今 - みる会図書館


検索対象: 何がおかしい
186件見つかりました。

1. 何がおかしい

今は通用しない。努力よりも知識である。その知識は「今を生き抜くテク = ック」を磨く も、つ 知識である。「損か、得か」それを優先的に考える知識だ。「いかに儲けるか」というこ とが、日本人全体の目的価値になっていて、それの上手な人間が今は「エライ」のである。 そういう「エライ人」にならなければならないという強迫観念が、子供たちを圧迫し 「いい子」にしているとしたら、子供は病んでいると考えるべきだ。 だがある時、二十代の息子をもっ私の女友達がこんな述懐をした。 彼女が学歴社会に流されず、抵抗しようと考えて一一人の息子を教育した。自分は人生に 何を目指すかということをよく考えて前途を決めなさい。みんなが大学へ行くからといっ というようなことを折にふれ、いって て、意味もなく大学を志望する必要は少しもない、 いたのだという。殊に長男の方は虚弱だったから、学歴よりもまず健康を、という考えも あったらしい。彼女を尊敬していた息子は、では大学へ行かずに独学で外国語を勉強する、 しといった。彼女がフランス語の教師だったこともあって、万事理想的に進んだ。弟の方は 高校を中退し、ロック。 ( ンドを作って自由に生きる道を選んだ。 何そうして八年経った今、長男はフランス語と英語とスペイン語をマスターしたが、いま だに彼女のスネを齧っている身である。三か国語が出来ても、独学では就職先がない。第 一、ソントクを無視した価値観が通る場所が日本には全くないのだ。 「彼の価値観、認めるわよ、私は」 187

2. 何がおかしい

おど だが今、親たちは子供を叱ったり、威したりしなくなった。する必要がなくなった。子 供がみな「いい子」になったからである。 「勉強しなさいよ、な・せしないの、そんなことでどうするの」 ほとん と怒鳴らなくても、殆どの子供は進んで勉強をするのである。 今の子供はみな、おとなのように現実を見、考えるようになっている。親が心配してや らなくても、ちゃんと自分で自分の将来を心配しているのだ。将来が不安だから、「勉強 しよう」と思っている。将来に大きな夢があるから勉強しようと思うのではなく、将来の 生活に心配がないように勉強しようと考えている。 その不安や心配は、 ( かっての子供の頭には浮かんだこともない ) いったいどこから来 たのだろうか ? 子供のくせにそんなことを考えるなんて、情けないやつだ、といっても仕方がないので 。それが今、とりとめのない夢にとって代った彼らの人生 ある。人ナミの豊かな暮し てあか の「夢」ーーではない、 「目標」なのだ。子供に夢はなくなった。その代りに手垢のつい た現実の目標がある。 めいりよう 何のために学校へ行くのか、と訊かれた時、昔の子供は明瞭な答えが見つからなかつな 「えらい人になるためです」 中に利発なのがいて答えたりしたが、その「えらい人」というのはどういう人のことを

3. 何がおかしい

I 夢かと思えば と初老さんたちは一斉に私の方を向いたが、 すうせい 「いや、やつばり時代の趨勢というものでしよう。女が女らしくならなければならないと は思わなくなったように、男も男らしくあらねばならないと思わなくなったんですから。 女だから女らしく、男だから自然に男らしくなるものじゃなくて、やつばり努力して女ら しく、男らしくなって行くんでしようからね 「今は皆、なりゆき任せで努力しない ? 」 「今、努力しているのはおかまさんだけです」 とおすぎの話を紹介すれば、 「うーん、えらいもんですなあ。うちの娘に聞かせてやりたい , と初老さんたちは感心したのであった。

