みえて降下させるのである。しかしながら、動物精気と 一四 ら成る、もとも〕は、身体の重みによ「て妨げられ阻まれない かぎり、熱と冷について、空気よりも鋭敏な感覚をもってい われわれが歴史と〕に関してどんなに貧困であるか るであろうとわたくしは考える。 は、何人もたやすく気づくのであって、うえの諸表におい 三九、空気のつぎに熱をもっともよく感受する物体は、雪て、わたくしは、証明された歴史と確かな事例のかわりに、 や氷のように、新しく寒さによって変化させられ圧縮された ときどき伝承や報告を挿入した ( ただしその都度、それらの 物体であるとわたくしは考える。というのは、そのような物信用度と権威に対する疑いの標示をつけて ) だけではなく、 体はほんの少しの温気によっても溶けはじめるからである。 しばしば「実験がなされなければならない」とか「もっとた それにつぐものは、おそらく水銀であろう。また、それにつち入った探究がなされなければならない」とかいったことば をつかわねばならないのである。 ぐものは、脂肪質の物体、たとえば、油 : ハターなどであり、 ついで木片、ついで水という順序である。その最後のものは 一五 石や金属である。これらのものはたやすくは熱くならないの であって、とくに内部がそうである。しかしながら、これら これら三つの表の仕事と任務を、わたくしは、知性のまえ のものは、、 しったん熱をうけ入れると、ひじように長いあい に事例を展示することとよぶようにしている。さて、この展 . だそれを保有するのであって、灼熱した煉瓦や石や鉄は、冷示がなされたからには、帰納そのものにとりかからなければ たい水のはいった鉢に投げこまれつけられても、十五分間 ならない。すなわち、個々の事例すべての展示をもとに、与 らいは、手でさわることができないほど熱いままである。 えられた本性とともにつねに現存または欠存し、それととも 第 四〇、物体は、そのかさが小さければ小さいほど、熱い物に増加または減少するような、そして ( さきに述べたように 、 0 ニ・四、本訳 体に近づけられると、 っそう速く熱くなる。このことは、 〕 ) もっと一般的な本性の特殊化であるような本 書二九八。ヘージ ルわれわれのもとにある熱はすべて、触知される物体とはいく 性〕を発見しなければならない。ところで、精神がこのこ らかあいいれないものであることを示している。 とを最初から肯定的に行なおうと企てるなら ( 精神は、放っ 、 0 一・四六、一 0 五、 四一、熱は、人間の感覚や触覚に関するかぎり、さまざまておかれると、いつもそうするものである〔 本訳書二三九、二七八 に変わる相対的なものである。したがって、ぬるま湯は、手ー シ〕が ) 想像や、臆測や、まちがって規定された概念や、日 が冷えていると熱く感ぜられ、手が熱くなると冷たく感ぜら毎に訂正せねばならぬー・ー ( ス 0 ラ流に硼放 れる。 偽であることがあきらか畩竝醐〕 ) 虚偽のために戦おうとするのでな
はいま、ただ第一の性能、すなわち接合の性能のみを問題運動とは反対の運動であるとしよう。これによって、物体は 3 としているのである。水銀と黄金のあいだにもまたきわだっ反感からして、敵対的なものを忌避し駆逐し、それから分離 た接合の運動があるのであって、したがって、黄金は水銀し、それとまじることを拒否するのである。というのは、こ の運動はある場合には、小集合の運動をもとに考えると、そ 軟膏にされたものではあるがーーを牽引するのであり、 また、水銀の蒸気のあいだではたらく人びとは、ほうっておれの偶有性あるいは結果によるものにすぎないと思われるか 同質的部分は、異質的部分をしめ出し遠ざけ けば頭蓋や骨に侵入するであろうところの、水銀からの発散もしれない 物を集めるために、黄金の一片を口にくわえるのがつねであずには、接合することができないからーーが、それにもかか って、この黄金の一片もそのためにすぐに白くなるのであわらず、この運動はそれだけでまとめられ、一個の種を成す からである。