いやアな気持 蟷螂の斧 結婚というものは : 不幸は幸福の隠し味 わがままもの 我儘者のひとりごと なぜ書くのか とうろうおの 蟷螂の斧 とうろうおの
249 Ⅲ蟷螂の斧 に「人間」だった。「人間」たから悪人になった人もいる。弱者を虐める悪人にも、悪ー なりの涙があった。 今の企業エリ ートは悪人ではないが ( 私が悪と思うものは「企業正義 , として通って 1 まう ) 、涙がない。怒りもない。あるのは知識だけだ。スマートで豊かで教養人だ。だが 己れに涙がないことに気がついていない。それでいて「美しさ」とか「優しさ」という一一一 葉をアクセサリーのように使うロポットだ。 実に電通は現代日本の縮図である。 電通のロポットたちは未来の日本人像だ。 だから私はこの一文を書く。 日本人を歪める巨魁の目はいったいどこにあるのか。その目に向って蟷螂の斧ふりか すにも、その目がどこにあるのかわからない。それが私の、いや日本人の悲劇のもとで る。 きよかい とうろうおの
と、つろ、つおの Ⅲ蟷螂の斧
蟷螂の斧 今から十五年、いやもっと前のことになるだろう。ある事情から私が東奔西走して働き まくらねばならなかった頃のことである。・ほんやり空を見て過す時間など、一年のうち、 数えるほどしかなかった、そんなある年の初夏の夕暮、珍らしく私は窓辺に寄って・ほーっ と空を眺めていた。 美しい初夏の夕暮にもかかわらず、その時、気持よく・ほんやりしている私の頭にふと、 そういえば、あのお金、貰ったかしらんフ という誠に情けない想念が宿った。「あのお金」というのは、その前年の秋、電通から 頼まれて、ある建設会社のモデル ( ウスの前で広告写真におさまるという、やくたいもな のい仕事の報酬である。やくたいもない仕事であるから忘れていたが、仕事は仕事である。 りよこうかばん 蟷しかも気が進まないのを無理に頼み込まれ、仕方なく大阪取材旅行の帰りに重い旅行鞄を 引きずって立ち寄った名古屋での撮影だった。単衣物を着ていた憶えがあるから、秋とい っても九月末か十月のかかりのことだ。それが今は五月である。早速調べてみると報酬を 受け取った形跡がない。 233 とうろ , つおの もら
する。そしてそれと並行して悪霊に取り憑かれた主人公が、次第に狂気に陥って行くので ある。 「うーん、これは傑作だ、これは面白い映画だねん 北さんはそういって観ながら時々、質問する。 「あれはユーレイですか ? あれはいっ死んだ人です ? 」 「ですからね、この管理人の前の管理人の幽霊なんですよ。前の管理人も妻子を殺して自 殺してるのよ」 と説明する。 「ああ、そうですか。なるほど、なるほど : そういって画面に目を凝らすうちに北さんは突殀、 「アイしています」 訊き直したが黙っている。画面はやがて狂った管理人が斧を持って我が子を追っかけ廻 すシーンになった。観る者みなが息を呑むシ 1 ンだ。 と、北さんはいっこ。 「アイしてます : : : 」 。これは怖いねえ : おの まわ
211 わがままもの 我儘者のひとりごと 私はまっすぐな人が好きである。だから自分も、出来るだけまっすぐに生きたいと念じ ている。 しかし、まっすぐに生きるということは、なにかと人に迷惑をかけることになるし、ま た人の理解を断念しなければならないことでもある。それでも私がまっすぐに生きたいと 思うということは、主義とか思想などというたいしたものではなく、そうしか出来ない生 れもっての気質 ( 血 ) というものかもしれない。私がまっすぐな人に憧れるのは、そうい う気質が私の中に流れている一方で、現代というまっすぐに生きにくい時代を通過するた めについ自分が行ってしまうごま化しゃ矛盾に苦しむからである。 斧 の まっすぐな人に憧れ、自分もそう生きようと思うのは、私が我儘な人間であるというこ 蟷とと深い関係があるだろう。私の育った家では我儘は悪徳ではなかったのである。 「彼は我儘だ、しかし正直だ」 、っそ といういい方で我儘は許容された。一番悪いのは嘘をつくことだった。ロのうまい人間 は、たとえそれが礼儀から出たものであっても軽蔑された。トクしたソンしたという一一一一口葉 あこが
247 ぎて話にならんといわれることを承知で、私はあえて疑う。日本の企業家は効率のみを目 ざしているうちに、文化が、人間が、いかに歪められ衰弱していくかを考えたことがある のたろうか ? 日本は政治家と企業家が一体になって、世界に冠たる経済大国になることを目ざしてき た。その目的に向って子供は教育され、経済大国の産業戦士となってロポット化されてい く。この目的の下では、儲けた上にも儲けることが「正義」なのである。 最近私は電通での講演料の支払いは、講演した月の二カ月後であったことを文書で知っ ともかくそういう た。なぜ二カ月後なのか、その説明はない。 「決り」なのであるらしい だが私が聞いたところによると、スポンサーの方からは、講演の月のうちに人金がすんで しるという。 それが本当だとすると年商八千億円といわれる超広告代理店は、なんと、ミミッチクも 講演料で二カ月分の利ザヤを稼いでいるのである。講演を余業としている作家はそれでも 斧 の しかし中にはのどから手が出るほど金がほしい中小下請業者もいるにちがいないの 蟷だ。その業者たちは黙って堪えがたきを堪えている。電通は権力をもって稼ぎ取る年商八 千億という額を恥じるべきであろう。 何年か前、私は新聞社系の週刊誌に電通批判の戯文を書いたことがある。その時、新聞 社の営業部からせめて「社」を「 < 社」に変えてほしいという申し入れがあり、電通の 、、 0
