もう一人の佐藤愛子 ある日、昼食どきに電話が鳴った。家の者が受話器を取ると、男の声が「佐藤愛子さん いますか」といったという。「どちらさまですかと訊くと、 「みやけじゅんですー 何だかえらそうな声音でいったので、家の者は文壇のエライ先生からの電話だと思って 慌てて私に取り次いだ。 、、、ヤケ ャケ : : : 誰だろう、と思いながら私は電話口に出て、 、佐藤ですがー 「みやけです」 え と一呼吸おく。この一呼吸は、私が当然その名を知っていて、「みやけです」と一言い えば、すぐに応答してくるものと確信しているためのようで、私はあせ 0 た。その名に記 憶がないからである。この節、とみに記憶力が減退し、実はその前日も「青山さん」とい う女性編集者に向って「田中さん、田中さん」と呼びかけていて、 「先生、わたし、青山ですけど。田中じゃありません」
切に案内してくれたので、お礼に近くのすし屋で酒を飲んだ。お互いに自己紹介をし合っ たところ、女は自分は佐藤愛子という小説を書いている者だといったという。 たまたまみやけ氏も小説を書いている人だったので話が弾み、やがて話題は彼の師匠で ある「大塚まさはる」氏に及んだところ、佐藤愛子は、大塚さんはいい作家だが、あの奥 さんがいけない。奥さんがよければ大塚さんはもっと伸びたであろう、というようなこと をいって、大塚夫人の悪口を並べたてた。 そこでみやけ氏は激怒し、いやしくも大塚先生は自分の師である。その師の夫人の悪口 を、佐藤愛子かなんか知らんけど、今はじめて会ったあんたの口からいわれることはない、 けんか と喧嘩になった。 だがやがて仲直りして、二人はみやけ氏の泊っているホテルへ行き、またそこですしを 食べて酒を飲んだ。 ( よくよくすしの好きな人たちなんだなあ ) 「そしてですね。まだあるんですよ、話は」 え 思 みやけ氏はつづけた。 「それから記念に、・ほくは財布を買ってあげたんです。そうしたら、財布を人にあげる時 は、中にお金を入れてあげるものと昔から決っているというもんでね」 「そうね、五円玉とか十円玉とか入れますね」 「それで一万五千円、入れたんです」
可がおかしい 佐藤愛發
111 「いやや」 と私はいう。なぜいやなのか、と母は問う。それくらいのこと、なんでもないじゃない とい一つ。 か、先生は叱ったりしない、 しかし、私は叱られるのが恐くていえないのではない。それが母たちにはわからない。 いうてごらん : : : 」 「なにが恥かしいのん、え ? なにが ? 例によってはじまる。そうして母は匙を投げて家事手伝いを呼んで学校へ行かせ、やが て「ひさ」というその家事手伝いは、笑いながら帽子を持って帰ってきた。 よ・つや ほっとして帽子を手に取ると、漸く難関を突破したという安堵と、一旦は見捨てようと した帽子への哀れさ、申しわけなさで胸がいつばいになるのだった。 私がこんな思い出話をすると、人は皆、信じられないという。 「ほんとですか」 え と念を押す人もいる。 思 「佐藤さんもそうだったのかと思うと、元気づけられます」 夢といったのは、気弱な子供を持ったお母さんである。 「でも、そんな子供だった佐藤さんが、どうして今のような鬼をもひしぐ人になったんで しよう」 と質問した人もいる。
何がおかしい 佐藤愛子 角川文庫 8 。 4
ないが、むざむざ見せてやるのがシャクである。 「佐藤のばあさんの裸ときたら : ・ さかな と酒の肴にされるのが。 そういう次第で陽のあるうちに入浴したいのだが、五時に電話がかかってくると思って 待っていた。娘が町へ行っているので私一人である。入浴中にかかっては困る。 五時半になった。 かかってこない。 六時まで待った。 かかってこない。 七時に来客の約束が入っている。娘はそのもてなしの酒肴を整えに町へ行ったのだ。思 いきって入浴しようか ? しかし風呂場から居間の電話まで、二つの座敷を裸で走り抜けなければならない。それ え 思 を思うと、もう少し待ってみようという気になるのである。 ここまで読まれた読者は、 ( ( ーン、ここで佐藤愛子の憤怒が湧き立つのだな、とお思 - いになるだろう。それはこの数十年来の私のパターンである。 しかし「憤怒の女ーの異名をほしいままにした私も今、六十四歳になんなんとして、つ いに憤怒に飽きた。気の弱りではなく、飽きたのだ。 しゅこう
