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検索対象: 国民百科事典2
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1. 国民百科事典2

3 6 0 された世界のなかで各自の本能にし ンデス山脈中の山間盆地にあり , 標 たカ { って元気いつばいふるまう。あ 高約 28 ( ) ( ) m 。ほとんど赤道直下にあ わやキツネは絞首刑と思うと聖地で るが , 標高が高いため気候は涼しく 死ぬと誓って少し歩きたちまち十字 年平均気温は約 13 ℃ , 四季の変化は 架も巡礼杖 7 もおつばりだして逃げ はとんどない。市街はしばしば地震 こうした山の重ねかたもう の被害をうけた。市内には繊維工業 のびる。 まく想像力にとみ観察もこまかく , があり , 周辺では農業 , 牧畜が行な 法王使節ミュザールらを通じて貴族 われる。 1787 年創立の大学がある。 や教会に対する風刺がなされるが , ェクアドルの文化 , 政治の中心、地で 13- 世紀にはいってできた派生作品で はあるが , 経済的にはグアヤキルに 首位を譲っている。インカ帝国の最 は以前のキツネ根性礼賛は姿を消し , 盛期であった 1 5 世紀中ごろには , 帝 愉快なキツネは悪の権化として描か れる。ゲーテにくライネケ・フクス > 国のこの地方の中心地であった。 15 〔成瀬〕 33 年から 19 世紀初めまでスペインの は 50cm くらいで多少枝を分かち , ま の作がある。 きつりん吉林 ( チーリン ) 〔省〕 支配下にあり , 大コロンビア国の領 ばらに葉をつける。夏秋のころ枝の 有を経て , 1831 年ェクアドル共和国 頂に径 1 cm くらいの黄小花を開き , 中国 , 東北地区の省。面積 187000km2 , 花後に金平糖に似た集合果を結 人口 1255 万 ( 1957 ) 。省都は長春。東 の独立とともにその首都となった。 〔町野〕 葉の形がボタンのそれに似るの 部には朝鮮族が多く延辺朝鮮族自治 きど皹度 / 明るさ でこの名がある。 州をつくっている。松花江の上流流 〔大井〕 きどうしや気動車鉄道車両の きつねび狐火野山や墓地など 域を占め , 北西はその沖積平野をな で見られるという原因不明の怪火。 うち蒸気機関または内燃機関など自 し , 南東には長白山脈が走る。気候 キツネや野大などが動物の骨を口に 分自身に動力源を有し , 旅客や貨物 は冬は寒気がきびしく結氷期は 4 ~ の積載設備をそなえたものをいう。 くわえて歩くときその骨から発する 5 カ月に及び , 夏は酷暑がつづく。 ただしこれと連結するように作られ リン光のせいだとの説もあるが明ら 平野はよく肥え小麦 , コーリャン , かではない。狐火には群をなすもの た客貨車もふくめていうこともある。 ダイズのはかタイマ , タバコの産力ゞ 蒸気機関によるものは蒸気動車とい と列をなすものがあるといいったえ あり , 東部の延吉盆地は米の産地と られ , 群をなすものでは王子稲荷ぢな われ , 古くからあったがこんにちは して知られる。山地は森林に恵まれ , の狐火が有名で , これは毎年大晦日 林業が盛んである。特産物のテンの みられない。内燃機関には初めガソ に関八州のキツネが集まって火をと リン機関かイ吏われたが , こんにちで 皮 , 人参 , ウラ ( 島拉 ) 草は「吉林 もすものだと信じられている。列を はもつばらジーゼル機関が用いられ の三宝」とよばれている。鉱業は石 る。動力伝達方式には機械式 , 液圧 なすものはキツネの嫁入りとよばれ , 炭を主とし , 油ケッ岩 , 砂金の採掘が いまでは日の照っているときに雨が 式 , 電気式 ( / 機関車 ) の 3 種があり , 行なわれる。また松花江上流の小豊 降る現象をいうが , もともとは深夜 日本では現 . 在液圧式がひろく採用さ 満ダムの電力を利用して長春および に一列の怪火が進んでいくことをい れている。ジーゼル動車は外国では 吉林の両市を中心に工業が発達し , 1930 年ごろからドイツおよび米国で った。群馬県の桐生肴りイ寸近では , 祝言 長春の自動車 , 機械工業 , 吉林の化 実用化し , 日本では 1930 年の試作が の日にキツネの嫁入りがあると縁起 学工業はとくに大規模である。松花 最初で実用化したのは戦後である。 が悪いとされ , 野山にキツネのため 江 , 伊通河 , 図們江 ( 豆満江 ) には , こんにちジーゼル動車は非電化の幹 の食物をそなえてキツネの嫁入りが 11 ~ 3 月を除いて小汽船が通う。鉄道 線ならびに支線区で重要な近代的車 ないように祈るならわしがあった には日露戦争以後日本の大陸進出の 両として活躍している。日本国有鉄 基幹となった長大 ( 旧南満州鉄道 , 〔小林〕 道の称号法では気動車はすべてキと きつねものがたり狐物語 12 世 長春 ~ 旅大 ) , 長浜 ( 長春 ~ ハルビン ) し , つぎに客車の場合と同様に 1 , 2 両鉄道をはしめ長白 ( 長春 ~ 白城 ) , 紀中ごろから 13 世紀末にかけて欧州 等別はそれぞれロ , ハとし , 郵便車 長図 ( 長春 ~ 図們 ) などの諸鉄道があ とくにフランスに流布されたキツネ はユ , 荷物車はニとし , つぎに車両 り , 自動車道路も発達。〔徳増〕 のルナールを主人公とする一群の韻 きつりん吉林 ( チーリン ) 中国 , の形式および番号をよぶことになっ 文説話 Roman de Renart0 その起原 吉林省中部 , 松花江の上流にのぞむ はニノヾール作のラテン語詩くイセン ている。 都市。満州国時代には省政府の所在 きとくけん既得権すでに獲得 グリムス > ( 12 世紀 ) , マリ・ド・フ された権利。私的財産権などの権利 地。人口 56800() 。省都長春に次ぐ省 ランスのく寓話集〉などで , 物語を 内第 2 の都市 , 商工業の中心地で , 長 は国家の成立以前より個人が享有し 構成する 27 の「枝編」中 , 第 2 と第 図 ( 長春 ~ 図們 ) , 瀋吉 ( 瀋陽 ~ 吉林 ) ていた天賦の権利であって , 国家と 5 , 第 9 , 第 13 の枝編はそれぞれピ 両鉄道の分岐点にあたる。市の南東に いえどもこれをおかしてはいけない 工ール・ド・サンクルー ラ・クロ ということが自然法学によって唱え ある小豊満水力発電所の電力を利用 ア・アン・プリの僧であるリシャー られたが , 今日では立法政策上 , 国 して , 中国最初の化学工業地区とな リゾンの作とされているが っている。肥料 , 染料 , カーバイド 法上ひとたび認められた個人の権利 他の枝編の作者は不明。手口の豊富 工場が河畔に並び , 将来はさらにプ はできるだけ尊重されねばならない な詐欺漢キツネのルナール。悪計を ラスチック , 合成繊維 , 合成ゴムな という意味で使われる。法に遡及 見破って逆にキツネをなぶる雄鶏 どを含む総合的な一大化学工業基地 効すを認めること ( 新たに制定され シャントクレーーノレ , カラスク ) チェ′レ た法律が制定前の事実にさかのばっ になる予定である。また松花江上流 スラン , ネコのチベールら弱小動物 て適用されること ) はなるべくさけ 林区の豊富な木材を集め製材 , 製紙 , たち。しつばを氷に縛られるオオカ るべきだといわれるのはその現われ マッチなどの工業か、興っている。ほ ミのイサングラン , キツネに操を奪 かにセメント , 紡織 , 製麻 , 製糖 , 油 〔遠藤〕 われるオオカミの夫人工ルサン。キ である。 きどたかよし木戸孝允 1833 ~ 脂工業がある。市を見おろす名勝北 ツネのしわざに寛大な王獅子ヒノー 77 明治維新の指導者。幕末の志士 , 山は冬季東北地区第 1 のスキー場と プル。キツネの逮捕に派遣され頭の 〔徳増〕 桂弯つ小五郎として名高い。萩の長州 なる。 皮をはがされて戻るクマのプランら 藩士の家に生まれ , 吉田松陰に師事。 キート Qu ito 南米 , ェクアド が登場。最古の数枝編ではこれらの 主として京都にあって尊王攘夷連 ルの首都。人口は 348151 ( 1962 ) 。ア 動物たちが人間社会をモデルに構築 キツネビ い、 狐物語ルナールとイ ザングランの戦い ( 16 世紀の写本からとる ) 木戸孝允

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キタアメリ 3 5 1 きそぶし木曽節長野県西筑摩 こしたが , 徹底的に討伐され , 土地 は没収されてしまった。 17 世紀以降 郡福島町を中心に歌われる盆踊り唄ん もと祝儀唄で , 婚礼 , 家祝 , 仏事供養 イングランド , スコットランドから の移民が行なわれ , やがて国教の勢 などに行なわれる。とくに 6 月 12 , 力が増大し , 英国の保護下に工業が 13 日の御岳里宮建造日の黒沢の祭り 発達したため , 人種的にも , 文化的 の夜と盆に踊るのを大踊りという。 にも南アイルランドとはちがった・ 手拍子のほか囃子がなく , 右回り の輪踊りである。「木曽のなあァ , な 1920 年のア 格をもつ地域となった。 イルランド政府法に基づき , 21 年北 かのりさん , 木曽の御岳さんはナン アイルランド議会が設置された。南 ジャラホイ , 夏でも寒い , ョイヨイ ョイ」の唄は , 「中乗、さん」といい のアイルランド自由国 ( いまのアイ ルランド共和国 ) は北アイルランド もとの本曽節でなく , 明治前後には の分離を認めなかったが , 北アイル 沿っては , コーストレインジズ , カ やって , 古詞にとってかわったもの。 ランド議会は 31 年アイルランド自由 スケード山脈 , シェラネノヾダ山脈が 中乗さんとは木曽川を下る筏津乗り 走り , ロッキーとのあいだに広大な 国との絶縁を表明した。 の 3 人のまん中の乗り手のこと。 第二次大戦後完全な独立国となっ 盆地や高原を形成している。これに 〔郡司〕 きそよしなか木曽義仲 / 源義 た南アイルランドは北アイルランド くらべるとアノヾラチア山脈は老年期 の併合を主張しているが , いまだに だから , 地質構造は複雑だが , あま みなもとの よしなか り高くなく , 山頂も平らなことが多 南北の関係は改善されていない。 ギター guitar スペインを中心 の地方の主産業は農業であるが小規 い。その北部 , ハドソン湾の東岸 ( ラ として , 現在もっともひろく愛用さ 模な経営が多い。