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検索対象: 世界の大思想6 ベーコン
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1. 世界の大思想6 ベーコン

であるからである。さて、この事例の用途は、偽りの形相を がって、その性能ないし作用が、この運動をひきおこす二つ 摘発して、手近な事物からおこる軽率な思弁をはねつけるこ の物体の中間で停止しているような、時のある瞬間と場所の とにあるのであって、したがって、この事例は、いわば知性ある間隔があるわけである。したがって、考察の対象はこう いうことである。すなわち、この運動の両方の端である物体 におもしやおもりをつけるものである「、 0 一・一 0 四、本〕。 とくに、「事物 が中間の諸物体に変動あるいは変化をおこさせ、したがって たとえば、探究されている本性は、テレシウス〔 の本性につい 〔これら中間の物体相互の〕つぎからつぎへとつづく実在的 て」一の〕によ「て、「会食仲間」であり、いわば同室のあいだが らであるとよばれている、あの匹つの本性、すなわち熱と光な接触によって、その性能は一方の端から他方の端まで伝達 . 輝と稀薄性と可動性 ( 運動しやすいこと ) であるとしよう。 されるとともに、中間の物体のうちに存続するのであるか これらのあいだには多くの離別の事例が見出される。すなわそれとも、こういった中間の物体などは何もなく、ただ〔両 、ち、空気は稀薄で運動に適しているが、熱くもなければ輝い 方の端の〕物体と性能と空間だけがあるのかということであ てもいない。月は輝いているが、熱くはなく、沸かされた湯る。ところで、光線とか音とか熱とかその他いくつかの遠隔 ・は熱いが、光をもたない。尖軸のうえの鉄針の連動は迅速で作用を行なうものにおいては、中間の諸物体が変動と変化を 鏡敏であるが、その運動は、冷たくて濃密で不透明な物体に こうむるということは、ありうることであって、そのような おこるのであって、この種のものはほかにも多い。 作用を伝えるためには、それに適した媒体が必要であるか 同じように、探究されている本性は、物体的本性と自然的ら、なおさらそうである。しかしながら、あの磁力ないし引 作用であるとしよう。というのは、自然的作用は、何らかの力は、その媒体がどのようなものであってもかまわないので 物体のうちに存続するものとしてでなければ見出されないよあって、その性能はどのような種類の媒体によっても妨害さ うに思われるからである。しかしそれにもかかわらず、このれることはない。 ところで、その性能あるいは作用が中間の ・問題に関してもおそらくいくつかの離別の事例があるであろ物体とは何のかかわりももたないとすると、ある時間とある う。鉄を磁石へ、重いものを地球へひきつける磁力的作用が場所に、物体なしに存続する自然的な性能あるいは作用があ そうであり、その他いくつかの遠隔作用もまたそれに加えら ることになる。というのは、その性能あるいは作用は、両方 れることができるであろう。すなわち、この種の作用は、時の端の物体のうちにも、媒体のうちにも存続しないからであ る。それゆえ、そのような磁力的作用は、物体的本性と自然 間においては、つぎつぎの瞬間を通じてーー時の一点〔七に おいてではなくーー行なわれるのであり、また、場所におい 的作用に関する離別の事例とみなされうるであろう。そして ては、順次に空間を経過しながら行なわれるのである。した これに、看過してはならない系あるいは副産物として、つぎ

