書 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想8 パスカル
455件見つかりました。

1. 世界の大思想8 パスカル

反対であるとはいえ、この民族は、その悲惨にもかかわら す、やはりつねに存続する。 六四一 五六 五三←四九五六〇四 それは明らかに、メシアの証人として役立っために特につ くられた一民族である。 ( 『イザャ書』四十三章九節、四十四 章八節。 ) この民族は、諸書を保持し、それを愛するが、そ れを理解しない。神の審きは彼らにあすけられるが、封印さ れた書としてである、というようなことがすべて予言されて 一「イザャ書」二九章一一節「すべての黙示は汝らには封じたる書のこと ばのごとくなり。」

2. 世界の大思想8 パスカル

26 6 7 8 5 聖荊の奇蹟に関する覚え書 幾何学もしくは論理学の序文のための覚え書 2 , 1 , 4 , 40 , 0 , 3 貴族の身分についての三つの講話のための覚え書 諸種の覚え書 読書から得た覚え書 見かけの矛盾 修辞学 844b is, 916 , 919 , 216 XIIIApp. , 810 , 3 , 826 , 855 , 823 , 827 , 別 3 , 754 , 2 , 357 , , 776 , 6 , 82 , 9 , 486 , , 512 , 775 , 7 必 , 32 , 33 , 5 , 13 , 65 , 63, 368 , 568 , 321 , 3 , 91 , 必 , 1 , 17 , 18 , 18bis 314 , 310 , 1 38 , 制 6 , 1 , 8 , 4 , 804, 573 , 822 , 1 , 1 828 , 819 , 0 , 新 2 , 807 , 814 , 824 , 8 菊 , 813 , 820 , 829 , 6 , 7 , 821 , 808 , 6 , 別 2 , 5 , 9 , 4 , バスカルに帰せられている語録 41 , 160 777 370 , 120 , 119 43 , 77 45 , , 6 7 , 5 , 114 , , 36 , 30 , 35 , 38 49 , 48 , 57 , , , 53 , 四 , , 59 , 42 , 58 , 52 , 26 , 15 , 14 , , 1 圏 , 8 , 3 , 106 , 47 , 12 , , 31 , 39

