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検索対象: 九回裏
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1. 九回裏

69 ブップ島 「長に初夜権というもんがあるんです」 「はあ : : : 」 「初夜権、知ってますか ? 」 鉄太郎ははじめてニャリとした。色の悪い唇の間から、煙罩のヤニに染まった年老いた前歯が 現れた。 「ムコさんより先に、長がヨメさんを毒味するちゅうわけです。長がヨメさんの処女をい ただくちゅうわけです」 「はあ : : : 」 邦子は顔を伏せた。またしても面白からざる話題になって来た。 「酋長はヨポョボのおじいや。いったい年なん、ほやと聞いたら、七十八やというたが、七十八 いわ では部落に結婚式があるたびに辛い思いせんならんのとちがうかと思うてね。しかし長日く、 がんば 付長の位にいるからには、あくまで頑張っておる、とね。ウヒ、ウヒ、ウヒ : 邦子は顔を上げて仕方なく笑った。 「ぼくが代理長をやった三日のうちに婚礼があってね。 「はあ 「こら、えらいことになったと思うたねえ。七十八の酋長が頑張ってて、六十六の代理酋長が あかなんだということになったら、君、これ、日本の名折れや」

2. 九回裏

来なかったけど、戦争が終ってから、さアちゃんの面倒をみてたんじゃなかったの ? 」 「ぼくが引さアちゃんと ! 」 藤堂は高い声を出した。 「ぼくはさアちゃんの手ひとっ握ったことは、なかったよ。おふくろから一日結婚を頼まれた けど、何もしなかったよ。ぼくは一度でもそんな関係に入ってたら、どんなことがあっても結婚 している。ぼくはそういう男だー 「でも : : : 」 いいかけた史を藤堂は中学生のように憤然として遮った。 「それはね、ぼくだって若かったから、海軍に入って皆、恋人だの婚約者だのから手紙が来て うらや るのが羨ましかったよ。それでついフラフラとさアちゃんに手紙書いて、復員して来たら結婚し よう、といったこともあった。つまり手紙で約束をしたんだ。しかし、よく考えてやつばりやめ ようと思って、それで丸田に手紙を出して、さアちゃんと結婚の約東をしたが、あれは取り消し 裏てくれと頼んだんだ。それだけだよ、さアちゃんとの関係は 回 「でも戦争が終ってから、藤堂さんはさアちゃんにお小遣いあげたり、生活の面倒みてたって 九聞いたけど : : : つまり愛人としてね」 「バカな ! 」 げつこう 藤堂は激昂した声を出した。 さえぎ

3. 九回裏

「お元気でご活躍、かげながら喜んでおります。私の方は既にキャンプに入って、連日、選手 達を調教していますが、私にもまだ昔の競走馬の性能が幾分か残っているのか、つい選手達につ られて走ったり投げたりで、身体の方はガタガタになって来ました。私ももう五十歳になります。 あな 夜は割合い暇で、部屋でぼんやりしていることが多く、本を読んだり空想をしたり、昨夜は貴 女のク落日クとみ戦場の雪クを読みました。しかしこの二つの作品は、貴女の生活が出てくるの で、読んでいて時々悲しくなります : : : 」 そこまで一気に読んで来た史は、その一枚目の最後にもう一度目を走らせた。 「しかしこの二つの作品は、貴女の生活が出てくるので、読んでいて時々悲しくなります : その言葉は史には唐突な言葉に思われた。史は藤堂研と話をしたことは一度もない。手紙のや りとりをしたこともない。三十年前史は十五歳の少女で藤堂研は十八歳の少年だった。藤堂は十 八歳で既に身長が六尺近くあり、その地方で知られた中学野球のビッチャーだった。その投球フ オームはレビューの女の子のように高々と片脚を上げるので有名だった。ある日、史は親友の小 野俊子と二人で彼のチームの試合を見た。それは夏休みに入って間もなくのことだったが、所在 ないままに二人は通りすがりに野球場に入ってみたのである。 史は野球のルールなどよく知らなかった。俊子も史と同じようなものだった。その試合は八月 になると開かれる全国中等学校野球大会のための県下の予選試合だった。藤堂のチームの敵方の