泥棒考 なぜこんなに泥棒と縁があるのかとっくづく感心してしまうほど、私はよく泥棒に入ら れる。 泥棒の中には留守を狙って入ってくる泥棒もいれば、我が家で働いているうちに泥棒に なるという泥棒、テレビ局の楽屋で、ハンドバッグの金を失敬する泥棒、白昼堂々と土足 で乗り込んで来る泥棒 ( つまり強盗 ) など、いろいろある。 何年か前、泥棒にやられてばかりいる、といった文章を発表したところ、それを読んで 来たという家政婦が、 「先生は、おロは悪いけど、お人が好すぎるんですよ」 まっちゃぢやわん といいながら、輪島塗金蒔絵のお椀十人前、抹茶茶碗から白隠和尚の軸物、一番上等の 藍大島など、数百万円分をごっそり持っていった。そんないやらしい泥棒もいる。そうい うのに較べれば、短刀と改造モデルガンを持って、 「佐藤愛子いるか ! お前が佐藤か ! 」 すご ねら きんまきえ わん
222 は私に書かれていることを、こういっているという。 「あれはオレじゃない。佐藤愛子が書いたオレらしき男だ」 私はそれを聞いて、おかしな話だが「さすが」と思った。は文学を志す男だから、そ う考えることが出来るのだろう、とまずは素直に受け取る。 しかし次に考えられることは、はそういうことによって自分が受けた傷を庇ったのだ、 ということだ。 それからまた、こうも私は考える。 書かれた人間というものは、どの指摘もすべて違うと思う。自分の真実の姿はこんなも のではないと感じるものだ、と。 「あれはオレじゃない。佐藤愛子が書いたオレらしき男だ」 というたったそれだけの言葉にも、それだけの推察が出来るのである。しかしそれはあ くまで推察にすぎない。その三つの推察のうち、どれが真実かを攫むには、それ以外の の日常のディテールズを積み上げ積み重ねして行った上で、近づけるものだ。いや、それ でも尚、真実というものはわからない。多分、自身にもわからない。もしそれをに質 問すれば即座に ( はいつも即座にいう ) 答えるだろう。何かもっともらしいことを。 たが言葉というものは必ず正確に真実を伝えるとは限らない。言葉にすると同時に、そ れまで真実だと思っていたことが、曖昧だったことに気づく経験を私は何度もしている。
六十前後で一万五千円ー もしナニしていたとしたら、これはチト高いんじゃないか、と愚考する。いや、高いと いうより、モノ好きといった方がいい力も。 「で、どうしてその人がニセモノであることがおわかりになったんですか ? 」 「別れた後で考えたんですよ。佐藤愛子が財布を買ってもらって金を入れてくれというの はヘンだと思ったんです。そこで、大塚先生のところへ行ってその話をしましてね。そこ で文芸手帳であなたの電話番号を調べてもらったんです」 それで電話をかけて来たという次第か。私は思い出した。最初に「みやけです」と一言 いって一呼吸おいた、あのへんに馴れ馴れしい親しげな感じを。 もしかしたらみやけ氏は、私が電話口に出るまでニセモノとは思っていなかったのかも しれない。 「みやけです」 え といって一呼吸おいたのは、そういえば、 「あら、みやけセンセ工 : : : 先日は : : : 」 うれ 嬉しそうな甘い声が返ってくるものと思って一呼吸おいたのではなかったか ? なのに、 ぶつきらぼうな太い声が、「はい、 佐藤ですが」と出て来た。 さぞやびつくりしたことだろう。びつくりしたがそこは年の功、さすがす早く立ち直っ
100 「ダメといったらダメです : : : 」 どうだ、マイったか ! 上司の期待に添えない部下。お前さんは無能の部下ということ になるんだそ ! しかし彼女はあっさりいっこ。 「そうですか。じゃあ、また : : : 」 彼女は上司に告げたのであろう。 「佐藤さんはダメといったらダメといいました」 かくて私はここに完全敗北を喫したのである。