しかし、何分フランシスは二歳年下であり、当時の大学の入批判的であったのは、その家庭の影響もあったであろう。 学資格はラテン語の読み書きができるということが主眼であ フランシスは兄と共に一五七五年十一一月、ケンブリッジ大 ったから、フランシスが、どのくらいラテン語ができるかが 学を去り、翌七六年六月、兄と共に、ロンドンの「グレイ法 題となった。そこでエリザベス女王自身が試験官の役を買っ 学院」 (Gray's lnn) に入学した。時にフランシス十五歳で て出て、フランシス少年を召し試してみたところ、立派な成あった。兄弟は法曹家の子弟たる故をもってグレイ法学院の 績で女王の試験に。 ( スしたのである。かくて一五七三年の「先輩」 ( Ancien ( s ) という称号を許されている。フランシスは 春、フランシスは満十一一年三カ月の年齢で、ケンプリッジのその後、グレイ法学院に在籍し、二十年後には、父のニコラス トリニティ・カレジに兄と共に入学したのである。 がそうであったようにその「学院長」 (The lnn's Treasurer) キリシ 当時の大学の教課内容はまだ貧弱なものであった。・ となった。政治的失脚後も、彼はその死に至るまでグレイ法 ア以来の学芸が主たる内容をなし、論理学、形而上学、自然学院に在籍したのである。 学、倫理学、政治学が教えられ、アリストテレスは権威であ フランシスは、グレイ法学院に入学して三カ月後、父の曽 った。しかし少年フランシスは、この学問の権威に対してす旋で駐仏イギリス大使。 ( ウレット (Sir Amias paulet) の随 でに反抗を企てた。一五七二年十一月にカンオペイア座に新員の一人にえらばれ、一五七六年秋九月一一十五日カレ ! に上 星が現われ七四年三月消え去ったが、それはアリストテレス陸している。それは、聖、、 ( ーソロミューの大虐殺事件後、四 により変化不可能といわれた星座域であったから、少年フラ年目であった。フランスの社会・政界は混乱を極めていた。 アンリ・ドウ・ナヴァラがユグノ・ ンシスにとっては、この一事だけでも、アリストテレスの権国内は宗教戦争で相争い、 威は失墜するに十分であった。伝来の学間は、論議論争には ーの先頭に立ち、ギーズ公がス。ヘインや法王と結んでカトリ イクの先頭に立っていた。国王アンリ三世〔在位 1574 ~ 89 〕は 役立つが、人間生活の福祉に対してはなんら生むところがな いというのが、その意見であった。しかし、当時の伝統的学疲れて無力であり、ただ名のみの王であった。フランスにお 問に対する反抗は、いうまでもなくフランシスがはじめてでけるこの内乱抗争は、その後、ギーズ公とアンリ三世がそれ ぞれ凶刃に倒れたのち、アンリ・ドウ・ナヴァラが自ら進ん ない。すでにヘンリイ八世の時代にトーマス・モアや、その でカトリイクに改宗し、九三年ロマ教皇の允許をうけて位 オランダの友人工ラスムスは、スコラ哲学及びアリストテレ スに反対し、またフランシスの父ニコラス・べ ーコンも当時式をあげ、ここにヴァロア朝にかわってブル、ポン朝が始まっ の大学に支配的であったアリストテレス的学風に反対の意見たことをもって終結を見た。 を懐いていた。ケンブリッジにおける教育法にフランシスが 少年フランシスは、ほ、ほ二カ年半フランスにあってこれ
このふたりについては、すでに述べこ〔と・ニ・ ナ本訳書一四。〈ージ〕が、ちた、かれの手紙にあらわれているのであるが、そのなかで 1 かれはアリストテレスに、哲学の秘密あるいは神秘を世人に ようどよいところなので、もう一度とり上げることにしょ う。かれらの戦争中の勇敢な行為は、その種のものとしては知らせるのはいけないと諫め、かれ自身は帝王の権力でより 時代の驚異であったから、それを語ったり、述べたてたりすも学問と知識で他人にまさることを望んでいるのをかれにわ からせようとした。同上、 る必要はないのであるが、しかし、かれらが学間を熱愛した 〕そして、大王が学間をどれほど うまく利用したかは、知識の、それもあらゆる種類にわたる】 ことと、学問において欠けるところのなかったこととについ て少し述べることは適切である。 