2. 世界の大思想6 ベーコン

370 味することによって、たやすく実行することができる ) 、そ等になるとなおいっそう異なるのであって、このことをわた くしは、それらの液体をガラス瓶 ( ここではすべてが明瞭に れから、どのようにしてその種子がうす皮を破り、ひげのよ うなものを出し、それと同時に、土がひじように堅くなけれ見分けられる ) にいれ、弱い火にかけて沸かすことによっ ば、少しばかり上のほうへもちあがるか、またどのようにして、たやすく認めることができたのである。しかし、これら て、そのひげのようなものを、あるいは根として下のほうの点については簡単に触れるだけにしておこう。事物の「か へ、あるいは茎として上のほうへ出し、ときには、横のほう くれた過程」の発見について述べるときに〔ニ・五ニの末尾、、 の土がすきまだらけでもろいとわかると、そのほうへ伸ばすそれらの点についても、もっと詳細にもっと精密に論ずるつ か、こういったたぐいの多くのことを調べなければならな もりである。というのは、ここではわたくしは事物そのもの い。卵の孵化に関しても同じように調べるべきであって、そを扱っているのではなく、ただ実例をあげているにすぎない うすると、生命が与えられ、組織がつくられる過程を容易に ということをつねに記憶にとどめねばならぬからである。 認めて、黄味からは何が、またどの部分が生じ、白味からは 何が生ずるか等々を知ることができるであろう。腐敗から生 ずる動物に関しても、同じような方法をとるべきである。と 特権的事例の一つとして、第十九に「補足的事例」ないし いうのは、完全な哺乳動物に関しては、胎児を母胎から切り「代用的事例」をあげよう。これをわたくしは「避難の事例」 離して、そういう探究を試みることは、流産や狩猟などによ ともよぶことにしている。これは、感官がまったく頼りにな る場合は別として、人道的でないからである。したがって、 らない場合に告知の補足をする事例であるので、それゆえ、 自然〔の動き〕は昼間よりも夜間にいっそうよくわかるのでわたくしは、適当な事例が得られないときに、この事例のと あるから、自然に対してはいわば夜どおしの番をしなければ ころへ避難するわけである。ところで、このような代用に ならない。というのは、このような探索は、小さいともしび は、漸次的接近によるものと類推によるものとの二通りあ をたえずつけておかねばならないので、夜警の仕事とみなさ る。たとえば、鉄をひきつける磁石の作用をまったく妨げる れることができるからである。 ような中間物は見出されていない。〔磁石と鉄との〕中間に おかれた金も、銀も、石も、ガラス、木、水、油、布や繊維、・ それだけではなく、無生物に対しても同じ試みがなされる べきであって、それを、わたくし自身は、火による液体の膨空気、啗等々も、磁石の作用を妨げはしない。それにもかか 脹を探究して実行したことがある。すなわち、水とブドウ酒わらず、精密な検査によると、他の中間物よりもーー・比較的 と酢と果汁とでは膨脹の仕方はそれぞれ異なり、牛乳や油等に、すなわちある程度はー・ー磁石の性能を鈍らせるような何

