214 るんですよね。多分、その人だと思うんですの。なかなかしゃれた人でしたわ。浩ちゃん あだな も最先端のヘアースタイルでした。お父さまがごらんになったら、またなにか渾名でもっ けそうな」 美保は笑った。 「で ? 話をしたの ? 」 いうまいと思いながら信子は訊いてしまう。 「こんにちはっていっただけですわ。チャオ ! なんてキザなんですよ、あの子。わかっ ててキザをやるんですよ。ほんとにニクイの」 「ほら、なんていったかしら、オールドミスの女編集長、プスの : : : 」 わざと「プス」とつけ加えずにはいられない。 「ああ、佐久間さんですか」 「その佐久間さんのトリコになって、ルーチャンのこと忘れちゃったのかと思ってたんだ けど」 「さあ、どうでしよう ? : : : 」 美保は笑顔を傾け、 「でも浩ちゃんはそう簡単にトリコになる子じゃありません。いつだって風の中の羽のよ うに、ですわ。浩ちゃんは : : : 」
「美保さん : : : おはよう : : : 」 赤いジャン。ハーの後ろ姿がふり返る こう 「あらッ : : : 浩ちゃん ! 」 としん 一瞬、妬心が頭を擡げた。 「こんにちは」 立ち上がった人さし指に、手乗り文鳥のように九官鳥が止まっている。 「おばさん、ほら ! こんなに馴れちゃった」 信子はそれにちょっと目をくれただけで、 「美保さんは ? 」 思わず強い調子が出た。 よっ 「出かけてます。吉ちゃんの学校のことで」 信子はおからの鉢をテープルに置いた。いっからこんなになったのか ? 今の浩介のい 抗い方は、まるでここの家族の一員みたいじゃないか。 の「美保さんは遅くなるかもしれないっていってました。今日は吉ちゃんの担任をやつつけ 四る下相談なんだって」 「美保さん」という呼び方が、信子の胸を突いた。 少しの間信子は、ここへ来た目的を忘れて黙って立っていた。 もた と、浩介だった。
145 冬の嵐 ってやりたいことをやったら、その浩ちゃんとかいう子に捉われたりしなくなるわ。こう いっちやナンだけど、つまんない子だものねえ。その子 : つまんない子 : そういわれてムッとしたが、考えてみるとその通りかもしれない。浩介に男としてのど んな取り柄があるのかと訊かれると、信子は答えることが出来ないのである。 浩介は口先男だ。怠け者だ。真面目にものごとを考えたことがない。浩介の優しさは頼 りなさでもある。ものにこだわらないのは、無責任にも通じる。そして何よりも彼にはモ ラルがない : 信子は決して浩介に対して盲目的になっているわけではなかった。浩介の欠点はよく知 っている。しかし「知っている」ということと「好き」とは問題は別なのだ。 「それが恋というものなんだわ」 春江はまるで信子の苦悩を楽しむように、クッキーを頬張りながらいった。 「この恋の解決は一二つあるわ。一つは浩ちゃんに迫って浮気しちゃうこと。二つめはご主 人と別れて自由になること。自由になったら浩ちゃんのくだらなさがはっきり見えてきて、 なんの魅力もなくなってしまうわ。きっと」 春江はクッキーを摘まんだ手を上げて、抗弁しかけた信子を制した。 「だって浩ちゃんは信子さんの抑圧されたエネルギーが噴き出すきっかけになっただけな 椴おば