知識の応用にみちた、かれのすべての発言と応答にあらわれ ている、というよりもむしろ輝いているのである。 七・一一アレクサンドロスは、大哲学者アリストテレス の指導のもとに育てられ、教育されたひとで、アリストテレ 七・一ニこれらの点についても、万人の知っていること スはかれに、あれこれの自著の哲学書を献じている。大王を述べたてるのは、学識をてらった、いささかむだなことの 歴史家、大王の東方遠征にも同伴したが、 しかし、当面の間題を論じ ように思われるかもしれないが は、カルリステネス大王の東方化に反対して処刑された 〕その他 ていくうちにそういうことになるのであるから、わたくし、 多くの学者にかしずかれ、かれらは、大王の遠征を通じて、 かれの陣営におともをした。大王がどれほど学間を高く評価が、現存のだれにもおとらず、何百年も前になくなったアレ クサンドロスやカイサルやアントニヌスのような人物に対し していたかは、つぎの三つの事例のうちに、はっきりとあら われている。まず第一には、かれがアキレウスに対して嫉妬て、 ( もし世人がそういいたければ ) へつらいたがっている・ をいだくといつもいっていたことにあらわれている。それのだと世人が認めてくれることは、わたくしにはうれしいの である。というのは、わたくしは、王者に学問がある場合の は、アキレウスが、かれをたたえるラッパとしてホメロスの 詩句のようなりつばなものをもっていたことに対する嫉妬で ほまれをあらわに示そうとしているのであって、だれかをほ あ「た。〉 ~ サ〕第二には、ダレイオス王の宝めたたえて美辞をつらねる気持ちはないからである。それで、 石類といっしょに発見されたあの高価な小箱に関して、かれは、大王がディオゲネスについてつかったことばに注目し、 て、それが、最大の幸福はわれわれの外なるものの享楽であ が下した裁断あるいは解決にあらわれている。その箱につい るかそれとも軽蔑であるかという、道徳哲学の最大問題の一 て、どんなものが納められる値うちがあるかということが論 議されたとき、大王は、ホメロスの作品こそその値うちがあつのほんとうの解決に役だちはしないかどうかを調べてみら , ると裁断を下したのである。〔 ~ ~ の一一〕第三には、アリストテれるがよい。というのは、かれは、ディオゲネスがあれほど レスが自然学に関する書を公にしたのち、このひとに送っ わずかなものであのように満足しきっているのをみて、ディ
とも、事実をもっと鋭く見きわめるなら、誤りであることが はだいたいなくなってしまっているけれども、しかしそれに もかかわらず、哲学の部分については、なお無数の問題と論わかる。というのは、真の同意ということは自由な判断かう ( まず事実をよく調べたのち ) 同一の結論に到達することで 争が解決されていないのであるから、哲学そのものにおいて も、また論証の仕方においても、何も確実なあるいは健全なあるが、アリストテレスの哲学に同意した人びとの大多第 ものはないということはまったくあきらかである。 は、先人見や他人の権威にもとづいてそれに身を売ったので あり、したがってそれは同意でなくて、むしろ追従と付和雷 七七 同であるからである。しかしまた、それが真の一般的な同意一 ところで、こういうふうに考える人びとがある。すなわであったとしても、その同意はけっして真の確実な権威だと ち、少なくともアリストテレスの哲学は一般に認められてい 考えられるべきではなく、むしろそれとは反対のことを強く る。というのは、かれの哲学が出たのち、かれ以前の哲学は推定させるのである。というのは、すべての占い判断のう・ おとろえすたってしまい、またかれ以後の時代にもそれにまち、知的な間題について一般の同意〔意 一の〕から得られるもの さったものは何もみられないほど、かれの哲学はうまくでき ほどよくないものはない ( もっとも、投票の権利が認められ ていて、しつかりした基礎をもっているので、かれ以前とか ている神学と政治との場合〔疉罎〕は別である ) ゆえ れ以後との二つの時代をおともにひきつれているように思わである。