3. 世界の大思想8 パスカル

247 第九篇 き歴史書で、・ハ・ヒロン捕囚中のユダヤ民族がクロスの・ハビロニア征服ととも に許されて帰国するところから筆を起している。 ( Ⅱ ) 第二は、ラテン語訳 では「第三工ズラ書」と呼ばれ、旧約外典 ( アボクリファ ) のうちにおさめ られているもので、ギリシア語訳はこれを「第一工ズラ書』と呼んでいる。 ( 邦訳では、聖公会訳の「旧約聖書続篇」のなかの「エズラ第一書』がこれ に当る。 ) 内容からみると、これは「歴代志略』「エズラ書』「ネヘミャ記』 に材料を取り、ヨシア王からエズラの律法朗読にいたるまでの歴史を、一種 の知恵文学的立場から叙述したものである。 ( Ⅲ ) 第三は、ラテン語訳で「第 四工ズラ書』と呼ばれているもので、その成立年代は明らかに紀元後であ り、旧約偽典 ( 。フセサドエビグラファ ) に属する。 ( 前記邦訳では「エズラ 第二書』がこれに当る。 ) これは全部で十六章から成っているが、はじめの 第一、第二章と終りの第十五、第十六章とは後から付加されたものと見ら れ、前者を「第五工ズラ書」、後書を「第六工ズラ書』とも呼ぶ。そして特 に第三章ー第十四章の部分を「第四工ズラ書』と呼ぶ場合もある。内容から みると、この部分はエルサレムの減亡と世界の終末を黙示的に描いたもの で、黙示文学の一種である。これは紀元後一〇〇年前後にユダヤ人によって 書かれたものと推定される。 したがって、パスカルが六三二、 六三四の三つの断章で批判している「エズラーは、この『第四工ズラ書』の ことである。 = エルサレムの王宮とエホ・ハの神殿が、・ハビロニア王ネ・フカドネザルの軍 隊によって焼かれたのは紀元前五八六年五月である。「列王紀略下』二五章 八、九節、「エレミャ記』五二章一二ー一四節。しかし旧約聖書には、律法 の書が焼かれたとはどこにも記されていない。しかるに、「第四工ズラ』 ( 邦 訳「エズラ第二書」 ) 一四章二一節によれば、「汝の律法焼かれたるがゆえ に、汝のなしたまいし御業、汝のなさんとしたもう御業をわきまうるものな し。」ということになっている。 三「マカべャ第一一書』二章二節「この予言者 ( エレミャ ) は、囚われ行く 人々に律法を与えて、主の誡命を忘るることなきよう命じたり。」この点で 「第四工ズラ書」の記述はくつがえされる、とパスカルは考えたのであろう。 四「第四工ズラ書』一四章によれば、エズラは焼失した律法の書を再興す るために、エホ・ハの命令にしたがい、五人の書記を伴って荒野に行き、霊感 の杯を受けて律法の書に関するすべての記憶をとりもどし、それを暗誦しは じめたという。一四章四〇ー四一節「われこれを受けて飲みしに、飲みしと きわが心にさとり起り、わが胸のうちに知恵おこれり。そはわが霊、記億を 保ちたればなり。わがロは開かれて、もはや閉じず。」 しかるにヨセフスの「ユダヤ民族古代史」によっても、「第二工ズラ書」 ( すなわち旧約聖書の「ネヘミャ記しおよび「第三工ズラ書」 ( すなわち邦 訳旧約聖書続篇のなかの「エズラ第一書」 ) によっても、右の「第四工ズラ 書』の記述はくつがえされる。ョセフス「ユダヤ民族古代史』一一巻五章。 「第二工ズラ書』 ( 「ネヘミャ記」 ) 八章二、三節「この日すなわち七月一日、 祭司工ズラ、律法をたずさえ来りて、その集りおる男女およびすべて聴きて さとることをうるところの人々の前にいたり、・ : : ・これを読めり。民みな律 法の書に耳を傾く。」また「第三工ズラ書」九章四〇、四一節「大祭司工ズラ、 ・ : 男女の全群およびすべての祭司たちに聴かしめんがため律法をたずさえ 来れり : これを読みしに、群衆はことごとく律法に心をとめたり。」 大 ・ハロニウス ( 1538 ー 1607 ) は教皇クレメンス八世の書記官長、枢機卿、 ヴァチカン図書館長をつとめた人で「教会年代記』 ( 一一九八年まで ) の編 者。「一八〇」というのは「キリスト紀元一八〇年」の略である。 セ「第四工ズラ書』一四章四一節「いと高き者その五人に知恵を与えたれ ば、彼らいまだ知らざる文字をもて、その聞かされしことばを順序によりて 書き記せり。 ^ 「モーセ伝』二巻。なお、「七十人訳」 ( セプトウアギンタ ) というのは、 プトレマイオス二世 ( 在位紀元前二八四ー二四七年 ) 治下のアレクサンドレ ィアで、七十二人のユダヤ教学者によってギリシア語に翻訳された旧約聖書 のことである。 九「ユダヤ民族古代史』一二巻二章。 一 0 シリア王アンチオコス・エビフアネス ( 在位紀元前一七五ー一六三年 ) 。 前一七〇年エルサレムを占領、神殿を汚し、律法の書の焼却を命ずるなど、 ユダヤ教徒を迫害したため、マテチアス、ユダス・マカ・ハイオス等の叛逆を まねく結果となった。断章六三〇参照。「マカべャ第一書』一章。 = ヴェスパシアヌス。紀元六七年皇帝ネロの命でユダヤ征討軍の司令官と なり、ネロの没後、六九年、ロ 1 マ皇帝の位に即いた ( 在位六九ー七九年 ) 。 その子ティッスは父のあとを継いでユダヤ征討軍を指揮し、七〇年エルサレ ムを陥落させ、これを徹底的に破壊した。 一一一版、»-a 版の読みにしたがう。 一三テルトウリアヌス「女の身だしなみについて」一巻三章。。ハスカルがこ

