思い出し - みる会図書館


検索対象: 九回裏
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1. 九回裏

とは違うと思ってたわ : 「ただのグウタラ : : ほんなら、ぼくはそ - フか ? 」 豊作は思わずそういい、我ながら、だらしのない質問だと思って口をつぐんだ。 「そうか : : : 君は、そうやったんか」 努力して豊作はいった。 「へえ、そうやったんか。 : : : 知らなんだなあ : : : 」 豊作は更に力をふるっていった。 「で ? 二人はどこまで進んどったんや ? 」 「どこまでって : : : 」 おもかげ 友江は顔を上げて豊作を見た。涙に濡れた大きな眼は、一瞬、彼女の女学生時代の俤を豊作に 思い出させた。 「結婚したかったわ、私ーー」 鏡友江は呟くようにいった。 眠 「でもあの人は特攻隊に行ってしまったわ」 老 「ぼくらが卒業してからも、つき合うてたの ? 友江はそれには答えずにいた。 「思い出したわ、いっか、あなたの家のまわりウロウロしてたこと、あの時、大江さんの家を

2. 九回裏

「お帰りなさいいカカ ? 楽しかった ? 君子はいつもと変らぬ陽気な愛想のいい声を出した。 「まあまあ、私にお土産を ? あら嬉しいわ。幸福のお裾分けと思っていただくわー 君子はす早く華子の指に目を止めた。 「あら、プレゼント ? 」 華子のくすり指に、行くときにはなかった小さなサファイアが光っていた。 「え、記念につて : : : 」 華子は恥かしそうにいった。 「こんな年になって、今さら指輪などいらないっていったんだけど : : : あんまり上等じゃない のよ 「上等じゃなくたって、そんなこと問題じゃないわ、愛だもの、心だもの : 翌日、君子は華子の持って来た五色豆を食べながら、その会話を思い出した。突然君子は電話 を引き寄せた。ふいに華子の言葉が思い出されたのだ。 先生は離婚して、私と結婚したいというのよ 「もしもし、後藤田さんでいらっしゃいますか。あ、奥さま ? 」 君子はいった。 「先生は市村さんにサファイアの指輪をエンゲージリングとして買っておあげになりましたよ。 すそわ

3. 九回裏

じって坐っていなくてはならないのか。これもク仕事クの一つなのか。愛社精神か、義務感か、 出世欲か、生きるためか : 「山科さん : : : お待たせしました。今終りました」 看護婦が入って来ていった。 「山科さん : : : 山科さん : : : 奥さんが終られましたよ」 二度いわれて友平は、今日は自分が山科友平になっていることを思い出した。 「今、病室の方へ移られましたから、ご案内します」 : どうも : 「はあ : : : いろいろと : 友平は看護婦の後ろから二階へ上って行った。上ったところの病室のべッドに、セッ子が丸い 顔で気持よさそうに眠っていた。友平は呆然とその傍に立った。それから思い出して廊下の電話 で大熊氏を呼び出した。 「先生ですか、野間です」 「ああ、野間君、どうだった」 「無事、今、終りました」 「そうか、ありがとう、安心したよ」 「で、原稿の方は : : ・こ 「ああ、二、三日うちに取りかかるよ」

4. 九回裏

俊子は三十年前と同じ声で叫んだ。 「ほんまア ? 」 おみこし 俊子の驚いた声は史を満足させた。史は浮き立った。お祭が始まって、これから御神輿を担ぐ 子供のようにわくわくして笑った。 「何というて来たと思う ? おトシ」 「ーーわからん : ・ 俊子はいった。 「じらさんと、ふう公、早う教えてよ : 史は藤堂の手紙の一部を読み上げた。読みながら昔、藤堂から来たという仮構のラブレターを 作っては、よく俊子に読んで聞かせたことを思い出した。 「ーーーああ、ふうちゃん、ふうちゃん、ぼくの愛するふうちゃんよ ! くず ぼくはふうちゃんをカミ屑のように思っているように見えているかもしれないが、本当はふう かえ ちゃんが好きで好きでたまらない。あんまり好きで好きでたまらないから、却ってカミ屑のよう に思っているという風なそぶりをしてしまうんだョ 「今度のはホンマもんやろねフ 俊子も同じことを思い出したとみえてそういった。 しようこ 「ホンマや、ホンマ。その証拠に文章は私のほど名文やないね」

5. 九回裏

た女学校があった。彼の通っていた中学はマンションやアパート しつぶされんばかりにうずくまっていた。 「なっかしいというより、悲しいわ」 と友江がいった。 豊作は車を市の海岸へ行く川沿いの道で止めさせた。暫くの間二人は、その道を黙って歩い て行った。 「松林は半分になってしまったのね と友江がいった。 松林は壊されてテニスコートになっている。派手な色彩のセーターを着た高校生の男女が、敏 しよう 捷な身ごなしで球を打っていた。 「私、今の若者を見ると、ムラムラするの」 友江はいった。 鏡「海を見ると、思い出すの、この海のつづきで死んで行った沢山の若い人たちのこと : : : 」 すそ 眼友江は堤防の上に立って、青竹色の着物の裾をはたはたとなびかせながら怒ったようにいった。 老 「思い出すのよ。死んで行った若い人のことを : : : 」 すいかわ 菊市の海岸は砂浜がなくな 0 ていた。かってそこで豊作たちが西瓜割りをしたり、寝転んで女 すもう の品定めをしたり、歩きながら関東だきの串を投げたり、角力をとったりした砂浜の代りに、冷 や灰色のビルの間に、今にも押 びん