「近日中に伺うわ。わたしも話したいことがあるのよ」 そういったのは浩介のことを話したいからだった。「おばさん、つまんないよう。会い たいよう」と浩介がいったということを春江に話したい。そして春江にその言葉に含まれ ている浩介の気持ちを洞察してもらいたいのである。 日が暮れてから美保は陽気に帰ってきた。 「お母さま、ただいま帰りました。留守中、ありがとうございました : : : 」 にぎ 活気のある声で賑やかにいいながら、土産の紙袋をさし出す。 「おかえりなさい。疲れたでしよう。よかったらうちのお風呂にお人んなさい。その間に ご飯の支度が出来るから」 いそいそとお茶を人れながらいった。 「で、浩ちゃんは ? 」 「ええ。とてもうまくいきました。ああいう人でしよ。何しても絵になるんですの」 「それはよかったこと : : : で、お夕飯、うちで一緒するんでしよう ? 伝えて下さっ の 「ええ」 冬 美保は明るくいった。 「浩ちゃんもそのつもりでいたんですけどね。編集長に強奪されちゃいました : : : 」 ごうだっ
ちょうど 「丁度、浩ちゃんが来てて、話を聞いたんだけど、お向かいじやたいへんなんですよ。お ばあさんが食べて食べて、いくら食べても満腹しないのね。そしてお腹こわして、廊下や トイレを汚すんですって。浩ちゃんのこと、お父さんは悪くいうけど、その面倒をみてる んですよ。お兄ちゃんは、お前は浪人だからお前がやれっていうんだって。ほんとに可哀 そう」 丈太郎は横を向いたままいった。 「可哀そうなのはばあさんの方だ」 信子はつくづく丈太郎がいやになった。 丈太郎の顔はもう見飽きた。 話も聞き飽きた。 人が何かいうと丈太郎は必ず反対する。怖ろしいほどの自信をもって。 あの自信の根拠はいったい何なのだろう ? 信子にはわからない。しかし、丈太郎のロ から、次にどんな言葉が出てくるか、それは信子にはわかる。 だから話をしていても少しも楽しくない。楽しくないどころかムカムカしてくる。話し かけるのがいやになってくる。 なんて優しさのない人だろう :
それから水上スキーしたの。ぼく日本で時々、山中湖なんかでやってたんだけど、やつば り海は最高。あれは立ち上がる時がむつかしいのね。力を入れたらダメなんだ。スーツと 立たなくちゃ。ぼくインストラクターにカッコいいって褒められちゃった。それから馬に も乗せられたの。馬って背が高いのねえ。乗る時がちょっと厄介だったけど乗っちゃうと キモチいいんだ。なんだか偉くなったような気になるのね。それから、なにしたかな : そうだ、。ハラセールって知ってる ? ハラシュートセーリングの略よ。。ハ一フシュートをつ けて、モーターポートで引っぱられながら空中を散歩するの、あれやりたかったんだけど なあ : : : 」 なんて幸せそうなんだろう : : : 信子は浩介を見守り、自分も幸福を感じる。いいたいと 思っていたことは全部消えた。 「それで浩ちゃん、外人のガールフレンド出来た ? 」 とりあえずとりとめもないことをいった。 「うん、もてちゃってね。ぼく、日本だとどちらかってば異端でしよ。イガイと抵抗ある 迷のね。でもここへくるとそうじゃないのね」 「で、ガールフレンド、何人出来た ? 」 「えーと、やったのが四人かな」 「まあ、四人も ! 」
「切れたっていうのかな ? こういうの。よくわからないけど、ここんとこはやってない な。必勝のハチマキしめて勉強してるみたい」 いき 浩介の溜め息が信子の髪にかかった。 「あーあ、ぼくはダメな男です」 「そんなことないわよ、そんなこと自分で思っちやダメ」 「兄貴見てると仕事に燃えてるみたいだけど、お客に株買わせることに燃えるなんて、ぼ く信じられない。そんなことに燃えたってしようがないでしよう ? あれはきっと、ホン トに燃えるものがないから、ああしてるだけだとぼく思うのね。仕方なく燃えるふりして るっていうか、燃えないと叱られるからやってるうちに燃えてくるのか : : : よくわかんな 「そのうち、浩ちゃんにも見つかるわよ、きっと。浩ちゃんは大器晩成型なのよ」 「おばさんだけだ、そういって慰めてくれるの」 抗「大丈夫よ、おばさんがついてるわ : : : 」 はず の信子の肩から外れた浩介の手を、夢中で信子は握りしめた。 四「おばさんの手、氷みたい」 浩介は信子の手を握り返していった。 「それに小さいのね。ぼくの手の中に人っちゃう」
