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検索対象: 世界の大思想6 ベーコン
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1. 世界の大思想6 ベーコン

260 も「たいして成長しないゆえである。ところで、よく知られあげた三つの時代を通じて、自然哲学はひどく軽んぜられ妨 ているように、キリスト教の信仰がうけ入れられ、盛んに行げられたのであるから、人びとは、まったく別のことに精を なわれるようにな「たのち、も「ともすぐれた精神の大部分出していたとき、自然哲学にほんのわずかしか進歩しなかっ たとしても、すこしもおどろくにはあたらない。 の人びとは、神学に専念したのであり、この研究にもっとも 豊かな報酬が与えられ、あらゆる種類の援助がおしみなく施 八〇 されたのである。そしてこの神学の研究は、あの第三の、わ なおまた別の原因として、自然哲学は、とくに近ごろは、 れわれ西ヨーロツ。 ( 人の時代が主として専心したものであっ て、だいたいそれと同じ時期に、学問が栄え、宗教に関するそれに精を出した人びとのあいだにおいてさえも、ただそれ だけにうちこむひとをほとんど得ることができなかった 争がおこりかけたのであるから、なおさらそうであった。 ところで、さきの時代、すなわちあの第二の、ローマ人の時ただし、小さな僧房にとじこも「た修道僧とえ。ジ 代においては、哲学者の思索と努力は主として道徳哲学 ( そ舎の別荘で研究にはげんだ貴族の・例をあげるものがあれば、 れは異教徒には神学の代わりをしていた ) に向けられ費やさ話は別であるがーーそして自然哲学はけつきよく他の間題へ れていた。なおまた、この時代には、じつに多くの人びとの の通路や橋のようなものとされたということがあげられる。 協力を必要としていたローマ帝国の広大さのために、もっと こうして、この諸学の偉大な母は、じつに不名誉なこと もすぐれた知力の人びとはたいてい公の仕事についていた。 に、下婢の地位におとされて、医学や数学の仕事の手伝いを ところで、自然哲学がギリシア人のあいだでもっとも栄えてしたり、あるいはまた若者のうぶな精神を洗っていわば下染 めをし、のちに本染めをするさい他の色がいっそううまくた いるのが見られた時代もごく短い期間つづいただけであっ た。すなわち、そのはじめに、七賢人とよばれる人びとはやすくつくようにしたりせねばならなくなった。しかしなが ら、自然哲学が個々の学問にまでひつばり出され、また個々 ( タレスは別として ) みな道徳哲学と政治に専心していたし、 の学問が自然哲学にまでひきもどされないかぎり、何人も諸 またのちにソクラテス〔 ル《談論」五の璽〕が哲学を天から地にひ きおろしてから、道徳哲学はなおいっそう盛んになって、人学における ( とくに諸学の作業的部門における ) 大きな進歩 びとの精神を自然哲学からひき離したのである。 というのは、そのような自然哲学と を期待してはならない。 しかし、自然についての研究が盛んであった時代でさえ諸学との連関がないために、天文学、光学、音楽、大部分の も、論争と新しい説を唱えようとする野心によってそこなわ機械的技術、それから医学でさえも、また ( ひとは大いにお どろくかもしれないが ) 道第哲学と政治哲学、論理に関する れて役にたたぬものとされてしまった。したがって、うえに