ベルファスト地区 プラドル半島 ) から北極海諸島にま れている撥弦楽器の一つ。踊りや には造船 , 麻工業が盛んである。住 でひろカ { っているローレンシア高地 歌の和音的な伴奏を受け持つほか , 民の 34 % はカトリック教徒 , 31 % は 独奏楽器としても小管弦楽にたとえ も , 地球最古の岩石でできており , プロテスタントの長老派 , 27 % は英 だいたい高原状で , 氷河ではげしく られるはどの性能をもつ。構造的に 国国教会信徒である。 侵食されている。低地の最北部は , 〔志賀〕 トとよく似ているが , 共鳴胴 ローレンシア高地に接したハドソン はひょうたん形で , 裏板が平らな点 きたアメリカ北アメリカ Nor- で異なる。 6 本の弦は「ホイニト自 湾低地で , 氷河に侵食されて多くの th Ame r i ca ふつうに新世界とよ 永」に調弦され , 1 オクタープ高く 湖沼を点在させ , それが五大湖地方 ばれるアメリカ大陸は , 地形的には を経て中央低地へと広がっていく。 記譜される。ギターはリュートと同 二つあるいは三つに区分される。 しくオリエントに起原をもち , アラビ 平均標高は 200 ~ 300m である。その つに分けると , 北アメリカ , / 中央ア 南 , メキシコ湾岸からアパラチア高 アからスペインにはいり , 13 世紀に メリカ , / 南アメリカになり , 北アメ 地の東岸にかけては , 海岸平野がひ は種々の形で存在した。音楽史的に リカと中央アメリカの境界はメキシ らけている。なお , 中央低地とロッ は姉妺楽器ビウェーラ vi h ue 1 a がと コ南部のテワンテペク地峡である。 キー山脈とのあいだに横たわり , ゆ くに重要である。 16 ~ 17 世紀になる 二つに分けるときには , 中央アメリ るく東に傾いている台地が / グレー と種類はさらに増し , しだいにリュ カまでをまとめて北アメリカにする。 ートに代わって地位をしめ , 18 世紀末 トプレーンズである。主要な川には , このときの南北の境界はパナマ地峡 以後現在の形となった。現在の正統 東西の山地からすぐ海に東流 , また である。 , こでは 3 区分を採用する 的なギター奏法はスペインの名手ソ は西流するものと , 低地の水を集め ので , テワンテべク地峡以北のアメ ながら南流 , または北流する川とが リカ大陸と , グリーンランド , 北極 ル F. Sor ( 1778 ~ 1839 ) をへて , アグ シシッヒ。 , セントローレン 海諸島 , バンクーバー島 , アレウト ある。 アド D. Aguado( 1784 ~ 1849 ) によっ ス , マッケンジーなどは後者に属し , 諸島などの属島とを , 北アメリカと て 1825 年ごろに確立され , その後タ ユーコン , コロンビアなどカ { 前者に レカ、、 F. T rrega ( 1852 ~ 1909 ) やセ よぶ。中央アメリカ以南を除く北ア 属する。 ゴビアらのすぐれた奏者によって近 メリカの総面積は 21515 ( ) ( ) ( ) km2 , 人口 〔気候〕南北に長くのびた北アメリ は 20800 万 ( 1963 ) , 人口密度は IO 人と 代奏法が発達させられた。 このクラ 力は , 南端では熱帯に , 北部では寒 なっていて , アフリカ大陸と同しで シックの奏法では右手の指頭 , つめ , 帯に属している。すなわちメキシコ ある。国家としては , カナダ , 米国 , 指頭とつめの併用の 3 種の撥弦法を 南部の火山性高原は , 夏の雨季と冬 メキシコの 3 国をふくむ。このうち 行なうが , 南スペインの民俗音楽で カナダと米国は , 文化的にみて共通 の乾季の別がきわだっていて , 年間 あるカンテ・フラメンコのギター奏 点が多く , アングロ・アメリカとも の気温はあまり変化せす , 熱帯高地 法では , 長くのばしたつめでひき , 軽音楽ではしばしばピック ( 指では の特色を示す。メキシコの北部でも よばれる。これに対してメキシコは , さむ小型のばち ) をもちいてひく。 太平洋岸は熱帯サバンナ気候だし , 文化的には中南米の諸国と共通点が カリブ海沿岸は冬でも貿易風のため 電気ギター ( スチール・ギター , ハワ 多く , ラテン・アメリカの一員に数 雨量が多く , 熱帯雨林性の森林が茂 イアン・ギター ) については / 電気 えられている。 っている。この , カリブ海でおこっ 〔自然〕地形はわりに簡単で , おも 〔前田〕 楽器でふれる。 たハリケーン ( 熱帯低気圧 ) が , さえ な山系も低地も南北の方向に走って きたアイルランド北アイルラン いる。すなわち東部にアパラチア山 ぎる山脈もないまま , 被害をまきお ド Northern lreland / アイル ランドの北部を占め , グレートプリ 脈 , 西部にコルジェラ山系がそれぞ こしながら北上することも , 北アメ テンとともに連合王国 ( / イギリス ) れ南北にのび , そのあいだに広大な リカの気候上の , いやな名物となっ ている。一方 , 北極海沿岸から北極 を形成する。面積 12575 km2 , 人口 低地がひろがっている。コルジェラ 海諸島 , グリーンランドの海岸地帯 山系は新規造山帯に属するから , 高 1446 ( ) ( ) ( ) ( 1963 推 ) 。主都はベルファ にかけては , ツンドラ気候で , グリ くて険しい。数条の山脈に分かれて , スト。南アイルランドと同様にもと ーンランドの内陸は永久氷雪型気候 アラスカから中米まで雄大な姿をそ ケルト系のアイルランド人が住み , びえさせている。なかでも , いちば である。中間の温帯は , 東西にかな 12 世紀末からイングランドの侵入を ん内側のロッキー山脈は豪壮雄大で , り広がっているので , 大西洋沿岸で うけた。イングランドの圧迫は宗教 は大陸性気候を示す。また , 北上す 氷河をもち , 万年雪をいただく 4000 のかたちで行なわれたため , しばし るメキシコ湾流と南下するラブラド ば英国国教に反対する武装反乱をお m 級の山が少なくない。太平洋岸に ギターを手に歌うアン ダルシア地方 ( スペイ ン ) のジプシー女。 の地方の代表的民謡に フラメンコがあり , ク ラシックとは違った具卩 興的な伴奏で , ギター が主要なやくめをつと める 2

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ガッコウ 1 0 6 文字の発明以後である。古代エジプ に主としてプロテスタントの改革者 いて実現されていったが , 中等教育 トやバビロニアでは , 学校は神殿お により , 教育の機会を宗教からきり 以上のところでは , より現実的な諸 よび宮廷の記録の必要から発達した はなして一般の大衆の間に拡大しよ 条件にまげられ , 複雑な系統が発生 うとする努力がなされた。しかし , バビロンの幽囚以後は , ユダヤ人 することとなった。 近代学校の発達をもっとも強力に推 もパレスチナに帰って同様の学校を 別表のように , その統一的な小学 進したものは , 19 世紀を風靡した 設け , へプライ語の教師もできたが , 校制度についても , 名称や年限は累 国家主義と , 20 世紀の風潮となった やはり宗教的統制が強く , キリスト 次の改革をへているが , 1900 年には , の時代以前に , すでに全ユダヤ人の 民主主義とである。すなわち , 19 世 尋常小学校の 4 年課程が義務制とな 社会に学校を設けることが要求され , 紀になると , とくに欧州の列強は , り , 81.5 % の就学率をみた。さらに 男子の義務教育が法で規定されてい 富国強兵の基礎となるべき国民教育 1907 年には , その義務教育が 6 ヵ年 た。しかし学校はどの社会において 制度の確立をはかって , 初等教育の に延長され , 就学率は 97.38 % に達し も , もともと特権階級のものであり , 整備と普及 , 教育にたいする中央集 た。この事実は , 世界の先進国の注 権的国家統制 , 愛国的教材の充実に 大部分の民衆は文字をもたない生活 目をひくにたるものであったが , そ をしていた。学校を意味する英語の 力を注いだ。また , 20 世紀にはいる の後は , 1947 年の戦後の大改革によ と , より充実した教育の機会を全国 school の語源はギリシア語で閑暇を って 9 年の義務制となるまで , 約 40 意味する sch 。 le であると説明される 民の間に均等化しようとする動きが 年間 , やや停滞を示した。中等学校 顕著となり , 義務教育の普及 , その が , ギリシアでは上流の自由市民に への進学は , 1881 年以来 , 初等教育 年限の延長がはかられる一方 , 勤労 教養を与える機関として , 学校は著 6 年の終了後になされたが , その進 青少年のための教育機会の拡充 , さ 路は多様で , 1941 年の統計では , 尋 しい発展を示した。プラトンのアカ らに進んでは , 「全青年に中等教育 常小学校を卒業しただけのものは 10 デメイア , アリストテレスのリケイ を」施すことが , 近代的な国家の目 オン , イソクラテスの修辞学校など , % 以下となり , 高等小学校 ( 2 年 ) を その内容においても高いものがあっ 標とされるようになった。それと同 経て実業補習学校や青年学校に進む 時に , ドイツ , フランスなどでは , た。ローマ帝国では読むことを教え ものが 55.4 % , それ以外のものが 在来の 2 重学校系統を打破しようと 中学校 , 高等女学校 , 実習学校に進 る小学校や文法を教える中等学校が する「統一学校運動」が起こり , 民 今日のいわゆる「公立学校」として んだ。しかし , これらの各種の中等 主主義の諸原則に適合した教育制度 全国に建てられ , 育英資金制度や教 学校の間では , 上級学校への進学や を樹立するために , 各国とも大規模 師の特権さえ定められたが , 民衆の 社会的待遇の面で優劣の差がはなは な教育改革を試みるようになった 学校とはいえなかった。古代中国の だしく , 各人の選ぶ学校系統そのも そして , 今日では , 教育をうけるこ 学校教育も入社式に端を発するとい のがその人の社会的地位を決定する とは国民の基本的人権のひとっと目 傾向が強かった。 1947 年の「学校教 われるが , 周の時代にすでに学校制 されるようになった。 