それというのも、うえに述べたように、大衆の賛成 れるからである。このように考えるのであるが、まず第一 は、想像力を刺激するか、通俗的概念の。ハンドで知性を縛る に、アリストテレスの著作が出たのち、それ以前の哲学がおかしないかぎり得ることができないからである。そういうわ とろえすた「たと考えることはまちが 0 ている。というのけであるから、あのフォキオン〔わ一・ニ。・四一〕のことば、 は、むかしの哲学者たちの著作はその後も長らく、キケロの「大衆が賛成して喝条するときには、自分がどんな誤りをし プル 時代とその後の時代にまでも残っていたからである。しかし罪をおかしたかをすぐに調べてみなければならない」〔タ ながら、のちの時代になって、野蛮人がローマ帝国になだれ オン伝」八〕を道徳の領域から知性の領域に移してみるのがも こんだために、人間の学問がいわば難破にあったそのとき っともよいのである。したが「て、この徴証〔玖という。 に、アリストテレスと。フラトンとの哲学は、他のものより軽ともめでたくないものの一つである。そういうわけで、現在 くて、堅くない材料でできている船板のように、時の波にの 行なわれている哲学とその他の学問との真理性と堅実性につ いての徴証は、それらがおこった起源から得られるものも、 一・五・三、一・七一、〕なおま まれすに残「たのである〔本 た、アリストテレスの哲学が一般に認められているというこ成果から得られるものも、発達の経過から得られるものも、
鋭いものと平たいものとの突きさしぐあいのちがいが大きい のに似ている。というのは、「あなたがたの敵はこれをよる こぶだろうー〔「も論術」一の六 「わたくしの死を、かのイタカ人は望み、アトレ ウスの子ら〔と アガメムノン〕よほうびをも「てむくいるだる ウエルギリウス「アイネイス」二の一〇四、木馬をトロイア城に引 き入れさせるために、シノンが偽って降伏して来たとき、トロイア 人がかれを殺そうとしたのに対 して、シノンがいったこと・ま といわれるのを聞くと、「ただこれはあなたがたにとってよ くない」といわれるのを聞くよりも、感動が少し大きくない ようなひとはいないからである。 一八・七第一一に、さきに言及した本訳書一一六ページ以下 ともふたたびとり上げるが、それは、ことばの衣装戸棚をつ 、非難されるものは悪であくっておき、即座に発見できるようにするための用意あるい は備蓄に関することであって、それには二つの種類があるよ 二二ロ うである。一方は、でき上っていない部品の店に似ており、 〕他方は、ちゃんとでき上った品物の店に似ているが、双方と 「商人は売ろうと思う商品を賞賛する。」気」 = の二の一一 「よくない、よくないと買うひとはいうが、しかし、その場も、顧客の足しげくゆく、需要度のもっとも高いものをおく べきものである。それらのうち、さきのものをアンティテト を去「てから、自慢する。」〔」をアリストテレスの労作に ン、あとのものをフォルムラとよぶことにする。 おける欠陥は三つある。その一つは、多くのしるしのうち少 数しか収めていないこと、もう一つは、論破がつけられてい 一八・八アンティテトンは、賛成論と反対論とし ないこと、第三は、かれがそれらの用途の一部しか考えなか て論証される命題〔本訳書一一六 ~ ージ〕である。それを人びとは ったことである。というのは、それらの用途は、証明にだけもっとひろく、骨おって集めるほうがよいが、しかしわたく あるのではなく、印象づけることにおいてずっと大きいからアンテイしとしては、 ( そうすることのできる人びとの場・ である。というのは、その意味が同じでも感銘のちがう形式テトン合には ) 冗長な記載になることをさけるために、 それぞれの論証の種子がいくつかの簡単な鋭い文句に圧縮さ がたくさんあるもので、そのことは、衝撃の力は同じでも、 るところではない。 