3. 世界の大思想6 ベーコン

374 る。そういうわけで、わたくしは、つぎにこれら七つの事例 なおそのほかに、きわめて短い距離ではあるが、ある距離 を一つ一つとり扱って、これをもって特権的ないし卓越的事をへだてて作用する性能もある。こういう性能は、これまで 例に関する部門を終ることにしようと思う。 ごくわずかしか気づかれていないけれども、人びとが考えて いるよりもたくさんあるのであって、たとえば、 ( よく知ら 四五 れた例をあげると ) 琥珀や黒玉が藁をひきつけ、泡が近くの 特権的事例の一つとして、第二十一に「物差の事例」ない 泡をこわし、いくつかの下剤が体液を高いところ〕からひ し「測量桿の事例」をあげよう。これをわたくしは「有効範きおろす等々といった場合がそうである。ところが、鉄と磁 囲の事例」または「極限の事例」ともよぶことにしている。 石、あるいは二つの磁石がたがいにひきあう磁性は特定の狄 というのは、事物の性能と運動は、不定の偶然的な空間を介 い有効範囲内で作用するが、それと反対に、大地自体から してではなく、はっきり限定された特定の空間を介して作用 ( 地表の少し下から ) おこる何らかの磁性が鉄針に、その両 し成就するのであるから、それぞれの本性の探究のさいにそ極性に関して作用する場合には、その作用は遠距離への作用 ういう空間を確認し観測することは、実践にとって、ただ失なのである。 敗を防ぐためにだけではなく、実践をいっそう広範囲にわた なおまた、同感によって作用する何らかの磁力が存在し る有力なものとするためにも、きわめてたいせつであるゆえ て、地球と重い物体とのあいだに作用し、あるいは月と海水 である。それというのも、ときとして、事物の性能を拡張し とのあいだに作用し ( これは半月ごとの大潮と小潮から考え て、 ( いわば ) 距離をぐっと短縮することも、たとえば望遠 てまったく信ずるに値すると思われる ) 、あるいは恒星天と 鏡の場合のように、できるからである。 遊星とのあいだに作用して、そのために遊星はその遠地点へ ひきよせられ高められるのであるとすると、これはすべてき ところで、たいていの性能は、ただ、あきらかな接触によ ってのみ作用して影響をおよぼすのであって、たとえば、二わめて遠距離への作用である。また、ある物質においては、 物体の衝突においては、ぶつかってゆく物体がぶつかられる かなり遠距離からの点火ないし引火がおこるのが認められる ヘロドトス「歴 のであって、それは、。 : 物体と接触しないかぎり、一方は他方をおいはらわない。ま , ヒロンの石汕〔ナフタ 史」一の一七九、。フルタル た、軟膏や絆創膏のような外用薬も、身体に接触しないかぎ ド。ス伝」三五、〕について語られているとおりである。熱もま り、その効能をあらわさない。最後に、触覚や味覚の対象たはるか遠方からしのび込み、冷気もまたそうであって、カ は、それそれの器官に触れないかぎり、そういう感覚を刺激ナダの住民は、北氷洋で離れ出て漂流し、大西洋を経て沿岸 しな、 のほうへ運ばれてくる氷山ないし氷塊を、それらが遠くから

4. 世界の大思想6 ベーコン

まいあが 0 てただよう塵において認めることができる。そしわたくしはときとしてこれを「デモクリトスの事例」〔五一、 4 訳書二四 3 てこれらいすれの場合にも、合体はおこらないのである。と 〕と名づけることもある。これは、自然のおどろくべ ころで、うえに述べたような似姿を思い浮かべることは、液き精緻な微妙さを知性に気づかせ、知性が注意し観察し適切 な探究をするようによびおこし目ざます事例である。たとえ 体相互のあいだに見出されるような異質性が気体相互のあい ば、インキの小さな滴があのように多くの文字や行に広がる だにもありうるかどうかということがあらかじめ注意ぶかく こと、表面だけ金めつきされた銀の小片があのように長い金 探究されたうえなら、この主題にとって不都合ではない。と めつきされた糸に伸ばされること、皮膚のなかに見出される いうのは、それがありうることがわかってはじめて、似姿で あるものは類推によって代用されて差しつかえないからであような小さい寄生虫がそれ自身のなかに精気とともにさまざ る。 まな組織をもっこと、小さなサフランが樽いつばいの水をも そして、この補足的事例に関して、わたくしは、適当な事染めること、小さなジャコウや香料がずっと大量の空気を芳 例が欠けているさいに ( 避難のために ) 補足的事例から告知香でみたすこと、わすかばかりの抹香からひじようにたくさ を求めるべきであると述べたが、しかし、補足的事例は、適んの煙がたちの、ほること、分節のある語のような、ひじよう 当な事例が現存する場合にも、はなはだ有益であることを理にはっきりした差別のある音が空中をあらゆる方向へ運ばれ 解されたいと思う。すなわち、補足的事例は、適当な事例とて、木や水のすきまや孔をさえも ( すいぶん弱められてでは 、つしょになると、告知を確証するのに役だつのである。しあるが ) 貫通し、なおそのうえに反響もするが、これがまた かし、この点については、議論がもっと進んで帰納の支柱じつにはっきりしていてすみやかであること、光と色があれ 0 ニ・ニ一のおわり、 ほど遠くまであのように速く、あのように精妙な変化のある しっそう精密に述べる 〕を扱うさいに、、 本訳書三二九ページ注 映像をともなって、ガラスや水といった充実した物体を通過 ことにしよう。 し、そしてまた屈折し反射すること、磁石があらゆる種類の 四三 物体を隔てて、もっとも緻密な物体をさえも隔てて作用する 特権的事例の一つとして、第二十に「分解的事例」をあげこと、しかも ( なおいっそうおどろくべきことであるが ) こ よう。これをわたくしは「覚醒的事例」ともよぶことにしてれらすべての場合に、中性の媒体 ( 空気のような ) において いるが、その名称の理由は異なるのである。すなわち、覚醒は一つの作用が他の作用をたいして妨げないこと、くわしく 的とよぶのは、知性をつついて覚醒させるからであるが、分 いうと、あのように多くの可視的物体の映像、分節語のあの 解的とよぶのは、自然を分解するからであって、したがって、 ように多くの響き、あのように多くのちがった香り ( たとえ