4. 世界の大思想8 パスカル

ザャ書』六十章。 に乗って来る審判者としてではない。また、彼をこのように ワ 1 11 七 四栄光にみてる審判者としてあらわす予言は、けっして時期を ユダヤ人は民族として存続するであろう、『エレミャ記』。 示していない。 彼らはさまようであろう。王なく、云々、『ホセア書』三 彼は世の罪のために犠牲となるであろ ) 、「イザャ書』三章、予言者なく、『アモス書』、救いを待ち望みつつもそれを 見いだすことがない、『イザャ書』。 十九章、五十三章など。 彼は貴重な礎石となるであろう、『イザ書」二十八章十 イエス・キリストによる異邦人の召命、『イザャ書』五十 一一章十五節、五十五章五節、六十章なと、『詩篇」七十一篇。 『ホセア書』一章九節、「汝ら分散によりて殖え増さんのち 彼は躓きの石、妨げの石となるであろう、『イザャ書』八 は、もはや汝らはわが民にあらず、われは汝らの神にあらざ 章。エルサレムはこの石につますくであろう。 建築師はこの石を棄てるであろう、『詩篇』百十七篇一一十るべし。汝らはわが民にあらすと言われしそのところにて、 われはそれをわが民なりと言わん。」 一一節。神はこの石を、隅のおや石となすであろう。 またこの石は巨大な山となり、全地を満たすであろう、 一二節「人の子よ、汝、イスラエルの家に謎をかけ : : : 」 一一一節「われわが使者を遣わさん。」 『ダニエル書』二章。 」六節「ひとりのみどりごわれらのために生まれたり。」 かくして彼は棄てられ、否まれ、裏切られ、『詩篇』百八 四二節「べテレヘム・エフラタ、汝はユダの郡中にて小さき者なり。しか 篇八節、売られ、『ゼカリヤ書』十一章十一一節、唾せられ、 れどもイスラエルの君となる者、汝のうちよりわがためにいずべし。」 五六章一〇節、八章一四節、二九章一〇節。「汝この民の心をにぶくし、 打たれ、嘲けられ、ありとあらゆるしかたで苦しめられ、苦 その耳をものうくし、その眼をおおえ。」 汁を飲まされ、『詩篇』六十八篇、刺され、『ゼカリヤ書』十 大一九節「へりくだる者はエホ・ハによりてその歓びをまし、人のなかの貧 一一章、両手と両足を貫ぬかれ、殺され、彼の衣服は籤引きさ しき者はイスラエルの聖者によりて快楽をうべし。」 宅一節「 : : : 心の傷める者をいやし、囚われ人をゆるし、縛められたる者 れるであろう、『詩篇』二十一一篇。 に解放をつげ : : : 」 彼はよみがえるであろう、『詩篇』十五篇、三日目に、『ホ ^ 五五章四節「 : : : もろもろの民の君となし命令する者となせり。」 セア書』六章三節。 九一〇節「悪しき者は一人もさとることなかるべし。されどさとき者はさ とるべし。」 彼は天に昇って神の右に坐するであろう、『詩篇』百十篇。 一 0 邦訳『ホセア書』一四章九節「誰か知恵ある者ぞ、その人はこれをさと 王たちは彼に反抗して武器をとるであろう、『詩篇』一一篇。 らん。 ・ : されど罪人はこれに躓かん。」 彼は父の右にあって、その敵にうち勝つであろう。 = 「イザャ書』五二章一四節「その容貌はそこなわれて人と異なり、その 形はおとろえて人の子と異なれり。」五三章二節「 : : : うるわしき姿なく、 地の王たちおよびよろずの民は彼を拝するであろう、『イ 1 九 ニ四 ニ五