それというのも、多くの場合、忌避の衝動は接 る。小集合の運動についてはこれだけにしておこう。 〔九〕第九の連動は、「磁力的運動」であるとしよう。これ合の衝動よりもすっと根源的であると認められるからであ る。 は、小集合の運動と同じ種類のものではあるが、しかしこの 運動が遠距離から大きい物塊に作用するのであれば、別イに さて、この運動は動物の排泄物にきわめてはっきりと認め 探究する値うちがある。とくに、その運動は、たいていの集られ、また、い くつかの感覚、とくに嗅覚と味覚にとってい 合運動と同じように接触によってはじまるのでもなく、すべとわしい対象にも、それにおとらずはっきりと認められる。 ての集合運動と同じようにその作用を接触に至らせるのでも というのは、いやな臭いは、鼻によってひどく排斥されるり なく、ただ、物体を上昇させたり膨脹させたりするだけで、 で、それとの同感によって、胃の入口にも放逐の運動をひき こがくて刺すような味は、ロ蓋や咽喉によっ それ以上には何もしないのであれば、なおさら、そうする値うおこし、また、冫 てひどく排斥されるので、それとの同感によって頭を振った ちがある。というのは、月が海水をひきあげ、あるいは湿っ たものを拡大または膨脹させ、あるいは恒星天が遊星をそのり震わせたりさせるからである。しかしながら、この連動は ほかの場合にもおこるのである。というのは、この連動はい 遠地点へひきよせ、あるいは太陽が金星と水星を、一定の距離 〕において剛 以上には遠ざからぬように牽引するのであれば、これらの連くつかの対抗一一・一ニ、事例二四、本訳書三一一〈ー 動は、大集合にも小集合にも数えられてはならす、いわば中められるからであって、たとえば、空気の中間領域における 間的で不完全な集合連動に数えられねばならぬのであって、 冷気は、天体の近傍から冷たい本性が排斥されたものであ り、同じように、地下に見出される熱気や燃焼は、地球の内 したがって、それは固有の種を成さねばならぬからである。 二〇〕第十の運動は、「忌避の運動」、すなわち、小集合の部から熱い本性が排斥されたものであるように思われゑと
ろうと ) には、非存在であるものにもっとも近いと思われる 具体的事物ーー熱の場合には、もっとも微弱で、もっとも燃 特権的事例の一つとして、第十三に「同盟の事例」ないし 焼力の乏しい燼、不減性の場合には、もっともそれに近い黄 「合一の事例」をあげよう。これは、異質的であると考えら。 、。、 0 ニ・三四、本〕 金ーーが同時に添加されなければならなし訳書三四六ページ れ、一般に行なわれる区分によって異質的なものとして記録・ というのは、これらのものはすべて、存在と非存在とのあい だにおける本性の限界を指示して、形相の範囲を定め、形相され表示されている本性を混合し合一するような事例であ る。 が質料の条件をこえて、その外へさまよい出ることのないよ 一般に行なわれている区分に対して、同盟の事例は、それ うにするからである。 らの異質的本性のうちのあるものに固有であると考えられて いる作業や結果が他の異質的本性にも属することをあきらか にするものであって、したがって、その異質的本性 ( 臆断に - 特権的事例の一つとして、第十二にこの前のアフォリズム で述べた「添加的事例」をあげよう。これをわたくしは「極よるもの ) は、真のものでも本質的のものでもなく、共通の 本性の変容にほかならないことがあきらかにされる。それゆ・ 限的事例」ないし「限界的事例」ともよぶことにしている。 というのは、この種の事例は、確定的命題に添加されるかぎえ、この事例は、知性を種差から類まで高め導いて、具体的 りにおいてたけではなく、それ自体によって、それ自身の特実体の装いをしておこりあらわれるような事物の幻影や映像一 を追い払うのにきわめて有用である。 