6. 九回裏

ある夜、中学時代の同級生村安から電話がかかって来た。 「おい、覚えてるか。柴田友江いう女学生のこと : : : 」 むすこ 鏡村安は神戸の大きな呉服商の息子だったが、呉服屋はいやだといいながら、今では父の後を継 限いで、父の代よりも大きな呉服屋になっていた。 老「覚えてるもなにも : : : 」 豊作は思わず大声を出し、それから後ろでテレビを見ている妻に気がついて、冷静にいった。 「新聞で見たよ。なかなか活躍されとるらしいな」 もし友江と結婚していたなら : 真剣に豊作は考えた。女学生時代の友江のきめの細かな小麦色の頬や、利ロでおきゃんらしい ひとみ よく動く黒い瞳が思い出された。友江は本当によく笑う女の子だった。友江と結婚していたら楽 しかっただろうなあ : : : 彼は電車の中でいつも笑いくずれていた友江を思い出して微笑した。友 江と結婚していたならば、クソミソにやつつけられるようなことはなかったにちがいない。友江 ならば彼のいう冗談にいつも笑いこけるだろう : その時向うの方から、いないと思っていた妻の声が手裏剣のように飛んで来て彼を刺した。 「なにニタニタしとるのよ。いやらしいー ほお

7. 九回裏

313 つの心 なのか、自分が何のためにそこにいるのかを一瞬、忘れた。 賭の答えは出たのだ。 波は思い出した。この時に波は敬太郎との未来を賭けていたことを。そうよ、賭の答えは出た のよ、と波は自分に向かっていった。 波はふり向きもせずに反対の方向に向かって歩き出した。 「さようなら」と波は心の中でいった。波の靴音は高く響いた。それは波が、自分を励ますた めにことさら高く響かせたものだった。

8. 九回裏

つの心、 波はいった。 「ご主人、いらっしやる ? 」 「まだ帰りませんのよ」 のんぎ 町子は暢気な声でいった。 : あら、もうこんな時間。眠ってたものだから、どうも失礼しました」 「何時かしら ? : 「ご主人は ? 「三井書房の仕事だと思うんですけどね。まだ帰りませんの。お急ぎの御用ですの ? 」 「ええ、実は簡単なものなんですけどドイツ語の翻訳をお願いしたいと思って。仕事の上で急 に必要になったものですからね , そういってから波は、ふと思い出したようにいった。 「三井書房の仕事って、本当なの ? 」 「さあ : : : どうですか」 町子は面倒くさそうにいう。 「またこの間の、ワイシャツに口紅つけてた人と一緒じゃないの ? 」 「そうかしら」 町子はいった。 「あるいはそうかもしれませんわね」

9. 九回裏

「そやかて、神聖藤堂研やもん : : : 」 「神様みたいなもん ? 」 「そゃ。神様や」 と史は真面目に肯いた。 茶の間の柱時計が六時を打った。 「お迎えが来ました」 と家政婦がいった。これから連れ込みホテルの探訪に出かけなければならなかったことが、遠 よみがえ くの方から蘇る昔の記憶のように思い出されて来た。 その夜、探訪から帰って来ると、史はすぐ大阪にいる俊子に電話をかけた。俊子には大学生の びとりむすこ 一人息子と嫁に行った娘とがいる。夫は有名商事会社の営業部長で女学校を卒業して直ぐに結婚 した俊子は何の波風もない平坦な三十年の道を歩いて来たのだ。 「相沢でございますー 俊子は低い、落ち着いた中年の声で出て来た。 「おトシ ? 」

10. 九回裏

「はあ。何や賞もらわはったんですね」 「その人、よう知っとるんや。中学生の頃からな : : : 」 「きれいな人ですねえ」 「きれいか ? そう思うか ? 」 勢いづいて豊作はいった。 「若い時はもっときれいやったでえ」 「えらい力いれはって : : : 日一那さん、怪しいわ」 「怪しい ? 何がや ? 」 工へへとよし子は笑った。 「この人、旦那さんの何やったん ? 」 「何やて : : : けったいな目工すんなよ」 豊作は少し浮き立って来た。 鏡 「中学の時、この人と毎朝、同じ電車に乗っとったんや。時々、チラ、チラと、こう目と目を 眼見交わしてな」 老「好き同士やったん ? 」 「うん : : : まあ、な」 豊作は友江と二人の友達が、豊作を見てクスクス笑ったことを思い出しながらいった。 ころ