223 私は人が死んだ時に作家が読む弔辞や追悼記に興味を持っている。私はそれによって死 者を知るのではなく、その人を知ろうとしているのだ。いわゆる世間の常識というものを 大切に思っている人。それほど大切には思っていないけれど、一応身につけている人。良 い弔辞を読まねば、と意識している人。自然体の人。感情家。形式儀礼を重んじる人。 い加減な人。故人をどの程度愛していたか、いなカったカ : 弔辞もまた死者を悼むのではなく、語り手自身を語るものなのである。だから私は弔辞 あいさっ を読むのが怖い。川上宗薫の葬儀で、出棺の際の親族の挨拶の後で、菊村到さんと私に友 人として別れの言葉をいうようにと勧めた人がいて、私は困った。親友だから何かいうべ きだと人はいう。しかし親友だからいえない、と私は思う。言葉はそれほど無力なものだ。 しばしば しかも屡々、その本人を裏切る。 三年ばかり前のことだが、一人のが恋人を殺してアパートの自室の床の下に埋めて 斧 の いたという事件があった。その時はただ、何の気もなく新聞の報道を読み過ぎただけだっ 蟷たが、古い知人のさんが来て、この事件を小説にしてみませんか、といった。 殺した女性も殺された男性も共に若く、私がわからないとして敬遠している世代である。 そんな世代のことなど、私には書けるわけがないのだ。それを書くにはまず、その人に関 心を持たなければならない。しかし私にはまったく関心がない。
207 金銀財宝が出て来たとしたら、なんて面白くない退屈な人生だろうと私は思う。働かなく ても金のある生活が、どうして倖せだろうか。金を手にすることの面白さは、努力するこ とによって手に入る点にあるのだと私は思っている。資産家の金が利が利を産んで増えて 行くことは、少しも「幸福」なんそではない。損したり得したり、泣いたり笑ったりしな がら増えて行く金でなくてはつまらない。 賭ごとの本来の目的は、当たるか外れるかのスリルを味わうことにあるのであって、儲 けることにあるのではない。賭の情熱は「絶対に安全ではない」というところに生じるも のなので、人生もまた同じものだと私は考えている。 : 」と思う。そう思うの 六十四年の人生をふり返って、私は「ああ、面白かったなア : は私の人生、常に波瀾が巻き起こっていたからで ( 人はそれを「不幸」というが ) もしも あの波瀾、苦難がなかったら、私の人生は退屈でつまらないものだったろうと思う。 のそう思う私は多分、〒ネルギッシ、な人間なのだろう。 蟷私は結婚生活を二度、失敗している。破産を一度している。しかし自分を不幸だと感じ たことはない。それは丁度、海で泳いでいる人が大波に襲われ、流されそうになった時に、 「ああ、なんて不幸なんだろう」と思いながら泳ぐことがないのと同じである。そしてそ れを乗り切った時、ほっと一息つきはするが、とりたてて乗り切ったことを幸福だとは思 はらん も、つ
206 目ざし、高校は美術科に入っていたが、芸大入試に失敗して以来、大学へは行かずに一人 で絵を描きつづけ、四十歳を過ぎた。 彼は生まれてから四十歳を過ぎるまで、いまだかって金を稼いだことがない。絵が売れ いや、他人に評価されようとはせず、ただ描いている ないというより、売ろうとしない、 だけである。なぜ評価されることを求めないのか、その理由は誰にもわからない。 必然的に生活はすべて妻の肩にかかっている。子供も作らず働きもしない。妻が洋裁を して働いているのだから、代わりに家事をするということもない。堂々とぶらぶらしてい る。 かえでもみじ ゅのぢやわん 彼の一日は昼頃起きて音楽を聞くことと、湯呑み茶碗ほどの植木鉢に挿した楓や紅葉な たた ど、何十もある植木に水をやることと、音楽に合わせてドラムを叩くことと、そうして絵 を描くことで過ぎている。結婚して十五年、彼はそういう毎日をくり返して来た。母親の 持ち家に住んでいるので、家賃を払う必要がないから、生活は比較的らくなのである。 しあわ 人は彼を見て、「倖せな人ですねえ うらや 「よほど前世で善行を積んだんでしよう」と羨ましがる。その都度私は、曖昧に笑って返 事の代わりにしながら、世の中には「金を稼がなくてもいい生活」を、何よりの幸福だと 思っている人が多いことを今更のように知ったのだった。 もし庭に金の成る木が植わっているとしたら、ここ掘れワンワンと犬が吠えて庭隅から という。 あいまい ほ