人々の自己再生の過程で行なわれるのが、自分たちの属する世代の意味の確認である。例 えば、大庭家三代の男たち、丈太郎、謙一、吉見の三人が秋晴れの日曜日、柿の実取り に興じる箇所はどうであろうか。少年の日を思い、父と二人で夢中で柿の実を取っていて も、おそらくは、この小説の前半で開陳される「あの頃、謙一は父をとても尊敬していた。 略ーー父の好きな言葉は正義と勇気だった。生徒の家庭から届けられる贈り物をいち いち送り返すのも父の『正義』だった。 / 遠い日のことだ。二度と戻らない日々だ。今更 のように謙一は、父と自分の上を流れた日々を思うのである」という感慨を抱いている謙 一、そして、木に登って柿の実を取れという丈太郎のことばに「べつに、木に登れなくて も困らないでしよ」と答える吉見、更には、男というものは高い所に登って下を見下ろす こと。ーーあたかも、世界を踏まえて偉くなった様な、わくわくする気持ちを経験しながら 成長するものだ、と信じて疑わない丈太郎と、三者三様の描き分けがなされている。 そして、ここで重要なのは、おそらく、謙一の抱いている、 " 二度と戻らない日々〃と いう甘美で切ない認識であろう。二度と戻らないということは、換言すれば、二人が生き ている時代を、共有出来ない、ということである。作中、丈太郎が度々いう様に、父は息 子に何らかの人生の指針を与えることしか出来ない。人それぞれに自分だけの人生を歩む 中、これは至極、当然のことでありつつ誰もが認めたがらないシビアな認識でもある。 そして、その中で、丈太郎のみが、何故、あれほどまでに強靭なのか。丈太郎自身のロ を借りれば、それは、「オレは過去にしがみついたりはしておらん ! 」という言葉に端的
Ⅷめて短い青春の日だ。自分にどんな未来がくるのかを考えたこともなく、ただ漠然と結婚 生活の幸福を夢見ていた。夫となる人はどんな人がいい、あんな人がいいと、半ば真面目 に半ば面白半分にしゃべり合っていたあの日々が、今になってみると信子の人生の最も幸 福な日々だったのだ。 「取り戻すのよ、取り戻さなくちゃ」といった春江の声が聞こえる。ああ、まったく、何 という一生なのだろう。何ひとっ取り戻しようのない今になって、そんなことに気がつく なんて。 すべてはもう遅い。せめて十年早く気がついていれば、出直せたかもしれない。もう十 年、遅く生まれていれば、一人で生きていける力を身につけることが出来ただろう。ある いはもう十年早く生まれていれば、いっそ何も気がっかないで、信子の母や叔母がそうだ ふによい ったように、家に籠もって生活の不如意と戦い、家族に奉仕することを当然のことと思っ て何も迷わず考えず、不如意がなくなった平和な老後を幸福だと思ったかもしれない。 いったいわたしはどうすればいいの ? 丈太郎への怨みのようなもの、何ともいえない憤りがじわじわと湧きひろがってきた。 いっそ、別れようか ? 別れたいといったら丈太郎はどうするだろう ? その顔を見るために、一度いってみた いと信子は思うのだった。
194 なけりゃならんのだ。人生に大志を持たんからそういうことになる。改めてお前に訊くが、 お前の人生の目標は何なんだ、いってみろ」 父に気どられぬように謙一は溜め息をついた。 「お父さん。ぼくが生きてる世界とお父さんが生きてきた世界は違うんだ。ぼくらは自分 の人生について考える権利を奪われているんですよ。ぼくらには大志なんかないですよ。 イデーを持っことが出来ない時代を生きてるんだ。組織の中ではなまじい、そんなものを 持っていたら邪魔になるだけなんだ : : : 」 「何だそれは ? 何がいいたいんだ ? 」 丈太郎は長い眉毛の下から息子を注視した。 「ぼくの当面の目標は会社に利益をもたらすことですよ。それによってぼくらの生活の安 穏が保証される。その目標に向かって毎日がある。考えることはそれだけでいい。それ以 外はなるべく何も考えない方がいいんだ。考えるとろくなことがない。そりゃあ、ぼくだ って車一台売って、ぼくにとってそれが何なんだと思うよ。しかしそれを考えてはいけな いんだ : : : 」 「大いに考えるべきじゃないか。人間にとって考えることは最も大事なことだ」 憐れむように謙一は父を見た。 「家族に安穏を与えるために、ぼくはこれでも一所懸命やってきたつもりです。だけどぼ あわ
