ちゃん - みる会図書館


検索対象: 九回裏
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1. 九回裏

来なかったけど、戦争が終ってから、さアちゃんの面倒をみてたんじゃなかったの ? 」 「ぼくが引さアちゃんと ! 」 藤堂は高い声を出した。 「ぼくはさアちゃんの手ひとっ握ったことは、なかったよ。おふくろから一日結婚を頼まれた けど、何もしなかったよ。ぼくは一度でもそんな関係に入ってたら、どんなことがあっても結婚 している。ぼくはそういう男だー 「でも : : : 」 いいかけた史を藤堂は中学生のように憤然として遮った。 「それはね、ぼくだって若かったから、海軍に入って皆、恋人だの婚約者だのから手紙が来て うらや るのが羨ましかったよ。それでついフラフラとさアちゃんに手紙書いて、復員して来たら結婚し よう、といったこともあった。つまり手紙で約束をしたんだ。しかし、よく考えてやつばりやめ ようと思って、それで丸田に手紙を出して、さアちゃんと結婚の約東をしたが、あれは取り消し 裏てくれと頼んだんだ。それだけだよ、さアちゃんとの関係は 回 「でも戦争が終ってから、藤堂さんはさアちゃんにお小遣いあげたり、生活の面倒みてたって 九聞いたけど : : : つまり愛人としてね」 「バカな ! 」 げつこう 藤堂は激昂した声を出した。 さえぎ

2. 九回裏

藤堂は値打ちがあったのだ。藤堂は肉体を持たぬ夢の男として長い長い間史の中に存在していた。 藤堂のことを思うとき、史はいつもドタ靴をはいたセーラー服の史になった。藤堂の中に史の青 春があり故郷があった。それが茂子の話でかき消えた。 「もうちょっとマシな女に惚れたんならええけど、よりにもよってという感じゃねー しっと ど史はつけつけといった。嫉妬というよりも幻滅が史にそういわせた。 「男が惚れた女を見ればだいたいその男のネウチがわかるもんよ。さアちゃんに惚れるくらい なら、まだ、このふう公に惚れた方がマシや」 「ほんまやわ ! 」 茂子は吐き出すようにいった。 「妹のこと以来、私、さアちゃんとロ、利いてへんねんー 「しかし、さアちゃんには昔からそういうところはあったわ」 史はいった。 「正直いうて私はマルポンがさアちゃんと仲ようしているのが不思議やったわ」 回史がそういうと茂子は黙って、乳を飲んでいる赤ン坊の顔を見つめていた。 「ふうん、そんなことがあったの」 俊子は感じ入ったように吐息をついた。

3. 九回裏

せまいとしてうつむいている。 全国中等学校野球大会が終ってしまった夏の後半の所在なさを史は俊子やグルー。フの連中と海 へ行ってまぎらせていた。といっても史は十メートルも満足に泳げないようなカナ槌である。夏 のはじめに俊子たちは水泳教習所へ行って二、三百メートルは泳げる力を身につけていたが、そ の間、史は家にゴロゴロして、藤堂に仮構の恋文を書いたり、ク恋の熱球クという小説を書いた りしていたのだ。 海へ行くとき史はいつも姉の水泳帽子を無断で持ち出した。四つ上の史の姉は水泳の名手で、 水泳教習所の教師の資格である黒い帽子を持っていた。史はその黒帽をかぶって海岸を行ったり 来たりした。そうして史はもう藤堂研の姿を見られなくなってしまった長い夏に耐えたといって 海岸の近くにはあちこちの庭で夾竹桃が燃えていた。穏やかな波が岸辺に打ち寄せ、入道雲の 下の海岸は子供たちの上げる甲高いざわめきに満ちていた。そこで史は何度か、丸田茂子とさア ちゃんとキヌちゃんという茂子の二人のイトコに会った。茂子は史や俊子と同級生で、クラスで 裏 回はマルポンと呼ばれていた。さアちゃんは史たちの女学校ではない、西田高女という女学校の五 九年生で、姉のキヌちゃんはその前の年に同じ女学校を卒業して洋裁学校へ行っていた。さアちゃ んとキヌちゃんは史たちを見ると、 「また、来たーー」