4. 何がおかしい

を克服した。ここにて。フ男のブ男ぶりは、そこいらの美男よりも存在感を持つに到った のではなかったか ? そういう発奮努力をする必要が今はなくなった。昔はブ男を直す技術がなかったから、 いやでもそれを背負って生きなければならなかったのだが、今はブ男をハンサム風に ( こ の風というところが大事なのだが ) 手を入れることが出来るようになった。失点を補う努 力をしなくても、金を稼いで美容整形医の手に委ねればいいのである。 もっとも昔は男の容貌が問題になるのは役者俳優くらいなもので、普通の男は顔など気 にする必要がなかった。男は力さえあればよかったのである。しかし今は政治家がテレビ 写りを気にして化粧をする時代である。顔のよし悪しが大事な問題になってきた点で、男 は女と同じになったのだ。 「・ほくらが女のひと見る時だって、顔よりもカッコだもんネ。カッコ悪いかいいかで決る でしよ。女のひとが男性見る目だって同じだと思うの。安モノだと、同じジャケットでも え シルエットがちがうんだよネ」 夢折しもテレビでそんなことをいっている若者がいたが、今度は顔よりもカッコだという。 しかもそのカッコは心の鍛練によって作るものではなく、上等のジャケットで作るものだ とい、つ。 私はつくづくその若者の顔を見て、シルエットを強調するしかないそのキモチはわから

5. 何がおかしい

暫くしてまた彼女から電話がかかってきた。 「ファックスがありました ! 」 と叫ぶ。 「なに、ファックスがあったー どこにフ・」 「そちらの町の郵便局へ電話をかけましたら、とても親切にして下さって、郵便局にはフ アックスはないんだけれど、 Z++ にあるかもしれないから問い合わせてあげるといって チェッ、郵便局め、余計なことを ! 「それで今、返事を下さって、 Z++ にありましたって : : : 」 「それで今からすぐ、送りますから、すみませんけど受け取って、手を入れてまたファッ クスで送っていただけませんでしようか」 「私がへ受け取りに行くんですか ? 」 「郵便局の方が受け取って、そちらのお宅へ届けて下さるそうなんです。ほんとに親切な 郵便局で、私、感激しました : : : では : : : 」 やがて坂を上ってくる赤いスクーターが見えた。郵便局のスクーターだ。 しばら

6. 何がおかしい

248 あたか 威力は恰も戦時中の陸軍省のごときものであると思ったものだった。印刷広告と電波広告 を一手に握るこの媒体には、新聞社もテレビ局も歯が立たないといわれている。私がこの 一文を書こうとしていることを知ったさる新聞社の知人は、それを書いても『新潮菊』は 掲載しないのではないかといった。たとえ編集部が載せるつもりでも、広告部から文句が くるだろうから、と。 電通批判をすれば現実にどんな報復がくるのか、私は知らない。もしかしたらそれはた いたずらおび だの被害妄想かもしれないとも思う。徒に怯えるのが悪いか、怯えさせるのが悪いか。た がメディアにとって大手広告主よりも巨額の広告収入の仲介者である広告会社の方が大切 であるという実情を踏まえている限り、この怯えは正当化されるのである。 商売商売。今は到るところ、日本中が損得勘定で動いている。自由にして厳正たるべき 一一一口論機関が、損得のためにありもせぬ報復を怖れて自己規制をしているのだとすれば、ま たそれを当然のことと容認するのが現代の常識だとする社会通念が生れているとすれば、 間違いなく日本人の精神性は腐りつつあるといえる。 かっての日本人はこうだったああだったと、今の時代にいってもはじまらないことを今 更いいたくはないと私は思っている。かっての日本人にも醜い面はいくらもあった。現代 人に較べて主観的、感情的で知識も乏しく、国家権力をかさにきた奴が威張りくさって、 何とも住みにくい面もあった。しかし少なくとも彼らは「人間ーだった。悪人は悪人なり

7. 何がおかしい

102 思いでトラック御輿を見送ったのである。 そうして今年もまた、トラック御輿が登って来た。トラックから御輿を降ろし、我が家 の庭でワッショイワッショイともんで、またトラックに乗せる。今年もまた私は、例年の ように若者たちにいった。 「あなたたち、来年はトラックに乗らないで下から担いで上ってこない ? 」 毎年、御輿の若者は少しずつ顔ぶれが変っている。 「一度くらい担いで登って来てみたらどう。東栄の漁師の意気を見せてちょうだいよ それから私のロは勝手に動いてこういっていた。 「賞金出すわよ、十万円」 よく考えもせずにスラーツといっていた。するとトラックの上から一人の若者がいった。 「十万か。そんなら今から降りてもういっぺん上ってくるべよ」 「もういっぺん ? 今から ? 」 ちょっと私はアテが外れた。私は来年のつもりだったのだ。 「百万円ならやってもいいけどな」 というのもいる。 「いや、カネはいらねえ。やるよ ! そういったのは「和製トニ ・カーチス」と我が家の娘たちが呼んでいるアイヌ系のハ