度がととのい , 中央に大学 , 小学を 育法」によって確立された 6 ・ 3 ・ このような近代学校の発達の基底 設け , 直轄地に庠 , 序 , 塾を設け , 3 ・ 4 の新学制は , これらの宿痾 を抜本的にとり除くために , 学校制 また諸侯の国にも大学 , 小学を設け には , それを可能にした近代社会の て , 六 2 芸などを教えていた。唐の時 展開があり , したがって , 各近代学 度を民主的に改造し , その機会を全 代になって , 学校制度はもっとも整 国民に平等に開放しようとしたとい 校は , 当然 , その社会の近代化の度 備され , 学校を統轄する中央官庁で 合いを反映した制約をうけているが , う意味において , まことに画期的な ある国子監のもとに , それぞれの階 それらを通して見られる一般的特質 ものであったが , 日本社会になお存 在する前近代的な残滓こんと , 急速に 層に適応した国子学 , 大学 , 四門学 , としては , つぎのような諸点があげ 律学 , 書学 , 算学の 6 種の学校を設 られる。 1 ) 学校は公教育の機関とみ 複雑化しつつある社会的課題とは , さらに困難な問題をそのうえに投げ けた。しかし周 , 唐のいすれの時代 なされ , 特定の階級をこえた , 全国 民のための教育を行なうべきことに の学校も上流階級のためのものであ かけつつある。 〔各国の学制改革〕 1 ) 米国現在の なっている。 2 ) このような学校を整 り , 忠良な官僚を養成するためのも 日本の制度が米国のそれにならうと 備することは , 国家の重要な事業ま のであった たは関心事となっている。 3 ) 義務教 ころ多かったことは , 周知のとおり 〔近代学校の発達〕欧州中世の学校 であるが , その米国では , 6 ・ 3 ・ 育の制度がとられている。 4 ) 初等教 はカトリック寺院に付属するのがふ 3 制よりも古い , 伝統的な 8 ・ 4 制 育 , 中等教育 , 高等教育と , 学校の つうで , カトリックの勢力を拡大す このよ 種類や程度が段階的 , 系統的に考え がなおひろく行なわれており , また , るための役割を演していた られ , 計画されている。 5 ) 学校と宗 4 ・ 4 ・ 4 ・ 4 制ほかの新しい試み うに宗教と学校とは密接なつながり もあちこちでなされている。しかし , をもっていたが , 16 世紀半ばから 17 世 教との分離がはかられ , 公立学校の 紀にかけておこった宗教戦争のため 宗教的中立がめざされている。 その性格は , いわゆる 2 重学校系統 のそれではなく , 自由な教育実験の に荒廃に帰した教育を再建するため 〔日本の学校〕日本の近代学校の礎 石は , 72 年の「学制」によって築 反映と見るべきであろう。米国は , 小学校制度変遷図 教育の機会均等の理念にもっとも近 かれた。日本における学校の起原は , 中 づいた制度をもっており , 全青年に 4 8 遠く大宝令で大学寮のことが規定さ 学 高 中等教育を与えようとする段階をこ れた 8 世紀にさかのは、る。日本の場 。学等 7 等 科 等、 : 等 等 え , その中等教育を上の方へさらに 合でも , 空海がつくった綜芸種智院 等 6 2 カ年延長しようとする , ジュニア・ など , 宗教とくに仏教と学校との結 中 カレッジの運動が行なわれている。 5 びつきは強く , 平安 , 鎌倉時代に寺 学 校 校 等 2 ) 英国 1944 年の教育法で , 初等教 が教育機関として果たした役割は大 4 育と中等教育の連結を中心とする改 きかった。江戸時代には , 武家のた 革が行なわれ , とくに年齢 , 能力 , めの藩校と庶民のための / 寺子屋が , 常 適性に応した中等教育を全青年に与 2 別系統のものとして発達していたが , 等 えるために , 大学への進学をめざす 「学制」はそれを , 小学 , 中学 , 大 学 科 校 校 学 グラマー・スクール , 技術的 , 職業 学の単一系統にまとめようとした 的な教育を施すテクニカル・スクー この理念は , その後 , 初等教育を全 ル , 一般的 , 実際的な性格をもつモダ 国民に共通の基礎課程とした点にお 9 学下等 初等科

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9 4 い。呼吸は , 外とう膜内壁の一部に 血管が集まって網状となり肺の働き をしている部分で行なう。血液はヘ モシアニンを含むのでかすかに青み をおびている。関東の平地にもっと もふつうのカタッムリはミスジマイ マイで , 関西ではクチベニマイマイ である。またウスカワマイマイ , オ ナジマイマイははば日本全国に分布 する。なお外国には食用となるもの カヾあり , フランスの / ェスカルゴは 有名である。 / ( 別刷 ) 貝〔奥谷〕 かたな刀 / 刀剣 カタコンべ左はプリ かたながり刀狩り武家が民間 スチラ墓所の内部で , 圧されていた 1 ~ 4 世紀に教徒が迫 使節が処刑され , 日蓮上人も法難に 人の反抗抑圧のために行なった武器 樽 ( たる ) と桶 ( おけ ) 屋が 害をさけてここに集まり , 死者を葬 あった。日蓮宗の竜ロ寺 3 がある。 使用の禁止 , 没収。鎌倉時代からみ 描かれている ( 4 世紀 り , 札拝を行なった。その起原はパ 袖が浦の海水浴場にのぞみ , 夏は海 られるが , 一般には 1588 年に豊臣秀 中葉 ) 。右は聖セバス 水浴客が多く , / 江ノ島をひかえ観 レスチナといわれる。南イタリア ( ナ 吉が京都方広寺の大仏鋳造の素材に チアーノの地下墓室で ポリでは 1 ~ 10 世紀にまで及ぶ ) シ 光地としても栄える。 〔尾留川〕 するという名目で , 民衆および僧職 キリストを象徴する魚 チリア , エジプト , 北アフリカ各地 かたた堅田〔町〕滋賀県滋賀郡 , から武器を没収した事件をさす。室 の図カ { 描かれている にその遺跡か、あるか、 , ローマでは 2 琵琶湖最狭部の西岸の町。人口 16392 町時代後期 , 各戦国大名は民衆の武 ~ 5 世紀にかけ , アッピア , プリス ( 1965 ) 。江若鉄道が通しる。中世末 装による一揆買などに悩んだが , 秀 チラ各街道沿いにつくら . れたカタコ は湖賊がここを根拠地として , 湖 吉はいっさいの反抗を断ち切り , 農 ンべは種類と規模においてもっとも 上交通と漁業権を支配していた。盛 民を「村」に定着させて農業に専心 時に東切告 , 西切にわかれていた漁 有名である。カタコンべということ させるため宗教上の信仰を巧みに利 師はいまはわすかに町の北部に「ち ばは語源的にはギリシア語の ka t a - 用して武器を没収させたのである。 より」とよばれる移動漁民の部落を kymba s ( くは、地のそば ) からきてお この結果 , 武十は郷士を除いて城下 残すのみである。伝統的な水産業 , に集中され , 兵農分離は促進され , り , ローマ近郊にある聖セノヾスチア 造船業があり , またわら加工品 , 干し / 検地の実施も容易になった。封建 ノの地下墓室を coemeterium ad がキを産する。恵心僧都享う創建とい 社会の質的転換期での重要なー事件 cat a cum ba s とよんだところから後 う満月寺 ( 浮御堂 ) , 蓮如上人ゆか 〔浅沼〕 世一般化されて用いられるようにな である。 りの本福寺がある。「堅田落雁」は った。その形式はポールト ( 穹窿号引 カタニア C a t a ni a イタリアの 天井 ) をもっ長い石灰質坑道に壁 近江八景の一。対岸守山町新田とは シチリア島東岸 , ェトナ山ろくの港 龕を掘って遺体を安置し , 諸所に 琵琶湖大橋で連絡する。 市。人口 379985 ( 1963 推 ) 。古くから 〔小林〕 かたつむり〔蝸牛〕デンデンム 祭室を設け , 縦坑式の採光窓をもっ ゴート人 , ビザンチン帝国 , サラセ ものもある。主坑道から支坑道が分 シ , カイツムリ , マイマイなどとも ン人 , ノルマン人などの侵略を受け いわれる。軟体動物中 , 主として有 岐しており , 延べ距離は数 km から数 た。また町はしばしばェトナ火山の 肺亜綱および前鰓亜綱の一部の陸生 十に及ぶ。坑道は平均幅 805 , 高 噴火や地震で壊滅にちかい惨害をう 腹足類の総称であるが , 狭義には , さ 2 m 。天井や壁面はしつくい彫刻 けた。とくに , 大地震を伴った 1669 年と , 93 年の噴火による被害が大き や壁画で飾られ , その題材は現世の またふつうには前者のなかのカタッ 束縛を脱して輝かしい来世に向かう かった。現在の都市は 93 年の震災後 ムリ超科に属するものをいう。以下 に建設された。教会 , 市役所などは 教徒の魂の喜びを描く図像表現であ カタッムリ超科についてのべる。殼 る。両手をひろげて祈るオランテ ( 祈 は多くは右巻きであるが左巻きのも ノヾロックの建築家 / ヾッカリーニの設 る人 ) の姿 , よき羊飼いのキリスト , 計によるもの。ギリシア , ローマ時 のもある体は粘液でうるおっている。 代の遺跡も多い。織物 , ブドウ酒を ブドウ , 舟といかり , ラサロの復活 目は長い柄の先にあり , さらに頭の などのほか , オルフエウス , プシケ 下に 1 対の小さい触角があるはか 産し , 水産加工 , 化学工業が立地し , とェロスなどギリシア , ローマ神話 目の間にこぶがある。口には顎板がく 貿易港としても活発。 〔松本〕 ばん , の主題もキリスト教的な解釈のもと 歯舌があって , これが分類上の特徴 かたばみ世界のいたるところに となる。生殖ロは , 右巻きの種類で はえるカタバミ科の小形の多年草。 に採用されている。肉づけ , 陰影の は右触角後方にあり , この中は二つ 茎は太い主根から数本出て , 細長く 技法はヘレニズム壁画の流儀をかり ているが , 稚拙で , むしろ画像を通 に分かれ雄性生殖器官と雌性生殖器 地をはい , 葉は長い柄の上に倒心形 してなされる象徴表現に意味がある。 の小葉を 3 個つけ , 夜は葉を閉じる。 官となっている。つまりカタッムリ 壁画の様式は 5 世紀をすぎると , よ 春から秋にかけて葉腋から花柄が出 は雌雄同体である。生殖ロの内側に うやく地上で発展をはしめたノヾジリ て黄色の 5 弁花を数個つけ , 果実は は石灰質のやヒり状のものを入れて カ芸術の影響をうけるようになる。 おく袋 ( 恋矢嚢 ) がある。神経は海の 円柱形で , 熟すときゅうに果皮が裂 キリスト教公認以後カタコンべは殉 巻貝のようなねじれ交差はみられな けて小さい種子を飛ばす。全体にシ 教者をまつる場所となった。 / 初期 ュウ酸を含んで酸みがつよく , 子ど キリスト教美術 もなどが生食するが , たくさん食べ 〔石川〕 るのは危険である。紋章の酢漿草 かたせ片瀬神奈川県 / 湘南う や剣酢漿草はこの葉を模式化したも 海岸の境川 ( 片瀬川 ) 東岸の集落。小 のである。ミヤマカタノヾミは深山林 田急電鉄江ノ島線 , 江ノ島鎌倉観光 ヒダリマキマイマイ 中にはえて白花またはうす紅の花を 電鉄 , 鎌倉から大磯にいたる観光ド つけ , ムラサキカタ / ヾミは南米の原 ライプウェーに沿う。旧片瀬田丁は 19 産で , うす紫の花を開き , 観賞用に 47 年藤沢市に編入された。片瀬は鎌 倉時代鎌倉に入る西口の小駅で , 竜 されたが今では自生化している。 オナジマイマイ ノロ々は刑場として名高く , 元の / ( 別刷 ) 野草 〔大井〕 カタセ お」マー X 任人ト ・ RI 0 Ⅱ N 第 - - LiO トを第 カタノ イ