4. 九回裏

「そんなこと聞くと、藤堂の手紙はますますおかしいと思えてくるわー 俊子はいった。 「その後、藤堂はさアちゃんとどうなってるの ? 」 「知らん・ : : ・」 「さアちゃんは幾つ ? 」 「五十でしよ、藤堂と同い年やったから。 「五十 ? へえーエ、もう五十 ? あのイケズの女の子が」 「あんただって四十六よ。オッチョコチョイの女の子が : : : 部長夫人になってるー 俊子と史は暫く黙った。 「なんやしらん、がつくり来るねえ。こんな話してると : : : 」 俊子は気が抜けたような声を出した。 「藤堂はほんまにふう公に会わせてくれとマルポンにいうたのか、あんな不良は嫌いやという たのは本当か、なぜマルポンはさアちゃんの機嫌ばっかり取ってたんか : : : マルポンに聞きたい こといつばいあるわねえ : : : 」 「すべてのナゾはマルポンが握ってる ! 」 史はいった。史はそれを紙芝居屋の声色でいった。 「聞きたいねえ、マルポンに : こわいろ

5. 九回裏

をあおるよりしようがないといった風だった。 「はあーん、そうですか。そんなことがあったんですか」 てじゃく 手酌でビールを注いでは阿川はくり返した。 「いいなあ、いい話ですなあ : : : 」 いつの間にかすっかり日が暮れていた。こんな所じゃなしに、落ち着いたところで飯を食おう、 と藤堂はいった。 藤堂は中学生の時よりも単純で、無邪気だった。彼は大声で快活に笑い、史をじっと見つめて 何度も、 「なっかしいなあ : : : 」 といった。そんな気取りのなさはおそらく藤堂が年をとったために出て来たものにちがいなか 「いいですねえ、ゆっくり昔話を聞かせていただきましよう」 裏と阿川は賛成した。三人は車を呼んで近くの海沿いの町の料亭へ出かけて行った。車の中でふ 回と、藤堂はいった。 九 「ふうちゃんは丸田の隣のイトコというのを知ってる ? 」 「さアちゃんとキヌちゃんでしよう ? 知ってるわ」 史はいった。 っ

6. 九回裏

道何号線とやらが作られたのだ。 「しかし、いい話ですねえ : : : 」 史の後ろで酔った阿川の声がいっていた。 「三十年ぶりでお会いになった : ・ : ・。相思の二人であったのに運命の糸は結ばれず、今ここに、 お二人とも名遂げられて : : : 明るく : : : 美しく対面された : : いいですなあ・ : : ・レい言だなあ : ・ : ちょっと失礼 : ・ 阿川が手洗いに立っと、藤堂は黙ってビールを飲んだ。 「藤堂さんは、いつ、さアちゃんと手を切ったの ? , 史は縁の障子を閉めて藤堂をふり返った。 「なぜ、別れたの ? 」 「別れた ? 藤堂は怪訝な顔を史に向けた。 「別れたって、何だい ? 「つまりねえ、関係を清算したっていうのかな」 「清算するも何も、ぼくはさアちゃんとは何の関係もないよ ! 」 藤堂は怪しむように史を見た。 「だって藤堂さんはざアちゃんと一日結婚したんでしよ。そして戦争のために正式の結婚は出

7. 九回裏

「それでね、いきなり三村さん、敬太郎ったら浮気してるらしいの、っていわれちゃったの、 私、何ていったらいいのかわからなくて、思わずホント ? っていっちゃった 三村波の声がバスルームから聞こえていた。バスルームは開け放しになっている。波は浴槽に あわ 長々と脚を伸ばして胸にシャポンの泡を立てながらしゃべっていた。 やっ 「あなたはよくいってたでしよう。うちの奴は絶対にぼくを信用しているんだって。でもその 割には案外、簡単に疑われてしまったわね」 「うーん」 敬太郎はべッドの中でった。京都ホテルを引き上げて、その足で用を足してから名古屋城の ほとん 見えるこのホテルへ来た。彼が部屋へ入るのと殆ど同時に、東京を新幹線で発って来た波が入っ て来た。波は東京駅の構内でひょっこり町子に会ったといって興奮していた。 ちがさき 「何でも思い立って茅ヶ崎にいるお友達のところへ行くんだっていってたわ。どうしたのかな。 京子ちゃんは連れていなかったわよ」 夫の場合

