「うちの裏の空地に建てればよかったのに」 「冬も住めるように出来るべよ。金をかけたら、何でも出来るべさ」 うな 口々にいわれ、私は「うーん」と唸って元気を失った。金をかけたら何でも出来るべさ といわれても元気は出ない。かける金がないということばかりでない。金をかけて冬も住 めるようにしたいという気持がわいて来ない。 ーー人間の分際を知れ ! その時私は、風や雪にそういわれたような気がしたのだった。 やがて春が来た。北海道の春は五月だ。 雪が解け、北風は鎮まり、枯色の野に少しずつ青みが射して来たと聞いて私は草山の家 ふもと つくし へ行った。もう手洗いに行くのに廊下を走らなくてもよかった。麓へ下る山道には土筆が のぶきようや 伸び、野蕗が漸く黄色い花をつけている。いつも滞在中に借りることにしている犬のシロ もら を連れて散歩に出た。シロは東京の我が家で生れ、仔犬の時に近くの牧場に貰ってもらっ た犬だ。我が家がある草山の下は牧草の草ッ原で、私はそこを犬と一緒に走るのが好きで ある。 その時もシロの後から走っていた私は、草ッ原の外れに沢があることに気がついた。そ こは今までに始終行っていた場所だが、いつも季節が夏だったために、沢のまわりに生い 繁った柏ゃいたどりの葉が沢を隠していたのだ。 かしわ
答を見て、 しい出すのを諦めているという様子である。 抜くのはイヤである。絶対、イヤだった。 きそん 身体髪膚これを父母に享く、あえて毀損せざるは孝の始めなり、などといって、抜きな さいよと勧める娘を退けていた。抜くのがイヤな理由は、本当は入歯がイヤなのであった。 テレビので入歯専用の歯磨が出て来ただけで、正視出来ずに怒っていた。ああいう醜 怪なものを口に入れて尚生きなければならんとしたら、潔く死を選びたいー などとロ走 っていたものだ。 ところがついにその日が来た。前歯は大グラグラもいいところ、人と対話中、「そうね ほおづえ ・ : 」と何げなく頬杖をつき、ふと指が顎のへんを触っただけで、ロの中で前歯がグラ リ、内側へ倒れている。それを舌の先でもとへ戻し、何くわぬ顔をして話をつづけている、 という苦労が生じて来た。朝夕の歯磨がたいへんである。歯ブラシを歯の内側へ当てると グラリ外側へ。外側を磨こうとするとグラリ内側へ。 え ついに私は歯科医へ行っていった。 「観念しました。抜いて下さい」 そうして出来た入歯である。入歯といってもたった一本だ。たった一本だが、前歯の内 この先生 側に合成樹脂 ( 多分そのようなもの ) の歯の台 ( ? ) を渡さなければならない。 は入歯の名手で名高い方であるから、歯の調子はまことにいい。 見た目も全くわからない。 あきら
I 夢かと思えば や蛔虫ゃないか、と気がつく。そうだ、耳ダレのタケチャンも、体操の時間に口から蛔虫 が出て来たので、先生がつまんで引っぱり出してやったというよ」 まったく、あの頃の子供はたいへんだった。いろんなものに耐え、戦わなければな らなかった。子供が耐えたのは、親の無理解ばかりじゃないよ。耐えると知らずに耐え、 戦うと知らずに戦い、そうして鍛えられた。それが昔の子供であるー 今の子供はいったい何に耐え、何によって鍛えられるか ! 蛔虫も知らず、耳ダレ、メ ばん : と叫べば、万 チャチャも知らず、ポッチャン刈りにしてハゲも出来ずへナへナばかり : かん 感迫って目が潤み、耳ダレのタケチャンについて何を話すつもりだったのかわからなくな ったのであった。
208 わない。 そんなふうに生きて来られたのは、ただ単に私にエネルギーがあるからだというだけで なく、私には「書く」という仕事があったおかげだと思っている。といっても「書くこ と」が楽しいわけでは決してない。書きたくないが書かなければならないからカを振り起 こして書く、ということが始終だった。書かずにすめばどんなにいいかと何度も思った。 しかし、そう思いながら私は書きつづけ、それによって破産や借金や別離の苦痛を薄め、 押し退けることが出来たのだ。 書くという行為の中にも、いろいろあって、もの書きを職業としている限り、気が進ま ないものまでも無理に書かなければならない場合がある。