5. 世界の大思想6 ベーコン

342 古代ーマで先駆の警士が捧 国の標章からその名をとって ) 「東桿〔 けも。た、執政官の権威の標ある。しかしながら、そういった場合にも、技術の作品が知 章。棒を東ね、その東の上部のあいだ 〕の事例」をあげよう。これを性をおさえつけ、いわば地面にくつつけておくことのないよ から斧の刃がみえるようにしたもの わたくしは人間の知力ないし手練ともよぶことにしている。 うに、できうるかぎり警戒しなければならない。 これは、おのおのの技術におけるもっとも高貴で完全な作品 それというのは、人間の努力の頂点と絶頂であるようにみ であり、いわ、は最高の傑作である。というのは、自然を人間 える、この種の技術の作品によって、知性はすっかりおど「つ の仕事と利益に役だたせることが主要な目標であるゆえ、す かされ、東縛され、それにいわば魅了されてしまって、他の でに人間の力をもってつくることができた作品、とくに、も ものにはなじむことができずに、この種の作品は、現にそれ っとも洗練された完全な作品を、 ( 以前に占領し征服した地らがつくり出されたと同一の道によってのみーー・ただ、いっ 方のように ) 記録にとどめて数えあげることは、まったく適そう多くの注意といっそう周到な準備を加えてーー・生み出さ 切であるからであって、それというのも、これらの作品かられることができると考える危険があるからである。 出発すれば、これまで発見されたことのない新しい作品に至 それとは反対に、つぎのことは確実だといわなければなら る道はいっそう平坦で、いっそう近くなるからである。すな ない。すなわち、結果や作品をつくり出す道や方法のうち、 わち、これらの作品について入念な思索をこらしたのち、そこれまでに発見され記録されたものはたいてい貧弱なもので の企てを熱心にたゆまず推進しようとするひとがあるなら、 あって、大きな力はすべて形相に依存し、形相という源泉か そのひとはそれらの作品を、あるいはもう少し先へ進め、あら順序をふんでおこってくるのであるが、この形相はいまま るいは何かそれに近いものに転化させ、あるいは何かもっとでのところ何も発見されていないのである。 高貴な用途に転用しさえするであろう。 〕述べたように ) 古 したが「て、 ( どこかで〔訳書二七九〈ージ しかしこれで終りではない。たしかに、自然の稀有で異常人が用いた機械や破城槌について考えたひとが、そのことに な作品によって知性は刺激され高められて、それらの作品を熱中して全生涯を費やしたとしても、そのひとは、火薬によ って作用する大砲の発明にはけっして思い至らなかったであ も包容しうる形相を探究し発見するようになるが、同じこと は技術の優秀でおどろくべき作品の場合にもなされる。しか ろう。なおまた、羊毛製品や植物繊維に観察と瞑想をこらし も、技術の場合には、自然の場合よりも、ずっとそうなのでたひとも、そのようなものによっては、けっしてカイコや絹 あるが、それというのは、この種の技術の奇跡をつくり出しの本性を発見するには至らなかったであろう。 こしらえあげる方式はたいていの場合明白であるのに、自然 こういうわけで、はなはだ貴重とみなされうる発明はすべ の奇跡においてはその方式は一般にもっと不明であるからで て、 ( よく注意してみると ) 技術のわずかばかりの洗練や体 ファスケス