質においても有益であるからである。すなわち、この事例は、 たとえば、探究されている本性は熱であるとしよう。熱に . 本性の真の区分と、事物の尺度と、一つの本性が何ごとかを は三種類、すなわち天体の熱と動物の熱と火の熱があるとい なしたりなされたりする限度と、一つの本性の他のものへの うことは、もはや確定した真の区分であって、天体と動物と 移行を指示するのであって、たとえば、重さにおける黄金、 硬さにおける鉄、動物の大きさにおけるクジラ、嗅覚におけの熱は生産し育成するが、火の熱はそれと反対に消減させ破・ るイヌ、急速な膨脹における火薬の発火、その他この種のも壊するゆえに、これらの熱は ( とくに、そのうちの一つが他一 のがそうである。また、最高度における極限と同じく最低度の二つと比較されると ) 本質と種それ自体ないし種的本性に における極限もまた提示されねばならぬのであって、たとえおいて異なっていて、あきらかに異質的であると考えられて ば、重さにおける酒精、柔軟性における絹、動物の大きさに アリストテレス「動物の〕。したが「て、つぎのようなごくを つうの実験が同盟の事例である。すなわち、ブドウのひと おける皮膚の寄生虫がそうである。
の力をたやすくうけいれたりしないような素材でできた容器 事例として添加される。というのは、われわれのもとでは、 空気は、密閉されたものか、圧縮されたものか、太陽や火のなかに密閉されることもまた必要である。それゆえ、実験 や、その他何か熱い物体によってはっきり熱せられたものか は、外気をふせぐために皮で何重にも覆った壺をつかって行 でないかぎり、熱いとは感ぜられないからである。 なわれなければならない。そして固くふたをしたこの容器の 第一一の肯定的事例に対応する第一七の否定的事例季節なかに〔空気を〕三日ないし四日のあいだ閉じこめておき、 とは不相応に寒い天気が否定的事例として添加される。このそれから容器を開いて、手によって、あるいは検温計を正し くつかって調べなければならない。 ような天気は、われわれのもとでは、東風または北風が吹く 第一三の肯定的事例に対応する第一九の否定的事例同じ とおこるのであって、それは、南風または西風が吹くとそれ と反対の天気がおこるのに対応する。なおまた、雨の降りやように、羊毛、毛皮、羽毛などといったもののなかの温かさ は、それらのものが動物からとったものであるかぎり、それ すい傾向 ( とくに冬期における ) は温かい天気をともない、 らのものに内在する徴弱な熱から生するのか、それとも温か 霜は寒い天気をともなう。 第一二の肯定的事例に対応する第一八の否定的事例夏期さに似た本性をもつ、脂肪や油から生するのか、それともま た、前節で述べたように、もつばら空気の密閉と圧縮から生 に洞窟内に密閉された空気が否定的事例として添加される。 いっそう注意ぶかく探ずるのか ( というのは、空気はすべて、外の空気との接触を しかし、密閉された空気については、 というのは、第一に、空気の本性断たれると、いくらか温かさをもつように思われるからであ 究しなければならない。 る ) が問題である。それゆえ、実験は、生物のからだからと 、、、、熱と冷に関するかぎり、その自然的本性においてどのよ 巻 った羊毛や羽毛や絹をもってではなく、リンネルからできた うであるかをたすねることは、理由のないことでないからで 繊維物質をもって行なわれなければならない。なおまた、つ 第ある。それというのも、空気は熱をあきらかに天体の影響か ム らうけとり、冷をおそらくは地上の蒸発から、なおまた空気ぎのことにも注意すべきである。すなわち、粉末 ( そこにはあ きらかに空気が含まれている ) はすべて、〔粉砕される前の〕 の ( いわゆる ) 中間領域においては、冷たい蒸気や雪からう けとるのであって、したがって、空気の本性については、戸まるごとの物体ほども冷たくはないのであって、それは泡 ( こ 外の密閉されない空気によってはどんな判断も下されることれはたしかに空気を含んでいる ) がすべて、もとの液体そり ヴ ができす、密閉された空気によっていっそう正しい判断が下ものほど冷たくはないとわれわれが考えるのと同じである。 第一四の肯定的事例に対応する第一一〇の否定的事例これ 四されるからである。しかしながら、空気は、その容器自体が それに固有の力によってその空気に熱や冷を与えたり、外気には、添加される否定的事例はない。すなわち、火に近づけ