2. 世界の大思想6 ベーコン

かしこく告白しているが、かれによると、医学の実験がまず りに議論や論争のとげやいばらを生ずるなら、なおさらのこ 最初に見出され、それからのちに人びとはそれについて哲学とといわなければならない。力による福音書」〕 的考察を試み、原因を探索し究明したのであって、それと逆 七四 の順序で、哲学と原因の認識とから実験そのものが見出され とり出されるというような仕方ではなかったのである。した 徴証はまた哲学と諸学との成長と進歩からもひき出さなけ がって、エジプト人 ( かれらは発明家を神としてあがめまつればならない。 というのは、自然をもととしたものは成長し った ) のあいだで、人間よりも動物の像のほうが多かったて大きくなるが、臆見をもととしたものは変わるだけで大き ということもおどろくにあたらない。とい くならないからである。したがって、うえに述べたような学 本訳書一一二ページ うのは、ものいわぬ動物はその自然的本能によって多くの発説がその根からひき抜かれた植物にまったく似ていずに、自 見をもたらしたのに、人間はその語り論することと理性の推然という母体にくつついて、それから栄養をとっていたな 論とによってほんのわすかしか、あるいはまったく何も生みら、この二千年間にすでにそうであったのがみられるような 出さなかったからである。 こと、すなわち、諸学がいつまでもたちどまって、同じ状態 もっとも、錬金術師たちの努力によっていくつかの発見はをつづけ、これというほどの進歩もせす、むしろそれらがは もたらされたが、しかしそれはいわばたまたまついでに、あじめてつくられたときにもっとも栄えていて、その後は衰退 したというようなこともけっしておこらなかったであろう。 るいはやり方をかえて ( 職人がいつもするように ) であっ て、技術や理論といえるようなものによってではなかった。 ところが、自然と経験の光とをもととした機械的技術におい というのは、かれらが考え出したものは実験を助けるどころては、それと反対のことがおこるのがみられるのである。す か、むしろかぎ乱したからである。なおまた、 ( いわゆる ) 自 なわち、それらの技術は ( 盛んに行なわれているかぎり ) 生 、たえず繁茂し成長する。そ 〕にたずさわった人びとの発見もわず気にみちみちているかのように 然的魔術〔本物書九三。〈 1 ジ かしか見あたらず、しかもそれらは軽薄で、詐欺に近いものしてはじめは粗雑であっても、やがて役に立つようになり、 またのちには洗練されるというようこ、 冫たえす成長しつづけ である。そういうわけで、宗教において信仰はわざによって 「大革新」への序言、 るのである。〔 示さねばならぬと戒められているように、同じことを哲学に 本訳書二〇八ページ 適用して、哲学もまたその成果によって判定されて、成果を 七五 あげないものは空しいものだとみなされるのがもっとも適当 なお、それらとは別の徴証をもひき出さなければならな である。そしてそれは、哲学がブドウやオリーヴの実のかわ

3. 世界の大思想6 ベーコン

あるようにみえる。たとえば、現に、デモクリトスの学派に題あるいは部門を主題とし、それらに付随してそれを助ける おいても、。ヒタゴラスの学派においても、前者が形態を万物かぎり、定量を考察する。というのは、自然の多くの部門 は、数学の助けと仲介なしには、十分こまかな点にいたるま に帰し、後者が数を万物の原理ともとの の根本の種子ト〕 で発見されることもなく、十分あきらかに証明されることも ものと考えたようなものである。〔に、同「霊魂論」一の一一、イア , プ なく、十分たくみに実用に供されることもないからである。 伝」 ~ そして、すべての形相 ( われわれの解するよ うな形相 ) のうち、数こそ、質料からも 0 ともよくひき離さそして、このような数学の助けと仲介をうける学間には、光 学、音楽、天文学、宇宙誌、建築学、機械工学などがある。 れ、分離される形相であり、したがって形而上学に属するの にもっともふさわしい形相であることも事実である。そして数学においては、何も欠けているものを報告することはでき ないが、ただ一つ、人びとが、理解力と知的諸能力における そのことがまた、質料にもっと浸っている他のいかなる形相 多くの欠陥を是正するという点で、純粋数学がもっているす よりも、数が骨おって研究された理由である。というのは、 ぐれた効用を十分に心得ていないのは遣憾である。というの いわば広々とした地方におけるように、一般的なものの広大 は、理解力がにぶいようであれば、数学はそれを鋭くし、き な自由を楽しんで、個別的なものの囲い地を楽しまないこと よろきよろするようであれば、おちつかせ、感覚にくつつく は ( 知識のはなはだしい損害ではあるが ) 、人間の精神の本 性であるゆえ、数学こそ、すべての知識のうち、そのような ようであれば、ひき離すからである。〔五 0 〕それで、テ = スがそれ自体としてはなんの役にもたたない遊びではある 欲望をみたすのに最適の領域であったからである。しかし、 が、すばしこい眼と即座にどのような姿勢でもとれる身体を この学問をどの部門に入れるかというのに、それはたいして つくる点で大いに役にたつように、数学においても、その付 重要なことではない。われわれは、上述の区分において、一 こ光をなげかけあうよ随的で偶然的な効用は、かんじんの意図的な効用におとら 種の光学に従って、どの部門もたがい冫、一 うにしようとっとめただけである。 ず、値うちのあるものである。つぎに、混成の数学について 八・ニ数学は、純粋であるか、混成であるか、そのいず いえば、自然が今後さらに解明されてゆくにつれて、ますま れかである。純粋数学には、自然哲学のいかなる一般的命題すその種類を増すに相違ないということだけは予言してよい からもまったく切りはなされた、定量をとり扱う諸学が属し あるいは自然哲学の思弁 だろう。自然に関する理論的知識、 ている。そして、このような学間には、幾何学と算術の二つ的部門についてはこれだけにしておこう。 があり、前者は連続量電をとり扱い、後者は非連続量 八・三自然に関する実践的知識、すなわち、自然哲学の をとり扱う。混成の数学は、自然哲学のある一般的命作業的部門に 0 いていえば、われわれは、それを実験的電