5. 世界の大思想8 パスカル

/ ヒロニアの侵略によってエルサレムが破壊されたと 工ズラに霊をさずけて、昔の予言者たちのことばをことごと き、ユダヤ教文書のすべてをエズラが再興したということが く思い起させ、モーセを通じて神の与えた律法を、民の前に 確かであるのと同様である。」彼は言う、エズラが、捕囚中再興させた。」 に失われた聖書を再興したように、ノアも、洪水によって失 一以下の三つの断章は、いずれも旧約偽典「第四工ズラ書』に関するもの で、「草稿原本』中に保存されているが、パスカルの死後ペリ = 家の人々が われたエノクの書を霊において再興することができた。 判定したところでは、パスカルの考えていた「キリスト教の弁証論ーのため 「ネブカドネザルの時代に、民は捕虜となり、律法の書は焼 の覚え書とは認められがたいとしていちおう除外された草稿である。したが って『第一写本』にも『第二写本』にも収載されていない。 かれたが、神はレビの末であるエズラに霊をさずけ、さきに ラテン語訳「第 四工ズラ書』は、トレント公会議においても、一五四六年四月八日の正典決 あった予言者たちのことばをことごとく再録し、モーセを通 定により、偽典として除外されたものであり、パスカル自身もこの決定を支 じて与えられた律法を民の前に建てなおした。」彼がこれを 持して、その偽典であることを、旧約正典との矛盾を明らかにすることによ って、指摘しようとしたのである。 引用したのは、七十人の人たちが驚くばかりの一致をもって ところで、これら三つの断章の理解のためには、エズラおよび『エズラ 聖書を解明したのは信じられないことではない、ということ 書』と名づけられる三つの書について、若干の予備的知識を得ておく必要が を証明するためである。エウセビオス『教会史』五巻八章。 ある。工ズラは、旧約聖書『エズラ書』および『ネヘミャ記』に記録されて 彼はこれを聖ェイレナイオスから引用した。 いる律法学者、祭司、かっ予一一 = ロ者であって、ベルシア王アルタクセルクセス 一世 ( 在位紀元前四六五ー四二四年、邦訳聖書ではアルタシャスタ ) の許可 聖ヒラリウスは『詩篇』についての序文のなかで、エズラ を得て紀元前四五八年、ユダヤ人同胞をひきいてエルサレムに帰り、たずさ は「詩篇』を順序正しく排列したと言っている。この伝説の えて来たモーセの律法にもとづく改革をおこない、城壁を再建したと伝えら 起原は、『エズラ第四書』十四章から出ている。 れる。ちなみに、ユダヤ民族の・ハビロン捕囚は、紀元前五九七年、・ハ・ヒロ一一 ア王ネ・フカドネザルのパレスチナ征服の結果、ユダヤ民族の大多数が・ハど 「神は讃美され、神的な真の聖書は信じられた。というの ンに強制移住をさせられてより、前五三九年、ベルシア王クロスが・ハビロニ も、すべての人々がはじめから終りまでまったく同じことば アを減・ほすまでの約六十年にわたる期間で、それ以後、クロス王、カンビセ ・でそれを引用しているからである。そのために、現在の人々 ス王、ダリウス王、クセルクセス一世 ( 邦訳聖書ではアハシュロス ) 、アル タクセルクセス王の治下に漸次パレスチナに帰還した。 は、この聖書が神の霊によって解き明かされたものであると さて「エズラ書』と名づけられる三つの書のうちの (—) 第一は、旧約聖 いうこと、神がそれらにおいてこのわざをなしとげたのは不 書中にふくまれる『エズラ書』および「ネヘミャ記』がそれで、これはもと 思議ではないということを、知ることができる。なぜなら、 一書をなしていたのが、のちに二分されたものである。ラテン語訳聖書 ( ヴ ルガータ ) では、この「エズラ書』を『第一工ズラ書』と呼び、「ネヘミャ ネブカドネザルのもとで民が捕虜となったとき、聖書は破壊 記』を『第二工ズラ書』と呼んでいる。またギリシア語訳旧約聖書 ( セプト されたが、 七十年ののちユダヤ人がその故国に帰り、ついで ウアギンタ ) では、前者を「第二工ズラ書」、後者を「第三工ズラ書」と呼 ベルシア王アルタクセルクセスのときに、神はレビ族の祭司 んでいる。内容からみると、これは「歴代志略』上、下巻の続篇ともいうべ