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カンサス 上からネーゲレ鉗子 , ーくアン鉗子 , コツへノレ 鉗子。下の二つの鉗子 は , 先端がちがうだけ や材料に華美なくふうが凝らされ , 幾度かぜいたく品として禁止の対象 となった。おもな種類をあげると , 玉付や平打ちはおもに後ろざしとさ れ , 花かんざしはつまみ細工や , び らびらをつけた華美なもので娘の髪 の前ざしとされた。また根掛けはま げに赫トけて飾りとした。なお現在は 洋髪がはとんどなので , 従来のかん ざしを用いるのはまれであるが , 形 状はひろく洋髪の髪飾りにとりいれ られている。 / 髪形〔高見沢〕 カンザス〔州〕 Kansas 米国中 央部の州。北はネプラスカ , 東はミ ズーリ , 南はオクラホマ , 西はコロ ラド各屮 I•I に囲まれる。面積 213070km2 , 人口 2180553 ( 1964 ) 。主都はトピー 力。東西約 660 km , 南北約 330 km の 長方形の州で西は標高約 130() rn , 東 へいくはど低く 250 m くらいとなる ので , カンザス川 , アーカンソー川 をはじめ , 川は東ないし南東流する。 平均降水量は 660mm で夏は暑く乾燥 する。冬小麦の主産地で全国の 20 % を産する。西に小麦と牛の放牧地 , 東にトウモロコシと牧場が多く , 牛 は人口の 2 倍以上 ( 543 万頭 , うち乳 牛 34 万 , 1964 ) いる。アノレフアノレフ ァ , ジャがイモ , 果実 , 大麦 , ェン ヾク , コーリャン , 亜麻 , 酪農製品 を産する。世界的規模のと畜場をも つスイフト , アーマ両社のシカゴ工 場は 1959 年に操業をやめてカンザス シチに移ったので , 食肉供給業の中 心は全国第 2 位の家畜肥育場と 11 の 食肉加工所のある同地に移りつつあ る。かっての農業州にも各種工業が おこり , なかでもウイチタにはポー イング , ビーチ , セスナ各社の航空 機工場があり , 全国一の小型機生産 をはこる。石油生産では第 5 位。他 にセメント , 石炭 , 亜鉛 , 塩 , 石材 , 鉛を産する。 1803 年のルイジアナ購 入でフランス領から米領になったカ ンザスは , 1861 年に 34 番めの州とな 2 6 0 場 , 食肉加工所 , 製鉄所 , 精油所 , 製粉 , 製材所 , 農耕機械工場があり , 十し草 , 穀物 , 家畜の市がたつ。 ズーリ川の舟運のために 1833 年に設 けられたウェストボート・ランディ ングから発展し , 初めはウェストボ トと呼ばれたが , 38 年にカンサス の町が地取りされ , 89 年にカンザス シチとなった。カンザスシチ大学 ( 1929 創立 ) がある。 〔石光〕 かんざんし寒山詩中国唐代の 人 , 寒山の作と伝えられる一連の詩。 寒山は唐初 ( 7 , 8 世紀 ) の人で , 世俗 を超越し奇矯な性格を持っ隠者とさ れ , その分身の拾得旨とともに日本 にも親しまれた人物であるが , 実在 人物かどうかを疑う説もあり , その 作とされる寒山詩も , 複数の作者に よる可能性も少なくない。また実在 したとしても , 時期は 9 世紀ごろで ある可能性が強い。詩の内容は多様 で , 褝宗色の強いものも多いがけ っしてそれ一色ではなく , 人間的悩 みの告白や , 隠者であることへの懐 疑もみられ , 要するに大部分が , 方で官吏であった中国詩人らのなか で , まったく拘束されぬ自由人 , 裸 の人間のことばで歌われている点 , 中国詩のなかでもきわめてユニーク な地位を占めている。 〔丸山〕 った 〔石光〕 カンサ、スシチ Kansas City 米 国 , カンザス州の東部 , カンサス , ミズーリ両川合流点にある工業都市。 ミズーリ州のカンサスシチと隣接す る。人口 1219 ( ) 1 ( 1960 ) で同州のウィ チタにつぐ。家畜肥育場 , 食肉加工 所 , 大穀物倉庫 , セッケン工場 , 製 鉄所 , 精油所があり , 付近に油田 , 石材 , 石灰石鉱床がある。 1843 年ワ イアンドット・インディアンによっ て開かれた地であるが , 55 年にアメ リカ連邦政府に売却され , 白人によ る植民は 57 年に始まり , 86 年に市と なった 〔石光〕 カンサ、スシチ Kansas City 米 国ミズーリ州の西部 , ミズーリ川の 南岸にある商工業都市。州境線をは さんでカンサス州のカンサスシチと 隣接する。人口 475539 ( 1960 ) で州内 ではセントルイスにつぐ。家畜肥育 かんし干支 / 十干十二支 かんし鉗子主として手術時に ものをはさむ目的で使用される , は さみ状の機械の総称。現在 30 種以上 の種類があり , 手術には欠くべから ざる機械で , 手術の進歩とともに種 種創意改善されている。おもなもの は , 止血の目的で血管をはさむコッ ヘル鉗子 , 産科手術のさいに産児の 頭をはさんでひき出すために使用す るネーゲレ鉗子 , 骨を把持するた めに使用する骨鉗子などである。そ のほか各臓器の把持 , 器具の挿入な どのさいに , それぞれの目的に応し た形の鉗子か、使用される。〔成瀬〕 かんし漢詩中国の旧詩の形式 に従い , 中国の文字言語を用いて作 られた詩をいう。中国の旧詩をも含 めてよばれることもあるが , 狭義に は日本人の作のみをいう。名称も , 明治以後に発達した新体詩と区別す るため , 明治 20 年代の国粋主義的風 潮から , 日本固有のものでないこと を示すために使用されたものである。 それ以前はただ「詩」とよんだ 日本で漢詩が作られ始めたのは , 近江朝 ( 667 ~ 672 ) で , 天智天皇のこ ろ盛んに作られたと伝えられるが , それらは壬申鮻の乱によって失われ , 現存する最古の漢詩集は 751 年に編 集されたく懐風藻 > である。これは 現存する最古の作品の作者大友皇子 を始め 64 人の作 120 編からなり , 作 者はすべて上流階級の人物であるた め , 作品は貴族的で生気に乏しいう らみがある。 平安時代にはいると白楽天のく白 氏文集ぅ〉や梁の昭明太子の編ん だ / く文選 > などの影響で新しい 詩風もうまれ , 総集としてく凌雲 集 > く文華秀麗集 > が , また漢詩文の 総集としてく経国集〉が勅選され これらの詩集におけるおもな作 た 家としては嵯峨天皇 , 小野篁ら がおり , これにややおくれて都良 香新の続いて菅原道真らが出た。 , のころを頂点として漢詩 , 漢詩文は 衰え , 鎌倉 , 室町時代には , 五山の 褝僧を除いてはほとんど顧みる者も なくなったが , 一面 , 五山の神僧に よって従来の貴族的な詩風に代わっ て , 宋の蘇軾や黄庭堅さらに 彼らが宗とした唐の杜甫のたくまし い詩風がとりいれられた。代表的作 家に絶海中津毟んがいる。 江戸時代にはいると漢文学はふた たび興隆し , 元禄以後 , 荻生徂徠 3 を中心に , 門人服部南郭 , 高野蘭亭 らが , 明の李攀竜王世貞らの 影響をうけて , 漢魏六朝の詩になら った格調高い詩を唱えた。新井白石 などもこの傾向の詩を作った。それ まで手本とされていたく三体詩〉 ( 宋の周弼うの編 ) に代わってく唐詩 選 > が流行するようになったのも , このころからである。安永以後にな ると , これに対して山本北山など , 明の袁中郎の説により , 平易な新 鮮さを重視する動きが起こり , さら にそれ以後になると , 中唐 , 宋 , あ るいは清代の詩を重視する動きなど も起こるようになった。江戸時代最 後の作家として頼山陽らがいる。 明治にはいると清代の詩の影響が 強く , 森槐南ら多くの作家が出た が , 大正 , 昭和期に至ると , 漢詩の 創作は日本の文壇とも大衆とも関係 の薄い一部の同人や学者などの趣味 として残るのみとなった。 〔丸山〕 かんじ漢字漢語 , 中国語を表 わす表語文字で , 単音節の語彙まを 中心とし語尾変化のない中国語の性 格によく合致している。漢字は漢文 化の伝搬とともに周囲の民族に伝わ り , 日本 , 朝鮓 , 安南に根をおろし た。朝鮮では中国との交渉が日本よ り直接的で , 日本語以上に強い影響 を受けたよしかし漢字の読み方は 1 字について一通りだけで , この点日 本と事情が異なる。安南では後漢か ら三国時代にかけて中国文化が波及 し漢字 , 漢文を用いたが , 15 世紀こ ろ漢字を利用しその構成法にならっ て合成した字喃 ( チュウノム ) がっく られ , 固有の安南語を書き表わすの に使われた。しかし今日では , ロー マ字を国字として採用し , 漢字や字 喃は用いられなくなりつつある。 〔起原と変遷〕最古の漢字は , 19 世 紀末発掘された / 甲骨文で , 殷代の ものと推定されている。この字体は 周代に受け継がれて金文とよばれる