6. 世界の大思想6 ベーコン

375 たくしは、ある信頼のおけるひとからこういう話をきいたこ 送り込む冷気によって感知する。香気もまた ( この場合には とをおぼえている。すなわち、そのひとは、白内障の手術を つねにある種の物体が発散されるように思われるが ) はなは うけたとき ( その手術は、小さな銀の針を目の外皮の内側に だ遠くまで作用するということは、たとえば、レモンやオレ さしこみ、白内障の薄膜をとり除いて、目の隅におしやると ンジなどといったような、芳香を放っ木ばかりのある森と いうものであったが ) 、その針が瞳孔のうえを動くのをきわ マヨラナなどの藪とかの多いフロリダの海 か、ローズマリ めて明瞭にみたというのである。それはたしかにほんとうで・ 岸、あるいはまたスペインのある地方に沿うて航行する人び とがいつも経験するところである。最後に、光の放射や音のあろうが、しかしもっと大きい物体の場合には、対象の光線 . はそれからいくらか離れたところで〔円錐状に〕合流するの・ 印象ももちろんずいぶん遠距離にまで作用するのである。 しかし、これらのカのおよぶ距離は、小さかろうと、大きであるから、その物体は、円錐の頂点においてでなければ、 はっきりと、判明には認められないことはあきらかである。 かろうと、定められていて、自然にとって知られているので あるから、ある種の「極限」があるわけである。そしてこのそれだけではなく、老人の目には、対象は、近くにあるとき 極限は、〔作用をうける〕物体の大きさないし量、〔作用する〕よりも、少し遠ざけられたときのほうがいっそうよくみえる 性能の強さと弱さ、〔作用を〕促進し阻害する中間物に応じのである。そして投射体の場合には、その衝撃は、飛距離が てきまるのであるから、これらがすべて計算され記録されなあまりに短いと、もう少したったときほどはげしくないこと も確実である。したがって、運動の測定にさいしては、距離 ければならない。それだけではなく、投射体、弾丸、車輪な に関してこういったことやそれと類似のことを記録しておか どといったものの運動のような ( いわゆる ) 強制的運動も、 巻あきらかに一定の限界をもっているのであるから、これもま なければならない。 第た測定され記録されなければならない。 場所的運動の測定には、看過されてはならないもう一つり なおまた、運動や性能には、距離をへだててではなく接触 種類がある。それは前進連動ではなく、球状連動に、すなわ ガ によって作用するものとは反対のものもいくつか見出されるち物体のいっそう大きい球形への膨脹、あるいはいっそう小 さい球形への収縮にかかわる測定である。というのは、この のであって、たとえば、接触してではなく距離をへだてて作 ヴ用するものや、あるいはまた、距離が近ければそれだけかすような運動の測定にさいしては、もろもろの物体が ( それそ かに作用し、距離が遠ければそれだけ強く作用するものがそれの本性に応じて ) どれだけの収縮あるいは膨脹なら容易に れである。というのは、視覚は、接触によってはうまくはたすすんで受けるか、どのような限界に至って抵抗しはじめ、 らかす、媒体と距離を必要とするからである。もっとも、わその「極限」に耐えられなくなるかを探究せねばならぬから