4. 世界の大思想6 ベーコン

メス・トリスメギストス ( 三重にもっとも偉大な ) とよばれる。ただし、ふつう ヘルメスに帰せらる文書は、紀元後二・三世起頃の ( 新 ) プラトン派の哲学者に ・一前篇に入るにあたって、ゆくてのじゃまものをと よ。て書かに帰せられ、大いに尊重されたあの三重性を賦 与されておられます。すなわち、王者の権力と幸運、祭司のり除き、いわばあたりを静まりかえらせ、学問のとうとさに 、っそうよ ) 、 知識と英知、哲人の学識と博学を兼備されておられます。こ関する真の証言が戸なき反論に妨害されずに、し 聞きとられるように、わたくしは、学問をそれがこれまでこ のような陛下のそなえられるご特性と固有のご性質は、た だ、いまの世に名声と賞賛を博し、あるいはのちの世の歴史うむった不信と汚名から救うのがよいと思う。それらはすべ や伝説に語られるのにふさわしいだけでなく、王者の権力をて無知からおこるものであるが、この無知はさまざまに姿を もそのような王者の特異な完璧さをもともに彫り刻んだ、何かえて、あるとぎは神学者たちの執意と嫉妬となり、あると きは政治家たちのきびしさと尊大となり、またあるときは学 かの金属細工と不動の記念建造物と末代に伝わる記念碑とに 者たち自身の誤りと未熟さとなってあらわれるのである。 表現されるのにもふさわしいのであります。 三それゆえに、わたくしは、そのような目的に役だっ論 一・ニ第一類の人びと〔たち 神学者〕よ、つぎのようにいうよ うである。知識は大きな制限をもうけ用心してうけいれねば 著こそ、陛下にささげる最上の供え物であると自分できめた ならぬものの一つである。過度の知識に対する熱望が太初の のであります。その骨子はつぎの一一部から成ります。前篇は 学間と知識とのすばらしさを、またそれらを増進し普及する誘惑と罪であり、そのために人間の堕罪がおこったのである。 功績とまことのほまれとのすばらしさを論じ、後篇は学問の知識にはヘビの毒に似たところがあるので、知識は人間のな 「知識は人を誇らせ かに入ると、人間をふくれさせる。 進歩のために考えられ試みられた個々の行為と事業にどうい 「コリント人への第 ソロモンは、「多く書をつくればはて うものがあるか、またそれらの個々の行為のうちに見出される。」〔 一の手紙」八の一 「伝道の書ー る欠陥あるいは不備にどういうものがあるかを述べるものでしがなく、多く読めばからだが疲れる」〔一 巻あります。と申しますのは、わたくしは陛下に対して、はっき意見を述べ、また別の箇所では、知識が多ければ悩みが多く、・ 羶りと、断定的に助言したり、細目にわたる成案をお目にかけ知識を増すものは憂いを増す」一八 〕ともい 0 ている。聖パ ウロは、「むなしいだましごとの哲学で人のとりこにされな 歩たりすることはできませんが、それでもこれがきっかけとな 'G って、陛下が王者らしく考えをめぐらされ、陛下ご自身の精 いように気をつけよ」贏と警告している。経 の証明するところによれば、学者たちは大異端者たちであり、 鄲神のすばらしい宝庫の門をたたかれて、そこから、陛下のひ ろいお心とお知恵にふさわしい、この目的の実現のための細学問の盛んな時代は無神論に傾き、第二原因の考察は第一厚 目をお引き出しになるようにしようと思うからであります。 因である神に対するわれわれの依頼心を弱めるといわれる。