葉に固有の性質によって濃縮されてできたものではなく、そ いるような火の活動の場合よりもはるかに緩慢な足どりとは るかに精妙で多様な仕組みとによってなしとげられるからで の甘い露は、ほかの葉のうえにもひとしく落ちるが、たた ある。しかしながら、人間の支配力が真に増大するのは、人 カシの葉は緻密であって、ほかのたいていの葉のように孔が あいていないので、そこからこぼれずにたまるのであるとわ為の熱と力とによって自然の作用を、その形相において再現 し、性能において完全にし、量において変化させることがで たくしは考える。 他方、熱についていうと、もちろん人間には〔熱を生み出きる場合であるように思われるのであって、それに、時間の 短縮ということをつけ加えてもよいであろう。というのは、 す〕豊富な手段と力がそなわっているが、しかし、いくつか の点では、しかももっとも必要な点では、錬金術師たちがど鉄のさびは長いあいだかかって生ずるが、鉄はすぐに酸化物 のように吹聴しようとも、人間の観察と探究には欠陥があに変ええられるからであって、緑青と鉛白についても同じこ る。というのは、強烈な熱のほうの効果は探究され考察されとである。また、水品ができあがるには長くかかるが、ガラ スを吹くのはすぐであり、石が固まるには長くかかるが、煉 ているが、自然の行路のうちにもっともよく現われる、いっ そう温和な熱のほうの効果は検討されず、したがってかくれ瓦を焼くのはすぐである、等々。それはともかく、 ( 当面の 問題に関しては ) ありとあらゆる熱ーー・天体の熱 ( 直射光 ているからである。そういうわけで、あの貴い炉〕によ 線、反射光線、屈折光線によるものであろうと、火取りレン って、物体の精気は、強い酸やその他いくつかの製油のなか ズに集められたものであろうと ) 、稲妻、烙、炭火の熱、さ でのように、大いに強められること、可触的部分は硬化し まざまな素材から生じた火の熱、開放され、密閉され、狭め て、揮発性の部分が脱出すると、ときとして凝固すること、 同質的部分は分離され、異質的部分さえも粗暴な仕方でそれられ、広げられ、そして最後に、炉のいろいろな仕掛けによ って加減された火の熱、ふいごによって煽られた火の熱、煽 と合体され混和されること、とくに合成体の接合や微妙な構 られないで静かな火の熱、さまざまな媒質を通過した火の 造は破壊され混乱させられることをわれわれは知っている : 、しかし、いっそう温和な熱のほうの効果もためされ探究熱、重湯煎〔統鬱欝 2 謇埜鶸〕の熱や されるべきである。そうするなら、同盟の事例についてのア糞の熱や動物の体外と体内の熱や密閉された乾草の熱のよう な湿った熱、灰や石灰や熱砂の熱のような乾いた熱ーー要す フォリスム〔 訳書 = 一四六。〈 1 ジ〕のなかでいくらか素描しておいた るに、あらゆる種類の熱とその程度が、その効果とともに、 ように、自然の実例に従い太陽の作用にならって、いっそう 微妙な混合と正常な構造をこしらえあげ、ひき出すことがで注意ぶかく熱心にあらゆる方面から蒐集され探究されなけれ きるであろう。というのは、自然の活動は、、 しま用いられてばならない。