6. 世界の大思想8 パスカル

は、わが価をわれに授けよ。 : : : 彼らすなわち銀三十をはかりてわが値いと モーセはおのおのの部族のうえに起るはずのことがらを予 せり。云々。」なお、次に「彼ら」というのは「ユダヤ人」の意味である。 言した。 = 「マラキ書』三章一節。 予言。 「汝らの名はわが選びたる者の呪いの料となら 三グロチウス『キリスト教の真理について』五巻一四章。 二七五三三四六二五 ん。われは彼らにほかの名を与うべし。」 「彼らの心を頑なにし。」いかにしてか ? 彼らの邪欲を喜 『イザャ書』四十一一章、四十八章、 『ホセア書』三章。 ばせ、彼らにその充足を願わせることによってである。 「われいにしえよりこれを予言せり。彼らがそのわれなるを 一「異教徒の犠牲はいたるところにおいて受けいれられる」の意。 = 「申知らんためなり。」五十四章。六十章最後の節。アレクサン 命記」。三「イザャ書』六五章一五節。四同六章一〇節。 ドロスに対するヤドア。 e 五三一四九八—六五二 一ャドア (Jaddua) またはヤドス (Jaddus) はイェシュアから五代目の大 七一五 五三五 祭司で、ヨハナンの子。「ネヘミャ記』一二章一一、二二節にその名が見え 予言。 アモスとゼカリヤ。彼らは義人を売った。それ る。彼はベルシア王ダリウス二世 ( 在位紀元前四二三ー四〇四年 ) の時代か ー三三一年 ) の時代まで生きたと考えら らダリウス三世 ( 在位紀元前三三六 ゆえに彼らはけっして呼び返されないであろう。ーー裏切ら れている。マケドニアのアレクサンドロス大王がアルペラでダリウス三世の れたイエス・キリスト。 ベルシア軍に最後の打撃を与えたのは紀元前三三一年であるが、その前年ア 人はエジ。フトのことをもはや思い出さないであろう。『イ レクサンドロスはガザを陥れ、エルサレムに進撃した。ョセフスの「ユダヤ 民族古代史』によると、そのときャドアは夢にあらわれた神の命により、祭 ザャ書』四十三章十六、十七、十八、十九節。『エレミャ記』 司等をしたがえてアレクサンドロスを出迎えた。アレクサンドロスはエルサ 一一十三章六、七節を見よ。 レムの神殿に入り、ヤドアの仕える神を拝すると言いながらャドアを拝し、 予言。 ユダヤ人はいたるところに分散させられるであ 慣例にしたがって犠牲をささげたという。パスカルがここにこの伝説をひき ろう。『イザャ書』一一十七章六節。ーー新しい律法。『エレミ 出したのは、「イザャ書」六六章一八ー二〇節「彼ら来りてわが栄光を見る べし、云々」の予言についてのユダヤ人的な見方の一例としてであろう。 ャ記』三十一章三十一一節。 五〇九 s-ä四五五六四三 七一七 『マラキ書』。グロチウス。栄光ある第二の神殿。イエス・ P* 五三五 ダビデはつねに後継者をもつであろうという誓 キリストはそこへ来るであろう。『ハガイ書』二章七、八、 〔予言。 約。『エレミャ記』〕 一九、十節。 一同書三三章二二節 ( 版は一三章一三節を指示しているが、この箇所は + 異邦人の召命。『ョエル書』二章一一十八節。『ホセア書』二 第 意味が違う ) 。 章一一十四節。『申命記』三十一一章二十一節。『マラキ書』一章 二八一三四八六三九 七一八 五三五 十一節。 一「ゼカリヤ書』一一章一二節「われ彼らに向かいて汝らもし善しと見な ダビデの血統の永遠の統治。『歴代志略下』。すべての予言 四