4. 九回裏

「そうそう、それそれ、二十八対六」 うれ 木谷は嬉しそうな声を上げた。 「多田さんの時も同じゃったんでつか ! 」 しばら 二人は顔を見合せたまま、暫くの間、黙っていた。やがて木谷がいった。 「ほな、どないなってますねん、あの先生」 「ぼけはったんですやろか」 「ぼけはったんですな」 木谷は真剣な眼で邦子を見た。 「ぼけてエロごとにだけ興味が残る ! そんなおじい、ときどきいまっせ。私の近所にもいま したわ。下駄屋のオッサンで」 いきなり二人は弾けたように笑い出した。 「ぼけてはったんか、そら知らなんだ ! 」 島木谷は笑いおさめて、改めて叫んだ。 「知らんもんやさかいに こっちは料理人やと思てバカにされたと思いこんで、腹立つやらロ ・フ惜しいやらで : : : それでも偉い先生からの招待やさかい、行かないかんと思うて出て来ましたん 「でも、あんな大作家でも、あんなになられるんですね」 げたや

5. 九回裏

「バカな」 敬太郎は煙草の煙を輪にした。 ねっぞう 「町子の捏造だよー 波は敬太郎を見た。 「あの時も三井書房の仕事でこもってたんだ。ワイシャツに何か赤いものがついていたようだ が、それはなぜっいたのか、ぼくは知らん。知らんものについて答えようがないじゃないか。そ うだろう ? ところが他人は答えられないと疑う : : : 」 「 : : : それもそうねー 「人生にはしばしば、こうした不条理がある。自分の知らない間に罪人にされた人間だって、 ずいぶんあるんだろうなあ : : : 」 と敬太郎は煙草の輪をまた吐いた。 波は気持がおさまって会社へ出た。気持がおさまると、町子のことが思い出された。町子には 恋人がいるのだ。そのことを敬太郎に告げるのも忘れたことに気がついた。敬太郎は何も知らず に町子を信用している。うちの女房はぜんぜんヤキモチをやかないんだとよくいっている。そう いうとき、敬太郎は町子をいい妻だと思っている様子がある。そんないい妻を裏切っている自分

6. 九回裏

と豊作はいった。 もちろん 「勿論来とるよ。昨日から新神戸に泊っとる」 村安は答えた。 「君の話をしたら、喜んどったで」 「なに、俺のことをいうたんか」 「そらいうたさ。中学の頃、あんたにネッ上げてた宮本豊作いうの、覚えてますか、いうたら、 みるみる顔を輝かせて、まあ、宮本さん、お元気ですか、というたよー 「そんなら俺が今日、行くこともしゃべったんか ? 「日曜日に多分、宮本が来ます、いうたら、まあ、懐かしいわ、いうて、えろう喜んどった 「ふーん、そうか 豊作は笑うまいとしても笑えて来ながらいった。 鏡「君は何時頃、会場へ行く ? 」 眼「十一時からの会やからな。俺は十時にはもう行ってる。彼女もその頃に来るよ」 老 「そうか 豊作は時計を見た。 「まだ九時前やな。俺はもう家を出たんや」 わ」