7. 世界の大思想6 ベーコン

に有益な事例について述べることにしよう。これらの事例に ばスミレの香り、・ハラの香り ) 、そしてまた熱と冷、磁石の 性能、これらすべてが ( くりかえしていうと ) 、たがいに他は二種類あって、その数は七つであるが、それらすべてをひ つくるめて、わたくしは、「実践的事例」という一般的名称 のものを妨げることなく、あたかもそれそれが固有のちがっ た道と通路をもっていて、たがいに他のものと接触したり衝でよぶことにしている。ところで、作業的部門には、二つの 突したりしないかのように、同時に空気中を連ばれてゆくこ欠陥と、それに対する一一種類の卓越した事例とがある。〔二 つの欠陥がある〕というのは、作業は役にたたなかったり、 とがその例である。 しかしながら、このような分解的事例には、わたくしが分あまりにも重荷とな 0 たりするからである。作業が役にたた 解の限界とよぶことにしている事例をつねに添加しておくのないのは、たいてい ( 本性の注意ぶかい探究がなされたあと ではとくに ) 物体の力と作用の規定や測定における誤りのた が有益である。というのは、うえに述べた諸例において、一 めである。ところで、物体の力と作用は、空間の距離によっ つの作用がそれと異なる類の他の作用を攪乱したり妨害した りすることはないが、一つの作用はそれと同じ類の他の作用てか、時間の瞬間によ「てか、量の単位によ「てか、性能の を圧倒し消減させるからである。たとえば、太陽の光はホタ優勢によ 0 てか限定され測定される。これら四つのことが正 しく注意ぶかく測られなければ、おそらく諸学は、思弁にお ルの光を、大砲の音は音声を、強烈な香りは微弱な香りを、 いてはみごとであっても、作業においては無効であろう。こ 強い熱は弱い熱を、鉄板は、磁石と他の鉄とのあいだにおか れると、磁石の作用を圧倒し消減させる。しかし、これらにれらのことにかかわる四つの事例を、わたくしは、「数学的 、 0 ニ・ニ一のおわり、 事例」と「測定の事例ーという一括した名称でよぶのであ 〕を及うさい 関してもまた、帰納の支柱〔 本訳書三二九ページ注 る。 こ、もっとたち入って論する機会が与えられるであろう。 第 ところで、実践が重荷となるのは、無用な事物が混人する 四四 ム ためか、道具の数が多すぎるためか、たまたまある作業のた ガ 感官を補助する事例についてはこれだけにしておこう。そめに必要となる材料や物体がかさばりすぎるためかである。 れらは告知的部門のためにとくに有益な事例であ「て、それしたが「て、人間にと「てもっともたいせつであることがら へ作業を向けたり、道具の数をへらしたり、材料や備品を節 ヴというのは、告知は感官からはじまるゆえである。しかし、 減したりするような事例は高く評価されなければならない。 われわれの仕事の全体は作業において完結するのであって、 告知がわれわれの主題の発端であるように、作業はその終極このことにかかわる三つの事例を、わたくしは、「恩恵的事 例」ないし「好意的事例」という一括した名称でよぶのであ である。したがって、これからは、作業的部門のためにとく