8. 九回裏

せいか、軽い頭痛がしている。眠れば直るかと思って横になったが、却って神経が立って来るの ごうはら がわかった。そこで業腹だが思いきって静子に会いに行った。 林家のチャイムを押すと、まるで待ちうけていたように静子が顔を出して、 「あら、何か ? 」 とわざとらしく小首をかしげた。 「町子は今日は遅くなるっていったんでしようか」 敬太郎はいきなり聞いた。 「何時頃に帰るといっていましたか ? 」 「何時頃とはおっしゃいませんでしたのよ」 静子はそういって目を。ハチパチさせた。 「ただもし遅くなったときにつて、京子ちゃんのお夕飯を頼まれましたの」 「京子の夕飯を ? い や、ぼくはどうなるんですー 「さあ : : : 」 静子はロの両端に微かな笑いを浮かべた。 「今日はお帰りじゃないと思ってらしたんじゃないかしら : : : 」 「そんな筈はありませんよ。昨日の朝、ちゃんと電話してあるんですから」 「まあ、そうですのー

9. 九回裏

「いったいマルポンはどういう気やったんやろ。藤堂のいうてることが本当やとしたら、マル ポンはなんであんなウソいうたんやろう。藤堂にその気がないからどないも出来へんのやわ、な んて : : : それで、藤堂の方にはイトコが怒るからいうて、ふう公のこと会わせなかったり : : : ち よっと、ふう公、これ、どう考えても不可解やわ , 「マルポンはイトコが怖かったのよ - 史はいった。 「イトコのさアちゃんとかいうあの不良、覚えてる ? 彼女、あの頃から、藤堂を好きやった のよ。後に藤堂に処女を捧げて捨てられたりしてるくらいやから , 「へエーえエーえ工 俊子はサイレンのような声を出した。 「ふう公、そんなことどこで知ったの ? 「マルポンに聞いたのよ。あれは藤堂が結婚して間もなくの頃やったと思う。マルポンも結婚 して東京へ出て来た頃よ。その頃、日一那さんの出張のときなんか、ちょいちょいうちへ遊びに来 てたの」 丁度二十年くらい前のことになる。茂子は炬燵の中で胸をはだけて赤ン坊に乳を飲ませながら 話していた。 「戦争中のことよ。海軍に取られる前に藤堂はさアちゃんと結婚することになってたんよ。そ

10. 九回裏

俊子は三十年前と同じ声で叫んだ。 「ほんまア ? 」 おみこし 俊子の驚いた声は史を満足させた。史は浮き立った。お祭が始まって、これから御神輿を担ぐ 子供のようにわくわくして笑った。 「何というて来たと思う ? おトシ」 「ーーわからん : ・ 俊子はいった。 「じらさんと、ふう公、早う教えてよ : 史は藤堂の手紙の一部を読み上げた。読みながら昔、藤堂から来たという仮構のラブレターを 作っては、よく俊子に読んで聞かせたことを思い出した。 「ーーーああ、ふうちゃん、ふうちゃん、ぼくの愛するふうちゃんよ ! くず ぼくはふうちゃんをカミ屑のように思っているように見えているかもしれないが、本当はふう かえ ちゃんが好きで好きでたまらない。あんまり好きで好きでたまらないから、却ってカミ屑のよう に思っているという風なそぶりをしてしまうんだョ 「今度のはホンマもんやろねフ 俊子も同じことを思い出したとみえてそういった。 しようこ 「ホンマや、ホンマ。その証拠に文章は私のほど名文やないね」