5. 世界の大思想6 ベーコン

なら、その哲学は、奇異で、耳ざわりなものとなるからであと、神に向けられるが、媒質の不均質のために正しく伝える る。それというのも、タキトウスの著作で、ネロやクラウデ ことのできない「屈折光線」とである。なお、「反射光線」が イウスの所業を、時代の情勢と動機と誘因とともに、あわせ残っているが、それによって、人間は自分を観察し考察する 読むとき、その所業をさして奇異に思わないが、それらがス のである。 = ト = ウス・トランクイルスの著作〔の「皇帝伝」は、各帝に 0 り、習性というように項 〕で、標題と類別にまとめられて、年代順に 目にわけて述べている 九・一それゆえ、いまやわれわれは、むかしの神托〔一読 語られていないのを読むとき、その所業はむしろ奇異で信ぜ た「なんじ自身を知」という〕がわれわれにそこへ向かえと教え られないもののように思われるからである。そしてこのこと ている知識、すなわち、われわれ自身についての知識に到達 は、ある哲学が全体として伝えられた場会と項目別にばらば したのであるが、それはわれわれに関係がふかいだけに、そ らにされた場合とについても同様である。なおまた、わたく れだけいっそう正確にとり扱われねばならない。 この知識 . しは、近代の学説を除外せすに、それらもこの哲学の諸派の は、人間からすれば、自然哲学のはてと限界であるが、それ 一覧表のなかにのせようと思う。たとえば、デンマーク人セ にもかかわらす、自然という大陸においては、自然哲学の一 ウ = リヌス〔医師で哲学者、。 ( ラケ ~ スの説 〕の筆こよって雄弁に部分にすぎない。そして、一般に規則としなければならない 一六〇二年々冫 = 一「不よく語られたテオフラストウス ことであるが、知識のあらゆる区画は、切断と分離としてよ ( ラケルスス〔本書八 イタリア名レシオ、アリストテレス 〇、一〇八、 りも、むしろ線と脈として認められるべきであって、知識の 〕の哲学、テレシウス〔 一九四。ヘージ 説に反対して、感覚的経験を自然認 イタリア名、アウグスティ ノ・ドニ、 〕連続性と全体性とは保存されねばならない。というのは、そ コセンザの医師 花〇个ー八年〕とその弟子ド = ウス〔 との、牧歌的哲学として良識に富んでいるが、たいして深みうでないために、個々の学間は、共通の源から養分を与えら - のない哲学、自分は新しい哲学を提唱しないといいながら、 れ、扶養されずに、実を結ばす、浅薄で、まちがいだらけな 巻しかも古い哲学に対して自分自身の考えの自主性を示したフ ものとなってしまったからである。そういうわけで、現に、 ヴェロナ生まれの詩人で医 第ラカストリウス〔 〕の哲学、クセノファ雄弁家キケロ〔「弁論塚論」三よ、ソクラテスとその学派につ、 師、一四八三ー一五五三年 tn によれば、 て、ソクラテスは哲学と弁論術とを分離した元祖であり、そ フイロラオス 〕の説をいくらか変更し論証して復活させ 'Q た、わが国人ギルベルトウス〔本訳書三五、 乙の哲学、その他値のために弁論術は空疎なことばだけの術となったと嘆いたの・ である。そういうわけで、現に、コペルニクスの地球の自転 . 学うちのある哲学はどれをものせようと思う。 に関する説は、いかなる現象とも矛盾しないから、天文学自 八・六以上でわれわれは、人間の知識の三つの光線のう ノイー / . し、刀 ち二つを論じた。すなわち、自然に向けられる「直射光線」体はそれを是正しよ、 、しかし自然哲学はそれを是正し