7. 世界の大思想8 パスカル

四 1 第十一篇 大「詩篇」五〇篇一〇ー一四節。セ以下は「申命記」一八章一六ー一九 らん、と ) 。この新しき宮の栄光はさきの宮の栄光よりも大 節。 いならん、万軍の主いいたもう。このところに、われわが家 e 五二九四八七六四七 七ニ七 を建てん、と主いいたもう。 メシアの在世中に。 「ホレプにて汝らつどいたる日に、汝らは言えり、主かさね てわれらにしたしく語りたもうことなかれ、かさねてわれら 「謎をかけ」、『エゼキエル書』十七章。 にこの火を見せたもうことなかれ、おそらくはわれ死なん、 彼の先駆者、『マラキ書』。 と。ここにおいて主われに言いたもう、彼らの祈りは正し、 彼は幼児として生まれるであろう、『イザャ書』九章。 われ彼らのうちより汝のごとき一人の予言者を彼らのために 彼はべツレヘムの町に生まれるであろう、『ミカ書』五章。 おこし、わがことばをそのロに授けん。彼はわれの彼に命す彼はおもにエルサレムに現われるであろう。そしてユダとダ ることをことごとく彼らに告ぐべし。すべて彼がわが名によ ビデの家系から生まれるであろう。 りて語るところのことばにしたがわざる者は、われこれをわ 彼は知者と学者を盲目にするであろう、『イザャ書」六章、 れみすから罰せん。」 八章、一一十九章など。貧しき者、卑しき者に福音をつたえる 『創世記』四十九章、「汝ユダよ、汝は兄弟のほむる者、汝であろう、『イザャ書』一一十九章。盲人の眼を開き、病人を の敵にうち勝つ者なり。汝の父の子らは、汝を拝せん。ユダ健かにし、暗黒のうちにありて悩める者を光にみちびくであ は獅子のごとし、わが子よ、汝は獲物のうえに跨がれり。汝ろう、『イザャ書』六十一章。 は牡獅子のごとく伏し、立ち上らんとする牝獅子のごとくう 彼は完全な道を教え、異邦人の師となるであろう、『イザ ずくまるなり。 ャ書』五十五章、四十一一章一ー七節。 「王権の杖ユダを離れす律法を立つる者その足のあいだを離 もろもろの予言は不信仰者には理解されないであろう、 るることなくして、シロのきたるときにまでおよばん。もろ『ダ = エル書』十一一章、『ホセア書』最終章十節、しかし、よ もろの民、彼のもとにつどい、彼にしたがうべし。」 く教えられた者には理解されるであろう。 一この断章は『草稿原本』に欠如しており、「第一写本』に依拠するもの 予言は彼を貧しき者としてあらわすとともに、諸国民の主 である。版は最初の見出しのみを残して、他をすべて省略している。 としてあらわしている、『イザャ書」五十一一章十四節など、 = レイモン・マルタン「信仰の懷剣」のページ数を示す。断章四四六注一 参照。 五十三章、『ゼカリヤ書』九章九節。 三以下は「イザャ書』五〇章。四以下は「イザャ書』五一章。 来臨の時期を予告する予言は、彼を異邦人の主としてしか 三「列王紀略上」一六章三一一、三三節、同上一二章一一八ー三〇節、「創世記」 一一一章三一節等を参照。 予告していない。しかも、苦難を受ける者としてであり、雲

8. 世界の大思想8 パスカル

て、わが顔を彼らに隠さん。彼らは邪まにして不信の民なれ三章十五、十六節。 神殿は棄てられることであろう。『丁レミャ記』七章十二、 2 ばなり。彼らは神ならぬものによりてわれを怒らせたれば、 われもわが民ならぬものによりて彼らに嫉みを起させ、知恵十三、十四節。 儀牲はしりそけられ、他の純粋な犠牲が定められることで なく悟りなき民によりて彼らを怒らせん。」『イザャ書』六十 あろう。『マラキ書』一章十一節。 五章一節。 アロンの祭司職の位は見棄てられ、メルキゼデクの祭司職 この世の幸福は虚妄であり、真の幸福は神に結ばれること がメシアによって導き人れられることであろう。「主、のた である。『詩篇』百四十四篇十五節。 『アモス書』五章一一十一節。まえり。」 彼らの祝いは神に喜ばれない。 、けにえ この祭司職は永遠であるであろう。同上。 ユダヤ人の提牲は神に喜ばれない。『イザャ書』六十六章 エルサレムは見棄てられ、ローマは受けいれられることで 一ー三節。一章十一節、『エレミャ記』六章一一十節。ダビデ 善い人々の場合でさえ、「わあろう。「主、のたまえり。」 「われをあわれみたまえ。」 ユダヤ人の名は見棄てられ、新たな名が与えられるであろ れかくのぞみたりし」。」『詩篇』四十九篇八、九、十、十一、 う。『イザャ書』六十五章十五節。 十一一、十三および十四節。 この方の名は、ユダヤ人の名にまさり、永遠であるであろ 神はただ彼らの頑なさのためにのみそれらを定めた。『ミ う。『イザャ書』五十六章五節。 カ書』六章には、驚くべきしかたでそのことが語られてい ユダヤ人は予言者ももたす ( 『アモス書』 ) 、王ももたず、 る。『列王紀略上』十五章一一十一一節。『ホセア書』六章六節。 異教徒の犠牲は神に受けいれられ、ユダヤ人の儀牲は神の君主ももたず、犠牲ももたす、偶像ももたずにいなければな 。『マラキ書』一章十一節。 らなかった。 意にかなわない 神はメシアによって新たな契約を立てるであろう。そして ユダヤ人は、それにもかかわらす、民族として存続するで 古い契約は棄てられるであろう。『エレミャ記』三十一章一一一あろう。『エレミャ記』三十一章一二十六節。 十一節。 ここにいう l'arcl 】 e は l'arche d ・ alliance ( 契約の箱 ) の意味である。 「出エジプト記』二五章一〇ー一六節参照。神が律法を二枚の石の板にきざ 「善からぬ命令。」『エゼキエル書』。 んでモーセに授け、それを合歓の木で作った箱におさめるように命じたと伝 昔のことは忘れられるであろう。『イザャ書』四十一二章十 えられる。ユダヤ教徒にとって最も神聖なものである。 八、十九節。六十五章十七、十八節。 = 「申命記』五章一五節「汝かってエジプトの地に奴隷たりしに汝の神工 ホ・ハ強き手と伸べたる腕をもてそこより汝を導き出したまえり。ここをもて 契約の箱はもはや思い出されないであろう。『エレミャ記』 二 0