8. 世界の大思想6 ベーコン

〕も食物から分離と排除によってそれぞれの肢れる方法は、若がえりの秘訣にかかわることであるから、注 ルケウス〔 体や身体の部分を制作するゆえである。しかし、そのような意ぶかく探究しなければならない。最後に、うえにあげた九 第二から第十までの九 0 の運動を指す。第一の運動が省かれた〕こ たわごとはさておいて、植物や動物において、それそれの部つの運動〔 のは、それがすべての物体に共通のものであるからであろう 分は、同質的な部分も有機的な部分も、その養分のうち、そおいては、物体はただそれ自身の本性の保存だけを目ざして れ自身とほとんど同じである、あるいはたいしてちがわない 第一の運動からかそえ〕においては、繁 いるが、この第十の運動〔れ 液汁を、最初はいくらか選択しながら吸引し、ついで同化し殖を目ざしているようにみえるということは、注目に値する て、それ自身の本性に転化させるのであるということはきわことと思われる。 めて確実である。そしてこの同化あるいは単純生殖はただ生〔一二〕第十二の運動は、「刺激の運動」であるとしよう。 これは同化の運動と同じ類に属するように思われる運動であ 物体においておこるだけではなく、烙や空気について述べて おいたように、無生の物体もまたそれをいくらかもってい って、ときとしてわたくしは無差別に刺激の運動を同化の運 る。いな、それだけではなく、すべての可触的な生物体に動という名でよぶこともある。というのは、この運動は同化 含まれている鈍い精気も、たえすその生物体にはたらきかけの運動と同じように拡散的、伝達的、移行的、増殖的な運動 て、組大な部分を消化して精気に変え、そしてこの精気はそであって、両者は ( たいていの場合に ) その結果においても れからのちに発散するのであって、重量の減少と乾燥がそれ合致するからである。もっとも、両者は、その作用の仕方と によ「ておこることは、別の機会に〔ニ・四 0 、本 , 〕述べてお基体において異な「ている。すなわち〔作用の仕方について いうと〕同化の運動のほうは、いわば権威と権力をともなっ いたとおりである。なおまた、人びとが一般に栄養の作用と は区別する付着の作用ーー小石のあいだにある粘土が凝固して進行するのであって、それというのは、その運動は、同化 て石のような物質に転化し、歯の周囲にある鱗状のものが歯されるものが同化するものに転化し変化するように命令し強 自体にまけないほど硬い実体に転化する等々の場合のような 制するが、刺激の運動のほうは、いわば巧妙に気づかれすにひ をも、同化の作用から除外してはならない。 というのそかに進行して、ただ、刺激されるものを刺激するものの本 は、わたくしの考えによると、すべての物体のうちには、同性へ招きよせ誘いよせるだけである。また、〔作用の基体に 種のものと接合しようとする欲望と同じように、同化しようついていうと〕同化の運動のほうは、物体と実体を増大させ とする欲望も存在するのであるが、どちらの性能も、ちがっ変貌させるのであって、烙や空気や精気や肉が多くなるので た仕方によってではあるけれども、制限されているからでああるが、刺激の運動のほうは、ただ性能だけを増大させ変貌 る。しかしながら、この制限の仕方は、そしてまたそれを免させるのであって、熱や磁性や腐敗が多くなるのである。と

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371 か中間物が見出されるかもしれない。たとえば、磁石は、ぶあるから、感覚に現われる、水と油との融合に注目しなけれ あつい黄金の延べ板を介すると、等しい幅の空気を介してほ ばならない。ところが、油と水とは、混合や攪拌によっては どには鉄をひきつけず、また、灼熱した銀を介すると、冷た はなはだ不完全にしかたがいに融合しないが、草木や血や動 い銀を介してほどにはひきつけぬ等々といったことが見出さ物の諸部分においては見事に精妙に融合する。したがって、 れるかもしれない。 こういういい方をするわけは、これにつ精気における烙のようなものと空気のようなものとの融合に いてわたくしは実験をしたことがないからであるが、し か関しても、何かそれに似たことがおこるかもしれない。すな し、それらは実例として提示するには十分である。同じようわち、焔と空気とは、そのまま混ぜあわされてもうまく融合 に、火に近づけられたときに熱をうけいれないような物体は しないが、しかし、植物や動物の精気においては融合するよ われわれのもとには見出されないが、 しかし、空気は石より うに思われるのであって、生命をもった精気はすべて、両方 もはるかに速く熱をうけいれる。漸次的接近によってなされの液体 ( 水性のものと油性のもの ) を養分として摂取するの であるから、なおさらそうである。 る代用というのはこのようなものである。 ところで、類推による代用は、もちろん有益ではあるが、 同じように、探究の主題は、もろもろの気体の比較的完全 あまり確実でなく、したがって、ある種の判断を加えて行な な融合ではなく、単なる混合であるとしよう。すなわち、気 われなければならない。 この代用は、感覚されえないものが体はたやすくたがいに合体するのであるか、それともむし 感覚されうるものとされるさいに ただし、それ自体感ろ、 ( たとえば ) 風や蒸気やその他の気体のうちにも、ふつ 覚されえない物体の感覚されうる作用によってではなく、何うの空気とは融合せずに、球や滴となって空気中にたたよい 2 かそれと類縁の感覚されうる物体の観察によってーー行なわ浮かぶだけであって、空気のなかにうけいれられ合体させら れるものである。たとえば、不可視的な物体であるもろもろれるよりも、それによってこわされたりへらされたりするよ の精気の融合について探究がなされているとすると、これら うなものがあるのではないかということが探究されていると の物体とそれぞれの燃料ないし養分とのあいだにはある種のしよう。こういうことは、ふつうの空気やその他の気体にお 類縁関係があるように思われる。ところで、烙の燃料は油や いては、これらの物体が捕捉しがたいために、感官には知覚 しかし、そういうことがどうしておこるかを一小 油性のものであり、空気の燃料は水や水性のものであるようできないが、 に思われる。というのは、烙は油の発散によって、また空気す似姿のようなものなら、水銀、油、水のような液体におい は水の蒸発によって増加するからである。それゆえ、空気とて、また、水中で放出されて小さな泡となって上昇する空気 烙のようなものとの融合は感覚によってとらえられないのでやその粒において、また、濃い煙において、最後に、空中に