6. 世界の大思想6 ベーコン

とも、事実をもっと鋭く見きわめるなら、誤りであることが はだいたいなくなってしまっているけれども、しかしそれに もかかわらず、哲学の部分については、なお無数の問題と論わかる。というのは、真の同意ということは自由な判断かう ( まず事実をよく調べたのち ) 同一の結論に到達することで 争が解決されていないのであるから、哲学そのものにおいて も、また論証の仕方においても、何も確実なあるいは健全なあるが、アリストテレスの哲学に同意した人びとの大多第 ものはないということはまったくあきらかである。 は、先人見や他人の権威にもとづいてそれに身を売ったので あり、したがってそれは同意でなくて、むしろ追従と付和雷 七七 同であるからである。しかしまた、それが真の一般的な同意一 ところで、こういうふうに考える人びとがある。すなわであったとしても、その同意はけっして真の確実な権威だと ち、少なくともアリストテレスの哲学は一般に認められてい 考えられるべきではなく、むしろそれとは反対のことを強く る。というのは、かれの哲学が出たのち、かれ以前の哲学は推定させるのである。というのは、すべての占い判断のう・ おとろえすたってしまい、またかれ以後の時代にもそれにまち、知的な間題について一般の同意〔意 一の〕から得られるもの さったものは何もみられないほど、かれの哲学はうまくでき ほどよくないものはない ( もっとも、投票の権利が認められ ていて、しつかりした基礎をもっているので、かれ以前とか ている神学と政治との場合〔疉罎〕は別である ) ゆえ れ以後との二つの時代をおともにひきつれているように思わである。それというのも、うえに述べたように、大衆の賛成 れるからである。このように考えるのであるが、まず第一 は、想像力を刺激するか、通俗的概念の。ハンドで知性を縛る に、アリストテレスの著作が出たのち、それ以前の哲学がおかしないかぎり得ることができないからである。そういうわ とろえすた「たと考えることはまちが 0 ている。というのけであるから、あのフォキオン〔わ一・ニ。・四一〕のことば、 は、むかしの哲学者たちの著作はその後も長らく、キケロの「大衆が賛成して喝条するときには、自分がどんな誤りをし プル 時代とその後の時代にまでも残っていたからである。しかし罪をおかしたかをすぐに調べてみなければならない」〔タ ながら、のちの時代になって、野蛮人がローマ帝国になだれ オン伝」八〕を道徳の領域から知性の領域に移してみるのがも こんだために、人間の学問がいわば難破にあったそのとき っともよいのである。したが「て、この徴証〔玖という。 に、アリストテレスと。フラトンとの哲学は、他のものより軽ともめでたくないものの一つである。そういうわけで、現在 くて、堅くない材料でできている船板のように、時の波にの 行なわれている哲学とその他の学問との真理性と堅実性につ いての徴証は、それらがおこった起源から得られるものも、 一・五・三、一・七一、〕なおま まれすに残「たのである〔本 た、アリストテレスの哲学が一般に認められているというこ成果から得られるものも、発達の経過から得られるものも、

