魂の平常の、自然的な状ず宙ぶらりのままにさせておこうとしていたから、いつも同 態になるまでにさせることができようとは、とうてい考えら じ態度と顔つきをしていたと言い伝えられている。彼がひと

10. 世界の大思想5 モンテーニュ 随想録<エセー><下>

112 ものであるから、霊魂は、過去における永遠、未来におけるを、人間的寿命に比例させて、百年の長さに限定しようとす る。われわれの時代にも、来世の報いに時間的な限界を設け 不死というこの神性にあずかるものである」と結論した信念 た人がかなりいる。 に、相反する。 かくして、哲学者たちは、エ。ヒクロスとデモクリトスの意 (ß) なぜなら、もし霊魂の能力が過去の出来事をまったく 見によって、霊魂の生成と生活は人間的事物の共通の条件に 思い出せないほどに変質させられるならば、私の思うに、そ 従うものである、と判断した。この意見は、つぎのような真 レクレテイウス ういう状態は死からあまり遠くない。 三の六七四 実らしい理由によって、最も広く受けいれられたものであ る。「霊魂は、身体がそれを容れうる状態になると同時に、 (<) さらに、霊魂の力と働きが考察されなければならない 生まれるのが見られる。霊魂の力は、身体的な力とともに成 のは、ここ、われわれのうちにおいてであって、ほかのとこ 。弓しカ時 ' とともに、霊 ろにおいてではない。霊魂の完全さの爾余の部分は、すべて長するのが見られる。子供のときょ号 : 、、 空しく無益である。霊魂の不死がありがたいものとされ、み魂は逞しく成熟し、やがて老衰し、最後に朽ち果てるのが、 とめられなければならないのは、現在の状態についてであみとめられる。」 る。霊魂が責任をもっことのできるのは、ただ、われわれの われわれが感知するところでは、霊魂はわれわれの身体とと 一生についてだけである。霊魂から、その手段とその能力を もに生まれ、身体とともに成長し、身体とともに老衰する。 取り除き、武器を奪っておいたうえで、霊魂が牢獄に捕わ レクレテイウス 三の四四五 れ、衰弱し病気になり、強制と拘束に苦しんでいるときに、 永劫無限に持続する判決と断罪をくだすのは、不公平であろ 彼らのみとめたように、霊魂は、さまざまな情念をもっこと う。また、きわめて短い時間、おそらく一時間か二時間、悪 ができるし、多くの苦しい感動に揺さぶられる。したがっ くてもせいぜい一世紀ぐらい、いずれにせよ永遠にくらべれ て、霊魂は疲労と苦痛におちいり、変質や変化をこうむり、 ば一瞬でしかないような短い時間の考察に固執して、この中 せつな 昻奮や無気力や倦怠におそわれ、胃や足と同じように病気に 間の一刹那で、霊魂の全存在を決定的に断定しようとするの もなるし怪我もする。 は、不公平であろう。かくも短い一生の結果しだいで、永遠 の報いを決定するのは、不公平、不均衡もはなはだしいとい (ß) 心は、病める身体と同じように、医薬によって、いや うべきであろう。 されたり、立ちなおったりすることがあるのをわれわれは知 ルクレテイウス、 フトンよこ