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カフカ 1 5 1 の株価は日本経済の成長を反映して この計算方 れるようになってきた 循環変動をくり返しつつ , 一貫して 法は次のとおりであるが , これは株 上昇をたどり , 旧東証平均株価は 19 株価 = 株価収益比率 1 株当り税引利益金 ( 年間 ) 49 年の取引所再開時から 65 年末まで の 16 年間に約 10 倍もの水準に到達し 価が税引後利益の幾倍になっている かをみるもので , その数値の低いも ている。しかしその成長の度合いは のほど割安ということになる。米国 業界別にみると必すしも一定ではな では経験的にみて 13 前後が妥当なと この数年の推移をみると , 産業 構造の変化を反映して , 機械 , 化学 , ころだとされている。さらに短期白勺 金属製品など重化学工業の成長ぶり には投資信託や生命保険などの大手 をみせている反面 , 軽工業株は伸び 機関投資家の動向や , 投機筋の動き , あるいは外人投資家の出方などによ がやや屯イヒしている。したがって , っても激しい値動きをみせることが 投資対象の選定にあたっては , ます ある。しかし究極の基準は利回りで こうした経済構造ないし産業構造の あり , 人為的な無理な株価はやがて 変化をよく見きわめ , 成長産業を選 とがたいせつである。次に個々 妥当な水準に落ち着くものである。 名称 , 形態ともにうすらぎ , 純然た 1961 年 7 月をピークに下降の一途を の銘柄については財務諸表などをよ るコーヒー店は喫茶店となり , レコ たどった株価を立て直すべく , 64 年 く分析比較してその経理内容や収益 ド音楽がバンド演奏に , 女給がダ 状況をよく検討しなければならない。 1 月設立された日本共同証券が 2000 ンサーふうになったものは / キャ / ヾ それと同時に投資対象をなるべく特 億円もの株式を買い上げ , さらに翌 レ—c a ba r e t , 酒と女のサービスを 定業種 , 特定企業に限定せす、 , でき 年 1 月日本証券保有組合が結成され 主としたものは / ノヾーに , それぞれ てはは、同額の過剰株を凍結 , あわせ るだけ範囲をひろげるとともに , 時 変わった 〔平野〕 カフェイン caffeine チャの葉 て増資の全面停止という緊急措置ま 期的にも分散をはかることが , 投資 ( 1.5 ~ 3.5 % ) , コーヒーの豆 ( 0.8 ~ の安全性を高めるうえにせひとも必 でとりながら , なお株価の安定を得 1.7 % ) , コーラの種子 ( 2 % ) , カカ 要である。 こうした観点から , 最近 られなかったのはその適例といえる。 オの種子 ( 0.1 ~ 0.8 % ) などに含まれ 〔新聞の証券欄の見ち〕株式投資を では , 間接的な株式への分放投資と しての投資信託や , また時期的な分 行なうには株価の変動を決定づける る / アルカロイドの一種。屑茶か 散投資の一方法として , 一定金額を らっくられるが , 合成でも製造され 経済動向や産業界の状況 , さらには 毎月とか 2 カ月おきとかに毎回投資 会社内容などを研究するはかに , 株 る。白色の粉末か光沢のある針状の 1 g は普通 50 価や市況全般の動きも知らねばなら する , 累積投資が行なわれている。 結品で , 味はにか、い。 / 株式会社 / 投資信託 ない。それには毎日の新聞の証券欄 cc の水に溶け , 80 ℃の湯では 6cc に 〔竹中〕 カフェー 溶ける。安息香酸 , サリチル酸の各 を見る必要がある。ます相場表によ c a f 6 フランス言吾では コーヒー店を意味するが , 日本では り銘柄ごとの株価の動きを知ること ナトリウム塩やクエン酸などが共存 一般に女給のサービスする洋風飲食 すると水によく溶けるので , 薬とし ができるが , 新聞によってはその日 の売買高や前日の相場との比較 , さ 店をさす。ョーロッノヾのコーヒー店 て速効させるとき , あるいは注射す らには資本金 , 前期配当率 , 利回り は , 1652 年ロンドンにつくられたの これらの配合剤が用いら るときに まで掲載しているものもある。株価 カヾ最初で , 17 ~ 18 世紀にかけて芸術 れる。カフェインは (). 1 ~ 0.3 g 内服 家や政治家たちの社交クラブとして すると大脳を興奮させるが , 疲労や 全般の動きを示すものとして各種の この 盛んに利用された。ノヾリでも同しこ わむけのあるときこの作用は著しい。 平均株価が掲載されているが , うちもっともよく使われるのは旧東 心臓の収縮性を増すため強心剤とし ろ同しような形で盛況をきわめたが , 証株価平均指数である。これは / ダ コーヒー店のなかには簡単な食事を て用いられ , また横紋筋に作用して ウ式平均株価で増資による権利落ち 出したり , 酒を飲ませる店もあり , 収縮をよくし疲労を減少させる。血 管をひろげ循環血量を増し , 尿量を を修正している点に特色があり , 株 その形が日本に輸入された。ます 18 価のすう勢をみるための指標として 圏年東京の上野黒門町に可否 ( かっ 増加させるので利尿薬ともなる。茶 , 重要である。また市場の数量的な動 ひー ) 茶館ができ , 1907 年画家松山 コーヒーをのんだとき , これらのカ 向を知るには上場株式時価総額が利 省三によってカフェー・プランタン フみインの作用が現われる。大量で 用される。これは上場株を銘柄ごと は異常興奮 , 心き高進などの中毒症 が同しく東京の京橋日吉町に開かれ に時価に上場株数を乗して合計した て世間の注目を集めた。 11 年精養軒 状が出る。 〔宮木〕 ものである。さらに新聞によっては の経営で 3 階建てのカフェー・ライ カフカ Franz Kafka 1883 ~ 19 信用取引につき , 日証金などの融資 24 チェコのドイツ語作家。プラハ オンが銀座尾張り町のかどにたち , 貸株残高を掲載しているが , のユダヤ系商家に生まれた。プラハ このつ ついで巫鍋町にプラジルコーヒー りあいや , その差引残高の多少も , およびミュンヘンで法律をおさめ , の宣伝で , カフェー・ノヾウリスタカ { 市場人気の動向を知る重要な指標で 1908 年以降吏員となり , のち胸部疾 できてから , カフェーは流行の一途 ある。ある株に対する融資の多いこ 患のため療養生活を送り , ウィーン をたどり , 関東大震災後には全国的 とは , その株に人気があることを示 郊外の療養所で没した。生前発表さ に普及した。内容的にはアメリカの す反面 , いきすぎれば反落の危険信 れた作品は少ないが , 第二次大戦後 , ノヾー . ルーム barroom と混同されて , 友人 M. プロート ( 1884 ~ ) が米国で 号となり , 融資と貸株とがアンバラ コーヒー店というよりは酒場にちか ンスであれば , その是正による株価 遺作を刊行し , 米国 , ・フランスでと く , 女給をおいて洋酒 , 洋食のサー 上昇ないし反落が予知できる。また くに実存主義者に注目され , 世界的 ビスをさせ , レコード音楽を聞かせ なプームをひきおこした。作品には 全体の融資と貸株との差引残高の急 るなど , 一種の遊興場として人気を 増は市況過熱の警戒信号ともなる。 く判決 > くアメリカ > ( 未完 ) , く変身〉 さらい , 花柳界の脅威的存在となる なお株価の基準は利回りにあるから , く流刑地にて〉く田舎滸医者〉 ( 1919 ) , にいたった。その後カフェーは不良 各所で算出している平均利回りも注 遺作にく審判〉く城〉くシナの長城〉な 少年のたまり場のような観を呈して , どがあり , はかに無数の断片 , 日記 意すべき指標である。 しばしば社会問題となった。第二次 〔投資対象の選定〕株式投資には時 などを残している。ユダヤ教 , 罪の 大戦後 , カフェーは「風俗営業取締 期と銘柄の選定が重要である。日本 感情 , 病的といえる父へのコンプレ 法」の対象にはなっているカ { , その 第■響■第 17 世紀末の カフェ コーヒー店。イギリス では 17 ~ 18 ・世起ごろロ ンドンを中心に約 30 ( ) 0 のコーヒー店カぐでき , 一種の社交場であった カフカ

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キョウカイ 3 9 7 語。正式には「教育に関する勅語」 編成された新制大学の学芸学部 , 教 育学部が主として小 , 中学校教員の という。山県有朋 , 井上毅 , 芳川顕 養成機関となっているはか , 各大学ま 正 , 元田永孚らが起草に関係した。初 たは短期大学で「教育職員免許法」 めに日本の教育は忠孝を中心にする ( 昭 24 法 147 ) が規定する最低履修単 と述べ , つぎに守るべき徳目を具体 位を習得した者に免許状が与えられ 的に列挙し , これは永久にかわらな ることになっている。 / 教育 / 教員 い道徳であると結んでいる。儒教的 〔古川〕 色彩のこい道徳理念を展開したもの 組合 きよういんくみあい教員組合 であった。発布後急速にひろまり , 労働組合として組織された教員団体。 とくに初等教育では経典とされ , 教 育の国家主義化をすすめる役割を果 教員の社会的 , 経済的地位の改善を 図ることをおもな仕事とする。 1948 年 6 月失効。〔鹿野〕 尺 ノム、 教員組合の始まりは , 1884 年フラ きよういん教員学校の職員で レ : 月廴 ンスに結成された「小学校教員組 直接教育に従事するもの。学校教育 合」で , 第一次大戦後 , 教育への圧 法 , 同施行規則では幼稚園 , 小 , 中 , 迫や教育費削減などの問題を契機に 高等学校および盲学校 , 聾学校 , 養 護学校には教諭 , 養護教諭 , 助教諭 , フランス , ドイツ , イタリアに教員 ま 養護助教諭 , 講師が , 高等専門学校 , 組合が結成された。これらの国は政 治的 , 社会的運動としての色彩が強 大学には教授 , 助教授 , 助手 , 講師 がある。国立学校の校長 ( 園長 ) , 学 いのに対し , 英国の全国教員組合 , 長や上記教員は国家公務員 , 公立学 米国の全米教員総同盟などは , 職能 校の教員は地方公務員である。教育 最初の狂歌選集く新撰狂歌集〉 ( 雄長 団体としての色彩が比較的強く , 政 老編 ) がでた。江戸初期には烏丸す 基本法第 6 条は「法律に定める学校 治的な色彩は少ない。 この両者の傾 光広 , 細川幽斎 , ・松永貞徳ら貴族 , 向は現在の国際組織にもつながって の教員は , 全体の奉仕者であって , 武家の歌人 , 俳人が好んで狂歌を作 自己の使命を自覚し , その職責の遂 おり , 後者の傾向を代表する国際的 り , 生白堂行風 , 半井ト養ら専 このた 教員団体には世界教職者団体総連合 行に努めなければならない。 