10. 世界の大思想6 ベーコン

という、ありふれた実験によってである。すなわち、人びと されるからである。この圧縮などの作用はまた、諸部分の配 4 は、どちらの実験においても、稀薄にされた空気が脱出し、 置やかなりきわだって不揃いであることによっているような したがって、空気の「量」が減少するのであり、したがって、 性能をも破壊するのであって、たとえば、色彩の場合 ( 完全な 水や肉が結合の運動によってはいりこむのであると考えてい 花と傷つけられた花とでは、色彩が同じでなく、また、完全一 る。しかし、これはまったくの誤りであって、それというの なコハクと粉末にされたコハクとでは、色彩が同じでないか は、空気は、「量」において減少するのではなく、体積におら ) がそうであり、味の場合 ( 未熟なナシと圧縮され押しつ いて収縮するのであり、また水の上昇運動は、烙が消えるか ぶされたナシとでは、味が同じでなく、あきらかにあとのほ、 空気が冷えるかするまでははじまらないからである。吸い玉うがずっと甘くなるから ) もまたそうである。しかしながら、・ がいっそう強く吸いよせるように、医者が水で濡らした冷た同質的物体をそれよりもいっそういちじるしく変形させ変化 い海綿をそのうえにおくのはそのためである。したがって、 させるためには、この強制的作用はたいして効果がないので 人びとは、空気あるいは精気がたやすく脱出することをあまあって、それというのは、このような作用によって物体が獲 りおそれるにはおよばないのである。というのは、きわめて得するのは、何らかの恒常不動の新しい固結性ではなく、た 堅牢な物体にも孔があることは事実であるが、しかし、空気だ一時的で、たえずそれ自身を回復し解放しようとっとめる や精気は、そこから脱出できるほど徴細に粉砕されることは固結性にすぎないからである。しかしながら、この問題につ むつかしいからである。これはちょうど、ひじように小さい いて何かもう少し綿密な実験をして、 ( 空気、水、油などと 裂け目からは水が流れ出ようとしないのと同じである。 いったような ) ほとんど同質的な物体の凝結あるいは稀薄化 . いすれも強繝的作用によってひきおこされた 〔二〕前述の七つの方式のうちの第二のものについて述べる と、たしかに圧縮やそういったたぐいの強制的作用は、機械 常的で固定したものとなり、いわば本性に変わってしまうの や投射体においてみられるように、場所的運動やそれと同類かどうかをしらべてみることは、見当ちがいではないである の他の運動をひきおこすのにもっとも強力であるうえに、な う。これは、ます、単なる放置によって、ついで補助と同感一 おまた、有機体や、まったく運動することによっているよう によって実験しなければならない。 ところで、この実験は、 な性能を破壊するのにももっとも強力であるということに、 わたくしが ( 他の箇所気 0 ニ・四五、本 乙 ) で述べておいたよう 何よりもまず注意しなければならない。というのは、あらゆに〔鉛の球のなかの〕水を槌で打って圧迫して、それが吹き る機械が圧縮によってそこなわれ狂わされるように、あらゆ出すまで、凝縮させたときに、 ( わたくしの念頭に浮かんで る生合いな、あらゆる烙や燃焼もまた、圧縮によって破壊 いたなら ) たやすく行なわれることができたであろう。すな