相似と類似の関係を、その部分においても総体においても、 また、空気の ( いわゆる ) 中間領域における厳しい寒さ 探究し観察することにふり向けられなければならない。 このと、しばしば地下のふかいところから噴出するのがみられる 相似と類似の関係こそ、本性を合一するものであり、諸学を猛烈な火とは、きわめて貴重な符合的事例である。この二つ 構成することをはじめるものであるからである。 は、終極と極限、すなわち、天の周辺に向かう冷の本性と、 しかしながら、そうするさいに、厳重に注意しなければな 地球の中核に向かう熱の本性との終極と極限であって、それ らないことがある。すなわち、 ( 最初にわたくしが述べたよぞれの運動は、対抗〔色八の一〇、ニこニ、第一一四事例、本訳書 うに ) 自然的類似を示す事例だけが符合と均衡の事例と考え 三一〕すなわち反対の本性の排除によるのである。 られるべきであるということである。そしてここに自然的類 最後に、諸学の一般的命題における符合的事例も注目に値 似というのは、実在的で実体的な類似、自然のうちにふかく する。たとえば、「予期に反して」とよばれる弁論術上の比 びそんでいる類似であって、偶然的で表面的な類似ではよ ・ , 喩は、「終止の回避」とよばれる音楽上の音形と符合し〔吐 五・三、本訳、 、。まして、それは、自然的魔術の書を書いた人びと ( じっ 〕同じように、「同一の第一二者に等しい二つのも 書八二ページ に軽薄であって、いまわたくしが論じているような重大な問 のはまたたがいに相等しい」という数学の公理は、中名辞に 題においては、ほとんどその名をあげるに値しない人びと ) おいて一致する二つの命題を結合する、論理学における三段 : いたるところで展示するような、迷信的で珍奇な類似では 論法の構造と符合する。要するに、符合と自然的類似の探求 と追跡にさいしてのある種の怜悧さはじつに多くの場合にき ない。かれらがはなはだしい虚栄と迷妄をもって記述し、と きには虚構しさえもするものは、事物のむなしい類似と共感わめて有用なのである。 巻にすぎないのである。 しかし、これらはさておき、世界の ( 比較的大きな部分に おける ) 形態そのものに関しても符合的事例は看過されては 特権的事例の一つとして、第七に「単独的事例」をあげよ 励ならない。たとえば、アフリカとベルーの地域 ( マジェラン う。これをわたくしは ( 文法学者の用語を借りて ) 「不規則 海峡のほうまで伸びる大陸をも含む ) がそうである。という的事例」ないし「破格的事例」ともよぶことにしている。こ ム ヴ のは、いすれの地域にも類似の地峡と類似の岬があるのであれは、その本性が並はずれていて、いわばひとりぼっちであ ノって、これは単なる偶然ではないからである。 り、同一の類に属する他の事物とほとんど共通するところが また、新大陸と旧大陸とがそうであって、両大陸とも、北のないようにみえる物体を具体的に展示する事例である。とい うのは、符合的事例はたがいに似ているが、単独的事例はそ 方では広くて幅があるが、南の方では狭くてとがっている。
分子を通じて変化させ、物質のいっそう微で細である構造を る。多面的有用の実例についてはこれだけにしておこう。 ニ・五、淋訳〕方式 ( これは、物体のあらゆる転 転換させる〔書 五一 化とかかわりをもっていて、自然が多くの迂路を経て達成す 特権的事例の一つとして、第二十七に、そして最後に「魔ることがらを、技術が短時間のうちになしとげることができ るようにするものである ) が何かあるかどうかについては、 術的事例ーをあげよう。わたくしがこの名によってよぶ事例 これまでのところ、どんな証拠も与えられていない。ところ は、質料や作用囚が、それから生する仕事や結果の大きさに で、わたくしは、堅実で真正なことがらにおいて究極で最高 比して、あまりに軽微で些細であるので、ありふれたもので のものを望み求めるように、空虚で誇大なことがらをつねに あっても、そのあるものは一見しただけで、また、他のもの は注意して観察したあとでも、奇跡のようにみえる事例であ憎んで、これを打倒することに全力を傾注するのである。 