門の狂歌師も続出した。行風選のく古 めには , 教員の身分は尊重され , そ WCOTP (World Confederation 今夷曲集〉く後撰夷曲集 > は古くから の待遇の適正が , 期せられなければ of Organizations of the Teach- の狂歌の集大成である。元禄享保期 i ng Pr ofe s s i on ) カ { あり , 前者には ならない」と規定してある。また , ( 1688 ~ 1736 ) には鯛屋煢、貞柳らによ 学校教育法第 9 条は教員となること 世界労働組合連盟の産業別インター って町人趣味の狂歌がよまれたが のできないものとして , つぎの 4 項 である世界教員組合連盟 F I S E ( F を やがて文化一般とともに狂歌の主流 をあげている。 1 ) 禁治産者および準 dération lnternationale Syndi- cate de 1 ' Enseignement) カ { ある も江戸に移り , 下級武士層の唐衣橘 禁治産者 , 2 ) 禁錮以上の刑に処せ 洲圦四方赤良ま ( / 大田南畝 ) られた者 , 3 ) 免許状取上げの処分を 日教組の運動は , どちらかといえば F I S E の型であるが , 所属するのは らがいわゆる天明調狂歌を始め , く狂 受け , 2 年を経過しない者 , 4 ) 政府 歌若葉集〉く万載狂歌集 > など当代の を暴力で破壊することを主張する政 WC O T P である。 日本の教員組合は , 1919 年 , / 下 狂歌選集が刊行された。とくに赤良 党その他の団体を結成し , またはこ 中弥三郎を中心に結成された日本教 は鋭い風刺と軽妙な俗語の駆使によ れに加入した者。 職業として教員が養成されるよう って , 狂歌の特質を完成し , さらに 員組合啓明会に始まる。組合員数約 大衆の歓迎によって空前の狂歌時代 になったのは , 18 世紀に欧州で私立 200 であったが , 28 年弾圧により解 学校に付設して教員養成所がっくら が現出した。しかし , 文化文政期 散 , 他の再結成の動きも失敗に終わ ( 1804 ~ 3 のにいたると , 職業的狂歌 れるようになってからであるが , そ り , 第二次大戦後 , 1945 年 12 月全日 の後 , 学校制度の普及に伴って , フ 師の鹿都部真顔や宿屋飯盛新 本教職員組合と日本教育者組合が結 などが出てますます流行はしたが , ランスでは 1794 年に国立の師範学校 成された。 47 年 6 月日本教職員組合 が開設され , 1839 年には英国で国立 実質的には低調卑俗化していった。 に合同 , 56 年には日本高等学校教職 の師範学校 , 米国では州立の師範学 員組合が分離独立した。 62 年には全 「月見酒下戸と上戸の顔見れば赤坂もあり 校が設立されて以来 , 各国に教員養 国教職員団体連合会も結成された。 青山もあり」唐衣橘洲 教員組合 ( 補 ) 日本の 成のための学校が生した。日本では 51 年以来 , 日教組が毎年主催してい 「あらそはぬ風の柳の糸にこそ堪忍袋ぬふ 教員組合の組織状況は 72 年 ( 明治 5 ) の学制により , 東京に る教育研究全国集会が教育に寄与し べかりけれ」鹿都部真顔 〔広末〕 つぎの通りである。 文部省直轄の官立師範学校がっくら 日本教職員組合 きようかい教会広義では , 宗 〔藤枝〕 た面は大きい。 / 教員 日教組 略称 れたのが最初で , 86 年の師範学校令 きようか狂歌短歌形式で俗語 教を等しくする信者の集団あるいは 単位組合数 1835 により , 各府県に 1 校または数校の を用い滑檮を内容とする狂言歌 , その集会所をいい , 教派神道や新興 組合員総数 587529 宗教などでこの語を用いている宗派 師範学校が設立されるに及び , 小学 ざれ歌。源流は第一にく古今集 > の 総評 上部団体 「俳諧歌」にみることができる。 校教員養成の基礎が確立した。また , もあるが , 一般にはキリスト教の信 日本高等学校教職員組 中学校教員養成のために高等師範学 和歌の随伴として古代貴族が歌会な 者の団体あるいはその集会所をさす。 日高教 略称 校および女子高等師範学校も設立さ 〔キリスト教会の起原〕キリスト教 どの余興によんだもので , その笑い 単位組合数 195 れた。日本の師範教育は , 国家主義 は主としてかけ詞などのしゃれに 会の始まりは , / キリストの十字架 組合員総数 63417 的な内容と徳性の培養に力点がおか あった。一方 , 鎌倉 , 南北朝時代 , と 3 日後の復活に由来している。す 上部団体 れ , また生徒には学資の支給 , 義務 為政者の権威が衰えると , 既成権威 なわち , キリストの死後の復活によ 全国教職員団体連合会 勤務年限を代償とする就職の保障な に優越しようとして時事風刺的な落 って勇気と力を与えられた弟子たち 全教連 略称 どの特典が与えられたが , その形式 首を生んだことが , いまーっの源流 単位組合数 121 は , その 7 週間後のユダヤの五旬節 組合員総数 12453 的 , 権威主義的な養成方法は , いわ ( ペンテコステ ) の日に , 民衆に向か とみられる。室町時代にはいって初 上部団体 ゆる「師範タイプ」の教員を生んだ。 めて連歌師の間で狂歌とよばれ , 和 ってキリストの復活を告げ , 悔い改 ( ただし 19 糸・合 4173 しかし第二次大戦後の学制改革によ 歌から離れてもつばらこれをよむ者 めて洗礼を受けるよう叫んだ。この 名が同盟に加盟 ) り , 師範学校は廃止され、 1949 年以 もあらわれたが , 末期から江戸時代 日 , ェルサレムでは 300 人もの大衆 注 1965 年 6 月 30 日現 にかけて盛んとなり , 1595 年ごろに が洗ネしを受けたという。これが歴史 後 , 学芸大学または各府県単位に再 在。労働省調べ ノ 教育勅語草案。井上毅 が起草し元田永孚が加 筆したもの。 この井上 案が最終案になった

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ガッキ 1 0 3 トなどの撥弦楽器をはしめタンバ て空気流に断続振動を起こす。しか 太鼓 , 小太鼓 , タンノヾリン , ポンゴ , し発音の本体は管内の空気柱であっ リン , シンノヾル , シストルム ( 振ると コンガなどは代表的なもので , 日本 鈴のように鳴る柄のついた楽器 ) な では鼓スづ , うちわ太鼓などがあり , て , ハーモニカなどと違ってリード そのものだけではない。 ーの型に 2 どの打楽器 , 双管式のリード楽器 ( オ 変わったものとしては , こすって奏す 種類ある。ーっは , 2 枚のリードを ーポエ ) , ホーン , トランべットなど る太鼓やつまんで奏する太鼓があり , の管楽器があり , エジプトではフル あわせて歌口に取り付けたもので , 人間の声帯も原理的にはこの種にあ 複簧き楽器 ( ダブル・リード ) とよば たる。 3) 弦鳴楽器 chordophone い ートやアシでできた双管の笛が古く れる。草笛や麦笛の原理はこれであ からあったが , 新王朝にはメソボタ わゆる弦楽器で , 奏法によって撥弦 る。オーポエ属 ( オーポエ , イングリ ミア征服によって移入された多くの 楽器 , 擦弦楽器 , 打弦楽器に分けら ッシュ・ホーン , フアゴット ) カぐ代表 楽器 ( ハープ , リラ , リ ート , オー れるが , また主として形状からつぎ ポエなど ) が活躍した。古代ギリシア で , アラビアからアジアー帯にひろ のような基本的 4 種に分けられる。 では弦楽器のリラ , キタラ , 管楽器 がったスールネイ ( サナイ ) と関係が a. チター型これには胴の棒形のも のアウロスカ { 代表的な楽器で , ロー 深い。チャルメラもこの系統である。 の ( インドのビーナ ) , 管形のもの ( 琴 , また古代ギリシアのアウロス ( 双管 箏わなどがあるが , とくに重要なの マ時代には金管楽器が発達し , ヒド のオーポエ ) , 東洋の雅楽器篳篥 は平型胴のもので , これにはチター ラリウスという水圧オルガンもつく も重要な種類である。いまーっは , られた。中世になるとキリスト教の そのもののほかアラビアのカーヌー 1 枚のリードを歌口に取り付けたも 声楽が中心を占め , 楽器はあまり発 ンがあり , これが母型になって打弦 ので , 単簧楽器 ( シングル・リード ) 展をみないが , 弦楽器では擦弦楽器 楽器のチンノヾロム ( ダルシマー ) や , 鍵盤付弦楽器のハープシコード , ス とよばれる。クラリネット属が代表 が注目される。レベックはアラビア ピネット , の弓奏楽器レバープ ( ラバープ ) がス バージナル ( 以上撥弦 ) , で , サキソフォン属もこれにはいる。 べイン経由で伝えられたもので , 15 クラビコード , ピアノ ( 以上打弦 ) など 雅楽器の笙よはこの類の特殊な楽器 の鍵盤付打弦楽器がある。 b. リュ 世紀ごろまで用いられてビオル属の である。 c. トランペット型いわゆ ト属 ( 胴の背面が丸み 前身となった。フィドル , トロンノヾ・ るラッパまたは金管楽器で , 小コッ マリーナ , ビエルなども同種の弓奏 をおびている ) とギター属 ( 背面が平 プ状の歌口におしあてた奏者の両く 中世末にイギリスで使 板 ) もこれに属する。メソボタミアで 楽器である。変わったところでは , ちびるを空気圧で振動させ , ダブル・ われた楽器。弦楽器の 松やにを塗った小さな車で弦をこす は前 20 ( 用年ごろにすでにみられ , 西 リードの役をさせる。起原はひじよ ビオル , ビオラ・ダ・ るハーディ・が一ディという擦弦楽 ガンノヾはそれぞれノヾイ アジアから各地に伝わったが , 日本 うに古く , フルート型とともに旧石 オリン , チェロの前身。 器がある。弦をばちでたたいて奏す の琵琶三味線もこの型である。と 器時代にさかの 0 よることができる。 リュート , シターンは るダルシマーは打弦楽器で , ピアノ くに重要なのはビオル属 , ノヾイオリ 今日でも信号ラッ / ヾ , アルプホルン , 15 ~ 16 世紀ごろとくに の遠い前身ともみられる。管楽器に ン属などの弓奏弦楽器で , 現代のも ほら貝 , 東洋各地のまっすぐなラッ 愛好された撥弦楽器。 