8. 何がおかしい

ようがないよ、先は長いんだ、人生は可能生に満ちているんだよ、子供はノビノビ育てば と反論された。 「あなた ( あるいはおじいさん ) は実体を知らないからそんなことをいってられるんです よ と母親は不服だが、それ以上に論争を開始する用意もないので黙って引き下ったもので あった。 だが今は子供の育て方についての反論など、父親にもおじいさんにもない。 「勉強させないで、大学なんか行かなくてもいいなんていってられる時代じゃないんです よ、今は。そんな暢気なことをいっていられるのは、大金持ちだけです」 といわれると、おじいさんはそういうものか、と沈黙し、大金持ちにならなかった自分 つぶや を思って強く主張も出来ず、ああ情けない世の中になったもんだなア、と呟くしかない。 そろ 以一家全員、親戚の端々に到るまで、ソレ勉強、サア勉強と意見が一つに揃っている。そし て子供自身もまた同じ意見なのだ。 かばん 何学校から帰ると鞄をほうり出して外へ遊びに走って行ってしまうーーそれが子供という ものだと思っていた私は、学校から帰るなり、また鞄を提げてスタスタ学習塾へ向う子供 3 たちの姿を見て、はじめのうちは可哀そうに思っていた。しかし可哀そうに思うのは大正 生れの時代遅れな感傷であって、子供はそうして塾へ行くことに何の苦痛も感じていない。

9. 何がおかしい

171 事件の後、教育委員会は定例会でこの問題を討議した。その席では、 「教師の方にいじめにすり寄る傾向はなかったか」 「いじめとふざけの区別がっかないようでは教育者として失格である」 という意見が出たそうだ。 しかし私は三人の教師は別段、いじめ側にすり寄ったわけではないのだと思う。ただ教 あおいいんろう 師たちは「ジョークーの一言に対する抵抗力が欠けていた。まるで水戸黄門の葵の印籠と 同じように「ジョーク」という一言は、相手を黙らせてしまった。先生たちはジョークの わかる先生になりたかった。そうしなければ生徒とうまくやって行けないとしたら、そう するしかしようがないのである。そこに教師の死活がかかっている。 今は笑いに知性がなくなった。笑いの格調が崩れて、笑いも冗談半分の笑いになってい いる。どこに本音があるのか、どこまでが冗談なのか。冗談が生活の中に喰い込んで来て、 おジョーダン、ジョーダンで笑ってことがすんで行く。笑ってことをすませなければ仲間に 何入れてもらえないから、おかしくなくてもわーツと笑う。 ジョークはもはや「ゆとり」ではなくなった。今ではそれは生きるための身ごなしなの である。だから私には少しも笑えない。

10. 何がおかしい

118 サべツはイジメに通じ、イジメは劣等感につながる。子供に劣等感を与えたくない、サべ ツ、イジメから子供を守らなければならない 。それが親が何より大事な問題として考 えなければならないことだといわれた。 そこで又、私はふしぎに思う。 劣等感のもとを排除することよりも、劣等感と戦いうち克っことの大事さをなぜ考えな いのだろう。なぜそれを教えないのだろう。人間、生きている限り、何らかの形で劣等感 はやってくる。劣等感は人が成長する過程に必要な「毒」あるいは「病気」である。子供 ひやくにちぜき の幼い身体はハシカや百日咳を乗り越えることによって成長し、強くなっていくのだとい うが、劣等感は心のハシカや百日咳であろう。 しかし今はワクチンのカでハシカや百日咳を抑制する。同様に劣等感のもとになるもの も排除しなければならないとされている。 なヂ そうして今の子供はひ弱だ、がんばりの力がない、何も出来ない、といって歎いている のはおかしくはないか ? 自分でひ弱にしておいて、ひ弱ひ弱と心配している。 「教育熱心」とされているお母さんほど、そうなっているということで、それが私の最後 のふしぎである。