「いませんよ。何十年もさんざんご亭主にコキ使われて、看病させられて、やっと死んで くれてホッとしてるんです。何が嬉しくてもう一度同じことをするの」 「お前の友達にいるじゃないか」 「お妙さんのこと ? あれは恋愛ですよ ! 」 丈太郎の耳には「恋愛」という言葉が異様に誇らかに響く。 その時、門のチャイムが鳴った。信子は時計を見、こんな時間に誰かしら、といいなが ら立ち上がった。 信子が玄関の格子戸を開けると、門の外で声がした。 「おばさん、ぼくです」 「まあ浩ちゃん ! 」 信子は大急ぎで門の戸を開ける。 「すみません、おばさん。ぼく、困っちゃって」 抗「どうしたの、何かあったの ? 」 の と訊く声が思わず弾んだ。 四「ばあさんがいなくなっちゃったんです。そのへん捜したんだけど、見つからなくて」 「まあ : : : いっから ? 」 「それがわかんないんです。ぼく、昼から出かけてて六時頃帰ってきたんだけど、その時
編集長の機嫌をとり結ばなければ、と思ったのかもしれない、と考えてみる。だとしたら、 浩介なりの処世術だと思って許せるような気がしないでもない。しかし、食事の後片づけ を手伝いながら美保がいった一一「ロ葉もまた、信子は忘れることができないのである。 でも、そこが魅力なの 「浩ちゃんってほんとにつかみどころのない人なんですねえ・ かも」 美保は面白い小説の話でもしているようにいったのだ。 「佐久間さんに浩ちゃんはこんなこといったんですよ。ぼくは甘えんぼうだから、佐久間 さんみたいに力強い女性に憧れるんです、だなんて : : : それで佐久間さん、すっかりその 気になっちゃったんですわ。ノンシャ一フンとして、よくいうわ、って感じなんだけど、ヘ んに憎めないんですね。あれは天性のコケットリーね」 信子は耳を塞ぎたかった。浩介のせりふは信子にいったあの言葉と、何と似ていること だろう。 「あのサービス精神は彼のエネルギーなんですね。とにかくマメなんだから : : : 」 信子は沈黙して茶碗を洗うのに熱中しているふりをするしかなかったのである。 翌日の昼過ぎ、浩介は庭先から茶の間へ廻ってきて、おばさん、こんにちは、と濡れ縁 のガ一フス障子を叩いた。丁度、昼食を終え、丈太郎が座敷の縁側へ引き揚げて行った後で ある。 あこが
「アメリカの女の子ってサ・ハサ・ハしてていいのね。セックスはスポーツなの。全く対等に セックス出来るってのはいいなあ 「まあ・ : ・ : 」 信子はつくづく浩介を眺め、 「何だか浩ちゃん、別の人になったみたい。アメリカ人になっちゃったみたい : 「アメリカ人 ? うれしいな。ぼく、日本人てダサイからいやなの」 あーあ、と浩介は長椅子の上で大きくノビをした。 「おばさん」 「なんなの ? 」 「ああ、この部屋いいなあ : : : ここでちょっと寝ていい ? 」 「眠いの ? なら眠りなさい」 目をつむって少し黙っていた後で浩介はいった。 さび 「おばさん、ここへきて : : : 何だか急に寂しくなっちゃった : : : 」 「寂しいって、贅沢いってる。散々、遊んできて」 信子は浩介の長椅子のそばに膝をついた。 「どうしたっていうの ? 何が寂しいの ? 」 自然に手が伸びて、浩介のむき出した長い脛をさすっていた。 ぜいたく すね