っとも代表的な弦楽器であるバイオ パなどは数個の自然音 ( 倍音 ) しか鳴 は 2 重リードをもったカラムス , シ カラムスは古い木管楽 らせないが , 進化したものにはピス ャルマイがあり , フルートは 13 世紀 リン , ビオラ , チェロ , コントラノヾ 器で , サック - ズー・トは トロンポーンカ { トラン スがこれである。 c. リラ型古代ギ トン式のトランべット , コルネット , ごろ伝来したとされる。中世末期に べットから派生したと ホーン , チューバ , スライド式のト はレコーダーの一属が大いに活躍し リシアの / リラやキタラによって代 きの名称。レコーダー た。また十字軍のさいには , 太鼓 , ロンポーンなどがある。この類は東 表される。古くは前 3000 年ごろメソ は木管の樅笛で , 図で 洋ではあまり発達せす , 日本ではほ シンバル , トライアングルなど各種 ボタミアにみられ , 馬蹄、形をした は左にソプラノ , 右に の打楽器がトルコ軍によって伝えら 特有の形状によって特徴づけられる。 ら貝だけである。 5 ) 電鳴楽器 elec - パスが置いてある れたという。しかし楽器が急速な発 trophone 電気回路による発振をス ープ型各地に原型がみられ , 中国や日本の箜篌当のように支柱の ピーカで音としてとり出すもので , ないものと , 欧州のハープのように 20 世紀になって生まれた。いわゆる 支柱をもつものとがある。 4 ) 気鳴楽 電気楽器の大部分を占め , 種々の原 器 aerophone 空気を発音体とする 理のものがあるが , 第二次大戦後ひ 楽器で , リ ド・オノレがンやハーモ しように発達しつつあるのは , 電子 ニカ , むち , サイレンなどのように 楽器で真空管やトランジスタなどを 直接まわりの空気を振動させる自由 使った電子的発振回路によるもので 気鳴楽器とよばれる種類と , 発音部 ある。機械的運動を電気的振動に変 ( 歌ロ ) が管につながり , 管の中の空 える装置によるものにはハモンド 気柱を振動させて音をつくる種類の オルガン ( / オルガン ) などがある。 もの , すなわち管楽器あるいは吹奏 なお電気楽器のうちでも , 電気ギタ 楽器とよばれるものとに大別される。 ー ( スチール・ギター ハワイアン・ 管楽器はさらにつぎの 3 種に分けら ギター ) などのように , 電気回路を増 れる。 a. フルート型刃形をした歌 幅のためにだけ用いたものは電鳴楽 ロの穴に空気を吹きあてて鳴らすも 器とはいえない。 〔ョーロッパの楽器〕楽器の起原に の。刃形にあたってできる空気の渦 が管内の空気柱を振動させるもので , ついては諸説があるが , もっとも古 歌口に直接息を吹きつけるフルート , くから存在したのは打楽器であった 日本の横笛 , 尺八 , パンバイプス , と推定される。石や貝に刻みめをつ などの類と , 吹口から吹くと別の歌 け , すり合わせて鳴らすスクレイ / ヾ ロ穴で音が出る簡易フルートやレコ ーの類は旧石器時代の遺品にも見い ーダー ( むかしのフルート ) , オルガ だされ , さらに土器の発達とともに ン / ヾイプ , ホイッスルなどの類とが 土製の鈴や太鼓が , また , おもに木 ある。体鳴楽器に次いで旋律楽器と や竹から木琴 , ープ , ロ琴 , 鼻笛 してはもっとも古くから全世界にひ などの原始的な楽器が用いられてい た。古代オリエント , とくにメソボ ろまった。 b. リード付管楽器歌ロ のリード ( 舌 , 小板 ) をくわえて吹く タミアではきわめて豊富な種類の楽 もの。リ ドが閉したり開いたりし 器が存在する。リラ , ハープ , リ カラムス 朝プタゆ 2 ) レ。

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キキン 戯曲 ( 補 ) 19 世紀末に は , 坪内逍遙が新史劇 く桐一葉 > ( 1894 ) を書 いたが , 新歌舞伎作家 として岡本綺堂 , 岡鬼 太郎 , 中村吉蔵 , 真山 青果らを生んだ。明治 末期にはしまる文芸協 会や自由劇場は , イプ セン以後の近代劇の紹 介とともに大正期の新 劇プームをひき起こし たが , 武者小路実篤ら の白樺派が戯曲を手が けたのをはしめ , 山本 有三 , 菊池寛 , 久保田 万太郎 , 岸田国士らが 作品を書いた。小山内 薫らの築地小劇場も翻 訳劇一辺倒から創作劇 をとりあげるようにな ったが , 1929 年の分裂 とともに左翼的傾向が 強くなり , 村山知義 , 三好十郎 , 藤森成吉と いった劇作家を生んだ。 久保栄のく火山灰地〉 ( 1937 ) , 久板栄二郎の く北東の風〉 ( 1937 ) は これらの代表作である。 これに対し芸術尊重の たてまえの純粋の創作 劇をめざす岸田国十主 宰のく劇作〉から森本 薫 , 田中千禾夫 , 飯沢 匡 , 内村直也らが登場 し , 真船豊はく鼬〉 ( 19 34 ) でデビュ 第二次大戦後は早死し た加藤道夫のはか木下 順二 , 福田恒存 , 三島 由紀夫 , 田中澄江らの 劇作家を生み , 商業演 劇では , 北条秀司 , 川 ロ松太郎 , 中野実 , 菊 田一夫らが活躍して いても形態は変わっているが , その 根本条件は同しである。しかし通俗 的な意味での劇的な感動を起こさせ ないような戯曲も 20 世紀には現われ ている。物語の筋のなかで人間を描 くよりは , 人間が主体性をもってい て , その行為がおのすから筋を構成 していくというようなやり方で , っ まり文学への従属をやめて , それと 絶縁したところに戯曲の独自性を主 張しようとするのである。戯曲論の うちでもっとも古いのはアリストテ レスのく詩学〉で , こでアリスト テレスは物語や叙事詩が「彼は何を なした」と表現するのに対し , 戯曲 は「彼はいま何をなしつつある」と 現在進行形を用いると述べている。 戯曲は見物にかこ・まれた舞台の上に 表現されるのである。したがって , 戯曲が文学として読まれるだけで意 味があるということは , 戯曲の立場 からはあくまで第二義的に考えられ なければならない。シェークスピア やモリエールの作品が偉大であると いうことは , 単にそれらが文学的鑑 賞にたえるからではなく , 演劇とし ても今なおりつばに生きつづけてい るからである。近代になって現われ たレーゼドラマ ( 読む戯曲 ) は上演を かならすしも必要としない戯曲形式 であるが , 戯曲そのものの本質から いえば , むしろ例外的な存在といえ 〔戯曲の発生〕演劇は , 人間が文字 をもつようになった時代よりはるか 以前に存在していたと思われる。文字 が考案されてから , たとえば古代工 ジプトでは毎年くりかえされる祭事 の段取りが一種の上演記録として保 存され , それが逆に段取りそのもの を支配するようになる。演劇が舞踊 や歌のようにその場かぎりのもので なく , 芸術として認められるように なったのは , 舞台の上の思想や感情 が文字で表現でき , また文字で表現 したものが舞台の上の行為と結びっ いたときだといってもよい。演劇を 高める役割を果たした戯曲が , やが て演劇に対して主導権を握るにいた ったのは当然のことといえる。エジ プトの演劇に影響されたと思われる ギリシア演劇は , 現在までに発見さ れたかぎりでは戯曲をもつもののう ち最古のものとされている。ただ キ、リシアよりも古い歴史を有するイ ンド , 中国の古代文明にも演劇はあ り , 戯曲もすでに存在していたので はないかということは想像されて いる。 〔古代ギリシアの戯曲〕キ、リシアの 演劇が戯曲をもつようになったのは 劇詩人テスピスからであった ( 前 6 世紀 ) 。それまで酒神ディオニソス にかぎられていた演劇の主題は新し くギリシアの神々や英雄の物語を加 え , 対立的な対話形式が確立された。 3 1 4 それは , 陶酔的な演劇の場に澄明な キ、リシア理性の登場したことを意味 していた。演劇はここではしめて鑑 賞思考の場をもつようになったとい える。しかしその戯曲は一つも残っ ていない。つづいて前 5 世紀にアイ スキュロス , ソフォクレス , エウリ ピデスの三大作家が現われてギリシ ア悲劇を完成させる。当時の戯曲は いわゆる三部曲 ( トリロキ、一 ) で , つの物語が , 年代順にまとまった つの作品として構成され , 1 日の演 目はこの = , 三部曲のはかに喜劇が 1 本 かならすつけ加えられた。当時の戯 曲は合唱 ( コロス ) 部分と対話部分と が組み合わされていた。喜劇は , 悲 劇の影響もあったが、やはりディオ ニソス祭の行事から始まって , やか、 て戯曲をもつようになり , しだいに 現実悪への痛烈な嘲笑 3 , 風刺の 色彩を帯びる。このような経過はい すれの国の演劇もだいたい同しであ る。喜劇作家としてアリストフアネ ス ( 前 5 世紀 ) , メナンドロス ( 前 4 世紀 ) がすぐれている ( キ、リシアの文 学の項参照 ) 。ギリシアの古典戯曲 はローマにも伝わったが , わすかに 喜劇のプラウッス , テレンチウス , 悲劇のセネ力が目だっただけで , や がて滅びてしまった。 12 世紀ごろま では欧羽ヨ演劇史上のいわば暗黒時代 である。中世の欧州演劇はほとんど キリスト教会を中心とする宗教劇で , 戯曲としてみるべきものはなかった。 しかしこの間 , インドでカーリダー サ ( 5 世紀ごろ ) が王朝劇詩人として 豊麗なオ能をしめし , その傑作くシ ャクンタラ〉はゲーテに激賞されて いる。中国でも / 京劇はこの時期に その演劇形態と戯曲を完成し , 関漢 卿 ( コワンハンチン ) , 王実甫 ( ワンシ ープ ) らによって多くの傑作を残し ている。 〔ルネサンスの戯曲〕教会に対する 激しい戦いが終わって , 新しい人間 中心の時代がやってくると , 戯曲も またいっせいに開花する。この時代 の代表者はいうまでもなくシェーク スピアであるが , それ以前にも 16 世 紀のスペインか・生んだローベ・デ・ べーガ , 1 世紀おくれたカルデロン などの劇作家も忘れることはできな い。・それらにつづいて , ドイツには ケ、一一テ , シラ フランスにはラシ ーヌ , コノレネイユ , モリエーノレらカ { 現われ , まさに戯曲史上の黄金時代 を作りあげた。 〔近代劇〕 18 世紀に古典劇の権威か ら脱却しはしめた戯曲は , 19 世紀に なって , それまでの悲劇 , 喜劇とは まったく異なった新しいジャンル市 民悲劇を生み出す。