9. 世界の大思想8 パスカル

『イザャ書』〔三十三章〕九節、「地はうれえ、 奇蹟。 顔を汝に隠したれど、とこしえの憐れみもて汝をあわれま おとろえ、レ・ハノンは恥らいて枯れ、云々。」 ん。こは汝を贖いたもう主のみことばなり。」 「主、言いたもう。われいまおきん、いまたたん、いまみず『イザャ書』六十三章十一一節、「栄光のかいなをモーセの右 『イザャ書』四十章十七節、「もろも からを高くせん。」 にゆかしめ、彼らのまえに水を裂きて、みずからとこしえの ろの国びとみな無きにひとし。」 『イザャ書』四十一章名をつくりし者。」 二十六節、「たれか初めよりわれらに告げて知らしめしゃ。 十四節、「汝はかくおのれの民をみちびきて、栄光の名を たれかいにしえよりわれらに告げて、こは是なりと言わしめ つくりたまえり。」 『イザャ書』四十一二章十三節、「われおこなわ 『イザャ書』六十一二章十六節、「汝はわれらの父なり。アブ ば、誰かとどむることをえんや。」 『エレミャ記』十一 ラハムわれらを知らず、イスラエルわれらを認めず。」 章二十一節、「主の名をもて予言するなかれ。おそらくは汝『イザャ書』六十三章十七節、「何ゆえにわれらの心をかた われらの手に死なん。ゆえに主かく言いたもう。」 くなにして、汝を畏れざらしめたもうや。」 『イザャ書』六十六章十七節、「主、言いたもう。みすから 『イザャ書』四十四章一一十節、「かかる人はわが右の手にい を潔くし、みずからを別ちて、 : : : 者は、みなともに絶えう つわりあるにあらすやと思わざるなり。」 せん、と。」 『イザャ書』四十四章一一十一節以下、「ヤコブよ、イスラエ ルよ、これらのことを心にとめよ。汝はわがしもべなり。わ 『エレミャ記』一一章三十五節、「汝、言う、われは罪なし、 れ汝をつくれり、汝はわがしもべなり。イスラエルよ、われされば汝の怒りはわれに臨まじ、と。みよ、汝、われ罪を犯 は汝を忘れじ。」 さざりしと言うにより、われ汝と争うべし。」 「われ汝の咎を雲のごとくに消し、汝の罪を霧のごとくに散『エレミャ記』四章一一十一一節、「彼らは悪をおこなうにさと らせり。汝われにかえれ、われ汝を贖いたればなり。」 けれども、善をおこなうことを知らず。」 四十四章一一十三、一一十四節、「天よ、歌うたえ、主は憐れ『エレミャ記』四章一一十三、一一十四節、「われ地を見るに、 : 主はヤコブを贖い、イスラエル みをほどこしたまえり。 形なくして、むなしくあり、天を仰ぐに、そこに光なし。わ のうちに栄光をあらわしたまわん。汝を贖い汝を胎内につくれ山を見るに、みなふるえ、またすべての丘も動けり。われ れる主、かく言いたもう。われは主なり、われよろずのもの見るに、人あることなし。空の鳥もみな飛びされり。われ見 るに、豊かなる地は荒地となり、そのすべての町は主のまえ を創造し、ただわれのみ天を延べ、みずから地を開けり。」 「イザャ書』五十四章八節、「わが憤りあふれてしばしわが に、その烈しき怒りのまえに毀たれたり。そは、主かく言い