7. 世界の大思想6 ベーコン

一題は、再編成のこのような原理が問われねばならぬはずであ姿勢もまた必然であったといえるであろう。科学者たちが手 ーコンは飛び立とうとする姿勢をみずからとってみを携え、一般の識者の間にも科学研究の風が起こって、実験科 せることにより、わすかにも、これに答えようとしたのであ学が軌道にのるのは、まだ少し先のことであった。むしろそ っこ 0 の故に、べ ーコンは学問の大いなる革新を説き、また、その 枚挙と分類は、みずから飛び立とうとする精神のあらわれ『ニー ・アトランチス』において実験科学者たちの組織的共 であり、対象に対して柔軟な精神のあらわれである。これが同研究を描いて、人類の福祉の達成という光輝く理想を、高・ べ ーコンの展望する精神の在りようであった。それは、大言くかかげたのである。われわれは、ここに、べ ーコンの哲学・ 壮語の名文の士を生み出し、才気英発の輝ける弁舌の士を生が、まさしく哲学であらざるを得なかった連命的なものを感 ) み出したが、 同時に、ものわかりのよい世事にたけたエッセずる。べ ーコンは単に失脚した政治家であったのみでない。 イストを生み出し、また、阿諛追従を完璧に操る美事な廷臣単に阿諛追従の廷臣であったのみでない。 これらが可能であ を、そして反動の思想家を、生み出したのであった。 ったのも、それに先立って、彼が哲学者であったがためであ る。しからばここに哲学とは何であったか。それは、何より 展望しようとする精神は、みずからを、方法として以外に 形づけようがない。それは方法の哲学たらざるを得ない。べも方法の哲学であった。それでは方法の哲学とは何であった 1 コンの述作が多く断片的であり、体系的組織が欠けている か。それは、人類の福祉の達成、自然に対する人類王国の拡〔 のも、それが方法の哲学であったがためである。体系的組織大という理想を前途にのぞみ見ている展望する精神の哲学、 ができあがるとき、方法の精神は死んでしまうであろう。べ展望し飛翔しようとする姿勢そのものが、積極的な唯一つの - 1 コンの場合、方法の精神は、ひたすら展望し飛翔しようと意味をもっている哲学であったというべきである。 する精神として、危険な絶壁の上においてのみ、はじめて自 〔参考文献〕近時のものとして次のごときがある。 Crowther. J. G. , Francis Bacon. The first Statesman 己を位置付け、はじめてみずからを方法の哲学として、定着 of Science, London. 196P Anderson, Fulton H.„ させることができたのであった。故に、その方法も、決して仕 Francis Bacon, his Career and his Thought, New York, 上げられることはなかった。仕上げられるならば、それは少 196 ド Farrington, Benjamin, Francis Bacon. Pioneer なくともべーコンの場合、もはや方法の哲学ではあり得ない。 解 Of planned Science, London, 1963. 科学者たちの研究がいまだ萌芽的であり、それぞれ独創的 な科学者が、先駆者として相互に孤立して研究をいそしむほ かなかった当代ヨーロツ。ハにおいて、べ ーコンの右のような