近代劇はこ ら始まったともいわれ , その基礎を 築いたのはノルウェーのイプセンで あった。しかし , 19 世紀末から起こ った社会の行きづまりや , 人間の能 力への不信は , 社会一般に懐疑的な 絶望や憂愁の気分をはびこらせ , 戯 曲の主題もそれらを扱うことが多く なってくる。ストリンドベリ , マー テノレリンク , チェーホフ , . ・、ウブト マンらがこの期の代表的作家とされ る。またこの時代にはしめて「一 戯曲」が生まれた。アイルランドは その中心、となり , イエーツ , シング , グレゴリー夫人などは日本にもなし みカヾ深い 〔現代の戯曲〕第一次大戦後 , 敗戦 国のドイツに「表現主義戯曲」が生 まれ , たちまち世界中にひろまった。 写実主義を全面的に否定し , 人間を 客観的な冷静な目で描くというので はなく , 人間内部の生きようとする 強烈な衝動をそのまましかに表現し ようとする態度である。この表現主 義はまもなく衰えたが , そうした態 度はそれ以後の戯曲作家のはとんど に受けつがれ , 第二次大戦以後には なばなしく登場したサルトルの実存 主義演劇はある意味では写実主義的 ななまなましい部分の積み上げによ って構成されながら , 全体としては 半世紀前の写実主義戯曲にみられな かった問題に直面する人間の姿を鋭 く描き出している。 ウィリ フ アムズ , ジロドー , アヌイ , プレヒ ト , カミュ , ェリオットら現代の第 一線級作家はみな写実主義から離れ ているといえるのである。最近注目 されている反演劇運動の戯曲も同様 である。日本では , 文学のジャンル としての戯曲は , 2 ( ) 世紀になるまで 存在しなかったといえる。それ以前 のものは , いわば脚本としていくら かの文学的形態を保ったにすぎない。 19 世紀末に森鵰外が戯曲の出現を呼 びかけ , 北村透谷らがその試みに着 手したのが最初であった。つまり , 日本における戯曲はわすか半世紀の 歴史をもつだけなのである。 / 演劇 / 喜劇 / 悲劇 〔青江〕 ききん飢饉自然現象について の科学的な知識が乏しく , 農耕技術 もきわめて幼稚な段階にあった時代 には , 天候の不順や病虫害の発生な どの自然界の異変は , ただちに作物 の生育に大きな影響をあたえ , しば しば激しい凶作をひき起こした。し かも当時は国内が現在のように政治 的に統一されておらす , 交通 , 貿易 も未発達で , 穀物その他の農作物の 売買もあまり行なわれなかったので , ひとたび凶作が起きるとその地方で は , たちどころに激しい食糧不足が 起こり , おびただしい餓死者を出す このような現象 のカゞつねであった を「ききん」とよぶ。 したがってき きんは単なる自然の災害によって起 きるものではなく , 天候や土壌 , 作 物などについての科学的な知識や , 治水 , 施肥 , 品種改良 , 病虫害予防 などの技術水準のはか , 商品経済 ,

10. 国民百科事典2

カクレウォ 3 8 2 ) 事象 E に対し , それが起こらない 計のかたちは根本的には変わらない。 という事象を E の余事象といい EC と 家庭の消費は , 家族の個々人の , ま 書くが このとき P ( E ) + P (EC) = たは共通のさまざまな欲望に応して 1 である。たとえば , さいころの 1 の 行なわれるが , その基本は , 子女の 目のでない確率は 1 の目のでる確率 養育と毎日の労働の源としての労働 の余事象で , = 1 になる。 3 ) 事 能力ーー労働力を生みだすためのも ー十一 -- - = - ー - カクレウォ 象 EI , E2 ・ , En に対し , それらの のである。したがって家庭は , 物の うちどれかが起こるという事象をそ 消費→労働力の生産→物の消費→労 かくれうおカクレウォ科の魚で れらの和事象といい , EI E2 ・・ 働力の生産 , という労働力再生産の 広義にはその科の数種をさす。狭義 En と書くが , もしこれらが同時に 循環が行なわれる場所である。子女 起こりえないものならば P ()I E2 の養育と労働力を維持し伸ばしてい のカクレウオは細長いからだをして いて腹びれがない。体色は白みの強 くためには , 衣食住をはしめ , あら ・・十 P (En) になる。たとえば , 1 個の い淡灰色で , たくさんの小黒点が密 ゆる種類の生活必需物資やサービス さいころをふって , 1 , 2 のいすれか にちらばっている。体長は 17cm を越 を過不足なく入手し , 合理的に消費 1 の目のでる確率は和事象で , P= することが心要である。そのさい , えるものもある。この魚はふつうフ 6 1 亠である。 4 ) 事象 EI , E2 ジナマコの腸のなかに共生している。 消費に必要なものはすべて貨幣で買 6 En が同時に起こる事象は , EI が起こ 食用ナマコのなかにはけっしてすん い求め , その貨幣は労働力を勤め先 ったとき E2 の生する確率と考えられ , でいない。広義の場合は腹びれのあ に売ることによって得られる。 それぞれの確率の積に等しい。 この るものも含まれ , 胸びれの長さが種 〔家計における収入〕 1 ) 勤労者の場 類によってひしように異なる。ヒト この場合の収入は , 賃労働によ 事象を E 】 E2 ・・・・・ E れと書き , 確 率は P ( E ) =P ( EI ) ・ P ()2 ) ・ デや真珠貝のなかにいるものもある。 る賃金所得である。この労働には , P ( En ) となる。たとえ ( よ . 五つのさいこ 相模湾以南の南日本に分布する。食 事務労働と肉体労働があり , 前者に ろをふって同時に 1 の目のでる確率 用としては価値がないが , 習性が珍 従事するものはサラリーマン , 後者 1 は , 積の確率で , P = は狭い意味での労働者とよばれるも しいので有名。 〔安田〕 6 1 1 デ朝になる。 かくれキリシタン隠れキリシタ のである。また 1 人で 1 種類の労働 6 6 またベルヌイの大数法則という定 に従うだけでなく , 従たる仕事をも ン潜伏したキリスト信者の意で , 理がある。「 E を事象とし , を任意 / 島原の乱後 , 厳重になった江戸幕 つものもある。いわゆる内職であり , そこから得られるものは内職所得で に小さい正数とするとき , E の起こ 府の禁教政策のもとに 3()0 年にわた ある。その他 , 小さな営業をかたわ り潜伏を続け , 1865 年 / T. プチジャ る相対度数と P ( E ) との差がより らで営むもの , 若干の資産 ( たとえ ンの大浦天主堂における隠れた信徒 も小さい確率は , 試行の回数 m を大 発見ののちも , 公認のカトリック教 ば土地や家屋など ) をもち , その利 きくすれば限りなく 1 に近づく。」 会には参加せすに潜伏したまま旧習 2 ( ) 世紀にはいりソ連の A. N. コノレモ 益または賃貸料などの所得をもつも ゴロフは 3 ) をより強めてつぎの 3 つ を守って現在におよんでいる信徒を のもある。これを事業所得 , 資産所 さす。おもに長崎県西彼杵評半島西 をたて , 1 ) , 2 ) , 3 ) を「公理」とし 得という。勤労者の場合は , これら 岸 , 平戸北部および五島列島の約 60 て , まったく現代的な確率論を出発 は比較的小部分を占める。したがっ 部落に散在し , その数約 3 万という。 3 つ EI, E2, ていわゆる副業といわれる場合が多 せしめた。 En とくに生月島の農業部落に残存して ・・がすべて事象で , どの二つも同 い。世帯は幾人かの世帯員によって いる。数戸あるいは十数戸の細胞的 成り立つわけであるから , その中の 時に起こらないとき , P ( を 1 E2 宗団をなし , 五島では部落を張で 経済活動に従う世帯員によって , 各 組織し , 看防方 , 水役 , 張方 , 取次 種の所得が世帯に集められ , そこで 十・・ などの役目がある。看防は司祭役で , 総合されて , それが財貨の購入 , 消 この理論では , ベルヌイの大数法 費にまわされるわけである。 2 ) 勤労 則はつぎのように強化される。「事 洗礼を重んし授洗の役をつとめる。 こうした都市勤労者 者以外の場合 象 E の起こる相対度数が襯を大きく 張方は事務を行ない , オラショ ( 祈言 世帯のほかに , 農村および都市に するとき P (E ) に近づく確率は 1 に 葉 ) を暗唱して伝承する。祖先の遺物 は「納戸神ど」として保ち , 日々の おびただしい数の勤労者世帯以外の 等しい。」これをポレルの大数法則 信仰生活に使う。殉教者の遺跡には 世帯が存在する。自営農家 , 漁家 , という。 / 統計 祠を建てる。降誕祭や復活祭その 各種小売店 , 飲食店などの世帯であ 第 他の行事は上地の年中行事と融合し こでは所得が事業所得である る。 が , 原則として , その場合労働者は て特別な名称をもち , 張の家に集 まって祝われる。葬儀は一応 , 神式 他人でなく自家労働力を用いるので , または仏式ですませた上 , 彼ら独自 その生産活動によって得られる所得 の儀式を行なう。 〔増田〕 を賃金所得になぞらえて考えれば , かけい家計家庭生活を維持す こでは事業所得と賃金所得が合体 るための , 家庭経営における収入と されていることになる。 支出面の運営をいう。農業が経済活 このようにして物資購入のための 動の中心であった時代には , 家庭生 このほ力、に 収入は形成されるが , 贈与されたもの , 仕送り , 社会保障 活は生産と同時に消費の場であった 給付などがある。以上は労働による が , 生産活動がそれぞれの企業に移 収入とともに , 実質的な純収入であ るとともに , 家庭生活は消費だけの 場となっている。家庭生活を消費面 るという意味で実収入とよばれる。 このはかに , 家計における収入には , だけからみたとき , これを世帯とい 借入金 , 預貯金引出し , 衣服家財の い , 世帯は消費生活の単位である。 売却代金 , 保険金 , 貸金の戻りなど , もちろん , 農業や漁業を営む家庭や 個人商店のように生産 ( ないし製品 財産の増加を伴わないみせかけの収 入がある。これを実収民外収入とい の販売 ) と消費をあわせて行なう家 う。家計の規模は収入の大きさによ 庭生活もある。しかし , こでも家 3 長崎における隠れキリ シタンで , 禁制のキリ スト像を観音像に似せ て納戸神として祭った