一八・六それゆえ、これから、 ( さぎに述べたように ) ニ・一八・一、〕侍女のようなものにすぎないが、欠けてい るものについて詳しく述べよう。まず第一に、アリストテレ 「弁論術」一の六ー〕の知恵と細心の注意が十分にひきつが れているとは思われない。かれは、善悪を、絶対的なものを 何が善であるか、悪であるか、また何がい も相対的なものをも〔 〕一般人 っそう善であるか、し 、っそう悪であるか 絶対酌な、まがみわけるしるしと目やすとの用例集をつく りはじめたのであるが、それらは ( さきにふ た相対的な、 < ・ニ・一四・八、弁侖術の詭弁といっ 善悪のしるしれた ) 〔本訳書二九一 1 ジ てもよいものである。たとえば、 詭弁 「賞賛されるものは善であり
。一・五・五、本訳書三四ページ、ペー というのは、すべて連合と和親は、たがいに知りあい、奉隹 〕そういう うるのであろう〔 コンはコペルニクス説を承認しなかった わけで、現に、医学は、自然哲学から見はなされ見すてられしあうことから成り立つように、この精神と身体との連合に ると、やぶ医の術とたいして異ならないのである。それゆも、つぎの二つの部分がある。それは、どのように一方が他 え、これだけの保留をつけたうえで、われわれは、人間に関方の正体をあきらかにするか、またどのように一方が他方に する哲学、あるいは人間に関する学間に進むのであるが、そ作用するかということ、すなわち、正体をあきらかにするこ れには二つの部門、すなわち、人間を、集団をつくっていな ととはたらきかけることとである。これらのうち前者は二つ の技術を生んだが、二つとも予言または予知に関するもので いものとして、すなわち個別的に考察する部門と、・集団をな したものとして、すなわち社会において考察する部門とがああり、そのうち一方はアリストテレス〔その嘯〕によ「て、他一 その書〕によ 0 て、研究される光栄に浴し る。したが「て、人間に関する哲学は、単純で個別的なもの方はヒッポクラテス〔「予 であるか、結合して社会的なものであるかのいずれかであている。そして、両者はちかごろ迷信的で空想的な技術に結 る。そして個別的な人間に関する学問は、人間を構成するそびあわされがちであるが、しかし、それらの真実な状態に浄 の部分から成り立つ。すなわち、身体に関する知識と精神に 化されもどされるなら、両者とも、自然のうちに堅実な基礎、 関する知識とから成り立つ。しかし、人間に関する学問をそと、生活のうちに有益な用途をもっている。第一の技術は のように区分するまえに、それを全体としてうちたてるのが 相の術であって、身体の外形によって精神の性向をあきらか よい。というのは、わたくしは、人間性の一般的で全体的な にする。第二の技術は、ふつうの夢の解釈であって、精神の 考察を、それだけきり離して、一個独立の知識とするのにふ想像によって身体の状態をあきらかにする。これらのうち、 さわしいものと考えるからである。もっとも、そう考えるの 前者にわたくしは欠陥を認める。というのは、アリストテレ・ は、人間の威厳、悲惨、生活状態などといった、人間の共通身ぶリと身体のスは、身体の形態をひじように器用に骨身・・ 的で分かたれない本性に属することがらについてなされた、 運動に関する、おしまずにとり扱いながら、身ぶりのほう , あのゆかいでたくみな談論を考えてのことではなく、主とし観相術の部門 はそうでなかったが、身ぶりも同じように . いっそう有用で、いっそう役にた て、精神と身体のあいだの共感と符合とについての知識を考技術によって理解し得る、 つものであるからである。それというのも、身体の外形は、 えてのことであり、その共感と符合は、混成しているので、 いずれか一方についての学問にふりあてては当を得ないこと気質と性向一般をあきらかに示すが、しかし、顔の道具の連 になるからである。 動は、それだけでなく、なお精神と意志との現在の気分と林 態をもあきらかに示すからである。陛下がもっとも適切にた この知識气間性の一般酌〕こは、二つの部門がある。