そんな時、私はいつも思ったも のた。 ああ、こういう気が進まぬものを書かずにすむ作家になりたい、と。 書きたいものだけを書く作家生活に入りたい、と切に念じていたのだが、この頃は「い ゃな仕事も少しはした方がいい」と思うようになっている。いやな仕事もしているからこ そ、本当に書きたいものが出てくるのではないのか ? 書きたいものだけを書こうとして いると、そのうち、何も書かなくなってしまうのではないか ? そんなふうに思うように なっている。 好きなことだけを、好きなようにやっている人生は退屈だ。人は、好きな時に絵を描き、
病人ならわかる。わかるし、それがよい、と思う。つまり喧嘩するだけのエネルギーが ないと考えれば納得出来る。それが彼らにとっての「自然」なのであるから。 しかし病人などではなく、健康な少年であるとしたら、彼が一度も喧嘩をしたことがな いというのは「不自然」だ。 走る、飛ぶ、大声を出す、壊す、暴れる、そして喧嘩。 子供たちは絶え間なく燃えているエネルギーをこういう形で発散し、消化し、それによ って調和を保って成長して行くものではなかったのか。昔のおとなは子供とはそういうも のだと理解していた。しかし今は、何であれすべて「暴力」は「悪」として否定される。 そういう教育をおとなたちがほどこす。殴り殴られる喧嘩によってエネルギ 1 を調節して いた子供は、今は何によってエネルギーを発散させればいいのだろうか。 あるいはこの頃問題になっている学童の「イジメ」は、出口を失ったエネルギーが内攻 よど はっこ、つ して澱んで醗酵し、陰湿な苛めの形をとって出て来ているのかもしれないと私は考える。 「子供の自然」を抑え込んでおいて、おとなたちは、苛めに対する教師の注意が足りない といってなじったり、 いや、親の放任の責任だと責めたり、右往左往して困っている。 「子供の自然」とはどういうことかということさえわかろうとせずに、ひたすら途方に暮 れている。しかしそれも無理はないかもしれない。おとな自身がどんなふうにして「人間 の自然」を回復させればいいのかわからなくなっているのだから。
と呟く声が耳に人ったとたんに、私は叫んでいた。 「あ、ウッシを取っておくのを忘れた ! 」 男の人は知らん顔をして二枚目を手にしている。 「ちょっと待って下さい ウッシを取ってないんですよ ! もし先方で赤の字が読めな いといって来た場合 : : : ウッシがないと困るわ ! ああ、どうしよう ! 何か書くものあ りません ? 紙と、ポールペン : : : 貸して下さい : 紙、紙 .. ひとりで騒ぎ立てた。相手の人はいぶかしげに騒ぐ私を見ている。後ろの方で机に向っ あっけ ている人たちも、みな顔を私に向けて呆気にとられている。 その時、後ろで娘がいった。 「大丈夫だってば、ママ。落ちついて見てごらん。ちゃんとこうして出てくるんだから」 娘はポカンとしている私を悟すようにいっこ。 「紙が消えてしまうわけじゃないのよ。ただ、文字だけが送られるだけなのよ」 「なに、文字だけ送られる ! 」 なんだってそんなことが出来るんだー 「怒ったってしようがないのよ。とにかくそうなんだから」 の人よ、 をいったいなんでいきなり私が興奮して騒ぎ出したのかわけがわからぬま まに、愛想よく笑って私を見送ってくれたのであった。 つぶや
玄関先であわや大乱闘が始まりそうになった。その時騒ぎを聞いて奥から近衛篤麿が出 来た。事情を聞いて篤麿はいった。 「それは小池が悪い。佐藤君に謝りたまえ」 相手は玄洋社の小池平一郎という壮士だったのだ。彼は、 「殴られた上に謝るのか、割に合わないなあ」 父に謝罪してこういった。 「俺は君に殴られたと思うと腹が立つが、俺の頭で君の手を殴ったと思えば腹は立たん」 単純にして明快。いかにも明治時代らしい話である。 俺は君に殴られたと思うと腹が立つが、俺の頭で君の手を殴ったと思えば腹は立 いそういってすべてを水に流して笑って別れることが、なぜ今は出来なくなってしまつ おのだろう ? 何笑いたい時には心から笑い、泣きたい時は大いに泣き、腹が立てば怒る。そして怒れ洋 暴力を振うことだってあるのだ。それが人間の自然である。だが今はこの「人間の自然」 が捩曲げられ、歪められ、思いやりとか平和とか優しさなどという空念仏によって踏み田 められてしまった。現代にて何よりも悪いのは暴力だとされている。萩原健一は暴力ル おれ ねじま