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。一・五・五、本訳書三四ページ、ペー というのは、すべて連合と和親は、たがいに知りあい、奉隹 〕そういう うるのであろう〔 コンはコペルニクス説を承認しなかった わけで、現に、医学は、自然哲学から見はなされ見すてられしあうことから成り立つように、この精神と身体との連合に ると、やぶ医の術とたいして異ならないのである。それゆも、つぎの二つの部分がある。それは、どのように一方が他 え、これだけの保留をつけたうえで、われわれは、人間に関方の正体をあきらかにするか、またどのように一方が他方に する哲学、あるいは人間に関する学間に進むのであるが、そ作用するかということ、すなわち、正体をあきらかにするこ れには二つの部門、すなわち、人間を、集団をつくっていな ととはたらきかけることとである。これらのうち前者は二つ の技術を生んだが、二つとも予言または予知に関するもので いものとして、すなわち個別的に考察する部門と、・集団をな したものとして、すなわち社会において考察する部門とがああり、そのうち一方はアリストテレス〔その嘯〕によ「て、他一 その書〕によ 0 て、研究される光栄に浴し る。したが「て、人間に関する哲学は、単純で個別的なもの方はヒッポクラテス〔「予 であるか、結合して社会的なものであるかのいずれかであている。そして、両者はちかごろ迷信的で空想的な技術に結 る。そして個別的な人間に関する学問は、人間を構成するそびあわされがちであるが、しかし、それらの真実な状態に浄 の部分から成り立つ。すなわち、身体に関する知識と精神に 化されもどされるなら、両者とも、自然のうちに堅実な基礎、 関する知識とから成り立つ。しかし、人間に関する学問をそと、生活のうちに有益な用途をもっている。第一の技術は のように区分するまえに、それを全体としてうちたてるのが 相の術であって、身体の外形によって精神の性向をあきらか よい。というのは、わたくしは、人間性の一般的で全体的な にする。第二の技術は、ふつうの夢の解釈であって、精神の 考察を、それだけきり離して、一個独立の知識とするのにふ想像によって身体の状態をあきらかにする。これらのうち、 さわしいものと考えるからである。もっとも、そう考えるの 前者にわたくしは欠陥を認める。というのは、アリストテレ・ は、人間の威厳、悲惨、生活状態などといった、人間の共通身ぶリと身体のスは、身体の形態をひじように器用に骨身・・ 的で分かたれない本性に属することがらについてなされた、 運動に関する、おしまずにとり扱いながら、身ぶりのほう , あのゆかいでたくみな談論を考えてのことではなく、主とし観相術の部門 はそうでなかったが、身ぶりも同じように . いっそう有用で、いっそう役にた て、精神と身体のあいだの共感と符合とについての知識を考技術によって理解し得る、 つものであるからである。それというのも、身体の外形は、 えてのことであり、その共感と符合は、混成しているので、 いずれか一方についての学問にふりあてては当を得ないこと気質と性向一般をあきらかに示すが、しかし、顔の道具の連 になるからである。 動は、それだけでなく、なお精神と意志との現在の気分と林 態をもあきらかに示すからである。陛下がもっとも適切にた この知識气間性の一般酌〕こは、二つの部門がある。

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248 六四 しかし経験派の哲学は、詭弁派や合理派よりももっと醜く しかしながら、迷信と神学の混入による哲学の腐敗はまっ て奇怪な説を生み出すのである。というのは、経験派は通俗たく広い範囲にわたるものであって、哲学の体系全体にもま し 的な概念の光 ( それは微弱で物の表面しか照らさないが、 たその部分にもじつに大きな悪弊を生じている。というの は、人間の知性は通俗的な概念の影響をうけるにおとらす、 かしある意味では普遍的であって多くのものに及ぶ ) によら ずに、少数の実験という狭くて暗いものをもととしているか 想像力の影響をうけるからである。すなわち、論争的で詭弁 らである。したがって、そのような哲学は、日々この種の実的な種類の哲学は知性をわなにかけるが、この別の種類の晢 験にたずさわり、それによって自分の想像力を汚してしまっ 学は、空想的、誇張的、いわば詩的であって、むしろ知性に た人びとには、真実らしく、また確実といってもよいように こびへつらうのである。というのは、人間には、意志の野望 みえるが、しかし他の人びとには信ぜられない空虚なもので におとらず、知性の野望といったものがあるのであって、こ ある。そのいちじるしい例は錬金術師たちとかれらの説にみのことは深遠で卓越した精神においてはとくにそうであるか らである。 られるのであるが、しかし現在は、おそらくギルベルトウス さて、この種類のものの例はギリシア人のあいだに、とく GI ・五、・七、ニ・八・五、〕の哲学を別とすると、ほかに見出さ に。ヒタゴラスにはつぎりあらわれている。しかしかれの場合 れないであろう。しかしそれにもかかわらす、この種の哲学 に対する警戒はけっして怠ってはならない。 というのは、人には、むしろ雑で荷厄介な迷信〔たとえば、数の説、魂の輪廻 びとがいっかわたしの警告によって目をさまして、実験をま結びついているが、プラトンとその学派においてはいっそう じめにやりはじめる ( 詭弁的学説にわかれを告げて ) ような危険で精巧である。なお、この種の悪弊は他の哲学の部分に ことがあるなら、まさにそのとき、知性がせつかちにも早ま もみられるのであって、質料から分離した形相、目的因、第 った結論を求めて、一般的なものと事物の原理に跳躍したり 一原因がもちこまれ、しばしば中間因などが見のがされてい 飛躍したりするために、この種の哲学から重大な危険がおこ る。しかし、このことこそ、もっとも用心してかからねばな ることとなるのを、わたくしは予見し、予感するのであって、 らぬ点である。というのは、誤りの神化ほど有害なことはな この悪弊にもういまから対抗しておかねばならぬゆえであ いのであって、虚妄の崇拝がおこるとき、それは知性の疫病 る。 だと考えねばならぬからである。ところが、このごろ一「三 の人びとはじつに軽薄にもこのような虚妄に身をゆだねて、