き出すほどである。したがって、これまでの誤りの根元、す比べてみるともっともよくわかるのである。すなわち、アナ なわち誤った哲学の種類は、詭弁的なものと経験的なものと クサゴラスの同質素〔紲界のもとのもの考えられた、「万物の種子」は、 迷信的なものとの三通りである。 モイオメレ」とよばれた・〕の説、レウキッポスとデモクリトスと 「火」 ( 天 ) と地は の原子の説、パルメ = デスの天と地〔 有と非有の象徴 ペドクレスの争いと愛の説「ヘラクレイトスの物体は解体し て火の無差別な本性になったのち、ふたたび凝り固まるとい 第一の種類のもの〔蛤理的な、あるい 〕の例はアリストテレスに もっともあきらかにみられるのであって、かれはその論理学う説はいくらか自然哲学者の説らしいものをもっていて、事 物の本性や経験や物体のにおいを感じさせるが、アリストテ によ「て自然哲学を台なしにしてしま「た。 ( 「←一一新平塾 レスの自然学は論理学の用語以外はほとんど何も聞かせない 三ハ〕すなわち、かれは世界を範疇からっくりあげ、も「とも 高貴な実体である人間の魂を第二志向の語によって定義されのであり、その論理学をかれはまた形而上学においていっそ アリストテレス「霊魂論」二の一に「魂は、 う重々しい表題〔れかし、「形面上学」という語は、その起源からいえで、 る類に属するものと考え〔 生命をそのうちに可能態としてもっている自 然的物体の第一次的 ( 低次的 ) 現実態である」と定義されている。 ーーー事物の本 しかも唯名論者としてよりもむしろ実念論者としてとり扱っ 質をあらわす概念が第一志向とよばれるのに対して、類、種等をあらわす概念は 中世的意味ではなく、事物の本性を、ただ思惟され、語られるも 第二志向と、 ている。〔 〕濃厚と稀薄ーーそれによって物体が大きなあるい よばれる のとしてではなく、実在するものとしてとり扱ったという意味 は小さな広がりをもち空間を占めるーーの間題を現実態と可なおまた、かれの「動物論」、「問題論」、その他の論著におい て、しばしば実験がとり上げられていることにもまどわされ 能態という形式一点ばりの区別によ「て片づけてしまい谿ト テレス「自然学」四の五によると、水は農厚化された空気、空気は薄化された てはならない。すなわち、アリストテレスはあらかじめ結論一 水と考えられ、したがって可能態においては、水は空気であり、空気は水であ 巻 る〕、そしてまたおのおのの物体はそれに固有な唯一の運動だをきめていたのであ「て、結論をきめ一般的命題をうちたて 第 けをもっていて、それが他の運動をも分有する場合、それは るために、経験を適当に利用すべきであるのに、それを怠っ アリストテレス て、ます勝手気ままに結論をきめたのち、自分の考えどおり 他のものによって動かされるのだと主張する〔 「天体論」二の一 に経験をゆがめて、いわば捕虜のようにひきずりまわすので ガ三、「自燃〕など、そのほか無数に多くのことを勝手気ままに オ 考えて、事物の本性におしつけたのであって、かれはいつである。したがって、この点においても、アリストテレスは、経 験をまったくすててしまった、かれの新しい追従者たち ( ス ヴも、事物の内的真理をつかむことよりも、どうしたらうまく コラ哲学者の仲間 ) よりもいっそうとがめられるべぎであ 答えおおせるか、また言語のうえではっきりさせられるかと る。 いうことに苦むしていたのである。そしてこのことはま、こ、 かれの哲学をギリシア人のあいだで有名であった他の哲学と