の独眼竜政宗にいかりや長介が出ていて、毎週、熱心に見ていたのだと彼女はいった。 「いかりや長介やとわかって、私、夢の中でガクゼンとしてるのやわ。でもすぐ思い返し 冫しい聞かせてるの : : : 」 て、『男は顔やない、顔やない』と自分こ、 すそ 出来れば私も今一度、そんな夢を見たいものだ。幽霊の裾を踏みしめて、「塩ッ ! 」と 叫んでいるような、そんな夢、一生にいっぺんでいいから見たいものやわ、とその友達は いったけれど。 うたたねに恋しき人を見てしより 夢てふものを頼みそめてき なんていう歌でも作りたいものだ。 うたた寝といえば、この頃テレビを見ているうちに必ずうたた寝をするようになった え ( これも年老いたしるし ) 。しかし私がうたた寝で見たのは、次のような夢である。 私は雑誌の座談会に出ている。テーブルを挟んで向うに二人の男性がいて、私は長椅子 に横になっている。とにかく眠くて眠くてたまらないのである。座談会は始っているらし いが起きることは出来ない。向い側の二人の男性は礼儀上、寝ている私に気がっかないふ りをしているのか、それとも全く黙殺しているのか、寛大に目が醒めるのを待っているの
186 いうのか、具体的に把握しているわけではなかった。えらい人とは、多分、国のために役 立つ人、というような意味合を持っていたのだろう。だが、大半の子供はただ漠然と、そ こに学校があるから行く。おとなになるためには色んなことを憶えなければならないから 行く。行かなければ叱られるから行く、といった程度の自覚しかなかった。 私が今、子供たちを可哀そうに思うのは、「どうしても大学を出なければ幸福な人生を 手にすることが出来ない」と思い込んでいることである。更に可哀そうなのは、その思い 込みを大人たちは否定することが出来ないという事実である。 八百屋の子供は八百屋を継げ・よ、 冫しい、なぜ大学へ行く必要があるのか、とひと頃はよく いったものだ。八百屋の実務に大学出の学歴は必要ではないのに、大学へ行くのは虚栄心 にほかならないといわれた。 しかし今はもうそうはいえない。八百屋の隣にスー ーマーケットが出来たら八百屋は つぶれるのである。つぶれたらサラリーマンになるしかない。サラリ ーマンになるとした ら、大学出の知識が必要になってくるのだ ( 念のためにいっておくが、大学出という「学 歴」の肩書きではない ) 。サラリーマンにならないとしても、八百屋を隆盛にするために は例えば「近代経営学」なんていうものも知っておく必要が生じるのだ。 苦労に負けず、人一倍努力奮闘すれば必ずや道は開けて行く、などという考えは、もう
明治以来、日本の女性は性的に抑圧されて育って来た。セックスの快楽は男性のみに許 され、女がそれを求めるのはたしなみに欠けるとされて非難された。私や子の世代には、 その観念が染み込んでいる。 しかし今、日本の女も生活力を持ち、抑圧から解放され、避妊の技術が進歩したことに よって、女性も男性並に性を快楽として捉えるようになっている。性における男女平等は 実現しつつあるのだ。 しかし、と私は思う。観念的にはそう理解出来ても、実感としてどうもめでたいめでた しとをいいかねる気持が私の中にあるのをどうすることも出来ない。男は体液を放出する。 女は男の体液を吸収する。同時期に三人の男と交われば、三通りの快楽を得る代りに三色 の体液が身体に入るのだ。それを「汚れた」と感じることは、理論とは別である。 翌日、子はまた電話をかけて来た。 「姪にいうてやったわ。あんた、自分の身体、汚いと感じないのって。そしたら、なぜ汚 いの ? て訊くのよ。伯母さんたちは六十年大事に引きずってきたもので自分を縛ってる。 悲劇の世代ね、やて。生意気にー そして子はキイキイ声になって叫んだ。 まんえん 「エイ、もう ! こうなったらエイズがもっと蔓延してほしいわ ! 私、それを祈る ! 」