144 春江は立ったままゆっくりコーヒーをかきまわす。まるで世の中のことはすべて知り尽 くして、今は高みへ抜けて見下ろしている、といわんばかりの口調である。 「だから、思いきって完全燃焼させてしまえばいいの。あなたみたいにプラトニック一フプ を成就したいなんて、そんなの少女趣味よ。第一、人間の自然に反してるわ」 「簡単に決めつけないでちょうだいよ。春江さん」 ようや 信子は漸く抗弁の糸口を見つけていった。 「わたしには夫がいるのよ。そんなこと出来るわけがないじゃないのー 「なら別れたら ? 」 「そんな ! 春江さん : : : 」 「だって信子さんが今そうなってるのは、あなたのこれまでの生き方が間違ってたからな のよ。わたしたちの人生って抑圧の人生じゃないの。そのエネルギーが溜まって、それが 今、その青年に向かって噴き出したのよ。それはご主人の責任だわ。けれど口惜しいこと に、夫たちはそれを知らないのね。知ったとしてもどうすることも出来ないんでしよう。 ひら だからわからせることは諦めて、自分で自分の人生を切り拓いていくしかないのよ。あた しみたいに」 誇らしげに春江は信子を見た。 「自由はいいものよ。心が自由だと人にも物にも捉われなくなるわ。信子さんも自由にな あきら とら
そんな丈太郎を妻や子供は頑固者だといいながらも、誇りに思ってくれていると彼は思 いこんでいた。子供に残してやるものは財産なんぞよりも、人としての生き方を示すこと だと思っていた。丈太郎自身父から、父は祖父から、それを受け取ってきた。だが謙一は 何も受け取ってはいなかったのだ。 どこへ行こうとしているのかわからぬままに、丈太郎は寒空の下を歩いた。わけもなく 急ぎ足になっていた。急ぎ足になると上体が前に傾く。顎がっき出る。何を急いでいるの か、まるで何かから逃げようとしているかのようだ。 そうこう 謙一ばかりではない。糟糠の妻である信子も丈太郎の影響を何も受けていなかったのだ。 夫唱婦随は形ばかりで、従順の顔の下に怨みと不満を積もらせて今日に到ったという。 オレは真面目にやってきた。たとえ欠点があろうとも、妻や子供の期待を裏切らな い夫であり父であり教師であらねばならぬという信念に生きた自分を誇ってきた。なのに 今、ここへきて、それを否定しなければならないのか ! わたしの人生はいったい何だったのか、と信子がいった声が遠くから聞こえてきた。 オレの人生だって同じようなものだ、と丈太郎は思わずにはいられない。妻にも子供に も理解されずに、平穏であってもしようがないのだ。 の前の歩道で若い男 気がつくといっか歳末大売り出しの商店街を歩いていた。デ。ハート が歌を歌い、三、四人が踊っている。チンドン屋の一種なのか、好きでやっているのかわ あご
302 新たな生活に踏み切る謙一、最後まで " 可愛くない女〃として突っぱることで、かろうじ て己れのプライドを維持する美保、彼らが本当の凪の光景へたどりつくのはいつの日か。 いや、ひょっとしたら作者はそんなことを露ほども望んでいないかもしれない。何しろ、 作者は「怒りの愛子」である。後半、さしもの丈太郎も、時折、襲われる虚無感は、作者 自身、いったん表へ出れば、十歩と歩かぬうちに気に人らないことがゴロゴロ転がってい る現代に対して抱いている怒りと裏返しのニヒリズムの表れであろう。その中で、前述の 『淑女失格ーー私の履歴書』において人生の最終目標として記されている「人生は美しい 。私はそう考えている。苦しいことの中に美しさを見つけ ことだけ憶えていればいい 「ーーああ、面白かった」 / 死ぬ時、そういって死ねれば更にい られればもっといい。 い」という境地に達するには、最後の最後まで戦い抜かねばならないのである。 『凪の光景』は、佐藤愛子流の自分なりの真面目さで生きることを、そして、そのために 怒りの中からくみ取らねばならぬ勇気を、高年齢者の離婚や女性の自立、ひいては家庭の 崩壊という今日的問題をも絡め、更にはこれらを戦中派の気概とともに提供した格好の一 冊といえるのではないだろうか。 「おい、どうする ? 」というカアカアとしか鳴かない九官鳥に対する丈太郎の呼びかけは、 私たち読者一人一人への血気を促す作者自身の呼びかけでもあるのである。