133 一八・四なおまた、もしも感情それ自身が御しやすく キケ。「弁 ( 「家。三二の一一三〕、一方はかたくにぎ 0 たもので て、理性に従順なものであったら、意志に対する説得と巧言他方はしまりなく開いたものくらいのものではなく、つぎの などを用いる必要はたいしてなく、ただの命題と証明だけで点においてもっと大きいようにも思われる。すなわち、論理 十分であろうが、しかし、感情がたえずむほんをおこし扇動学は、道理を、厳密に、真にあるがままにとり扱い、弁論術 するのを、すなわち、 は、それを、一般人の考え方と習俗にうけつけられるように 「よいほうの道はわかっており、そのほうがよいと思う。 とり扱うのである。それゆえ、アリストテレス〔「弁論術」一 オウイデイウ しかし、わたしはわるいほうの道をたどる」〔 ス「変身譚」弁論術を、一方の論理学と、他方の道徳哲学あるいは政治哲 七の 学との中間におぎ、両者の性質をおびるものとしているのは のをみると、もし説得の雄弁がたくらんで、想像力を感情の正しい。というのは、論理学の証明と論証は、すべての人び 側から味方に引き人れ、理性と想像力との同盟ご結んで、感とに対して異なることなく同一であるが、しかし弁論術の証 情と対抗しなければ、理性は捕虜と奴隷になるであろう。と明と説得は、聞き手に応じて異なるべきであるからである。 いうのは、感情そのものにも、理性と同じように、つねに、 「森のなかのオルフエウス、イルカたちにかこまれたア ウエルギリウス「詩選」八の五六。ォルフエウスは、森の本 善への欲求があるが、感情は現在だけを見、理性は未来と時 木をも動かした音楽の名手。アリオンは、たて琴の妙音によ ってイルカたちに溺死 間の全体とを見るという点で異なり、そしてそれゆえ、現在 を助けられた音楽家 のほうがいっそう多く想像力をみたすので、理性はふつう負このように話し方をかえることは、理想的に完全にしようと かされてしまうからである。しかし、雄弁と説得との力が未すれば、同じことをちがったひとに話す場合に、そのすべて 来の遠いものをも、現在のように見えさせてしまえば、その に対して、別々に、ちがった方法で話すことにまで徹底され ときは、想像力の寝がえりで、理性が勝つのである。 もっとも、この私的な談話における弁舌の、 ねばならない。 一八・五それゆえ、弁論術はわるいほうの側を正しいよ 相手をみて仕方をかえる方面は、すぐれた弁論家たちでさえ 第 うに見せるものだなどと非難されえないことは、論理学は詭もとかく欠きがちであるが、かれらは、お上品ぶった弁論の 弁を教えるとか、道徳哲学は悪徳を教えるとか非難されえな形式を守ることによって、聞き手に応じてさっと話し方をか の いのと同じであると、われわれは結論する。というのは、わえることができなくなっている。それゆえ、この問題をもっ れわれの知るように〔アリストテレ , 「弁 論術」一の一の一四〕、同一の学間も、反対私的な談話のとよく研究するよう勧めることも、的はずれ の目的をもって、あい反するものを研究するからである。な知恵の研究ではないであろう。その研究をここにおく おまた、論理学と弁論術との相違は、ただ、こぶしと手のひか、それとも政治学に関する部門におくかは、とんちゃくす
いわねばならない。 ついていえば、それは、諸学を成長させあるいは発達させず というのは、弟子は、完全に教えこまれ に、低いところに停止させておくおもな原因なので、諸学が るまでは、一時的に師のいうことを信じて、自分の判断を下 それからうける損害ははかりきれないほどである。というのすことをさしひかえねばならぬだけであって、完全に自由を は、この過度の信用のために、機械的技術においては、最初放棄したり、永久に拘東されたりせねばならぬわけではない の考案者はごくわすかのことしかなしとげず、時がこれにつ からである。それゆえ、この点の結論として、わたくしは、 けたしをして完成するのに、諸学においては、創始者がもっ偉大な創始者たちがその当然うけるべき尊敬をうけるのはよ とも多くのことをなしとげ、時がこれをすりへらし、そこな いが、創始者中の創始者である時が、その当然の権利、すな うことになったのであるから。そういうわけで、現に、大砲わち、さらにふかく真理の正体をあばく権利をう、はわれない 製造術や航海術や印刷術などは、はじめはやりかたがへたで ようにしなければならないとだけいっておこう。わたくし あったのが、時によって、改善され、洗練されたのである は、これで、学問の三種の病気をしらべたが、なおそのほか 、が、それとは反対に、アリストテレス、。