る。なるほど、自然がみすからこのような事例を提供するこ とはめったにないが、しかし、自然の被覆がふり落され、形 事例の尊厳ないし特権についてはこれだけにとどめておこ 相と過程と構造が発見されたのち自然が何をするかは、時が 来ればあきらかになるであろう。さて、このような魔術的結う。しかし、このわたくしのオルガヌムにおいてわたくしは 果は ( 現在推測しうるかぎりでは ) 三つの方式によって生す論理学をとり扱っているのであって、哲学をとり扱っている のではないということを、注意しておく必要がある。しかし る。すなわち、第一は、自己増殖によってであって、たとえ ながら、わたくしの論理学が知性を教え導くのは、 ( ふつうの ば、火や、いわゆる特効の毒薬や、車輪から車輪へ移るにつ れて強められる運動の場合がそうである。第二は、他の物体論理学のように ) いわば精神の細い鉤をもって事物の抽象観 を刺激しあるいは招致することによってであって、たとえ念をひっかけてつなぎとめるためではなく、自然をあるがま ムば、それ自身の性能を少しも失ったり減じたりせずに、無 まに探査して、物体の性能と、〔純粋〕活動〔訳書一一四一ページ ガ 数の針を刺激する磁石や、パン種などといったようなものの質料において規定された物体の法則を見出すためであって、 オ 場合がそうである。第三は、運動の先駆をつとめることによ したがって、この学間は、ただ精神の本性からだけではな ハってであって、たとえば、 ( すでに述べた ) 火薬や大砲や地 事物の本性からもおこるものであるゆえに、それがいた 雷の場合がそうである。これらの方式のうち、はじめの二つ るところで、わたくしの技術の例証のために、自然について の方式は同感についての研究を、第三の方式は運動の測定に の思索や実験をさしこまれ、それによって解明されていて ついての研究を必要とする。しかし、物体を ( いわゆる ) 微も、すこしもおどろくにはあたらないのである。さて、 ( すで
つぎのことだけは、すなわち、自然界には何かそういう運叫 かを問題としなければならない。というのは、この運動は、 がありうるということだけは正しいと判定されなければなう 遊星が日毎の運動において恒星天の同一点に復帰しないこと ない。しかし、この種の運動が何も記載されていないなら、 と、黄道帯の両極が地球の両極に対して斜めに位置すること にもとづいて案出されたものであるが、しかしこれら二つのそれは疑わしいと考えられ、それに関する他の道標の事例 現象のいずれによっても、この運動が天における真正で実在訴えなければならない。 的な運動であると確証されるわけではけっしてないからであ〔三〕同じように、探究されている本性は重量ないし重さで る。それというのも、第一の現象は〔恒星が遊星を〕追い越あるとしよう。この本性に関する別れ道はつぎのようなもの し後に残すことによって、第二の現象は螺線運動によってりである。すなわち、重くて重量のあるものは、それに固有の つばに説明することができるのであって、したがって、復帰構造によって、その本性から地球の中心に向かうのである・ か、それとも、本性を同じくする物体の集合によるかのよう の不同と回帰線への偏角は、逆行する運動、または異なった に、地球それ自体の物塊によって引きつけられ誘いこまれ 極をめぐる運動ではなく、むしろ、あの唯一の日毎の運動の 変容であると説明できるからである。また、 ( 多くの場合に、 て、同感によってその方へ運ばれるのであるか、そのいずれ 感官に不当な暴力を加えて、不明瞭なもののほうをよしとすかでなければならない。