10. 世界の大思想6 ベーコン

るが、べ ーコンの哲学思想を正しく理解するためには、かれ ているのみである。 が若いときからそれを志望し、一六〇三年ー一〇年間に明確 恥 FiIum Labyrinthi ( 「迷宮の糸」、執筆年不明 ) 第五部、先駆者、または第一一哲学 ( 新しい将来の哲学 ) のな形をとるに至った「学問の大いなる革新」をたえず念頭に おかなければならない。すなわち、一般に独立の書と考えら 予断 , ーー・それにつづく第六部が完成されるまで、当座の用に 供されるものであって、将来の哲学の先駆者として、それにれている「ノヴム・オルガヌム」も、うえに述べたとおり、 一六一一〇年に、「大革新」 (lnstauratio Magna) という表題 ついての「予断」を与え、いわばそれを「先取」させようと するものである。この部門についても、つぎの短い序章があをもって、著者の声明、国王への献詞、 ( 「大革新」の ) 序言、 るのみである。 ( 「大革新」の ) 区分を巻頭において公にされた著作の本体を なしていたものであって、この「ノヴム・オルガヌムーがは Prodromi. ( 「先駆者」、執筆年不明 ) 第六部、第二哲学 ( 新しい将来の哲学 ) 、または行動的 ( 実じめて、その表題をもっ独立の書として刊行されたのは、べ ーコンの死後、一六四五年、オランダにおいてであり、それ 効的 ) 学問ーー以上の諸部門をいわば予備的段階として展開 されるべき、新しい将来の哲学であり 、いたすらに論弁をこ以後しばしばこの方式がとられているが、この方式は、「ノ ととする石女のような学問に代わって、人類の福利を増進すヴム・オルガヌム」を単なる新しい帰納法を提唱する論理学 る行動の学問、成果をあげる実効的学問そのものであるが、 の書となし、したがってまた、それを主著とする哲学者べー その完成は著者の力をこえるものとして、もつばら将来に期コンを単なる論理学者とみる考え方に支えられ、またその考 待されている。この部門に属する手記も残されていないが、 え方を支えている。しかし、ファリントン (Benjamin Far- しかしさきにいったとおり、べ コンの死後、一六一一七年 rington, Francis Bacon. Philosopher of lndustrial Science, に、「森また森」につけて公にされたつぎの一篇は、この行 London, Lawrence and Wishart, 1951 ) 等も強調するよう 動的・実効的学問の実態を物語の形で、具象的に描いたもの に、「ノヴム・オルガヌム」は、書誌学上からも、思想史上 ン」い、えよう。 からも、著者自身の遠大な理想、すなわち人類の生活の改善 New Atlantis. ( 略符号「ニュ ・アトランチス」未と福利の増進のための、人間の思考改革の運動の一部として 理解せねばならぬのであって、この正しい理解は、ただ「ノ 完、執筆、一六一一一一ー四年、遺稿 ) ーコンの哲学思想 ヴム・オルガヌム」一書だけではなく、べ ーコンの「大革新」の志望がどのようにしてい 以上は、べ だかれるようになったか、またその「大革新」の構想がどの全体をも、正しい位置において照明するであろう。 このたびの翻訳は、さきに、「世界大思想全集」 ( 哲学・文 ような形で考えられたかについて、その概略を述べたのであ