何人かの胸に、今も染みこんでいるだろうオレの一一一口葉を思う時だ。 丈太郎は何の享楽も知らない自分を思った。だがそれがなかったからといって、つまら ない人生だと思ったことはない。丈太郎は信念に生きるための苦労と戦ってきた。その苦 労が丈太郎の人生を充実させていたといえる。だがそれが妻の不満を増幅させたのだ。 丈太郎は突然決意した。 よし、わかった、オレが家を出よう ! 金も家も信子に与えよう。吉見の世話はオ やす レには出来ないが信子には出来る。信子がいる方が謙一の新しい妻もやり易いだろう。 ヒカリ幼稚園の戸部スミが岩手県の故郷の村が過疎になっている話をしていたことを思 い出した。そこへ行って塾を開こう。米や野菜を月謝代わりにして月一二万もあればいいと いう暮らしに人ればいい。その程度の金を謙一に送らせる。 どうせ孤独なら孤独に徹しよう。信念を貫くとはどう生きることかを皆に見せてやる。 「大庭丈太郎 ! 」 丈太郎は自分に向かって呼びかけた。 「お前の真価はここで決まるんだぞ ! 」 ホノルルへ来てはや四日経った。ワイキキの海を見渡すホテルの三十二階の部屋は、春 江、妙、信子、三人が一緒で、広々として気持ちがいい。べッドに横になって目を窓に向
まず、この作品が、基本的には、丈太郎・信子夫婦と、丈太郎の倅である謙一・美保夫婦、 それぞれ二組の家庭の崩壊もしくは再生を通しての、様々な世代への問いかけの物語であ ることを確訒しておきたいのである。 主人公の大庭丈太郎は、何の享楽も知らず、己れの信念のために戦うことを生き甲斐と して来た元小学校校長として登場。「男は誰のせいにも出来ない戦いを一人で力いつばい 戦うもんだ ! 」と、戦中・戦後を生きて来た一種の快男児として描かれており、これに配 する妻信子は、老境に人るに当たり、夫と生きた戦後の苦しさの中に埋もれた青春の日々 を何とか取り戻そうと、様々な抵抗を試みようとしている。一方、自動車販売店の代理課 長の謙一は、女性の自立を実践するフリー一フィターの妻美保や、ファミコン少年の息子吉 見のいる家庭に一応の満足を示しつつも、部下の小娘千加との情事に引きずられていく。 つまり、この作品は、一見、平和なたたずまいⅡ凪の光景を見せる大庭家 ( 作中、それ は「絵本の庭のように明るく彩られる」と記される ) が、「無事平穏が幸福だなどと、い ったい誰がいいだしたのだ」といみじくも喝破した丈太郎の言葉通り、様々なアクシデン トによって脆くも崩れ去り、皆が再び真実の幸福を築くべく、歩みはじめるまでを描いた 説作品ということが出来る。その中に、女と関係を結ぶことに何の感動も持たぬ無気力な浪 人生浩介や、楽しい老後を夢見つつ、病に倒れる丈太郎の友人良平。或いは気丈な幼稚園 解 経営者スミら、多彩な人物のそれぞれの人生模様も描かれていく そして、敢えて結論からいってしまえば、そうした登場人物を周囲に据え、大庭家の
「それはねえ、わたしにいわせると美保さんの責任ですよ」 「夫に浮気をされる苦しみを味わったことがないから、お前はそういうことがいえるん だ」 「お父さんは、何でもいいなりになってきたわたしという奥さんがいたから、謙一の気持 ちがわからないんですよ。お父さんはいったい、どんな我慢をしてきました ? 遠慮はい りません、いって下さい」 信子は正面から丈太郎の顔に目を据えている。丈太郎はロ籠もった。 「我慢 ? 我慢はオレだってしてきたよ」 「どんな我慢です ? 」 「そんなことを、今になっていうことはない。昔の我慢をあれこれいうのは女のすること だ」 「お父さんはすぐ、そういういい方でごま化すんだから : : : 」 くや 信子は口惜しさで胸が慄える。 「ごま化しはせんよ。人間が生きる上に我慢はっきものだ。我慢のない人生なんて薬味な しでそばを食うようなものだ。人間だから我慢しなくてはいけない。猿だから我慢しなく ても許される」 「謙一は我慢しましたよ。でも謙一の我慢にも限度があったんだわ。それこそ人間だから くちご
丈太郎は鼻に皺を寄せた。 「聞きたいもんだな、ノラクラの絶望を」 「そんないい方ってないでしよう。浩ちゃんはいいましたよ。なぜぼくは大学へ行かなく ちゃならないんだろうって」 「そう思うのなら行かなければいいんだ。これほど簡単な答えはないよ。大学は義務教育 じゃない」 「そんなことはわかってます。でも大学を出なければ、就職出来ないじゃありませんか」 もどかしさと口惜しさがこみあげ、我知らず涙声になっていた。 「就職 ! 」 丈太郎は吐き出すようにいった。 「就職ロのために大学へ行くのか ! 」 「そうでしよう。決まってるじゃないの。今は大学を出てないと就職出来ないのよ」 「サラリーマンになるばかりが人生じゃない」 「そんなこといったって、サラリーマンにならなかったらどうして生きていけばいい の ? 」 「苦闘を嫌う奴がそういうことをいうんだ。寄らば大樹の蔭か。大樹に守ってもらうため としゆくうけん に大樹のために身を粉にして働く。同じ身を粉にするのなら、徒手空拳、自分一人のカで