ところで、あとのほうが事実である るのがつねである、天文学者とスコラ学者の仮構をしりそけとすると、重い物体は、地球に近づけば近づくほど、ますま・ て ) しばらく一般人の立場にたつなら、この運動が感官に、 す強くますます大きな力でそれに向かって運ばれ、地球から - いまわたくしの述べたようなものとして現われることはまっ 遠ければ遠いほど、ますます弱くますます遅く運ばれ ( 磁石・ たく確実であって、わたくしはかってそういう運動の模像をの牽引力の場合のように ) 、そしてこの作用は一定の範囲肉 針金によって ( いわば機械じかけで ) つくってみせたことが にかぎられて、その物体が、地球のカの及びえないほど、地 ある。 球から遠距離にあるときには、その物体は地球それ自体と同〕 じように宙に懸ったままであって、まったく落下することは・ ところで、この主題に関する道標の事例はつぎのようなも ないであろう。 のであろう。すなわち、もしも ( どれほど不規則にであろう と ) 日毎の運動と明白に一致して回転するのではなく、恒星 したがって、この問題に関する道標の事例はつぎのような 天と反対の方向に回転する彗星が、高位のものであろうと低ものであろう。すなわち、鉛の錘りによって動かされる時計 位のものであろうと、一つでもあったことが、信頼に値するの一つと、鉄のばねによって動かされる時計の一つとをとっ 〔自然〕誌に記載されているなら、そのときにはたしかに、 て、一方が他方より進みも遅れもしないように正しく合わ
という、ありふれた実験によってである。すなわち、人びと されるからである。この圧縮などの作用はまた、諸部分の配 4 は、どちらの実験においても、稀薄にされた空気が脱出し、 置やかなりきわだって不揃いであることによっているような したがって、空気の「量」が減少するのであり、したがって、 性能をも破壊するのであって、たとえば、色彩の場合 ( 完全な 水や肉が結合の運動によってはいりこむのであると考えてい 花と傷つけられた花とでは、色彩が同じでなく、また、完全一 る。しかし、これはまったくの誤りであって、それというの なコハクと粉末にされたコハクとでは、色彩が同じでないか は、空気は、「量」において減少するのではなく、体積におら ) がそうであり、味の場合 ( 未熟なナシと圧縮され押しつ いて収縮するのであり、また水の上昇運動は、烙が消えるか ぶされたナシとでは、味が同じでなく、あきらかにあとのほ、 空気が冷えるかするまでははじまらないからである。吸い玉うがずっと甘くなるから ) もまたそうである。しかしながら、・ がいっそう強く吸いよせるように、医者が水で濡らした冷た同質的物体をそれよりもいっそういちじるしく変形させ変化 い海綿をそのうえにおくのはそのためである。したがって、 させるためには、この強制的作用はたいして効果がないので 人びとは、空気あるいは精気がたやすく脱出することをあまあって、それというのは、このような作用によって物体が獲 りおそれるにはおよばないのである。というのは、きわめて得するのは、何らかの恒常不動の新しい固結性ではなく、た 堅牢な物体にも孔があることは事実であるが、しかし、空気だ一時的で、たえずそれ自身を回復し解放しようとっとめる や精気は、そこから脱出できるほど徴細に粉砕されることは固結性にすぎないからである。しかしながら、この問題につ むつかしいからである。これはちょうど、ひじように小さい いて何かもう少し綿密な実験をして、 ( 空気、水、油などと 裂け目からは水が流れ出ようとしないのと同じである。 いったような ) ほとんど同質的な物体の凝結あるいは稀薄化 . いすれも強繝的作用によってひきおこされた 〔二〕前述の七つの方式のうちの第二のものについて述べる と、たしかに圧縮やそういったたぐいの強制的作用は、機械 常的で固定したものとなり、いわば本性に変わってしまうの や投射体においてみられるように、場所的運動やそれと同類かどうかをしらべてみることは、見当ちがいではないである の他の運動をひきおこすのにもっとも強力であるうえに、な う。