フラトン、デモクリ に、はっきりした病気というよりはむしろ不健康な状態とで トス、ヒッポクラテス、エウクレイデス、アルキメデスの哲もいうべきものがある。それでも、それらは、どれほどかく 学と諸学は、最初はもっとも生彩があったのが、時によって、 れていて目立たないものであっても、人びとの目にとまっ 退化させられ、さきの生彩を失わされたのである。その理由て、悪口をいわれるものであるから、見過ごしてはいけない というのは、さきの技術の場合には、多くの人びとの知的努のである。 力が同一の対象にささげられているのに、あとの諸学の場合 には、多くの人びとの努力がだれかひとりの知力の研究に費 五・一それらのうち第一のものは、二つの極端に対する やされて、しかもしばしばそれをあきらかにせずにむしろゅ極度の愛好である。すなわち、一方は古いものの偏重であ がめてしまったからにほかならない。というのは、流れ下る り、もう一方は新しいものの偏愛である。そして、この点、 水がその最初の水源の高さよりもうえに上ることがないよう時の子どもは、その父冗 ~ 〕の本性と悪意をうけっしでいる に、アリストテレスからおこって、自由に吟味されずにうけようにみえる。というのは、父がその子どもをむさぼり食ら とられる知識もまたアリストテレスの知識よりもうえに上る うように、子どもはまたたがいにむさぼり食らって相手をな きものにしようとするからである。すなわち、古いものを好 ことはないであろうから。それゆえ、「学びつつあるあいだ は信じなければならない」という規則は正しいけれども、そむ保守的なひとは、新しいものがつけ加わる変革を憎み、新 の裏として、「学んだあとでは判断しなければならない」と しいものを好む急進的なひとは、ただっけ加えるだけでは満
というかれの結論を認めるのなら、かれはその習性をかためあるいは自然の彎曲と反対に曲げることによ 0 て杖をま 0 す 強める方法をなおさら教えるべきであった。というのは、身ぐにするのと似ている。 一ニもう一つの教則は、めざすところのものが、 体の鍛練を規制する教則があるように、精神の鍛練を賢明に 規制する教則がたくさんあると思われるからである。われわそれを第一目標とせずに、「いわば他のことをしながら、達成 されるものであるなら、それがどういうものであろうと、精 れはそのいくつかを列挙することにしよう。 しっそうらくに気持よくそれをするようになるのであ ニニ・九第一の教則は、はじめに、あまりにむずかし神は、、 るが、それというのは、精神が必然と東縛を生来にくむから あるいはたやすい仕事をひきうけないように気をつけよ だということである。他にも、精神を鍛練し習慣を規制する ということである。というのは、あまりむずかしいと、自信 のないひとには落胆させ、自信のあるひとにはあまくみる考ことに関して多くの準則があ 0 て、鍛練と習慣はそれによ 0 て指導されるとほんとうに第二の天性と化するが、なりゆき えとそれゆえに怠け心をおこさせ、自信のあるひとにもない ひとにも、とてもみたされない期待をいだかせ、こうしてつまかせにしておくと一般にサルまねの天性にすぎないものと 化して、びつこで、見せかけだけのものを生み出すのがつね いに不満を覚えさせるのであり、また他方、あまりたやすい である。 と、どのような大きな仕事もなしとげ征服することが期待で 一三同じようにまた、もしわれわれが書物と学問 きないからである。 一三・一〇もう一つの教則は、すべてのものごとは主とを、そしてまたそれらが性格にどんな影響と作用を及ぼすか して二つの異な 0 た時に、一つはも「とも気のりのしているをとり扱うとすれば、それに関して大いに警告となり指示と なるさまざまな教則があるのではなかろうか。教父のひと 時に、もう一つはもっとも気のりうすの時に行なうというこ とであるが、それは、気のりしている時に大きな進歩をと アウグステイヌス〕よ、詩を、それが誘惑と精神の動揺と妄想 「告白」一の一六 げ、気のりうすの時には〔奮励カ精神の結ぼれやしこりをつのらせるというので大いに怒 0 て、「悪魔のブドウ酒、 とよびはしなかったろうか。