7. 九回裏

敬太郎はいった。 「それならなぜ、三井書房の名で部屋を取らないの」 「ーー知らんー 少し間を置いて敬太郎はいった。 「そんなこと、オレは知らんよ。三井の人のしたことだから : : : 」 敬太郎はいった。 「それで、何の用だい。こんな朝つばらから , 一瞬、町子は答えに詰まった。女と一緒にいるのではないかと思ってーーーとは町子にはいえな 町子はこれまで自分が静子のようにやきもちやきでないことを自慢していたからだ。 「何だか急に気分が悪くなって、心臓が苦しくなって来たのよ。今は少しよくなったんだけど、 息苦しいの。お母さんが心臓で死んでるものだから、急に心配になって来て」 「何だい。そんなことでかけて来たのか」 敬太郎はこともなげにいった。 「大丈夫だよ。お前の心臓は特製だー 「あなたは妻が病気だといっているのに、たった一言であしらってすます人なのね」 「だって今、現に元気な声を出してるじゃないか。心臓病の人間の声じゃないよ、その声は」 敬太郎は面倒くさそうにいった。

8. 九回裏

それでもよかった。その女学校全体が友江のように思われた。 豊作はオレンジ色のカー。ヘットの上にアグラをかいて、長い間ぼんやりしていた。 「そうか、独身だったのか」 しやみせん っふや と彼は呟いた。家の中には謳もいない。彼の妻は高校生の娘を連れて知人の三味線の温習会に 出かけていた。温習会に出る前に美容院へ行き、それから呉服屋へ寄って正月の晴着を見るのだ といっていた。 「夜はひとりで食べて下さいね」 と妻はいった。 「よしちゃん、任せるよって頼みまっせ。昼はきつねうどんでええやろ」 さばみそに 家事手伝いのよし子は、夕飯にまた鯖の味噌煮を作るだろう。よし子は鯖の味噌煮が好きなの きら だだが彼の妻が鯖が嫌いなので、留守になるとよし子は鯖を食うのを楽しみにしているのだ。 彼は妻と同じように鯖が嫌いだったが、彼は何もいわなかったのでよし子はそのことを知らなか 眠 「日一那さん、お昼はけつねうどんでよろしい ? 」 老よし子が盆の上にうどんを乗せて居間〈入って来ながらいった。よし子は妻がいないと急に馴 れ馴れしい口を利く。 「いかんというても、もう作ってしもとるんやないか」

9. 九回裏

「はあ。何や賞もらわはったんですね」 「その人、よう知っとるんや。中学生の頃からな : : : 」 「きれいな人ですねえ」 「きれいか ? そう思うか ? 」 勢いづいて豊作はいった。 「若い時はもっときれいやったでえ」 「えらい力いれはって : : : 日一那さん、怪しいわ」 「怪しい ? 何がや ? 」 工へへとよし子は笑った。 「この人、旦那さんの何やったん ? 」 「何やて : : : けったいな目工すんなよ」 豊作は少し浮き立って来た。 鏡 「中学の時、この人と毎朝、同じ電車に乗っとったんや。時々、チラ、チラと、こう目と目を 眼見交わしてな」 老「好き同士やったん ? 」 「うん : : : まあ、な」 豊作は友江と二人の友達が、豊作を見てクスクス笑ったことを思い出しながらいった。 ころ

10. 九回裏

とは違うと思ってたわ : 「ただのグウタラ : : ほんなら、ぼくはそ - フか ? 」 豊作は思わずそういい、我ながら、だらしのない質問だと思って口をつぐんだ。 「そうか : : : 君は、そうやったんか」 努力して豊作はいった。 「へえ、そうやったんか。 : : : 知らなんだなあ : : : 」 豊作は更に力をふるっていった。 「で ? 二人はどこまで進んどったんや ? 」 「どこまでって : : : 」 おもかげ 友江は顔を上げて豊作を見た。涙に濡れた大きな眼は、一瞬、彼女の女学生時代の俤を豊作に 思い出させた。 「結婚したかったわ、私ーー」 鏡友江は呟くようにいった。 眠 「でもあの人は特攻隊に行ってしまったわ」 老 「ぼくらが卒業してからも、つき合うてたの ? 友江はそれには答えずにいた。 「思い出したわ、いっか、あなたの家のまわりウロウロしてたこと、あの時、大江さんの家を