10. 世界の大思想8 パスカル

一「申命記』三一章、三二章。 = 「イザャ書』三〇章八節。 ニ紀元前一六五年にシリア王アンチオコス・エビフアネスの暴虐に反抗し て立ち、エルサレムを回復したマテチアスおよびその子ユダス・マカ・ハイオ 四六二 >-a 九五三五六四 スの一家をいう。 三マソレト mäsöreth とは、ヘブル語で「伝承」の意。特に紀元後一、二 工ズラについて。ーー諸書が神殿とともに焼失したという 世紀ごろの = ダヤの旧約聖書学者をこの名で呼ぶ。彼らは〈プル語聖書の正話。『マカべャ書』によれば虚偽である。「エレミャ彼らに律 しい発音のしかた、句読点のうちかたなどを明らかにし、これを後世にった 法を与えたり。」 えた点で功績がある。 工ズラがすべてを暗誦したという話。ョセフスとエズラは 四「イザャ書」三〇章八節。 三断章六八七参照。たとえば、ヘブル語の「メーム」という文字は書きか 「彼はそれを朗読した」と記している。・ハロニウス『教会年 たに二種あって、一つは一箇所が少し開いた形の書きかた、他は閉じた形の 代記』一八〇、「諸書が焼失し、エズラによって再興された 書ぎかたで、後者は語の末尾に来るときに用いる。リュッテンアウエルの独 ということは、『第四工ズラ書」以外には、古代へプル人の 訳がこの Les lettres défectueuses et finalßの一句を Die offenen und 六 die 帳2Cー】 lossenen Buchstaben と言いかえているのは正しい。 」者がいない。」 誰も語った 工ズラが文字を変えたという話。フイロン『モーセ伝』に e 五〇→四五二五五三 ユダヤ民族の誠実さ。ーー彼らは愛と忠実さをもってこの 「その昔、律法が書かれたときの言語と文字は、七十人訳の 書物を伝えているが、そのなかでモーセはこう言明して ときにいたるまで、同、一のままであった。」ョセフスは言っ る。彼らはその全生涯のあいだ神に対して忘恩であった。自ている、律法はそれが七十人によって翻訳されるまでは、ヘ 分の死後、彼らはますますそうなるであろうことを、自分は ブル語であった、と。 知っている。しかし、自分は彼らに対して天と地を証人に呼 アンチオコスとヴェス。ハシアヌスの治下では諸書を禁じよ ぶ。自分はそのことを彼らに十分に教えたつもりである。 うとしたが、その時代には予言者もいなかったのに、そのこ モーセはこう言明する。ついに神は彼らに対して怒りを発とはおこなわれなかった。何の迫害もおこなわれなかった。ハ し、彼らを地のすべての民のあいだに分散させるであろう。 ビロニア人の支配下では、当時多くの予言者たちもいたこと 彼らが彼らの神ならぬ神々を礼拝して神を怒らせたように、 であるから、彼らがそれを焼けるにまかせたというようなこ 神もまたその民ならぬ民を呼び寄せて彼らを憤らせるであろとが、ありうるだろうか ? 九う。神はそのすべてのことばが永久に保存され、その書がい ョセフスは : : に耐えなかったギリシア人を嘲笑してい る。 つでも彼らに反する証人として役立っために契約の箱におさ められることを欲している。 テルトウリアヌス、「 ( ノアは ) 洪水の暴威によって破減し イザャも同じことを言っている。三十章。 た ( エノクの ) 書を、霊において再興することができた。そ