アリストテレスが、若者たちは をとり除き、その中間の時をそれだけきらくに楽しくするた 道徳哲学を聴講するに適していない、それというのはかれら めである。 が感情のわきたつような熱がおさまってはいず、時と経験に 一一もう一つの教則は、アリストテレス〔「 = : 「ニコマコス倫理学」一の三参照、 よって円熟していないからである〔 ただし、アリストテレスによると、 学一〕がついでに述べていることであるが、われわれが生ま 若者たちが聴講するのに適しないのは、政治学であ 〕というとき、その意 って、ペ 1 コンのいうように、道徳哲学ではない れつきそれへの傾向をもっているものとは反対の極端に向か 見は傾聴に値しはしないだろうか。そういうことがもとで、 うべきだということである。それは流れにさからってこぎ、
152 ニニ・四それで、この知識の第一項は、人間の天性と傾切であるだろう。同じようにまた、アリストテレスが、「会 向とのいろいろちがった性格と気質との確実で正しい分類と話 ( 当人に少しも関係やかかわりがないことがらについてと して ) においてなごやかにし、喜ばせるたちのひともあれ 記述を書きとめるということである。そしてとくに、他のも のの源流と原因なのでもっとも根本的である、あるいはもっ ば、それとは逆に反対しさからうたちのひともある」〔「。ス 倫理学」 ということを考察しているのは、もっともなことで ともしばしば合流したり混入したりする差異を顧慮しなけれ ばならない。 このさい、諸徳の中庸をいっそうよく描こうとあるが、「会話や談話においてではなく、もっとまじめなこと がら ( そしてこの場合にも、まったく自分にかかわりがない して、それらの差異のうちわずかなものだけをついでに論じ というの ことがらについてとして ) において他人の幸福を喜ぶたちの たのでは、この意図を達成することはできない。 ひともあれば、それとは、逆に、他人の幸福を不愉快に思う は、大事に向いたひともあれば小事に向いたひともある ( こ 「 = 「ご , 倫〕は大度の名で論じてたちのひともある」ということもず「とよく考察するのが当 のことをアリストテレス〔理 いる、あるいは論ずべきであった ) ことは、考察に値する然ではなかろうか。これは、やさしい性格かあるいはいじわ るな性格、善意かあるいは悪意とよんでしかるべきものであ が、同じように、多くのことに心を向けるのに適したひとも る。そしてそれゆえ、わたくしは、天性と傾向とのいろいる あれば少数のことに心を向けるのに適したひともあることも また考察に値するのではなかろうか。それゆえ、同時にたくちがった性格に関する知識の部門が倫理学でも政治学でもな おざりにされていることをどれほど不思議としてもなおたり さんのものに注意を払うことのできるひともあれば、多分、 ないのである。この部門は、その双方に役だち補助となるか きちんとりつばにやってのけはするが、同時には少数のもの らである。占星術の伝承のなかには、どの星の下に生まれた でなければならぬひともあるわけである。そしてそこから、 狭量といくじなさも生じることとなる。なおまた、ただちかに従って、静かなことの好きなひと、活動の好きなひと、 に、あるいは短期間にかたづけられるようなことに向くひと勝利の好きなひと、名誉の好きなひと、快楽の好きなひと、 もあれば、ずっと以前にはじめて、ながいあいだかかってや学芸の好きなひと、変化の好きなひとなどという、人びとの 性質のいくつかの器用で適切な区分が見出されるであろう。 っとかち得る 「もうそのとぎからもくろみ、ひそかに望んでいた」 〕また、イタリア人が枢機卿会議に関してしる 本訳書三六ペーシ 。いくたりかの枢機卿 している賢明な種類の記録のなかによ、 ィネイス」一の一一一一〕 の性質が美しくいきいきと描かれているのが見出されるであ ものに向いたひともある。それゆえ、ふつう大度として神に 。ランケ「教史一〕また、日常の会話のなかでは、感じやす も帰せられているものは、この場合は、気ながというのが適ろう〔付