これは、ます、単なる放置によって、ついで補助と同感一 おまた、有機体や、まったく運動することによっているよう によって実験しなければならない。 ところで、この実験は、 な性能を破壊するのにももっとも強力であるということに、 わたくしが ( 他の箇所気 0 ニ・四五、本 乙 ) で述べておいたよう 何よりもまず注意しなければならない。というのは、あらゆに〔鉛の球のなかの〕水を槌で打って圧迫して、それが吹き る機械が圧縮によってそこなわれ狂わされるように、あらゆ出すまで、凝縮させたときに、 ( わたくしの念頭に浮かんで る生合いな、あらゆる烙や燃焼もまた、圧縮によって破壊 いたなら ) たやすく行なわれることができたであろう。すな
膏薬に多く認められるのであって、そのあるものは、収斂剤 いうわけで、われわれのもとにあるものはすべて、稀薄にな 2 4 り、乾燥し、消耗する傾向をもっていて、凝縮し、柔軟になや、そしてまた注入剤のように、肉や可触的部分を凝縮さ せ、あるものは、催眠剤をみるともっともよくわかるよラ る傾向をもつものは、混和の方法かいわばまがいの方法かに よる場合を別とすると、ほとんど何もないのである。したが に、精気を凝縮させる。催眠剤や麻睡剤によって精気を凝縮 って冷の事例は細心の注意を払って集めねばならぬのであっ させる仕方には二通りあって、その一つは運動を鎮静するこ て、それを発見するためには、物体を霜のきびしいときに塔とによってであり、もう一つは精気を放逐することによって のうえにさらし、地下の洞窟のなかにおき、このために掘らである。すなわち、スミレ、乾燥した・ハラ、チシャなどとい れた深い穴のなかで雪や氷でおおい、井戸に沈め、水銀や他ったような、ありがたくて恵みぶかい薬草は、やさしくおだ . の金属をかぶせ、木を石に化する水のなかに浸し、地中に埋やかに冷やす蒸気によって、精気をさそって合一させ、はげ める ( シナ人はこういうふうにして磁器をこしらえるのであしい不休の運動を静める。。ハラ香水もまた、気の遠くなった ときに鼻にあてると、分解されてあまりに弛緩してしまった って、シナではこのために用意された土塊は地中に四十年も 五十年も埋められたまま、人造鉱石のように、子孫に伝えら精気を回復させて、いわばそれを養育する。これに反して、 アヘン剤やそれに類似のものは、悪意のある敵対的な性質に . れるという ) などといったようなことをしなければならない であろう。それだけではなく、冷によって自然のうちに生起よって、精気をまったく放逐するのであって、したがって、 する凝縮が研究されねばならぬのであって、それというのそれが外用されると、精気はただちにその部分からのがれ去 は、その原囚が知られると、それを技術に応用することがで って、もはや容易にはそこへ流れ込まないのであり、また、 それが内服されると、その蒸気は頭にの、ほって、脳室におさ きるからである。そのような凝縮は、大理石や石の浸出物、 霜の夜のあけがたに窓のうちがわのガラスのうえにできる まっていた精気を四方八方に放逐する。そして精気は、後退 しながらほかの部分に逃げ込むことができないので、そのた 露、地下に蒸気がおこり、集まって水となり、そうしてしば めに、より集まって凝縮し、ときにはまったく消滅し窒息し しば泉が湧き出ることに認められるのであって、その他この たぐいのものはすべてそうである。 てしまう。ただし、それとは反対に、同じアヘン剤でも、適 当に服用すると、副次的で偶然的な作用 ( すなわち、合一に 触覚にとって冷たい物体のほかにも、冷の能力をもってい て、凝縮させもする物体が見出されるが、しかし、これらのともなう凝縮 ) によって、精気を強め、いっそう壮健にし て、無用で過激な運動を抑制するのであって、アヘン剤が病 物体はただ生物体に対してのみ作用して、その他のものには ほとんど作用しないように思われる。この種のものは薬剤や気の治癒や延命に少なからず貢献するのはそのためである。